【猛る獅子と放課後の天使たち 『起』その2】


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  ◇ ◇ ◇



 オレは苛立っていた。
 折角静かな喫茶店で勉強をしているのにさっきから騒がしい。ここはオレの秘密の場所だ。ジャズの音楽を聴きながらコーヒーを飲み、勉学に励む。それがオレの放課後の過ごし方だ。図書館などの学生の多いところでは集中できないからな。言っておくがオレは決して人ごみが怖いというわけではない。ただあの汚い空気が嫌いなだけだ。
 オレはわいわいとお喋りしている男女の二人組へと目を向ける。
 窓際のテーブルに座っているのはクラスメイトの藤森飛鳥と牧村優子であった。確かあの二人は前に心中騒ぎを起こして謹慎を食らったと聞いている。まったく三年になってそんな騒ぎを起こすなんて馬鹿げているな。だいたい学生がそんな交際などというふしだらなことをするからそんなことになるんだ。オレみたいに硬派に生きている人間からすれば信じられない話だ。言っておくがオレは決して女の子が苦手というわけではない。ただ話しかけられないだけだ。ただ目が合うと混乱するだけ。怖いわけじゃない。
 しかしあの二人は仲よさそうで、パフェだのクリームソーダだのと甘ったるいものを食べている。まったく、女子の牧村はともかく男子である藤森があんな不抜けたものを頼むとはなってないな。男なら黙ってブラックコーヒーだろう。そもそも藤森のやつはいつもそうだ。女みたいになよなよした外見で、女子とばかり話しをしている。オレはあいつみたいな人間が大嫌いだ。へらへらと意味もなく笑っているし、よく授業をさぼるし、牧村といちゃいちゃしているし、オレみたいに努力して真面目に生きている人間をバカにしているようで腹が立つ。 言っておくがこれは決して嫉妬ではない。普通の人間ならば藤森のことをそう思っているはずだ。
 横目で彼らを見ていると、藤森はトイレに行ってしまった。
 牧村は子供みたいにパフェをぱくぱくと口に運んでいる。まったく、あの藤森の恋人とうことだけあって牧村も実に愚かな人間だ。最近の若い女はいつもこうだ。男にうつつを抜かして勉強なんてしない。将来仕事がなければ結婚すればいいとでも考えているのだろう。なんてお気楽な生き物なんだ。だがこの先の日本で生き抜くにはそれでは駄目だ。童話のアリとキリギリスのように、今遊んでいるこいつらはいつか後悔するようになる。社会という冬を生き抜くことができるのは努力しているオレのような人間だ。
 そうしてオレが崇高な思想にふけっているとバタンという音が響いた。どうやら藤森のやつがトイレから出てきたらしい。オレはなんとなくその方向をちらりと見る。
「な……!」
 オレは思わずコーヒーをこぼしてしまいそうになる。トイレの扉から出てきたのは藤森ではなく、真っ黒なマントを着こんで、白塗りメイクをしたピエロだった。
「見つけたぞ、世界の歪みを!」
 そんな奇怪なセリフを吐いてそのピエロは駆け出した。客がみんな唖然としている中を走りぬけ、そのまま扉を開けて出て行ってしまう。
 なんだったんだあのピエロは。まだ春には程遠いというのにもうあんな変な奴が出てきているのか。まったく、頭がお花畑な奴は気楽な物だな。オレもあんな風に全てを捨てた行動をしたいものだ……。いや、絶対にしたくないな。あんなものは恥ずかしすぎるだろう。
 ピエロが出て行った扉を茫然と見ていると、また別の客が扉を開けて入ってくる。
 オレはそれを見て心臓が飛び出しそうになってしまう。
 そこにいるのは神のような美しい輝きを放つ少女だった。ふわふわとしたパーマをあてた栗色の髪、すらりと伸びる肢体、伏せ目がちな瞳に長い睫毛、王者のようにゆっくりとした歩調。その全てが知性溢れる美を表現していた。
「紅葉賀……昴さん……」
 思わず彼女のその神々しい名前を口に出してしまい、慌てて手で口を押さえる。しかし昴さんはオレにまったく気づくことなく、こちらに視線をまったく向けてなかった。安心したような、さみしいような感覚を覚えつつ、オレは落ち着きを取り戻すためにコーヒーを一気飲みした。熱い。喉が焼けるようだ。
 紅葉賀昴。
 オレのクラスメイト
 オレの天使。
 オレの女神。
 彼女ほど美しい女性がこの世に存在するだろうか。いいや、そんなことはありえない。昴さんはこのくだらない灰色の世界に輝く一輪の花だ。
 だが、オレのようなただの受験生ではまだ昴さんに釣り合う男ではない。紅葉賀家は日本でも有数の財閥だ。もしこの双葉学園という特殊な環境でなければこうして同じ空気を吸うことすら叶わなかっただろう。まさに住む世界が違う人間だ。
 だがオレもいずれそっちの世界に行くんだ。
 今は道端の石ころ程度しか彼女に認識されていなくても、そうすればいずれは昴さんに相応しい男になれるはずだ。
 しかし、昴さんに続いて入ってきた人物にオレは激しい嫌悪を覚える。後ろから入ってきたのは昴さんの双子の弟である紅葉賀凛人であった。奴はちゃらちゃらした雰囲気を持っていて、オレが一番嫌いなタイプの人間だ。双子でありながらもはや昴さんとは全く違う生き物だろう。顔立ちは少し似ているが、凛人は品がなく、まるで汚物。弟という立場なだけで昴さんとずっといられる卑怯な男。
 いますぐオレと立場を代われ。貴様など紅葉賀の人間に相応しくない。オレが彼女の隣にいるべきなんだ。
 オレが凛人を睨みつけていると、奴もこちらに気付いたようで、オレのほうへ手を上げた。
「よお井上。奇遇だな。こんなところでも勉強してるのかい?」
 凛人は厭味ったらしくそう言った。相変わらず腹の立つ喋り方をする奴だ。オレは凛人の言葉を無視し「チッ」と舌打ちを返してやった。すると凛人も不快そうな表情をして向こうを向いてしまう。ざまーみろ。お前ごときがオレに話しかけるからだ。
 しかし二人は、牧村たちのテーブルへと向かっていった。なんだ。牧村は昴さんと友達なのか。普段牧村はクラスの連中と遊んでるのをあまりみないから意外だ。いや、それは紅葉賀姉弟も一緒なのだが。
 だが、オレは彼らの中に一人|知らない人物《・・・・・・》がいつの間にかいることに気付いた。それはオレたちと同じくらいの歳の女子だ。亜麻色の長髪に人形のような顔。張り付いたような不気味な笑顔。綺麗なのだが、どこか不気味さをオレは感じた。まるで作り物のような人間。
 その女を中心に、四人は何かを話しているようだった。オレの位置からでは何を話しているのかはわからない。だがなんだか彼らはその見たこともない女を幾年来の友人のように自然な表情で会話している。あれは一体誰なんだろうか。あんな美人が昴さんのほかにいたとは意外だった。
 だがしかし、オレには関係のないことだ。
 確かに昴さんのことは気になるが、今オレはここに勉強しにきたんだ。それをおろそかにしてはいけない。オレは深呼吸して再び参考書と睨めっこを始める。
 だがやはりすぐ近くに麗しの昴さんがいるということが気になり、ちらちらと横目であっちを見てしまう。
 すると、上手く聞き取れない彼らの会話の中で、ふと耳に気になる言葉が入ってきた。
「ねえみなさん。あなたたちは何か他人にはわからない“心の傷”を持っていませんか?」
 心の傷。
 それは誰にでも、どんな人間にでもあるものだ。
 オレはばっとその言葉を言ったあの女を見る。その隣に座っている昴さんはどうなんだろうか。何か悩みがあるのだろうか。傷ついているのだろうか。この腐っている世界で、あの昴さんという天使の羽根は汚れてはいないか。
 そう思うと胸が締め付けられ、とてつもない痛みがオレを襲う。心臓が鐘のように脈を打ち、頭が熱くなってくらくらする。
 彼女を傷つけるその総てを、オレは消し去りたい。
 俺の心の傷を癒してくれたのが昴さんなのだから。


   ◇ ◇ ◇



 アタシは自分の腕から流れる血を見て、少しだけ落ち着きを取り戻した。
 真っ赤な血がコンクリートの地面にぽつりぽつりと落ちていくのを見るとまだ自分が人間であることを実感する。
 “敵”の気配は今のところ無い。
 アタシは息を吐きながら路地裏の壁にもたれかかる。生ゴミが散乱していてとても臭うが、文句を言っている場合ではない。
 ポーチから手鏡を出して自分の顔を見てみる。
 大丈夫。顔はどこも怪我してない。もし顔を傷つけられたら誤魔化しがきかない。そんな悠長なことを言っていられる相手ではないのだが。
 しかしさっきの戦闘で髪が乱れてしまった。よくアタシの髪型は古臭いだの遅れてきたバブル時代だのと言われるが、アタシはこのボリュームのあるパーマを気に入っている。自分で言うのもなんだが、手入れのされていない野良の黒猫の毛並みのようで好きなのだ。黒猫は気高い生き物だから。
 アタシは鏡を見ながら髪の毛をセットしなおす。たとえ任務中《・・・》でもアタシは自分のファッションを崩すつもりはない。それがアタシの“女子高生”としてのこだわりなのだから。せめてそこだけは、普通の女の子でいさせて欲しい。
 アタシは切りつけられて血が出ている左腕を、スカートを少しだけ破って包帯代わりにして止血する。幸いスカートの丈は足首まであるから下着が見られる心配はない。もっとも、アタシの下着を見たい思う男子がどれだけいるかはわからないけど。
 一息ついていると、スカートのポケットに入れていた携帯電話のバイブがぶるると震えた。アタシはすぐに電話を取り出して、その発信者を確認する。その番号はアタシのよく知る人物だったので、ためらわずに電話に出る。だが敵に気付かれないように極力小声を保たねばならない。
「もしもし」
『あらあら“タブラチュア”、元気にしてるぅ?』
 電話の先から、そんな飛びぬけて明るい女の声が聞こえてくる。“タブラチュア”。それがアタシの持つもう一つの名前。
「やめてくれマルカート。アタシのことは、この学園にいる限り秋山《あきやま》梓《あずさ》という名前で呼んでくれって言っただろう」
『あらごめんなさーい。でも、それだったら私のことも羽里《はねざと》せんせーって親しみと愛情を込めて呼んでちょーだい』
 電話の相手、アタシの上司であるマルカートこと羽里先生は、そうけらけらと笑いながら言った。アタシはこの人が苦手だ。他の研究員たちも同じだが、何を考えているのかまったくわからない。いや、そもそも何も考えていないのではないかとも思える。彼女を相手にするくらいならばあの戦闘狂のバラッドみたいなやつと任務をこなしていたほうがまだましだ。
「それで、何の用なんだ。こっちはかなり忙しいんだよ。あんたと喋ってる暇はない」
『ふふん。そんなことだろうと思ったわよ。梓ちゃん、あなた襲撃にあってるんでしょ?』
「……よくわかるな」
『息が乱れてるもの。どこか怪我してるみたいね。でも軽口叩けるってことはたいした怪我じゃないんでしょうけど。あなたたち改造人間のことなんて私には全部お見通しなのよ』
「そうかい。だけどあんたらはあの“失敗作”に逃げられて裏切られたんだろ」
『あらあら痛いところ突くわね。それは仕方ないわ、アレは私たちの手に負える物じゃなかったのよ。ともかくあんたはその“失敗作”を早く始末してきなさい。アレに物理的な戦闘能力は無いわ、あんたでもやれるでしょ』
「アタシだって必死にアレを探しているさ。だが、さっきも言ったように敵に襲われている。あいつらはなんだ。なぜアタシを襲ってくる? 敵はアタシを容赦なく殺そうとしてきた。あれは学園の生徒じゃない、あの殺意はプロのプレイヤーだった」
 アタシがそう尋ねると、羽里先生は少し間を置いて答えた。
『恐らく敵は“聖痕《スティグマ》”の殺し屋でしょうね。なんで連中があんたを襲ってるのか知らないけど、気をつけなさい、連中は殺しのプロよ。あんたのような第一世代が正面から戦っても勝機は薄いわ』
「酷いな。少しは励ましてくれてもいいじゃないか」
『あら。私にそんなこと期待するの?』
「してないよ。あんたには何もね」
『あっそう。まあ適当にがんばんばさい。死んだら骨は拾ってあげるわよ』
「ふん。それはありがたいことだね」
 アタシはそれを最後に通話切った。あまり長く話していると緊張感が途切れる。ましてやあの能天気な女と喋っていたら調子が狂う。
 しかし聖痕の殺し屋か。話には聞いていたがこうして対峙することになろうとは思ってもいなかったな。
 アタシはゆっくりと自分が置かれている状況を確認する。
 そこには奇妙な風景が広がっている。
 ここは確かに路地裏なのだが、|その路地裏には終わりがなかった《・・・・・・・・・・・・・・・》。
 言っている意味がわからない? アタシだってこの奇妙な状況を理解できていない。だが確かにこの路地裏がどこまでもどこまで続いているのだ。そう、表に出ることができない。地平の果てまでこの壁と壁の間の空間が広がっているのだ。
 恐らくこれは敵の異能による干渉であろう。
 異能によって空間が捻じ曲げられ、アタシはこの路地裏に閉じ込められてしまっているようだ。恐らくは空間隔離と呼ばれる類の能力だが、これほどまでに強力な結界は見たことが無い。ためしに真っ直ぐに突っ走っても目印をつけておいた場所にまた戻ってきてしまう。どうやら出口と出口が繋がれメビウスの輪のようにループしているようだ。
 この状況を突破するためには敵の本体を叩くしかない。
 アタシはふと自分の切りつけられた腕を見る。これは敵にやられたものだ。
 アタシの足を止めたいだけならこのまま放置して餓死するのを待てばいいだけだが、こうして物理的な攻撃をしてきた以上、敵はこの空間を維持するのに近くにいなければならないということだろう。ならば勝機はある。
 アタシが手を掲げると、ブレザーの袖口からジャラジャラと銀色の鎖が伸び出てくる。
 鎖は意思を持っているかのように物理法則を無視して、まるで蛇のようにうねっている。これがアタシの唯一の武器、アタシの異能《ちから》。
「さあ自動追尾鎖《オートロックチェーン》よ、近くにいるはずの敵を見つけ出すんだ」
 アタシがそう命じると、鎖は一瞬動きを止めたかと思うと、その先端を空に向かって伸ばしていた。
「―――上か!」
 ばっと天を仰ぐと、壁と壁の間から、夕日が差し込む茜色の空が見える。そしてその夕日の逆光を浴びながら、人のようなシルエットがこちらに向かって落ちてきた。
「殺《と》っったああああああああ!」
 そのシルエットはそう叫びながら日本刀のようなものを振りおろしてきた。アタシが反応するより早く、鎖はその日本刀の切っ先を弾き飛ばし、その人物の喉元を狙うように一気に伸びる。
 だがその人物は空中で壁を蹴り、紙一重で鎖の射程外まで跳んで行ってしまう。その日本刀を持った人物はアタシの数メートル先の地面にとんっと音を立てずに着地を果たす。そう、この人物こそアタシの腕を切りつけた本人。聖痕の殺し屋だった。
「ふん。拙者の奇襲を防ぐとは、お主中々やるな」
 まるで時代劇のようなセリフ回しをするその男は、見事に格好までも胡散臭く、アタシは呆れて溜息をついてしまう。
 男は侍のように長い髪の毛を後ろで結い、下は動きやすいジャージなのに、その上に白い着物を羽織っていた。しかし足はなぜかブーツを履いており、なんというか、まったくもって出鱈目な格好だ。こんな奴らばかりなのか聖痕の連中は。ふざけている。
「どうしたお主、そんな目を白黒させて。まさか拙者の美男子っぷりに一目惚れしてしまったのではないだろうな。ふふ、拙者も罪な男だ」
 そう言いながらキザっぽく前髪をいじりながら日本刀を構えている。
 そんなわけないだろ、お前はバカか! そう怒鳴ってやりたかったが、これも奴の油断させる作戦かもしれないと思い、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
「しかし拙者の相手が女子《おなご》とはな。誇り高き侍である拙者は少々気が乗らないな」
「なにが侍だ。侍があんな奇襲攻撃するもんかよ」
 アタシは鎖を自分の手元まで戻し、奴から目を離さないように睨みつける。馬鹿げた格好をしているが、隙はどこにも見当たらない。その上重たい日本刀をまるで玩具のように片手でくるくると回して遊んでいる。アタシのような養殖された戦闘員ではやはり生粋の殺し屋を相手にするには分が悪い。
「ふん。女子にしては少々口が荒っぽいな。いや、拙者はそういう女は嫌いではないぞ。だが残念だ、どんないい女でも、拙者は目の前の敵を斬らずにはいられないのでな。せめて拙者のこの愛刀“堕落十号《だらくじゅうごう》”でその血を飲みほしてやろう」
「そうかい。それは奇遇だ。アタシもあんたみたいな男は絞め殺してやらないと気が済まないんだよ」
「そうか、ならば死合おうではないか。拙者は聖痕の殺し屋、空蝉《うつせみ》刀哉《とうや》。さあ、お主の名を聞かせてくれ」
「アホかお前は。なんで敵に名乗らなきゃいけないんだ」
「侍たるもの決闘の前に名乗るのは礼儀であろう」
「アタシは侍じゃない!」
 戦いの前に自分の情報をベラベラ喋るのは三流のすることだが、この目の前のバカはどうやら二流三流というわけではないらしい。
 空蝉……空蝉一族。アタシはその名を聞いたことがある。
 戦国の時代から続く暗殺者の家系。古来から異能の力を持ち、歴史の裏で暗躍している存在の一つだ。だが空蝉は対ラルヴァの一族でもあると聞いている。そんな奴がなぜラルヴァ信仰団体である聖痕に所属しているんだ。わからない。
「おい、あんたたちは何故アタシを狙う。アタシはあんたらに恨みを売った覚えはないぞ」
「ふん。拙者らはお主に個人的な恨みがあるわけではない。お主がオメガサークルなどという不抜けた組織の一員だからだ」
「!」
 アタシはそれを聞いて自然と身体が固まる。どうやら刀哉はアタシの正体を知っているようで、不敵にニヤニヤと笑っている。やはり、だとするならばアレと聖痕は繋がっているということか。あの“失敗作”と……。
「お主ももう察しがついているだろう。我々は“ノイズ”様の兵だ。ノイズ様は我々の天使だ。あのお方のためならば拙者はたとえ眼に映る総てを敵に回しても構わないと思っている」
「ノイズ……様だって?」
 アタシは混乱してしまう。『様』だと、あの失敗作の“雑音《ノイズ》”のことを『様』だって? しかも天使ときたものだ。アタシはなんだかバカらしくなってきて変な笑いまで出てきそうだった。
「そうだ、ノイズ様こそ我々の救いとなり、世界の救いになるお方だ。拙者はあのお方に仕えるためにこの世に生を受けたのだと思っている。そしてお主らオメガサークルはノイズ様の力を理解せずに存在を末梢しようとしている。拙者たちはそれを許さない。ノイズ様の“救済”の弊害になる存在は、全て斬り殺す」
 そう喋っている刀哉の眼は、段々と軽薄なものから殺意の籠った殺し屋のそれになっていく。
 もはやこれ以上喋ることはないのだと、そういう眼でアタシに向かって刀の切っ先を向けている。こうなったらやるしかない。敵の能力は空間隔離。異能が一人一つである以上、刀哉は異能による攻撃を持たないはずだ。ならばただひたすら斬撃に気を配ればいい。アタシは鎖を握る手を突き出し、刀哉と対峙する。やれる。やるしかない。
 だが、その次の瞬間、刀哉が立っていた場所から刀哉はその姿を消した。
「な……!」
 アタシが驚いていると、鎖が反応を示し勝手に防御反応をとっていた。その鎖にかするように、下段から刀が突きあがってくる。
 火花を散らしながらなんとかそれをいなし、アタシはバックステップで距離をとる。そこには刀哉が刀を突き上げたポーズのまま立っていた。
 速い。あまりに圧倒的に。
 アタシの異能であるこの“自動追尾鎖《オートロックチェーン》”は、その名の通り敵の行動に自動《オート》で反応し、防御や攻撃を仕掛けることができる。もしこの鎖がなかったらアタシは刀哉の行動についていけないだろう。これが本物の殺し屋の実力か。異能や人体強化に頼っているアタシたち改造人間じゃ話しにならない。
「初撃を避けたか。大抵の人間はこれで身体を二分割にされるのだがな」
 刀哉はふっと口元を少しだけ歪めている。その表情はどこか楽しげで、一杯一杯のアタシにとっては恐怖でしたかなかった。刀哉は刀を中段に構え、息を整えている。アタシが勝っているのは攻撃の攻撃範囲《リーチ》だけだ。どうにか近づかれないように攻撃するしかない。
「でりゃ!」
 アタシは鎖をジャララララと刀哉のほうへと伸ばす。近づかれる前に仕留めるしかない。恐らく鎖の反応速度ではあの斬撃を受けきるのには限界がある。ここは一気に攻めるべきだ。
 しかし、刀哉はその鎖を刀で受けながらも全力で前進してくる。だけどそれがアタシの狙いだった。鎖は生きているかのようにうねり、刀哉の持つその日本刀にぐるぐると巻きついていく。
「捕った!」
 アタシはその巻きついた鎖を全力で自分の方へと手繰り寄せる。がっちりと日本刀を捕え、簡単には引き離せない。得物さえ取り払ってしまえば刀哉の戦力もガタ落ちになるだろう。アタシが日本刀を引き抜こうとして、刀哉は日本刀をとられないように力を入れ、踏ん張って――いなかった。驚くことに刀哉はすぐに日本刀をすっと手放した。そのままの勢いで日本刀はアタシのほうへと簡単に手繰り寄せられる。
 なぜ? なぜそんな簡単に自分の得物を手放したんだ? アタシが混乱していると、身軽になった刀哉は、あろうことが素手のままこちらに向かって再び全力で駆け出した。さっきよりも速い。刀を持っていない分身軽になっている。
 だがこれはまずい。
 アタシの鎖は今、日本刀を絡め取っているだけでもう手いっぱいだ。防御が――できない! 
「うがあ!」
 逆に武器を塞がれてしまったアタシの腹部目がけて、刀哉はその足のつま先で思い切り蹴ってきたのであった。
 アタシはその勢いのまま数メートル先まで転がって行ってしまう。コンクリートに身体を打ちつけ前進が痛い。それどころか蹴られた腹部はもはや息ができなくなるほどで、胃液が逆流してくる。自分でも気付かないうちに少しだけ吐いてしまい、地面が吐瀉物で汚れていた。
 痛い。痛い。痛い。情けなさや恐怖よりもただひたすら痛みだけがアタシの身体を支配している。
 必死に眼を開き刀哉のほうへと目を向けると、アタシの鎖から解き放たれた日本刀を再び刀哉は手にしていた。
 駄目だ。
 殺される。
「立て。拙者に倒れている女を嬲る趣味は無い。そうすれば次は痛みを感じる暇もなくその首を切断してやろう」
 その声は今まで聞いたこともないような冷酷で残酷な声だった。人を殺すことになんの躊躇もない人殺しの声。
 格が違う。どうすればいい。生き抜くためにはどうすれば。
 考えろ、考えるんだ。
 アタシはとある仲間の言葉を思い出す。
『俺たちは弱い。だから考えるんだ、生き抜く方法を。活路は必ずどこかにある』
 よく戦闘訓練のときに“調子外れ”のあのチビは言っていた。考えろ。生き抜く道を見つけろ。こんなところで死んでたまるか。
「ふん。実力の差に絶望しているかと思ったが、その眼はまだ戦いを投げ出していない眼だな」
 ゆっくりと立ち上がるアタシを見て刀哉はそう呟いた。
 その通り。アタシはまだ諦めてはいない。諦めるものか。
 見下すようにアタシを見て油断している刀哉をしり目に、アタシは痛みを必死で堪えて走り出す。
 後ろで何か刀哉が叫んだようだが無視。アタシはただ真っ直ぐに走るだけだ。無限に続く路地裏を駆けていく。改造人間としてのポテンシャルを完全に開放し、自分の限界ぎりぎりまで脚力を上げていく。
 走れ。走れ。走れ!
 瞬間的な吐反射速度はともかく、純粋な走力ならこっちが上のはず。今はただ後ろを振り返らずに走り続けろ。
 後ろからかすかだが刀哉の足音も聞こえてくる。追いかけてくる。だがそれでいい。追いかけてきているということはアタシの狙いに気付いていない!
「逃げても無駄だ! お主はこの空間から逃れることはできない!」
 そう叫ぶ声も無視してひた走る。そう、この空間は前後が繋がっている。なら、ならば!
「いけ鎖よ!」
 アタシは|誰もいない前方に向かって鎖を限界まで伸ばす《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。鎖は無限に続くように見える路地裏の道へと延々と伸びていく。鎖を伸ばして精神を集中しているため、アタシの足は止まってしまい、さっと首を後ろに向けると刀を構えた刀哉がすぐそこまで迫って来ていた。
「どこに鎖を放っている。とうとう観念したのか。ならばその美しい首を切り裂いて拙者がその断面から流れる血を啜ってやろうぞ!」
 気味の悪いことを言いながら刀哉はこちらへ駆け寄ってくる。
 いいぞ、気付いていない。
 刀哉はアタシしか目に入っていないようで、その刀をアタシの首もとを狙って振りおろそうとしていた。
「今だ! 鎖よ、そいつの首を狙え!!」
 刀哉はアタシのその言葉に驚きの表情を示していた。だがもう遅い。刀哉の刀が振り下ろされる直前に、奴の首に鎖が巻きついていた。
「ぐふっ――!」
 |後ろから《・・・・》伸びてきた鎖に首を絞められた刀哉は、混乱と呼吸の出来ない恐怖でパニックになっているようで、刀を地面に落して必死に鎖を取り外そうともがいている。
 これをアタシは狙っていた。
 今この空間は路地裏の前後が繋がれてメビウスの輪のような無限空間になっている。どれだけ進んでも元の場所に戻ってしまう。アタシはそれを利用して前方へ鎖を伸ばし、後方から戻ってくる鎖を利用して刀哉に攻撃を果たしたのだ。この鎖は魂源力を具現化したもので、そうそう簡単に千切れるようにはできていない。アタシの、勝ちだ!
「このまま絞め殺してやる。いや、首の骨を折ったほうが確実か……」
 アタシが鎖を握る手に力を入れようとした瞬間、ぐらりという一瞬空間が揺れたような錯覚を覚えた。
「これは……!」
 その直後アタシの真後ろには商店街の喧騒が聞こえてきた。振り向くとその先には確かに商店街が見えている。どうやら刀哉は空間隔離を解いたようだった。空間の捻じれを強制的に元に戻した影響か、アタシの鎖は真ん中からぶつりと切れて地面に落ちる。どうやら空間隔離を解いたのはそれが目的のようだ。鎖から解放された刀哉は、青ざめた表情で、壁を蹴り、三角跳びをしてビルの屋上へと上りその場から逃げ出してしまった。
「くそ、これは逃走ではない! 戦略的退却だ!! 次は必ず殺してやるぞ……うう、兄者に怒られる……」
そう捨て台詞を吐く刀哉は、ちゃっかりと刀も拾っている。止めをさすことができなかったが、一先ずアタシは勝ったのだ。殺し屋を退けることができたようである。
 アタシは安堵してその場にへたりこむ。いや、座っている場合ではない。また敵に襲撃を受けないように人がいる場所へ出た方がいい。アタシは重い身体を引きずって商店街へと出ていく。そこは学校帰りの生徒たちで溢れており、先ほどまでの殺し合いの世界とはまったく無縁のものであった。
 まるで別の世界に来たかのような感覚に襲われるが、アタシとしてもあんな命のやり取りよりも、こうしてここで学生らしくのんびりしていたかった。だがそんな暇はアタシにはない。ノイズと聖痕が手を組んでいるのなら一刻も争う。
 だがそんな急ぐアタシに、突然声をかけてきた者がいた。
「ちょっとそこのあなた、お待ちなさい」
 アタシはびくりとして声がした方向を振り返る。そこには高圧的な表情の少女がこちらを睨んでいた。腕には『風紀委員』の腕章が付けられている。まずい。風紀委員か。
「あなた怪我してるようだけどそれはどうしたの。それになんだか顔色が悪いわよ。何か揉め事が起きたなら私たち風紀委員に相談しなさい」
 その少女は頼もしい表情でそう言った。普通の生徒ならばここでこの頼もしい風紀委員に泣きつくところであろう。だが、アタシはオメガサークルの改造人間だ。もし風紀委員に素性がばれるようなことがあればすぐにアタシは学園から消されるだろう。
 まずいな。どうにか誤魔化してここから立ち去らなければ。
「いや……あの……」
 アタシが口ごもっていると、風紀委員の表情も不審な眼つきに変っていた。当然だ。今のアタシはかなり怪しく見えるだろう。特にここ最近は物騒な事件が多いこともある。
「ちょっとあなた。学園に来てもらうわよ。少し話を聞かせてもらうわ」
 そう言いながら彼女はアタシの手を引っ張った。正義や善意という大義名分を持った人間が一番性質が悪い。放っておいてくれ。アタシにそんな暇はないんだ。
 だが先の戦いで力を使い果たしていたアタシは、抗う気力も起きなかった。しかし、そんなある種絶体絶命のとき、誰かの叫び声が轟いた。

「ピエロだ! 気狂いピエロが出たぞぉ!!」

 生徒たちのそんな叫び声がし、アタシもその風紀委員もその方向を見る。すると、そこには馬鹿げたピエロの扮装をしている少年が商店街の街灯の上をぴょんぴょんと跳ねながら走っていた。なんだあれは。
 アタシがぽかんと呆けていると、風紀委員は険しい顔で、
「ついに姿を現したか変態ピエロ、今日こそとっ捕まえてやる!」
 そう言いながらアタシを置いてそのピエロを追っかけて行ってしまった。他の風紀委員にも連絡が行っているのか、すぐに大勢の風紀委員たちが駆けつけてきた。そのピエロはたくさんの風紀委員に飛びかかられ、雪崩のような彼女たちに押しつぶされてあっという間に拘束されてしまっている。
「ついに捕まえたぞこの迷惑ピエロ!」
「観念しろ、うわ、こいつナイフ振り回してやがる! 危ない奴だ。こっちに来い」
「いつもいつも私たちをおちょくるように逃げ回りやがって……。しかし今日は包囲網を張っておいてよかった」
 風紀委員たちは仕事を達成した様子で、清々しい笑顔でそのピエロを見ている。それに対してピエロは、
「うわ~ん! ボクなんにも悪いことしてないよ! ボクが行かないと世界が終わるんだってば、世界の歪みを見つけたんだって!!」
 そんなことを叫んでいた。そんなピエロを憐れむような眼で風紀委員たちは見下ろし、無線で連絡をとっている。
「ああーこちらB班。逢洲《あいす》先輩聞こえるっすか? 例のピエロを拘束しました。ええ、どうも錯乱しているようで『世界の歪み』がどうのこうのと意味不明な言葉を口にしてるっす。間違いなく頭がパーの人みたいっす」
「世界が終わるわけないだろ! さあこっちに来い!」
 子供のように駄々をこねて半泣きのピエロは、マントで涙を拭いながらそのまま風紀委員に連れて行かれてしまった。
 一体なんだったんだ今のは。 
 だが今の騒ぎのおかげでアタシのことを忘れてしまったようで、さっきの風紀委員も一緒にどこかへと行ってしまった。
 どっと緊張が解かれ、一気に疲れがアタシの身体を襲う。
「……っ!」
 まずい。力を使ったことと、体力の消耗で、激しい頭痛ががんがんとする。薬、薬を飲まなければ。アタシは震える手で、ポーチからなんとか錠剤を取り出す。これを飲めば少しは楽に……。
 だが、アタシはもう限界だった。
 目の前が暗くなり、方向感覚もわからないまま、倒れこんでしまう。
 しかし、地面に倒れこむ前に、温かい何かがアタシの身体を包んだ。それは男物のダッフルコートで、そのダッフルコートの人物がアタシの身体を支えてくれているようだった。知らない人物の腕に抱かれ、アタシは一瞬だけ眼を開き、その人物の顔を見る。それは一人の少年だった。アタシと同年、もしくは年下の男の子だ。


「誰……?」
「俺か? 俺は二年の西院《さい》、西院|茜燦《せんざ》。そんなことよりこんなところで寝ちまったら風邪引くぜ」
 茜燦と名のったその少年は勇猛なる獅子のような凛々しい顔立ちをしていた。そんな彼の声になぜか安心してしまったアタシは、まるで飼い主に抱かれる子猫のようにそのまま眠ってしまっていた。


『承』へつづく








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