【時計仕掛けのメフィストフェレス Re-Turn 第三話 1】


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ラノで読む
 敷神楽の風呂場は、実に広大だった。
 まるで温泉ではないのか、って思うほどに。だが人工島だから温泉はないはずである。いや、海底突き破って温泉汲み上げるというパターンもあるし、一概に否定は出来ない。この俺、時坂祥吾がそんなくだらない事を考えてしまうぐらい、風呂はでかかった。
「本っ当に伝奇小説の世界だよな」
 そのうちこの屋敷で殺人事件でも起こるんじゃないだろうか、と思わせるような屋敷だ。そしてもしそうならば、俺はおそらく死ぬ役だろう。探偵役できるほど頭よくないし、と思う。
「殺人犯のいる所にいられるか、俺は部屋に戻らせてもらう! とか言って。あ、でも和風の屋敷って襖とかだよな、鍵ってついてるのか? ……ついてなさそうだよなあ。だから探偵ものでは洋館が基本なのか。和風邸宅はセキュリティの面でかなりあれだし」
「でも引き戸には鍵もついてるんですよ。引き戸錠とかありますし、襖用の鍵とかも置いてるんです」
「へえ、そりゃ世の中も便利になったもんだ。ああ、でもやっぱりなんか無粋な気もするよなあ」
 和風の家にはあの開放感が付き物だと思う、夏とかは特に。
「ですね。私も襖には鍵がないほうがいい気がします」
 そう賛同してくれる沙耶ちゃん。……沙耶ちゃん? あれ?
 なんで彼女の声が此処に?
 俺は首をぎぎぎ、と後ろに向ける。まるで錆付いたぶりきのオモチャのように。
 ……そこには、湯浴み着を着た沙耶ちゃんが座っていた。
「うわぁあああああああああああああああああ!?」
 俺は驚き、たまらず叫ぶ。俺の叫び声が風呂場に木霊した。



 時計仕掛けのメフィストフェレス Re-Turn

   第三話 〝アイアムヒーロー〟



「みんなに、側女の初仕事として背中流してきなさい、って言われて……」
 とりあえず彼女から説明を受ける俺である。
 そういうことか。う仲良くやっていけると思ったちょっと前の俺を絞め殺したい。あいつらは敵だと認識する。
「ていうか、その側女って何」
「ええと、さっきも御前様が言ってたように、身の回りの世話をする……ええと、メイドさん、のような」
「なるほど」
 それは中々に心惹かれる言葉である。だが、一観になんて説明すればいいのやら。そこが困り者だ。上手い言い訳を明日までに考えて、口裏を合わせてもらわないといけないだろう。
「え、えと、他にもその、別の意味も……あ、あるんです、けど」
「ん? 何か言った?」
 考え込んでいてよく聞こえなかった。
「な、なんでもないです」
 しかし……。湯船につかりながら俺は横目で彼女を見る。
 白い湯浴み着で座っている巨乳の女の子というのは、これは来るものがある。特に、湯気で湯浴み着がしっとりと濡れ始めて、白い布地から上気した肌が薄く透け始めているあたりがものすごく扇情的である。
 見てはならない。これは見てはいろいろと危険なものだ。
「ええと、その、体を……お流し」
「いや、いいから!」
 こんな状態で上がれるか。このまま上がってしまったら色々とまずいことになるのは明白だ。
「だけど……お礼もしたいですし」
「いやだからいいから!」
 というかこのシチュでお礼とかいう単語だされるとさらに困る。困ってしまう。それが健康な青少年の性である。
「……」
 しかし沙耶ちゃんは動こうとしない。……外見からはそうは見えないが、意外と頑固なようだ。仕方ない。
「ああ、じゃあ背中だけでいいから。あと俺が座るまであっち向いてて」
 俺は折衷案をとることにする。彼女は俺の体を洗わなきゃいけない、俺はなんというかすごいことになってるのを見られたくない。だから背中だけ流してもらう、これなら誰も困ることは無いということだ。
「はい」
 沙耶ちゃんは後ろを向く。助かった。俺はとにかく、すごいことになっているすごいところを刺激しないように、湯船からあがり、タオルを腰に巻き、椅子に座る。
「じゃあもういいよ」
「はい」
 沙耶ちゃんが向き直る。もっとも俺からは見えないのではあるが。
 沙耶ちゃんはタオルに石鹸をつけ、そして俺の背中をこすり始める。
 ……なんというか、ひどくこそばゆい。いや物理的な意味だけではなくて、その、色々と。
「どうですか? お姉さまたちにも、私の背中洗いは上手いって言われるんですよ」
 ……先輩に? それはその、なんというか。風呂で姉妹が背中を、体を洗いっこ……いかんいかんいかん、ついついよけいないらぬ想像をしてしまう。
「あ、そうだ、ところで!」
 話題を変えなければならない。俺の精神衛生上。そういうわけで、俺は先ほどからずっと思っていたことを聞いてみる。
「……君は、それでいいのかよ」
「? と、いいますと」
「今こうしてる事。結局、あの男か俺かって違いだけで、実際は何も変わってないだろう」
 言われるままに、そういう人生で本当にいいのか、と。少なくとも俺がそんな立場になったら、嫌だと思うだろう。
「それ以外の生き方を知りませんから。人生経験の乏しい私は、外では多分生きていけませんし」
「人生経験……?」
 俺はおうむ返しに聞く。
「私、十年間の記憶しかないんです。五歳の頃、ラルヴァに襲われて記憶なくした、って。まあ、たかだか五歳までの記憶なんてそんなに変わらないとは思うんですけどね」
「そうだったんだ」
「鶴祁お姉さまや、刀那ちゃんみたいに剣も強くないし。私、とろくさい上に無駄飯ぐらいなので……」
「あのさ、そんなに自分を卑下するものじゃないと思う」
「卑下なんてしてませんよ? 自分の悪いところ、いたらない所を知ってるだけです」
「……そうか。そうなんなら、すごいな」
 それは言うはやすしだが、なかなかに難しいと思う。卑下することで誤魔化すのではなく、真正面から自分の欠点に向き合う……俺には出来そうにない。
「それに、その。人を悪く言うのはよくないんですけど、それでも……あの人よりは、時坂さんにお仕えするほうが……」
 まあそりゃそうだろうなあ。
「でも初対面の人に仕えろと言われても本当に大変だろ」
 しかも初対面があれだったし。……いや、いかん、思い出すな。
「時坂さんの話は、鶴祁お姉さまに聞いてましたから、不思議と初対面の気はしないんですけれど」
「……どんな話してたんだか」
「知りたいですか?」
 笑う沙耶ちゃん。嫌な予感しまくりです。
「遠慮しときます」
「残念です」
 そう言って、お湯を俺の背中にかける。
「次は前を……」
「絶対にノウ!」
 それだけは断固拒否する。このシチュですら色々と恥ずかしすぎるというのに。
「……そうですか。それじゃ私、あがりますね。もう少ししたら夕食のはずですし、あまり入りすぎないでください」
「ああ、わかったよ」
 沙耶ちゃんはそういい残し、風呂場から出て行く。
「……ふぅ」
 俺は大きなため息ひとつ。
「助かった……」
「お楽しみでしたね?」
「ぅどわぁ!?」
 今度は横からいきなり声がかかる。というかメフィはいつのまに実体化していたのだろうか。しかも全裸だった。いや風呂だからそれはある意味正しいのだが。
「退屈なんですよねー、せっかく契約者ゲットで物質界に実体化できるようになったのに、なんか今日はまたあの森に閉じ込められて」
「自分から好き勝手に出てこれるのは閉じ込められたとか言いません。ていうかお前、騙したな」
 そっぽを向きつつ俺は言う。
「精神衛生上とても大事なのは事実ですよぅ。あそこはやわらかいお布団もなければ、あったかいお風呂だってないんですから」
「……そうなのか。いやそりゃ確かに同情するけど」
「まあいいじゃないですか、結果オーライで」 
「よくねぇよ」
 本当によろしくない。だがまあ、済んだことを色々といっても意味が無いのは確かである。
「……上がるわ、俺」
「もうですか? なんならこれからお酌とかするのに」
「俺は未成年だ、酒なんて飲まねぇよ」
「あらやだ残念」
 相手をしていると本当に疲れる。嫌悪感が起きないのがまたつらい。いっそこいつが本当にただの邪悪な悪魔だったらどれだけ助かるか、と時々思う。
 俺はメフィの文句を背に、風呂から上がった。




 風呂場から出て、廊下を歩く。そして廊下を曲がる。
「おや。おやおや」
 ……そこに、完璧に予想だにしない顔があった。
 黒い燕尾服にシルクハット、そしてうさぎの耳。和風邸宅においてはもはや冗談めいた違和感しかない。
「時計屋の人……」
 何で此処に?
「これは奇遇だな。いやはやしかし、何で此処に、という顔をしているな君は」
「いや、まさにその通り……なんで此処に?」
「御前様には御贔屓にしてもらっていてね。今夜は修理に出されていた柱時計を持ってきたのさ。いやしかし本当に奇縁だな、いやもしかするとこれは運命かもしれないね。そう思わないかい?」
「偶然の範疇でしょ、それ」
 ありえないほど珍しい偶然だとは思うが。
「はははっ、まったくつれないな。だがそれがいい。逃げる兎ほど追いかけたくなるものだよ」
 さわやかに笑う時計屋。
「しかし……うん、やはり言ったとおりだったね。君はあの時計の針を動かせたようだ。もっとも代償は安くはなかったようだが」
「あんた……知ってたのか」
 あの時計の事を、永劫機の事を。その俺の問いに、時計屋は首を横に振る。
「さあ、なんのことだか判らないね。そもそもこの世に本当にひとの身に理解しえる真実などどれくらいあるだろうか? そんなものはありはしない。だからこそ人は永遠の探求者なのさ。ところで、だ」
「ん?」
 急に話を変えてくる。唐突なものである。
「ここはいい屋敷だ。君もそう思うだろう? 古き良き日本という感じじゃないか。本土の敷神楽邸宅をそのまま丸ごと移築したらしいね」
「そうなんだ……」
 たかだか二十年しかないはずのこの島の建物にしては古いと思ったが。
「ああ、まるで時がゆっくりと流れているような……むしろ止まっているとさえ感じるよ。だがそれは時として、よろしくない」
「なんでだ?」
「澱むのさ。御前は君やあの子たちといった若く新鮮な空気を入れる事で、色々と企んで、もとい。考えてはいるようだが。だがそれでも所詮は微風に過ぎない。この澱んだ空気を吹き飛ばす嵐にはなりえないのさ、今はまだ、ね。さてはて、君たちが大きな嵐となるのが先か、それとも澱んだ膿がやがて毒となりこの屋敷を腐らせるのが早いか……見ものだね」
 その彼女の言葉に俺は反感を覚える。なんというか……危険があることを知りながら、観客席からそれを眺めて楽しんでいるような。
「趣味悪いな、あんた」
「ふふ、そうかい? 気を悪くしたなら謝罪しようじゃないか。だが歳を取ると人間観察ぐらいしか趣味がなくなってしまうのさ」
 歳を取るって……どう見ても俺より年下だろう。
「さて、そろそろ帰るけど。不快にさせた詫びとしてひとつ忠告しようじゃないか」
 ずい、と俺に顔を近づける。
「え、な、なに……」
 耳元に顔を近づけ、囁く。
「獅子身中の虫に注意したまえ。そして虫は黄金に誘われて災禍を招くだろう」
「……?」
 俺の戸惑いをよそに彼女は軽いステップで離れる。そしてうやうやしくお辞儀をひとつ。
「では御機嫌よう。君の往く道に、時の神々の祝福があらんことを」
 一陣の風が吹く。俺が目を閉じ、再びあけた時にはもう……彼女の姿は消えていた。
「なんだったんだ、あれ……」
 全く持って不思議な女の子だ。そう思いながら俺が戸を開けると、顔面に赤い何かが思いっきりぶつかった。いきなりの不意打ちだった。
「ぐおおっ……!」
 顔を抑えて苦痛にうずくまる俺だった。鼻血が出ているのが判る。
「ああ、何やってんですか! 私のブレイズフェザーがっ!」
 綾乃があわててかけより、それを拾う。鳥の形をしたロボットの玩具だった。
「よかったあ、傷とかなくて」
「傷ついたよ俺が!」
 人身事故を起こしておいてそれとは全く持って恐れ入る。その玩具の説明書に、人に向けてはいけませんと書いてなかったのか?
 というか獅子身中の虫ってもしかしてこの事か。
「これ小学生の玩具じゃねぇか。たしかセイバー」
 名前くらいは聞いたことがある。小学生たちの間で流行っているらしい。
「はー、駄目ですねぇ先輩。中学生や一部の大人にも大人気なんですよーこれ。おっくれってるーぅ」
「俺は高校生だ。そもそもそういう玩具に興味は無い」
 否定する気は全くないが、俺自身はそういうのは卒業した。というか動くタイプのロボな玩具ってすぐ壊れるからあまり好きではないんだ、俺は。どうせなら観賞用のプラモとかに限る。大量のパーツを完璧に汲み上げた時の感動は素晴らしい。そういえば最近はプラモ買ってなかったな……
「じゃあ何が趣味なんですか」
 綾乃が言ってくる。挑戦的なこの態度はどうにかならないものか、と思う。俺は別にこいつに嫌われるようなことは何もしていない。こいつを嫌いたくなることは思いっきりされたのだが。まあいい、別に恥じるような後ろめたい趣味はしていないのだ。
「プロレスだよ」
 俺は淀みなくはっきりと言う。だが綾乃はずざざざ、と引く。……なんでだ。そんなに引かれるようなことじゃないはずだぞ、プロレスは。
「うわあ、やだやだ破廉恥! 言うに事かいてプロレスごっことか! そんな、毎晩!? ベッドの……上ぇえええっ!?」
「とことんまで曲解してんじゃねぇよ!」
「まあいいですけど。でもこれいいですよ? 異能者なら、セイバーも異能出せるんですよ。ほら」
 炎が出る。
 鳥形のロボットが宙を飛び、全身が炎に包まれる。そしてその炎が形を変え、まるで刃のようになる。
「本当は飛べない、せいぜいジャンプや滑空が関の山ですが! 炎を操ることで飛行も可能なのですよ! うん、これはきっと鍛え上げたらそのうち私は空も飛べるようになりますね!」
「ふぅん」
 最近の玩具というものは本当によく出来ていると思う。しかし……
「お前、あのパンチでてつきり身体強化だと思ってたが」
 俺を殴り飛ばしたあれだ。てっきりそうだとばかり思っていた。
「私は火炎系ですよ? あのパンチは普通に鍛えただけです。ていうか先輩の方がむしろ虚弱体質じゃないんですか?」
「誰が虚弱体質だ。このゴリラ」
「ひどいっ! 失礼ですよ先輩、そんなこと言うと燃やしちゃいますよ?」
「やめてくれ。しかし本当にびっくりしたな、あれで強化系じゃないとか」
「そりゃもう、鶴祁お姉さまに鍛えられましたから。忘れもしません、私が異能者とラルヴァの戦いに巻き込まれた時に、私はこの異能に目覚めたけど、制御できなくて大変なことになったときに……颯爽と現れたお姉さま! 私を助けたあの姿に私は一目惚れしたんですよー。そして私はここに転がり込んで先輩の厳しい修行を……ああ今も目を閉じればあの修行の日々が」
 そして俺に目もくれずにトリップする綾乃。だがまあ彼女の気持ちもわからなくはない。俺も似たようなものだからだ。あの颯爽としたヒーローのような勇姿は、確かに今も俺に焼きついて離れない。
 綾乃がいきなり俺をビシっと指差して言う。
「鶴祁お姉さまを自分のヒロインと思ったら大間違いですよ! 私視点のルートじゃ時坂先輩はお邪魔キャラの新キャラであって攻略対象ですらないんですからねっ! そこんとこしっかりと覚えとくようにお願いします!」
「だまれアホの子!」
 頭痛くなってくる。先輩がラノベ脳ならこいつはギャルゲ脳か。
 それに俺の立ち位置はお邪魔キャラよりも路傍のモブでありたいと思う。目立つとろくなことがないし。そもそも現に目立ってしまったからこそ綾乃に妙な敵視をされてしまっているのだ。
「綾ちゃん、祥吾さん、もうすぐ夕食ですよ」
 廊下から沙耶ちゃんが声をかけてくる。
「うっす来たぁ! さぁ今度はのんびりと食っべるっぞー、ああいうお堅い雰囲気嫌いだからなー、あーおなかすいたー」
 軽い足取りで向かう綾乃。それを俺たちは顔を見合わせ苦笑して、そして食堂に向かった。




 大人たちは忙しかったのか少なくて、夕食は俺と同年代の少年少女たちばかりのような気がした。
 そのおかげか、思っていた以上にのんびりと夕食を戴くことが出来た。
 そして食事が終わり解散。俺は少し散歩することにする。ちなみにメフィには先に部屋に戻ってもらった。ゆっくりと散歩してみたい気分だったのだ。
「あ、先輩」
 廊下を歩いていると、鶴祁先輩と遭遇する。
「ああ、祥吾君か。どうだ、この家は」
「ええ、まあ、まだ慣れてませんけど……」
「そうか。まあ住めば都というものだ。すぐに慣れる。彼らがそうだったように」
 彼ら、とは綾乃とかをはじめとした異能者の子供たちだろう。
「彼らも君と同じだ。皆、御前のお気に入りだよ」
「それはなんというか……」
 ご愁傷様、という言葉を俺は飲み込んだ。ほんの少ししか話してないが、あの老人の食えなさは骨身に染みた。妖怪爺イ、という代名詞がピッタリだ。あんなののお気に入りにされてしまったら、きっと人生がもう愉快でしょうがないことだろう。それを考えると自分の未来が心配になってくる。
「なに、手に負えない人ではあるが、諦めてしまえばどうということはないよ」
「フォローになってないよ先輩っ!?」
 俺は叫ぶ。なんというか、ほんの少しだが、選択肢間違えたのではないかという気がしてくる。
「……でもまあ、やり手なのは本当に認めるよ。さっきの事といい、完璧に嵌められた」
 異能の世界の現実を俺に見せつけ、覚悟を決めさせ、そして伊織の鼻を折り、沙耶ちゃんの身をあれから守り……他にも色々とメリットとかあってそうだな。本当にどれだけ考えているのだか。
「沙耶の事か。ああそうだな。仮に君がここに来てなかったら、沙耶は私か、あるいは綾乃君だとか……そういった者の世話をすることになっていただろうが。ふむ、御前も人が悪い。荒療治とはいえ、釜蔵の勘違いを利用してのあの仕打ち……私も少しは同情したが」
「同情したんだ」
 それにしては殺気に満ちていた気がする。傍から見ていた俺も寒気がした。
「誰にでも、あることなのだよ」
 先輩は寂しそうに笑う。
「誰にでも……?」
「ああ。生まれつき力を持っていた者、厳しい修行で力を身につけた者、何かの要因で力を得た者、あるいは目覚めた者……それぞれ様々な経緯があるだろう。だが異能の力を得たものは、時期や個人の差はあれど……皆一度は力に溺れる」
「力に……」
「私もそうだった。私の場合は、異能……永劫機アールマティの力、というよりは剣の腕だったがな。鍛えた技でラルヴァを打ち倒す。まるで自分が、小説の主人公になったようだった」
「……」
 それは……わかる。
 先輩や先生と会って、事件に巻き込まれただけで、俺の胸には言いようの無い高揚感と期待感が溢れた、あの時の自分を思い出してしまう。
「君もそうだ。何時の日か必ず、力に溺れてしまう。その時に、正道に立ち戻れるかどうか、だ。自分の力だけで立ち戻るのはとても難しい。私も、先生に叩きのめされて自分の無力を知らしめられ、我に返った。恥ずかしい話だがな」
 そういうことがあったのか……。本当に人に歴史ありだな。さっきの綾乃の言葉ではないが、みんなそれぞれの物語を生きているんだと実感する。
「君にもいずれ来るだろう、必ず。心得て欲しい。自我の肥大化と呼ばれる傲慢と増徴は君の、我々のすぐ後ろに在る。だからこそ我々は双葉学園という、異能者を育てる学園で、心を鍛え、力を鍛えるのだ。そして一人で迷ったときには、すぐ側に誰かがいる事を思い出すんだ」
「はい」
 俺はその言葉を心に刻む。
 ……しかし本当に、そこまで見越して……ん?
 伊織の根性叩きなおすのが凌戯老人の目的なら……
「……ていうか、もしかして俺、あの爺さん達に利用された? あいつの根性叩きなおすために」
「察しがいいな。君は思ったより聡明のようだ」
「うぉい! 当て馬かよ俺は!」
 とことんまであの老人に利用されている気がするのだが。本当に選択間違ったかなあ……
「当て馬とは言い方が悪いな。きっと御前は、君を奴の好敵手として配置しようとしているのだろう。お互い磨きあい切磋琢磨する。いい関係ではないか」
「そりゃ、あいつが改心してそうなるんならまあ別にそれはいいけどさ……」
 あくまでも心を入れ替えてくれたら、だ。少なくとも今の伊織は絶対に好きになれないタイプである。というか怖い。目の前にすると萎縮し、震えて怯えてしまう。
「……そうだ」
 それで思い出した。
「ここに来てた変な時計屋に、忠告受けたんだけど」
「ふむ? 時計屋……さあ、私には心当たりないな。何といわれたんだ?」
「ええと、たしか……獅子身中の虫に注意したまえ。そして虫は黄金に誘われて災禍を招くだろう……って」
「ふむ」
 先輩は顎に手を当てて考え込む。
「裏切り者、スパイがいるということか……まあ、そういう可能性はあるだろうな」
「あるんですか」
「異能の血の一族というものは闇を抱えているものだ。その裏切りの芽を抱えたまま、清濁あわせて呑み込む度量が当主には必要とされる」
「……まあ確かに」
 あの妖怪ジジイを見れば納得できる。
「実力主義の世界だからね。より大きな器を見せれば、裏切りの芽もすぐに取り込めるというわけさ。まあ、言うは安しだがね」
 そうだろう。少なくとも俺にはそんな度量はない。
「むしろ気になるのは後半の部分だな」
「黄金に誘われて災禍……のくだりですか?」
「うむ。祥吾君は異能者となってまだ日が浅いな。だから聞いたことがないかもしれないが……」
 先輩は言う。固い響きを声に乗せて、噛み締めるように。
「我々には幾多もの敵がいる。そのうちのひとつが……【黄金卿】と呼ばれるモノだ」
「黄金卿……?」
「人の欲望を刺激し、闇へと誘う黄金の魔術師。異界にあると言われる黄金螺旋劇場に住まい、人々を嘲笑う……邪悪だ。グリムと呼ばれるラルヴァを操り、人間をラルヴァへと化生させるという」
「人間をラルヴァに……?」
「ああ。ゆがんだ悪意によって紡がれた物語の仮面を人にとり憑かせ、その物語の主人公に似せたラルヴァへと変質させる。私も一度戦ったことがある」
「そんなのがいたんですか……それが気になると」
「ああ、いや、黄金というくだりが気になっただけだ。そんなに気にすることではない」
「なるほど。まあ、注意します」
「ああ。時間をとらせてしまってすまなかったな。おやすみ」
「はい」
 そして俺は先輩と別れ、部屋へと戻る。その道中、先ほどの会話を反芻する。
 物語の主人公……か。
 俺は思う。危なかったかもしれないな、と。ヒーローなんていないと言いながら、何よりもヒーローに俺は憧れていた。今となっては馬鹿馬鹿しい話だが、憧れ、渇望していた。非日常に。そしていざ非日常が俺の目の前にくると……案の定のめりこみ、大切なものを失いかけた。
 いや、まあある意味失ってしまったわけでもあるが。一番大切なものは取り戻せたが、代わりに自分の命の時間を失い、妙な悪魔っ娘にはとりつかれるハメになった。それを後悔はしていない。だが俺は身の程を知ったわけだ。……だからといって、戦う事を諦めたわけじゃないのだが。
 だが、そうなる前の俺だったら。英雄願望にとり憑かれ、その黄金卿とやらの力に魅入られていた可能性は高いだろう。
 ……まあ、もしものことをいくら考えてもどうにもならない。時を止める事が出来たとしても、覆すこともやり直すことも出来ないのだから、これからのことを考えて前に進むしかないのだ。
 そう考えながら、俺は自分にあてられた部屋へと戻った。




   *   *


 敷神楽家の夜は更けていく。
 幾重もの結界によって守られた屋敷は、周囲の喧騒すらもシャットアウトし、敷地内の庭の虫の音ぐらいしか聞こえない。騒がしくもなくさりとて静寂すぎることもない、虫の合唱。
 住む者にとって心地よい環境のそれを、敷神楽凌戯は大嫌いだった。
(人間が、いねェんだよな)
 まるで箱庭だ、と凌戯は思う。住む者が心地よい環境を作るのはよいことだ。それを否定する気はない。自分とて真夏にクーラーの聞いた喫茶店やファミレスで、ウェイトレスの尻やミニスカートを眺めるのは大好きだ。
 だがここは違う。外界と完璧に隔絶する事を目的に造られている。風水だ。建築様式自体が結界なのだ。それはいい。だが屋敷を移築する時、その結界ごと移築せざるを得なかった。建物の資材ばかりでなく、建築方式、設計そのものに結界が仕組まれているのだ、確かにその結界のみ外すなど出来ようもない。ここまで来ると呪いの類であった。
 確かに呪いの一種ではあるのだろう。病的なまでに他人と……否、一般の人々との距離をとろうとしている。結界を諦めるという手も考えたが、それは許されなかった。霊的防衛を考えれば当然だった。
「御前、まだお休みになられないのですか」
 襖が開き、鶴祁が現れる。
「なんだ。鶴祁か」
「はい。お邪魔でしたか」
「いや、いいさ」
「はい」
 襖を閉め、鶴祁は凌戯の側に座る。
「彼のことを、考えていたのですか」
「判るか」
「はい。彼は御前のお気に入りでしたからね」
 凌戯はお茶をすする。
「……まァな。それが今となっては仇になっちまったかもしれねぇがよ」
「想いは、伝わるものです。先生の想いが、私や祥吾君に伝わったように」
「だと、いいがなァ」
 凌戯は苦笑する。自分はどうにも人生経験が足りない。人を罠に嵌めるのは得手でも、人を育てるのは不向きだ。それは吾妻には叶わないと自認している。吾妻は術者としての才能はどうしょうもなく無かったが、代わりに剣の腕と、そして人を見極め、育てる才能は高かった。だが、才の高さが本人の幸せに繋がるかといえば必ずしもそうではなかっただろう。特に人を育てる才能だ。吾妻は、戦士を育てることを厭っていた。さもありなん、戦うたびに自身が傷ついていたのだ。その傷を他人に押し付け背負わせることを彼は良しとしなかった。
 だから凌戯は、家訓を盾に鶴祁を吾妻に押し付けた。魂源力の素質こそあるものの、それを異能として発言していなかった鶴祁を、敷神楽の家訓の元に吾妻に仕えさせたのだ。思惑通り、他人を召使、下僕として従える事を良しとしない吾妻の美意識は、鶴祁を側女としてではなく弟子として受け入れ彼女を鍛える事とした。そして計画通りに鶴祁は吾妻の意思と術を受け継ぎ、いずれ敷神楽の家督を譲れるであろうほどに強くはなった。
 だが……今にして思う。それは本当に正しかったのか。
 自分が鶴祁を彼に押し付けたことが、吾妻の凶行の一因ではないのか。
 鶴祁にも、もっと別の人生があったのではないのか。
 自分はただ人を罠に嵌め枠に嵌め、自分の理想に利用しているだけで……それは詰まるところ、異能者の血筋を守り国家霊的防衛の名の下に非道を繰り返してきた、先人たちと何ら変わらぬのではないのか。そういう思いが頭によぎる。人と異能者の、血継種の者と変異種の者の理解と共存……それを理想と掲げながら、その理想のために様々なものを犠牲にするなら、それは何も変わらぬ外道の所業に他ならない。
(歳かな、俺)
 かぶりを振り、その考えを頭から追い出す。どうにも最近、湿っぽくなっていけない。
「他の奴らどうしてる?」
「学園のほうから急な仕事が入りました。ラルヴァ討伐の。それに向かいました」
「忙しいこって」
 凌戯は煙草に火をつけ、大きく吸い、そして吐く。
「俺らは暇なのが一番なんだがな」
「同感です」


「だったら隠居しろよ、クソジジイ」


 部屋の静謐な空気が粘着質の悪寒を帯び。そして震える。悪意を孕んだ声が響いた。
「な――!?」
 次の瞬間、襖が吹き飛び、緑色の粘液が雪崩れ込む。
「しまっ――!」
 完全な不意打ち。まさか結界に守られているこの邸内でこのような襲撃が起きるとは思わず油断していた。懐中時計に意思を送るまもなく、その手足が粘液によって壁に縫い付けられる。
「……っ!」
 硬化していく粘液。手にした懐中時計ごと完璧に封じられてしまった。
「お前は……」
 びちゃり、ねちゃり、と音を立てて、闇の中から現れる姿。染め上げた金髪にピアス、凶暴性に歪んだ顔。
「釜蔵……伊織……!」
「イエス。アイア~ムヒーロー……ってなァ。クカカッ、いいザマだぜ当主様方よォ」
 粘液に捕まった二人を伊織は嗜虐に満ちた表情で嘲笑う。
「伊織! なんだこれは。在り得ない、お前は……!」
 鶴祁は叫ぶ。在り得ない。釜蔵伊織の能力は忍者の家系の血継が成す、身体強化だ。そしてその身体強化を応用して修行と訓練を行い、様々な忍術を会得することもできる。だがその忍術の数々は異能の力ではなく、鍛えた末に届く境地、技術でしかない。このような力は、伊織には在り得ない。
「ところが在り得てるんだよ」
 伊織は笑う。
「イイぜぇ、この力は。俺はもらったんだ、あの人に。そうだ、この力、この仮面、これだよ! これさえあれば俺は、俺はァ……!」
 その言葉に、鶴祁は把握する。力をもらった。仮面。それはつまり……
「黄金卿……貴様、黄金卿に魅入られ、魂を売り渡したのか!」
 黄金卿は力を求めるものに力を与える。寓話を加工した、人の欲望を抽出し容取った仮面と共に。そしてそれを受け取った者は、黄金卿に魂を売り渡したものは、人ではなくなる。ラルヴァと成り果てるのだ。
 偶像を演ずる者へと。仮面舞踏会を踊る、偶像演者(グリムアクター)として、人々に邪悪と恐怖を撒く為に。
「バカめ。力に呑まれおったか……」
 凌戯は力なく吐き捨てる。
「呑まれた? 馬鹿言うな、力を得たんだよ!」
 伊織は笑う。それに対し、凌戯はがらんどうの声で言った。
「薄っぺらいな、お前ぇ」
「あ……?」
「悲しいなあ、哀れだなあ、お前はまるで昔の俺だ。力ぁ手に入れて、有頂天になって振り回して、足元を何も見てやしねぇ。それ以外の何も無くて、それに気づこうともしねぇ、本当に、俺そっくりだ」
「あぁ……? 何ウタってんだジジイ」
「だが、お前は俺じゃねぇんだなあ。そんな簡単なことに気づかなかった。俺ん時みたいに、よぉ。荒療治で頭冷やさせようとしても、駄目だったかぁよ……情けねぇ。目ぇ覚まさせられなかった。当然か。俺はお前じゃねぇもんなぁ……修、俺もおめぇのこと言えねぇぜ、ははっ。ガキだなあ、俺も」
「何言ってるかわかんねぇ。ああ、もういい、てめぇは死ね。安心しろ、敷神楽は俺が支配してやるよ!」
 短刀を振り下ろす伊織。
「御前!」
 鶴祁が叫ぶ。それに凌戯は力なく笑う。そうだ、これは報いだ。自身の理想と使命しか見ずに、人を見ようとしなかった、人を育てようとしなかった罰なのだろう。見るべきだった。育てるべきだった。向かい合うべきだった。言を弄さずに、真摯に立ち会うべきだったのだ。吾妻のように。だが凌戯はそれから逃げた。
 だからこれは、仕方が無いのだ。
(因果応報、ってヤツだぁなぁ……後は頼むぜ、若いの……)
 老人はその刃を黙って受け入れ――


 炎の刃が飛来する。
「っ!?」
 伊織は振り下ろしていた短刀でそれを迎撃する。
 破砕音が響き、地面に落ちたのは……炎に包まれた玩具だった。

「ああっ! 私のブレイズフェザーが真っ二つにっ!」
 綾乃の悲鳴が響く。それはそうだろう。いくら異能を発現するとはいえ、セイバーギア自体は玩具である。実戦では不意打ち程度、目くらましの囮程度にしか役に立つはずが無い。だが……
「ッ……、チッ」
 それでも綾乃の火炎能力を極限まで絞り込んだセイバーギアの炎の刃は、伊織の持つ短刀を根元から焼き溶かしていた。刀身が落ち、焼ける匂いを立たせる。
 伊織は凶相で睨みつける。現れた四人を。綾乃を、沙耶を、そしてその後ろにいる、悪魔を連れた少年……時坂祥吾を。
「まァた、てめぇかよ……」



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