【召屋正行の日常はこうして戻っていく そのよん】


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「ちょいと、まーくん。こんなところであなたは何をやってるのかしら?」
 昼ごはんの忙しい時間帯も過ぎ、まったりとした時が流れる午後二時過ぎ。召屋正行《めしやまさゆき》は人気のない喫茶店のカウンターに座りながら、冷たい視線を思う存分に浴びていることにも気にせずに好物のスパゲティを貪っていた。
「いや…今日の……ちょっと遅い……昼…飯を…ね」
 召屋はケチャップが制服にかかることも気にすることなく、全力でパスタを啜っている。
 ウェイトレスが、召屋の食べている皿を取り上げる。
「な、何すんだよ?」
「そーいうことを聞いてるんじゃないの。健全な高校生が授業にも出ないでこんなところで暇を潰してちゃ駄目でしょ? せめて、バイクで外環道路を爆走するとか、可愛い女の子をナンパするとか、それが駄目ならストーキングするとか、ゲーセンでハメ技使って初心者にトラウマ植えつけるとか、スパ銭行って幼女との出会いに心弾ませるとか、いくらでもあるでしょ?」
「おい、所々犯罪臭いぞ」
「あら? だって、そういうの好きでしょ?」
「どういう人間に見えてるんだ?」
「じょーだんよぉ!!」
 ケラケラと笑いながら、ウェイトレスはスパゲティが盛り付けられた皿をカウンターテーブルに置きなおす。
「――――でも幼女は好きよね?」
「だから、なんでそうなるんだ」
「だって、よーく有葉《あるは》ちゃんと一緒にウチにくるじゃない? あっ!? それとも何? あっちの趣味があったのっ!?」
 マズイことを言ってしまったと思ったのか、口を手で押さえる。
「俺は人の道も男の道も踏み外してねえっ!! それにあいつのことは関係ないだろっ」
 珍しく声を荒げると、ニヤニヤとしていたウェイトレスを無視し、召屋は黙々とパスタを食う作業に戻っていく。ただ、いつもとは僅かに違う反応にウェイトレスが気が付かないワケがない。
「あら?」
「……」
「あら、あら、あらぁ~? 有葉ちゃんと喧嘩でもしたのー?」
 そう言いながら、召屋の顔を覗き込み、肘で脇をこんこんと小突く。だが召屋はそれも無視する。
「違う」
「あっそう。ならいいけどね……」
 ウェイトレスはどこからか携帯を取り出すと、誰ともなしに電話をし始めた。しかし、暫くして繋がらなかったのか、携帯を畳みいずこかへと仕舞ってしまう。その手際は手品のようだった。おそらく、彼女の能力であるサイコキネシスを使っているのだろう。
「出ないわねえ。有葉ちゃん」
 その言葉に召屋は豪快にパスタを吐き出してしまう。もろにかかる位置に座っていたマスターだったが、読んでいた競馬新聞で起用に防御すると、無言でそれを丸め、周囲をお絞りで掃除し始める。
「ちょ、あん、あな、あなななな、いや、ね、ねえさん。なんであいつの番号知ってんだよ?」
「それは乙女の秘密よ」
「そもそも乙女じゃねーし、乙女って歳でもね……」
 その言葉を遮るように、召屋の前のカウンターにナイフやフォークが何本も突き刺さる。召屋は思わず唾を飲む。
「もしかして死にたいのかな?」
「いえいえ、とんでもない」
 軽く冷や汗を流しながら、召屋は強張った笑顔で応えることにした。
「ならいいわ。それで、まーくんは、どうするの?」
 ウェイトレスの指先の周りには、十本ほどのナイフとフォークが円を描くように空を漂っている。その動きは種のある空中浮遊のマジックのような重力を感じさせるものではなかった。まるで、個々が意思のあるように動き、踊るように人差し指の動きに合わせ周りを浮遊していた。彼女自身はそれを顔をしかめることも汗をかくこともなく平然としてやってのけている。これだけの数をコントロールするのはそれなりの集中力と十分な魂源力《アツイルト》が必要なはずなのに。
「どうするって?」
 いつこちらに突き刺さるかもしれない食器を横目で見ながら、召屋は有葉のことについて、白を通そうと決意していた。
「決まってるでしょ、有葉ちゃんのことよ。なんかあったんでしょ?」
「なんにもない」
「うっっそだ~」
 ウェイトレスは、そう言いながら召屋の瞳をじっと見つめる。召屋はその眼力に負け、思わず避逃げるように目を逸らしてしまう。
「ほーら、やっぱりね。だったら、こんなところで暇を潰してないで、すぐ行動に出なさいな」
 召屋はカウンターに思い切りフォークを叩き付ける。
「言っている意味が分からないんだけどな」
「あらあらぁ? 分かってるから、そーんなに顔を真っ赤にしてるんでしょ? こっちは全部お見通しなのよ」
「何をだよ?」
 更に顔を真っ赤にして、召屋はウェイトレスの言葉を否定しようとする。だが、それを察したのか、ウェイトレスは召屋鼻と鼻がくっつきそうなほどに近づく。召屋の鼻腔にウェイトレスの甘い香りが漂う。
「そろそろ素直になろーよ。そうじゃないと、軽く、コ☆ロ☆す☆よ☆?」
 目は笑っているが、その言葉は一寸たりとも冗談でないことが召屋にも分かる。彼の首筋に金属特有の冷たい感触があることからも明らかだ。
「だいじょーぶよぉ。私は子供の喧嘩に口を出すほど馬鹿じゃないわ。それともあれ? 私を厄介ごとに巻き込みたくないと思ったの!? ヤダッ! カッワイイー!!」
そう言うと、ウェイトレスは両手を広げ、そのまま召屋抱きつく。召屋はストゥールに座っていたため、顔が彼女の豊満な胸に押さえつけられてしまう。
「し、死ぬっ、窒息する」
 その心地よさを堪能するのもほどほどに召屋はウェイトレスの肩を叩き、タップする。
「何よ、そんな言い方しなくてもいいじゃない?」
 召屋の言葉に冷めてしまったのか、彼女はハグをやめ、僅かに残念そうな顔をする。だが、すぐにいつもの営業スマイルに戻ると、さっさと出て行けという意味なのか、召屋に手を振っていた。
「別に巻き込みたくないとか、そんなんじゃない。これは俺がやらないといけないことなんだ」
 長い眠りから覚めて以来、彼の頭脳は何故か冴え渡っていた。まるで、何かのリミッターが外れたかのように。そして、永遠と繰り返される夢の中の出来事、以前から欠落していた記憶の一部も戻っていた。
 ただ、何故その記憶が欠落していたのかは彼にも分からないし、今更蘇った意味も不明だ。もちろん、あの事件は思い出したくも無い凄惨な出来事であり、彼自身が封印したという可能性もある。腑に落ちない点もいくつか残っている。
 その一つがクロの存在だった。その一部は記憶に残っていたが、クロという名前ではない。何より、これまで召屋が召喚してきたあれは、凶悪な化物《ラルヴア》であり、クロではない。昨日までの召屋にとってのクロは幼い頃に飼っていたラブラドールレトリバーである。そのことを確認しようと妹に連絡してみたが、クロは飼い犬であると断言されてしまう。明らかに欠落ではなく改ざんされていた。
 これが事実なら、彼の妹も記憶操作されているということになる。不可解だった。召屋が知る限り、彼女は能力者でもなんでもないからだ。
 事件の情報が学園のデータファイルに残っていないのもおかしい。召屋は、ここに来る前に学園の図書館に設置されたパソコンで、自分に関するデータを検索していたが、どこを探してもあの事件に関する情報は記載されておらず、完全な空振りに終わっていた。
 完全な手詰まり。
 その一方で、化物《ラルヴア》の詳細なデータなどを読み解き、見えてきた部分もある。有葉の行方だ。状況証拠からして、研究所に監禁されていることに間違いなかった。彼自身が有葉にあの研究所に行くようにとメールしていたからだ。
 そしてなにより、昨日深夜に読んだ化物《ラルヴア》の報告書の一文が決定打だった。

“制御装置の開発、もしくは能力者の適合調整が早急に望まれる”

 これを読んだ途端、召屋は深夜にも関わらず、迷うことなく松戸に電話していた。五回ほど掛け直した後、ようやく繋がった松戸は酷く機嫌が悪そうだった。せっかくの睡眠を台無しにされたのだから当たり前である。だが、そんなことも気にせずに一言だけ質問をした。『お前が春部に殴られるはめになった実験の依頼人は尾原凛ではないのか』と。
 その名前が出てきたことに松戸は酷く驚いたようだった。そして、その意外な質問に眠気も覚めたのか、何事かと興味深そうに矢継ぎ早に質問してくる。
 召屋は事の次第を説明し、出来るだけの情報が欲しいと伝える。松戸もそれに同意し、調べてみると応対する。
『いやー、これは楽しそうだねえ』
 なんとも緊張感のない他人事な言葉だが、善悪の観念に疎い松戸にしてみれば、これも楽しいイベントや実験の一つにしか過ぎないのかもしれない。最後に、召屋はクラスメイトの誰にも口外しないようにとも付け加えてた。まあ、それが実際に効果があるのかどうかは、不安だったが。


「ちょいとまーくん?」
 不思議な物を見るようにウェイトレスが召屋の顔を覗き込んでいた。
 それに気づいた召屋は、皿に残ったパスタを一気にかきこみ、すっかり冷めてしまったコーヒーで一気に胃へと流し込む。そして、カウンターに代金を置くと、面倒くさそうに立ち上がり、隣のストゥールに置いてあったヘルメットとグローブを抱え、ウェイトレスに声を掛ける。
「さて、ちょっと行って来るわ。ところでねえさん?」
「なあに」
「ガムは持ってる?」
「まあ持ってるけど。クールミントでいい?」
 ウェイトレスは胸のポケットから板ガムを一枚取り出すと、不思議そうな顔をして召屋に手渡す。
「後で返すよ」
「そんなもん、別に返さなくていいわよ」
 そう言いながら、まるで魚を狙っている野良猫を追い払うような仕草をする。面倒な表情からも、それがグダグダしてねえでさっさと行けと言っていることに間違いはなかった。
 召屋は思わず舌打ちをする。その反応、ではなく言葉にだった。
「分かってねえなあ」
 そう言って、召屋は受け取ったガムを口に入れながら扉を押し開き、喫茶店を出て行った。暫くすると、単気筒《シングル》特有の鼓動感の強いエキゾーストノートが聞こえてくる。その音は、急ぐように喫茶店から離れていった。


「やっぱり青春っていいわねー。これよね、これ。こうでないといけないわ。でも、どうしよう? ちゃんとできるかしら……」
 ウェイトレスは喫茶店の中を落ち着き無くうろうろしながら、時折外を覗き込む格好をし、時計を気にする。子供の喧嘩に口出ししないとは言ったものの、それなりに心配らしい。
「上戸《うえと》ちゃん」
 カウンターの奥から声がする。声の主はマスターだった。ウェイトレスの落ち着きの無さを悟ってのことだろう。
「なあに? マスター」
 そう言いながらもウェイトレスは外を見ることを、時計を確認することをやめない。
「さっき駄目にしちまった競馬新聞さ、また買ってきてくれねーか? 見ての通り、店は暇だからよ」
 ウェイトレスがその言葉に破顔一笑する。
「じゃあ、いってきまーす!」
 嬉しそうに店を駆け出て行くウェイトレスを見守ると、マスターは、カウンターの下にあった別の競馬新聞を取り出し、読み始める。
 読みながら吹かすタバコの煙がいくつもの円を描いていた。
「そうか、やっぱり週末のG1はミスズビャッコオーで決まりか……」
 耳に挟んでいた赤ペンを取り出すと、新聞に丸をつけ始める。今日もこの喫茶店は千客万来とは程遠い平和な空間だった。


 小柄な身体とは不釣合いに大きく豪華な椅子に座る少女は、目の前にいる人物の言葉に苛立ちを覚えていた。そして、それは、その傍らに立つ女性も同じだった。
「もう一度最初から説明しないと駄目なのだろうか? 藤神門《ふじみかど》くん」
 神経を逆なでするような、馬鹿にした口調で男は目の前に座る彼女に言葉を吐きかける。恐らく、これ以上の口論は無意味であり、その勝者は自分であるということを示したいのであろう。
「そうではない。何故我々が介入することを禁じるのか、その意味を知りたいのだ!」
 少女は身体に似合わないほどの大きな声を張り上げ、目の前にいる教師から提出された書類を突き返そうとする。だがそれは実らない。
 彼女の行為を否定しながら、男は言葉を続ける。
「意味なんて知る必要はない。そこにあるサインを見ただろ? 理事会も認証済みだ。もう一度言う。この件に関して、何が起ころうと醒徒会および……あの何かと首を突っ込みたがる風紀委員の介入はどんな手段であれ、一切禁止されている」
「だが……」
 藤神門が俯きながら搾り出すように言葉を紡ぐ。そして、傍にいた女性が彼女の耳元で呟く。
「確かに本物です」
 事実、藤神門御鈴《ふじみかどみすず》が突き返そうした書類は本物だった。彼が、事前から用意してあったものだ。事態を見越してのことなのだろう。
「だが……、だが、私たちは生徒を守る義務があるのだっ!」
「おい! ……これは失礼、生《・》徒《・》会《・》長《・》、それはお互い様だ。それとも私が生徒のことを考えていないとでも? 危険が及ぶことに指を咥えて見ているとでも? 全くもって短絡的過ぎる。こう見えても私はこの学園の教師でしてね。見くびって貰っては困るな。いやまあ、私はどうでもいいか……。それよりも、少なくとも私の生徒たちを見くびらないでくれまいか。確かに彼らは君たちほどの力は持っていないし、非力だろう。それでもこの学園の生徒で、何より私の誇る生徒なのだよ」
 藤神門の言葉が彼の何かに触れたのであろう、男の語気が急に荒くなる。
「今の件は謝ります。でも、そうは言いますが、ことが大事になれば……」
 そう口を挟んできたのは藤神門の傍に立つ女性、水分理緒《みくまりりお》だった。いつもは温和な表情を絶やさない彼女も不安からなのか、はたまた不満があるのか、僅かに顔をしかめていた。
「これは酷く私的なものでね。あなた方に出張ってこられては困るのだよ。これは私《・》た《・》ち《・》が解決すべき事柄であって、君たちが口を出すことではない。さて、これ以上の口論は時間の無駄だ。私はお暇《いとま》するよ。やることが沢山あるのでね」
 そう言って、男は醒徒会室を出て行く。
「うぐぐぐぐっ……。りお、塩を撒け、塩! 伯方の塩がいいぞ、なんかスゴク利きそうだからな!!」
「うなー!!」
 藤神門の感情に影響されたのか、膝に座っていた白虎が彼女の大声とともに大きな鳴き声を上げていた。
 廊下を歩きながら、字元数正《あざもとかずまさ》は額に吹き出る汗を真四角に折られたハンカチで拭っていた。
(全く、相変わらず醒徒会は手に余るというか扱いづらいことだ)
 そんなことを思いながら、字元は教務室へと急ぎ歩いていく。これから起こるであろう事件には、他にも根回しが必要なのだ。
「ん!?」
 何かに気が付いた様子で、胸の内ポケットからマナーモードになっている携帯を取り出す。液晶に表示されている名前を確認すると、僅かにうんざりとしながら、通話ボタンを嫌そうに押し、携帯を耳にあてがう。
「何だね? 忙しいのだが―――――。はあ? そんなの言えるわけないだろ。君は馬鹿なのか? いつだってそうだ。十年前のあの時だって、君はね……それとこれとは別だと? だぁからあ――――」
 そのまま淡々と歩きながら、電話口での口論は教務室に入るまで続いていた。


 松戸科学《まつどしながく》は召屋と約束した通り、商店街からもはずれ、人家も少なくなっている町外れの神社の階段に腰掛けていた。
 お尻が冷たい。松戸はふとそう思う。
 このあたりは人工島である双葉島でも異質な、森や林、丘、小川など自然溢れる区画だった。双葉島完成当初から計画的に植林、造成が行われ、更に昆虫や鳥、魚など害のないものが放たれ、現在では東京都区内としては有数の人工ビオトープとなっている。ただし、植生や生態系、水質など徹底的に管理されているため、純粋な意味での自然とは言えなかったが、それでも多くの双葉区民が自然を楽しんでていた。格別に享受している野生児もいるという噂もあるほどに、区民に愛されているエリアである。
 そんな自然溢れる場所の一角に腰掛けながら、松戸はここが自分に不釣合いなところだとしみじみ感じていた。彼は小さい頃からオリエンテーションやキャンプといった類が大の苦手だったからだ。何でわざわざ不便な生活をするために不便な場所へと足を運ばねばならないのか? 電子レンジに冷凍食品を入れてボタンを押せば数分でホカホカのおかずが出来上がるし、ご飯だって同じだ。飯盒炊爨なんかもってのほかである。もし、身近にそういったことを企画する人間がいるならば、その時はちょっとしたいたずらを仕掛けてやろう。松戸はそんなことを思う。
 遠くからバイクの排気音が聞こえてくる。松戸はバイクに一切興味はなく、見た目はもちろん、エキゾーストノートの僅かな違いなど到底区別も付かない。が、その音とともにどうでもいい薀蓄散々聞かされていたこともあり、彼はそれを召屋のものであると理解する。
 バイクが松戸の前でピタリと停まる。
「やあ、召屋、遅かったねえ」
「ちょっと色々あってな」
 召屋はシールドを上げて、面倒そうに答えると、ヘルメットを脱ぐ。相変わらず冴えない顔がそこにあった。
「なんだ?」
 召屋は自分の顔を不思議そうにじっと見つめている松戸を不思議に思う。
「いやあ、なんでもないよ。それでね、実は委員長たちにバレてしまったよ」
「はぁ? 言うなって言ったじゃねーかっ!?」
「そうは言うけど、君はぼくの命を保障してくれるのかい? そうじゃないだろう。あれは不可抗力ってところだよ」
 あいも変わらず、松戸はノラリクラリと会話を続ける。
「で、誰に話した?」
 その召屋の質問に、松戸はその場にいた全員の名前を話す。つまりは、2年C組の六名とH組の二名のろくでもない名前である。
 八名の名前を松戸が全て言い終わる頃には、召屋はバイクの前で頭を抱えていた。
「ぜっっっったい、面倒なことになる……」
「そうは言うけどね、彼女らは真剣に有葉さんを探そう、いや、助けようってのが正しいのかな? そうしようとしてるわけだ。多分、きみの力になると思うよ」
「必要ない」
「そうは言うけどね、召屋……」
「もう一度いう、関《・》係《・》な《・》い《・》」
 あまりの能天気な応答に、思わず召屋の声が大きくなる。
「そうかい? それはすまなかったね。つまり、きみはきみ一人でやろうっていうのか? それはそれは、随分とまあ、素敵なヒーロー願望を持っているじゃないか?」
「そういうのとは違うな」
 松戸は目の前にいる人物が言っている意味が良く分からず、腕を組み、首をかしげる。「うーん、協力すれば楽になると思うけど……。そうそう、メンテナンスが終わった特殊警棒とこっちは調べた資料だよ」
 飯屋の目の前に書類の束と銀色の警防を手渡す。
「ああ、ありがとな」
 受け取った警棒を後ろポケットに収めると、それと一緒に受け取った書類を眺めながら、数枚ほど捲った後、召屋は驚く。
「―――これって?」
「簡単なものだけどね。それがあれば大分楽になるだろ? まあ、あそこは警備員の数も質も相当だから、おいそれと侵入なんてできないだろうけどね」
 松戸は彼に背を向けると、振り返ることなく手を振り、その場から立ち去っていく。
「とりあえず、ぼくにできることはもうないから生暖かく見守ることにするよ。それとオ《・》マ《・》ケ《・》も付けといたよ」
 だた、その言葉は召屋には聞こえなかったようだ。書類を読みながら、神社の長い階段を登っていたからだ。
 向かう先は、彼と彼女が始めてあの化物《ラルヴア》に出会った場所だった。


「ちょっと待て! これはこれっぽっちも戦略的じゃない! それ以前にただの馬鹿じゃねーか俺はよ!!」
 街灯に火が灯り、様々な虫がその輝きに釣られ群れ集まる初夏の夜。拍手敬《かしわでたかし》はその街灯の下で愚痴っていた。というか叫んでいた。自らの尊厳を賭けて、男としてのプライドと矜持に誓って。
(どう考えても、いや、理論的にも法治国家的にもあらゆる部分でおかしい)
 だから、そんなことが許可されるはずもない。そのはずだ。
 ところがそうはいかない。理由は簡単だ、拍手に“抗弁する権利がない”からだ。ただ、それだけだった。理不尽だが、そうなのだ。
 なにより、目の前で腕組みをして偉そうに立っている人物の目がそう語っている。いや、この場にいるほぼ全員が『君には賛成こそすれど、反対する言葉を放つことさえ許されていないのだよ』と生暖かい視線を投げかけていた。
「でもさ、この作戦は頭が悪すぎるだろ?」
 権利はなくとも、精一杯に否定する。無駄であっても言わないよりはましというものだ。
いや、それこそが弱者の権利であると拍手は思う。そして、きっと給食費を盗んでないのに濡れ衣を着せられた貧乏な小学生はこんな気持ちなのだろうと、見当違いのことをしみじみ思ったりもする。そんないわれのない迫害を受ける中、拍手はようやく自分がどういう状況になっているのか分かり始めていた。
(こんな時、召屋がいれば、全部あいつが引き受けるんだろうなあ……)
 拍手は、本来ならすべての厄介ごとを引き受けてくれる稀有な星の元に生まれた友人がここにいないことを呪っていた。
「だから、馬鹿とか賢いとか関係ないのよ、拍手くん。貴方は今ここで、この脚本通りのことをやらないと駄目なのよ」
 無駄に偉そうに、意味もなく高圧的に笹島《ささじま》が断言する。拍手の手にある台本を書いた張本人である。ちなみに表紙の端には“著 笹島輝亥羽《ささじまきいは》”としっかり記載されていた。
「でもな、これはどう見てもこれは茶番だろ?」
「煩いわね、ベタなネタが一番効果的なのよ。いい加減黙らないと殴るわよ」
「そうですよ、光の柱にしますよ」
 問答無用に、拍手の言葉を否定する。その傍に立つ瑠杜賀《るとが》もそれに同意し、ワケの分からないことを口にする。
「瑠杜賀さん、言っている意味は分からないけど、なんか凄く怖いからやめてくれよ。でもさあ……」
「まったく、拍手様は、おっぱいの話以外で役立つことがないですね」
「おいっ!? 人をおっぱいだけに生きてるような変人みたいな言い方やめろよっ?」
「あら、違うの?」
 星崎が嘲笑で歪む口元を鉄扇で隠しながら、さりげなく突っ込みを入れる。
「ねーねー、私だって恥ずかしいんだから、さっさとやろうよ」
 緊張感をそぐような調子で美作が台本を丸め、ポコポコと拍手の頭を叩いていた。
「じゃあ、そこのポンコツメイド、さっさとB班に実行開始時刻を知らせてきなさい。それと、戦う時はくれぐれも人に向かって峰じゃない方を使うんじゃないわよ!?」
「まったくもって、人形使いが荒いですねえ、笹島様は……。あんまりカリカリしていると、小じわが増えて嫁の貰い手がなくなりますよ。それに、再放送の暴れん坊将軍でしっかり勉強しましたから、大丈夫でございます」
「……私がその首を捻じ切らないうちに、春部さんたちのところに行きなさい」
「はいはい、かしこまりました」
 そうぼやくと、瑠杜賀は裏口で待つB班へと歩き始める。
「キリキリ走るっ!!」
 笹島の怒号が響く。それでも、あいも変わらずマイペースにポンコツメイドが粛々と歩いていた。
 そんな時。
「それよりー、お腹すいたー! 誰かパンとか持ってない?」
 緊張感のない美作の声が静けさ漂う闇夜の中こだまする。
「カレーパンとかだと嬉しいんだけどさ」


「で、これが突入メンバー?」
 あまりの微妙な編成に、春部里衣は軽い頭痛を覚えていた。
 彼女、春部里衣とイワン・カストロビッチ、そして今しがた勇壮にゆっくり歩いてきた役に立ちそうもないポンコツメイド含め、総勢四名がそこにいた。
「そりゃ、お前、こっちは少数精鋭の隠密行動なんだから当たり前だろ?」
 彼女的に唯一役に立ちそうな男、イワンがそう答えるも、どうにも釈然としない。
「それにしたって使えそうな人ぐらいはよこすってもんでしょ?」
「誰ですか?」
「えーと、誰だっけ? ほら、あいつよ、あいつ。鉄扇持ってるあいつ。あいつくらいはこっちに送ってもいいんじゃないの?」
「星崎さんね。お前、相変わらず物覚え悪いな」
「物覚えが悪いんじゃなくて、別に覚える必要がないからよ」
 そう、そっけなく答える。彼女の思考は有葉千乃を中心に回っており、そのためクラスメイト以外の人物の名前を覚えることはまずない。
 一方、ポンコツメイドこと瑠杜賀羽宇は、そんな言葉を否定するように凛として答える。
「春部様の仰った“あいつ”が誰なのかは私《・》には不明ですが、突入班の構成は完璧です。笹島様の言うことに間違いございません」
「ねえ、あんた、なんでそこまでアイツのことを信頼できるわけ?」
 ありえないものを見るような表情をしながら、春部は瑠杜賀に問いただす。人差し指で胸を突付きながら。だが……。
「決まってます!」
 瑠杜賀は毅然として断言する。
「だから、何がよ?」
 春部は、彼女のあまりの自信たっぷりな物言いに、二人に強い絆かなにかがあるのかと勘ぐってしまう。
(命の恩人か何かなのかしら?)
 現実とはいつの世もドラマチックではない。瑠杜賀は胸を張り、春部の質問に毅然として答える。
「笹島様はクラス委員長だからです!!」
『え…………』
 瞬間、春部とイワンの思考が停止する。どうやら、論理的思考の構築にしばらくの時間がかかりそうだった。そして、ようやく我に返った春部が指先でオデコを抑えながら、三十秒ぶりに声をあげる。
「えーと……あんた、何言ってるの?」
「ですから、笹島様はクラス委員長なのですよ」
 ミシミシという音と共に春部の堪忍袋の緒が切れかかる。
「いやいや……そうじゃなくて。私はなんで信頼してんだって聞いてんだけどさ?」
「は…? で・す・か・ら、笹島様はクラス委員長なんですよ。委員長の言うことは絶対ではないですか? それとも、春部様はそんな初等部でも分かることを説明しないといけないほどに頭がお弱いのですか? 学園において醒生徒会長が絶対でありますように、クラスにおいて委員長の命令は絶対ですよ。そう笹島様に私は教わりましたが?」
 堪忍袋の緒が更に切れていく。
「ほぉぉぉ、なら、あんたはアイツが東京タワーから飛び降りろと言えば飛び降りるの?」
「ええ」
 この人は何を言っているのだろう? 内なる言葉が駄メイドの表情からも滲み出ていた。間接的に馬鹿にされているようで、春部の神経を逆撫でする。
「……よ、よーし、分かったわ。じゃあ、今は私がリーダーだから、私の命令に従うってことでいいわね」
「それは無理です」
 駄メイドは、間髪いれずに拒否する。
「はぁっ? なんでよっ。あんた、リーダーの命令は絶対と言ったでしょっ!?」
「そんなことは言ってませんよ。私は『委員長の命令は絶対』と言ったのです。それとも春部様は私のクラスの委員長でらっしゃいますか? そうではないでしょう。全く、そんなお子様で分かることも理解できないとは嘆かわしいですね。笹島様の爪の垢でも煎じて飲ませたいものです」
 可哀想な子供を見る目で瑠杜賀は春部を見つめていた。
『ブチン』
 伸びきったゴムが切れるような気持ちのよい音があたりに鳴り響く。
「そーか、そーか、あんたがこうなったのはあいつのせいか! よーし、あんたをスクラップにする前に、あの無駄にでかいオデコを今から殴りに行ってやる!!」
「まてっ、春部、落ち着けって。この戦力でなんとかしないといけないんだから落ち着けってーっ!!」
 キョトンとした顔をする瑠杜賀を前に、顔を真っ赤にして走り出そうとしている春部を全力で後ろから羽交い絞めして抑えているイワン。実にカオスな光景だった。
(全くもって、突入班は突入班で大変ですねえ…)
 目の前に広がる酷い光景を目の当たりにしながら、埒外にいる彼女はしみじみと後悔していた。そんなことを思いながら、彼女は腕時計を見る。そろそろ、A班と言うか、かく乱班に動きがある頃合いだった。


『い~や~、た~す~け~て~』
 誰にでも分かる棒読みな悲鳴を上げながら、ショートカットと長い髪をひっつめた二人の女の子が、目標の研究所にある警備員の詰め所に女の子走りで駆け寄っていく。
 警備員は突然の出来事に何をしたら良いのか分からないが、とりあえず、自分の詰め所に二人を導きいれようとしていた。
「くぅーそー、おまえらはにがさないぞー。ここでにがしたら、われわれすてぃぐまのなおれなのだー」
 これまた微妙な棒読みの台詞を引っさげて、短髪の少年が大げさなリアクションで闇夜の中からタイミングよく現れる。
『きゃぁぁぁ~』
 二人の女の子が気の抜けた悲鳴を上げる。
「どういう了見だ? この変質者め!」
 明らかに怪しい男に反応してか、研究所の警備員は、彼なりの正義感で彼女達を庇おうと拍手と二人の間に立つ。手に持っているのはどこにでもあるステンレス製の警棒のみだ。
「え? いや、変質者じゃなくてね、あー………何んだっけ……うわっはははははっ。かのじょはわれわれのけんきゅうにひつようなそんざいなのだ~っ!!」
 手のひらに書いたアンチョコを横目で見ながら、下らない台詞と共に仰々しい振り付けをし、拍手はさらに近づいていく。一方、警備員は自らの手に余ると判断したのか、応援を呼ぼうと胸からぶら下げている無線を掴み、研究所内にいるであろう他の警備関係者に連絡を取っているようだった。
(よし!)
 被害者女性役という実に似つかわしくない笹島が、メガネとオデコを輝かせながら、周りに見えないように小さくガッツポーズをする。
 彼女がこんな寸劇を画策したのは研究所に突入することではなく、純粋に事件を起こすことにあった。まずはこちら側に警備員たち意識を集中させる。そうすることで、突入班への人出も減り、速やかに侵入しやすくなるというものだ。第一の目的はそこにあった。
 気が付けば、研究棟から警備員の青い制服とは異なる、黒スーツ姿の男たちがワラワラと集まってくる。恐らく、彼らもこの研究所の警備を担当しているのであろう、そのリーダーらしき男が警備員と彼女たちに声を掛ける。
「おいおい、大丈夫か? 聖痕《ステイグマ》が現れたとは、穏やかじゃねえなあ」
 中庭に驚くほどの数の黒服姿の男たちが様々な獲物を手に集まり始めている。それだけ、ここで行われている研究は重要なのだろう。
 だが、黒いスーツ姿にサングラスの男の内の一人が笹島の顔を見て怪訝な表情をする。
「おい……そこの女の一人って、この前、探偵社《ウチ》を襲撃した馬鹿じゃねえか?」
「ん!? どういうことだ?」
「いやだから、そこの女は悲鳴を上げて逃げるようなタマじゃねえんだって!」
「こいつ、また何か企んでるのか?」
 口々に黒服の男たちは笹島を罵倒し始める。笹島の化けの皮が完全に剥がれてしまっていた。まあ、元々薄皮饅頭の皮程度の化けの皮だったので、いつ剥がれてもおかしくはなかったのだが。
「どこで何やってたんだよ委員長……」
 あまりにも酷い展開を見ながら、完全に蚊帳の外となっている襲撃者役の拍手が頭を抱え一人ごちていた。
「ふっふっふっふっ! バレては仕方ない……」
 開き直ったのか、はたまた新たな方向性でアドリブ芝居を続けようとしているのか、笹島は不敵な笑みを浮かべながら、ゆらりと立ち上がる。
「え? それって、完全に悪役だって……」
 拍手がとりあえず突っ込む。
「星崎《ほしざき》さんっ!」
 笹島が叫ぶと、それに呼応するように被害者女性役のもう一人、美作聖《みまさかひじり》の姿が彼女の横から消失する。星崎が能力を使ったのであろう。彼女とかなり離れたところに星崎真琴《ほしざきまこと》と美作の姿が確認できた。
「さあ、あんた達、有葉千乃《あるはちの》さんを今すぐ返しなさい!」
 問答無用で居丈高に黒服の男たちに人差し指をビシリと突きつける。
『はぁ~?』
 黒服の男たちが一斉に素っ頓狂な声をあげる。そのことからして、身に覚えがないのは明らかだった。
「しらばっくれても無駄よ。拉致した有葉さんを返しなさいっ!」
 彼女は自信満々に断言する。そんな場違いな子を見て、可哀想と思ったのか、黒服の内の一人が優しく笹島に声を掛ける。
「だから、お嬢ちゃん。ここにそんな子はいねえよ。アンタは知らないかもしれないが、ここは真っ当な研究施設なんだ。拉致なんてするわけがねえだろ……って、あれ? このやり取り、前も言ってなかったか?」
 だが、そんなことを聞くはずもない。というよりも、笹島としては、ここで引き下がるワケにはいかなかった。もう一つの目的があったからだ。
「なるほど、どこまでも白を切る気ね。なら、実力行使をするまでよっ! 拍手くん、戦《や》う《る》わよ!!」
「うええぇぇ!?」
 そして、匙《さじ》は投げられた。
 拍手は全てを悟り、解脱した表情でつぶやく。
「もう、どーにでもなーれ!」

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