【召屋正行の日常はこうして戻っていく おわり】


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「で、あんたはこんなところで何やってんのよ?」
 縛られていた縄痕のついた手首を摩っている男を春部は苛つくように腕を組み、見下していた。
「いや、ちょっとばかし潜入捜査をしようと思ったらね、上手いこと潜入には成功したんだけど、途中でピンカートン探偵社の皆様に『きみは不法侵入だから、警察がくるまで、ここで待ってなさーい』って丁寧にご招待されて……」
「つまり、あんたは何の策もなく潜入して捕まったの?」
「まったく、役立たず様は相変わらずですね」
 部屋の様子を調べながら、瑠杜賀は召屋に振り返ることもなくそっけなく呟く。
「あー、えと、その……うん」
「さて、どうする?」
 カストロビッチがこの場にいる皆にこれからの行動を問いただす。
「それじゃあ、いくわよ」
「じゃあな。助けてもらったのには恩は感じるけど、俺は俺で用事があるんでね」
 別々の方向に歩き出そうとする二人の襟首をカストロビッチはむんずと掴み、歩みを止めさせる。
『何すんだよ(のよ)っ!!』
 召屋と春部が同時に振り返り怒鳴りつける。だが、それに身じろぎもせず、カストロビッチは真剣な表情で、冷静に語り始める。
「自分勝手に振舞うのはそりゃあいいさ。気持ちいいもんなあ。でもな、お前ら二人共、千乃ちゃんを助けたいんだろ? 探してるんだろ? 意地を張っている必要がどこにある? 対立する事にどんな意味がある? お前らの行動原理はプライドか、自己満足か? なら、そんな使えねえ代物は今すぐ丸めてドブに捨てろ。大事なのは結果であって、行程じゃねえ。お前らが今やろうとしているのは、自分の自尊心を満足させようとしている行程を作りたいだけだ。助けたいなら、少しでも確率の高い方にベットしろよ」
 空気が重い。その場に居る誰もが沈黙していた。
「――なーんてね! ねえ、ねえ? 俺ちょっと格好よかった?」
 カストロビッチはヘラヘラと笑いながら、春部と召屋の双方の顔を覗き込む。
『ちょっとでも反省したのを後悔したわ、ボケぇーっ!!』
 豪快な二人の拳がカストロビッチに顔面にめり込んだ。
「はてさて、ということで、突入班は新たメンバーを加え、更に奥に進むことになるのでございます。それでは、今宵はこれまでにしとうございます」
「しねーよ! というか、お前は何歳だ?」
 召屋が自分の特殊警防を探しながら、明後日の方向で呟いているポンコツメイドに突っ込む。
「乙女に年齢を聞くなんて失礼ですよ、役立たず様」
「いいから、黙って武器を探しなさいよ! ところで、本当にこの部屋にあるの?」
 面倒くさそうに家捜しをしながら、顔を召屋に向けることもなく春部が呟く。
「ああ、多分な」
 これまた、召屋も顔を上げることもなく会話もしたくなさそうに応える。
「もしかして、これじゃありませんか?」
 一人が声を上げ、銀色の筒状の物を掲げている。
「おお、それだ。それ。さすがだな……えと……」
「誰だっけ……」
「召屋様、カストロビッチ様、副委員長ですよ。名前までは私も覚えてはいませんけど」
「……え? あの、警備員さんを取り押さえたのも、さっきから色々なアイデアを出してたのも私なんですけど……」
 この場にいる誰もが、この場にいる一人の少女の名前を言えないでいた。
「じょーだんだよ、鈴木! 俺がお前のことを忘れるわけがねえだろ!!」
 召屋はそう言って、鈴木の頭をクシャクシャとかき回す。それが気に入らなかったのか、鈴木耶麻葉《すずきやまは》は真っ赤な顔をして召屋の手を平手で払い落とす。
「あ、当たり前です! 忘れたりしたら、バイクの修理費を倍掛けで請求しますからねっ!!」
「そいつは参ったなあ……良三《りょうぞう》さんにまた『孫を苛めただろ』って怒られちまうよ」
 緊張感がほぐれたのか、思わず召屋に笑いが漏れる。鈴木も思わず釣られ笑う。だが、それを押さえ込むように瑠杜賀が緊張感のある声で全員に注意を促す。
「お静かに」
 彼女の言葉が終わる間もなく、黒服の男たちが戸口に現れる。人数は五、六名といったところか。
「やっぱりなあ、どうせろくでもねえことを企てていると思ったが、そこの兄ちゃんと一緒に産業スパイとはいただけねえなあ」
 彼らのリーダーらしき目つきの鋭い男がニヤニヤと下卑な笑いを浮かべながら召屋たちに話しかけてくる。
「よう、メイドさん。俺を覚えているか? あの時は随分と世話になったよなあ?」
「?」
 彼の言葉の意味が理解できないらしく、瑠杜賀はきょとんとした顔をしている。
「おい、あいつって、この前、お前が片手間に倒したおっさんだろ」
 目の前にいる男の顔を召屋は思い出す。彼は笹島や瑠杜賀と共に召屋がピンカートン探偵社に突入した時に、瑠杜賀に打ち倒された探偵員の一人だった。
「片手間とかいうんじゃねーっ!!」
「ああ、あの時の三下の皆さんですね」
 召屋の言葉でようやく思い出したらしく、ポンコツメイドは深々と会釈をする。
「あの節は申し訳御座いませんでした。なにぶん、粗忽物の笹島様が勘違いをした結果のことですので……。それで本日はどのようなご用件で?」
「不法侵入している賊が用件も糞もねえだろ! それに俺は三下じゃねえ!! このブロックの警備主任だ」
「まぁ! これは失礼しました。なるほど、三下は三下でも三下の親分様なのですね。たいそう立派な三下様なのに三下扱いをして申し訳御座いません」
 彼の言葉に驚き、恐縮そうな表情で再び頭を下げ、自分の言葉の間違いを彼《・》女《・》な《・》り《・》に誠心誠意謝罪する。
「てめぇっ!! どこまで馬鹿にすれば気が済むんだっ!」
「別に馬鹿になどしていませんが……」
 何を叱られているのか分からない仔犬のような無垢な表情で、首を傾げる。
「あんた、人様の神経を逆なでする天才ね……」
 突入前に瑠杜賀と自分の口論を思い出しながら、感心するように春部が呟く。
「そんなことはありませんよ。それでは、三下の親分様と三下の皆様方、私たちは急ぎの用が御座いますので、このあたりでお暇させていただきます」
 三度、会釈をし、何事もなかったように廊下へと出て行ってしまう。あまりにも堂々たる態度だったため、呆気に取られ誰も止める事が出来なかった。
 ようやく我に返った釣り目の警備主任が呼び止める。
「ま、待てって言ってんだろうがっ!!」
「はぁー……」
 大きなため息をつき、歩みを止めると男たちの方に振り向く。
「一体、どんな御用なのですか? 私たちは忙しいのですよ……」
「用も糞もねえ! お前らをひっ捕まえて警察に突き出してやんだよ!!」
 三下の親分の心の中にある沸点のゲージもそろそろ限界が近かった。
「なるほど。あなた方は、暴力で私たちの崇高な使命を妨害しようとする大悪党なのですね?」
 瑠杜賀の瞳が僅かに光る。
「だーかーらあっ!! なっっんで、不法侵入したお前らが正義で、俺が悪党になってんだよおっ!?」
 警備主任の沸点ゲージが振り切れ、心の中のコンロにかけたヤカンがけたたましい音を鳴らしていた。
「もーいやだ。俺は今すぐ殴る、こいつをぶっ飛ばす!!」
「しゅ、主任? 落ち着いてください」
 後ろに控えていた部下が羽交い絞めにし、警備主任をなんとか押さえようとする。
「君たちもおとなしく言うことを聞いてくれ。そうすれば、こっちも手荒なまねはしないから」
 怒りのあまり会話にならない釣り目の男の代わりに、比較的温厚そうな男が召屋たちとの交渉役を買って出る。しかも、部下のその男の方が人間として出来ているらしく、その口調は落ち着いていた。警備主任の地位の入れ替えもそう遠くないかもしれない。
「それはできない相談ね。それより、有葉千乃って子を知らない? これくらいの小さくて、とっっっっても可愛い子なんだけど」
 春部が話の通じそうな男に質問する。ちなみに台詞の後半は僅かに身もだえし頬を染めながらであった。
「いや、知らない。きっとここにはいないよ。だから、おとなしく……」
「知らないならいいわ。みんな行きましょ」
 春部はそう言って相手を無視するように部屋を出ようとするが、男たちは遮るように戸口の前に立つ。
「残念だけどそれは無理だ。僕たちはここを警備するのが仕事だからね。素性の分からない君たちを自由に歩き回らせるわけにはいかない」
「交渉決裂か……」
 召屋はそう言って、先ほど鈴木から渡された伸縮式特殊警防を引き伸ばし、戦闘態勢に入る。男たちもそれに反応し、各々の武器に手を掛ける。召屋たちと黒服の男たちの間に緊張した空気が張り詰める。
 だが、それはブラフだった。
 どこからかミシミシという空間が割れるような音がすると、巨大な物体が男たちの頭上に出現し、彼らに向かって落ちていく。数人が重さに耐えかねて、それに押しつぶされる。
 彼らの上に現れたもの、それは太く長く、おぞましい生き物。緑褐色に黒いまだら模様の世界最大の蛇、人食い蛇という二つ名を持つオオアナコンダだった。
「あんたたちはそれと遊んでな」
 唐突に現れた大蛇にパニックを引き起こす黒服の男たち。というよりもパニックにならない人間の方がおかしいだろう。しかも、そのうちの間抜けな一人が体長が六メートルはありそうなその大蛇によって体を締め付けられていた。
「逃げるぞ!」
 そう叫ぶと召屋は混乱に乗じて戸口を塞いでいる男にタックルを仕掛け突き飛ばし、そのまま廊下へと抜けて、研究所の奥へと走り出す。春部たちもその後に続く。
 黒服の男たちは逃げ出す召屋たちにかまっている精神的な余裕などなかった。主任を大蛇から助け出さねば彼は死ぬかもしれないのだ。


「あんたの能力も結構便利ね」
 人気のない廊下を走りながら、一連の脱出劇の手際に春部は横にいる男を見直したようだった。有葉に優しく他人に厳しい彼女にしては珍しいことだ。
「逃げ足だけは得意でね」
「それで召屋、どこに向かうんだ? 千乃ちゃんどころか俺らがどこにいるかも分からないってのに」
 後ろから追いついたカストロビッチが召屋の肩を掴む。
「いや、分かってる」
 召屋は疲れたのか、走るのを止めてゆっくりと歩き出し、目を瞑り何かを思い出そうとしていた。
「なんで分かるのよ? ちょっと!」
 思わず先に行き過ぎてしまった春部が小走りで後戻りしてくる。先ほど召屋を評価した時の表情は消え、悔しそうに睨み付けている。召屋が、自分が知らない有葉の居場所を知っているというのが気に食わないのだろう。
「ここの図面を手に入れてな」
 目を開き、周囲を見渡し頷く。まるで現在位置と進むべき方向を地図で確認しているようだった。
「じゃあ、私にも見せなさいよ!」
 春部は飴を欲しがる子供のように召屋の方に開いた手を突き出す。だが、それに対して召屋は即座に否定する。
「ない」
「はあ? 手に入れたって言ったじゃない?」
「捕まった時に取り上げられた」
「それじゃ意味がないじゃないの?」
「ところがそれが意味がある。こっちだ」
 そう言って、また走り出し、勝手に廊下を曲がっていく。周囲を確認しながら走るそれは、他の人には見えない地図を頼りに進んでいるようだ。本当に召屋には進む方向が分かっているのだろう。
「図面は取り上げられたけどな。大事なところは全部記憶した」
「赤点取るようなあんたにそんなことが出来るわけないないでしょ?」
「ところが、こいつは数学以外はそれなりにいいんだな」
 後ろから二人の肩を叩き、会話と二人の間にカストロビッチは割って入ってくる。その顔は何故か自慢げだ。
「ふーん……」
 春部は召屋の成績がそれなりにいいというのがどうにも納得がいかないらしい。
「でも、図面を覚えてるからって、何で千乃の居場所が分かるのよ」
「ああ、それか? そりゃ、ここでやっている研究内容やあいつが連れ去られた原因、ラボの規模とか、色々調べれば自ずと答えにたどり着くもんだ」
 さも当たり前のようにそっけなく召屋は春部の問いに答えていく。
「うわ、あんた本当に馬鹿じゃなかったのね……」
「お前は俺をどんな奴だと思ってんだ?」
「召屋は馬鹿じゃねーぞ」
 その後も下らない会話を三人で続ける。不法侵入しているとは思えないほどの緊張感のなさだった。
「あ、あの……」
 他愛のない話をしていた三人に、鈴木が控えめに声を掛ける。実際には声を掛けるのはこれで五度目だったのだが、今まで誰も気が付かなかったのだ。
「どうした? トイレか?」
 ようやく気が付いた召屋が鈴木の方へと振り向く。
「違いますっ!! 実はですね……あの……」
「はっきり言いなさいよ」
「実は……瑠杜賀さんがいません」
『へ!?』
 ここにきて、お気楽馬鹿三人組はようやく仲間が一人足りないことに気が付いてた。


「これは困りましたね……」
 瑠杜賀は人気のない四辻になった廊下の真ん中で、途方にくれ立ち尽くしていた。
「とりあえず、こちらでないことは確かなのですが……」
 自分の来た道を振り返る。
「さてどうしましょう?」
 暫し考えた後、ふと思いついたようにポンと手を叩き、肌身離さず持っている傘を床に立てて、持っていた手を離す。ゴトッという些か傘には似つかわしくない重みのある音と共に倒れる。彼女はその先を見、うんざりとした表情をする。
「これは困りました……」
 それは来た方向だった。
 倒れた傘を広い上げ、もと来た方向へと歩き出す。すると、彼女の耳に数人が騒ぎながら走る音が聞こえてきた。
『あいつらどこ行きやががったっ! 絶対に捕まえろよ!!』
『主任、落ち着いてください』
「うるせー、あいつら絶対にぶん殴ってやるっっ!! って、手前ぇそんなところに居やがったのか?」
 瑠杜賀の姿を見付けた釣り目の男が、部下を連れ立って猛然と走りよってくる。だが、瑠杜賀は逃げたり隠れたりといった反応をすることもなく、ただ呆然と立っていた。
「見付かってしまいましたね」
 慌てることなく、彼女は傘から仕込まれた刀をゆっくりと抜く。
「ここより先はお通しできませんよ」
「馬ぁ鹿メイドが! こんな狭い場所でそんな長物使えるわけねーだろ!! お前らっ」
 釣り目の男の合図で、黒服の男たちはそれぞれに得物を手にする。警防や電磁バトン、サバイバルナイフ、マイオトロンなど、狭い室内で使いやすいものばかりだった。
「お嬢さん、今なら手荒いことはしないから、こちらに従ってくれないか?」
 温厚そうな部下の一人が優しく話しかける。彼は釣り目の男と違い、基本的に荒事にしたくはないようだった。彼女は首を振る。
「先ほども申しましたように、皆様のような悪党の言いなりにはなりません。それと、そちらの三下の親分様の言っている事が良く分からないのですか?」
「だ・か・ら、その刀じゃ十分に振り回せないって言ってんだよっ!!」
 唾を飛ばさん勢いで、男は瑠杜賀が手に持った仕込刀を指差しながら怒鳴りまくる。それでも瑠杜賀には言っていることが分からないようで、手に持つ刀と男の顔を交互に見て不思議そうな顔をする。
「そうでしょうか?」
 彼女は、袈裟斬り、横一文字、斬り上げなど、自在に刀を操り振り回す。だが、天井どころか壁にさえ触れさえしない。切っ先が空中に弧を描き、輝く。ここにいる男たちの殆どが、その軌跡を追いかけることが出来なかった。見えないほどの鋭い太刀筋ではあったが、刀を操る彼女の動きは舞踊のようにしなやかで、それを見ていた彼らの心を惹き込んでしまいそうなほどに華麗だった。
 人間に近い精密な構造としなやかさを兼ね備えた間接を持った自動人形《オートマトン》としての性能。そして、彼女自身の腕前があってこそなせる技であり動きだ。
 気づけば、彼女は仕込み刀を鞘となる傘に仕舞い、腰溜めに構えている。
「私の習得いたしました民弥流居合術《たみやりゅういあいじゅつ》では、こういった狭い室内での戦いも十分に考慮されております。そのようなご心配は無用ですよ」
 にこりと微笑むが、身体は微動だにしない。それだけに相手にする方にしてみれば気味が悪い。事実、黒服の男たちも気圧されて動けないでいる。
「さて、どなたからからお相手いたしましょうか? 一斉に掛かって来ても構いません。そうそう、今回は峰打ちと笹島様から言明されていますので、命を奪ったりはいたしません。ええ、打撲や骨折程度で済みますからご安心下さいな」
「うるせぇぇぇっ!!」
 痺れを切らせた釣り目の男がカーボン鋼のサバイバルナイフを手にし、超人的な跳躍力で一気にナイフの間合いまで近づくと、そのスピードを利用して瑠杜賀の首を横薙ぎにする……はずだった。
 すでに彼の手にナイフはなく、金属音を立ててはるか後方の床に転がっていく。顎には仕込刀の切っ先が突きつけられている。
「さて、これからどうなさいます?」
 お客の迷惑も考えず、サイドメニューをあれこれ勧めるマクドナルドの店員顔負けの明るい笑顔で、彼女は目の前の男たちに丁寧にそう質問した。


 結局、探す時間も惜しいし、戻ることで先ほどの黒服の男たちに鉢合わせるのも問題ということもあり、召屋たちは瑠杜賀の無事を祈りながら先を急ぐことにした。
 召屋によれば、この先にあるエレベーターで、有葉が捕らわれていると目される場所にたどり着くという。
 突然、先を走っていた召屋が足を止める。猫が飛びのくように器用に春部は召屋をかわすが、それに続くカストロビッチが召屋の背中に頭からぶつかってしまう。
「参ったね、こりゃ……」
「痛っってえなあ。おい」
「よう、兄ちゃん。元気だったかい?」
 エレベーター前の踊り場には召屋なみの巨躯の男が二人、待ち構えていた。黒いスーツに胸には目を模したピンバッチ。ピンカートン探偵社の対能力者&ラルヴァ部門“THE EYE”の構成員に違いなかった。
 そのうちの一人、こちらに声を掛けた人物には召屋は見覚えがあった。一人で自分と笹島、瑠杜賀を相手にして、殆ど能力も使わずに一歩も引かなかった人物。吉村《よしむら》だった。もう一人は見覚えがない。だが、バッチをしているからには能力者なのだろう。特殊警防を握る手が汗ばむ。
「……っておい! チンじゃねーか?」
 カストロビッチが緊張感を台無しにするような声を上げる。それに反応してか、春部も驚いた様子でそれに続く。
「やだ、チン、あんたこんなとこで何やってんのよ?」
「いや、あの……。これは俺のバイト……」
 春部たちにチンと呼ばれた男はかろうじて聞き取れそうな小さな声でボツボツと喋る。吉村にも負けない体格と高校生には見えないゴツイ顔とは恐ろしく不釣合いだ。
「知ってんのかよ?」
 召屋は警戒したまま隣のカストロビッチに耳打ちする。
「ああ、アイツはクラスメイトだ。チンってんだ」
「中国人か?」
「馬鹿ね、あだ名よ」
 彼の名前は雨申蓮次《うもうれんじ》、二年H組の生徒であり、H組という名に違わず、見た目とは裏腹に純真というか、むっつりスケベな健全なハートを持つ少年だった。
「おい、チン。そこにいるってことは、俺たちの敵か?」
「そう言うことじゃなくて……俺は……」
 邪魔者を見るようなキツイ眼差しを向けるカストロビッチと春部に、雨申はどうにも正しい答えを導かせることができず口ごもる。
 そんな雨申に気を使ったのか、吉村が咥えていたアメリカンスピリッツを携帯灰皿に押し込みながら召屋たちに近づいていく。
「いいんだ、蓮次。お前はなにもすることたあねえ。同級生とやり合おうなんてのは夢見のいい話じゃねえしな。何より俺だってこの研究は合点がいってねえんだ。ただな、俺たちも商売だからよ、兄ちゃんたちをタダで通すってワケにはいかねえんだわ。この意味、分かるかい?」
 その言葉から察するに、彼はその奥で何が行われているのかを知っているのだろう。
「仕事をしないといけないってことか?」
「おい、兄ちゃん、顔とは違って聡明じゃねえか。つまりはそう言うことだ。こっちも仕事だからよ、報告書にそれなりの理由を書かないといけないわけだ。こう見えてもサラリーマンでね。色々大変なんだよ」
 咥えたアメリカンスピリッツにジッポーで火をつけながら吉村はうんうんと嬉しそうに頷く。
 彼の言わんとしていることはここにいる全員が理解していた。問題は、誰が残るか。そして、その口火を切ったのはカストロビッチだった。腕を回しながら召屋たちを押しのけて前へと出てくる。
「よーし、おっさん。俺が相手してやるよ。それなら文句はねえだろ。それとな、こいつは男と男の決闘だ、手ぇ出しやがったらただじゃおかねえぞ」
 その言葉に圧倒されたのか、雨申は激しく首を縦に振っている。
「その通りだ、蓮次。いいか、どっちにしろ手ぇ出すなよ。それと、こいつの能力もバラすなよ。面白くなくなるからな……。やろうぜ、兄ちゃん。思いっきりボコってやんよ」
 獲物を狙う肉食獣のように顔を歪ませながら微笑む。彼にとってはこれからの出来事が楽しくて仕方ないらしい。
「召屋、さっさといけよ……」
「スマン……」
「ゴメン……」
 召屋と春部は彼らの横を通り抜け、数基あるエレベーターの『下』のボタンを押す。ほどなく、エレベーターの一つの扉が開き、召屋たちはそれに飛び乗り、階数のボタンを押すと、急く様に『閉』のボタンを何度も押していた。
 有葉のところへ一刻も早くつきたい、だが、その一方でカストロビッチ一人を置いていくことの後ろめたさ。苦汁の選択がそうさせていた。


「よーし、おっさん、パーティを始めようぜ」
「こっちはオールナイトでお待ちかねだったぜ」
 二人は至近距離になるまで笑いながら歩き進むと、いきなり拳で殴りあう。共にその圧力に吹き飛ばされる。ただ、どちらもダメージは皆無のようだった。
「よっしゃー! おっさん、いいパンチじゃねえか。でも、こいつはマズいな。かなりマズイ。いやー、何か武器が欲しいよなあ」
 カストロビッチがそう叫び、手を伸ばし空を掴むようなしぐさをする。すると、突然彼の手に重そうなバールが現れる。
「これくらいはハンデくれてもいいよな、おっさん」
 その重みと感触を確かめながら、カストロビッチは油断無く吉村との間合いを詰めていく。
「兄ちゃん、そいつは面白い能力だ。でも、早々にバラしちゃっていいのかい?」
「ほら、俺、病弱だからさ。こんな得物でも持ってないとおっさんに勝てねえから……よっ」
 台詞も終わらないうちに、強引にバールで殴りつける。もちろん、そんな小手先の奇襲が通じるワケもなく、難なく吉村はかわす。
 バールの重さでバランスを崩し、前のめりになり無防備になった背中に吉村の重たい蹴りが放たれ、カストロビッチはゴミ箱のように床を転がっていく。
「あぶねー。あやうく殺られるところだった」
 別段、ダメージを受けた様子は見受けられず、苦も無く立ち上がる。器用にバールを回しながら、吉村に歩み寄っていく。
「随分丈夫な身体してるじゃねえか? 兄ちゃん」
「いやー、ホント、俺は蕩けるくらいに病弱なんだよ。だから手加減してくれねえかな?」
「するわけねえだろ」
 吉村はヘラヘラと笑うカストロビッチの顔面を殴りつける。だが、何故か踏み込んだ足を滑らせ、その拳は空を切ってしまう。
 カストロビッチがその隙を見逃すはずもなく、バールで体勢の崩れた吉村の腹部を横殴りする。
 強靭な筋肉で最小限にダメージを抑えると、そのバールをしっかりと握り締める。
 カストロビッチは吉村に握り締められたバールを引き抜こうとするが、彼の力では抜くことどころか微動だにしない。
 得物に執着したのが仇になった。
 吉村の拳がカストロビッチの顔面を捉え、そのまま床に叩きつける。普通なら死んでもおかしくない威力だ。そうでなくても気絶はするだろう。
 だが、ダメージがあったのは吉村の拳だった。まるで、床を全力で殴ったように血だらけになっている。骨にひびが入っているかもしれない。それ以前に彼は何事もなかったように吉村の傍から離れた場所に立っていた。
「兄ちゃん……何者だ?」
 手にしたバールを後ろに放り投げ、何のダメージもなく立っているカストロビッチを睨み付ける。その顔にはあざや傷の欠片もない。
「何者かって? そりゃ、おっさん。俺はただのロシアからの留学生さ」
 薄っぺらい笑いを浮かべ、カストロビッチはいつの間にか手にした大型のウォーターポンププライヤーを振り回しながら吉村の方へと近づいていった。


「大丈夫かな……」
 召屋は心配そうにエレベーターの階数表示を見つめている。
「あの馬鹿がやられるワケないでしょ。あいつの能力は卑怯過ぎるわ。あんたも知らないわけじゃないでしょ?」
 苛付くように階数表示を見ていた春部が言い返す。
「それにしたって分が悪過ぎる」
 そう言いながら、手に持っていた伸縮式の特殊警防をいじりだす。おそらく、ちゃんと作動するかを確認しているのであろう。
「それよりさ……」
「なんだよ?」
 特殊警防に付属する数種類のボタンを押し、作動を確認しながら、春部の方に顔も向けずに召屋はそっけなく応対する。
「千乃を助けようとしてくれて、その、ありがと……」
 操作を誤ったのか、警防の警告音が突然鳴り響く。
『ツンデレ注意報発令!! ツンデレ注意報発令!!』
「へ、何て言った? この馬鹿が騒ぎ始めて、良く聞こえなかったわ」
「うっさいっ! 馬鹿って言ったのよっ!!」
 顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
「なんだよ、ひでえなあ」
「そ、それより、あんただって男なんだから―――」
 春部は自分の言葉の気恥ずかしさをごまかすように突然別の話を振ってしまう。
「ああ、一度くらいは華のあるところを見せねえとな」
「え? ええ、そうね」
 思いかけず正しい答えが返ってきたことに春部は驚く。それは小さい頃から有葉が語っていた言葉だったからだ。
 そして、到着音とともに、エレベーターが開く。召屋の警防を握る手が汗ばむ。その先には有葉千乃とあの女、そして、ア《・》レ《・》がいるはずだったからだ。


 吉村は完全な劣勢にあった。相手の能力が判明しない上にこちらの攻撃が一切利かないときていたからだ。厳密には違う。手応えがないのだ。まるで液体を殴りつけているような感触。
 一瞬、吉村は能力を使ってしまおうかとも思ったが、すぐにその考えを取りやめる。相手の能力が判明しないうちに使うのは得策ではない。この前もそれで手痛い目にあっているだろと自分を律する。しかし、このままではジリ貧なのは明らかだった。彼の能力は電撃であったが、それは虚空が輝くような強力な雷撃を放つようなものではなく、距離は極至近に限られる上、得意分野は精密さに長けた、例えば筋電位をコントロールするようなものだったからだ。
「おっさん、どうした急に用心深くなったな」
「兄ちゃんを尊敬してるのさ」
「それじゃあ、引き分けってことにしないかい?」
「そいつは有難い提案だ。だが、こっちも減給されちまうから、ちょいとばかし同意できねえな」
「残念」
 吉村は一気に駆け寄ると、カストロビッチが手に持つ得物も無視し、ボディに強力な一発を叩き込む。
(まただ、手応えがない)
 違和感を覚え、即座にその場から飛び去ろうとするも、そんな隙を見逃してくれるはずもなく、吉村の背中にポンププライヤーが叩きつけられる。
 床に叩きつけられた吉村は、肺の中に溜まっていた空気を全て吐き出してしまう。息のできない状態にありながらも、その精神力をもって苦痛をねじ伏せると、次の攻撃に備え、カストロビッチから離れようと跳び退る。だが……。
 床が濡れていたのか、はたまたダメージが足にきていたのか、先ほどと同じように足を滑らせ、その場で転倒する。
「吉村さんっ!」
 雨申の叫びに反応し体勢を立て直そうと振り返ると、ポンププライヤーを振りかぶったカストロビッチが吉村の腕を狙っていた。
「一本目ぇっ!!」
 僅かに身体を逸らし、紙一重でカストロビッチのその一撃を辛うじてかわすと、転がりながら見苦しい姿で逃げていく。
「なるほど……」
 吉村は息を整えながら、ようやく相手の能力が分かり始めていたことに微笑む。
 一方、優勢に見えるカストロビッチも息も上がり気味でかなり疲労していた。彼としては相手がこちらを見くびって、能力を使わないステゴロでかかってきてくれる間に何とかしたかったのだが、自分の残りの体力と相手の打たれ強さを鑑みて無理そうだと判断する。更に今の相手の表情を見るに自分の手品の種もバレてるかもしれないと思い、慎重にならざるを得なくなっていた。
「まずいな」
 そして、微妙な距離を取っての膠着状態になる。どちらも相手の隙を伺い、機先を取ろうとするも踏み出せないでいた。
 先に動いたのは吉村だった。カストロビッチの視野から一瞬消えるほどのスピードで間合いをつめ、カストロビッチが振り下ろすよりも早く、得物を持ったその右手を掴み捻り上げる。手首の間接があらぬ方向に曲がる。
 だが、カストロビッチはそれを少しも気にすることなく、吉村の背中にエルボーを叩き込む。
 両者は再びその場から離れる。
「よーし、兄ちゃん。今ので手品の種の一部は解けたぜ」
 嬉しそうに語るその言葉にカストロビッチは驚く様子もなく、ニヘラニヘラと安っぽい笑い顔をすると手に持ったポンププライヤーを吉村の方へと放り投げ、背後にあるエレベーターに手を掛ける。
「じゃあ、この辺で失礼するわ。楽しかったぜ、おっさん」
 言うが早いか、カストロビッチの腕がエレベーターの隙間へと吸い込まれ始める。まるで、彼の身体が腕から溶解し、ゲル状化しているようだった。
「させるかよ!」
 吉村は先ほどと同じく自らの能力で筋肉を強制的に限界以上に動かし、迅雷のごとき速さで駆け寄ると、彼の心臓があるだろう場所に手をかざし、彼の能力である電撃を全力で放出する。
 カストロビッチの変態が解かれ、その場に倒れこむ。半ばスライム状だった彼の身体も元に戻り始める。
「――――っ!!」
 足元で声にならない悲鳴を上げ苦痛で身体を歪めるカストロビッチを見下ろしながら、吉村はポケットからアメリカンスピリッツを取り出し美味そうにその煙を堪能する。勝利の一服とはいつ何時でも美味いものだ。
 だが、その顔は疲労によって憔悴しており、けっして完勝とはいえない。事実、先ほどで能力の全てを放出してしまっており、体力も限界だったからだ。
「蓮次、他の連中を呼び出っっ………」
 突然、吉村は後頭部を押さえ、カストロビッチに折り重なるように倒れこんでしまう。何が起きたかも分からず、倒れた吉村を助け起こそうと周囲を気にすることなく雨申が駆け寄ってくる。
 そして、彼の目には、吉村が立っていたらしき場所にゆっくりと人影が形作られていくのが映っていた。
「はぁ―――。全く、私がいなかったらどうしたつもりなんですか、カストロビッチさんは?」
 大きな工具箱を片手に、そして、右手には鈍器として十分に通用しそうなコンビレンチを持った少女が佇んでた。コンビレンチの先にはご丁寧にもタオルが巻きつけられている。
 その少女とは鈴木耶麻葉、彼女は召屋を追わず、ここに残っていた。そして、自らの能力、自身とその装備品を完全に消し去る“完全消失”を使い、カストロビッチをサポートしていたのだ。彼に得物となる工具を手渡ししていたのも彼女だった。
「雨申さん、どうしますか? 姿を現した以上、雨申さんの能力で私を簡単に倒せるでしょうけど、まさか、同じ学園の生徒にそんなことはしませんよね? あなたのクラスの委員長から聞いてますよ。“彼は優しい子”って。何より、私たちは有葉千乃さんを助けようとしてるのですから。ね?」
 茶目っ気たっぷりにウインクしてみるも、全くもって万人がそそらないほどに地味で色気がない。股間にも萌え魂にも触れやしない。もちろんピュアな雨申でさえも反応はしなかったが、別のことに反応した。有葉の名前を聞いたとたん、雨申は急にあわて始めたのだ。なにか落ち着かない様子だった。
「あ、有葉が……それってどういう?」
 慌てる雨申を見ながら、鈴木は、自分の渾身のウインクがスルーされたこともあって少々意地悪をしてみようと思い、話しをずらし始める。
「雨申さんもそんな怖い顔の癖にあ《・》ん《・》な《・》趣味なんですか? どこかの兄弟みたいですね」
 日曜の朝に歓楽街の隅に広がっているアレを見るような目で、鈴木は雨申を気持ち悪そうに睨み付けている。
「いや、違う。俺はそういう趣味じゃない。凄く真っ当な気持ちで……」
 顔を真っ赤にし、慌てて否定するが、もちろん、それだけでは疑惑が解けることはない。
「じゃあ、どんな真っ当な気持ちなんです?」
 更に意地悪く、鈴木が質問をする。
「クラスのみんなと仲良くできたのは有葉のおかげ、だから……」
 それは事実であった。物怖じしない有葉が、その巨躯と強面もあって、クラスから浮き気味だった雨申に声掛け、話しをしたからこそ、彼はようやくクラスの仲間入りができたのだ。“チン”というあだ名もその時に彼女に付けられたものだった。
「だったら、有葉さんの救出を手伝ってください。私も召屋君に階数を聞き忘れて……。有葉さんはどこにいるんですか?」
「知らない。多分、吉村さんだけが知っていると思う」
 その言葉に、鈴木は目の前で倒れこんでいる男たち二人を見つめながら、このまま召屋の応援をすることができないのではないかと嘆息した。
「こんなことなら、もう少し手加減するんでしたね」


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