【MP2 ハイスクールデイズ:前編】


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「人は脆い生き物よ。簡単に死ぬわ」
 肌色のビルが立ち並ぶサンフランシスコのカフェテラスで、夜の闇のように深い黒髪を風に揺らしながら、彼女はそう言った。
「でも脆いのは身体だけじゃないのよ」
 諭すように言葉を紡ぐ彼女の寂しそうな表情は儚く、しかしとても美しいものだと彼は感じる。
「人が本当に脆いのはね、心よ」
 彼女はこの世のすべてを諦めてる瞳で彼を見つめている。それはまるで母親に妖精を見たんだと必死に訴える少女のような必死さが伺える。
「私も、あなたも、パパもママも施設の子供たちもきっといつか世界の仕組みを知るわ。人間の愚かさに嫌になるに決まってるのよ」
 彼女は神経質そうに周りを気にしながら、俯き加減でタバコを吸っている。まるで何かに怯えているかのように、この世のすべてに恐怖を抱いているかのように。
「でもきっとあなたにはわからないでしょうね。『バナナフィッシュにうってつけの日』でシーモアがなぜ自殺したのかなんて。でもいいの。わからないほうが幸せよ。でも私はそんな豚みたいな生き方はできなかったの。だって思考する人間なら普通はそうでしょ」
 彼女の言葉は支離滅裂で、意味不明であった。彼には彼女が何を言いたいのかわからない。どうにか理解しようと試みるが、それは徒労にしかならなかった。
「ああ、眠たい。眠たいのよ。でも頭が痛くて眠れないの。ずっと治らないのよ」
 彼女はいくつもの頭痛薬をコーヒーで流し込んでいた。彼は何も言えずただ黙って見ているしかない。
 そして彼は気付いた。これは夢なんだと。|あの日《・・・》の光景が夢の中で再生されているということに気付いた。夢の中で夢を夢だと認識した時、夢はとても曖昧なものに変わり、形を失っていってしまう。
 なぜなら彼女はもうこの世にいない存在だから。
 夢の中でなければもう二度と彼に笑いかけたり、語りかけてもくれない。
 そのカフェテラスで、彼女は鞄から拳銃を取り出し、自分のこめかみに銃口を当てる。そして、彼の目の前でその引き金を引いた。
 それは瀬賀《せが》或《ある》が十六歳のときの出来事であった。


MIDNIGHT★PANIC2

ハイスクールデイズ





 嫌な夢を見た。
 疲れている時に見る夢はいつも同じだ。
 疲労のためか瞼が重く感じられ、身体を覆う布団さえも持ち上げるのをためらってしまう。しかし悪夢を見たせいか体中に嫌な汗を掻いていて、シャワーを浴びた方がいいなと瀬賀は寝ぼけた頭で考えていた。
(もう……朝か……)
 ふと瀬賀は昨晩の事件を思い出す。
 吸血鬼。
 チェーンソーの殺人鬼。
 あの後瀬賀は疲労のため倒れ、気を失ってしまった。瀬賀はなんとか眼を開けて天井を見るが、そこは病院の白い天井ではなく、見慣れた天井の木目である。どうやらここはアパートの自室なのだと彼は悟った。視線を動かすと乱雑に散らかった六畳半の部屋が見える。
(ファック。わざわざここまで運ばれてきたのか)
 あのまま病院の部屋で寝かせてくれればよかったのに、そう思うが、あの惨状の後では病院のベッドの数も足りなくなっていたのだろう。
 カーテンから差し込む朝日が眩しく、瀬賀の眼ざめを急かしている。今日も学校があるので、このまま寝ていては駄目だと理性ではわかっていても、疲労と睡魔が襲いかかってきていて中々起き上がるタイミングが見つからない。
 だが、突然刺すような鋭い痛みが瀬賀の人差し指に走った。
(――っ、なんだ?)
 一瞬虫にでも噛まれたのかと思い、瀬賀は布団をがばりとめくる。すると、そこには思いもよらなかった光景が広がっていたのである。
「うぬ。んはっ。ぺろぺろ――おっと、ようやく起きたようじゃのうアル。先に朝食はいただいておるぞ」
 そこにいたのは一人の少女である。
 柔らかな唇と、小さな下を懸命に駆使し、丹念に瀬賀の指にむしゃぶりついていた。音を立てながら上から下へと舌を這わせ、時折上目遣いで瀬賀のほうを見つめてくる。心なしか頬は紅潮しており、貪るように口に含んでいる。
「んっ……お主のは硬くて……大きいのう……。ぺろ……んちゅっ……さきっぽから出てくる汁がおいしい……」
 卑猥な音を立てながら瀬賀の指をしゃぶる少女を、彼はむんずと襟首を掴み上げ、そのまま玄関の外へぽいっと放りだした。
(まだ俺は寝ぼけてるんだろう。きっとまだ夢を見てるんだ)
 瀬賀は自分にそう言い聞かせ。思い切り扉を閉めて鍵をがちゃりとかった。寝ぐせの酷い頭をぼりぼりと掻き、出勤時間ぎりぎりまでもうひと眠りするか、と布団の方へと向かう。
「なにをするだぁあぁあああああ!」
 どんがらがっしゃんと言う音が響き瀬賀が玄関のほうへ振り返ると、玄関の扉は破壊されて先ほどの少女が息を切らせて侵入してきていた。扉の中心には小さな拳の跡。当然のことながらその顔からは怒りの表情が見える。
 瀬賀は諦めたように少女の顔を見つめ、大きく溜息をついた。
「……………………………ショコラ。お前ここで何してるんだ?」
「だから言っておろう。朝食じゃ。お主の血はあまり美味しくないのう」
 ショコラは不満そうにそう呟き、瀬賀は現実を見たくないかのように両手で顔を覆っていた。
 布団の中にいたのは虫ではなく、“吸血鬼”であった。
 朝日に煌めいているブロンドの長髪に、ラピスラズリのような深く青い瞳が瀬賀の顔を見つめている。子供のような外見をしているが、これも吸血鬼の特性なのか、人を魅了するような美しさがある。
 そんな吸血鬼の少女、ショコラーデ・ロコ・ロックベルトは瀬賀の布団の中にもぐりこみ、彼の指を舐めまわしていたのだ。
 いや、ただの指を舐めているのではなく、人差し指に犬歯を立て、そこから流れる血を飲んでいるようだ。今も彼の指先からは鮮血が流れ出ている。
「お前なぁ。勝手に人の血を飲むなよ――って、そうじゃない。なんで|ここ《・・》にいるのか聞いてるんだよ!」
 思わず瀬賀はそう問い詰める。それは当然の質問だろう。なぜショコラが自分の部屋で、こうして血を飲んでいるかなんて想像もつかない。
「わしとお主は夫婦《めおと》じゃからな。一つ屋根の下に済むのは当然のことであろう」
 血を飲み終わったショコラは澄まし顔で、ピンクのハンカチで口元を拭っていた。
「ファック。なんだよ夫婦って。俺はお前みたいなクソガキとそんな関係になった覚えは――」
「契約、そう言ったであろう。わしはお主の血を飲んだ。それがわしとお主の契約の証じゃ」
 瀬賀は昨晩の出来事を思い出す。
 殺人鬼との対決の際、ショコラは確かに瀬賀の血を飲んだ。そしてショコラはこう言っていた。ロックベルトの吸血鬼は生涯ただ一人の血しか飲まない、と。
「だからってお前……」
 うんざりしたように瀬賀はうなだれるが、けたたましい電話の音が響き、彼を落ち込ませる時間すら与えなかった。
 瀬賀は身体を引きずりながら家の電話の受話器を取る。一瞬でもショコラという非現実から眼を背けることができるだろうと瀬賀は無意識のうちに思っていた。だがその電話は彼に追い打ちをかけるものであった。
「はいもしもし瀬賀ですけど――げっ、あんたは!」
 電話の先からは聞き覚えのある声、それは学園上層部の人間のようだった。
『やあ瀬賀くん。お嬢様と初めて迎えた朝はどんな気分だい』
「植院《うえいん》さん、あんたの差し金かよこれは」
 学園上層部の務め人である植院《うえいん》次遠《じおん》は、瀬賀を学園に雇った恩人でもあるため、瀬賀は彼に頭が上がらないようである。
『そう怒るなよ。美少女の幼な妻なんて男の夢だろ。羨ましいね。変わりたいね。まあ彼女は実際には百数十年ほど生きているから幼な妻という言葉が的確かどうかはわからない。だがこの場合は容姿に重点を置くことに意味があるとは思わないかい。ちなみに私の妹は――』
「その話しはまた今度聞きますよ。とにかくなんであいつが俺のところいるのか詳しく説明して下さいよ。できるだけ納得いく形で」
『怒っているのかい。それは駄目だなぁ。短気は損気だ。カルシウムを取りたまえ。そう、牛乳だ。白濁とした白い液体。私はその白い液体を妹の口に――おっと、これ以上話すとお縄になってしまうな。ともかく我々学園上層部は、ショコラーデ・ロコ・ロックベルトを正式に双葉区の住人へと向かい受けることに決定した』
「ショコラを双葉区民に……?」
『そうだ。彼女たちロックベルトの吸血鬼は絶滅危惧種にして吸血鬼の中でも希少種だ。人間と契り、人間と共栄してきた友好的な存在だ。こちらとしても“保護”せねばならない。あのような殺人鬼に命を狙われているのならなおさらだな』
「それはわかるけど、なんで俺の家にいるんだよ。別に住む場所くらいいくらでもあるでしょうに」
『それはロックベルトの習性のためだ。聞いているだろう、ロックベルトの吸血鬼は生涯ただ一人の血しか吸わない。そう、今のきみだ。彼女の“食料”が離れたところにいたのでは不憫だろう。だから私が彼女にきみの部屋で同棲するように、と言っておいたのさ。どうだい、感謝しなよ。夢見たいだろう金髪幼女と同棲なんて』
「ふ、ふざけるな! 誰が食料だよファック!」
『まあ、精々健康に気を使って彼女においしい血を提供するんだね。彼女に“生きろ”と言ったのはきみだろう。そんな彼女をきみが餓死させるなんて真似しないよね? これは学園の決定事項だ。よろしく頼むよ瀬賀くん』
「…………」
 色々と言いたいことは山ほどあるのだが、自分を拾ってくれた恩人に逆らうこともできず、瀬賀は黙るしかなかった。
『その沈黙は肯定と受け取るよ。ああ、ちなみに今日から彼女は双葉学園にも通ってもらうことになったから、ちゃんと一緒に登校したまえよ』
「は? なんだって?」
 最後に嫌な言葉を聞き、問い直そうとするが、植院は電話を切ってしまったようである。瀬賀は恐る恐るショコラのほうへと視線を向けた。
(ああ、考えないようにしてたが、やっぱあの服は……くそったれ)
 じとりとねめつける瀬賀の視線を見て、ショコラは不思議そうに首をかしげていた。
「どうしたのじゃアル。そんなにこのわしの顔が愛しいのか?」
「アホ抜かせ。お前その服、双葉学園の制服か……!」
 瀬賀が言うように、ショコラは学園指定のブレザーを着ていた。やけに短めのスカートからは白く細い足が伸びている。どうやら植院の言うとおりに、ショコラも学園の生徒として通うことになるようだった。
「そうじゃ。あの後病院で植院という紳士に会っての。これをわしにくれたのじゃ。見ろ、サイズもぴったりじゃ」
「あのおっさんなんで制服なんて持ち歩いてたんだ……」
 ふうっと瀬賀は肩を落とすが、気持ちを切り替えるように顔を上げ、ショコラのほうへと向き直った。
「オーケェイ。わかった。夫婦だとか契約だとかは、置いておいて。つまりお前は居候ってわけだ」
「ふん。居候という呼び名は少々気になるが、まあそういうことじゃろうな」
「つまりここでは俺のほうが主ってことだ。だから俺の言うことを聞け、いいか、俺たちの関係は学園の連中には言うなよ! わかったな」
 瀬賀は言い聞かせるように腰をかがめてショコラの視線に合わせた。意外にもショコラは素直に頷き、
「わかった」
 と一言だけ呟いた。
 こんな子供みたいなやつと夫婦だとか他の連中に知られたら、恐らく自分はロリコンのレッテルを貼られるに違いない。特に口の悪い春部《はるべ》里衣《りい》などに知られたらなんて言われるかわかったものではない。そう思いながら瀬賀は支度を始めた。だが、ふとなんだかいい匂いが台所から漂ってきていることに瀬賀はいまさら気付く。
「なんだこの匂い……」
 くんくんと鼻をすますと、なんだか懐かしい匂いのような気がした。
「そうじゃ。アル。お主の朝食も用意しておいたぞ」
 ショコラは当たり前のようにそう言い、台所の方へとてとてと歩いていった。その後を瀬賀がついていくと、キッチンのコンロの上に鍋があり、その中には味噌汁が入っていた。
「これ、お前が作ったのか……?」
 瀬賀は思わずそう聞いてしまう。キッチンの前の床には、雑誌が数冊つまれており、背の低いショコラが踏み台にしたことがわかった。
「そうじゃ。妻が夫のご飯を作るのは日本じゃ当然じゃと聞いておるぞ。最近は夫が家事をすることも多くなったようじゃがお主は勤め人じゃからのう。家事は全部わしにまかせてよいぞ。感謝するがいい」
 ショコラはふふんと鼻を鳴らし、自慢げにぺたんこの胸をそらしていた。
 吸血鬼の貴族と聞いていたから、苦労知らずのお嬢様だろうとばかし思っていた自分を瀬賀は恥じた。脇を見ると弁当箱が用意されており、どうやら昼食の用意もされているらしい。
「ちょっとだけ見なおしたぞショコラ」
「勘違いするではないぞ。お主のためではない。わし自身のためじゃ。お主の食生活が偏ると血がまずくなるからの。じゃからわしがお主の食生活を管理してやるのじゃ。言わばこれも契約というわけじゃな。お主に血を提供してもらう代わりに、わしは妻としての務めを真っ当するわけじゃ。ロックベルトの家系は代々女しか生まれんからの。わしは人間なんぞの世話なんてしたくはないが、これも契約。ロックベルトのしきたりじゃ。一族の名を穢すようなことはできん」
「ふうん」
「そうやってわしらロックベルトは人間と共栄してきたわけじゃからな。炊事洗濯に掃除。それに|子作り《・・・》も妻の務めじゃの」
「ぶほっ!」
 その言葉に思わず瀬賀はせき込んでしまった。
(何を言い出すんだよこのお嬢様は……)
 まったく妙なことになったな、そう思い瀬賀はタバコを取り出し一服しようとしていた。
「待てアル。タバコを吸うなとは言わんが朝食のあとにするのじゃ。味がわからなくなるであろう」
 ショコラはぷんすかと怒り、手に持っていたタバコの箱を取り上げてしまった。
 朝の至福の一服も奪われ瀬賀はただただ溜息をつくばかりである。








 それから朝食をとり、支度を終えた瀬賀とショコラはおんぼろアパートを出て学園へと向かっていった。
 瀬賀はチェ・ゲバラの顔プリントのついた悪趣味なTシャツの上に、これまた派手で悪趣味な豹柄のジャケットを着込んでいる。左手首には金ぴかのごつい腕時計が光っていた。
 ショコラは寒さが苦手なようで、スカートが短いと憤慨し、黒タイツを穿いてしまっていた。折角のミニスカートが台無しである。それにショコラは黒くフリルのついたお洒落な日傘をさしている。
「それどうしたんだ?」
「植院のおじ様にもらったのじゃ。あの人は言い人じゃのう。日本にもあのような紳士がいるとは感心したぞ」
「……変態紳士だけどな。しかし吸血鬼って日の光浴びると灰になるんじゃなかったっけ。日傘程度で大丈夫なのか?」
「ふふん。心配しておるのか?」
「別に。まあ保健医だからな。一応」
 吸血鬼を題材にした小説や映画は多くあり、瀬賀もそれで吸血鬼のことは知った気でいたが、どうやらロックベルトの吸血鬼は少々瀬賀が知るものとは違うらしい。
「日の光は苦手じゃが、それもせいぜい熱中症になりやすい程度じゃの。気を付けていればまず平気じゃ。わしらロックベルトは人間と吸血鬼の混血の家系じゃからの。世代を重ねていくうちに人間の良い部分が引き継がれてほとんどの弱点を克服することができるようになったのじゃ」
「なるほど。進化してったわけか」
「それに本来日の光で焼かれるようなものは低級な吸血鬼ばかりじゃよ。強い力を持つ吸血鬼には無意味じゃ。かのドラキュラ伯爵も日の光は平気だったと聞いたしのう」
(ドラキュラ伯爵って……あれは史実の英雄をモデルにした創作だろ)
 そう思ったが、案外実在するのかもしれないなと瀬賀は考えをめぐらす。実際伝説上と思われた生物などはラルヴァとして発見されることも多い。
 そうこう話しているうちに学園に近づき、道は登校してくる生徒たちで溢れている。
 色んな意味で目立つ二人は生徒たちにじろじろと見られていた。離れて歩くべきだったなと瀬賀は後悔する。
「ここが双葉学園か。わしのような人間でないものも多くいると聞いたが、ここまで大きな学校とは驚きじゃのう」
 ショコラは感嘆の息を溢しながら、校門の前で立ち止まった。
 瀬賀もつられて首を上に向ける。マンモス校とはよく言ったもので、もはや要塞のような巨大さを誇っている。教師の瀬賀でさえ行ったことのない施設や把握していない場所が存在するようだ。
「じゃあ俺はこっちだから。お前はそっちの棟へ行け」
「む、何を言っておる。わしもそっちじゃぞ」
 ショコラは不思議そうに瀬賀を見つめ、高等部の棟を指さした。それを見て瀬賀は思わず額に手を置いてしまった。
「まてまてまて。落ちつけ俺。ファック。……ショコラ、お前初等部に行くんじゃないのか?」
「何を言っておるのじゃお主は。寝ぼけておるのか? なぜわしが小学校で足し算引き算を学ばねばならんのじゃ。バカにするでない」
「ってことはお前……」
「そうじゃ。わしは高等部二年に通うのじゃ。植院のおじ様がそう言っておったからのう」
 確かにショコラは見た目だけは小学生だが、実年齢はとても高齢だ。だがなぜ高等部二年なのだろうかと瀬賀が頭を捻っていると、ショコラは答えた。
「わしが実年齢百十七歳だって言ったら『なら百の位を抜いて十七歳扱いでいいね。結婚も出来る歳だね。ってことできみは高等部二年に通ってもらう』と勝手にきめてしまってな。わしも別に困る事はないからそれで了承したのじゃ」
「どんだけいい加減なんだよあのおっさん……」
「さあ、早くゆくぞ。まずは職員室へ行くのが転校生のならわしじゃ。アルもまずは職員室へ行くのだろう? 案内するのじゃ」
 そう言うと、ちょこんと瀬賀の手を握った。冷たいひんやりとしたショコラの手の感触が伝わってくる。これじゃ迷子の初等部生徒を引き連れている構図にしか見えないな、と瀬賀は苦笑した。
「やれやれ。学校でもお前と一緒なのかよ……。ファッキンジーザスクライストさまさまだな」
 仕方なく瀬賀はショコラの手を引っ張り職員室へと向かっていく。
 すると、職員室の扉の前で同僚である練井《ねりい》晶子《しょうこ》とばったり出くわしてしまった。
「おはようございます練井先生……ってすごい寝むたそうですけど大丈夫ですか?」
「おはようございます瀬賀先生。いや、あのあと家に帰ってからも怖くて眠れなかったんですよ……」
 練井は目にクマをつくり、ぼそぼそとかき消えそうな声で話していた。
 昨夜の出来事のあと、練井は家路についたのだが、あれだけの大騒ぎと血を見たあとでは普通の神経ならまず寝付けないであろう。普段から血を見慣れている瀬賀は疲労のせいもあってか熟睡できたようだが。
「あら、その小さな女の子は……もしかしてショコラちゃん?」
 瀬賀の身体で隠れていたショコラに練井は気付き、身体を屈めてショコラの顔を見つめている。
「お主誰だ?」
 本当にわからないようで、ショコラは首をかしげながら練井を見つめ返した。
「バカ。昨夜会っただろうが! 練井晶子先生だよ!」
「そうじゃったかのう……? どうもわしは人の顔を覚えるのが苦手でのう」
 ショコラは腕を組んで考えているようである。しかし練井はぽろぽろと涙をこぼし、肩を震わせていた。
「うう……。私なんてどうせ影薄いですよ。声だって小さいし地味だし……。だからショコラちゃんにも覚えてもらえないのね……」
「いやいやいや。練井先生は魅力的ですって。こんなガキんちょよりよっぽど!」
「誰がガキんちょじゃ!」
 そう練井をはげましていると、その言葉に怒ったショコラが瀬賀のお尻に蹴りを入れた。前門の虎、後門(肛門?)の狼とはまさにこのことであろう。ばたばたと暴れるショコラの襟首を掴み上げ、なんとか引きはがす。
「ええい、やめろショコラ。さあ練井先生。早く職員室へ行きましょう」
 そう言いながら瀬賀は職員室の扉を開けた。練井も涙を拭いその後に続く。
「瀬賀先生。どうしてあのショコラちゃんが学校に……? それにこの制服……」
「どうもこうも。こいつ今日からここに通うことになったんですよ。まったく上層部は何を考えてるんでしょうね」
 ショコラの頭をぽんと叩き瀬賀はそう言った。それに練井も驚いているようである。
「昨日の今日で入学ですか……。確かに保護するなら学園に入学させるのが一番安全でしょうけど……」
 そう話しつつ二人が職員室に足を踏み入れると、彼らより早く来ていた同僚が瀬賀たちのほうへと視線を向けた。
「やあおはよう練井先生――おっと瀬賀くんいたのか。子連れ出勤とはきみらしいな。女遊びが過ぎるからそうなるんじゃないのか。誰との子供なんだ」
 その教員は嫌味たっぷりに瀬賀とショコラを見てそう言った。
 彼の名前は字元《あざもと》数正《かずまさ》。数学教師にして“変態クラス”の異名を持つ二年C組の担任である。気難しそうな顔にチタンフレームのメガネがはりついていて、どこか几帳面な印象を受ける。
 瀬賀は彼のことが苦手だった、というよりも、お互いに気に食わないようである。几帳面で嫌味ったらしい字元と、口が悪く自己中心的な瀬賀はお互いに相いれないのであろう。
「俺のガキじゃねーよ。こいつはショコラ。あんたも昨晩の騒動くらい耳に入れてるだろ。今日から高等部に通うことになったんだと」
「わしはショコラーデ・ロコ・ロックベルトじゃ。誇り高きロックベルトの吸血鬼」
「ほう。今日から転校生が来るとは聞いていたが、あの事件の吸血鬼のお嬢様のことだったのか。ふむ。それは興味深いな。しかしまだほんの子供じゃないか。有葉《あるは》といい勝負だ」
 字元はショコラをためつすがめつ見て、メガネのフレームを押し上げながらそう嘲笑うようにそう言った。その言葉にショコラはかちんと来たのか、ぷっくりと頬を膨らませて彼を睨めつけている。
「わしは子供じゃない。立派な淑女じゃ! なんて言ったってわしには夫がおるからの。このアルという夫が!」
 ショコラはばばーんと誇るように胸に手を置いてそう言った。言ってしまった。
「アル……? 瀬賀くんのことか……?」
 字元は笑いをこらえるように口元を手で押さえている。それに対して、瀬賀は顔を青くし絶望の表情になっていた。
(こ、このバカ野郎……言うなっていっただろ!!)
 心の中でそう叫んでももう遅かった。
「あのぉ、瀬賀先生……。夫ってどういうことですか?」
 練井はわけがわからないといった調子で瀬賀にそう尋ねる。瀬賀は「あのーえっとー」と言い淀み、その隙にショコラが話しに割って入ってきてしまった。
「そうじゃ。ショーコと言ったなお主。良く聞け、わしとこのアルは夫婦の契りを果たしたのじゃ! それこそまさに血のように濃い関係じゃ!」
「…………瀬賀先生ってそんな趣味が?」
 練井は子供のような容姿のショコラと瀬賀を見比べ、少し瞳に涙を浮かべていた。どうやらロリコンか何かと勘違いされてしまったようだ。無理もないだろう。
「いやいやいや。違いますって練井先生! そんな養豚場のブタを見るような目で見ないで下さいよ! おいショコラ、お前それを言うなって家で言ったばかりだろ!」
「ほう、家か。同棲してるのかねきみたち」
 くくくと字元はまだ笑っていた。瀬賀はそれを無視し、ショコラの肩を掴む。
「確かに約束したのう。あの家ではアルが主じゃからのう。だがここは違うのだろう。ここは家ではないからお主の約束を守る必要はないではないか」
 あっけらかんとそんな屁理屈をこねるショコラに呆れ、もはや瀬賀は怒る気にもならず、大きく溜息をつくだけだった。
(終わった……俺の人生)
 そんな瀬賀に練井はおずおずとフォローを入れる。
「あの……瀬賀先生。あの、その、人の好みはそれぞれだと思いますよ……。披露宴には呼んでくださいね……ああ、また私を置いて同僚が結婚していくのね……」
「いや、フォローになってないんですが……」
「何を落ち込んでるのかわからんが、ともかく気を落とすなアルよ! わしがついておるぞ、タイタニックに乗ったつもりでどーんと構えておれ!」
 ぽんぽんと瀬賀の肩をショコラは叩くが、余計へこむだけであった。
「まったく。異常性癖は学生のうちに治しておいてもらいたいものだね。生徒たちの見本となるべき教師がきみのようなロリコンじゃ示しがつかないな」
 字元はわざと大きく肩を揺らして手を上げた。そんな彼を瀬賀は憎々しく睨みつけるが、その気力もすぐに失せ、力なく自分の席につく。
「それでショコラ。お前どこのクラスに入る事になってるんだ?」
 とりあえず話題を逸らそうと瀬賀はそう尋ねる。自分は受け持ちのクラスを持っていないから、誰かがこの厄介な吸血鬼を教え子として持つことになることに瀬賀は同情していた。
「おいおい、まさか私のクラスじゃないだろうな……」
 殺人鬼に襲撃されるような厄介な生徒はごめんだとばかりに字元はそう呟くが、ショコラははっきりと自分のクラスを告げる。
「わしは二年H組じゃと植院のおじ様がいっておったぞ」
「…………………へ?」
 ショコラの言葉に顔を上げたのは練井であった。そう、彼女こそがその二年H組の担任教師であったからだ。慌てて自分の席を見ると、そこにはショコラの名前が入った新しい出席簿が置いてある。
 ご愁傷様、と珍しく瀬賀と字元は顔を見合わせ、同情の眼差しで練井を見るのであった。




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