【danger zone6~黒白黒~hei bai hei~終編3】



 双葉電鉄、東双葉駅

「新しいライブ画像が来た~、あーあ、ま~た逃げ遅れたおばかちゃんがウロウロしてる~」

「糞《メルド》、死ねよこういう豚《コション》は、生きてっと邪魔しかしねぇ奴はさっさと棺桶《コフィン》にブチこめ」

「避難の重要性を理解していない人間に注意喚起する必要がある、ラルヴァに殺されるのを待つより事故で何人か消えて貰うか」

 双葉区東部に広がる副次的な商業区域、東双葉駅のターミナルから伸びる放射状の道路を軸に構成された扇形の街は静かだった。
 数年間閉めっぱなしのシャッターが並ぶ商店街を腹に抱えて並ぶ雑居ビル、その半数近くが既に廃ビルで、窓ガラスや壁の一部が虫歯のように崩落しているビルがそこかしこにある。
 本土の廃墟やシャッター商店街のゴーストタウンは幾年もの時間をかけ、街の成立と繁栄、そして過疎化の過程を経て形成されるが、双葉島には三年ほど前ひそかに潜入したラルヴァによる連続的な自爆テロを喰らって以来、人の流出が止まらなくなった一角がある。
 面積不足の双葉島内にあってなお官民の投資で復旧復興させるには何かが足りなかった、日当たり悪く海風厳しい商店街と商業区画は、この島が戦闘を目的のひとつとして作られたことを忘れさせないという使命を守ろうとしているかのように、街の骸を晒していた。
 百が走り回っていた旧校舎のノスタルジーな風景と対象的な、空爆と市街戦で荒廃した戦時中のサラエボやバクダットを彷彿とさせる凄惨な瓦礫。
 壊れ物の建物が並ぶ一帯に、壊れ物の風紀委員が居た。

 双葉学園風紀委員会第四班
 通称「死斑《しはん》」と呼ばれる一団。
 風紀委員長山口・デリンジャー・慧海が選抜した風紀委員で占められている班。 
 公表されている特定の任務は無い。
 職分も必修技能も、風紀委員会議への出席義務も無い。
 称してるのが本名かさえ怪しいメンバーには名簿も席次番号も無いし、出動服すら無い班員達は私服姿。
 死斑は慧海からのトップダウンによる指示で動き、その任務の多くは秘密裏に遂行される。
 部隊の存在や実績を華々しく宣伝する米軍のグリンベレーやデルタフォースと対象的な、訓練から活動まで秘密のベールに包まれたフランス外人部隊の特殊部隊GCPに近い性格の集団。
 風紀委員の象徴は、風紀粛清業務の遂行時に装着が義務付けられている赤い腕章。
 ただの布腕章に見えるが、レクサスのフルサイズカーを吊り下げることも可能な強度を持つそれは、異能の発動を減力する捕縛具を兼ねていた。
 飯綱百の持つ根源停止異能のようなオールマイティではない。
 赤い腕章で両手首を縛り、手首のツボに電子的な刺激を断続的に与えることで、脳の中にある異能発動に必須の部分への脳電気信号取り込みを制限し、発動に必要な精神集中がしにくい「ダルい状態」にする、東洋医学にほんの少しの超科学が付与されたもの。
 脳の受容器官への神経伝達物質の取り入れをコントロールする、欝病治療の研究過程で偶然発見された特性を異能発動の制限に応用したらしい。
 四班はその執行内容の性質上、腕章をつけないことが多い。
 徽章をつけた士官が狙撃の餌食になったベトナムの戦場が「中尉の墓場」と呼ばれるようになって以来、現代の軍事行動では兵科によっては階級や所属を表す物を身に付けない。
 潜入や対ラルヴァ戦闘の最前線への介入をする機会の多い四班はそれに倣い、狙い撃ちから身を護るべく風紀委員であることを示す目印を外していた。
 ミリオタの毛がある四班委員がきっかけとなった多分に実用よりもカッコつけ目的の服装規定違反行為だったが、上に立っている慧海は既に違反の塊、そしてちょっぴりミリオタ。
 少なくとも実戦を知っている四班の連中は規則に操を立てて死ぬ積もりは更々なかった。
「警視庁特殊部隊SATは手錠を持たない、突入時には犯人を射殺するように命令されている」は、事実からかなり離れた漫画の中のセリフ。
「四班は腕章を持たない、死斑の逮捕活動に生け捕りは無い」という言葉は、双葉学園生徒の間で都市伝説の如く語られている。
 実際には出動任務の大半を不殺傷逮捕が占めるSAT同様に慧海も四班の連中もインシュロック型の樹脂製手錠を何本かポケットに入れていて、時には捕縛も行う。
 ただ、電工や内装の人間が使う結束《インシュロック》バンドとは素材も構造も別物の使い捨て拘束具は、ヘタに抵抗したり拘束したまま放っといたりすると手首から先の血流が止まって手に障害が残ったり、時に腐り落ちたりするので、捕獲対象を縛り付けるより自分自身が負傷したときに止血に使うことのほうが多い。
 どっちにしても死斑が生きたまま捕縛したラルヴァや異能者は多くの場合、拘束などせずとも抵抗力を失くしていて、縛る手足が残っていないこともしばしばある。
 鬼の七機と呼ばれる風紀委員会機動七班の飯綱百はといえば、やはり風紀委員の赤い腕章を着用しないことが多い。
 最良の都市迷彩服である濃灰色の忍び装束に赤い腕章は邪魔だし、機動七班が出動する時は大概、腕章による威嚇でコトが済む段階を超えている。
 百は異能犯罪者やラルヴァを捕縛するためにどこの建材屋でも売っている"番線"と呼ばれる鋼の針金を一巻き持っていて、必要に応じて切って使う。
 建築作業員や舞台職人がよく使う番線は慣れれば工具を使わず手でクルクルと捻って切り取ることが出来るし、縛られれば人力では到底切れない。
 慧海も一度この番線での拘束を百が教導を務めた捕縛術の訓練で経験したことがあったが、大概の手錠をこじ開けることが出来る慧海も、この鋼線から脱するには両手を切り取るしかないと思った。
 以前、都内でラルヴァに対する性犯罪を起こし、番線で両手首を拘束された生徒が命と引き換えとばかりに身体強化の異能を使い、力任せに番線を千切って脱走しようとしたことがあったが、彼は手首の骨と骨の隙間、軟骨に食い込ませて縛った番線によって手首動脈を両手首ごと切断された。
 性犯罪者は一巻き八百円くらいの鋼番線を相手に命を賭けた割りに賭けの払い戻しを一銭も受けられないという何ともお粗末な様を晒した。
 風紀委員会第十班に所属する破獄の天才、白鳥結栄《しらとり ゆえ》は厳重に縛られた両手首をしばらくカシャカシャと擦り合わせた後、魔法のように番線を解いてしまった。
 どうやったのかを聞いても寡黙な白鳥結栄は「内緒」としか答えない。

 腕章の無い風紀委員、各々がバラバラの服装をした「どうみても捕まった側」な捕獲者達は、棄てられた街でスパイラル・ラルヴァを迎え撃った。

「アロー、アロー、目の無いラルヴァ、こっちを見な」

 死斑の呼び名で恐れられる風紀委員第四班の班員、高等部二年O組の耶麻華詞《やまかし》、浅黒い肌の小柄な少女、細面の顔にアーモンドのような大きい瞳、幼い顔を誤魔化すように髪は幾筋ものドレッドヘアが渦巻いている。
 現在パリで若者ファッションの最先端と言われ、高等学校《リセ》の女のコや雑誌記者連中が挙って追っかけているアルジェリアやベトナムの移民系少女を思わせる姿の二年生。
 耶麻華詞は骨伝導カナルの無線機を起動させ、通常の風紀委員には緊急を要する時以外禁じられている風紀委員長山口・デリンジャー・慧海との直接通信ラインを開いた。

「四班《しはん》の耶麻華詞《やまかし》だ、山口っちゃんスピラレ・ラルヴァが来た、これから二人舞踊《パ・ド・ドゥ》を始めるぞ」

 一年生と二年生、風紀委員長と平委員だが、今更口調を気にする間柄じゃない、四班の連中は慧海さえヒヨっ子扱いするし、慧海もまた同じ部隊なら佐官と曹がファーストネームで呼び合うことも多い海兵隊の出身。

 「喜べ耶麻華詞、今日はリミット解除だ、どのビルも登り放題だぞ、そのまま死斑の縄張りを引きずり回してやれ…出来るか?」

 耶麻華詞は風紀委員長からの指令に口笛で応えながら、黄色いコットンジャケットの左袖に縫い込まれた初音ミク風のキーボードを叩いた。

「超人《ヤマカシ》に不可能はないよ、んじゃ、開始《アレー》!」

 言葉の端々にインチキっぽいフランス語が入るが、実は彼女はフランスに行ったことは一度も無く、選択で取っているフランス語の成績も褒められたものではない。
 耶麻華詞がジャージの上に着ているのは黄色い上着、彼女が普段から制服のブレザー替わりに着ているジャケット型スピーカープレイヤー。
 2テラバイトの有機HDDと25Wのスピーカーを内臓したジャケット、軽さはヒートテックジャケット程度で丸洗いも出来る。
 この十年でメモリ容量とリアルタイムダウンロード、あとは少々の軽量化くらいしか進化しなかった首から下げるデジタルプレイヤーほど人気はないが、このジャケット型プレイヤーはビッグスクーター乗りや街中でデカい音を鳴らしたいバカに好まれている。
 有機マテリアル技術の恩恵で葉書より薄くなったスピーカーから、フレンチ・ユーロビートの歌姫ミレーヌ・ファルメールのヴォーカルが響き渡った。

 パリやNYでパルクールやフリーランニングと呼ばれる、都市部において自らの肉体で障害物を乗り越え移動するエクストリーム・スポーツが存在する。
 耶麻華詞はこの学園に来るより前、公園の遊具や走行中の車、陸橋や高層ビルを登り超え走り回る傍迷惑なパフォーマンスを都内の高層建築群で行うパルクールの娘だった。
 半壊したビルの隙間でスパイラル・ラルヴァに追われた耶麻華詞はジャケットのスピーカーからファルメールの艶かしいヴォーカルを響かせながらビル壁をスルスルっと昇り、隣のアンテナ鉄塔に飛び移る。
 "フリーランニング" "パルクール"のワードで動画サイトを検索すると見られる、自らの肉体と精神を極限まで発達させた、現代社会に実在する超人の動き。
 黄色いジャケットを翻し、高層建築の狭間を自在に跳ねるドレッドヘアの少女は。飛行能力を有したラルヴァに何一つ劣らぬ動きで逃げ、追い、翻弄する。
 彼女の異能は「吸着《ファンデルワース》」
 肌があらゆる物に張り付き、体のどこかが触れられればどんな壁でも登れる。
 垂直のビル壁やオーバーハングを走り、転がり、跳ね回る吸着異能《ファンデルワース》もパルクールの超人達の間ではちょっと物珍しい技のひとつに過ぎない。
 吸着《ファンデルワース》の異能は素肌で触れると吸着力は強くなるが皮脂で滑りやすくなる。
 布一枚挟んだほうが吸着と摩擦のバランスが取りやすいため、耶麻華詞は普段から制服スカートの下に黒いスパッツを履き、薄い超耐熱繊維《ノーメックス》の手袋を着けている。
 制服のブレザーや風紀委員出動服の作業着よりも薄く丈夫な校則違反のスピーカープレイヤー・ジャケットもまた必然の装備。
 音楽が無いパルクールはパルクールじゃない。

 今より少し前、彼女の所属していたパルクールチームの仲間が池袋にまだ居るカラードギャング達に暴行、殺害される事件が起きた。
 単独で彼らを探し出し、殺害を指示した奴と実行犯を吸着異能で自分の体に貼り付けたままパルクールを行った耶麻華詞は、ギャング達にこの世で味わいうる最大の恐怖を堪能して貰った後に吸着異能を解除し、数人の男を赤くて水っぽいアスファルトの煎餅にしてやった。
 普通なら未成年更正施設に収容されて然るべき事態だったが、彼女に異能があったばかりに双葉学園とかいう鑑別所とは毛色の違った場所にブチこまれた。
 鼠を取る猫はいい猫、たとえ人を喰う山猫であっても。
 報告書を読んでスカウトを決めた慧海に騙されて双葉学園に編入し、風紀委員会に入った耶麻華詞は今の情況を割と気に入っているらしい。
 パルクールが実戦で使える風紀委員の仕事につくことでスキルを磨き、校則に反するが密かに現金換金も行われている学食購買部限定マネーと非公式な仕事で秘密裏に払われる報酬を手っ取り早く稼ぎ、パルクールの本場であるパリに殴りこむ費用を貯めるのが当面の夢、それから後のことは考えていない。
 登り、飛び、自由に駆け回る、手を滑らせ落ちた後のことをいちいち考えるのはパルクールの超人にはふさわしくない。
 ファンデルワースの異能でアシストしながら高層建築物の間を三次元的に移動し、三体のラルヴァと共に飛び回った耶麻華詞《やまかし》は、慧海が四班の超人《ヤマカシ》に託した任務、三体を同じエリアに誘導するという役目を終えた。

「オーヴォワール、スピラレ・ラルヴァ、おい、暴投野郎《ワイルド・シング》、パスだ」

 スパイラル・ラルヴァは耶麻華詞のナワバリと隣接した別委員の警戒地域、二つのエリアが重なる重複地帯に入った。
 ひとつの区域を二人一組で担当する通常の戦闘形式《フォーメーション》を四班は今回、採用していない。
 ゴーストタウンに近い東双葉町全域を担当するには人が足りなかったし、死斑の風紀委員は目についた者すべてを攻撃する絶対攻撃領域が広すぎて、仲間を食い殺す可能性もある。
 耶麻華詞の隣を担当しているのは、風紀委員第四班の新人、目地屋理伊《めじや りい》。

「ピッチャーびびってる~!かっとばっせ~!なっかむら!」

 関西出身の平成野球娘、ちんちくりんのおかっぱ頭、赤みが差した両頬がチャームポイントの風紀委員。
 異能を宿した野球ボールを掌から出す、慧海の無限弾丸能力の亜種のような能力を持った一年O組の風紀委員は、ブルペンの控え選手のように素振りでウォーミングアップをしながらラルヴァを待ち構えていた。
 目地屋理伊《めじやりい》は風紀委員として出動する時、いつも野球のユニフォーム姿で、最強の助っ人タフィ・ローズのサイン入り木製バットをぶんぶん振り回している。
 着ているのはもちろん、関西の野球キチの誇り。
 近鉄バファローズの赤白ユニフォーム。
 彼女にとって中村記洋は近鉄の打者、ドジャース?楽天?何それ?
 目地屋理伊の夢は、人間とラルヴァを交えたドリームチームで猛牛球団を再興すること、ラルヴァとの戦いはスカウト活動の一環。
 子供の頃の彼女は野球ばかりしていたという、中学まで本土の学校に通っている間も野球をしていた、双葉学園の調査班《リクルーター》によって異能が認められ、双葉学園への受験資格を得た時も、入学を決めたのは自らの異能研鑽や学費の安さではなく野球が強かったから。
 慧海はいつか彼女に、この学園を卒業した後、たとえば十年後の自分がどうしていると思うか聞いたことがある。
 目地屋理伊はほんの少し考えた後で一言。
「野球」
 きっとこの少女はいつか死んで地獄に落とされ、閻魔大王にお前は生きている間に何をしてたのかと問われたなら、迷わず「野球」と答えるんだろう。
 右の掌から硬式野球の革ボールを発現させた目地屋理伊は、ボールを投げ上げた右手を左手で握っていたバットに沿え、スパイラル・ラルヴァに異能のノックを食らわせた。
 手で投げるだけでも異能は発動するが、彼女は異能者であると同時に双葉学園にいくつかある野球部の助っ人強打者でもある。
 投げるほうでも百四十キロを超える球速を出せるが、危険球《ビーンボール》常習のため抑え投手よりも代打のほうで活躍している。
 それに、相手が誰だろうと験《ため》してみるならノックのほうがいい。
 どんなに偉ぶった奴も鼻っ柱の強い奴も、千本ノックの守備をやらせればその本質が見える。
 傷つき泥にまみれボールに殴られ限界の淵に立った時、立ち向かうか、逃げるか。
 直撃とクッションボール、ワンバウンドを巧みに組み合わせた異能の打球を次々と喰らった三体のラルヴァはひとまとめにされ、周囲を廃ビルの壁に囲まれた一角に追いつめられた。
 都市計画の不完全な市街にありがちな行き止まりの路地、三方を囲った廃ビルの壁には窓は無い。
 治安の悪い街で犯罪の舞台に誂えたような都会の密室は、本質的にそういう場の住人とさして変わらぬ連中の仕事場となった。
 いくつもの白いボールが囲いの中を縦横に跳ねる。
 革の硬球が持つ攻撃力は限られているが、風紀委員、特に四班の連中は自分の攻撃力を増幅し、相手のそれを減力する術を心得ていた。
 少なくとも強力な異能のオマケみたいな異能者は四班に居ない。
 銃のデカさなど兵士の戦力を決定する要素の内のほんの一つまみ、実戦の技量が足りない奴ほど武器を自慢する。
 撃ったり撃たれる以前に捕捉された時点で勝負の大半が決まるのは白兵戦や空中戦。
 異能は人間や機械より探知し易く、各能力者の個人能力への依存度が強い異能戦闘では、発見特定された時点でその戦力はほぼ壊滅する。
 根源力探知機は電子生徒手帳にすら付いているし、学園や異能者組織、あるいは政府機関にある据付型の根源力レーダーは誤魔化せない。
 四班の風紀委員は、誰一人味方が居ない場所で周囲をウロウロしている敵が持つ根源力探知機を反応させることなく仕事を終わらせなくてはいけない情況に慣れていた。
 慧海が学園の内外から引き抜いてきた死斑の連中の殆どは双葉学園の風紀委員として学園から公式に僅かばかりの謝礼を、非公式にある程度の報酬を貰うようになる以前は独立した異能者として稼げる所で稼いでいた。
 目地屋理伊もまた数ヶ月前まではラルヴァが集まり密かに暮らしていたとある地方の廃村に居座ってラルヴァに野球を教え、試合の邪魔をするラルヴァや異能者にはノックやバッティングを食らわせ、時にラルヴァ同士の喧嘩で腕貸しをしていた。
 三体のラルヴァが千本ノックの打球でボコられてパンチドランカー状態になった頃、野球少女の目地屋理伊も自分の仕事を終える。
 このラルヴァの独楽のお化けみたいな姿はバットを握るには不向きだし、第一こんな腰抜けじゃ野手には到底使えないだろう。
 目地屋理伊は抑えを同じ四班の三年生に任せた。
 もっとヘタレなラルヴァや異能者なら目地屋理伊はバットを持って襲いかかることにしている、彼女は野球選手の魂であるバットやボールを平気で武器に使う。
 打ち、投げるだけでなく乱闘もまた野球選手《リーガー》の華。

「スリーストライク、バッターアウト!ここで攻撃はチェーンジ!」

 目地屋理伊がマウンドを降りた後、三方を壁に囲まれた行き止まりに長身細身の女性がやってきた。
 ツイード生地のパンツスーツに白衣姿、理系大学の万年助手みたいな姿の風紀委員は三年O組の幕賀伊庭《まくがいば》。
 服装に似合わぬ敏捷な動き、科学と物理、工学、そして異能科学に類い稀なセンスを持つが、その知識の実戦応用に関しても一級品の彼女、高校生というにはちょっと老けてる。
 幕賀伊庭《まくがいば》は高等部の三年O組に在籍していながら最低限の必修科目しか選択せず、余った時間の大半を大学部の研究室に入り浸っていた。
 異能とラルヴァへの好奇心に飢えていた彼女は既に大学部の教授から進学の内定を取り付け、一般の学科より規模も市場も零細な異能学問の研究職として生きることを決めている。
 異能の学徒、幕賀伊庭は研究の各所で機密や秘匿の壁にぶち当たり、歪曲や隠蔽の多い報告書や論文を読まされるより異能とラルヴァが活動する最前線で実際に自分の目と体で知ることを選び、慧海の風紀委員勧誘に応じた。
 彼女はラルヴァや異能者と対峙する時、長台詞の薀蓄を垂れながら戦闘をするという悪いクセがあった。
 そこに惚れこんで死斑と呼ばれる特殊戦専従風紀委員班に招きいれたのは、悪い癖の塊である慧海。

「スパイラルラルヴァ…無機ラルヴァの一種で、その欠点は、効率的な動きをする反面、思考の柔軟性、障害物の排障能力に劣っていること」

 慧海がさんざん苦労して英文を邦訳したスパイラル・ラルヴァの報告書を先ほど原文で読んでいた彼女は、既に自分が知っていた情報と複合させ、独自のスパイラル・ラルヴァ研究レポートを脳内で完成させていた。
 幕賀伊庭の仕事はあっさりと終わる、校舎の袋小路に追い詰めたラルヴァの前で白衣のポケットから出したガムテープをベリっと剥がし、テープの接着面を指先でひと撫でした後、周辺に落ちていたコンクリート片や捨て看板、廃材をガムテープで貼りあわせて瓦礫のバリケードを構築した。
 彼女の異能は「ボンド」
 指先からあらゆる物を接着する液体を出す、一部の昆虫ラルヴァが有している能力に似た性質の異能。
 名前はちょっと恥ずかしいが、その名称をつけた異能研究者は木工ボンドが大好きな木工ボンド部の人間で、木工、鉄工、製本、フィギュアの外れやすい腕や足の補強など、あらゆる情況に置いて完全無欠なる接着力を発揮する木工ボンドを信奉していた。
 そして彼女自身もその名前が嫌いではないらしい。
 幕賀伊庭の指先から発射される液体は木工ボンドと同じく低白濁タイプや速乾、瞬間接着、ニオイを抑えた物まであらゆる種類の接着液を出すことが可能。
 異能応用の一環として粘性の高いボンドを細線状に発射してラルヴァや異能者を蜘蛛の糸のように絡め取ることもできる。
 ボンドは万能。
 幕賀伊庭が接着異能《ボンド》の媒介に使うためによく持ち歩いているガムテープによって、コンクリの瓦礫はアンカーボルトを打ち込まれたように強固な結合をした。
 ロータスのスポーツカーがアルミシャーシの組立につかうエポキシ接着剤や板金用ホットボンドに匹敵する接着力が瞬時に構成される。
 ボンドの異能で閉所に押し込められたスパイラル・ラルヴァは四方を囲った壁に向かってレーザーっぽい光礫を撃っていたが、やがて自身の撃った攻撃が跳ね返り、頭頂部の急所に食らった。
 相手の火力をそのまま使う、単純すぎる彼女の戦法はコンクリの囲いをスカッシュ球のように跳ね回る目地屋理伊の野球ボールを見ていて即興で思いついた。
 幕賀伊庭はいつもその場のアドリブで攻撃、制圧方法を決定する、この柔軟性の高さが研究室の主ではなく、実戦の最前線での活動を可能としている。
 彼女は慧海に四班へと引き抜かれるより前には諜報十班の班員として数多くのミッション・インポッシブルを成功させていた。
 函破りの天才である白鳥結栄と木工ボンドの幕賀伊庭、十班の二匹の貂に奪い取れぬものはないと言われ、班違いになった今でもしばしばチームを組む。
 幕賀伊庭が実験槽のマウスを観察するような冷淡な表情で見つめる中、コンクリートの箱で動き回る二体のスパイラル・ラルヴァがアウンゴールの同士討ちで自壊した。
 二体の破片を踏み台にして残る一体のラルヴァが囲みから脱したのを見ても、異能研究者幕賀伊庭の表情は変わらない。
 機動迎撃要員として四班のサポートをすべく、背後から飯綱百が駆けつけてきていることを幕賀伊庭は知っていた。
 背中に目がついてない奴は死斑で生き残ることは出来ない。
 各々の得意分野に合わせた分担は決まっている、幕賀伊庭が白衣を翻して振り向き、当たり前のようにそこに居た百に目線だけでトドメを刺すことを指示すると、灰色の忍びは頷いた。
 他のスパイラル・ラルヴァよりなんだか動きのいい一体を相手に、飯綱百は廃墟の中を駆け回る。

「モモンヌ~、壁昇りは三点《トロワ》支持が基本だ~」

「百さ~ん、相手のストライクゾーンをよく読んで、さっさとブツケて退場させちゃえ~」

「ボンドいる?」

 お気楽な観戦者となった死斑の面々は好き勝手な野次を飛ばす、見る者皆が評論家気取りになる街角モニターのワールドカップや辻将棋みたいな状態。

「みんな手伝ってくださいよ~!」

 悲鳴を上げながらも百はしっかりと攻撃位置を確保し、左右両手利きの腕を活かした百は棒手裏剣ニ連射でラルヴァの頭頂部を撃ち取る。
 コンクリの囲みから脱けられたとはいえ、スパイラル・ラルヴァは四班に広く包囲されていた。
 半ばゴーストタウンと化した東双葉町全体が侵入ラルヴァを闇に葬るブラックホールと化している。
 死斑の獄に囚えられたラルヴァを討つのは、班を超えた協力関係にある機動七班の飯綱百。

 様々な宣伝文句で煽られている四班の班員は取り立てて危険な感じも凶悪な雰囲気も無い、普通の女のコ達。
 男の班員も居たが、稼げるウデのある奴だったのでさっさと国家管理下の学園から民間の異能機関に移ってしまい、たまにヘルプで来るだけ。
 第四班が他の風紀委員とちょっと違うのは、その任務の特殊性くらいのもの。
 傭兵の世界では、初めて人を殺すことを童貞を失うというらしい。
 その意味では現在のところ四班に処女は居ない。
 ただ、その言葉の本来の意味では逆になるようだ。
 慧海の知ってる範囲では風紀委員になると男にモテたりとかそういうのとは少々縁遠くなる。
 殺しの経験が死斑の必須という訳でもないが、同じ毛色の人間が自然と集まってきた。

 彼女達は、風紀委員会が保有する致死的攻撃力の最先鋭。
 何者も逃れられない死の手。

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最終更新:2010年02月24日 21:39
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