【人外戦線/『花宴の件姫』後編】



 五


 花宴は自室で茶を飲んでいた。部屋の外には屈強な護衛が数人おり、彼は何の心配もせず、ゆったりとした時間を過ごしている。
 花宴の一族は江戸の時代は商人であったが、明治維新から戦前にかけて闇の商売に手を染め、莫大な資産を手に入れていた。そして戦後の混沌とした時代にさらに怪しげな商売に手を染めていた。だがそれも昔の話で、花宴財閥の三代目である花宴恭一郎の時にはすでに没落状態であった。このままでは多額の負債を抱え、花宴は消滅するところであった。
 だがその時に花宴は先代たちが出会ったと言う“件”の文献を屋敷の蔵で発見したのであった。
 そうして花宴は件探しに躍起になり、ようやくN県に件の子供がいると聞き、それを引き取った。件の子供を座敷牢に閉じ込めて、予言と予知をさせ、花宴は昔と同じような財力を取り戻していったのである。
(あの“件”を手放すわけにはいかない。あれを失えば、私はまた――)
 花宴は自分に先代たちのような才能も運も無いと自覚していた。それゆえに彼は誇りを持たず、化物《ラルヴァ》の力を借りてまで花宴の家を護り続けてきたのだ。
 件を手に入れて以来彼はラルヴァに魅せられ、ラルヴァ信仰団体“|聖痕《スティグマ》”のスポンサーにつき、飛頭蛮の殺し屋である李玲を派遣してもらい、それを私兵として招き入れていた。
 漠然とした不安を押し殺そうと花宴は湯呑に口をつけ、熱いお茶を飲んでいく。すると、
「うわあああああ!」
 突然部屋の外から悲鳴が聞こえ、思わず噴き出してしまった。
「何事だ!」
 花宴は立ち上がり顔をこわばらせる。部屋の外では怒声と銃音や、破壊音が続けざまに聞こえてくる。
「てめえ! どうやってあそこから!」
「うああ! 化物め!」
 そんな護衛たちの声が響き、突然自室の扉がめりめりと音を立てて破壊される。扉は頑丈な木製の扉だったのだが、吹き飛ばされた護衛の身体ごと、扉は突き破られた。
「な、なんだと……!」
 開かれた扉へと視線を向けると、そこには気絶しているのかぴくりとも動かずに倒れこんでいる護衛たちの姿があった。そして二つの人影が部屋へと足を踏み入れてくる。
「よお花宴のじじい。まさか今のさっきで脱出してくるとは思わなっただろ」
「…………」
 そこには座敷牢にいるはずの晃と、そしてその隣には件である澪がこちらを睨んでいた。澪は晃の影に隠れ、憐れむような視線を花宴に向ける。
「く、クソガキめ。私の“件”を返せ!」
 花宴は憎悪をこめた目で二人を睨み返した。高齢にも関わらず、未だに執着心は一切衰えてはいないようである。
「澪はお前の物なんかじゃねえよ。連れて帰させてもらうぜ」
「許さん。そんなことは許さんぞ!」
 花宴はばっと部屋に飾ってあった日本刀を手に取り、その鞘を抜き、煌めく刀身を剥き出しにして晃にその切っ先を向ける。だが晃は澪を後ろに追いやるも、まったく動じてはいないようである。
「なんだよじじい。やる気か?」
「殺す殺してやるぞ小僧……」
 晃は花宴を挑発し、花宴は護衛を失ったため、意を決したように刀を構える。それを見て晃の後ろにいた澪が突然叫び始めた。
「あ、ああ! 駄目お兄ちゃん! また“視えた”の。お兄ちゃんが刀で刺される姿が!」
 その言葉を聞いた花宴は狂気の笑みを浮かべる。
(殺せる!)
 件の予言は絶対だ。澪が晃の刺される姿を視たというのならば、それは実際に起きることだ。つまり自分は晃を殺せる。そう花宴は確信した。
「うおおおおおおおお!」
 花宴は刀の切っ先を晃の腹部目がけて突き出す。晃は避けることもせず、そのまま肩は晃の腹部を貫通していく。肉を貫いていく感触が花宴の手に伝わり、確かな手ごたえを感じていた。後ろから澪の甲高い悲鳴が聞こえてくる。
「はははは。間抜けめ。死ね、死ね!」
 花宴は死にゆくであろう晃の顔を見ようと、顔をあげる。だが、その晃の顔を見て、その顔に違和感を覚えた。
 そう、その晃の顔にはさきほど杖で叩かれたときの傷が消えていたのである。
 どこにも痣なんてない、綺麗な肌がそこにあるだけだ。
(な、なんだと……!?)
 花宴は刀を突き刺していても晃は平然とした顔をしている。まるで刀で刺されても死なないとでも言いたげな顔をしていた。
「こ、この化物めえええ!」
「そうだよ。俺は化物だ」
 晃はそう冷たく言い放ち、全力のキックを花宴の顔面にクリーンヒットさせる。花宴は刀から手を離し、壁の方まで飛んでいき、がっくりと気絶してしまった。


   ◆


 倒れた花宴を見下ろし、晃は彼が気絶したことを確認する。
 振り返ると澪が涙を浮かべ、震えながら晃の方を驚いたように見ている。晃は腹部に刀が刺さったまま、澪のもとへと歩いていく。
「お兄ちゃん……だ、大丈夫なの?」
「ああ、全然平気だぜ。ところで澪、この刀引き抜いてくれよ。生憎俺の腕はこんなだからな」
「う、うん。わかった」
 澪は怯えながら晃に突き刺さっている刀に手をかける。筋肉に掴まれているかのように硬く突き刺さっていたが、全体重をかけてようやく無理矢理引っこ抜くことができた。刀を抜いた瞬間血が溢れ出てくるのではないかと思ったが、そんなことはなく、少しだけ流血したがそれよりもっと驚くべき光景を澪は目の当たりにした。
「うそ……!」
 刀で開いたはずの晃の傷が、みるみるうちに治っていくのを澪は見た。まるで逆再生しているかのように傷口が閉じ、肉も皮膚も元通りになっていく。最後にはジャージに穴があいているだけで、そこにはツルツルとした晃の肌が見えているだけになっている。
「これが俺の化物としての、両面族としての“能力”だ。これでわかったろ。俺は不死身の身体を持っている。どれだけ俺が刀で刺されるだの斧で斬られるだのと予言してもそれは俺の死に繋がるわけじゃねえ」
 晃はそう説明するが、まだ澪は口をぱくぱくさせて驚いている。
「そ、それならそうって言ってよお兄ちゃん! し、心配したんだから。すっごく心配したんだからね!」
 澪は怒ったように顔を真っ赤にさせ、晃の胸をぽかぽかと叩く。目にはまだ涙が浮かんでおり、晃は澪が心の底から心配していたのだと理解し、肩をすくめた。
「悪かったよ澪。それよりこの部屋のどっかに俺の腕があるんだろ。ちょっと探してくれないか。さすがに手がないと引き出しも開けれやしねえ」
「もう、お兄ちゃんなんか知らない」
 澪はぷいっとそっぽを向いてしまったが、仕方なく部屋の中の引き出しを片っ端から開いていく。すると、箱に入っている晃の両腕を見つけ出した。
「腕あったけど……。お兄ちゃん、これをどうするの?」
「いいから、その腕をこっちの断面とつけ合わせてくれ」
 澪は言われるままにその腕を晃の両腕にくっつける。すると、驚くことにその切り離された腕もまた、腹部の傷のように再生していくのであった。数十秒後、切り離されていた腕は完全に結合され、傷口も消えてしまい、まるで最初から腕なんて落とされていないかのように平然とくっついてしまった。
「すごい……」
「言ったろ。俺は不死身なんだよ」
 晃は手を何度か繰り返し握ったり開いたりして筋肉と神経の調子を確かめる。どうやら万全のようで、強く拳を握りしめ、澪のほうを向き直った。
「さて、逃げるぞ」
「うん!」
 そう二人は頷きあうと、廊下の方から他の護衛たちが駆けてくる音が聞こえてきた。
「当主! 大丈夫ですか!」
「全員集まれ、件と賊が逃げ出したぞ!」
 彼らはもうこの部屋の近くまで来ているようである。晃はひょいと澪を抱きあげ、お姫様だっこをして窓から外へ飛び出した。



   ◆



 花宴専属の殺し屋である飛頭蛮の李玲は屋敷の人間たちと共に主の自室へと向かった。だが、部屋に辿りつくと花宴の部屋を護衛していた男たちが全員そこに倒れているを見つける。
(どうやらさっきの両面族の小僧と“件”が逃亡したようだな……)
 部屋の中へ入ると花宴もまた気絶しており、部屋の中が物色された後があった。窓を見つめるとそこは開いており、外を覗くと二つの足跡があるのが見える。
「おいお前ら。おそらく賊は外へ逃げた。後を追え! あたしは主を手当てする!」
 李玲は他の連中にそう命令し、花宴の部下や護衛をけしかける。中には李玲の言葉に従うことに嫌な顔をするものもいたが、それでも全員この場から離れていった。
 李玲は斧を構え、気絶している花宴を見下ろす。
「悪名高き花宴も、“件”がいなければ惨めなものだな……」
 花宴の身体に跨り、李玲は斧を振り上げ、花宴の首筋を睨みつける。
「あんたはもう終わりだろう花宴の旦那。“件”がいなければ財閥もすぐに廃れてしまう。そうすればあたしはあんたに仕える理由がなくなる……」
 李玲は憎々しく花宴を睨み続ける。知らず知らず斧を握る手に力が入る。
 飛頭蛮は非常に弱く、何人もの同胞が人間の手によって滅ばされてきた。それに立ち向かうために飛頭蛮の一族は殺人技能を高めて生き延びてきた。だがそれすらも人間に利用され、殺し屋として裏の世界を生きることになった。
 その飛頭蛮の中でも李玲は最強と呼ばれる存在であったが、このような老人の私兵になるしかない自分の境遇を呪っていた。
(いま、こいつを殺せばあたしは自由になれるのか……?)
 花宴を殺し、ここから離れた先に自分の居場所はあるのだろうか。東京には自分のような化物を狩りながらも、保護する機関があるということは知っている。だが、数え切れないほどに人を綾めてきた自分が、今さらそんなところで暮らせるわけがない。
「あたしたち飛頭蛮は両面族とは違う。人間なんかと一緒に生きていくなんて御免だ。あたしは、あたしは!」
 断ち切るのだ。
 人間に飼われ、利用されることはもうない。
 今日から自分は自由に生きるのだ。
 李玲はそう念じながら斧を思い切り振り下ろした。
「―――ふふっ」
 だがその斧は花宴の首の横に振り下ろされ、床に刃先が食い込んでいた。
「旦那。あたしは両面族とは違う。化物として、誇りを持ってあんたから離れる。だからあんたは生かしておいてやる」
 李玲は床に突き刺さっている斧を引っこ抜いた。
「だけど、あの小僧との決着はつけねばならないだろう……あたしは、化物としての誇りを取り戻すんだ」
 李玲はそう呟き、斧を引きずりながら部屋から出ていった。


 六


「うおおおおおおお!」
 晃の拳は護衛である黒服の男の顎を砕く。男は大きく吹き飛び池に落ちていく。晃は後方から責めてくる大勢の黒服たちを、澪を庇いながら同じように殴り、蹴り、吹き飛ばしていく。
 晃は屋敷内の庭園を駆け抜ける。周りには屋敷中の人間が銃や刀を構えて襲いかかってくる。晃は自らが率先して盾になり、澪に刃が向かないようにしていた。
(俺一人がどれだけ攻撃を受けてもいいが、澪に怪我をさせるわけにはいかねえ)
 屋敷の出口に向かおうとするが、次々と黒服たちは襲いかかってきた。
「死ね化物が!」
 この人数相手ではちょっとした隙が命とりになる。黒服の一人が晃の脇腹に刀を突き刺した。それに続いて数人の黒服たちも晃に刃を突き刺していく。晃は血を吐きながらもなんとかそれを耐える。
 だが不死身の身体を持つ晃には、命とりは命とりではないのだ。
「くそ、人間共め……!」
 晃は両面族としてのポテンシャルを完全に解放し、技術もなにもない、ただ純粋な暴力で黒服たちをねじ伏せていく。骨を砕き、肉を裂き、圧倒的な怪物としての力を黒服たちに見せつけていく。晃が腕を振るうだけで男たちは宙を舞い、晃が蹴りを身体に入れれば肉体は破壊される。
 晃の傍には澪がいるため、黒服たちは銃を使えないのも晃にとっては有利であった。さすがに脳や心臓を撃ち抜かれたら再生はできないであろう。
 無力な澪は、晃に突き刺さっていく刀やナイフを引っこ抜いていくことくらいしか出来なかった。晃でなければもう二桁は死んでいる。
「お、お兄ちゃん大丈夫!?」
「平気……とは言えなくなってきたな。さすがに再生力が落ちてきた」
 晃は身体に突き刺さる刀を抜き去りながらそう呟く。確かに傷の治りが追い付いておらず、あちこちから噴水のように血が溢れている。
 屋敷の方へ目を向けると、まだ十数人も黒服たちは残っている。彼らも手に刀やナイフを手に持ちこちらに向かってきていた。
(さて、後何回攻撃に耐えられるかねえ……)
 人間を超えた体力を持っていても、どうやら晃の体力もそろそろ限界が近づいてきているようだ。これ以上澪を庇って戦うのは難しいであろう。
「おい澪。走って逃げろ。俺が食い止める」
「何言ってるのお兄ちゃん。そんなのダメだよ!」
 澪は泣きながら晃の腕にしがみつき、離れようとはしなかった。
「バカ。このままじゃ二人とも死ぬぞ。お前は逃げるんだ」
「やだよ! お兄ちゃんは不死身なんでしょ! 死なないって言ったじゃない」
 澪は駄々っ子のように晃の腕に顔をうずめ、一歩も動こうとはしなかった。澪にとって、自分の人生で初めて優しくしてくれたのは晃であった。それまでは実の母親ですら彼女に触れようともしなかったのだから。
(しかたねえな。だけどどうする……)
 晃は真っ直ぐに向かってくる黒服たちを睨みつける。
 だが、その黒服たちの一番後ろに、一人だけ異質な存在こちらに歩いてくるのが見えた。
 それは少女、戦斧を引きずりながら、マフラーを巻いた少女がやってきていたのであった。
「あいつは……!」
 少女が斧をぶんっと振るった瞬間、その場にいた総ての黒服たちの首が宙を舞った。
 それはまるで映画でも見ているかのような光景である。男たち首が夜空に舞っていき、血の雨が庭園の地面を濡らしていく。そしてやがてボトボトボトと男たちの首が音を立てて落ちてくる。その男たちの眼は、恨めしそうに少女に向けられていた。
 だが彼女は現実感を薄れさせるように、惨状の中を笑いながら歩いてくる。
「飛頭蛮……」
「李玲だ」
「は?」
 晃は突然自分の名を名乗った飛頭蛮の少女――李玲を不審な目で見つめる。彼女の眼は濁っているような澄んでいるような、よくわからない輝きを放っていた。李玲が何を考えているのかわからないが、なぜかその瞳からは迷いは感じられない。李玲は斧の切っ先を晃に向け、高らかに名乗りを上げた。
「あたしは飛頭蛮一族の末裔。断頭斧使いの李玲だ。名乗れ、両面族の戦鬼よ。決闘だ」
 その言葉を聞き、晃は一瞬唖然とするが、すぐに耐えきれなくなり大声で笑い始めた。その様子を李玲は不快そうな目で睨む。その不穏な空気を気にしてか、澪は晃の袖を引っ張った。
「駄目だよお兄ちゃん。笑うなんて……」
「いやいや、悪かった。くくく」
「何が可笑しい!」
「いや、今どきそんな馬鹿正直に名乗りを上げて決闘なんて言う奴なんて久しぶりに見たぜ」
「あたしだって普段はそんな風に名乗りはしないさ。だがこの戦いはあたしのケジメだ。そこの“件”が外の世界へ出るのなら、あたしだって自由にこの世界に生きていきたいと思ったのさ」
「だったら勝手にしろよ。俺たちも花宴も放っておいてとっとと逃げればいいだろ。誰もお前を縛るものなんてねーんだから」
「そういうわけにもいかない……」
 李玲はゆっくりと晃の方へと歩み寄ってくる。倒れている男たちの屍を踏み越えながら。血を浴び、真っ赤に染まっているその姿はさながら修羅のようである。
「これはあたし自身のケジメだ。あたしと似たお前を討ち倒し、外へ出ようとする“件”を滅ぼし、あたしはようやく自由になれる気がするんだ……もう、人間に縛られるのはやめだ」
 その言葉を聞き、ようやく晃は自身の顔から笑みを消す。澪を物影へと隠れるように促し、手加減用のグローブを脱ぎ棄てて李玲と対峙する。
「いいぜ。やろうぜ飛頭蛮。いや、李玲」
 晃は自分の後頭部に縛ってある髑髏の仮面を外し、自分の顔に被りなおした。骸骨の顔を正面に向けるその姿はまるで、本当に亡霊のようである。
「双葉学園の実践教訓その四。『無害であり意思の通じるラルヴァの生命は尊ぶべし。しかし人に害をなすラルヴァはその限りにあらず』――だ。お前が人殺しの糞野郎でよかったぜ。俺もお前に手加減も容赦もしなくてすむ」
 晃はぽきぽきと手の骨を鳴らし、拳を前に突き出して構える。
「 俺は両面族の戦士。不死の力を冠する“骸面《むくろめん》”の小録晃だ」
 両面族にとって、仮面は自己の精神面の安定だけではなく、その仮面は彼らの持つ特殊な力を現しているものである。狐面は狐火を操り、鬼面は鬼のような怪力を発揮すると言ったふうに。
 骸面とは両面族の中でも稀にしか存在しない特異的な能力を現す面である。
 まさに歩く屍のように、どのような攻撃を受けても死ぬことは無く、瞬時にその傷を回復させることができるという。
「不死の力か。どうやらはったりではなさそうだな……」
 李玲は晃の穴だらけの肉体を見ながらそう呟く。だがその顔には邪悪な笑みが浮かび、斧を構えなおしていた。
「どれだけ不死でも、首を刎ねてしまえばいいんだろう。ならばそれはあたしの得意分野だ」
「いいぜ。おもしれえ。殺し合いを始めようぜ!」
 晃は仮面越しに李玲を睨みつける。二人の間には張り詰めた空気が流れ、風が吹き、草木を揺らしている。
 そして、ししおどしの音が鳴り響いたその瞬間、李玲は爆ぜたようにその場から駆け始めた。
 李玲の動きは素早く、晃との距離を縮めていく。常人の動体視力ではまるで李玲が消えたかのように見えるだろう。李玲は腰を屈め、真っ直ぐに晃の方へと向かってきた。
 李玲は腕を振り、片手で斧を横に薙いだ。
 空気が切り裂かれる音。
 その斧の切っ先は晃の首もとを狙っていた。晃は持ち前の反射神経で上体だけを逸らし、紙一重でそれを避ける。いや、避けれてはいない。晃の首は骨まで切断され、噴水のように鮮血がほとばしる。
 だが、完全に首が切り離されていないのであれば、瞬時に再生が可能だった。李玲は振り回した斧の慣性に引かれ、少しだけバランスを崩す。
「甘いぜ」
 晃は繋がっていく首を気にしながら、右足のつま先を李玲の顎に向かって蹴りあげた。その蹴りは李玲に直撃するが、李玲は斧を持っていない方の手で晃の足を掴み上げ、斧で晃の足を切断する。片足を失った晃はそのまま地面に倒れこんでしまう。
「ぐ……!」
「お兄ちゃん!」
 澪は思わずそう叫ぶが、倒れ込んだ晃に止めを刺そうと李玲は斧を振り上げていた。
「終わりだ」
 斧が振り下ろされる瞬間、晃は身をよじりなんとか避けようとするが、斧は晃の脇腹にかすり、肉がそげる。
「ちょこまかと逃げるな!」
 這いまわる晃に苛立ったように李玲は叫ぶ。晃は地面に落ちた自分の足を手に取り、すぐに足にくっつける。だがその間に李玲はまた晃に斧を叩きつける。
「畜生!」
 なんとか腕で防御し直撃を避けるが、今度は腕が吹き飛んでしまうだけであった。
(くそ、得物がある分向こうが有利か……)
 晃は切り落とされた左腕を掴み、李玲に向かってぶん投げる。李玲は思わずそれを反射的に叩き落とす。だがその瞬間を見逃さずに、晃は李玲に向かって全力で駆けだす。
「うおおおおおおおお!」
 晃は李玲の両足の膝を踏みつけ、完全に折り、その足の骨が皮膚を突き破り剥き出しになってしまう。李玲は苦痛に顔を歪ませていた。
 晃はそのまま地面を蹴り、全力の飛び蹴りを李玲の身体にぶち込んだ。小柄な李玲の身体は、玩具のように吹き飛び、何度も地面をバウンドして庭園にある大きな岩へとぶつかった。
「はぁ……はぁ……」
 晃それを見つめ、落ちた腕拾い上げて再び繋ぎ合わせる。
 岩にぶつかった李玲はぐったりとしていた。晃はゆっくりとした歩調で、李玲のもとへ歩み寄っていく。両足を砕かれた李玲はもう戦いに復帰は不可能であろう。ヒトウバンには晃のような再生能力はない。これで勝負は決した。
「やったか……?」
 晃がそう呟き、李玲を見下ろす。すると李玲は目を開き、晃を睨みつけた。
「“やった”だと……? あたしはまだ死んではいないぞ両面族の戦鬼よ」
「何言ってんだ。お前もう立つことも出来ねえだろ」
 晃はぐちゃぐちゃに潰れた李玲の足を見る。だが、それでも李玲は不気味に笑っていた。
「くくくく。甘い。甘いな両面族の戦鬼よ。人間に飼われてぬるま湯につかっていて戦いの掟を忘れたのか」
 李玲は笑いながら、自分の首を巻いていた。マフラーをほどいていく。
「お前が言ったんだぞ『殺し合いを始めよう』ってね。だったらお互いどちらかが死ぬまで戦いは終わらない」
「…………」
「中途半端な情けは戦士への冒涜だ。それにあたしはまだ、戦える!」
 マフラーをほどき終わった瞬間、晃はそこにありえない物を見た。いや、それは李玲の種族を考えれば当然のことであろう。
 マフラーの下から見えた李玲の首は、胴体と繋がってはいなかった。首から頭が離れ、空中を浮いている。
 飛頭蛮。それは名の通り首を飛ばす妖物。これこそが李玲の本当の姿であった。
「あたしたち飛頭蛮にとって足なんて飾りだ!」
 そう呟いた瞬間、李玲の首は晃目がけて弾丸のように飛んできた。晃はそれを手で防いだが、李玲の口の鋭い歯に噛みつかれ、肉がもっていかれてしまう。腕の骨が露出するほど深く肉をそがれてしまった。
「こっからが本番ってわけか――」
 晃は拳を構えひゅんひゅんと空を切りながらこちらに滑空してくる李玲の頭と対峙する。長い髪が空中になびき、まるで蛇のようにも思えた。
「お兄ちゃん危ない!」
 澪の声も虚しく、晃は凄まじい速さで飛びかかってくる李玲に何度も噛みつかれ、身体はどんどん削られていく。
 ただでさえ常人を超えた素早さを持っている李玲なのに、首だけになり身軽になった李玲のスピードはもはや晃には知覚できないものになっていた。
 それとは対照的に、晃の身体の傷はどんどん再生スピードが落ちていく。
(糞……。そろそろ限界か……)
 晃の不死身の体の正体は、実はただの治癒能力《ヒーリング》である。しかしその回復能力は桁違いで、首を切り落とされたり心臓を破壊されない限りは瞬時にどんな怪我も再生させてしまうものである。もっとも、これは自分自身にしか使えない治癒能力であるため、人の怪我を治すことはできないようだ。
 晃のこの治癒能力は魂源力《アツィルト》を消費しているため、何度も再生を繰り返していくとガス欠状態になり、治癒ができなくなってしまう。
 実際に晃の怪我はもうほとんど治ってはいなかった。
 斧を持っていない李玲の攻撃力は大幅に落ちたが、このまま防戦一方のまま長期戦になれば自分の不利にしかならない。
(どうにか拳をあの顔面に叩き込めれば……)
 そう思い拳を振るっても、残像をかき消すだけで、李玲に拳を噛まれ、削り取られるだけであった。
「どうした両面族の戦鬼よ! お前はそんなものか!」
「うるせえ! ぶんぶんぶんぶんと飛びまわってんじゃねえよ!」
 晃は真っ直ぐ飛んでくる李玲の頭めがけて回し蹴りを放つが、李玲は弧を描き、晃の攻撃を避けて脇腹に噛みついて内臓を抉っていく。
「ぐふっ」
 晃は血反吐を吐き、そのまま膝を崩してしまった。傷口からは内臓がでろりとはみ出、普通の人間ならばショック死するほどのものであった。晃は無理矢理内臓を体内に押し込め、再生するのを待つ。だが、そんな暇もなく李玲はまるでカラスが獲物をつつくように何度も執拗に噛みついてきた。
「もうやめて! お兄ちゃんを傷つけないで!」
 岩影に隠れていた澪がそう叫びに晃のほうに向かって走り出していた。
「来るな澪、邪魔だ!」
 晃は澪にそう怒鳴りつけるが、澪は泣きながら晃のもとにやってきて、晃の身体にしがみついた。
「離れろ、お前を庇って戦える相手じゃない!」
 晃がそう言っても、澪はぶんぶんと長い髪を振り乱し、黙っているだけであった。
 それを李玲は空中から嘲笑っているだけである。
「“件”か。貴様も我々と同じ化物だ。貴様を向かい受けてくれる場所なんかない。ならば貴様もここで命を終えたほうがいいだろう。どこに行っても利用されるだけだ」
「…………違う」
「なに……?」
 晃は空高くから自分を見下ろしている李玲を睨みつけ、その言葉を否定した。
「学園にいる俺は、利用されてるわけじゃない。これは全部俺の意思だ。学園の人間共に利用されているわけじゃねえ」
「ふん。どうかな。お前の意思だと思っていても、結局は人間の利益にしかならないんだろ。あたしたち化物は、人間に滅ばされるか、利用されるだけしかない。あたしはそんなの御免だ。花宴の支配から逃れ、あたしは自由になるんだ! お前たちとは違うんだ!」
 そう叫んだ瞬間、李玲の頭はまたもや凄まじい速さで飛びまわり、晃を狙い近づいてきた。
(くそ、これまでか……)
 晃が諦め、ふと澪の顔を見つめると、そこには虚ろな瞳で自分の角を撫でている澪の姿があった。
 そして、その小さな口からかすかに言葉が漏れていた。
「…………右斜め後ろ」
 その澪の呟きを瞬時に理解した晃は、言葉の通りの場所へと己の拳を振り回した。すると拳の先に何かが当たり、小さな叫び声と共にその何かは吹き飛んでく。地面を転がっていったそれは、李玲の頭部であった。彼女は不思議そうに目を白黒させ、自分が殴られた事実を認識できずにいた。
「な、なぜだ。なぜこのあたしのスピードに……」
 晃はその言葉には答えなかった。ただ、晃は勝利を確信する。
 まぐれに違いないと李玲は再び晃に向かって飛びかかってくる、今度は複雑な軌道で晃を翻弄し、喉元に噛みついてやろうとしていた。だが晃は目を伏せ、李玲のほうなど微塵も見てはいない。彼はただ、澪の言葉に耳を傾け、集中している。
「……前方右斜め」
 澪がそう呟いた瞬間、晃は何の迷いもなくその方向へと渾身の正拳突きを放った。ボッという空気を貫く音ともに放たれたその晃の拳は、突っ込んできた李玲の大きく開かれた口の中に思い切りぶち込まれた。
 その拳は李玲の口を貫き、彼女の頭部はその反動で遠くに飛んでいき、庭にあった池の中へと、水しぶきをあげて落ちていったのであった。そうして、李玲がそこから飛び出してくることはなく、完全に沈んでしまったようである。
「はぁ……はぁ……勝った――のか?」
「あれ……? ぼく、どうしたんだろ……」
 澪は正気に帰ったかのように瞳に光を戻し、ぽかんとした表情で晃を見上げた。そんな澪の頭を晃は撫でてやる。ふんわりとした澪の髪の毛が晃の手をくすぐる。
「ありがとよ。お前の力のおかげで勝てた……」
 件の予言の力が李玲の軌道を先読みし、晃を救ったのであった。晃に褒められた澪ははにかみながらも笑顔晃の腕に抱きつき、目をつぶった。
「お礼を言うのはぼくのほうだよお兄ちゃん……ぼくを助けてくれてありがとう……」
 澪の素直な言葉に、晃は照れくさそうな笑みを浮かべ、ふっと空を見上げる。
 もう東の空からは日が昇り始め、空は綺麗な橙色に染まっていく。晃は傷だらけの自分の身体を見て、これからこの身体で山を降りるのが一番苦労するだろうな、と大きな溜息をついた。
 だがその表情は妙にすがすがしいものであった。
 晃と澪は顔を見合わせ、お互いに身を寄せ合った。



 七



 あれから数日後、学園側の応援部隊に救助された晃は、いつもの学園生活を過ごしていた。任務に出ることが多い晃は授業に出るのは久しぶりであったが、とくになんのトラブルも無く一日の授業を終え、自分の生活の場である男子寮へと帰っていった。
 男子寮に足を入ると、同じ寮に住んでいて、自分のクラスメイトであるイワン・カストロビッチがパンツ一丁のままニヤニヤと晃のほうを見ていた。どうやら晃より先に寮に帰っていたらしい。しかしなぜカストロビッチがこっちを見て笑っているのか理解できなかった。
「何見てんだよイワン」
「なんだい小録。聞いてないのか? 今日から新しい寮生が入ったんだ」
「ふうん。興味ねーな」
「そんなこと言っていいのかい。その新人はお前と同室なんだぜ」
「――は?」
 この寮には一人部屋と、二人部屋が存在する。二人部屋は家賃がその分安くなるらしいが、ここの寮の生徒は誰も二人部屋には住んでいないようだ。晃はその二人部屋に住んでいるのだが、ルームメイト希望者が存在しないため、一人で住んでいた。ルームメイトが来たということは晃の家賃の負担が半額になるので、晃にとってルームメイトが入ることは好都合であった。
(どうせ俺はあんまこっち帰ってこねーし金が勿体なかったんだよな)
「もうその寮生は部屋に来てるみたいだから挨拶してきなよ」
「わかったよ」
 カストロビッチにそう言われるまま、晃は自室へと戻っていった。
 ノブに手をかけると、特に鍵はかかっておらず、すんなり扉は開く。
「よお、俺はルームメイトの小録――」
 晃はその部屋の中にいる人物に驚き、言葉を詰まらせる。そこにいた人物は学園指定のブレザーのスカートをひるがえしながら、晃の方へと振り返った。綺麗な黒髪をなびかせながら彼の身体に抱きつく。
「今日からここで暮らすことになった九段《くだん》澪です」
 呆気にとられる晃をよそに、澪は悪戯っぽい笑顔を浮かべ、晃の腕を引っ張った。
「よろしくね、お兄ちゃん♪」

 ――了










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