【鉄の心は揺るがない-第春話】


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 然程大きくない武者窓から漏れ出す春の日差しが、用務員室内を照らし出す。
その陽光を汲み取り、まぶしい程の光を反射させる頭部を備えた老人は、ちゃぶ台の前で足組《あぐ》み、
左手に持った新聞紙を読みながら、のんびりと煎茶を啜《すす》っていた。
完全に気も抜けた状態で、大きくため息をついた後に目を瞑ると、
春の陽気にあてられたのか、船を漕ぎ始める。それと同時に何の前触れもなく用務員室のドアが開かれた。

「あの、園芸用の道具をお借りしたいんですが」

 突然の出来事に、老人の頭部から反射した光は無作為に室内を暴れまわる。
その光源であった双葉学園用務員の国守鉄蔵《くにもりてつぞう》は腰を浮かせ、背後に振り向いた。
「うわっちゃ、あちゃ熱っち!! な、なんじゃいお嬢ちゃん、藪から棒に」
 唐突に声をかけられた事に動揺したのか、鉄蔵は右手に握っていた湯呑みからお茶をこぼし、手の甲にそれがひっかかっる。
空を切り、手にかかったお茶を振り払い、口を窄《すぼ》めて必死になりながら、手に息を吹きかけると声の主に問い返す。
「園芸用の道具? まぁ、わしゃ構わなんだが、そんなモン何に使うんじゃ?」
 声の主はまだ若い少女だった。無邪気さを残しつつもその顔立ちからは、優しさと滲み出る母性がある。
 鉄蔵が問い返すと少女は少し慌てたかのように両手を大きく仰ぎながら理由を述べた。
「いえ!! あの……そう!! 中等部の区内ボランティアで公園の植物の整備に使いたいんです」
「ほぅ、区内ボランティアか。そいつぁ大したもんじゃ。直接来たっちゅう事は事前に総務には話を通してないっちゅう事か?」
「う、はぃ、そうなっちゃいます」
 少女は視線を反らし両手を組むと、人差し指をくるくると弄ぶ。
その様子を見ながら、鉄蔵は顎をさすり少し眉尻を下げて言った。
「園芸用の道具で何ぞ問題が起きる事もないかの……まぁ、ええか。
とりあえず、道具が入り用になった時の為に、わしになんぞ連絡先とかを教えといて貰えるとありがたいんじゃが」
 そう言うと鉄蔵は立ち上がり、黒電話の横に置いてある自作の藁半紙のメモ帳と、やや短くなった鉛筆を少女に手渡す。
少女は園芸用の道具を借りる事ができるのが余程嬉しいのか、瞳の中の光は目映い煌めきを放ち、満面の笑顔を浮かべた。
 鉄蔵は園芸用の道具を収納している倉庫まで少女を案内し、道具一式を手渡す。
少女は幾度と無く謝辞の言葉を並べながら、去り行く時ですら何度も振り向き、感謝の意を示すように頭を垂れた。
遠ざかるにつれ小さくなる少女の背中を見つめながら、鉄蔵は一人何度も頷くのであった。

 その日から少女は毎日、用務員室を訪ねてくるようになった。
 少女が訪ねてきた初日がそうであったように、少女は鉄蔵の気が完全に抜け去り、呆けている時に限って訪ねてくる。
その為、鉄蔵は度々腰を抜かしそうになったが、そんなやりとりを数日も重ねると、慣れてきたのか、
少女がドアを開けると同時に手ぬぐいを放り「お勤めご苦労さん」と声をかける事ができるぐらいになった。
 また、少女は道具を必ず当日に返却してきた。道具の消耗度合いは激しかったのだが、できる限りの修繕や清掃が目に見て取る事ができ、
それがまた鉄蔵を嬉しくさせた。
その事もあってか、仕事のうちの一環でもある道具の再点検や備品管理の帳簿をつける面倒な作業も、鉄蔵は然程苦に感じる事も無かった。

 ──そんな日々が過ぎ、桜の花が満開になる頃。

 中等部のボランティア活動で使う為に園芸用の道具を貸して欲しいと、いつも訪れている少女とは別の少年が用務員室を訪ねてきた。
 以前訪ねてきた少女とは違い、事前に総務から貸与許可申請の通達が降りていた事に、
やっと少女は手続きの仕方を覚えたのだなと鉄蔵は納得していたのだが、
園芸用具を借りに来た少年に鉄蔵が少女の事を問いかけると、全く予想外の反応が返ってきた。
「相沢ナナミ……さんですか? いや、そんな子はうちの区内ボランティアメンバーにはいなかったと思うんだけどなぁ~」
「──へ、あ? そ、そうじゃったかの。あのお嬢ちゃんは全然違う活動してた子じゃったかもしれん。
 うは、うははは。いや、なんじゃ、歳はコワいのゥ、うひゃ、うひゃひゃひゃ」
 目を泳がせ、鉄蔵は口元を小刻みにひくつかせながら乾いた笑いを浮かべると、頻《しき》りに顎をさすった。
 少年が去り、鉄蔵は用務員室のちゃぶ台の前で足組みながら、ひとしきりの時間唸り続けると、おもむろに下駄を履き用務員室の外に出た。
 外に出ると緩やかな春風に運ばれて、春を思わせる植物の香りが鼻腔をくすぐった。
鉄蔵は上着と下着の隙間からヘソが出る程に反り返り、両腕を大きく開いて息を吸い込むと、持て余している腕に繋がる両手で、その両頬を思い切り叩く。
乾いた空気が辺りに響きわたると同時に両目を見開き、上着を脱ぐと爺むさいシャツが露わになる。脱いだ上着を腰に絡め、それをきつく巻き上げた。
「──なんぞ困っとるんなら相談してくれりゃいいモンなんじゃが……そうもいかんかの……」
 少し近くに感じる太陽の光は軟らかで、鉄蔵にはそれが少し、空と融け合っているように感じられた。

 時を同じくして、双葉区の公園に在る満開の桜達は、未だ花開く事のない一本の桜と、
その桜の幹に背を預け、安らぎの中で夢を見る少女を見守るように、咲いていた。
 緩やかな春風は桜の木々と触れ合うと、その枝葉は優しく少女に語りかける。
その声に気づいたのか少女は瞳をゆっくりと持ち上げると目の前の桜達に語りかけるかのように言葉を紡ぎだした。
「……私、寝ちゃってたんだ」
 少女が小脇に抱えていた鞄が震えたかと思うと、その鞄の隙間から、するりと純白のオコジョが抜け出てきた。
その毛並みに一切淀みは無く、常日頃から清潔に保たれている事が伺える。
オコジョは鞄を蹴ると、俯いている少女の膝の上に素早く乗り上げ、短く鳴いた。
(慣れない事が続いていたから、少し疲れちゃたんだねナナミちゃん)
「……ティル。うん、そうかもしれないね。でも、私がもう少し頑張らないと」
 ティルと呼ばれたオコジョの名は、シルバーティルという。
正確にはオコジョでは無く、オコジョ型のラルヴァではあるのだが。
そのシルバーティルの伝えたかった意志を、ナナミと呼ばれた少女はそのまま理解していた。
それは少女の特異性、異能によるものだった。
 ナナミは立ち上がり衣服に付いた土埃を両手で払うと、今し方背中を預けていた桜に向き合い、悲しげな表情を浮かべ、物言わぬ桜に語りかける。
「……お願い、せめてもう一度。今私が貴方に出来る事だけでも、教えて」
 ナナミは両手で桜の幹を優しく包み込むと瞳を閉じ、桜が再び語りかけてくる事を信じ、思い出す。

 数日前、双葉学園から住まいである寮への帰宅する時の出来事。ナナミは一本の桜の開花を見つけた。
学友達はそれに気付く事は無く、誰よりも早く春の報せを見つける事が出来たナナミはそれが少し嬉しかった。
 学友達と別れ、宝物を探すような、そんな気持ちでいつもとは違う道程を歩み、帰宅の路を歩む。
 その帰り道、区内にある森林公園を通ると、数多の桜が開花し始めている事を見つけナナミの胸は更に高鳴った。
ほんの少し意識を乗せると、公園全体から響きわたる歓喜の歌。
辺りの植物達に導かれるように公園の中を歩いている最中、桜が立ち並ぶ公園の一角で、ナナミは違和感を覚えた。
 立ち止まり、もう一度桜達の声に心を通わせると、確かに聞こえてくるのだが、
背後から聞こえてくる歌声は何かに遮られるように、僅かに力が感じられなかった。
 ナナミは息を飲み、振り返ると、辺りの景色はナナミの意識から切り取られ、白く霞む。
視界には、力無く佇む一本の桜の木の存在だけがあり、それはナナミの心を捕らえた。
「──歌が、聞こえてこない?」
 沈黙する桜の根本に近づくと、少し頼りなげに空に手を伸ばし続けている、その桜の枝を見上げた。
「貴方はどうして、歌わないの?」
 ナナミは物言わぬ桜に問いかけるが、桜は何も語らない。
「なんで、声が聞こえないんだろう」
(もしかしたら何かの病気で弱っているのかな? それで上手く意志の疎通ができないとか)
 少女が持っていた鞄の隙間から、シルバーティルの鳴き声が何度か聞こえてくる。
「そうなのかな……」
 ナナミは再び桜の幹を見つめると、赤子を慈しむ母親のように、その幹に触れる。
「貴方は何かの病気なの? もし私に何か出来る事があるなら、教えてくれると嬉しいな」

 長い年月をかけ、その年輪を増やしていった、桜の幹に両手を添える。
冷たく、硬くなった樹皮の感触が両手に伝わる。桜が持ち得る感情に出来る限り心を重ねる。
 心から桜を労《いたわ》るナナミに呼応するかの様に、その桜の深い感情は一閃となって少女の身体を貫いた。

 一瞬の出来事にナナミは我を忘れ、目を見開くと、その場にしばらく立ち尽くす。
そんなナナミの様子に気がついたオコジョのシルバーティルは、鞄の隙間からするりと抜け出し、
彼女の腕を伝って肩に乗ると、甲高い声を上げ、何度か鳴いた。
 その鳴き声に意識を取り戻したのか、シルバーティルの顔を見つめると、顔を青ざめさせながら訴えかける。

「──どうしよう!! どうしよう、どうしよう!? 声は聞こえてきたのに、何をすればいいのか解らないよ!!」
 叫ぶように訴えかけるナナミを落ち着かせようと、シルバーティルはその体を使うと、
彼女の首もとに器用に巻き付き小さな顔を使ってその頬を撫でた。
(ナナミちゃん、落ち着いて。まず、聞こえてきた言葉を僕にも聞かせて。
 その後、一緒に考えよう? そうすれば、僕たちが今出来る事。その答えを見つけられるかもしれないよ)
 ナナミの表情は嘆きとも悲しみともつかぬが、酷く落ち込んでる事だけは見て取れた。
シルバーティルの言葉に納得したのか、ナナミは何度か頷き返すと、落ち着きを取り戻し、静かに言葉を紡ぐ。
「うん……聞いて」
 ナナミの声を聞き漏らすまいと、辺りに植えられている桜の枝葉が擦れる音が、風が止むと同時に静まりかえった。
「この子の、ただ一つの、純粋な願い」
 在りもしない神に。その願いを伝える事を、躊躇《ためら》うように。

「『──咲きたい』」

 ナナミの言葉を聞き届けると、沈黙していた桜達は、再び各々の歌を歌い始める。
その歌には、今ナナミが抱いている桜が混ざる事は無い。
 桜の言葉を胸に、今日に至るまでの間、ナナミは学園の図書室で様々な本を読み、桜の生態やそれに関わる病気を丹念に調べた。
手にした本の多くは専門的な知識や、中学生が理解するには難解な用語ばかり。
生中な知識で行動を起こしたとしても現状を悪化させるだけだと気付くと、せめて自分が出来る事だけでもと、下草刈りを行う事を決めた。
しかし、寮住まいのナナミは、それを行うにあたり十分な道具を持っていない。
如何にして手早く道具を調達するか考えた末、シルバーティルが打ち出した案の一つを採用し、学園から道具を拝借する事となった。
 道具を借りる際に会話の流れで用務員の老人に少し嘘をつく事にもなってしまったが、
無事に桜の花を咲かせる事が出来たのなら、その事を含め、後に御礼を言おうとナナミは考えていた。
だが、未だ桜の花は咲くこともなく、徒に時は過ぎ、今に至る。
「まだ、もうちょっと、私の頑張りが足りないのかな」
 ナナミは首を傾げると軽く拳を握り、それで自分の頭を小突くと含羞《はにか》んだ。
「私、まだまだ頑張るよ!! 元気になったら必ず……貴方の歌を聞かせて!!」
(僕も出来る事なら、君の願いを叶えるお手伝いをしたいな)
 両手を大きく広げ、ナナミは精一杯叫ぶ。ナナミの意気込みに感化されたシルバーティルも、
鞄の中から中途半端に顔を出し、高速で左右に揺れる、暴走したメトロノームの様に首を振った。
必ずこの桜の願いを叶えようと、その決意を改めて心に刻み込む。ナナミが叫ぶと同時に、
息が詰まりそうな程の大量の桜の花びらが風に吹かれ舞い上がった。

「──心優しき娘子よ……その桜の御霊が遙か隠れ世に在っても、尚その身は健気に尽くすのか」

 桜の花びらに圧倒され、笑顔を輝かせていたナナミの背後に、一人の童女が姿を表す。
その上半身を隠すのは不格好な晒し木綿、黒髪は辺りの光を吸い込むように艶を帯び、どこかいびつな、出来損ないの巫女。
 童女は淡紅色の霧の中に佇んでいたのだが、何故か桜の花びらは彼女の体を避け、ひらひらと渦を巻きながら地面へと落ちる。
不意に声をかけられた事にナナミは驚いたが、童女の言葉の意味を計りかね、少しだけ屈《かが》むと童女に視線を合わせて語りかけた。
「(スゴい格好の女の子だな……こんなちっちゃい子がコスプレ?)
  えーっと……ごめんね、少し聞いてもいいかな、桜のみたまが遙かなんとかにってどういう意味なの?」
「ここ幾日もの間、その身一つを以て献身の限りを尽くしてきた娘子の行いを望む我も、辛かった……苦痛じゃった」
 童女は、無邪気に問いかけるナナミを見つめる。
「楽になりたいが為だけに、幼子の夢踏みにじる我を許せ」
 童女の口からナナミに伝えられる言葉《ことのは》は、ただ伝える為だけの言葉《ことば》として繰られる。
しかし、その繰り手は冷酷に、表情を変えることもなく、

「ねぇ、どうしたの? なんでそんなに──」
「娘子よ……その桜は──」

ただ静かに涙を流していた。



 ゴムと鉄が凄まじい速度で擦れ、甲高い音が響きわたる。
慣性に従い、車体の後輪は、跳ね回る事を止めた前輪に引き留められ、勢い良く砂利を跳ね上げた。
車体を斜めに、その勢いに任せ片足を地面に下ろし、下駄の鼻緒を足の親指と人差し指で力強く挟み込む。
「ケンゾー、ここにあの嬢ちゃんがいるんかィの」
「ばうばう!!」
 国守鉄蔵は桜が咲き誇る双葉区の公園入り口にいた。
自転車を公園の駐輪所に止めると、鉄蔵の飼い犬である柴犬のケンゾーが急かすように鉄蔵のリードを引く。
ケンゾーが強くリードを引く度に、その首もとの将棋の駒の様な五角形の名札は激しく揺れた。
「わかっとるわかっとる、ほんに頼れる名探偵様じゃわィ」
 ケンゾーに導かれるままに鉄蔵は公園の一角に訪れると見知った顔の少女が、咲く事のない桜の根本で膝を抱え座り込んでいた。
鉄蔵は少女のすぐ側まで近づくと、少し困った表情を浮かべる。
「てっきり今日も元気に土いじりでもしとると思ったんじゃが、そんなにしょぼくれてどうしたんじゃ」
「……用務員のお爺さん」
 ナナミは鉄蔵の顔をちらりと見ると、
再び地面に視線を落とし、右手で桜の花びらを摘んでは落とすといった行為を繰り返す。
「……すみません。私、色々とお世話になったのに、駄目だったみたいです」
 ナナミの言葉を聞きつつも、鉄蔵は横目で辺りを見回す。
辺りの桜と比べると、ナナミが背にしている桜の周りだけが手入れされている事に気付いた。
「ふむ。お嬢ちゃんがここんとこ、園芸用品を借りに来ていた事と何ぞ関係があるんかな?
 土いじりならワシも少しは手伝う事もできるじゃろうて」
 ナナミは気力を振り絞り、曖昧に返事をすると、力無く数日の出来事と今し方の出来事を語り始めた。
咲かない桜の願いを知り、惜しみ無い愛情を桜に注いだが、全てが遅く、無駄だった事を。
「一人のラ……いえ、女の子からそれを聞かさた時は私も信じたくは無かったんです。
 でも、あの女の子はそんな嘘を付く必要なんて無いですもんね。
 たぶん、一人でバカみたいに汗流してる私を気遣って、もう駄目な事を教えてくれたみたいでした、えへへ」
「そうじゃったか……」
 ナナミを励ます事が出来れば、どれほど気が楽になるだろうか。
 鉄蔵はそれ以上に話を問い返すこともなく、桜の花びらを摘んでは放るナナミの手元を見つめる。
 その時、鉄蔵とナナミの間を、一陣の風が駆け抜け、ナナミの手元を離れた桜の花びらが中に舞う。
幾つかの花びらは風に手を引かれると大空へと旅立っていった。
「『咲きたい』か……」
 鉄蔵はその花びらを目で追い、空を見上げると、大きく溜息を漏らした。



 桜の下で鉄蔵がナナミの話を聞いてから二日が経った。
 用務員室に据え付けてある黒電話を頬にあて、重苦しい表情を浮かべながら、電話の向こう側にいる相手と鉄蔵は会話をしている。
しばらく会話を続けていると話しがまとまったのか、鉄蔵は受話器を電話機の本体に乗せた。
座布団の上に腰掛け、急須から湯呑みにお茶を注ぐと、それを一口呷り、呟く。
「そろそろ、来る頃だと思うんじゃがのぅ」
 鉄蔵が呟くと同時に、用務員室のドアを開き現れたのは、気落ちした表情の相沢ナナミだった。
「道具の返却が遅れて、ごめんなさい!! ちょっと気持ちの整理が出来なくって遅れちゃいました……」
 頭を下げるナナミに背を向けながら、鉄蔵は湯呑みに口をつける。
ちゃぶ台の上の新聞紙を手に取ると、両手でそれを広げ、大きく咳払いをした。
「色々お世話になりました。何かまた機会があったら改めて、お手伝いさせて下さい」
 ゆっくりとドアが閉じられる。
「──ちょい待った」
「はい?」
 あくまでもナナミの方を向かず、鉄蔵は耳を真っ赤にしながら、言葉を続けた。
落ち着きなくその足首で貧乏揺すりをしている。
「いやー、ここ数日ワシ大変だったわぃー。誰か心を癒してくれるような人は心優しい人おらんかのー」
「……えーっと?」
「そ、そこでじゃ。よかったらなんじゃが、こっれかっら、このジジィとッとととトッ」
 少し寂しげな笑顔を向けるナナミに前代未聞の要求が襲いかかる。
「当世風に言うと、そうじゃ、あれじゃ。でっ、なんじゃ。でー……んおっほん!! でぇと《デート》せんか!!」
 これでもかと言わんばかりのどや顔を決めながら、国守鉄蔵が壊れた。
「──ごふっ、かふっ、ゴホゴホッ!! カーッ!! んぐッ……」
「……あの……お爺ちゃん汚い」
 あまりにも突拍子もない展開に、ナナミは返事をする間もなくツッコミを入れてしまった。


 鉄蔵の肩からは何時もの雑嚢《ざつのう》と大型の水筒がいくつがぶら下げられていた。
愛用の雑嚢には、はちきれんばかりの数のアルミホイルに包まれたおにぎりと思われる物体が詰め込まれており、
鉄蔵がざくざくと大きく足音を鳴らす度にこぼれ落ちそうな程だった。
「ンンォッホン。アレはアレじゃ。要するに用はアレアレ。
 一緒に花見でもせんかと言うお誘いのつもりで言ったんじゃ。
 決して疚しい気持ちなんぞ持ち合わせとらんぞ!!ほんとじゃぞ!!」
「バウフフフ……」
 口から泡をとばしながら、鉄蔵は言い訳を重ねるが、それを見つめるケンゾーの口元は心なしか不気味に笑っていた。
まだ若干、鉄蔵の頬は赤みを残しており、先ほどから同じ内容の話を壊れたファー○"ー人形のように繰り返し聞かせていたが、
それも鉄蔵の照れ隠しなのであろうとナナミは思った。
そう考えると、なんだかもっとずっと、長い間過ごしてきた祖父のように親しみを持てそうな、そんな気持ちがナナミの心を満たした。
そうやって足早に進む鉄蔵の後についていくと、あの咲かない桜がある公園にたどり着く。
「ここで、お花見……ですか?」
「そうじゃ、もう既に特等席は確保しとるんじゃよ?」
 鉄蔵は明らかに、あの咲く事ができなかった桜のある公園の一角を目指している。
ナナミは、小石と土と靴の音が擦りあって鳴る音を止めると、一人で言い訳を振りまきながら前進する鉄蔵の背中を見つめた。
「……どうして?」
(用務員のお爺さんなりにナナミちゃんの心配をして、元気付けようとしてくれてるんだと思うんだけど)
「ティル……そうなのかな」
 鞄から顔を覗かせるオコジョの意見を聞きながら、鉄蔵の後を小走りで追いかけ、目的の場所に到着した。
 桜の木の下には、ブルーシートが引かれており、
既に見知らぬ年上の学生達がいたのだが、鉄蔵は遠慮なくそこに荷物を下ろすとナナミに一言。
危ないからちょっとだけ離れて見ててくれないかと告げる。
 ナナミは鞄を両手に抱えると今から何が始まるのか、得も言われぬ不思議な気持ちで胸が膨らんだ。
 鉄蔵は器用に木をよじ登り、最も高い場所に有り、安定している枝を足場に選んで幹に手をかけると、
ナナミとは丁度反対側にあたる木の裏にいる青年に向けて声を上げた。
「あー。すまん、龍ちゃん。
 手筈通りにそれをこっちに投げてよこしてくれィ、どんどん投げてくれちゃって構わんぞィ」
「なんつー人使いの荒い爺さんだ本当に……よっと!!」
 龍ちゃんと呼ばれた青年は鉄蔵に促され、
 大風呂敷に包まれた何かを桜の木の上にいる鉄蔵に投げつけると鉄蔵はそれをすくうように拾いあげる。
「こういった力仕事はドラの方が向いてるからな。
 俺は割と良い人選だと思うぞ。あー、あんまり急いで投げすぎるなよ」
「ってかニヤニヤ笑ってないで、トラも手伝えっつーの……おらよっと!!」
「力仕事は俺の領分じゃないしな。ほら、もこが応援してくれてるだろ。しゃきしゃき仕事しろ」
「今日の為に沢山お弁当を拵《こしら》えてきました。
 これが終わったら皆さんで一緒にお昼にしましょう、龍様!! 頑張って下さい!!」
「投げすぎるなとか、しゃきしゃき仕事しろとかどうしろっつーんだ、おい……」
 桜の上で手招きをしながら構えている鉄蔵に大風呂敷を放り続ける青年を錦龍《にしき りゅう》。
 その横で応援し続ける、青年と少女の名を中島虎二《なかじま とらじ》と、豊川模湖《とよかわ もこ》と言う。
 ある事件をきっかけに、鉄蔵と知り合う事になり、度々学園で顔を合わせては、
鉄蔵は教職員用のモバイル端末を珍しがる彼らから、その使い方の説明を受けている。
端末の持ち主であるはずの鉄蔵は、仕事で使う工業用機械の操作以外には明るくない為、
モバイル端末の基本的な操作方法など、一から彼らに教えてもらう事が多かった。
 鉄蔵は二日前、『確実に咲く事が無い、桜の咲かせ方』について相談した。
確実に咲かないのなら、絶対に咲かせれば良い。
中島虎二はその時、意味ありげに笑うと、鉄蔵に自分の考えを述べたのだ。


「咲かぬなら、咲かせて見せよ、その桜ってか。
 まぁ、咲かせるのは俺じゃなく国守爺さんだけどな」
 桜の木の上で幾つもの大風呂敷を積み上げ終えた鉄蔵を三人は不安げに見つめる。
鉄蔵はナナミと視線を合わせると、公園の隅から隅までに響きわたりそうな大声で叫ぶ。
「相沢ナナミちゃんよ。この桜もお嬢ちゃんが頑張ってくれた事は絶対に解ってくれておるハズじゃ。
 それはワシが保証する。この桜の周りをよぉっく見てみぃ。お嬢ちゃんの頑張りが一目で解るじゃろ?」
 桜の枝に足をかけ、更に延び分かれた枝を掴み体を支え、鉄蔵はナナミの努力を、賞賛する。
「見りゃ解る、見れば解るんじゃ。
 どれだけ嬢ちゃんがこの島の中にある、この一つの桜を咲かせようと、努力をしてきたのか。
 この双葉島にある桜達も知っておる。お嬢ちゃんが頑張ってきた事を、よく解ってくれてるハズじゃよ」
「用務員のお爺ちゃん……」
「ワシに上手く出来るか解らん……しかし、仮初めでも、こいつを咲かせてやれりゃ、少しは元気になってくれんかの」
 鉄蔵は足下にある大風呂敷の結び目を解き、中に入っている物を確かめると、それを手に取る。

「天衣無縫の桜の精よ、この国の防人の願いを、天世《あまよ》に在る桜の御霊に届けておくれ」

 鉄蔵が言い終えると、決して咲くことの無かった桜を、桜の花びらが覆った。
その桜吹雪の最も密度の高い場所には鉄蔵の姿がある。
春風は桜を中心に吹き上げ、鉄蔵の手助けをすると、春の日差しがそれを照らし幻想的な風景はより栄える。
今この瞬間だけは、力強く咲き誇る一本の桜として、その桜は咲いていた。間違いなく、咲いていたのだ。
 舞い上がった桜の花びらのうちの一つが、ナナミの手のひらの上にふわりと落ちる。
ナナミはそれを見つめ、顔を上げて微笑むと、直ぐに駆け出し、木の上にいる鉄蔵に向かって声を上げた。
「あの!! 私も手伝いますっ!!」
 言うが早いか、ナナミは不器用に桜の幹に上る。
鉄蔵はナナミの手を引き上げ、その手に桜の花びらを握らせると歯を見せて笑う。
それにつられ、ナナミも満面の笑みを浮かべると、鉄蔵と共に桜の花びらを辺りに振りまいた。
 その桜を見上げる中で、龍は虎二に呟いた。
「……今、見えそうで危なかったと思うんだが、見えたか」
「──ノーコメントだな。ドラ、それよりも、後ろ」
「後ろがどうし……って、いや、違うんだ、もこ。これは危ないから安全面を考慮した上でだな」
 鬼の形相を浮かべた豊川模湖が錦龍に詰めよると、怒りを露わにする。
「龍様。無防備な女子の下着を盗み見るといった行為は、あまり誉められる趣味と思えないのですが」
「そ、そうだな。俺もそう思う。
 そう思うからとりあえず、その鬼火は消してくんねーかな?
 ちょっと危ないぞうぉおおお!!?」
 龍の顔は青醒めさせ後ずさると、桜の花びらの中を全速力で走り始め、もこと熾烈な鬼ごっこに興じた。
 その脇では地上に置かれたナナミの鞄からシルバーティルが這い出てくると、それを鉄蔵の飼い犬のケンゾーが見つめていた。
ケンゾーはその口から、だらしなく涎を漏らす姿は、先の龍と模湖の再演を演じる役者にも見える。
(や、やぁ! 僕は悪いラルヴァじゃないよ!! いじめないで)
「……バウフフフ」
(ちょ、ちょっと。君も冷静になろう、ウェイト、シットダウン!! ひぇー!! ナナミちゃん助けてー!!)

 その風景の中心で、桜の花びらを振りまきながら、相沢ナナミは考える。
咲いている桜も、咲かなかった桜も長い時を経て、育ってきた。
この桜は咲くことは出来なかったかもしれないが、今まで多くの人達に満開の花を魅せてきたのだろう。
もしかすると、これから自分が出来る事は、この桜がしてきたような、多くの人達の笑顔を作り上げる事なのかもしれないな、と。




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