【CMYK】


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 僕が自分の不思議な力に気が付いたのは祖母の葬式に立ち会った時のことだった。
 当時中学生だった僕は、幼い頃から大好きだった祖母の死という出来事を上手く理解できずにおり、心を閉ざし周りを拒絶していた。それは親戚縁者だけでなく、父や母に対してもそうだった。
 掛け替えのないものを失い、心に大きな穴が生まれ、そこを覗くと真っ暗闇で底も見なかった。
 その時だ、僕の瞳に不思議な色が見え始めたのは……。
 目の前で沈痛な面持ちの父の周りには濃紺の煙のようなものが弱々しく焔立ち、ハンカチを目に当てながらすすり泣いている母の周囲には明るい黄色の煙が浮かび上がっていた。その時の僕にはそれがなにか分からなかった。
 周りを見渡すと葬式に参加している人々からは、様々な色の煙が沸き立ってる。殆どは青系統の寒色だったが、中には赤や黄色を含んだ明るい色の人もいた。
 それ以降、僕はそれをオーラと呼ぶようにしていた。当時の僕はなんとなくその方が格好いいと思ったからだ。もちろん、この事を父や母にも打ち明けたこともある。だが、当然のごとく取り合ってもくれなかった。
 数ヶ月して、僕はその色がその人の感情を大まかに表しているということにようやく気が付いた。
 例えば、赤色ならば怒り、青色ならば悲しみ、黄色なら喜びといった具合だ。後ろめたい気持ちや罪悪感が含まれる場合はその色が黒く染まっていく。基本的にこの四色の組み合わせや濃淡によって表現されていた。
 完全とは言えないまでも、その力のお陰で相手の気持ちをある程度類推することができるようになっていた。もちろん、嘘も分かるようになった。嘘を付いている場合、喋っていることや表情とオーラの色が合わないからだ。
 犬や猫でさえもある程度のことは分かるようになっていたが、無機物はもちろん、微生物や植物、魚類などの感情は、僅かなオーラさえ発生しないため、読み取ることは全くできないでいた。
 ただ、根っからの嘘つきや虚言癖のある人物、というか嘘をつくことに罪悪感を持たない人間の心は上手く読めなかった。それはそうだ、彼らにとっては言葉は全て本当なのだ。感情の赴くままに言葉を紡いでいるのであって、嘘を言っているつもりもないのだから。
 中途半端で完全とはいえない力だったが、それでも、僕にとっては実に便利な能力であり、日常生活を行っていく上で足しとなる力だった。
 そう、彼女に告白するまでは……。
 僕が彼女に『付き合ってください』と告白したとき、彼女の周りでは様々な色が明滅し、それが徐々に紫色に落ち着いていった。そして彼女はこう言った。
「赤井くんのことは嫌いじゃないんだけど、今はお友達でいましょう。ね?」
 即座に彼女が僕の告白を、いや僕自体を邪魔な存在だと思っていることを理解する。紫色は戸惑いや嫌悪の色、いやこの場合は嘘の色だろう。
「もしかして、他に好きな人がいるの?」
 僕は意を決して彼女に質問する。
「ううん、そんな人いないよ」
 目を伏せながらそういう彼女のオーラは黄色どころか、美しいまでの黄金色に輝き始める。おそらく、好きな人を思い浮かべているのだろう。
「……そうか、分かった。ごめんね、変なこと言っちゃって。今日のこれは忘れてさ、これからも友達でいてくれるかな?」
「そんなの決まっているでしょ? もちろん友達よ!」
 そう話す彼女のオーラは限りなく黒に近い紫色だった……。
 その晩のこと、どこから聞きつけてきたのか、自宅に双葉学園の関係者と名乗る人物が訪れ、両親に僕の転校を熱心に説得していた。
 なんでも、僕の力は稀有なものであって、学園で更にその能力を磨かせたいというのである。将来のことや学費のことなども、両親が目を丸くして驚くほどの好条件を提示してきた。
 僕はその話とその男の放つオーラの色に胡散臭さを感じながらも転校することを承諾した。理由は簡単だ。これ以上、彼女と会いたくなかったことと、祖母の葬式の時に|あんな色《イエロー》を出した母から一刻も早く離れたかったのだ。



 しかし、僕が双葉学園に転入したところで、なんの意味もなかったと言っていいだろう。僕自身の能力は曖昧な嘘発見器のようなものであり、化物《ラルヴア》や能力者との戦闘にこれっぽっちも役に立たなかったからだ。必然、重用されるはずもなく、有象無象の中に埋もれていく。
 それでも僕にとっては彼女や母から離れられるということだけでも十分に意味はあったと言えるだろう。
 転校して以来、退屈な日常が続いてはいたが一つだけ気になった存在があった。
 それが“彼女”だった。学園指定の制服(といっても着崩したりする生徒も多く、あって無きがごとくだったが)を着ずに学園内を闊歩する少女。
 彼女にはオーラが無かった。それが僕には不思議だった。もちろん、感情の起伏が激しくない安定した状態であれば、オーラに色は付かないため見えにくい。でも、彼女は何時見かけてもオーラが無色透明だったのだ。
 どんな人間でも多少の感情の変化というものはあり、僕の瞳に映る学園生徒たちのそれは、感情の起伏によって、それこそ玉虫色のように変わっていく。だが、彼女にはそれがないのだ。
 いつのまにか、僕は彼女に興味を持っていた。
 だからこそ、僕は彼女に声を掛けずにはいられなかったのだ。
「あの……ちょっといいかな?」
 そう僕は意を決して彼女に声を掛ける。すると、彼女は機械的に首だけをこちらに向け答える。
「どのようなご用件でしょうか? 私、仕事を言い付かっており、急ぎ、この荷物を教室に運ばなければいけないのですけれど……」
 彼女は僕と手に持った段ボール箱を無表情に交互に見つめると、まるでプログラミングされたかのように僅かに困ったような表情をする。もちろん、そこに戸惑いの色のオーラは発生していない。
「ご、ごめん。ちょっとだけでいいんだよ。僕の質問に答えてくれれば。君は何者なんだい?」
「それはどういうことでしょう?」
 抱えていた段ボール箱を床に置きながら、彼女は自分に放たれた質問の意味が分からないようで、不思議な表情をする。
「うーん、曖昧だったかな……。君は人ではない。そうだよね?」
 僕は彼女が怒るかもしれないことをはっきりと言うことにした。そうでないと彼女の謎が解けないのだから。
 彼女は僕の言葉に僅かに逡巡したが、ゆっくりと答え始める。
「……まあ、そうですね。確かに、人ではないといえば、人では御座いません。何故なら私は旦那様の能力によって――――」
「や、やっぱりそうなんだ! 君はラルヴァか何かなのかいっ!?」
 僕は予想通りの言葉に食いつき、彼女の言葉を半ば遮りながら詰め寄り、思わず両腕を掴む。それに彼女は気圧されたようで、わずかに後ずさった。
「いいえ。私はそのようなものでは御座いません。私は旦那様に作って頂いた機械人形《オートマトン》です。もちろん、貴方様のような人とは違う存在ですので、広義的にはラルヴァになるかもしれませんけれど。何故、そのようなことをお聞きになるのですか……。あの? そういえばお伺いしてませんでしたね、貴方様のお名前は?」
「ごめん、僕の名前は赤井宗太《あかいそうた》。そうだね、自分の名前を名乗るが先だったね。実は僕の能力は――――」
 僕は感情に任せて行動した自分を恥て顔を真っ赤にしながら、彼女の暖かな手を離すと、自分の能力を目の前にいる彼女に全てを説明する。何故彼女に興味を持ったのかということも含めて――。
「なるほど、そういうことでしたか。ご質問の意味も合点がいきました。でも、貴方様、いえ赤井様の能力は実に便利ですね」
「そうでもないよ……。知っちゃいけないことまで分かっちゃうからね」
「私にとってはそれは実にありがたいことなんですけれど。先日も親切のつもりが『ちょっと、あんた! どういうことよ!?』などと怒鳴られましたから。どうも私は他者の感情が理解できないようでして……」
「そ、そんなことはないと思うよ。君だって様々な感情はあるだろ?」
 彼女は僕の言葉に俯くと、大きくため息を付く。そして僕の方を真剣な表情で見つめる。その深い青色の瞳は作り物のようには思えないほどに生き生きと輝いていた。
「よろしいですか? 赤井様。私の感情や言動は旦那様の能力によって規定されたものなのですよ。少し違いますが、私の反応や行動はプログラミングのようなものだと思っていただければ幸いです。そこに恐らく、感情というものは存在しません。それは、ご自分の能力で目に見える“オーラ”なるもので理解しているのではないですか?」
「そ、そうだけど、僕とこうして話している君が数字の羅列によるプログラミングの産物とは思えないんだよ」
 そんな僕の言葉に彼女は僅かに思案した様子だったが、何かを思いついたように僕に質問する。
「赤井様はチューリングテストというものはご存知ですか?」
「いいや? 何それ」
「それならばいいです。この話はここまでしましょう」
「何がいいんだい? というか、君は、さっきの話だと誰だかの仕打ちに不満を持っているワケだろ? それは間違いなく感情じゃないか?」
「不満? そうではありません。ただ、あの方の意図を理解できないだけなのです。そもそも私はあの方に不満を持っているのかどうかさえ曖昧です」
 そう呟く彼女が酷く悲しそうに僕には見えた。
「それ以前に赤井様は蟻の感情を理解できますか?」
「あ・り・?」
 僕は突然の質問に僕は思わず疑問で返してしまう。すると彼女は至極真剣な表情でうなづき、こう続ける。
「ええ、アリです。昆虫綱ハチ目スズメバチ上科アリ科に属する体長数ミリほどの小型昆虫の蟻のことですが?」
「知っているけど、僕には虫の感情なんて分からないよ。実際オーラなんて見えないしさ。第一、あんな小さな生物に感情があるとは思えない」
「それと同じことだとは思いませんか? 赤井様は先ほどこうおっしゃりました。覚えてますか? 『数字の羅列によるプログラミングの産物とは思えない』と。つまり、赤井様はプログラムごときに感情がある、魂が宿っているとは思っていないのです。蟻と同様に。自分の理解できないものを切り捨ててしまっているのです」
「ゴメン、言っている意味が良く分からないんだ」
 彼女に言われていることが全く理解できず、僕ただただ戸惑っていた。知恵熱で頭から湯気が出てしまいそうだ。
「どうも私は説明下手でいけませんね。これも良く怒られるところです。注意しませんと。――そうですね、こういう言い方はどうでしょうか? 赤井様はオーラが見えるものと見えないものを潜在的に区別していた……もしくは見えないと決め付け諦めていた…と。例えば、東洋の思想では森羅万象に魂が宿ると言いますし、付喪神のような存在も御座います。世の中には植物に感情があるという説を唱える科学者だって居りますよ。ラルヴァのような不可思議な生物が存在する以上、全てのものに魂や感情がある可能性は否定できません。そうではありませんか?」
「つまり、僕は敢えて見ようとしなかっただけで、君は自分に感情が存在し、魂も宿っていると言いたいのかい?」
 彼女は小さく首を振る。
「さあ? 先ほども言いましたが、それは私には分かりませんし、判断のしようがありません。罪を罰する神の罪を誰が罰するのか分からないようにです。何より、私のことよりも、そうやって自分の可能性を自ら摘んでしまうことはあまりよろしくないと思いますよ」
 彼女はそう言って僕に微笑む。それはプログラムのようなもので作られたものとは到底思えなかった。
『ちょっとー!! 何、そんなところで油売ってるのよっ!?』
 そんな叫び声と共に彼女のはるか後ろから、鬼のような形相でこちらにヅカヅカとのし歩いてくる女生徒が見える。ああ、いつも赤色のオーラばかり纏っている子か……。
「いえいえ、私は油なんて売っておりませんよ。第一、どこに売る油があるというのですか?」
 彼女は周りをキョロキョロと見渡し、売るべき油がどこにあるのか探そうとしていた。その行動に苛ついたように、赤いオーラの彼女は彼女の襟首を掴んで強引に引っ張っていこうとする。
「はぁ!? ゴチャゴチャ言ってないで、さっさと教室に戻るわよ……って、隣の人は誰よ?」
 ようやく、彼女は僕に気が付いた様子で、こちらを訝しげに眼鏡越しに睨みつけてきた。まるで僕は彼女をたぶらかそうとしている不振人物じゃないか……。 
「こちらは赤井様といいまして、なんでも私の身《・》体《・》に甚く興味を持って頂いたようでして」
「あらそう……って、ちょちょちょちょちょっと! 赤井君とい、言ったかしら!? ひ、昼間から、ななななな、なんてことを言っているのよ!? なんて破廉恥なのっ!!」
 彼女は意図しなかった言葉に思わず襟首を掴んでいた手を離すと、顔を真っ赤にし、頭から湯気を噴出さていた。真っ赤な顔とは裏腹に彼女の周りに纏わりつくオーラは、赤、青、黄と目まぐるしく変化し、まるで虹のように煌いていた。この程度のことでここまで感情を変化させるなんて面白い人だなあ……。
「と、とにかく、そんなことは私が許しません! さあ、さっさと教室に戻るわよ」
 自分の赤い顔を隠すように俯き踵を返すと、先ほどきた方向へと早足で歩き出す。
「あ、お待ち下さい笹島《ささじま》様! それでは、赤井様。お話楽しかったです。また、お話できると助かります」
 そう言ってメイド服姿の彼女は、恭しくお辞儀をすると、床に置いた段ボールを抱え、わ《・》ざ《・》わ《・》ざ《・》自《・》分《・》を《・》探《・》し《・》に来てくれた彼女の後ろを嬉しそうに追いかけていく。
 そんな彼女の周りに、僕は僅かながらも黄色いオーラが見えたような気がした。
 一体それはどういうことだろう? 彼女にはやはり感情はあるのだろうか? いやただの幻覚なのか? それとも僕は彼女と語り合ったことで、何かを掴んだのだろうか?
 その瞬間、僕はもう一度彼女の言葉を思い返してみる。
『赤井様は蟻の感情を理解できますか?』
 その言葉の意味は今も上手く反芻できていないが、何かが変わった気がした。分からないけど頑張って理解すればいいんだと思えた。そうだ、もしかすると、違う何かが見えてくるかもしれないのだから。
 僕は自分の掌を見つめる。そこには黄色いオーラが煌々と輝いていた。詰まらないと思えた学園生活も悪いものじゃないのかもしれない。





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最終更新:2010年05月27日 21:12
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