【砂浜の記憶】


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   砂浜の記憶 http://rano.jp/2839


 あれは六歳のときであったと浅尾七瀬は記憶している。両親と叔母夫婦に連れられて、神奈川県の湘南へ海水浴に出たときのことだった。
 両親は七瀬の面倒を見ず叔母夫婦との会話に夢中であった。海水浴の提案が出たのも、彼らが遊びたかったからである。彼らはまだ親と呼ばれるには若かった。
 ひとけの無い岩場の陰。その目立たない場所が彼にとって始まりの場所であった。
 鮮やかな青色をした髪の少女が、青黒くて丸い物体と対峙している。物体は五つほど砂浜に転がっており、それは幼い七瀬にとって幼稚園の教室の床に散りばめられた半透明のBB弾のように見えた。
「あなたたち、人間に迷惑をかけるのはやめなさい!」
 後ろ髪のブルーが陽炎のように揺らめき立っている。少女は物言わぬ球体に声を荒げていた。球体はグラウンドに放置されたままのボールのようにまったく生き物らしき反応を見せることなく、じっと動かない。下部分が少し砂浜に埋もれている。その重みがむしろこの物体たちに不気味な存在感を帯びさせている。
 ところが突如として丸い物体から、シュンと何かが飛び出した。触手だ。少女の脳天を射止めようとする並々ならぬ殺意。どんなに硬いものでもまるで布に針を通したときのように、音もなく穴を開けてしまいそうな鋭さ。
 触手が飛び出した時点で、覗き見をしていた七瀬は岩場から飛び出していた。
 思わぬ事態へと進展した。七瀬は横切るよう少女の前に躍り出る。飛んできた触手が彼の右ひじに直撃した。触手は腕をたやすく砕き、肘から先を落としてみせた。
「何てことを!」
 七瀬が絶叫しながら砂浜に転倒したのと、少女が驚愕して怒鳴ったのは、同時に起こった出来事だった。
「ひい・・・・・・っ! うぁあ・・・・・・!」
 脂汗が額にまとわりつき白黒の砂粒がべっとり付着する。顔を強く歪ませてのた打ち回った。そんな七瀬を前にし、少女はキッと表情を一変させ青い物体を睨んだ。
「表社会だからって、手加減をしたのが間違いでした」
 そして大異変は起こる。からっとした青空は突然電気を消されたように黒くなり、おとなしく白波を立てていた海岸も地獄の入り口が開いたかのように激しい渦を巻き、轟く。
「海神として命ずる。その方、我が荒波によって愚かな心を洗い流してきたまえ!」
 ドンと波打ち際に巨大な壁が立った。眼前に一瞬で堤防が広がったかのようだった。海神は反逆者たちに、怒り猛る津波を見せつける。
 物体たちは本体から無数の触手を展開させ、謝罪や命乞いを表明しているかのように恐れおののいた。しかしまるで地すべりを起こし大量の土砂を押し付けてくる山肌のごとく、津波は容赦なく彼らを叩き潰してしまった。
 波が引き、天候も怒りが収まったかのように元の穏やかさを取り戻す。敵は跡形もなくなった。海神は腕をちぎられて苦しんでいる七瀬のところに寄る。
「その無茶、感心しましたよ」
 くすっと苦笑を見せながら海神は七瀬に両手をかざし、力を込めた。すると先を失って行き場なく血液を吹き出していた肘のあたりに、喪失していた部分が復活した。やがて七瀬の呼吸が落ち着きを見せ、うっすら両目を開けられるぐらいまで回復する。
「回復が早い。もしやあなた普通の人間でない?」
 七瀬は透き通った日光に体を温められ目を覚ますいつもの朝のように、ゆっくりとした動作で起き上がり少女を見る。
 お姉さん、と七瀬は感じた。背丈や顔つきから伺える年齢はほとんど同じぐらいなのに、彼はこの少女が自分よりもずっと年上であると感じていた。
 声が大きくて、ゆったりと聞きやすい口調をしていて、言っていることが明快で、だけど内容が難しくてわからない。
 幼稚園でも彼女ぐらい落ち着いた雰囲気をかもし出す女の子は見られない。五、六歳ぐらいの子供といえば魅力あるものを探し求めてあちらこちら走り回る、子犬のようであるべきだ。言動も素朴な無邪気さが備わっていなければならない。
「異能者。あなたはそう、異能者なのです」
「お姉さんは誰?」
 七瀬はそう彼女にきいた。はなから少女の話など聞いていなかった。彼女は七瀬にそれこそ幼い子供に対して向ける、静かな微笑をしていた。白波が足元近くまで押し寄せ、しぶきが跳ねる。冷たい。少女も七瀬の質問に答えずに、両方の手のひらを真上に向けてさらした。七瀬とは違いほとんど日焼けの色はなく、周りの砂浜と同じぐらい白かった。
 彼女の両手の上に、「剣」が出現した。
 これには七瀬も言葉を失った。深い青色の長剣だ。その青さは何かにたとえるとしたら、彼は空よりも海の色のほうがふさわしいと思っていた。
「持ってごらんなさい」
 言われたようにすぐ七瀬は手を伸ばした。疑うことを知らない真っ直ぐな好奇心を示してみせるかのよう、剣を右手に持る。剣は重みまったく感じられず、立派な玩具をもらってしまったと彼はますます喜んだ。
 とたん剣は青い発光体となり、溶けこむように七瀬の右腕に吸収された。剣は消滅した。丸い目を何度もまばたかせ、自分の右腕に異変はないか、じっと見つめたりひねってみたりしている七瀬に少女は言う。
「勇敢な異能者の子供よ、それで守りたいものを守りなさい」
 右腕から目を離し、少女の瞳を見る。
「その剣で悪いものを斬りなさい。害あるものを斬りなさい。海神として命じます、あなたは異能者として戦うのです」
 少女の瞳は七瀬にとってまったく知らない緑をしていた。彼の使っているいかなるクレヨンをもってしても、彼女の目の色は表現できない。
「弱き者を、優しき者を、そして本当の意味で善い者を守るために――」
 もう一度、右腕に視線を移す。不思議な力を付与された彼の体は先ほどよりもずっと濃厚で熱い血液が巡り、活力に満ち満ちている。
「お姉さんは、誰」
 七瀬は彼女にもう一度そうきいた。目を輝かせながら、顔を上げて。
 少女は姿を消していた。
 真っ直ぐ前を見る。目の前に海が広がる。色とりどりのスーツに身を包んだサーファーたちが、嬉々として押し寄せてくる新たな波へと向かっていくところであった。
 背後に大きな絵の描かれた看板があった。それは青いクラゲに毒針を刺され、大泣きしている少年の絵だ。『カツオノエボシに注意!』。
 慎重な足取りで岩場を脱し、海水浴場に戻る。両親や叔母夫婦は相変わらずおしゃべりに夢中であり、ふらふらと一人で離れていった七瀬のことなど全く気にしていない。


 それから十年後のことである。東京都双葉島で、ラルヴァの獣人を一人の青年が攻め立てていた。彼は青い色をした長剣を担ぎ、自分より未熟な人物に対して人が見せる、屈辱的な苦笑をしてみせた。
「ほぅら、どうした。すっかり弱気になっちまいやがって」
「貴様、図に乗るな!」
 灰色の皮膚に覆われた獣人は拳を握り、大きな動きで彼に殴りかかった。鼻のあたりに根元からへし折られた角がある。額が割れており、黒い血液が目元や頬にそって流れ落ちていた。
「終わりにしてやる。宝剣『インディゴ・ブルー』!」
 握りなおした長剣が強く輝く。魂源力の込められた宝剣は一回り大きくなり、圧倒的な力を見せつけた。
 真上から降ってきた拳をすっと前に進んで避けつつ、真横に剣を振る。全ては一瞬の出来事で、青年は冷静に隙を突いていた。がら空きになった獣人の腹を仕留めたのだ。
 獣人は力なく崩れた。後ろを振り向いて確認する必要のないぐらい、彼は完璧に敵を斬った。水を切るようピッと振り、宝剣から魂源力を解除。役割を終えた剣はすぐに消滅する。
「ふん、これでどうだ。何があったか知らねえが、つまんねえ騒ぎ起こしやがって」
 青年がジロリと視線を向けた先には、白衣姿の研究員が四、五人ほど一つに固まって震えていた。恐怖によって腰が抜け、情けない愛想笑いを青年に示している。彼らが言うには、突然あの灰色の獣人に襲われたというのだが。
「・・・・・・こんなことで許されると思うな、人間め」
 青年は驚いて背後を振り向いた。仕留めたはずだった。しかし獣人は激しい憤怒の形相で、彼の目の前で立ち上がってみせたのだ。
「俺は被害者なんだぞ! 遺伝子から造られた、人工ラルヴァ計画の生体実験体だ!」
「何だって!」
 衝撃だった。彼はてっきり、このラルヴァが一般人科学者に危害を加えていたと思い込んでいた。だから剣を手に戦った。
「害悪? 駆除? 笑わせるな! いったいこの地球上でどちらが有害といえるのか、考えたことがあるのかね? 双葉学園生・浅尾七瀬よ!」
「く・・・・・・!」
「人間め。その傲慢さが、いつまでも許されると・・・・・・思う・・・・・・な・・・・・・!」
 獣人は前のめりに倒れて力尽きる最期のときまで、七瀬に堂々とした姿を貫いてみせた。じっと無言で彼を讃えずにはいられない、凄まじい生命力であった。しばらく口を開けて黙っていた七瀬だが、敵に対して向けたものよりもいっそう鋭い視線を、激しい怒りの眼差しを、研究員たちに突き刺す。
「どういうことだ!」
 彼らはおろおろとまるではっきりしない口調や話し方で、七瀬にこう説明する。
 あのラルヴァは本人が言っていた通り、駆除によって倒されたラルヴァの遺伝子でゼロから作成されたクローンであった。研究の目的はこうだ。ラルヴァの養殖技術を確立させ、より実践的な異能者教育・教材・訓練の材料にすること。あるいは人間の手によってさらなる生体実験や改造を施し、異能者がラルヴァをコントロールして使役するようにすること。聞けば聞くほどおぞましい話は出てきた。
 七瀬は泣きそうになった。こんなろくでなしの連中が俺の守りたかったものか。俺が力を使ってまで、命をかけて戦ってまでして守ったものか。
 こんな「命」を好き勝手に弄ぶある意味ラルヴァよりも恐ろしい非道な連中どもを、俺は守ってしまったというのか。
「くそったれ!」
 そう吼えて七瀬は現場を後にする。腰を抜かしたままでいる研究員たちをその場に放っておき、一人歩き出した。
 七瀬の剣は悪いものを斬るためにある。害あるものを斬るためにある。
「俺はあのラルヴァを斬ってよかったのだろうか」
 眼球をわなわな震わせながら彼は思った。斬られるべきはラルヴァを道具や素材として扱い、彼らの苦しみや悲しみや怒りに何一つ耳を傾けようとしなかったあの研究員たちではないか。ラルヴァも異能者も平等にみなすべきだという意見があることを七瀬は学校で学んだ。ならば、異能者を斬るのも異能者のやるべきこと、すなわち自分のやるべきことではないのか。
 彼がここまで異能者としての行為を気にし、己が剣を振ることにストイックに意味を追い求めるのには確かな理由がある。
『その剣で悪いものを斬りなさい。害あるものを斬りなさい。海神として命じます、あなたは異能者として戦うのです』
 六歳の頃にあの砂浜の岩陰で海神の少女に宝剣を託されてから、七瀬はずっとその啓示について考えてきた。悪いものってなんだろう? 害あるものってなんだろう? 異能者として戦うってどういうことだろう?
 そんな彼が罪のない一方的な被害者である、あのラルヴァを斬ってしまったことに激しいショックを受けてしまったことは当然のことなのである。彼は繊細な性格をしていた。
 そうして落ち込んだ気分のまま一人歩いていたら、ズボンのポケットに入っているモバイル学生証が振動した。着信か、メールか、学園からの連絡事項かのうちどれかだろう。
 手にとって液晶を見る。そして、気持ちの揺れ動きあちこちにぶれていた七瀬の表情が一つに固まった。
 受領したものは学園からのラルヴァ討伐依頼であった。前線で戦う主戦闘系異能者にとっては珍しくないもので、何度か彼もラルヴァの暴れる各地へ飛んでいったことがある。
 場所は神奈川県藤沢市だった。
 つまり、彼の故郷だ。


「わぁ、すごい」
「ほら、海よ○○ちゃん」
 江ノ電の運転室後方に陣取っている親子連れが、彼らを豪快に出迎えてくれた相模湾の雄大さに興奮している。七瀬はそのさらに後ろの座席で肘を着き、どこか冷ややかな視線で彼らのことを眺めていた。
 ああしてはしゃぎながら海に連れ出した、自分の親のことを思い出していた。七瀬の両親はとても若い。特に二十代だった頃の彼らは何かと叔母夫婦と共に行動し、土日には七瀬をショッピングだの山だの海だの連れまわした。友達に一緒に遊ぶことを誘われても断らなければならない苦痛や悲惨さを嫌というほど味わった。
「あんなに楽しそうにはしゃいじゃって、まぁ」
 心底面白くなさそうに言った。どうも心がすさんでいていけない。帰郷したのが一番影響しているのだろうと彼は思っていた。七瀬の機嫌が悪い原因は、数時間前のちょっとした帰宅にあった。
 実家にいた母親は、色使いの派手な衣服に身を包んで現れた。家の外も中も、見たことのない調度品で敷き詰められていた。もう一台お買い物用の車を買ったのよ、と聞いたとき七瀬は「知るか」と返した。
 浅尾七瀬は、異能者であったということで双葉学園から入学のお誘いが来たタイプの生徒である。将来性のある異能者の教育のためお宅のお子様をぜひ学園に預けてみませんかという胡散臭い一文より、真っ先に両親が目に付いたのは学園から出される報奨金の桁数であった。
 子を異能者として育てること。子を親元から離して外部から遮断された環境に置くこと。そして何よりも子を異能者としてラルヴァと戦わせること。それまで普通の家庭で普通の子供として育ってきた異能者には様々な「配慮」がなされ、露骨にもそれが毎月の報奨金の額に表れる。
 両親は大金に目がくらみ、あっさりと七瀬の島送りを容認した。その卑しさが数々の調度品やどうせ誰も弾けやしないグランドピアノ、小奇麗にリフォームされた実家の内装にしつこいほどあからさまに表れていた。日ごろ死ぬ思いをしながら訓練をさせられ、戦闘に駆り出される七瀬にとっては非常に面白くない。
 たった一時間ほどの滞在で彼は実家を離れ、藤沢駅のターミナルから江ノ電に乗り込んだのであった。当面彼があの家に帰ることはないだろう。
「まぁ、そろそろ気持ち切り替えなきゃな」
 彼はため息一つついた後、モバイル学生証を取り出し今回の案件を再確認する。
 湘南の海岸――七里が浜の海水浴場で、異常な巨体を持つ青いクラゲが頻繁に現れているそうだ。クラゲは先端の鋭い触手でもって人間たちに襲いかかり、毒針で危害を与えた。
 特筆すべきはその発生頻度と個体の数である。この夏の時期毎日のように目撃され、中には数十匹ものクラゲに取り囲まれて命からがら逃げることのできた人までいたそうだ。
 クラゲはラルヴァに違いなかった。よって過去も何度か双葉学園から異能者が派遣され、その都度一通り駆除してきた。しかし被害は年々増え続けるばかりで、先月とうとう先日毒針による死者が出た。七瀬はこれまでとは違い事件の全面解決を任された。事件の不可解さからしばらく藤沢に滞在し現地調査を行う必要があるかもしれない。だから出身者である彼が選抜された。
 七瀬は確認を終え窓の外を見る。江ノ電は駅に到着していた。車内は静かになっていた。列車が鎌倉高校前駅を発車すると、すぐ通過する踏切に先ほどの親子が笑顔で並んで立っている。スラムダンクのアニメももう何年前の話かな、と七瀬はそんなことを考えていた。
 気持ちに余裕が欲しかった。東京から藤沢に至るまでの間、彼はずっと今回の事件と自分の経験談の妙な共通項の数々に、何か暗合を感じてあれこれ考えられずにはいられなかったのだから。


「ひどいな・・・・・・」
 七瀬は途方に暮れたように立ち尽くし、そう呟いていた。やがてねずみ色の砂浜に足を踏み入れる。
 砂浜はペットボトルやコンビニのビニール袋といった廃棄物でひどく汚れていた。この辺り一帯はゴミが目立った。本来自然の香りであるはずの磯の匂いが、これらのゴミがもたらしている悪臭のように思えて軽くむせる。昨晩若者らが羽目を外したのだろう、花火の燃え滓が一つにまとめられて放置されており海風になびいていた。
 これほど生き物に恵まれないものが海なのか。七瀬は討伐や遠征で日本海の漁港や沖縄のさんご礁も見たことがある。どちらの景色も色彩は彼の感覚をはるかに凌駕した圧倒的な明るさや深みをもって襲いかかり、感激すら覚えた。
 それに比べて地元の海水浴場の汚さといったら。記憶の中の砂浜とは別の場所であるようにしか思えない。
「ちったぁ掃除しろよ」
 さび付いて塗装のはがれた空き缶を蹴っ飛ばす。真っ白に干からびた貝殻にぶつかる。もはやこれは海などではない。人間しか存在しない人間だけの公共浴場だ。心の汚れた人間の油や垢がふんだんに含まれている、汚染された下水そのもの。七瀬は足元近くに及んできた屑まみれの白波を横目に砂浜を歩いていった。
 海水浴場の奥のほうに行った端には巨大な岩石が海岸に押し寄せており、高く積みあがっている。七瀬はそんな岩場を軽々と越えてさらに奥へ進む。六歳の自分は岩にしがみつきながらでもないと、この難所を乗り越えることはできなかった。それが今では単なる石ころのようにちっぽけに見える。
「さて、この辺りのようだが」
 とうとうクラゲのラルヴァが多く目撃される場所に到着した。それまで落ち着かなかった精神が、一気に一つにまとまって気持ちが充実する。帰省気分に浸るのはもうおしまいだ。いよいよ戦いが始まるのだ。
 彼の背後には塩害によってひどく腐敗し、ボロボロに穴の空いた看板が立っている。辛うじてそれは『カツオノエボシに注意!』の文字が読めた。一緒に何かしら絵が描いてあるようだが、痛みがひどく判読は不可能であった。
 そして敵はやってくる。モバイル学生証のラルヴァセンサーが反応を示したのだ。低級ラルヴァの発生を知らせる点滅音を聞きながら七瀬は笑顔になり、右手に力を込める。
「宝剣『インディゴ・ブルー』!」
 右手に全長二メートルほどの長剣が姿を現す。剣は青い炎で揺らめき立っており、この地上のいかなる悪意も静かに滅ぼしてしまうだろう穏やかで神聖な色をしていた。
 七瀬が十年前、まさにこの場所で海神の少女から得た神秘の力だ。長剣は彼の成長とともに発達し、色合いが深みを増し、彼の通り名「インディゴ・ブルー」の由来になる。七瀬にとって異能者としての始まりであるこの場所で、それも因縁の敵相手にこの力を使えるなんて。仕組まれたような数々の偶然に彼は興奮せずにはいられない。
 と、そのとき小刻みにやってくる波に混じって、遠方から丸くて青いものが接近してくるのを確認した。数は十体ほどだ。以外に多いなと呟いてから七瀬はさらにこう言う。
「さて――いつぞやのリバイバル・マッチだ」
 すっかり手に馴染んだ長剣を振りかざし、彼は堂々と構えた。接近してきた敵は明るく発色しすぎてむしろ毒々しい水色の体を持ち、風船のような本体から何十本もの触手を根のように生やしている。カテゴリー・ビースト「カツオノエボシ」だ。
 ごく一般の電気クラゲ・カツオノエボシも非常に危険な海洋生物として有名だ。触手の毒針にやられると醜悪な水ぶくれと共に激痛が走り、最悪の場合死に至ることもある。だが七瀬が目の前にしているのはそれよりもさらに凶悪で危険な「ラルヴァ」である。一体のカツオノエボシがとうとう上陸し、砂浜に多数の触手を引きずって七瀬に近づいてきた。やがて触手の先を弾丸のように飛ばしてきた。
 七瀬はそれを長剣で右に払う。そして走って接近、戦闘が始まった。
 弾幕のように押し寄せてきた無数の触手の毒針を、払ったり避けたり。全力で疾走しながら七瀬はカツオノエボシに向かっていく。至近距離に入ると自慢の宝剣に魂源力を込め、駆けてきた勢いのままに斜め上へとぶった斬った。
 攻撃をもろに喰らったカツオノエボシの体が裂け、ばらばらになった体を砂浜に落とす。撃破された個体は消滅した。思いがけない七瀬の強さに、群れにはっきり「躊躇」が表れた。
「昔よくも右腕千切ってくれたな。十年前の復讐だ!」
 透明感のある青い扇形の面が宝剣インディゴ・ブルーのなぞった軌跡となり、腕を振り上げた七瀬の前にくっきり残像として残る。その上下に散らばるは、無残にも切断されたカツオノエボシの触手たち。
「何十匹でも来い。俺が全て叩き潰す!」


 傾いた日に反射して相模湾は白く眩しく輝いている。特徴のある江ノ島のかたちがだんだんと影絵のように黒くなってきた。
 七瀬は汗まみれになり、肩を激しく上下させて砂浜に座り込んでいた。二時間ほど、無尽蔵に沸いて出てくるカツオノエボシと戦闘を繰り広げていた。三百匹は八つ裂きにして葬った。
 彼は疑念を抱いていた。どうもおかしいと思っていた。カツオノエボシの群れにしては数が多すぎる。豊富な経験から一つの予測を確かなものにしつつあった。
「親玉がいるな・・・・・・」
 彼が六歳のときに襲われてから、このクラゲラルヴァたちはボスを中心にして繁殖してきたに違いない。双葉学園の異能者がたびたび派遣され駆除してきたのにも関わらず、被害者の数が年々右肩上がりになっていったのも筋が通る。
 と、そのときだった。モバイル学生証が一定に流れる甲高い電子音を鳴らせたのだ。
 七瀬はばっと立ち上がり、インディゴ・ブルーを構える。歯を食いしばり頬に汗を流す。これまでの雑魚とは比べ物にならない、中級クラスのラルヴァが七瀬のもとに近づきつつあるのだ。恐らくカツオノエボシの親玉だ。
 そして、それは姿を現した。
 いったいいつの波に乗ってやってきたのか、いつの間にか波打ち際にたたずんでいた。白い薄地のワンピースに、青く燃える後ろ髪。十年前に出会ったときよりもずっと背は高くなっており、女性らしい丸い肉付きをしていた。
 七瀬は言葉を失っていた。彼の記憶しているエメラルド・グリーンの優しい瞳は、まるで砂浜に打ち上げられた腐敗した海草のようにどす黒い緑色をしている。目元は異常なまでに吊りあがり、強く戸惑う七瀬を外敵として睥睨していた。
 何より彼が受け入れがたかったものは、彼女の頭に乗っている青い物体である。カツオノエボシだった。クラゲラルヴァの体が彼女の頭部と同化し、髪の毛と共に無数の触手を下ろしていたのだ。
「愚かな人間め。海神に逆らえば命は無いですよ」
「お前・・・・・・! どうして人間たちを・・・・・・!」
「人間は害悪だからです」海神の娘はきっぱり言いきった。「御覧なさい。人間たちは海を汚し多くの命を踏みにじりました。ビニール袋を飲みこんでウミガメが死にました。重油を垂れ流して海鳥が苦しみました。浅瀬を干拓し魚たちの住処を強奪しました」
 信じられなかった。七瀬に戦う力を与え、異能者としての使命を与えたあの少女が、このような豹変を遂げて再び彼の前に現れるなんて。
「人間は海から生まれ海とともに生きてきました。それなのに、いつしか海に対する感謝の気持ちも忘れ、あろうことか海を汚染し、生物を乱獲し、資源を貪り取っています。これは母親に対する強姦行為そのものです。だから私は人間によって生命を脅かされている海洋生物、ラルヴァ、そして海を守るために、害悪な存在である人間を駆除することに決めたのです」
「それで、こいつらクラゲどもと一体になっちまったってのか・・・・・・!」
 残酷な現実だが受け入れなければなるまい。かつてカツオノエボシから人間たちを守り、七瀬に特別な能力を与えた海神の少女はもういない。現実を見誤ってはならない。目の前にいるのは敵だ。人間に危害を加える討伐対象のラルヴァなのだ。七瀬はインディゴ・ブルーを構え、いよいよ覚悟を決めて魂源力を流し込んだ。
「お前がくれた剣だ。これも忘れてしまったのか」
「・・・・・・存じません」
「悪いヤツを斬れと。害のあるヤツを斬れと。お前に言われて手にした剣だ」
「・・・・・・存じません」
「俺に異能者として戦えと、そう言ってお前がくれた剣だ!」
「・・・・・・デタラメもいい加減になさい、ニンゲン風情め!」
 彼女の両目が瞬いた。するとまるで蛇のように頭部の触手がゆらゆらと蠢き、一度に何百本も七瀬に襲いかかってきた。全て毒針だ。たった一本でも皮膚に被弾したら命は無い。
 しかし彼は剣を左右に払い、襲いかかってきた触手を薙ぐ。触手の先が青い炎に包まれボトボトと砂浜に落ちる。海神の娘は驚愕していた。
「俺は、お前を斬る――」
 七瀬の耳から波の轟きが消える。引いては押し寄せる波の繰り返しが全て停止する。彼はインディゴ・ブルーに力を注ぎ、彼女の真横を通り抜けるようにし、抜いた。
 目を見開いて驚いたままの海神の首が、足元に落下した。ばしゃんという波打ち際に落ちた音を聞いたとき、止まっていた波も黒点となっていた海鳥も再び動き出した。七瀬は彼女を討ち取ったのだ。
「絶対に許しません。異能者のニンゲン・・・・・・」
 もう七瀬は彼女の言葉に耳を傾けない。剣を払うように振り手元から消去する。背後では首を失った娘の体が細かい砂となって崩れ、風に煽られて飛んでいった。この広大な砂浜に、景色に溶け込んでいった。醜い憎悪の表情を見せていた頭部も、それに続いて粉々になって消滅する。
 それでも七瀬はもう二度と彼女のことを見ようとしなかった。
「あれはラルヴァだ。危険で害悪な化物なんだ」
 勝利した者のするものとは思えない、空しい顔をしてそう言った。
 気づけば日はほとんど落ちており、西の地平線だけがろうそくに照らされたようにとても赤い。街灯が長い国道に沿って並び、長い線を作って遠くに続いている。
 戦いは終わった。斬るべきものは斬った。双葉島に早く帰ろうと思ったそのとき、翳った足元の砂浜の砂粒が非常に小さくて細かいきらめきを見せた。
 それは誰かが残していった涙であるように七瀬は思えた。




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