【眠り姫の見る夢 -Ayana- 前編】


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 ◇一


「それじゃあ、バイバ~イ」
 私は手を振り、学園大学部生を自称する男のアパートを後にした。
 文化祭も終わってまだ間もない十一月初頭、早朝の冷たく澄んだ強い風にさらされ小さく身を震わせた。もう冬だなぁ。薄い雲間から差し込む眩い朝日が寝不足の目にしみ、ふあーっと大きくアクビ一つ。
 西の空にどんよりとした雨雲が立ちこめていた。まだまだ遠いから降り出すとしても夕方あたりだろうけど、この後さらにぶらついて万が一雨に降られても嫌なので、私はさっさと家へ帰ることにした。
 昨晩ナンパされてそのまま夜通し遊んで……顔はそこそこいいオトコだったけど、アレはあまり上手くなかったなぁ。
 週末とはいえまだ人気《ひとけ》のない繁華街を通り抜け、|ヒナキんちのお店《スィーツ&ベーカリーTANAKA》がある商店街を横切る。おじさんとおばさんはお店の仕込みのためにもう仕事してるだろうし、ヒナキも休日の朝は手伝わされるって言ってたから、こんな朝っぱから遊びに行くのはさすがに迷惑だろう。
 っていうか今行ったらきっとヒナキに「アヤナも手伝って」って言われるな。

 私はふと無意識にゴソゴソとポケットを探り……、そういえば昨日帰宅して私服に着替えた後、|わ《・》ざ《・》と《・》学生証を携帯しなかったことを思い出す。金曜放課後から週末にかけて街で夜通し遊ぶ時は下手こいて身元バレしたくないし。誤魔化して逃げるための自己保身術(?)だ。
「まぁいいかぁ」
 メールや着信も気になったが、帰宅してからでいいだろう。
 ……と、ポケットの中に覚えのない紙切れが折りたたんで入っていることに気付く。広げてみると汚い字であまり見覚えのない男の名前と連絡先、そしてメールアドレスが殴り書きされてあった。これはやっぱり、さっきの男だろうなぁ。
「……あほくさ」
 私は小さくため息をつくと、その紙切れを丸めて路肩へぽいっと放り投げた。

「あれ? アヤナさんだ。駄目だよ、ゴミ捨てちゃ」
 不意に後ろから声かけられ、私は驚き振り向く。
 その先には、片手で学生証をポチポチいじりながらもう片方の手で私に向かって「おーい、アヤナさん、おはよう」と大きく手を振る眠り姫の姿があった。……って、こんな朝早くになぜこの子が?
 放った紙くずを拾おうとする眠り姫を適当に言い訳しながら制止し、私はそそくさとそれを拾い直しポケットへ突っ込む。
「ごめんねぇ。おはよー姫音《ひめね》さん。一人? 相羽《あいば》さんは?」
 私はふと、いつもの保護者《あいばさん》なしに眠り姫が一人で出歩いてることに疑問を感じた。危険じゃない? この子一人でいたら。
 彼女は手元の学生証の表示を見、苦笑いで小さなため息をつきながらコンソールを弄り――おそらく待ち受け画面に戻したのだろう――上着のポケットに仕舞うと、
「んー、学校お休みの朝はいつもそこの双葉公園までお散歩してるんだよ。それと、コトはまだ寮室で寝てる。休日はいつも昼過ぎまで寝てることが多い、かな」
 眠り姫はへらへらと笑いながら、なんだか嬉しそうに語った。
「へぇ……平日と休日だとま逆なんだ。面白いねぇ」
「ところでアヤナさんは?」
「私!? 私は……えーとぉ」
 突然こっちの話を振られて言葉に窮してしまった。「朝帰り」なんて説明するのもアホらしいし、そもそもこの子に伝わるのかなぁ?


 どうしたもんかと首を捻っていると、眠り姫が南東の空を見つめ、何かを指差しながら呟いた。
「ねぇ、アヤナさん。あれ……」
 私は眠り姫の指差す方へ首を向ける。
 そこには、数百メートル先の道路に根を張り緩やかな弧を描く七色の虹がまるで陸橋のように生《・》え《・》て《・》いた。
「ん、虹かぁ。こんな時間に珍し……って、虹!?」
 私はその光景に目を見張った。地面から虹が生えてるって何だあれ!?
「うわーすごいね。私、虹の根っこって初めて見たかも。いつも空の高いところに見えるだけだもんね」
 眠り姫があまりにもアホなことを言っている。私はその虹が根っこから伸びているさらに先、朝日の昇る東の空を見上げながら、
「いや待って。そもそも虹って雨上がりとか滝の近くとかの空気中に水滴が含まれる状態で、太陽を背にして空高くに見える気象光学現象のことだから。こんな朝、しかも東向きで太陽を正面にして、っていうかそもそも地面から虹が生えてるなんて常識的に考えてもあり得ない!」
 ……あ。つい虹には特別な思い入れもあって、口早に蘊蓄《うんちく》を捲《まく》し立ててしまった。もしかして気を悪くさせてしまったかと眠り姫のほうへ、虹の根本へと目線を向けると、
「ねーねーアヤナさん、この虹、乗れるよ!?」
「ちょっと人の話を聞……何だってぇ!?」
 私のことなど全く気にせずといった素振りで、眠り姫は地面から生えたその虹の上で嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねていた。
「あ……ありえねぇ」
 私は恐る恐る爪先で虹をつついてみる。ホントだ、触《さわ》れるぞこれ。





 ◇二


「…………ゎぁぁぁぁあああ!!」
 突如、虹が伸びる先の東の上空から甲高い悲鳴が響き、私は慌てて虹から飛び退く。同時に
「きゃぁあ!?」
 その虹を滑り台よろしく滑走《かっそう》してきた少女に追突され、そのまま後ろから押し倒される形で、前のめりに地面へと落下した。
「いったぁ……」
「ごめんなさい! 大丈夫でしたか!?」
 うつ伏せの眠り姫へと馬乗りになった少女が慌てて飛び退く。初等部の子だろう、二重まぶたの活発そうなかわいらしい女の子だった。
「このまま公園まで行く予定だったのですが、友達が追いかけて来たのが見えたので……まさか虹を降ろした先に人がいるとは思わなくて……ホントごめんなさい」

 私は、いかにも申し訳なさそうにモジモジとしている少女をいじらしく思い、
「えっと、お名前は?」
 とりあえず訪ねてみた。しかし少女は節目がちのまま、
「……虹子、森田《もりた》虹子《にじこ》です」
「虹……? もしかして、虹の異能者だから『虹子』ちゃん?」
 私の返答に虹子ちゃんは急に私を見上げ、驚いたかのように目を見開くと、
「はいっ。私が生まれた時、指にこう……リボンのように虹を巻いていたからなんだよって、お母さんに教えてもらいました」
 虹子ちゃんはようやく申し訳なさというか緊張がほぐれたのか、屈託のない笑顔で話してくれた。
 それが私はとても嬉しかった。私はそんな虹子ちゃんの手を取ると、
「そっかぁ。私ね『鈴木《すずき》彩七《あやな》』って名前でぇ、アヤナって漢字、七色の彩《いろど》りって書くんだけど――」
 彼女の手のひらに指でそっと自分の名をなぞり、
「実は私のこの名前も、生まれた日が雨上がりでものすごくきれいな虹が空に掛かってたからなんだって、私のお父さんが教えてくれたんだよぉ」
 そして彼女の手を握り、微笑んだ。
「わー、それじゃ私とおそろいなんですねー」
「ホント、おそろいだねぇ」
 私は虹子ちゃんと手をつないだまま、本心から喜びはしゃぎあった。

「へぇ、アヤナさんの名前の由来ってそんななんだ。知らなかったぁ」
 ……とりあえず間抜けな表情で私たちを見つめていた眠り姫のことは無視することにした。



「コラぁ! 虹子!!」
 和やかな空気の中、一人の少年が息を切らしながら私たちの元へ――いや、正確には虹子ちゃんの元へかな? 駆け寄ってきた。
「あ、太陽くん」
 虹子ちゃんが声をかける。太陽君と呼ばれた少年は怒っているような呆れているような、いかにも複雑な表情で、
「あ、じゃねーよ。お前またその異能つかって一人で勝手に先行ったりするんじゃねぇ! 班のみんなもあきれてたぞ!?」
「そうだ、みんなは?」
「他の四人は直接双葉公園の中央広場に向ってもらった。俺だけ先にお前の虹に沿って追いかけて来たんだよ。みんなで走るのもめんどくせーからな。ほらさっさと双葉公園でみんなと合流するぞ。……で、こっちのお姉さんは何を?」
 私は太陽君が見つめる先に目線を送った。そこには――
「……すぅ……」
 さっきの虹の斜面にもたれ掛かりすやすやと眠っている姫音さんの姿。うわぁ、ちょっと目を離した隙にすぐこれか。
 ひとまず私は眠り姫をたたき起こした。何事かときょろきょろとあたりを見回している。この子に関わってるのが時間の無駄だ。私は太陽君の方へと向き直ると、
「ごめんねぇ、そっちのお姉さんのことは放っといていいからね。……えっと、太陽君、でいいのかなぁ?」
 私と、そして目を擦りながらの眠り姫に目線を向けられ、太陽君は困ったような照れたような表情を浮かべ指先で頬を掻いた。そこへ虹子ちゃんが、にこにこ笑顔を私たちに向ける。
「あ、こちらは私の友達で朝倉《あさくら》太陽《たいよう》くんです。太陽くんも異能者で、雨雲をどかせることができるんですよー」
「へぇ、太陽君も異能者かぁ」
「バッカ、俺のことなんて別にいいだろ! それよりもう、早く行くぞ」
 名前だけならまだしも異能のことまで紹介されたのが癪に障ったのか――あ、それともこの反応の仕方は思春期特有のアレかな? 太陽君は双葉公園の方角を指さしながらまくし立てた。
 虹子ちゃんは如何にも「あ、そうだった」と言わんばかりに手をぽんと打つと、私たちへと振り返り、
「うん。それじゃお姉さんたち、またね」
 手を振り立ち去ろうとする。しかし、私はちょっとわけあって慌てて二人を呼び止めた。
「あ、待って虹子ちゃん。ちょっとだけその虹に乗ってみてもいいかなぁ?」

 ――そう、乗ってみたかったのだ。
 いい歳してそのメルヘンチックな願望を口にするのがはばかられ、言い出すタイミングを失っていたのだが――

 虹子ちゃんは再び私へと振り返ると満面の笑みで答えてくれた。
「はい! 同じ虹の名前のお友達ですもん。遠慮なんてしないでください」
「ほんと? やったぁ、ありがとぉ」
 そして虹子ちゃんは、指で顎を押さえながら「うーん」と首を傾げると、
「私たち今からもうちょっと先の双葉公園まで行くんで、もしよかったら私の|虹の掛け橋《レインボー・ロード》で一緒に行きませんか?」
 虹子ちゃんに聞かれ、そういえば太陽君の言葉を思い出す。単に友達内で遊びに行くのなら「班のみんなは~」とは言わないだろう、課外活動か何かがあるのかなぁ。
「二人は……あ、班行動で合計六人だっけ? 双葉公園で何か用事とかあるの?」
「はい、社会科の宿題で『班で双葉島の歴史を調べてみましょう』って」
 ビンゴだった。隣で太陽君が虹子ちゃんに相づちを打つ。
「そう、自分たちの足で調べて回りましょう、ってな。さっさと終わらせて遊びに行こうってのに、こいつが勝手に……」
「むぅ」
 太陽君の言葉に虹子ちゃんが唇を尖らせていた。なんとも可愛らしい。


「それじゃちょっと急ぎましょう。曇ると私の虹は消えちゃうんで……」
「あれ? でももし曇っちゃったら、その時は太陽君に雲どかしてもらえるんだよね? 異能の相性とかお似合いカップルだねぇ、このこの」
 私はニヤニヤしながら冗談半分に、耳まで顔を赤らめながらそっぽを向いた太陽君を肘で軽く突っついてみせた。
「では行きましょう!」
 虹子ちゃんは、眠り姫がベッドにしていたさっきの虹を一端消しさると、人差し指で徐々に広がりつつある雨雲から覗く朝日を指さし、彼女はくるりと指先を回せて見せる。すると、その指先からまるでシャワーのように、大量の粒子が涌き出てきた。
「……綺麗」
 私は思わず呟いてしまった。
 虹子ちゃんの指先から作りだされるキラキラと輝きだしたプリズムは、やがて空に一本の「虹」を生み出していった。

 今居た住宅地から北西方向の双葉公園まで伸びる虹の上から望む双葉島は文字通り絶景だった。
 朝日に照らされた綺麗に区画された町並み、幾重にも折り重なる学園の校舎群。そして人工島でありながら山や川、海岸まで整備された、自然との共存すら考慮された空間。
「うわぁ……」
 私は、またしても思わず声を上げてしまった。
 ビルの上階から見た景色とほとんど同じはずなのに、それまるで全く違った風景のように感じられた。

 私たちはしばらくの間、緩やかに双葉公園の中央広場へと延びていた|虹の掛け橋《レインボー・ロード》を進んでいたが、不意に虹子ちゃんが、
「ごめんなさい、ちょっとここで降ろします」
 と、急に螺旋を描《えが》き、虹の先端が双葉公園の南東側、遊歩道のある雑木林へと根を下ろした。





 ◇三


 先頭の虹子ちゃんが着地し、追うように太陽君、私の順に虹を降りた。
「いてっ」
 ……最後尾の眠り姫は、上手く着地できなかったのか尻もちをついていた。ホントどんくさい子だなぁ。
「いったぁ……、えへへ、お尻から落ちちゃった」
 へらへらと笑いながら立ち上がり、ジーンズをパンパンと叩《はた》いていた眠り姫。さっきからこんなんばっかで……もしスカートだったら膝とかすりむきまくってたんだろうな、この子。

「でも、虹子ちゃん達中央広場で待ち合わせてたんでしょ? そこまで伸ばしてくれてもよかったのに」
 消えた虹に名残惜しみながら私は虹子ちゃんに声をかけた。虹子ちゃんは困ったような表情で空を見上げた。
「あ、そっか。曇ると消えちゃうんだっけ」
 風が強いからなのか、まだまだ遠い西の空にあったはずの雨雲が案外早いペースで近づいて来ている。朝日が射し込んでいた東の空もすでにほぼ一面が薄雲で覆われてしまっていた。
「はい、途中で落ちちゃうわけにもいかないので……」
 そして小さくうなだれながら「ごめんなさい」と続けた。
「なんだ、それならさっき話してたように俺が雲どかしてやったのに」
 太陽君がさりげなく(?)フォローに回った。なんだいやっぱりこの二人いい関係なんじゃない?
「でも太陽くん、集中しなきゃ上手くコントロールできないんでしょ?」
「う、そんなことないぞ、たぶんお前の虹の上を滑りながらでも出来なくはなかったと思うぜ?」
「えー、ほんとにー?」
 虹子ちゃんが太陽君の顔を覗きこむ。太陽君の顔はまたしても真っ赤だ。
 そんなちびっこ二人に私は隠れてニヤニヤしていた。いやー、若いっていいねぇ初々しいねぇ。


「……ん?」
 と、眠り姫がふっと硬い表情で首をかしげるように、雑木林の先へと目線を向けた。
「どした?」
「何か……気配がする」
「気配……何の?」
 私も眠り姫の目線を追うが、その先になんらおかしい様子は感じられない。虹子ちゃんたちも顔を見合わせ首を傾げている。しかし――
「わかんないけど、何か、いる」
 雑木林の向こうに何かの影が見え隠れする。ガサガサと藪《やぶ》を踏み分けて進む音が近づいてくる。
 眠り姫がちびっこ二人の手を引き小さく屈《かが》ませ、迫り来る「何か」をじっと見据えると、
「……来る」
 小さくつぶやいた。

 同時に、影がその正体を私たちの前に現した。
「へ、蛇ぃ!?」
 雑木林から、数メートルはあるだろう巨大な蛇の頭がぬっと覗かせる。私は情けなくも大声をあげてしまった。
「蛇……ってそんなまさか……、まさかあいつがまだ!? あいつはあの時オバチャンがやっつけたはずなのに……」
「……ぃやぁぁぁあ!!」
 突如、眠り姫の手を振り切り、虹子ちゃんが遊歩道の先へと駆けだした。
「ちょっ、おい虹子!?」
 間髪いれず太陽君が彼女を追いかけていく。
 ……と。彼らの声によってこちらに気付いたのか蛇が私たちの方を見下ろしてきた。間抜けな、それでいて威圧感のある顔。横に裂けた大きな口から先の割れた真っ赤な舌をチロチロと覗かせながら、のそのそとその巨体を藪から抜け出させ……その異様な姿に、私は再び大声をあげてしまった。
「何じゃありゃあ!?」
 頭と長い首は確かに蛇そのものだった。が、肩と思《おぼ》しき突起から小さな腕をちょろちょろと動かし、そしてなにより人間のような下半身をもって二足歩行でのそりのそりと近づいてくる。
 人間でもない、普通の蛇でもない、人外の存在――初めて見た、こいつが、ラルヴァ?
 この蛇ラルヴァがいったい強いのか弱いのか、また人を襲うタイプなのかそれとも友好的なのか。頭が回らない、まったくわからない。
 学園の授業で概論や模擬戦、避難訓練などはいくらでも受けてきたが、いざ実際に遭遇すると頭は真っ白で、目も背けられないまま立ちすくんでしまう。
 ……少なくともこのまま私と眠り姫だけじゃどうしようもないことは明白だった。
「アヤナさん、逃げよう。あの二人を追わなきゃ」
 眠り姫に肩を揺らされ私は我に返り、
「わ、わかってる!!」
 無理矢理絞り出したその返答を合図に、私たちはちびっこ二人の走り去った遊歩道へと駆けだした。



「姫音さん、足、遅ぉい!!」
「……だって、運動とか、苦手なんだもん……」
 私の後を必死になって追う眠り姫は、まだ数百メートルも走っていないというのに、既に表情は崩れ息も絶え絶えで、私も決して速い方ではないにしても、意識していないとすぐに彼女を引き離してしまいそうだった。
 まぁ、それでもまだ眠り姫のかなり後方をのっしのっしと走る蛇ラルヴァのほうがもっと足が遅いってのがせめてもの救いか。あいつ後ろ足で走らないで這ったほうが速いんじゃないの?
「ほら、急いで!」
 私は眠り姫に檄《げき》を飛ばすと、前を行く二人を追いかけた。

 遊歩道を抜け、視界が広がる。
 そこにはブランコやシーソー、砂場とセットになった滑り台に丸太組みのアスレチック、そして出入り口の穴が幾つか開けられた直径三メートル程のドーム型の遊具などが設けられた、簡素な子供向け広場だ。
 まだ朝早いからだろうか、単に運が良かったのかそれとも悪かったのか、ラルヴァに追われてからここに来るまで私たち以外の人とは遭遇していない。他に被害者が出ないってのはいいことなんだろうけど、同時に助けてもらえそうな人が周りにいないというのはかなりきつい。
 広場へ入って見渡す間もなく、滑り台のそばにちびっこ二人を見つけ私は急いで駆け寄った。
「二人とも大丈夫!?」
「俺は大丈夫、でも虹子が……」
「……やだよぅ、怖いよぅ」
 膝を抱え地面にうずくまり嗚咽を漏らしている虹子ちゃんの肩を太陽君が支えていた。
 なんだろう、虹子ちゃんの怯え方は単に「ラルヴァと遭遇した」ってだけではなさそう? 明らかに「あの蛇ラルヴァ」そのものを拒絶しているように見えた。

「……追いついたぁ」
 私の後ろで、前かがみに両膝《りょうひざ》を押さえ、今にも倒れ込みそうな勢いでゲホゲホとむせ返っている眠り姫はとりあえず無視しておいて……、私はそのさらに後方を見渡す。予想以上に足が遅いのか、蛇ラルヴァは先ほど私たちが走って来た遊歩道のはるか向こうにようやくその影が見える程度。しかし……。
「遅いけど、真っすぐこっちに向かって来てる。どうしよう……」
 しかし、たったこれだけの距離で息も絶え絶えに疲労困憊の眠り姫と、可愛そうなほどおびえきっている虹子ちゃん。この二人を連れて無事に逃げ切れるのか……?
 太陽君がなんとか虹子ちゃんを立たせようと声をかけたり手を引いたりしているが、両膝に顔をうずめたままいやいやと首を振る虹子ちゃんは微動だにせず、こりゃまいったねぇ。
 蛇ラルヴァの影は刻一刻と近づいてきている。私はどうしたもんかと辺りを見回すと、
「太陽君、こっち。いったん隠れるよ」
 私は虹子ちゃんを脇に抱え眠り姫の手を取り、太陽君と共に二人を引きずるようにドーム型遊具の中へと潜り込んだ。





 ◇四


 しばらくの間、三人がかりで虹子ちゃんをなだめすかし、ほどなくしてなんとか虹子ちゃんは平静を取り戻したようだった。
 っていうか、明らかにヤバイ状況だってのにあの蛇ラルヴァの足がとことん遅いせいもあって中途半端に余裕があるというのも変な話だ。
 ……と、ようやく息が整ったのか眠り姫が、
「そういえば太陽君、さっき『あいつはあの時~』って言ってたよね、もしかして、あの蛇ラルヴァと前に遭遇したことあるの?」
 突然二人に尋ねる。その言葉に虹子ちゃんがピクリと反応した。
 太陽君はそんな虹子ちゃんの顔をちらりと覗くと、
「……うん。二ヶ月半くらい前、っていうか夏休みの終わりころに総合グラウンドで遊んでて、そのときあいつと同じ蛇型のラルヴァに襲われたことがあって。で、虹子があいつに……その、飲み込まれ……」
 そこまで言って言葉を詰まらせ、太陽君は再び虹子ちゃんへと視線を向けた。せっかく正気を取り戻したってのに虹子ちゃんはさっきよりもさらに小さくうずくまってしまっている。
 しかし――、なるほど。これで虹子ちゃんが何故ここまで異様に怯えるのか納得できた。
「あの時は、大学部の学生課のオバチャンが一瞬で焼き殺して、助けてくれたんだけど……」
「……あぁ、あのおっかない眼鏡のオバチャ……オネエサンね。っていうかごめんねぇ、この子が余計なこと聞いて嫌なこと思い出させちゃって」
 言って、私は二人にばれないように眠り姫を小さく蹴った。まったくこの子は、空気読めよねほんとにもぅ。

 ってか、そんなことよりも……。
「なんとかしなきゃ」
 この状況を打破する方法を考えないと。
 現状、非戦闘系異能者が三人と一般人の私。しかもそのうち二人は初等部生だ。もうこのメンバーだけでラルヴァ相手にどうしようかと考えること自体が間違ってる。
「そうだ、誰か助け呼べば……」
 ぱっと思いつくだけでも何人か戦闘系異能者の顔が浮かぶ。ポケットを探りながら誰を呼ぶべきか考え……、
「しまった、学生証持ってなかったんだった」
 昨晩の自分の浅はかな思惑がこんな時にあだとなるとは。
 ていうか、ラルヴァに襲われたら写メってから逃げるなんて息巻いて起きながら、実際に遭遇してみればそんなこと考えていられる余裕すらないことに気づく。我ながらなさけない。
 と、余計なこと考えてないで……、
「姫音さん、さっき学生証持ってたよね? 誰かあのラルヴァ倒せる異能者を助けに呼べないかなぁ!?」
「えっと、ごめんね。電池、切れちゃった」
「はぁ!? さっき会った時にいじってたじゃん!?」
 思わず詰め寄ってしまった。眠り姫は困ったような本当に申し訳なさそうな表情で私を見ると、
「昨日の夜、充電するの忘れちゃってて……、それに私、朝に散歩する時はいつもアプリ起動してゲームしたり音楽聴いたりしながらだから……ほら、途中で眠くなったりしないように、ね」
 ポケットから取り出した電池の切れたらしい学生証を両手で挟み「ごめんね」と頭を下げる。
 私は即座にそれを奪うと、勝手に電源を起動する……がしかし、ピピピッという警告音と共にディスプレイに『バッテリー残量が不足しています』の表示が出てそのまま強制終了されてしまった。うわなにこの子使えない。
「そっちの二人は?」
 私は眠り姫に学生証を投げ返すと、ちびっこ二人のほうへと振り向く。
 もう形振《なりふ》り構ってる場合じゃない。しかしこの子たちの友達に戦闘型異能者がいたとしても、まさか初等部生にそんな危険なこと頼むわけにもいかないし。友達の兄弟とか、なんとか誰か頼める人がいれば……。
 しかし、
「今日の宿題は『ネットで調べず自分で見て回りましょう』って先生に言われたから、私も今は……」
「うん、俺も……」
 二人の返答はなかなかに辛辣なものだった。えぇぇ、それってつまり……、
「じゃあ、まさか今、誰かと連絡とったり助けを呼んだりする手段がないってこと?」
「……えっと、あれ? アヤナさんも学生証持ってないの?」

 絶望が襲う。軽くめまいがした。もう使命感も他人の目とか配慮とか何もかも全部かなぐり捨てて、この三人をおいてダッシュで逃げ出してしまいたい衝動をギリギリのところでなんとか堪《こら》える。
「あ。あいつが見えるところまで来た! どうしようお姉さん!?」
 ドーム型遊具の横穴から外を覗いていた太陽君が叫ぶ。私の方こそどうしよう。虹子ちゃんもさっきからおろおろしっぱなしだ。
 穴から外を覗く太陽君の後ろから同じように様子をうかがうと、蛇ラルヴァは既に肉眼で確認できる距離まで近づいてきてるのが見て取れた。
 他へ行ってくれればいいのに、なぜ真っすぐこっちへ向かってくるのか……と考え、ふと蛇は視覚よりも嗅覚感知で獲物を狙うという情報を、いつだったか動物番組の爬虫類特集をヒナキと一緒に「キモ可愛い」だなんだと笑いながら見ていた記憶と共に思い出す。
 あれ? それじゃここに隠れこんだのは失敗だったんじゃない?

 私が悶々と考え込んでいると、唐突に眠り姫が、
「うーん、こまった、ね。……そうだ、太陽君の異能、見せてもらえないかな」
 あまりに暢気なことを言い出した。この子は本当に今のすごいヤバいって事態を理解しているのかなぁ。
「なんで? 今?」
 太陽君は突然話を振られ困惑気味だ。虹子ちゃんもどうして急にと不思議そうに眺めている。
 私は改めてちらりとドームの外をうかがう。ついに子の遊具広場に到着してしまったさっきの蛇ラルヴァは、それでもまだこちらには気づいてないのかチロチロと舌を出しながら辺りを探ってる様子だった。
「うん、見てみたいな。お願い、太陽君」
 眠り姫は太陽君の前にしゃがみ込むと、手を合わせ「ね、お願い」と再度頼み込んだ。
「しょ、しょうがねぇな、ちょっとだけだぞ」
 少し照れながら、太陽君が立ち上がった。
 ドームの天井はちょうど私たちの身長でぎりぎり立てる程度の高さ。その中央に横穴と同じサイズで穴が開いている。
 太陽君はその穴の真下に立つと右手のひらを広げ天に伸ばし……ただそれだけだった。そのまま幾秒かの沈黙が走る。
 その時、奇跡が起こった。
 西の空から双葉島上空を覆いつつあった雨雲が裂け、澄んだ青空が姿を見せ始めた。
 太陽君は小刻みに震える指先に苦虫を噛みしめたような表情で歯を食いしばり、それでもなおその姿勢を崩さず。そして徐々に青空が広がっていき、いつしか朝日が再び差し込むまでになっていた。
「くそっ、うまく集中できねぇけど、まぁこんなもんかな……」
 言って、太陽君がどかりと地面へ腰を下ろす。頼み込んだ本人の眠り姫は心から喜んでいるようだった。
「すごいすごい、あんなに青空広がったよ」
「でも俺の能力で作った青空なんて数時間ともたないぜ?」
 やはり疲れたのか座ったまま肩で息をしている太陽君が謙遜してみせる。
「そうだよ、姫音さん。確かに太陽君の異能もすごいけど……この青空に何の意味が?」
「うん、ちょっとね」
 そして、私は目を見張った。

 突如、眠り姫が上着を脱ぎ出していたのだ。








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