【天と地と 第一話】

  天と地と 第一話「狼なんか怖くない」


 斉藤陽一は今日もいつも通りきっかり午前6時に雀の囀りを聞いて目を覚ました。
 目覚めてすぐに携帯電話を手に取り、クラスメートの藤野珠希にモーニングコールをかける。
「もしもし、藤野?起きろ、6時だぞ」
「ああ、陽一、おはよう…」
 しばらくしてけだるけ声が電話に出た。
 寝起きだからか普段の澄んだ藤野の声がガマカエルのようなガラガラ声になっていた。まぁ朝はいつもこうだ。
「ねぇ……陽一ってさぁ、のび太に似てるよね。メガネ掛けてるし」
 何言ってるんだこいつ……と陽一は頭を押さえた。どうやら藤野の脳の半分はまだ寝てるようだ。
「寝ぼけるな、起きろ!はやくベッドから出ろ!学校に遅れるぞ!あと僕とのび太はメガネしか共通点ないだろ」
「それもそうかぁ……うん、起きる。学校でね、じゃあ……」
 陽一は通話を切って、パジャマを脱いでタンスにしまい、きっかり5分後にもう一度、藤野に電話を掛けた。
「おい、起きろ!ベッドから出ろ!」
 ガラガラ声は欠伸をしながら困惑していた。
「なんで分かったの?のび太君いつから読心系の異能に……」
「お前の行動読むのに異能なんか必要ないよ!」
 陽一の異能は『スカイウォーカー』と呼ばれる空中歩行能力だ。断じて読心や遠見などではない。
しかし中学に進学して藤野と出会ってから四年間で得た経験が、陽一の脳内に受話器の向こうの藤野の姿を正確に映し出していた。
「のび太君凄いねー」
「誰がのび太だ!お前はまずベッドから出てドラえもんみたいにむくんだ顔を洗え!」
 陽一は電話を切ってから、ぜーはーぜーはーと肩で息している自分に気が付いた。
 朝からあんなに荒っぽい口調で怒鳴るなど、全く自分らしくない。
 冷静に、緻密に、着実に、規則に沿って進むのが彼本来の生き方だった。しかし藤野が絡むとどうにもペースが乱れてしまう。
 藤野は陽一と対照的に直感で動き、大雑把に、混沌の中を大股で歩くような存在だった。彼女にとって規則とは破る為にある。
 ある意味で藤野は陽一の天敵であった。
 全く、厄介だ、と陽一は思った。何が厄介かって、そんな彼女との交際がまんざらでない事が、である。

「今野と高橋は女王蜘蛛狩りに参加中だから、問題ないな。よし」
 多くの生徒が女王蜘蛛というラルヴァの駆除作戦に参加して欠席しているとはいえ、今月に入ってからクラスの遅刻者数0。
 ホームルームが終わった時、その事実に陽一は歓喜していた。
 風紀委員として、否、人として規則は守られなければならないものだ。
 遅刻の常連である藤野を早朝に電話して叩き起こすという作戦は、確実に成果を上げていた。
 もっと早くこうすればよかった。ふ、ふふ。と、キモい微笑を浮かべる陽一に、藤野が話しかけた。
 今朝のガラガラ声は、よくはっきりと響く高く美しい声に変わり、間延びしたぼーっとした反応は、人より2倍も素早い感性に取って代わられていた。
「陽一、何かいい事あったの?」
「いや、悪い事が起きなかったのさ」
「もしかしてソレあたしの遅刻の事言ってるの?」
「それは正確じゃないな。藤野だけじゃなくてクラス全体の事さ」
「あーもー、別にいいじゃんそんな事は。早く来る人もいるんだし、遅れてくる人がいてもいいじゃん」
「よくない」
 ムチャクチャである。一体どういう理屈だ。
「陽一、のび太に似てるくせにイチイチ細かいよね」
「今朝から何でそんなに僕とのび太を関連付けたがるんだっ!?」
「実は昨日無性にドラえもんが見たくなって劇場版全部借りてきて見てたの。
 見たのはまだ『鉄人兵団』までだけど……ごめん、もう陽一がのび太にしか見えない」
「何でだよ!」
「メガネと、決める時は決めるんだけど普段は微妙に頼りにならない所とか」
 陽一は痛いところを突かれた。確かに彼はアウトドア派とはいえない。腕力や体力は平均以下だ
 その分頭脳には自信があるんだが、こと直接戦闘だと活躍は難しい。異能も攻撃的な物ではない。
 身体能力が高く、異能も攻撃に向いている藤野の目には陽一は頼りにならないように映るのかも知れない。
『決める時は決める』と評されてるのが救いだろうか。
「ああ、分かった。もうのび太でいいから、夜更かししないで早く寝て明日に備えてくれ」
「まっかされよぉ!」と、平たい胸を張ってジャイアンの物真似をする彼女を見て、明日も電話しようと陽一は固く誓った。
 ついでに物真似も全く似ていない。
 確かに身長は女子の平均よりも低い上に、体型はジャイアンのような寸胴とは違い、良くも悪くも引き締まった体をしている。凹凸が足りない。
「しかし陽君は本当に規則が好きだね。もっと自由に生きようよ」
「自由を守るためには規則を守らなければならない」
「そうかなー?」
「そうだよ。あ、そう言えば今日はちょっと用事があるから、放課後は先に帰っててくれ」
「用事?」
「風紀委員の仕事でちょっと。学園周辺に生息するラルヴァの調査」
「何それ、面白そう!」
 目を輝かせながら、藤野は叫んだ。
 こういうときの藤野にはついて来るなと言っても無駄だ。
 知らないうちに溜息が漏れていた。

 放課後、二人は双葉山の中を注意深く散策していた。
 望遠鏡を覗きながら藤野は小さな声で呟く。
「えー犬型ラルヴァ発見。これで5匹目」
「犬型5、と。よし次行くぞ」
 陽一はノートに「犬型 正」と書き込み、次の目標に向かおうとした時、藤野が疑問を発した。
「倒さなくていいの?」
「一々相手にしてたらキリがない。今日は個体数の調査だけだよ。あまりにも数が多いようだったら女王蜘蛛戦に出てるメンツが帰ってきてから駆除する」
「ふーん、面倒だなぁ今やっちまえばいいのに」
「あのな、僕一人で何が出来るって言うんだ」
「あたしもいるよっ」
ニカっと歯を輝かせて藤野が笑った。
「お前はダメだ」
「大丈夫だって。こないだの授業じゃ上手くやったし」
「実戦は早い。さてそろそろ暗くなりそうだし、次何か見つけたら帰るか」
「ち、あいよ」
音を立てないように気をつけながら、二人はさらに山の中へと進んでいった。

「陽一、あそこっ見て、凄い!」
初めにそれを見つけたのは藤野であった。
声を抑えつつも興奮した様子であそこ、あそこ!と前方の木を指差す。
「うおっこれは……」
陽一が望遠鏡を通して藤野の指差した方角を見ると、10体近い六本足の狼のようなラルヴァが蠢いていた。
「ヤバい感じがするんだけど、あれ何?」
「旅団狼だ。中級‐B‐3‐カテゴリービースト」
「おお、流石優等生。よく知ってたね」
「学校で習ったからな。優等生とか関係ない」
 藤野はああ聞こえナーイというジェスチャーをした後、照れるように旅団狼の特徴を尋ねてきた。
 陽一はお前は授業中なにやってるんだ?と聞きたかったが、口には出さなかった。
「10匹から最大で100匹近い群れを形成し、集団で狩をする非常に頭のいいラルヴァだ。
 囮を使って獲物の気を引いてその間に他の仲間が包囲網を作ったりな。テレパシーで会話してるんじゃないか、という説がある」
「おお。凄い」
「関心してる場合じゃない見つかる前に逃げるぞ。後日駆除する」

「陽一、ストップ」
 道を引き返してから五分後、急に藤野が僕の肩を掴んで歩みを止めさせた。
 藤野の顔からはいつものヘラヘラとした笑みが消え、久々に真面目な表情を浮かべている。
 無言で双眼鏡を覗くとポリポリと頭をかきながら顔をしかめた。
「どうした?」
「さっきの狼がいる。三…いや四匹」
 陽一も双眼鏡を覗いたが、どこにいるのか分からなかった。
「気のせいだと思うけど後ろからもなんか気配がする」と藤野は呟いた。
「まだそうと決まってはいない。避けて進もう」
 日は落ちかけて、山の中は暗くなり始めていた。夜の山中で旅団狼と鬼ごっこなんてゾッとする話だ。冗談ではない。
 とりあえず大きく迂回するようにして再び進んだが、狼を避けて進み五分後、嫌な予感は見事に的中した。
 目の悪い僕にさえ、暗がりに時折狼の目が光るのが分かった。
 哀れな男女は明らかに旅団狼の包囲されていた。
 徐々に包囲は狭まり、狼の数はドンドン増えているように思える。恐らく現在六足獣の数は二十匹を越えているだろう。
 いよいよ覚悟するしかない。
 藤野の異能を使う覚悟を。
「オーケー藤野。どうやら、あいつらやる気だ。そうくるなら暗くなる前にこっちから仕掛けるぞ」
 藤野はこくんと頷いて「任せて」と答えた。
 自信と虚勢、半々と言った所か。
「はぁ」と陽一は思わず溜息がを漏らした。

 陽一と藤野は意を決して立ち止まり襲撃に備えた。
 立ち止まってこちらが戦う姿勢を見せると、旅団狼達もこちらの出方を伺うように息を潜めた。姿は見えないが視線は痛いほど感じる。
 正直陽一は怖かった。こんな最前線に出ることなんか滅多にない。
 しかし、彼女の前で情けない姿を見せるには気位が高すぎた。
 たんたんたん、と階段を上るように宙を駆け上がった。
 陽一の異能『スカイウォーカー』それは陽一しか触れられない不可視の足場を作る能力である。
 この異能によって上から見ると物影に隠れていた狼の姿がはっきりと見えた。
「藤野、正面、真直ぐだ!」
「分かった!」
 藤野が答えると、ぼこりと人頭ほどの大きさの石が地面から浮かび上がり弾丸のようなスピードで暗がりへ飛んでいった。
『エペセンター』土や石を操る藤野の異能だ。
 次の瞬間、バゴッと鈍い音と「ぎゃん」というラルヴァの叫びが聞こえた。
 素直に凄い、と陽一は思った。何が凄いって、石がちゃんと敵の方向に飛んで行ったことがである。
 遊んでるように見えてこいつも努力してたんだなぁ。
 中学で入学してきた時は散々だったんだがコイツの評価も改めないといけないかも、と首を捻る。
 しかし仲間をやられた狼達はますます興奮して二人にに向かって吼え始めた。
 前方で、後方で、右方で、左方で繰り返される叫び。
 四面楚歌状態でつんざめく狼の咆哮に、陽一はは思わず本能的な恐怖を感じた。
 だが、下ににいる藤野は……。
「なんの負けるかっ!」
 無駄に燃えていた。
「本気でやるよ」と言って両腕を仰ぐように広げ、両目を閉じた藤野は小さく「せい……の」と小さく呟いた。
 その瞬間、地響きとともに地面が波打った。
「んんんんんんんんっ」
 藤野を中心とて地面が捲りあがり、土が渦巻き、石は嵐のように飛び回る。
 暴風雨ならぬ、暴石雨である。藤野と陽一のいる地点だけは台風の目の如く無傷だが
 その周囲は無尽蔵に乱れ飛ぶ土と石によって徹底的に破壊されていく。藤野の異能は旅団狼と木々も区別なく引き裂いた。
「キャキャン!」
 生きていた狼達も石の台風に恐れをなして逃げ出していく。陽一は「やりすぎだ」と苦い顔だったが、当面の危機は去った。
「おい、藤野、もういいぞ。やったな」
「……止まらない」
 衝撃の事実である。
「あ?」
「……逃げて、ヤバいかも」
 逃げろってどこへだよ。と突っ込む暇もなく、突然荒れ狂っていた石が全て地に落ちた。
「逃げて!」
 藤野が叫ぶ。
 そして轟音が轟き、激しい揺れと共に藤野の足元の地面が、裂けた。
 咄嗟に陽一は咄嗟に落下するように宙を蹴って、自分の足の遅さを呪いながら全速力で藤野の元へ走った。
「藤野ッ!」
 今回は間一髪、地面に叩きつけるより早く、陽一の努力が実った。
 空中でがっちりと、藤野の体を抱きかかえると、はぁはぁと呼吸を荒げてふらめきながら、地表へと見えない階段を上る。
「ごめん……」
 陽一の胸の中で藤野が弱々しく口を開いた。

 帰り道、藤野は珍しく口数が少なかった。
 今度こそ自分の能力を制御できる、と思っていたのにまたしても異能に振り回されたのがショックだったらしい。
 たまに口を開いても「ごめん」としか言わない。
「本当にごめん」
「もう分かってるよ。次、失敗しなきゃいいだろ」
「でも……」
「授業で習っただろ。魂源力を多く引き出すにつれて制御は難しくなる。お前の場合は引き出しが大きすぎるんだ。
 人よりもずっと制御が難しいのは当然だ。じっくり使えるようになればいい。僕なんかよりずっと凄い能力者になれるさ」
 実際のところ『スカイウォーカー』は既に完成された異能だ。
 少々頭の固い陽一の性格を反映するように「空中を歩く、或は階段のように上り下りする」だけの発展性の少ない能力である。

 だが『エペセンター』は違う。
 藤野のいい加減さ、大らかさが良い方に作用したのか、この「土や石を操る」能力のパワーと発展性は半端ではない。
 まず石や土を浮かせられる。これはその上に乗せた物も浮かせられるを意味する。
 ただ石を投げつけるだけでなく、理論上は自分の足元の地面を浮かせて、飛べる。
 また地震や地割れ、雪崩を起こせる。大規模な対ラルヴァ戦闘では恐ろしい程の突破力となりうるだろう。
 逆に地震を押さえ込むことも可能だ、と言われている。本当にそれが可能ならそれだけで多くの人間の命を救えるだろう。
 いつだがメキシコ湾で起きた原油流出事故も藤野なら地盤を動かして楽に止められたかもしれない。

 しかし、現状では飛べるには飛べるが、方向や速度の調整に難があり、すぐに振り落とされる。
 地震を起こせても規模を調整できないので、多分仲間まで巻き込む。
 押さえ込む能力にしても、共鳴して逆に震度を大きくする可能性がある。
 リミッターをつけていてさえ簡単に地震を起こすケタ違いの出力が異能の制御を異常なまでに困難にしているのだ。
 自然災害級の力を制御できる異能者など学園にいるのは醒徒会の連中くらいなものだろう。

 それでもいつの日か、藤野が『エペセンター』を完璧に使いこなす日を陽一は夢見ていた。
 その日は人類にとって、そしてそれ以上に藤野にとって素晴らしい日になるだろう。

「元気出せよ、失敗しても僕がまた助けてやる。僕の異能はきっとその為にある」
 陽一は藤野の顔を見据えて真顔で言った。
「全く、かっこつけすぎだよ。やっぱり映画ののび太みたい」
 寮の前で別れる直前にようやく、俯いていた藤野の顔に笑顔が戻った。



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最終更新:2010年07月07日 00:42
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