【世界が変わる日】


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  世界が変わる日
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 踏み出した足が地面を踏みしめ――ずるり、と滑るように崩れた。
 もう片足を軸に必死に体勢を立て直す。どうにか踏みとどまることに成功し、俺はほっと安堵の息をつく。
 カラカラカラ…と薄っぺらい音が下のほうに駆け下りていくのがおれの耳に入ってきた。どうやら落ちていた空き缶でも踏んでしまったらしい。
 山にゴミを捨てる奴なんて死んでしまえ。
 腹立ちを呪いの言葉に変えて吐き出す。全く冗談ではない。心の平穏を求めてこんな山の奥まで来たというのにこれでは台無しだ。もしこんな所で転んでいたらどんなことになっていたか。
 いやいや、済んでしまった事にいちいち囚われていてはここまで来た苦労が水の泡だ。意識的に気分を切り替え、俺は再び歩き始める。
 目的地はそこからそう離れてはいなかったが、さっきのように何か落ちてはいないかと神経を尖らせながらの道のりは予想以上に疲れるものだった。
 目的地、といっても特にたいした物があるわけではない。整備された新しい遊歩道ができたことで半ば放棄された双葉山の旧遊歩道。獣道に近いその道の脇にある倒木の切り株、めぼしいものはそれくらいだ。まあ、それこそが今の俺にとって必要なものなのだが。
 幹のほとんどを失ったものの、まだ生き続けようと枝を伸ばす切り株。偶然にも椅子代わりとしてちょうどいい高さのそれに腰を下ろし、俺は木々の向こうの空白の空を見上げる。
 ここならば周りを警戒する必要はない。緊張を解き放つと、ある意味では職業病である肩こりの感覚が表層に上ってくる。
 教師たちは駄目だと言っていたが、ここでなら問題はない。いっそ外してしまおうか。
 つらつらとそんなことを考えていたのだが、一つの違和感が思考を断ち切った。
 その違和感の方向に顔を向ける。何かの存在が視えた。近くの木の上だ。
 …ラルヴァだな。
 さてどうしようか、と悩んでいると、こちらに気付いたらしい向こうの方からアプローチをかけてきた。
「…分かるんですか、私のこと?」
  「ええと、今普通の人には見えないはずですよね、私」とか慌てた声で呟いている。どうやら普通の人には見えないタイプらしい。まあ、「今」とか言っている辺り普通に人に見えるようにもできるみたいだけど。
「まあね、そういう異能を持ってるから」
 『ラルヴァの力や魂源力《アツィルト》を含む広義の生命波動を視覚として知覚できる能力』。この名前が長ったらしい鬱陶しい能力が俺の異能だ。
 まあ俺の異能のことはどうでもいい。とりあえずあまり警戒する必要はないかな、と俺は密かに胸をなでおろした。助けに来る正義の味方なんて期待しようのない場所だ。もしもこちらに敵意があるのならまどろっこしいことなどせず襲いかかればいい。
 …まあこのラルヴァの声がまるでアニメの女の子のような声なのも一因なのだが。冷静に考えれば声と本質が同じと言う保証などないのだが、どうにもこんな声の相手には警戒心を抱きにくい。
「…見てたんですね?」
「え?」
 思わず聞き返す俺。彼女は畳み掛けるように繰り返す。
「私が泣いてるとこ、見てたんですよね?」
「いや、」
「で・す・よ・ね」
 駄目だ。どう説明しても聞く耳持ちそうにない。むしろ怒り出すんじゃないだろうか。ここは否定せずに付き合ってやるしかない。
「えっと、何があったのかな?」


「……というわけなんです」
 改めて人に見える姿で現れた(もっとも、俺にとっては違いなんてわからないんだけど)彼女の長い話がようやく終わった。「人間性を根底から否定されたんです」との言葉から分かるとおり(『人間じゃなくてラルヴァじゃん』と思ったがややこしくなるだけなのは火を見るより明らかなので突っ込まないでおいた)、かなり感情的になっていた彼女の話は無駄に寄り道が多く簡潔とは正反対のものであったので以下要約してみる。
 まず第一に彼女の正体。彼女は自分のことを神と称した。この遊歩道近辺(小っさ!)を守護し、そこを通る人間の中から一定のルールに従って(と大仰に言っていたが、詳しく問いただすとどうやらただキリ番の人間を選んでるだけらしい。何となく損した気がする)その日一日続く幸運を分け与えているらしい。
 そう言われてみると確かに先輩から聞いた噂話にそんなのがあったような記憶がかすかに残っている。リアル都市伝説との遭遇ということになるわけだが、生憎とびっくり事件簿のオンパレードなのがこの学園都市島、この程度で驚いていてはやっていけない。というか我が身にのしかかる憂鬱と比べれば全くもって大したことがない、と俺としてはそう思う。
 さて、問題の事の顛末だ。数日前のこと、彼女はある人間に幸運の力を与えようとしたのだが(話を聞く限り記憶にない人間だったが、この後の話から見ても相当の変人であるのは間違いないだろう)、にべもなく断られたらしい。
「幸運なんて邪魔なだけだ、帰れ!って言われたんです…」
 思い出してまた悔しさがこみ上げたのかさめざめと泣く神さま。胡散臭がられて断られたことはあったにせよ、真っ向から幸運の価値を否定されるなんてことはなかったのだろう。というか俺も理解できない。
「そんならせっかくだし俺も幸運を貰えないかな?」
 別に思い出したくもないのにさっき転びかけたのを思い出す。俺には幸運が必要なのかもしれない、その考えがよぎると同時に思わずそんな言葉が口をついて出てきてしまった。
「うーん、私の愚痴に付き合ってくれたあなたにお礼がしたいのはやまやまなんですけど…」
「駄目?」
「はい。ルールは何よりも大事ですから」
「そこをなんとか」
 さほどこだわってるわけでもないのに意味もなくむきになってしまうってことは誰にだってあると思う。俺にとって今この時がそうだった。
「でも…」
 食いさがる俺に逡巡しつつも再び断る神さま。しかし、むきになった俺はしつこい。
「そいつには断られたんだろ?だったらノーカンってことで」
「そう言われればそうですよね」
 ルールはどこに行ったんだ。お前が言うな的な突込みを喉元でようやく押さえ込む。「いきます」と一声を告げ押し黙る神さま。幸運の力を集めてるんだ、というのは俺の眼に如実に映し出されている。
 改めて考えてみれば、幸運を与えるというご利益を完全否定されたことで彼女はアイデンティティの危機に陥っていたのかもしれない。その傷を埋めるためにその力を振るい直す理由を欲していたのだとしたら…。
『いじましいじゃないか』
 ラルヴァだとしてもぺーぺーだとしても神は神、ただの人間である俺より格が上のはずなのに、その声のせいか全然そんな気にならない。そんな神さまの役に立てたということが、我ながら単純だとは思うが結構嬉しかった。
「ごめんなさい…」
 しょぼんとした声が俺の耳を打つ。
「どうした?」
「断られはしましたけどあの人に力は渡しちゃってたわけで…。あれから数日しかたってないしルールに沿った正式な形でもないのでほとんど力をあげられないんです」
「今集まった分って具体的に言うとどのくらい?」
「……硬貨を一枚拾えます。ただし五百円硬貨は除いてです」
 うわあ。あまりの微妙さに涙が出てきそうだ。
 とはいえプラスなのには違いないではある。それに無理を聞いてくれた神さまのことを考えると「じゃあいいです」とも言いづらい。
「それに、もう一つ問題があるんです」
 「それでいい」と言おうとしたのを察したのか、神さまは機先を制してそう告げた。
「確かあなたは異能者でしたよね?私の力は異能と干渉してしまうみたいなんです。ですから私の力が続く今日一日の間、あなたの異能は封じられ」
「もう一度」
「へ?」
「ワンスアゲイン」
「は、はい!」
 俺の声に気圧されたのか、上ずった声で了承する神さま。
「え、えっと、私の幸運の力を受けた人間は今日一日の間異能を封じられる…これでいいですか?」
 まるで教師の前で自信のない問題を答えられさせている生徒のようだな。天にも昇るような気持ちに浸りながら俺はそんなことを思っていた。
「分かった。問題ない。頼む」
「え?いいんですか」
「早く」
「わ、分かりました!」


 大きく背伸びをして天を見上げる。
 眼に映るのは木々を覆う艶やかな緑と抜けるような青空。あ、まるで空の塗り残しのような白の雲もあった。
「あのー」
 しばらくその景色を満喫していると、そう遠慮がちな声が聞こえてくる。せっかく大事なものをくれた恩人だというのに放置してたのは失礼だった。俺は慌てて声のほうに向き直る。
「何か変わったことはありませんでした?」
 はい、あります。とてもでかい変化です。
 自信たっぷりな風でいてどこか見たものを心配がらせてしまう瞳。桃のように淡い赤を見せる頬。触るだけで崩れてしまいそうな砂糖菓子のような唇。控えめに自己主張する、肌色の新雪みたいなおでこ。そして、抱きしめたら胸の中に丁度収まるくらいの華奢な体つき。
 目の前の神さまがまさかこんなに可愛いとは。急上昇するボルテージに導かれるまま俺は叫んだ。
「付き合ってください!」
「ふぇ!?こ、困ります」
「なんで?」
「わ、私は神、ラルヴァで、あなたは人間なんですよ」
「いやそんなの関係ないしマジで」
 そんなのをいちいち気にしてるようじゃ双葉学園の生徒は務まらない。ぐいと身を乗り出すと、彼女は弾かれるように後ろの木に身を隠した。
「それに、私たちま、まだ出合ったばかりだし」
「そこをなんとか」
「ぶ、文通からなら!」
 少し、ほんの少しだけ冷静さが戻ってきた。さすがにことを急きすぎた、と木に半身を隠して当惑している小さな神さまの姿に俺の心が反省に満たされる。
「ごめん、いきなり言われても困るよな」
「そ、そうです、はい」
「明日また来るから返事聞かせてくれないかな?もし駄目でも怒ったりなんかしないから」
「あ、はい。分かりました」
 彼女はそうこくこくと頷く。その一挙一動がまた可愛い。うん、完全に彼女に参っちゃってるな。
「それじゃ、また明日」
 後ろ髪を引かれる思いだったが、彼女のため俺はしばしの別れを告げる。もしこれが今生の別れであっても構わない、それが俺の固い気持ちだった。
「はい。……まだ、自分の気持ちはよく分かりませんけど。…そんな風に言ってもらえて嬉しかったです。ありがとうございます」
 訂正。
 やっぱりこれっきりなんて嫌だ。
 こんないい娘とずっと一緒に付き合っていきたい。


 彼女のことを考えると未だに胸の中で思いが嵐の海のように暴れだすが、たった一日の我慢だと言い聞かせ、俺は山道を急いで下っていく。
 良く行き来していたこの遊歩道も、今日は実に新鮮な発見の宝庫だった。急なカーブを今までならありえなかった全速力で曲がり、
「うぉ!」
 密生する木々の隙間に浮かび上がる街の景色に思わず感嘆の声を上げる俺。まるでお上りさんみたいな反応だが笑わないでほしい。俺にとって、これが初めてまともに見る双葉区の街の姿なのだ。
 俺のくそったれな異能、『広義の生命波動を視覚として知覚できる能力』。この能力の「元々の視覚に上書きされる」という性格のせいで俺はこの能力に覚醒してからまともな視覚を失ってしまった。
 ラルヴァなどが普通に見える反面、生命のないものは見えないという制約のせいでこんな山奥のような命ないものが勝手に増えたり動いたりしない(はずだった。…またいらんことを思い出してしまった)場所でしか心底落ち着いて過ごすことができない。異能とはギフト、贈り物であり才能なのだとここで教えられたが、俺にとって異能とは災厄に他ならなかった。
 ちなみに、さすがにこれではまともな生活を送りづらいとのことでリミッターを作ってもらったのだが、俺の異能が強すぎるとのことで肩がこりそうなほどかさばるのにぼやけた普通の視界と異能の視界の二重写し状態に持っていくのが精一杯。これがまた3D酔いのように気持ち悪くて…
 そうだ、もうこれ邪魔だ。ふと気付いた俺は背中のリミッターを投げ捨てた。何があっても作動し続けられるよう象が踏んでも壊れないくらい頑丈に作ってるらしいんで一日くらい放っておいても大丈夫だろう。
 今にして思えば人生というのは実にバランスが取れている、そんな気がする。異能に覚醒してからの日々は確かに不幸だったが、そのお蔭で可愛い神さまと出会うことができたし、今こうやって眼にするもの全てに対する感動は普通に生きている人には絶対に味わえないものだ。
 そう、まだまだこの目で見ておきたいものは星の数ほどある。
 この美しい世界を「視る」ことのできるラッキーな一日を満喫すべく、俺は文字通りの意味で軽くなった身体を更に加速させた。




                    おわり



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