【獅子心嬢と氷の皇子 前半】


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 この話は双葉学園レスキュー部シリーズの〈蛟の話〉終幕後に秋津くんが学園に戻っている、という仮定の元でのフィクション内フィクションですのであらかじめご了承ください。
 成長させがいのある男児キャラを創造し、貸してくださったレスキューあきに感謝を。
 何よりいわずもがな、最高にカッコいい娘さんを貸してくださったXXXあきに大いなる謝辞を。



   獅子心嬢と氷の皇子


 暮れなずむ空の下、涼やかな風が建ち並ぶ学び舎のあいだをとおり抜けていた。
 湾上に浮かぶ島という立地のおかげで、黄昏時の双葉学園はすごし良い。定食タイムを外れ
た学食はちょっとしたカフェスペースになっており、文科系の部活動が会合を開いていたり、
友人どうしで宿題を片づけている姿などが見られた。
 そんな中、皆槻《みなつき》直《なお》は馴れない場所で馴れない人物と差し向かいになっ
ていた。いや、正確には、ランチは学食ですますことが多いし、目の前にいるのは高等部担当
の教師であって、その授業には直も日常的に出席しているのだが。
 おごりだというので遠慮なくフルーツパフェを食べながら――意外とおいしいのは思わぬ発
見だった――直は相手の様子をうかがっていたが、これがまるで読み取れない。鉄のポーカー
フェイスを保つ異能なのかと思ってしまうほどだった。
 しかし用事がなければわざわざこんなところに呼び出されはしないはずだ。このところはと
くに問題を起こした憶えもないし、そういう場合はわざわざ「個人的な用件」と前置きされる
ことはない。強いての予定はなかったから素直に指定の場所へやってきていたが、直は決して
ヒマを持て余している身分ではなかった。手すきの時間にすませてしまいたいことはいくらで
もある。
 切り出す口調がやや堅苦しくなってしまうのは、致し方あるまい。
「春出仁《はるでに》先生、私におりいって頼みとは、いったいなんでしょうか?」
 それに対し、高等部二年の物理・数学担当である春出仁是暖《ぜのん》は、つね変わらずの
無表情のままで、こういった。
「いや、いざ向かい合ってみると本当に大きいな、皆槻くんは」
「先生、私は自分で気にしていないほうだと思っていますが、大女に向けて『大女だ』と、は
っきりいわれるのは、一般論としてはよろしくないと存じます」
「……ああ、そうだな。すまない、以後慎むよ。じつをいうとね、ある生徒と立ち会ってもら
いたいのだよ」
「生徒どうしで、実戦形式で仕合え……と?」
 思わぬ用件に、直は慎重さを隠せない態度になったが、春出仁は黙ってうなずく。どういう
ことかと、直は思考を巡らせた。
 実際のところ、彼女にこの手の話を持ちかけてくる人間というのは枚挙にいとまがない。皆
槻直といえば、泣く子も黙る歴戦の「バトルジャンキー」にして「ワールウィンド」であって、
醒徒会役員をのぞけば双葉島内でもっとも知られている異能者のひとりだろう。たぶん五本の
指には入っているはずだ。当然、名が売れることには副作用があるもので、向こう見ずなヤン
チャ坊主が「決闘」を申し込んでくることはめずらしくない。直が戦闘訓練のカリキュラムに
参加すると噂が立てば、公式の場でワールウィンドに挑もうと出席希望者が殺到する。
 彼女が怪物《ラルヴア》討伐にすすんで臨む理由は、まずなによりも己が戦いをもとめてい
るからだが、実戦での成果を示すことで「ごっこ遊び」への出席を免除してもらうため、とい
うもうひとつの側面が、いつのころからか成り立ってしまっていた。いちいちつきあってはい
られないほどの対戦志望者がやってくるのだ。
 しかし困ったことに、挑戦者を呼び込む原因は直にもある、という理屈が、成立しないでは
なかった。直は対人戦そのものを固く忌避しているわけではないからだ。現にミッションで、
あるいは襲撃してきた相手を返り討ちにすることで、いくどかは人間の異能者相手にもその拳
の威力を振るっていた。力試しとは異なる理由だったが、コンビの相方である結城《ゆうき》
宮子《みやこ》とも立ち会ったことがある。
 とはいえ、よもや教師のほうからこんな話を持ちかけられられようとは、まさに想定外、青
天の霹靂であった。
 直の沈黙をどう解釈したのか、春出仁はいわずもがなであることをつけ加えた。
「もちろんきみには拒否権がある、皆槻くん。今回のことはほぼ完全に私事だ。教師が私闘の
真似事をセッティングするなど、本来正気の沙汰ではない。ましてここは尋常な学園ではない
のだしね。いや、だからこそこういうやり方しかないのだが――言訳にしかならないな、止そ
う。まあ、一度はやったことだから、私のほうはもはや皿まで食うしかないのだがね」
「一度は……やった?」
 信じられない、と表情全体で語る直に対し、春出仁は反省しているとも悪びれていないとも
取れるうなずきを返した。
「うむ。最適の教官役をつけたつもりだったし、ほぼ私の思惑どおりの結果にもなった。しか
し物事というのは、会心の結果を出しても解決するとは限らない。要するに私の見込みが甘か
ったのであって、それはいくら反省してもし足りないのだが、後悔している場合ではなくてね。
なにせひとりの未来ある若者の人生がかかっている」
「一度うまくいかなかったことを繰り返して、成算があるのですか?」
 直の質問は容赦がなかった。春出仁はどうやら苦笑であるらしい表情を浮かべて、応じる。
「その疑問はもっともだ。だが私の見たところでは『もうひと押し』でね。彼はきっとまっす
ぐに伸びる。そうならなかった場合、ちがう手を打たねばならない。曲がることを許されない
ほどの力を持ってしまった……それが彼の不幸のはじまりでもある」
「春出仁先生ってかなり詩的なセンスをお持ちだったんですね。文学の講座を持ったほうが人
気が出るんじゃないですか?」
「思わせぶりなだけともいうね。わかっているんだ、以前にも指摘された。気を遣っているの
だがなかなか直らない。教師にあるまじき不正直な態度だと自分で思うよ、情けないことだ」
 なるほど、韜晦しているな、と、直は皮肉とはやや離れた感想を抱いた。春出仁は自身の異
能の性格上、外部組織を含めた、さまざまな能力者と折衝したり、評価を下す立場にあると聞
いたことがある。ひと筋縄ではいかない連中と長年つきあってきたことで染みついた態度なの
だろう。
「受ける受けないはまだはっきりいえませんが、もうすこしくわしい話を聞かせてもらえませ
んか? それとも、聞いたら抜け出せなくなるような機密に関わることでしょうか」
 まだ慎重さは抜けきっていなかったが、直の態度は前向きになっていた。春出仁の無表情は
相変わらずだったが、声には安堵の響きがあった。
「いやいや、それほど重大な話なら、こんなオープンなところに呼び出したりはしないよ」
「では、端折れるところは端折って、手短にお願いします」
 ちゃっかりと二杯目のパフェを頼んでから、直は春出仁を促した。いまになって、どうして
外の喫茶店ではなく、カフェタイムの学食に呼び出されたのか、その理由に思いいたっていた。
学園生たちは、直が学園執行部や醒徒会からトラブルシューティングの依頼を持ちかけられる
場合のあることも、春出仁がときに厄介ごとを運んでくる食えない人物であることも熟知して
いる。しかし双葉区民の皆が皆、学園内の事情に細かく通じているわけではない。学園外の茶
店で長話をしていたら「教師と生徒が密会している」などと、変な噂にならないとはいいきれ
ないだろう。
 学食は単なるメシ屋ではない、という発見をできたことで、直は春出仁に礼をしてもよい気
分になっていた。よほどややこしいことでない限り、この話は引き受けてもかまわない。
 春出仁は過不足なく説明する準備を整えてきているだろうが、それでも長話は避けられまい、
という直の予想は、当たることになる。
「彼は中等部の――」


 秋津《あきつ》宗一郎《そういちろう》は双葉学園に帰ってきていた。
 その経緯は、いずれ本人の口から語られる日がくるだろう。
 しかし学園に戻ってきて以降の彼は「脱け殻」であった。
 己の異能《チカラ》の意味、それをもたらした自分の血筋のこと、ただひとりの肉親である
姉のこと――
 整理しなければならないことが多すぎた。
 折《ヽ》れ《ヽ》た《ヽ》つもりはなかった。それなら最初からこの島に戻ったりしない。
しかしなかなか踏ん切りがつかないでいた。このまま時間に任せていて解決するのかも覚束な
かった。彼はまだ行き詰まることに馴れていない。
 焦燥感だけが積もっていく……
 島を出て、一般市民として暮らす、という選択肢は提示されていた。ただしそれには、若干
の記憶操作を受けることに同意し、異能の発現を制限する装置を着用しなければならなかった。
自分は記憶の一部を封じられており、妙な装置を身につけているのはそれに関係がある――と
いう程度には認識の残る措置だそうだ。しかしそれは、自分の稚気が招いたあやまちを認め、
そのすべてを否定することに等しかった。
 もちろん宗一郎は、自分のしでかしたことが正しかったのだと、いまでも思っているわけで
はなかった。自分は幼稚だった、そしてその事実から目を背けたくはない。逃げたくなかった。
その想いもまた、若さゆえの感情だということまでは、まだ気づいていない。
 脱走に近い状況で学園を抜け出し、戻ってきた宗一郎には、教室へ行き、授業へ出席するこ
とを強制こそされていなかったが、登校することが義務づけられていた。そのため宗一郎は、
授業時間は資料室のひとつにこもって、読書をしてすごしていた。
 自分を矯めることを覚えた――実際にはやや過剰な自己抑圧だったが――宗一郎だったので、
資料室に顔を見せた春出仁にまたもこんなことをいわれたときは、子供扱いするにもほどがあ
るだろう、とすこし憤慨した。
「まだうじうじしているのかね、秋津くん。なんなら、もう一度叩きのめされてみるかね? 
もっとも、今度の相手の名を聞けば、やり合う前に降参するだろうが。さすがにその程度の分
別はつくようになっているだろう?」
「僕はもう自分の弱さを充分承知しています。再確認しろということでしたら、何度でもやら
れ役になりますが」
「……やはりわかっていないか」
「なにがおっしゃりたいのですか、春出仁先生。はっきりお願いします。弱者は去れ、そうい
うことですか」
「自分の力に自覚がないなら、たしかにそうだ、異能抑制の措置を受けて平穏に暮らしてほし
い。きみは弱いのではなく、強すぎる。放っておくわけにはいかないのだよ」
「それは僕自身考えているところです。自分の力を律することができるのか。僕のいう『強弱』
の使い方は、たぶん合っていると思いますが。教えてくれたのは、春出仁先生、あなたと、菅
《すが》先輩だ。なぜいまになって、先生のほうが単純な用法を使うのですか」
 斬りつけるような宗一郎の言葉と視線に対し、春出仁が応じようとしたところで、半開きだ
った資料室のドアが音を立てて全開にされた。そして大柄な人が入ってくる。日本人男性の平
均としては充分な背丈のある春出仁よりさらに高く、宗一郎からすれば見あげるほどだ。さら
に驚くべきことに、女性だった。
「秋津くん、だっけ。先生のいうことを単純化するとだね、きみに一般市民として平穏な暮ら
しを送ってもらうだけでもとんでもないコストがかかるから、できれば学園にとどまってほし
い、そういうことなんだ。つまらないオトナの事情だよ」
「皆槻くん……」
「こういうことは有り体にズバズバいってしまうに限りますよ。世界の秘密は悲しいほど単純
だ。なににつけても費用対効果、損益分岐ですべてが決められてしまう」
 明朗快活な語り口の、太ももも二の腕もあらわなすごい恰好をしているが、どうやら高等部
に通っているらしい女生徒に、宗一郎は心当たりがあった。春出仁が姓を呼んでいたから、ま
ずまちがいないだろう。
「あなたがあの『ワールウィンド』ですか」
「はは、初対面の人にまでその呼び方されると、さすがに気恥ずかしいな。べつに自分で触れ
回った二つ名ってわけじゃないんだけど」
「皆槻先輩ってお呼びしたほうがいいでしょうか」
「うん、そっちのほうがありがたいかな」
 噂とは異なる、気さくな感じの「ワールウィンド」女史のものいいに、宗一郎は既視感を覚
えていた。菅誠司《せいじ》先輩にちょっと似たところがある。ひょっとして自分はこの手の
年上の女性に縁でもあるのだろうか。
 感慨もそこそこに、宗一郎は気になったことを訊ねてみた。
「僕が単なる一般市民として暮らすにも大きなコストがかかるとは、どういうことでしょう?」
「ちょっとごめん。ちゃんと説明したいから、前置きいいかな?」
「はい、どうぞ」
「秋津くんは、異能力関係の講義、どのくらい受けた?」
「まだ、さわり程度でしたが」
 直の質問に、宗一郎は正直な答えを返した。どうやら春出仁は、説明を直に任すつもりらし
い。ひとつうなずいて、直は次の質問に移る。
「じゃあ、|聖 痕《ステイグマ》って単語に聞き覚えはあるかな?」
「ええと、怪物《ラルヴア》を崇拝してる、悪い異能者の団体、でしたっけ」
「正解。まあ、聖痕に限らず、けっこうあるんだ、そういう秘密結社って。で、その手の連中
が狙うのが、優秀な異能者の卵ってわけでね。誘拐して洗脳したり、仲間になったら力をやろ
うとかなんとか持ちかけたり」
「つまり、僕がそういうやつらの仲間になるようでは困る、と」
「まあ、簡単にいうとね。現在の技術では、異能を確実に消し去る方法はないらしい。きみほ
どの異能者が学園を離れるとなれば、当然いろんなところから目をつけられる。異能を封じる
処置をしたところで、強引に再度目醒めさせられる可能性は高い。だからきみが学園と異能の
ことを忘れたとしても、手厚い警備を続けないといけない、というわけだ。悪くいえば監視だ
ね。もちろんそれなりの数の人員が必要になる」
「選択の余地は見せかけだ、ということですか」
「いや、この島を出て行く人は、すくないけど確実にいるよ。その中には貴重な異能の持ち主
もいる。ただ、この先がキナ臭いところなんだけど」
 とまでいって、直は春出仁のほうへ一度視線を振った。春出仁は最初あきらめの表情で応じ
たつもりのようだったが、直が小首をかしげたので肩をすくめてみせた。了承のサインと見て、
直は続きを口にする。
「異能や怪物と関わらない道を選んだ人の平穏無事な市民生活を保障するのは、当然政府の責
任になる。とはいえその維持のためだけに人員を投入するのは効率が悪い。従って一石二鳥の
手を考えるわけだけど――」
「……要するに、異能者が隠棲を望んだ場合、その身をもとめて忍び寄ってくる組織を取り締
まるためのおとりとして使われる、ということですか」
「大正解。もっとも、これは一部の異能者の間でささやかれてる推論であって、責任ある地位
の人間の口からそんな話が出たことはないけどね、当然ながら。けど私は聖痕の異能者と戦っ
たことがある。すくなくとも、その手の裏組織は存在するんだ。都市伝説じゃない」
「勉強になりました。僕は無知だった……」
 直の話に半ば茫然となりながら、宗一郎はつぶやいていた。この前までの自分が、そうした
裏組織のエージェントに捕まっていたらどうなっていただろう。ひょっとしたら、自分のほう
からすすんで手先に成り果てていたかもしれない。いや、学園側がひそかに手を回して、そん
な連中が接触してくるのを妨げていたのだろう。自分がだれかの掌の上で踊っていたのだとい
うことは薄々感じていたが、その掌の大きさの見当がつかなくなってきた。
 直の声はあくまで陽性だ。
「秋津くん、それでもきみには選択の自由がある。権利の行使を邪魔することはだれにもでき
ない。なにも知らずに見えない戦いの渦中に身を置いて、しかも巻き込まれる可能性がゼロじ
ゃない――前もってわかっていれば、理不尽とまではいわないにしろ、あまり割にあったリス
クだとは思えないけど、それでも平穏な生活には充分な価値があると思う。まあ、私がいって
も説得力ないかな」
 といって不敵な微笑みを浮かべる直へ、宗一郎はしっかりとした声を返した。
「僕は異能者として学園に残ります。自分に与えられた力を制御して、使いこなせるようにな
ってみせます」
 その答えに、直は力強くうなずいた。
「気持ちのいい啖呵だね。それじゃあ――」
 女性ではあるが、精悍としか形容しようのない――清爽というよい表現があったのだが、と
っさには出てこなかった――直の引き締まった表情を向けられて、宗一郎は背筋がゾクリとな
った。これこそが真物の戦士の貌なのだ、と、気づくと同時に、以前にも一度、こんな表情を
見たことがあったと思い出す。いや、はっきりと正面から見たわけではなかったのだ。しかし
いまならば、あのときの菅先輩も同じ貌をしていたのだとはっきりわかる。
 にもかかわらず、決着のついた戦いをだまし討ちで台無しにしたのは自分自身だった……。
 電光のようにひらめいた、宗一郎の内心の悟りを知ってか知らずか、直は固めた右の拳を歳
下の少年の眼前へと突き出していた。
「不肖、皆槻直、秋津宗一郎くんへ勝負を申し込む!」


 資料室から、「訓練準備室」のプレートがかかっている異能力関係の指導やレクチャーをす
るときに使う部屋のひとつに戻って、演習場の手配を整えながらも、春出仁はぼやいていた。
「あの様子なら、もう仕合などせずともすみそうだったと思うのだが。どうしてこうなったの
かねえ、皆槻くん」
 そもそも宗一郎の対手《あいて》をしてほしいと直に頼んだのは、春出仁自身ではある。し
かし直のほうから挑戦状を叩きつけるとは思っていなかったし、まさか宗一郎が、
「はい、よろしくお願いします!」
 と威勢よく即答するとは、ますます予想外だった。話を持ちかけたのは昨日の放課後なのだ
が、まずは本人に会ってみたいと直がいってきたのが今日になってから、そしていつの間にや
ら「秋津宗一郎を立ち直らせる」という本来の目的はすでに果たされており、にもかかわらず
仕合の件だけは当たり前のように進行している。春出仁の予想だにしない事態の展開であった。
 春出仁の困惑をよそに、直はあっけらかんとしている。
「秋津くん、いい顔だったじゃないですか。あれならもう心配ない、仕合なんてオマケですよ」
「そうだよ、それだ。もう仕合の必要はなかったのに、どうして最後にあんなことをいったの
かね? きみの説明能力の高さには舌を巻いたよ。実戦をくぐり抜けてきた者だからこそ語り
得る内容だった。同じことを私がいったのでは、まるで説得力がなかっただろう。彼は完全に
納得していたのだから、仕合のことなど黙っていてくれればよかったのに。……いやすまない、
いいすぎた。私から頼んだことなのはわかっているが」
「鬱屈を晴らすには運動が一番ですよ」
 直の端的な言葉に、春出仁は天井を仰いだ。
「きみの強さの理由がわかった気がする。健全な精神は健全な身体に宿るということだね。私
はくだくだしいことを考えすぎだな。こんな根性で青少年をまっすぐに育てようなどとは、お
笑い草だったよ。きみに声をかけておいてよかった、皆槻くん。私の指導では、また腹の底を
見透かされて従ってもらえないところだった」
「そんなに自虐的なことをいわないでくださいよ。秋津くんの根がまっすぐだってことを見抜
いていたのは、先生じゃないですか。私なら、あんな理屈っぽい子が素直になるなんて、信じ
なかったかもしれない。先生がいうから、きっと通じるだろうと思って話してみたんです」
 さすが人生の先輩、と直は春出仁の眼力をたたえたのだが、返ってきたのは意味深な沈黙だ
った。外見からでは感情の起伏を読み取れない春出仁だが、この間には直の注意を引くだけの
充分な効果があった。
「……じつは確信があったわけではなく、そうであってくれればいい、という希望的観測で口
にしただけのことだったとしたら? 軽蔑するかね?」
 このときの春出仁の態度と発言は、学園生である直に聞かせてよい内容ではなかった。指導
側の人間にあるまじきものだったろう。
 だが、直はあっさりと首を横に振っていた。
「いいえ。教師が生徒に希望や期待を持って、悪いわけはないでしょう。むしろそのくらいの
希望はかけてもらったほうがいい。なにも期待してないだなんていわれたら、それこそ伸びる
ものも伸びなくなってしまいます」
「きみには敵わんなあ。どうかな、進路希望表に『指導教官』と書いてくれないかね。きっと
よい教師になれるよ。きみが担当すれば、道を踏み外す若い異能者は出なくなるんじゃなかろ
うか」
「進路とか、いやなこと考えさせないでくださいよ。たしかにそう遠い話じゃないし、いずれ
決めなきゃいけないことですけど。それに、私が教師ってガラですか?」
 本気なのか冗談なのかまったく判別のつかない春出仁に対し、直は苦笑した。
 春出仁はこれでけっこう大真面目なのかもしれないが、進路云々は場つなぎの会話だったら
しい。操作していた端末の画面から顔をあげて、直へ訊ねる。
「なかなか似合うと思うのだが……まあ、心の片隅に止めておいてくれたまえ。とりあえず会
場の都合はついたよ。なにか注文があれば聞こう」
「いえべつに。私はいつもどおり、このままのスタイルでいきます。状況設定は先生にお任せ
します」
「名高い『ワールウィンド』が対手となれば、秋津くんのほうは事前の準備を希望するかもし
れないが」
「設定した状況から逸脱していない装備であれば、なんでもいいんじゃないですか。模擬弾や
模造刀でも、当たりさえすれば有効打の判定を取ってくれてかまいません。私は身体強化異能
者じゃないですから」
「大した自信だね。中等部生には負ける気がしないかな」
「先輩として、いいところは見せたいですけどね。勝負事はふたを開けてみるまでわかりませ
んよ」
 宗一郎のほうには春出仁から伝えるということで、直は日取の確認をして訓練準備室から辞
去した。春出仁からは妙に高く評価されてしまったが、自分の人間力はまだまだだと、直は自
分でわかっている。
 物理的にではなく精神的に背筋を張りつめていたので、心なしか肩が凝ってきていた。宮子
に「ペインブースト」をかけてもらったら実際に痛みが出るだろうな、と思いながら、直は春
出仁お気に入りの新星、秋津宗一郎の異能について脳裏で分析をはじめていた。特別な準備を
するつもりはないが、敵を知り己を知れば百戦あやうからず、という古来からの箴言を軽視す
るつもりはない。
 春出仁個人の思い入れではなく、宗一郎に目をかけるよう、なんらかの働きかけがあっての
ことなのであろうが、そこまで気にするつもりは直にはなかった。
 余計なことは考えない――それが、直をこの歳にして歴戦の勇士にならしめた、生き残りの
秘訣のひとつであった。


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