【Es schmeckt gut! (2)】


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 闇の帳が降り始めている。既に陽は落ち、陽光の権威が届かぬ時間である。
 標準的なものよりも高出力なヘッドライトが照らし出すのは、双葉島でも指折りの悪路。
 その道はところどころに罅が入り、あちらこちらが凸凹と隆起している。歩行者と四輪車を隔てる白線はその大部分が消えかかり、一定間隔で存在する標識もそれぞれが奇妙にへし折られ、捻じ曲げられている。道の両脇から圧迫感を与えてくる防風林は、強い海風にその葉を揺らし、落ち葉は歪んだ道を斑に汚している。運が悪い時には倒木が道を塞いでいることもあるようだ。
 この光景を生み出した原因としては予算配分の優先順位という人間側の問題だけではなく、この辺りに定期的に出現するラルヴァの存在が挙げられる。
「【三等犬】か……」
 その名を呟いて、黒のセダンタイプの重装タクシーを走らせる星野蹄次(ほしの ていじ)は鼻を鳴らした。
 彼の同僚曰く、この辺りを根城にしているラルヴァは【三等犬】などと呼ばれているらしい。かなり前からその存在が確認されているらしく、以来この辺りでは定期的に失踪事件が発生している。
「骨格は大型犬を更に二回りほど大きい癖に、骨が浮くほどの痩せぎすで黒味の強い灰色の体毛。その体毛は薄く、みすぼらしい肌が覗いている部分が数ヶ所見受けられた。両の目は赤く、牙が不自然に発達している。動きは俊敏にして変幻自在。そして最も特徴的なのが、『全く同じ存在であるようにしか見えないほどに良く似た三頭の犬型ラルヴァが、獣では有り得ないほどの精緻さを備えたコンビネーションを仕掛けてきたこと』だ」
 三年前に【三等犬】の攻撃を受けて生き残った警察官はこのように述懐した。
 全く等しい獣が三頭。
 故に【三等犬】。
 星野は思う。
 そこまでわかる位置にいながら、仲間を喰われた上に自分だけ生還するなど、どれだけ恥知らずなのか。厚顔にも程がある。大方、そいつが腰を抜かして小便を垂れ流している間に、犬コロ共はそいつの仲間を喰って満腹になったのだろう。そいつが生き残ったのは運でも実力でもない。仲間の死体を生贄に捧げたからだ。
 名も知らぬ誰かを嘲罵しつつ、星野は身体を揺すった。
 一般的なそれよりも一回り大きい重装タクシーの左運転席も、彼の並外れた巨躯を持て余し気味である為、左腕を窓の外に放り出し、右腕だけでハンドルを操っている。
 放りだした左手で保持していた、紫煙を上げる国産煙草を吸いつけると、開けた窓から流れ出ていくように煙を吐いた。
 車内に煙草の匂いを籠らせたくなかった。何しろ、これから迎えに行くのは双葉学園の女子高生なのだ。お客様へのサービス、マナーとしては当然考慮すべきだが、星野の個人的な意向でもある。年齢差は三十以上あれど、かわいい女の子の覚え目出度くして悪い気はしないし、何より娘と同じ年頃の少女に敬遠されることには耐えられない。
 黒髪のポニーテールに大きなスポーツバッグを携えた少女。
 女子高生があんな辺鄙な場所に何をしに行くのかと訝ったが、取材です、という彼女の返答には得心がいった。あそこならば、心霊短編を十冊書いてもお釣りがくるほどのネタが拾えるに違いない。
 しかし、よほどの度胸だ。ウチの娘ならば、大金を積まれても嫌がるだろうな。
 不意に、少女から貰った名刺のことを思い出した。
 この道は悪路ではあるが一本道で、他に行き来する奴の姿もない。あと十分もトバせば、約束の時間の五分前には到着できる。ならば、折角電話番号をもらったんだ。ここら辺りで連絡を入れておくのもいいんじゃないか?確認と報告の連絡で気を悪くすることは無いだろうし、むしろ職務に誠実な男であると印象付けられるだろう。
 星野は自分自身からなされた提案に、諸手を上げて賛成した。
 冬場の乾燥した空気と防風林の存在が懸念された為に、吸い殻は車内の灰皿へと放り込み、空いた左手で胸ポケットから携帯電話を出す。名刺を受取った際に、既に彼女の電話番号は登録済み。顔を前に向けたまま電話帳を呼び出し、通話ボタンに指を乗せたその瞬間、ヘッドライトの光芒を切り裂く陰影が一つ。

「お出ましかっ!」

 吠えるやいなや、要人警護をその旨とする重装タクシーの運転手としての星野蹄次の判断の早さは称賛に値するものであった。
 弄んでいた携帯電話を胸ポケットへと放り入れ、両手でしっかりとハンドルを握る。それと並行して陰影の正体を確認。噂と違わぬその容貌。大型犬の範疇には収まらない。
 カテゴリービースト。スペックの大部分は不明。三頭をして一体の怪物。
 【三等犬】。
 今、その内の一頭が、目の前にいる。
「GAHHhhHh!」
 人間を戦慄させるには過分な咆哮を上げ、呪わしき陰影はその全身を震わせた。重装タクシーから、ハイビームの光を拒絶するその獣までの距離は既に百メートルもない。
 そして、畜生の姿を模したラルヴァを相手に逃げるという選択肢も、星野には毛頭ない。
「挽肉にしてやらぁ!」
 宣戦布告と同時にアクセルを踏み込む。エンジンが唸りを上げ、メルセデス製の重装な車体が時速百二十キロの速度を得る。装輪装甲車のものに準ずるほどの性能を誇る四輪は、悪路をむしろ均すかの如く傲慢な疾走を始めた。
 同時に星野は、前部両席に挟まれた中央部分に配置されている小型ディスプレイに指を触れ、次いで浮かび上がった緊急対応システムの一覧から『車両前部装甲・A』の項を起動した。すると、衝撃用バンパーの直上のブロックの外装が左右に向けてパージされ、代わりに現れたのは複合素材から生み出された無骨な棘。その棘が前方へと押し出され、走行を阻害するものを力ずくで排除するアーマースパイクとして命を吹き込まれた。
 対する【三等犬】の一頭は、動物的な攻撃本能の命ずるがままに突進を開始していた。
 灰黒の化生は衝突直前に跳ね上がり、フロントガラスを破らんと試みて、しかしそのタイミングを誤った。紛れもない手応え、人間を殴った音を百倍にしたようなノイズと共フロントガラスが真紅の体液に彩られる。直後、優れたサスペンションを通してもわかるほどの轢殺感が四輪から伝った。
「ハッハー!」
 生まれて初めて実感する、血の通った生き物を積極的に殺すという感覚に星野は吠えた。
 ここからではどうにもよく見えないが、スパイクの部分にも犬コロの死骸の上半身が串刺しになって残っているかも知れない。後で写真をとってやる。拓もとってやろうか。どちらにしろ、これは武勲だ。活躍の機会を得ることが難しい武装を実戦で使用できたことも嬉しい。それに同僚たちも俺に一目置かざるを得ないだろう。
 意識を興奮が支配する中、星野の視界に新たな陰影が現れた。
 バックミラー越し、暗闇の只中を狂走するその姿は、たった今轢殺したばかりのラルヴァと些かも違いが無いように見受けられる。
「二頭目だな!」
 速度を上げて振り切ることも可能であったが、無論星野はそんな選択肢を選ばない。
 彼は一頭目を殺したことで、自分と重装タクシーに対して自信を抱いていたし、元よりラルヴァに対する敵愾心は人一倍なのだ。その上、このまま速度を上げて振り切ろうとした場合、あの少女のいる街までラルヴァをわざわざ案内するようなハメになることを知っていた。
 そういった状況が、星野に一つの閃きをもたらす。
 そして驚くべきことに、彼は速度を六十キロまで落した。
 衝突による【三等犬】へのダメージを狙って急ブレーキならば、理解もできる。しかし、速度を半端に落とすことに何の利があろう。
 この状況で機動力を失うのは致命的である。如何に頑強な車体を誇ろうと、貼り付かれた状態で強化ガラス部分を執拗に攻撃されれば、いずれは限界を迎え、重装タクシーは単なる棺桶と化す。だからこそ、機動力を活用して敵対者の攻撃の幅を狭める必要がある。
 車体後部に大きな衝撃。
 理を外れた行動の当然の帰結として、灰黒の獣が車体後部へと飛び乗り、バックミラー越しにその赤い瞳と長い牙を見せつけた。一方的な攻撃を加えることが出来るその位置をとったことが、よほど嬉しかったのかも知れない。
 しかし、その瞬間をこそ、星野は待っていた。
「ッバーカが!」
 その言葉が【三等犬】に届くことはない。
 星野が吠えると同時に例の小型ディスプレイを操作し、ラルヴァの忌まわしき全身に爆発の衝撃と高熱、そして閃光と爆音を浴びせかけたためである。
 数秒の間、オレンジ色の爆発光が暗闇を退けた。
「ヒューッ!こいつぁ大したもんだぜ!」
 小型ディスプレイに表示されるのは『車両後部装甲』という文字と、『緊急回避攻撃(※要確認)』という文字。この重装タクシーに詰め込まれた攻撃手段の中でも、その威力の最たるものが実行されたことを意味している。
 つまり、二重のトランクカバーの狭間に仕込まれた指向性爆薬の一斉点火。
 車両前部のアーマースパイクと同じ複合素材で造られた一枚目のトランクカバーの上には、自衛隊でも使用されている指向性爆薬が並べられており、それを覆い隠すように二枚目のトランクカバーが被さっている。
 それを知らずに車両後部に取りついた敵を吹き飛ばす為の攻撃装置であった。
 欠点としては後部座席の客を伏せさせる必要があることと、後部ガラスの耐久度が大幅に失われてしまうことなどが挙げられるが、その攻撃力には文句のつけようが無かった。
「こいつに初めて乗った時から、一遍やってみたかったんだよ!」
 このシステムを実際に使用したのは、社内では星野が初めてだろう。同僚たちの間では『心配性なお客様向けの過剰装飾』だなどと揶揄され、彼自身もこの玩具を利用する機会など一生訪れないであろうと考えていた。
 だから、自らその機会を作り出したのだ。【三等犬】の襲撃を奇貨とし、わざと尻に喰いつかせ、緊急回避攻撃を行っても誰にも文句の言えない状況を演出した。
 星野は気分が高揚しているのを感じる。
 俺はラルヴァを殺した。一頭だけでなく、二頭も。与えられた装備を存分に駆使し、失敗を犯さなかった。それどころかまるで無傷だ。この五分に満たない時間が、一体どれだけの武勇伝となっただろう。会社に表彰されるのはまず間違いない。例の街に着いたらすぐに会社と警察へ連絡を入れなければ。いや、この武勇伝を一番最初に聞く栄誉は、あの少女に与えようか。
 星野はそう考え、唐突な違和感に気付いた。
 どうにも左肩が重い。まるで余計な重石でも担いでるようだ。
「あぁん?」
 そこでようやく星野は真相に気付く。
 左の窓が開けっ放しであったこと。そこから獣が侵入してきていること。その獣の牙が彼の左肩に深々と突き刺さっていること。先程の爆発の為に、一時的とはいえ自分が聾していること。それら全てに。
「が、ハ……」
 星野が混乱している間に灰黒の獣は両の前肢を窓の縁に掛け、牙を突き立てる対象を彼の左肩から首筋へと移した。
 実際に獣がもたらした痛みよりも、突然の形勢の変化から来る強烈なショックが戸崎を打ちのめし、彼はアクセルを踏み込みながら防風林へと突っ込んで行った。車両前部に備えられたアーマースパイクは無実の樹木を何本も薙ぎ倒し、灰黒の獣が哀れな五十男を窓の外へと引き摺り出すまで、重装タクシーの前進は続いた。
 一方、地面に引き摺り下ろされた星野蹄次の身体は冷え切っていた。
「……」
 今更用無しとなった聴覚は戻ってきたが、獣の牙が咽頭を引き裂いたせいで、声を出すことすら許されない。呼吸に伴って吐きだされる聞き苦しい風切り音も、海風と防風林とが手を組んで掻き消されてしまう。
 とにかく寒い。只でさえ寒かったのに、今は血液が流れ出てしまっているから尚更だ。
 代わりに、不思議と痛みは感じない。痛覚までもが凍りついてしまったのだろうか。
 忌々しいことに、視覚と触覚は失われていない。灰黒のラルヴァが自分の身体を貪っているのがしっかりとわかる。
 ああクソ。三頭目がいるのを知っていながら、何で一瞬でも気を緩めたんだ。こいつらは三頭で一体じゃないか。最初から、横合いの一撃がこいつらの本命だったのかもしれない。だから俺の意識を前後に逸らしたのかもしれない。
 でも俺は二頭殺した。二頭も殺したんだ。只じゃあ死なない。あの警察官のように汚辱に塗れて生きるのと比べて、三等分された内の二頭を倒して死ねるのならそれは名誉だ。
 異能を持たない俺が、ここまでやったんだ。妻や娘、そしてあの街で俺の迎えを待つ少女のことを考えると未練は多いが、死に様としては悪くない。
 急速に明瞭さを失っていく意識の中、星野がそこまで考えた時、その視界を侵す新たな影が二つ。
 その二つの影は、彼を貪る灰黒の獣と寸分違わぬ姿をしていた。
 ああ、なるほど。
 だからこその【三等犬】か。
 星野が先程までの自身の奮闘が全く無意味なものであったことを悟った時、左胸に伝わる振動と安っぽい電子音を聞いた。あの少女からの電話だろうと考ると、無性に情けなくなった。辛うじて動かせる右手で通話ボタンを押したが、相手の声が耳に届く前に、星野蹄次は三頭の獣にその身体を喰い荒らされながら絶命した。



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