【Es schmeckt gut! (10)】


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 双葉警察署内を歩く、紺色の作業着を着た長身の少年は目つきが悪い。後頭部で縛っている赤髪は挑発的で、姿勢の悪さが不真面目さを表しているかのようであった。
 傍らを歩く金髪の少女もまた異色。鋭い目つきと、あまりに完璧すぎるその姿勢は周囲に緊張を強いている。百五十センチ程度の全身をダークグレーのパンツスーツで包み、それなりに豊かな胸の前で、ファイルを数冊抱えている。
 周りには彼ら二人について小声で語る者もいたが、二人は腹を立てる素振りも無かった。何せここでは自分たちが部外者なのだから、慎ましくする以外に無いと知っている。自分たちの立場を考えるならば、正面切って罵倒されでもしない限り、怒る気にもならない。
「あら、待っていたのよ。織姫さん」
 その声が聞こえてきたのは、署内でもとりわけ利用者の少ない休憩所。
 廊下の隅に無理矢理用意されたかのような狭小なスペース。天井には弱弱しい蛍光灯が時折点滅している。窓のカーテンは開けられていたが、現在時刻は午後七時。その向こう側には暗闇が広がるばかり。壁には青白い光を発する飲料自販機が二台並び、別の壁には煙草の自販機が置かれている。スペースの中心にはホームセンターでも調達できそうなステンレス製のカフェテーブルもどきが二つ配され、それぞれに四台の椅子が付属している。それぞれのテーブルに二人ずつ、合計四人の先客が織姫と澄斗を待ち構えていた。
 奥のテーブルに座った茶髪の女が織姫へと手招きした。織姫は澄斗に目配せをしてからそれに応え、彼女は奥のテーブルに、澄斗は手前のテーブルに腰掛けた。
 傍から見れば、一目瞭然な別れ方ではある。
 奥に座った二人の少女と一人の男がスーツを着ているのに対し、手前側に座った三人はその全員が朝日影のワッペンが縫い付けられた紺色の作業着を身に付けている。この場にいる全員が『二〇一三特別更生プログラム』の関係者であることは明白だった。
「織姫さん、お手柄らしいじゃない。【三等犬】とやらを捕まえたんですって?」
 そう言う少女は腰まで伸ばした茶髪を首の裏辺りで束ねており、優しいというよりも緊張感の無い笑顔を見せている。左目を前髪が覆い隠し、その分右目はくっきりと開かれている。服装は織姫と大差が無い。目立った装飾物もつけていなかった。
「その前にラルヴァ強奪犯を取り逃がしています。別個の犯罪を帳尻合わせとはいきませんから、喜んでいいのやら……」
「そっちは次に捕まえれば良いのよ。それこそ、一つの失態が一つの価値をダメにするってことも無いでしょう?それに、今回は監禁事件も解決したって聞いたわ」
 緩んだ笑いを浮かべる彼女の名は内海薫(うつみ かおる)。織姫と同い年でありながら、織姫よりも二カ月ほど先んじて双葉島に赴任してきた上級監理官である。
「いえ、解決といっても容疑者は全員自殺していましたから」
 織姫のその言葉を聞いて、澄斗はあの光景を思い出す。



 午前九時。【三等犬】を回収班に任せ、傷の手当てを済ませた後。第十一特別管理街区に着いた織姫と澄斗は、本来はタクシーが迎えに行く予定だった双葉学園の女生徒を訪ねた。
 朝も早くに露店を開いている不景気そうな店主から情報を貰い、二人は街の南端に店を構える漢方屋へと向かった。その漢方屋はこの療養地に常駐する医者の一人であるらしく、法務省に籍を置く役人が訪ねてきたこと、そしてその役人が高校生くらいに見えることに対して少なからぬ驚きを覚えていたようだったが、物わかりは良く、協力的であった。
 店の奥から出てきた少女の制服が多少乱れていたことに、澄斗は下種の勘繰りならぬ野暮なお節介とも呼べる感情を抱いた。一方、織姫はむしろ頬を緩め、少女が大過なく一晩を明かしたことを安堵しているようであった。
 隠善祈と名乗る双葉学園の女子高生はお役所関係の人間が自分を迎えに来てくれたことを感謝し、すぐに荷物をまとめ始めた。



「へぇ。そのコも可哀想よね。特別管理街区に行ったことはないけど、精神疾患の患者たちが集められた街だなんて、私だったら絶対に留まりたくないわ。ラルヴァが周囲をうろついてるなら尚更ね」
「ええ。彼女は運が良かった。とりあえず一般人の医者の家に泊まれたのですから。まかり間違って色々と問題のある家に泊ってしまえば、責任能力に問題のある患者に何をされようが、裁判で目も当てられないような結果になる可能性がありますからね」
 そこじゃないだろ。澄斗はそう思ったが、口には出さない。
「現実に街では犯罪が行われていたのですから、巻き込まれなかった彼女は運が良い」
「ふぅん。その犯罪っていうのが監禁事件?」
「そうです。あまりにも残酷な、人間の尊厳を破壊する所業がそこで行われていました」



 女子高生が荷物をまとめに店の奥へと引っ込むと、古城と名乗る漢方屋の店主は声を低くして二人に話しかけた。
「御相談したいことがございます」
 彼の語った内容には確証が無かったが、調べてみる価値は十分にあった。
 四人は漢方屋を出て、街の東端にある長屋へと赴いた。虚ろな目をした街の住人たちが野次馬のように集まってきたが、古城が二言三言話すと、皆戻るべき場所へ戻って行った。
 この長屋に、人間を監禁している三人組がいる。
 古城のそんな情報を確認する為に、織姫と澄斗は玄関らしい引き戸を叩く。
 三度叩き、自分たちの肩書きを出して呼びかけても応答は無い。
「誰もいないみたいですよ?」
 そう言ったのは、隠れるようにして古城の腕にしがみつく女生徒だった。彼女は決してあて推量で言ったわけではなく、自分の異能からそう判断したのだと語った。
 織姫は上級監理官の権力の有効活用だと言って木戸を蹴破り、臨戦態勢の空気を纏ったまま長屋へと押し入った。



「そんで長屋の地下室には十人以上の被害者たちがいたってこと?」
「ええ。首を括った三人の容疑者の死体と共に」
 織姫の言葉に、澄斗はその光景をまざまざと思い出して気分が悪くなった。上級監理官たちの話を聞く傍らで、同じ境遇の刑徒がわざわざ自販機で買ってくれたコーヒーをもどしそうになる。光景だけならまだしも、あの地下室に籠った臭いまでもが甦ってくるのだから仕方がない。
「ああいった場所に閉じ込め、妙な薬を与え、精神的にも肉体的にも虐待を加える。何らかの刷り込みも行っていたようです。監禁されていた彼らが色々と呟いていましたから。『昼間に外に出てはならない』だとか『身を隠さねばならない』だとか」
「何ソレ?新興宗教?」
 薫は露骨に嫌な表情を浮かべた。
「どうでしょう。祭壇や聖典の類はありませんでしたし、監禁されていた人たちの素性はどうにも怪しいものですから、喜捨も期待できないと思います」
「ふぅん……。じゃあ犯人たちは何が目的だったわけ?」
「今のところ不明です。これからの捜査で――」

「第十一特別管理街区の事件については、明日にでも捜査は打ち切られる」

 今まで沈黙を保っていた、三人目の上級監理官が鼻にかかるような声で織姫の言葉を遮った。見るからに秀才そうな、見る人によれば性悪にも見える、眼鏡をかけたその男。澄斗は最初に会った時以来、どうにも彼はナルシズムと仲が良すぎるように考えていたが、織姫によると水準以上に優秀ではあるらしい。
「え、なんで?」
「……どういうことです?」
 訊き返す二人の少女を見て、二十一歳の久保辰美(くぼ たつみ)はもったいぶるように懐から取り出したパーラメントに火をつけた。
「僕は今朝、天啓を得たのだが……」
 過剰なまでに芝居がかった久保の仕草。
 天啓ね。なるほどそういう言い方もあるのか。澄斗はそう鼻白んだ。
 彼にでも察せられるのだから、上級監理官二人が誤解するはずもない。
 久保も、彼のパートナーも天啓などと呼ぶべき異能を持っていないのは周知の事実であるから、本来彼が知り得るはずが無い情報はどこからやってきたのだろう。
 そういうことだった。
「地下室で自殺した容疑者三人。アレは警察関係者さ」
 紫煙と共に吐き出されたのは、彼以外の誰しもが知りえなかった真実。
 しかし、捜査を打ち切るに足る十分な事実でもある。
「へぇ。いるとは思ってたけど、よりによって容疑者の方なの」
「特別管理街区に警察は干渉しないんじゃなかったのですか?」
 思ったよりも冷静な反応を示す薫と困惑したような表情の織姫。
 それぞれの反応に、久保は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「フン、まあ書類上は。あそこには火事だの地震だのが起きても、意外と何とかなるような設備もある。住民の事情を考慮すれば、医者が差配をしくじらなきゃ警察は必要無い。自警団もどきも結成されてたらしいからね。でも何か起きた時に警察がいませんでした、となって警察が無責任だと非難されるのを避けたかったわけだよ」
 外見から想像される通りの気障な口調でそう言った。
「まあ、事件が起きたことを知りませんでした、なんて言えば、特別管理街区にどんな事情があろうと警察の印象は悪いからね」
 薫はテーブルの上に両腕を置き、その上に顎を乗せる。
「私服警官、いや、退職者や不祥事を起こした警官に適当な名目をつけて放り込むってのはありそうな話ではあるかなぁ。支援員とか肩書き付けてさ」
「じゃあ面子を守るために、警察は今回の事件は公表しないってことですか?」
 僅かな非難の色が含まれた織姫からの質問に、久保は肩を竦めながら答える。
「まあ、そうだろうね。警察にとっちゃあ熱湯風呂みたいなものじゃないか?長く手を突っ込んでれば火傷が酷くなるし、深く手を突っ込めば火傷の範囲が広がる。そいつら三人が何を考えていたのか知らないけど、とっとと手を引くのが一番さ」
 その言葉を追って、沈黙が場を満たす。
 たっぷり十秒経った後、沈黙を破ったのは織姫だった。
「……この双葉区には風紀委員会と警察の二重構造があります。形式的には警察が上位に立っているのは当然ですが、実際、区民たちに信頼されているのは風紀委員会です。その理由は至極単純。衆目の中、ラルヴァと大立ち回りをする機会があるのは異能を持つ学生たちだからです。一方の警察官は常に予防措置に重点を置く。快刀乱麻にラルヴァを倒したりはしない。どうしても風紀委員会よりも頼りなく見えてしまう。この双葉島に来て一ヶ月も過ごしていない私でもそう感じます。……この状況は非常に拙い」
 薫も久保も、テーブルの一点をじっと見つめたまま押し黙っている。
「このまま警察の権威が低下し、風紀委員会への依存が高まれば、ある側面でこの双葉区は日本政府の干渉を極めて受け難い場所になってしまう。それは、双方にとっての不利益をもたらします」
「まあ、国民を守るべき権威の象徴の一つである警察が軽んじられている場所っていうのは、大概ロクな場所じゃないからね。そりゃあ、風紀委員会は善意でやってるんだろうから、そっちに文句つけるのは間違ってるけどさ」
 薫が同意を示す。
「大体、国の制服を着た警官たちが無様を晒し、学校の制服を着た生徒たちが事態を収拾するなんて光景が、民心にどんな影響を与えるのか。誰にだって想像出来る。それに、異能が世に受け入れられていないからこそ、普遍的な権力に管理されているべきだ。僕はこの島で育ったが、外に出た時にそれを強く感じた」
 遠回しながら、久保も賛成の意を表した。
「警察が威信を回復してくれなくては誰もが困ります。卒業後に警察を志望する双葉学園生も増えてきてはいますが、如何せん数が足りない」
 ラルヴァ・異能者犯罪に対応出来る警察官は、どうしても人手不足の地方へと配属されるからであった。裏を返せば、双葉島の治安維持について警察自身が双葉学園風紀委員会の力をアテにしている証左でもある。
 アテにするのは良い。協力するのも大いに結構。
 ただし、国民の信頼を失っては困る。
 それが上級監理官三人の考えだった。
 隣のテーブルで他の二人とトランプに興じていた澄斗にわかったのは、警察の隠蔽工作を追求せず、【三等犬】捕獲を警察の華々しい手柄として発表するだろうということだけ。
 警察は、意識を破壊寸前まで追い込まれた【三等犬】をただ運んだだけじゃねえか。
 言っても詮無いことではあったが、不満を飲み込むには些か時間がかかる。
 しかし、三人の上級監理官の間では、ある種の合意がなされたようだった。

「じゃあ、そういうコトで。行くよ、ヒサノリ」
 席を立ち上がった薫が、自分のパートナーを呼ぶ。
「帰るぞ。トウコ」
 呼ばれた久保のパートナーは、甲斐甲斐しく彼にコートを着せた。
「それじゃあ次の定例で会いましょう」
 織姫も別れの言葉を口にし、席を立ちかける。
「ああ、そういえば」
 パートナーの手を握った久保が振り返った。自販機の放つ青白い光に照らし出された彼の顔は常よりも更に不健康そうに、そして怜悧に映った。
「越智君、キミが犯人を取り逃がしたラルヴァ強奪事件、あっただろ?」
「ええ」
 織姫の声音に棘が混じる。
 どうして一言多いかなぁ、と薫は呆れるが、久保は全く悪びれない。
「あの現場に残っていたラルヴァの頭部。双葉学園の研究所に送られたんだけど、面白い解剖結果が出たよ」
「……何ですか?」
 問い返す織姫の表情からは険が薄まり、純粋に興味を引かれたという感じになった。
「頭蓋骨を開けてみたらね。中から人間の脳の一部がでてきたらしい」
 その一言は場を凍り付かせた。
 漣のような戦慄が狭小なスペースを満たし、一時的な緊張を強いる。
 ラルヴァの胃袋から人間が見つかるケースは確かに存在する。しかし、ラルヴァの頭部に人間の脳が入っているなどというのは、どう考えてもおかしい。
「ちょっと久保先輩、どういうコトなの……」
 薫の表情には珍しく狼狽が浮かんだ。
「どうもこうも、頭蓋骨の中の八割以上は研究者たちでも解析不可能なラルヴァ組織らしいんだけど、残りの二割は人間の脳組織だって話さ。おかしな話だろう?」
 おかしい、どころではない。
「寄生型ラルヴァの可能性は?」
「僕も研究レベルまでは詳しくないが、寄生型ラルヴァがあんな風に完全なデミヒューマンまで成長するのかい?それに残っていた人間の脳組織は脳幹付近らしい。つまりは前頭葉辺りからラルヴァ組織に置き換えられている。脳幹だけ避けて全身をラルヴァ組織化するってのはちょっと考えられないな」
 それには澄斗も納得できた。
 寄生型ラルヴァがどこに寄生するのか知らないが、脳の一部分だけ避けて浸食するメリットは無いだろう。そもそも全身をラルヴァ化出来るのなら、寄生などと面倒な方法を取る必要は無い。繁殖したいのならば人間の生殖機能を模倣すれば良い。
「二〇〇一年。スイス。チューリッヒ大学」
 突然織姫の口から出たその言葉の意味を澄斗は理解出来なかった。
 だが、薫と久保はそこから一つの事件を連想出来たらしい。
「ラルヴァ器官の人体への移植実験。人とラルヴァの融合。人間という生物の定義を根底から覆し、神に近づく為の試行」
「僕も研究所の連中もそれは考えたさ。でもその線も無いよ。何せあの頭部には手術痕が無い。チューリッヒ大が行った狂気の実験が証明したように、人間の生体組織とラルヴァの生体組織を融合させようとすると、必ず拒絶反応がでる。その拒絶反応のせいで、手術の傷跡は絶対に消えないらしい。たとえラルヴァの再生力をもってしてもね。寄生型ラルヴァという例外があるが、あれは極めて緻密なすり合わせの結果であって、完全な融合じゃないから参考にはならないよ」
 つまり、寄生ラルヴァ以外のラルヴァから採取した組織を傷跡が残らないように、拒絶反応を引き起こさないように人間へと移植可能な技術が必要だということになる。
 そんなものがあるのだろうか。少なくとも澄斗にはわからない。
 そして、そんなことをする目的とは何なのだろうか。それほどの技術を持ちながら、何故下級ラルヴァを創り出したりするのだろうか。
「科学者たちの中で最も有力な暫定的推測は、ラルヴァが人間を模倣することによって自らの進化を図ったっていう説。簡単に言えば、人間の構造の素晴らしさに気付いたラルヴァが、自らの器官もそういう風に進化させようと考えた、という説だよ。そう考えれば脳幹という中枢部だけ人間の組織化している理由にならなくもない。一番真似したいところの一つだろうからね」
 正直なところ、どの説明にも説得力が不足しているように思われた。多く語っている久保自身、自分の言っていることに懐疑的である表情を隠さなかった。
「とりあえず。強奪犯の捜査は継続しましょう」
 溜息を吐いて、織姫は解散の意図を伝える。
「久保先輩。情報有難うございました」
 その言葉に返されたのは、背を向け、気障ったらしく髪をかき上げる動作。
 二人の上級監理官はそれぞれのパートナーと共に去っていく。織姫と澄斗、最後に二人がそのスペースに残された。
「金刃くん。今日はもう帰りましょう」
「うっす」
 いつもの鉄面皮で警察署内を歩き始める織姫の後ろ姿を追ったが、かける言葉は見つからなかった。恐らく、彼女も声をかけてなど欲しくはないのだろう。
 例の強奪犯を追うのは難しい。二人ともそれを理解している。
 あの正体不明の黒マントは、無数に仕掛けられた街頭監視カメラの群れと偵察衛星の網を、掠ることすらなく逃げていったのだから。
 そんな芸当を、偶然という名の神のご加護無しに成し遂げるには、政府と警察の監視システム及び双葉学園の防衛システム中枢にアクセス可能な立場にいなければならない。
 そして、其処は一個人が手を出せる場所ではない。
 そんな奴を、どう捕まえろというのだ……。


                    *


 新聞、ノートブック、雑誌、etc……。うずたかく積まれた紙媒体の山。それが四方を取り囲み、窓を開けるにも難渋する有様である。地震が起きれば生き埋めに、小火が起きれば火達磨になることが保証されているこの部屋は、消極的な自殺志願者の為にこそ相応しいのではないかと思う。余りにも雑然とした部屋の中心には二台の回転式オフィスチェアが置かれ、それぞれに少女が腰掛けていた。
「いやぁ、災難だったねぇ、祈っちゃん。いや、幸福だったのかなぁ?」
 そう言って、机に置かれた新聞記事の草稿に目を通すその少女は西口明日美。
 隠善祈の尊敬していた先輩にして『第八新聞部』部長。双葉学園高等部三年生。こんな時期まで部長をやっていられるのは、ひとえに彼女が付属大学進学組であるからであろう。
「何言ってるんですか……。大変だったんですよ!【三等犬】事件やら監禁事件やら……」
 そう応えるのは明日美の一年後輩である隠善祈。
 健康的な肢体に黒髪のポニーテール。衒いの無い笑顔が魅力的な少女である。
 上級監理官という肩書を持つ、自分と同い年くらいの少女の運転する車に乗って、祈が自分の寮に帰ってきたのが昨日の夕方。今日の午前中一杯を使って『古城調正房』の記事を書き上げ、先輩に提出しに来たのが太陽の傾き始めたこの時間。
「あれぇ?この漢方屋さん辞めちゃうのぉ?」
 明日美が甘ったるい声で指摘する。
 確かに、祈は『古城調正房』が今週一杯で閉店する、と記事に書いていた。
「はい。色々と思うところがあったみたいで。残念ですけど……」
 沈んだ声でそう話す祈を見て、明日美はウンウンと頷いた。
「そりゃあねぇ……。愛した人が遠くへ行っちゃうのは寂しいよねぇ……」
 そう言って、慰めるように祈の頭を撫で始める。
「ちょっ!だから!そんなんじゃ!」
 必死で言い訳を考える祈を見据え、明日美はその目を細くする。
「祈っちゃん、私の異能を忘れたのぉ?」
 その一言を聞き、祈は十三階段の頂上に立った気分になる。
 西口明日美の異能。【臭気診断(ドッグ&ドック)】は他人の体臭を嗅ぐことで、その人間の状態を理解する能力。体調や精神状態、隠し事の有無。嘘を吐いているのかどうか。臭いを嗅げば全てがわかるという、マスコミ関係者向きの能力。

「祈っちゃん、卒業おめでとう!」

「――ヒィッ!やめてくださいやめてくださいやめてください!」
 顔を真っ赤にして慌てる祈を一通り玩具にした後、明日美は思い出したかのように机に備えられた抽斗を漁る。そこから取り出だしたるは小さなメモリースティック。
 それを、この部屋唯一の高級精密機械であるノートパソコンのスロットに差し込むと、ディスプレイに表示されるのは一枚の画像データ。どうやら明日美のデジタルカメラによって撮影されたものらしかった。
「これ、二学期最後の日の夜に撮った写真なんだけどねぇ」
 暗闇の中、映っているのは黒いマントに身を隠した男の姿。その脇には大きな防水シートで包まれた物体を抱えているのがわかる。
 フードから覗くその顔は、祈のよく見知ったものである。
「これは……?」
 その問いに、明日美は得意げな表情を見せた。
「偶然撮れたんだよぉ。たまたま近くを散歩してる時に、ラルヴァの捕物騒ぎに気付いてねぇ。隠れてカメラを構えていたら、ちょうど映り込んだんだよぉ」
「へぇ……もうどこかに流したんですか?」
 そう訊く祈の態度は完全な社交辞令ではあったが、必要なことだった。
「流すわけないでしょお?こうやって見せるのも祈っちゃんだけの特別だよぉ?」
「ですよね」
「それでねぇ?この男が抱えてる荷物の中身、これはラルヴァの遺骸だって可能性があるんだよねぇ。警察は発表してないケド、一度は捕まえたラルヴァを殺された上に、遺骸を奪われたっていう情報もあるしぃ……」
 喜色満面の明日美の考えが、祈には手に取るようにわかった。
 彼女は数日以内にこの男の正体を調べ上げてスッパ抜き、警察に赤っ恥をかかせてやろうと考えている。この年代の人間のご多分に漏れず、彼女は反体制的だし、そのクセ風紀委員会贔屓なところがある。彼女が書く記事の傾向は双葉島内の自治力強化、異能者の立場向上、ラルヴァに対する強硬姿勢等々。情報倫理に引っ掛かって『指導』を受けたことも一度や二度ではなかった。
「あ、そろそろ行かないと」
 唐突な祈の声に、無様な警察の謝罪会見を夢想していた明日美は我に返った。
「そういえばぁ、漢方屋さんと一緒に冬休み中は旅行に行くんだっけ?」
 彼女の声には、自分の話題に大して興味を示さなかった祈に対するネガティブなものが含まれていたが、明日美お得意の『演説』を聞かされたくない祈は気付かない振りをした。
 祈は最早、彼女に尊敬する何かを見出してはいない。
「はい。本土に帰るのは久しぶりです」
 祈が無意識に口に出した、本土に帰る、という表現は物心ついてからこの島に来た学生たちの口から多く発せられるものであった。
「そうかぁ。まあ気をつけてねぇ……?色々とぉ」
 笑顔で見送る明日美だが、嫉妬の影は隠し切れていない。
「はい!先輩も……さようなら!」
 踵を返して部屋を出た祈はスポーツバッグの中を探る。
 貧乏下宿の角部屋に位置する西口明日美の部屋の入口。玄関扉。その薄っぺらい扉の中心部に、バッグから取り出したチャペルのようなオーナメントを取り付ける。吊り紐に付属した吸盤はしっかりと重力に反抗する働きを見せ、祈は満足そうに頷いた。
 すると、周囲にバレないように腰に巻きつけてある悪魔の尻尾がモゾモゾする。
「もうすぐクリスマスだもの……。先輩に、プレゼントです」
 その言葉は、白い吐息と一緒に大気へと溶けていく。冬用制服の上にダッフルコート、そしてマフラーまで巻いている祈は、それでも寒そうに手を擦り合わせた。
 妙に傾いた門柱を横切って下宿の敷地を出ると、そこには男の姿。
 祈は踊るような軽やかさで彼へと駆け寄る。
「わざわざ迎えに来てくれたんですか?」
「祈さん、貴女は私の恋人ですよ?いつだって傍にいたいと考えるのは当然です」
 恥ずかしげもなくそんな台詞を吐く古城を見て、祈はクスクスと笑う。
「そうですね。私も同じ気持ちです!」
 二人でくっつきながら、歩き始める。祈は意識して歩調を合わせた。
「これからどこへ行くんですか?」
「後藤先生がヘリを用意してくれています。それで本土へと向かって、彼らの用意してくれるセーフハウスで大人しくしていましょう」
 祈が古城のことを知り始めて驚いたことの一つに、その交友関係がある。
 あの夜、房総半島方面へと脱出した仮面の六人を筆頭に、古城の知識と力を頼る見返りとして権力を貸してくれる人間は存外に多いらしかった。
 一個の生命体として至上の高みを目指している一方で、社会と言う集団を強く意識している。それが古城という男であった。決して孤立せず、権力と友好関係を結び、妥協し、時には阿ることさえ厭わない。極めて遠大な視野があるからこそ出来るのかも知れないが、ただ怠惰なだけなのかも知れなかった。
「確かに、ヘリならあの黒い塊も運べますもんね」
「ええ。他の素材はまだしも、『幹組織ラルヴァ』だけは置いていくわけにはいきませんからね。あれが無ければ『対会和』が作れない。すると食材を造るのに苦労しますから」
 古城は己の未熟さを恥じるような表情を浮かべた。
 しかしすぐに、古城の懸念は祈の言葉に吹き飛ばされる。
「でも、冬休み中ずっと一緒に暮らせますね!」
 寒さに中てられて赤くなっている頬をより一層赤くした少女の笑顔は、何よりも男の胸を温かくする。手を繋げば、そこから全身が溶けゆくようだった。
「そうですね、ずっと一緒です」

 互いが互いに身を任せながら、二人は歩きだす。
 お互い以外に理解者を必要とせず、お互いの穴を埋め合う二人。
 既に人間ではなく、ラルヴァでもないその二人は、黒い蜜月を味わう為に双葉島を旅立つ。
 いつの間にか、雪が降り始めていた。


                    *


 『第八新聞部 特別号外』

 十二月某日。
 双葉区の某所において火災事件が発生。
 自室にいた双葉学園高等部の女子生徒A・Nさんが焼け跡から遺体で発見され、同室内からはデミヒューマンタイプのラルヴァの焼死体も発見される。
 司法解剖によれば女生徒の遺体にはラルヴァによるものと思われる致命傷が数ヶ所確認され、殺害後、ラルヴァが部屋に火を放ったものと思われる。何故ラルヴァが自ら焼死したのかは不明だが、被害者の部屋に火種が多く存在したことを理解出来ず、予想以上に早い火の回りに脱出が遅れたのではないかと我々は見ている。

                   (略)

 部内連絡事項(※最重要)
 一身上の都合による西口明日美(にしぐち あすみ)部長の引退に際し、双葉学園高等部二年生 隠善祈(いんぜん いのり)を第八新聞部部長に任命する。これは後援者並びに副部長の強い推薦を受けてのものであり、この人事に不服ある者は年内までに本部に出頭及び反対理由を述べられたし。
 引き継ぎ及び新部長就任挨拶は冬休み明けの一月中に行う予定である。留意されたし。

 加えて、来年度の我が部のスローガンをここに募集するものである。
 採用者には多くの特典が与えられるので、振って応募されたし。
 参考 『ペンは自由であれ』(今年度スローガン)

                   (略)

 『役立つひとこと外国語♪特別号外出張版』

 Es schmeckt gut!(えす しゅめっくと ぐーと!)

 ドイツ語圏で美味しい料理を食べた時に叫びましょう♪
 メチャメチャ美味しかったら、gutの前にsehr(ゼア)を入れても良いよ♪



                 Es schmeckt gut!           了



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