【変身】


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 絹を裂くような少女の悲鳴が夜の空にすいこまれていく。
 双葉区の人気の無い廃工場区域の中を大宮《おおみや》律子《りつこ》は走り抜けていった。
(――どうして?)
 どうして自分がこんなに怖い目に合わなくちゃいけないの。
 律子はもつれそうになる足に気を付けながらひたすら闇の中を走り続ける。心臓が金を打ち、息が今にも切れてしまいそうだった。
 だけど足を止めるわけにはいかない。自分の足が止まった時、それは命の終わりを意味する。
「げへへへへへ! どこへ行こうと言うのだカニ! 逃がさないカニ!」
 下卑た声が背後から聞こえてくる。つい律子は目をわずかに後ろに向けてその姿を直視してしまった。
 そこにいるのは怪物だ。
 満月の光を受けて怪物はその姿を闇に浮かばせている。ゴツゴツとした殻のような肉体を持ち、両腕には巨大なハサミ。目はつぶらで、口からは泡をぶくぶくと吐いている。
 簡単に言うならばその怪物は二足歩行している蟹のお化けであった。
「このシザークラブ様から逃げられると思うなカニ! 俺様は蟹みたいに横歩きしかできないわけじゃないカニー!」
 ふざけきった喋り方ではあったが律子にとってはそれすらも恐怖に拍車をかける要因になっていた。たかが蟹とは言えあのハサミで襲われたら無力な自分はひとたまりもなく殺されてしまうだろう。
(こんなことなら近道なんかしなければよかった……)
 後悔してももう遅い。見たいアニメに間に合いたいからって立ち入り禁止区域に足を踏み入れたのが悪かった。まさかラルヴァがこんなところにも出現するなんて思ってもいなかった。
「その柔らかい肌を切り刻んでやるカニー!」
 鬼ごっこはもう飽きたとばかりにシザークラブは一気に距離を詰めてきた。シャキンシャキンっと鋭いハサミの音を響かせている。
 殺される。もう律子に走る力は残されていない。絶体絶命。観念するしかない。命を諦めるしかなかった。
(さよならパパ、ママ!)
 律子は絶望の中、目を瞑って降りかかる死を受け入れる。せめて少しでも痛い思いをしないように祈るだけだった。
「その子から離れろ蟹野郎!」
 突然そんな声が夜の薄闇から聞こえた。廃工場のパイプに音が反射し、エコーが響き渡る。
「だ、誰だカニ!」
 その声に驚いたシザークラブはぴたりとハサミの動きを止め、つぶらなひとみでぎょろぎょろと周囲を見渡した。つられて律子も目を開けてその声の主を探す。
 すると、暗闇の中に一人の人物が現れた。月しか灯りがなくとも、その人物の姿ははっきりとわかる。なぜなら彼はとても奇抜な格好をしていたからだ。
「自主パトロールの範囲を広げておいてよかったぜ。おいラルヴァ。このカフカマンが来たからにはその子に手を出させはしないぞ」
 そこにはヒーローがいた。
 赤と緑と銀色が合わさったメタリックで特殊なボディを持ち、頭はまるで昆虫をモチーフにしたようなヘルメットのようなもので覆われている。どこからどう見ても子供の頃テレビで見たような変身ヒーローがそこにはいたのだ。
(な、なんの冗談なの?)
 ドッキリか何かかと疑わずにはいられない。
 だけどカフカマンと名乗る男にはおふざけの雰囲気は一切ない。もっとも、この学園に置いて変身ヒーローの戦闘異能者なんてさして珍しいことではないのだ。ということは、彼は学園の生徒の誰かで自分を助けに来てくれたのだろうか。
「きみ、安心したまえ。僕はきみの味方だ」
「あ、ありがとう!」
 どっと涙が溢れ出してくる。どうやらカフカマンはラルヴァ討伐をしている異能者のようだった。助かった。危ないところだったと安堵の息を律子は漏らす。
「何をかっこつけてるガニ。ヒーロー気取りの小僧が、千年を生きてきたこの俺に勝てると思ってるのカニ」
「か弱い女の子をいじめるしか能がないなんて、貴様の生きた千年は無駄だったな」
「な、何を言うカニ! お前の身体を切り刻んでやるカニ!」
 シザークラブは怒りのあまりまるで鍋で煮られたかのように殻の身体を真っ赤にしてカフカマンに襲いかかった。
「がんばれカフカマン!」
 律子は自分を助けに来たヒーローに声援を送った。きっと大丈夫だ。学園の異能者は強い。ましてや弱い変身ヒーロー異能者なんて存在するわけがない。
 きっとシザークラブを必殺キックとかで綺麗にやっつけてくれるはずだ。
「ぐわあっ!」
 しかし、シザークラブのハサミ攻撃を受けて、カフカマンは吹っ飛んでいった。閉じられたハサミで顔面を殴られて、凄まじい勢いでゴロゴロと転がっていく。壁にぶつかったカフカマンはぴくぴくと痙攣していた。
「え、えええ?」
「なんだこいつ。口ほどにもないやつだカニ」
「ぐう……痛い……だが、まだやれる!」
 カフカマンはガクガクと震える膝に鞭を打ちながらなんとか立ち上がった。頭から血が流れ出ていて見ていられない。
「さあ来い!」
「しつこいやつだ、死ねカニ!」
 カフカマンはファイティングポーズを取ったが、すぐさまシザークラブの攻撃を二度に渡って受けてしまった。今度は鋭いハサミの刃で肉体を切り刻まれ、メタリックな外装から鮮血がほとばしる。
 カフカマンは負けじとすでに満身創痍の身体で拳を握り、シザークラブにパンチを放つ。だが簡単にそれは避けられてまたも大きなハサミでカフカマンは蹂躙されていく。カフカマンのへろへろのパンチやキックが仮に当たったとしても、堅そうなシザークラブの殻には一切効かないだろう。
「無駄無駄ぁカニ!」
「ぐわあああ!」
 弱い。
 めちゃくちゃ弱い。
 カフカマンは信じられないぐらいに弱かった。これじゃ並みの人間以下だ。
 ほとんど抵抗できないままに、カフカマンはシザークラブの攻撃を受け続けて瀕死状態であった。
(あっ、これ私も死んだな)
 頼みの綱であるヒーローが死んだら自分だってすぐに殺されるだろう。
 もう走って逃げ切る体力も残されておらず、律子はがっくりと項垂れた。
「さあ、そろそろ余興も終わりだ! ぶっ殺してやるカニ!」
 そう言いながらシザークラブは両腕のハサミで挟み込んだカフカマンをぶん投げて、廃工場のごみ山へと突っ込ませる。そのせいでもはやカフカマンは虫の息で、ぴくりとも動けなくなってしまった。
 そんな彼に止めをさすために、シザークラブはハサミを鳴らしながら近づいていく。
 律子はとても見てられず、両手で目を覆った。
『エネルギーチャージ完了』
 だがそんな機械音声がカフカマンのベルトから聞こえてきた。
「な、なんだカニ?」
「ふふふ……ようやくエネルギーが溜まったか」
 瀕死状態のカフカマンは不適な笑い声漏らしながら、ズタボロの身体を無理矢理立ち上がらせる。体のあちこちから血が流れ、立っているのがやっとに見えた。
 だがどこかその姿から自信を感じる。
「さあ行くぞ! チェーンジ!」
 カフカマンが叫びながらポーズを取ると、彼のベルトから激しい光が放たれた。その光はカフカマンの身体も輝かせていく。
「なに! チェンジだと? まさか二段階変身ができると言うのカニ!?」
 ピンチになったヒーローが二回目の変身をするというのは定番だ。まったくこんな隠し玉を持っていたのかと律子は再び希望の目をカフカマンに向けた。
「…………え?」
 だが光が収まり、姿を再び現したカフカマンの姿はあっけに取られるものだった。
 Tシャツに収まりきらないブヨブヨ状態のメタボ体質なお腹。髪の毛が後退しかかっている頭に、ハムみたいな腕。夜なのに暑いのか、額からは脂汗が流れ出ていた。さっきまでの機械的なイメージは一切ない。
 どこからどうみてもただの人間で、三十代後半ぐらいのキモイデブがそこにいた。
「ぶっ! はははははははは! バカが! どうやら二段変身に失敗して変身そのものを解いてしまったようだな! しかしまさか正体がこんなデブとはな」
 シザークラブはブクブクと泡を噴出しながら大笑いしていた。どうやらシザークラブの言う通り変身が解けてしまったのだろうと律子も思った。しかも中身はイケメンでもなくドン引きするほどの不細工である。
(うう。こんな人に私は助けを求めてたのか)
 三度目の絶望を味わいながら律子はとうとうがっくりとその場で手を地面についた。
「ピザ主食の生活ともお別れさせやる、死ねえ!」
 シザークラブはキモデブとなったカフカマンに飛びかかり、ハサミを広げて彼の首を一気に跳ね飛ばしてやろうと振り下ろした。
(――死んじゃう!)
 もうダメだ、と律子は目を逸らした。
 だが、いつまで経ってもカフカマンの悲鳴すら聞こえない。その代わりに、まるで堅い物を砕いたような音が大きく響いた。
「え? なに?」
 律子が視線をカフカマンに向けると、彼はブヨブヨの太った手でクラブマンのハサミ受け止めていた。そればかりか、握力だけでクラブマンの堅いハサミを握り砕いてしまっていたのだ。
「な、なぜだカニ! 俺のハサミは鉄のように堅いはずなのに!」
「ふしゅう……はあっ!」
 キモデブカフカマンは正拳突きをシザークラブの腹部目がけて放つ。カフカマンの拳は鋼鉄の強度を持つ殻を砕いて、激しくシザークラブを吹き飛ばした。
「ど、どうしてカニ……?」
 あちこちから味噌を垂れ流しながらシザークラブは立ち上がる。ハサミも体も砕かれてしまい、混乱しているようだ。
「なんでたかが人間如きにい!」
 シザークラブはもう一つのハサミを構えてカフカマンに向かって突貫した。だがカフカマンはするりとハサミを避け、そのまま空高く跳躍する。
「カフカマン、キ―――――――ック!」
 丸太のような足を突きだし、カフカマンはシザークラブへと凄まじいスピードで突撃していったのだった。
「カニー!」
 カフカマンのキックを食らったシザークラブは断末魔を上げて爆発した。



「あ、ありがとうございますカフカマンさん」
 爆発したシザークラブの蟹味噌を全身に被った律子は苦笑いしながら、シザークラブのハサミの身を食べているカフカマンと握手をした。手が脂っこくて汗を掻いている。ちょっと嫌だな律子は顔を歪めた。
「当然のことをしたまでだよ」
 対してカフカマンはTシャツで額の汗を拭ってキランっと無駄に白い歯を光らせていた。
「あの、変身しない方が強いんなら、最初から変身なんてしなければよかったんじゃないですか?」
 律子は当然の質問を投げかけた。この容姿を隠したいがためにあんな格好を常にしているんじゃないかと疑いたくなる。それで生命の危機に陥っていては元も子もない。
「ん? 何を言ってるんだい。これが僕の変身した姿だよ」
「え? でも、だって」
 律子が驚きの声を上げると。カフカマンはベルトのボタンを押した。『変身解除』という音声が流れて再びカフカマンの身体がメタボリックからメタリックな合金ボディへと戻っていく。
「これが僕の“本来の姿”なのさ。さっきのはカフカマン族に伝わる強化アーマーだ。エネルギー充填に時間がかかるが相手を油断させる外見に変化し、強い力を引き出すことができるんだよ。カフカマン族の容姿は強そうに見えるらしいんだけど、これが全然強くないんだよ。ほら、メタリックに見えても実はこれ普通の肌と同じぐらい柔らかいんだから。ははははは」
 律子はぽかんとしながら笑っている彼を見上げた。
 カフカマンは元々ラルヴァで、|人間に変身する《・・・・・・・》変身ヒーローだったのだ。

 END



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