【祭の夜の小さな事件 ~醒徒会と少年少女と中華料理と風紀委員~】


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 祭の夜の小さな事件 ~醒徒会と少年少女と中華料理と風紀委員~



 八月中旬の双葉区。その日は一年に一度、三日間連続で盛大な花火大会が催される期間内の一日。町には昼間から浴衣姿の若者たちがあふれ、交通規制の開始を告げる空砲花火があがる夕方ともなると会場に向けて移動する多くの人々の流れが通りを埋め尽くす。
 そんな大イベントの一日、醒徒会は一年でもほとんどない、七人全員そろってのOFF日になっていた。彼らの抜けた穴は教師陣と風紀委員、そして一部の生徒たちの自主的な(もしくは何らかのペナルティを解消するための)協力によって埋められている。
「もうじき待ち合わせの時間か……」
 醒徒会棟と呼ばれる建物の入り口に立ち、成宮金太郎《なりみや きんたろう》は懐から取り出した学生証のモニターに表示された時計に目をやりながら、そう一人ごちる。彼の背後から「だなー」という声が聞こえた。花火大会に行くために、七人が決めた待ち合わせ時間は午後七時。
「女性の準備には時間がかかりますから」
 彼のつぶやきに答えたのは、隣に立つ水分理緒《みくまり りお》だった。
 彼女は白地に様々な夏の花柄をあしらった浴衣を身に着けており、見る者に制服姿とはまた違う魅力を感じさせた。立ち居振る舞いもごく自然で、普段から和装に慣れ親しんでいるのが伺える。
「女二人はそうかも知れねーが龍河は……なんだよ?」
 水分の見慣れぬ浴衣姿から顔を背けつつ、当惑気味に反論を口にしかけた成宮だったが、振り向いた先のエヌR・ルールの視線に気づき言葉を切る。「弾さんのことだから、のんびりしてるんだろ」という声が彼の背後から聞こえた。
「何も言っていないだろう」
「目が言ってんだよ」
「仲が良いのは良い事だと思っただけだ」
「別に仲良くねーよ!」
 成宮の問いかけから、いつも通りの言いあいが始まるが、それも「よう、待たせちまったか?」という声にさえぎられることになった。声の主、龍河弾《たつかわ だん》は浴衣に下駄履きという、なんとも似合いすぎる姿で大股に歩きながら、待ち合わせ場所にたたずむ四人に手を挙げて見せる。と同時に、その後ろから全長五~六メートルはあろうかという巨大な白い虎が土煙と地響きを上げて駆けて来た。
「すまん、ギリギリになったのだ!」
 白虎の背中からよく通る声が響く。龍河を含む五人が声のほうに目をやると、そこには白虎とは九十度回転した状態で彼の背に腹ばいにしがみつく、二人の小柄な少女の姿があった。
「予想以上に着付けに時間がかかってしまったのだ……」
「みんな、お待たせー」
 立ち止まり、しゃがんだ白虎から滑り降りつつ、藤神門御鈴《ふじみかど みすず》は申し訳なさげに、加賀杜紫穏《かがもり しおん》はにこやかに口を開く。
 二人が離れると、白虎は子猫程度のサイズに縮み、爪を立てず器用に御鈴の頭に飛び乗った。この大きさの時はそこが定位置なのだろう。
 御鈴と紫穏の二人も水分同様に浴衣姿で、御鈴は赤地にひまわり柄、紫穏は紺地にひまわり柄と、色違いの装いだった。先ほどの騎乗姿勢は、和装ゆえにまたがれなかったという事か。
「後は早瀬だけか」
「そうだな」
「いやいや、いるいる! 最初からいるって! ちょこちょこしゃべってただろ!」
「「冗談だ」」
 珍しく息のあったボケを見せた成宮とルールに、すばやく突っ込む早瀬速人《はやせ はやと》だった。
「みんなそろった事ですし、そろそろ移動しましょうか」
「よーし、出発なのだ!」
 水分の言葉に促され御鈴が音頭を取ると、七人は花火大会の会場に向け意気揚々と歩きだした。

 *
 *
 *

 車両の通行が規制され歩行者天国となった道の両側に、様々な屋台が立ち並んでいる。どの屋台も花火客であふれ、人々は焼そば・焼きとうもろこし・カキ氷などを手に次々に流れてゆく。そんな屋台群の一角に、ひときわ客足の絶えない店があった。
「はいよ、焼そば二つに氷杏仁二つお待ち!」
「先輩、お疲れっす」
 忙しなく調理と客対応をこなす拍手敬《かしわで たかし》に制服姿の少女が声をかけた。挨拶のために上げられた腕には『風紀委員』の腕章がつけられている。
「おう、お疲れ。お前は巡回中か」
「そうっすよー。この暑い中、みんな遊んでるのに、何が悲しくてこんな事しなきゃいけないんすかねー」
「……そりゃ、お前が風紀だからだろ」
 軽く挨拶を交わし問いかける拍手に、風紀委員の少女・神楽二礼《かぐら にれい》は風に流され顔にかかる長い髪を鬱陶しそうに払いのけながら、さも不満げに答える。そんなやり取りをしながらも拍手は調理の手を止めることはなく、手際よく接客もこなしていた。
「そりゃまあ、そーなんすけど。ところでこの『氷杏仁』ってなんすか?」
 屋台にぶら下がるお品書きに興味を引かれそう問う神楽に、拍手は「ああ、カキ氷に角切りの杏仁豆腐のっけて練乳かけた、期間・数量限定のデザートだよ」と答える。
「なにそれ美味しそう!私にも一つ!」
「ダメダメ、数量限定だって言ったろ。それにお前、風紀の仕事中だろうが。ま、もし売れ残ったら取っといてやるから」
 勢いよく反応する彼女を軽くあしらう拍手。神楽の方は実に不満げだが「絶対っすよ」と念押しすると、しぶしぶ引き下がった。

 *

「拍手先輩、お疲れ様です」
「こんばんはー」
 神楽とのやり取りを終え、再び屋台の切り盛りに集中し始めた拍手に、一組のカップルが声をかけた。少年の方はショートパンツにTシャツというラフな格好だが、小柄な少女の方は浴衣姿、それも胸部がぴったりと立体裁断された物を身に着けていた。普通なら和服は胸を晒《さらし》や和装ブラジャーで押さえてから着付けるが、彼女のバストはどうあがいても通常の方法では収まらないのがありありと伺えるサイズだ。彼女のために特注された浴衣なのだろう。
 声をかけた二人の方に向き直ると、目に飛び込んできた凶悪なおっぱいにしばし目を奪われた拍手だったが、不意に満面の笑みを浮かべ「サンキュー神様!」と高らかに賛辞を贈った。それと同時に突き出された右手は、しっかりと親指を立ててあった。
「……相変わらず好きですねー」
 拍手の反応は予想済みだったのか、木山仁《きやま じん》は苦笑しつつも控えめなツッコミを入れる。彼の左手をしっかりと握っている造間改《つくま あらた》は、解っているのか解っていないのか「えへへー」などと言いつつニコニコと笑っていた。
「なんか食ってくだろ?」
 満面の笑みを浮かべたままの拍手にそう問われ、仁は「ええ。あ、でも色々食べたいんで焼きそば一つと氷杏仁二つお願いします」と答えた。
「あいよー。じゃあその辺でちょっと待っててくれ。あ、木山は並んどいてくれよ」
 拍手の言葉に促され、仁は客の列に移動し、改は開いた席はないかと辺りを見回す。すると屋台の列に向かい合う通りに並べられたテーブルの一つに陣取りパタパタと手を振る神楽の姿を見つけた。
「造間さん、こっちっすよー」
「にれちゃん席取っててくれたの?ありがとー!」
 神楽の呼ぶ声に引き寄せられるように小走りで近づきながら、改は疑問と礼の言葉を口にした。それに対し神楽は「いやいや、なんのこれしき。知人として当然のことをしたまでっすよ」と言いつつ、手で向かいの席に座るよう指し示す。
「そういえば、にれちゃんと拍手先輩はつきあってるの?」
「は!? いきなりなんすかそれ! そんなわけないでしょ!」
 神楽の勧めに従って椅子に座ると、改は不意にそんなことをたずねた。が、神楽にはあっさりと否定される。
「えー、でも大車輪に行ったらいつも一緒にいるじゃない」
「いやいや、アレはからかったら面白いから遊びに行ってるだけで、飼い犬みたいなもんっすから」
 食い下がる改だったが、やはりあっさり否定されるのだった。

 *

「お待たせ」
 しばらくして談笑する女子二人の所に、スチロール容器に入った氷杏仁を焼そばのパックの上に乗せた仁が歩み寄ってきた。手に持ったものを落とさぬように、かなりゆっくりした速度になっている。
「あ、仁ちゃん。お疲れ様ー」
 仁の危なっかしい様子に即座に反応し、改は彼の手から二つの氷杏仁を受け取るとテーブル上に置いた。仁はそれに「サンキュー」と礼を言いつつ、焼そばのパックにかけられた輪ゴムを外し卓上に広げる。そして二膳ある割り箸の一つを改に手渡すと、彼女の隣に腰を下ろした。
「「いただきまーす」」
 仁と改は手を合わせるときれいにそうハモり、そろって焼きそばに箸をのばす。が、箸の先に注がれる視線に気づき手を止めた。
「……神楽さんも食べる?」
「いただきます!」
 神楽は仁の気遣いの言葉とともに差し出された箸を受け取ると、一瞬の間もおかず食前の挨拶を済ませ、そそくさと焼そばに箸を伸ばした。
「うん、美味~い」
「じゃあ仁ちゃんには私が食べさせてあげるね! ……っと。はい、あ~ん」
「あ、あー」
 神楽が焼そばの感想を口にし、改は手ずから焼きそばを仁の口元運んでやる。仁はそれに照れつつも、おとなしく焼きそばを食べた。二人のやりとりは「おーおー熱い熱い。この辺だけ気温が2℃はあがったね」という、神楽の冷やかしを受けるには十分だった。
「あーあ、私も優しくてかっこいい彼氏ほしいっす」
「拍手先輩と付き合ってるんじゃないの?」
 不意に神楽がこぼした言葉に、仁は即座にそう反応した。
「違うわ! あんたら二人そろって同じ事言うなよ!」
 あきれたような困ったような表情を浮かべた神楽の口から、再び否定の言葉が吐き出された。

 *

「ん?あれ副会長じゃないか?」
「あ、ほんとだ。浴衣すごい似合ってるねー」
 焼そばを食べながら、ひとしきりお喋りを楽しんでいた三人の近くの屋台に、醒徒会副会長・水分理緒の姿があった。どうやら他の醒徒会メンバーも揃って金魚すくいに興じているようだ。
「副会長はホント和服似合うっすねー。まさに和服美人って感じ。あ、会長と加賀杜さんも浴衣だ! こっちはすごい子供っぽい。……なんというか親子?」
 ちゃっかり氷杏仁までご相伴に預かりつつ、神楽が感想を漏らした。
 その言葉に仁が「それを言うなら姉妹じゃないの?」と突っ込みを入れたその時、祭の喧騒よりも大きな女性の悲鳴が響き渡った。

 *

 歩行者天国となった車道にあふれる人波を掻き分け、一人の男が駆けていた。金色に染められた頭髪と耳にピアスをつけた、いかにもといった感じの不良少年で、その手には女物のハンドバッグと巾着袋が握られている。時にフッと消えては現れするその様子から、彼がテレポーターに類する異能者であるのがうかがい知れる。
「そいつ捕まえて!引ったくりよ!」
「あたしの巾着!」
 少し離れた人ごみの中からひときわ大きく、若い女の声が響く。一人は派手な柄の入ったミニ浴衣に派手な花の髪飾り、もう一人はデニムのショートパンツにノースリーブと言う格好の二人組みだった。二人は窃盗犯を追おうとするが、人ごみに阻まれて思うように進めずにいた。
 そんな彼女たちをあざ笑うかのように、二人の持ち物を奪った男は逃走を続け、醒徒会のメンバーが集まる屋台の前を軽快に走り抜ける。
「ここは私が」
 屋台の前に座り込んでいた水分が、他の六人に先んじて行動を起こした。
 彼女が眼前にある金魚すくい用の小さなプールに手をひたすと、容器に満たされた水が意思を持つ生物のように蠢《うごめ》き、今にも車道の外れにある造林に駆け込もうとする少年に向け、その触手を伸ばした。醒徒会員全員が窃盗犯捕縛を確信する。
 しかし水の蛇は彼に触れた瞬間、その存在をかき消された。少年は異能者で、その能力はテレポーター。消えた水はどこに行ったのか。
「え?」
 驚きの声を上げた水分の頭上から、数リットルの水が降り注ぐ。

 ――一瞬の静寂。――

「紫穏ちゃん」
「はい!」
 普段からは想像もつかない低い声を水分が発し、それに応えて紫穏が彼女の腰にしがみつく。
「皆さん、すみませんが屋台のお水お借りします」
 さほど大声でもないのにやけに通る声で謝意を告げると、水分は再びプールに手を浸した。すると今度は一瞬で容器内のすべての水が吹き上がり、隣の風船釣りのプール、さらに隣の防火用のバケツ、そのまた隣の道路わきに設置された消火栓へと水の橋を架けていく。
「早瀬君は樹上から犯人を追ってください。私と紫穏ちゃんで追い詰めます」
「了解《ラジャー》!」
 水分の指示に従い、早瀬は一瞬で林の木々へと跳躍する。そして水分と紫穏は、龍と化した水流に音もなく乗り、直立不動のまま早瀬の先導で逃走者を目指し移動を始めた。

 *

 なんだよあれは?おかしいだろ。なんで引ったくり一人に醒徒会が出てくんだよ!
 二人組みの女の手から、彼の異能『短距離テレポート』で首尾よく手荷物をいただいて、いつも通り異能を併用し林に駆け込む。それで仕事は終わりのはずだった。
 それが偶然居合わせた醒徒会に追われることになるなんて、なんてついてないんだ。窃盗犯の少年は、全力で林の中を駆けながら己の不運を呪った。
 頭上には、足場などお構いなしに木から記へ跳び渡る最速の男。ちらと振り返れば金魚や水風船を飲み込んだままの大量の水でできた巨大な龍。その背には憤怒をたぎらせた浴衣の女。もはや彼には全力で逃げる以外に出来ることはない。いや、全力で逃げた挙句の果てに捕まる以外に出来ることはなかった。

 ――彼が最後に見たのは月を背に立つ女の、寒気さえ感じるほどに冷たい光を放つ瞳の輝きだった。――

 *

「それでは早瀬くんは彼を風紀委員詰め所まで連行してください」
「了解っス!ほら、キリキリ歩けい!」
 水分の鬼気迫る追跡によって窃盗犯はあっさりと縛についた。異能を封じる手錠をはめられ、早瀬に連行されるその姿にはまったく精彩がなく、言われるままにヨロヨロと歩き去っていく。
「いや~ちょっと楽しかったね!」
「ふふ。そうですね。久しぶりに全力を出してしまいました」
 彼女に水を浴びせた相手を捕らえたことで溜飲を下げたのか、水分は機嫌よく紫穏の言葉に応え振り向いた。
「あ!姉御!」
「え?」
「透けてる、透けてる!」
 不意に声を上げた紫穏の様子に、いぶかしげに首をかしげた水分だったが、「透けている」と指摘されて自分の胸元に目を向ける。するとそこには、水に濡れてぴったりと張り付いた浴衣から、うっすらと浮かび上がる彼女の双丘があった。
「きゃあ!?」
 当然のごとく、彼女は羞恥から胸元を押さえその場にしゃがみこむ。
「おおい、どうした?何か悲鳴が聞こえたが」
「何があったのだー?」
 タイミングの悪いことに、そこに龍河が現れた。肩には会長と白虎を乗せ、カラカラと下駄の音を響かせて大股に走ってくる。
「ダメー!!こっち来ちゃダメー!! そこで止まって!! そう!! そんで会長だけこっち来て!!」
 紫穏の制止にあわてて立ち止まる龍河。その顔にはありありと物問いたげな表情が浮かんでいたが、おとなしく御鈴を肩から降ろす。彼女は着地すると同時に水分と加賀杜に走り寄った。白虎もそれに倣う。
「どうしたのだー? ……ぬ!?これはまずいのだ。白虎!」
 状況を理解した会長の指示に従い、白虎は一声「がおー」と吼えると、見る間に全長十メートル代まで巨大化した。そして一箇所に集まった三人の少女たちを囲うように、その場に横たわる。
「うむ。これで外からは見えなくなったのだ」
「ありがとう、御鈴ちゃん……」
「気にするな。困った時はお互い様なのだ」
 会長と水分がそんな言葉を交わしたとき、辺りを騒がすローター音が聞こえてきた。白虎を目掛け飛来したヘリから縄梯子が投げ落とされ、機内から成宮が現れる。
「こらー!上から覗くなー!」
「覗かねえよ!」
 縄梯子を伝って地上を目指す成宮に御鈴から非難の声が浴びせられるが、彼は反論しつつゆっくりと地上に降り立ち、背負っていた大きなリュックをおろすと白虎の手足で作られた囲いの中に投げ込んだ。
「着替えだ。急だったから出来合いの浴衣だが勘弁しろよ」
 成宮は水分にそう告げると「白虎、天幕も入ってるから上手いこと屋根作れ」と指示を出す。白虎はそれに従って器用に天幕を広げてみせた。
「……ありがとう、金ちゃん」
「別に」
 少し恥ずかしそうな水分の礼に成宮はぶっきらぼうに応え、親しみを込めて呼ばれたあだ名に「金ちゃん言うな」ととがめる。
「あ、ごめんなさい。 ……成宮くん」
とがめられて気落ちしたか、水分は少し他人行儀に彼の名を呼ぶ。
 気まずい雰囲気にその場の誰もが口を閉じ、しばらくの間、辺りには水分の着替える衣擦れと虫の音だけが流れた。
「いや~、金ちゃんの一人勝ちって感じだよね~。美味しいところ持っていかれちゃったよ~。まったく憎いね、この色男!」
 沈黙に耐えかねたか空気を換えようとしたのか、紫穏はちょうど塀の様になった白虎の足に飛び乗ると、そう成宮を囃《はや》したてた。それに対し彼は気恥ずかしげに顔を背けると「うるせえよ」と毒づく。
「屋台の人たちには謝っておいたぞ」
 一人遅れてルールが現れ、皆にそう告げた。水分が屋台から拝借した水は捕り物が終わった時に彼女がそれぞれの場所に戻していたが、混乱した場の後始末をしてきたということだろう。
「よし!あとはこの荷物を持ち主に返せば一件落着なのだ!」
 紫穏を真似て白虎の足によじ登ると、御鈴は高らかにそう宣言した。

 *
 *
 *

「いやぁ、良いもん見たなあ……」
「副会長すごかったねー」
 醒徒会メンバーが消えた方向を見つめたまま、仁と改はそれぞれの感想をこぼした。
「さすがは当代最強と呼ばれる人達っすねー。やる事のスケールがでかいわー」
 神楽もあきれ顔とも感心しているともつかぬ表情を浮かべ、そう漏らす。その手には仁から奪い取った氷杏仁がしっかりと握られていた。
「仁ちゃん、なんか顔赤いよ?」
「え!?」
 事件の余韻から冷めたか、改は仁に向き直ると彼の様子が何かおかしいことに気づく。なんだかぼんやりしているというか、腑抜けた顔というか……。
「……木山くん、鼻の下伸びてないっすか?なんか淫猥な表情っすよ」
 改の言葉につられて仁の顔を覗き込んだ神楽が、不意にそう切り出す。
「な、違う!そんな顔してない!」
 その言葉にあわてて口元を隠す仁。まさに墓穴である。
「……仁ちゃん? 何見たの?」
「何見たんすか?淫猥な表情の理由を述べよ」
「な、何も見てない! ていうか俺はそんな淫猥な顔なんてしてない!」
二人の追及に必死の弁解をする彼だったが、疑いの目は強まる一方だった。

――絶対に言えない。水をかぶった副会長の下着が若干透けて見えたなんて絶対に言えない。言えば殺される――

「木山くん、さっき『良いもの見た』って言ったっすよね? いいものって何すか?」
「仁ちゃんのすけべ! 浮気者!」
「や、やめろ。やめてくれ。俺は無実だー!」

 仁の抗弁もむなしく、女性陣の追求は熾烈を極めることになるのだった。

 *

 引ったくりと醒徒会の起こした珍事の狂騒も収まり、屋台には再び人だかりが出来ていた。客の注文を受け調理する手はそのままに、拍手は車道に並ぶテーブルで楽しげにじゃれている後輩三人を横目でちらりと見やる。その顔には羨ましげな表情が浮かんでいた。
 ……いいよなあ、あいつら楽しそうで。あいつらっていうか、木山。
 目を手元に戻し、次々に焼そばをパックに詰めてゆく。調理が終わるのを待っていた客に出来上がった品を手渡し、代金を受け取る。いつ終わるとも知れぬまま、彼は幾度となくそれを繰り返す。

――ドン――

 すっかり暮れた夏の空に、本日一発目の花火が上がる。続いて二発、三発。道行く人々はいっせいに夜空を見上げ、しばし濃紺の大気のスクリーンに咲く光の花に目を奪われた。
 拍手が再び後輩たちの方に目をやると、さっきまで大騒ぎしていた仁と改は嘘のようにおとなしく、しっかり手をつないだりなんかしながら揃って花火を見上げているのだった。神楽も時折氷杏仁を口に運びながら、彼らと同様に花火に見入っている。
 ……俺も彼女ほしいなあ。
 拍手の口からこぼれたため息は、屋台から立ち上る油の煙とともに、夏の夜空に吸い込まれていった。

 *
 *
 *

 午後九時半を回り、花火も終わった祭の会場は人の流れもまばらで、すっかり寂しくなっていた。屋台の主たちもそれぞれ、今日の売り上げ精算や後片付けに追われている。
「うーし、終わりっと」
 そんな屋台の一つから拍手敬の声が漏れる。どうやら仕事を終えて、ほっと一息といった所の様だ。彼は屋台の屋根になっていた横板をぱたりと倒すと、携帯用の折りたたみ椅子に腰を下ろす。そしてかぶっていたコック帽を脱いで上着のポケットに突っ込み、大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。
「まかない食ったら店に引き上げるか……」
 ぼそりとつぶやいて、調理台の端に置かれた焼そばのパック(肉ナシ)を手に取る。調理してから三十分ほどが経過していたが、まだほんのりと温かい。
「「いただきます」」
 拍手の声に少女の声が重なる。
「へ?」
「先輩、お疲れっす」
 思わず間の抜けた声を出す拍手に、神楽二礼が手を挙げつつ労いの言葉を投げかけた。
「あれ、お前まだいたの?」
「そりゃーいますよ。だって風紀ですもん。最後の一人がいなくなるまでは担当区域から出られないんすよー」
 そう疑問に答えられてはじめて、拍手は周囲の屋台を見回す。するともう大半が引き上げていることに気づいた。
「あ、そうか。悪いな。じゃあ急いで……」
「いいっすよ、ゆっくりで。私も焼きそば食べるし」
 神楽の手にはすでに割り箸が握られていて、そう言うが早いか焼きそばに手を出す。その行動に拍手は「ちょ、おま」と非難の声を上げるが、彼女はそんな事お構いなしとばかりに焼そばを口に運んだ。
「うん、冷めても美味~い。はい先輩、あーん」
 一口食べて焼きそばの感想を述べた神楽は、自分の使った箸でもう一度麺をつまむと、拍手の口元に差し出す。
「お、おいおい」
「なに照れてんすか~? こないだも食べさせてあげたじゃないっすか~」
 たじろぐ拍手をからかうように、ふわふわと箸を動かす神楽。彼女が言っているのが七夕の夜の事だというのは彼にもよくわかっていた。なにしろ女性に「はい、あーん」なんて料理を食べさせてもらったのはアレが初めての経験だったのだから。
からかわれているのは解っている。だが……
「あ、あーん」
 やはり引っかかってしまわざるを得ないのが男の性《さが》だった。
「ひょいっ」
 そしてやはり罠なのだった。
 拍手の口におさまる直前にスッと箸が引かれ、彼の歯がカチンとかみ合わせられる。
「……おい」
「へへー、引っかかった。あーあー、そんな顔しない。ちゃんと食べさせてあげるから~」
 神楽がしてやったりと喜ぶのを、拍手は恨めしげににらむ。それはなんとも言えない哀愁を帯びた表情だった。
「はい、あーん」
「あーん」
 再び箸が差し出され、今度こそ焼そばが拍手の口に収まる。
 うむ、我ながら美味い。そしてまたしても間接キスだ。うっかり今後の進展を期待してしまいかねないのが怖いが、今はしっかり味わうことにしよう。

 *

「よし、店に戻ろう」
「出発しんこー!」
 屋台の厨房側の横板をしっかりと閉じると、拍手は屋台を引くべく手木を握り締める。それに出発の号令をかける神楽。
「……なんでお前までついて来るんだよ」
 ゆっくりと進みはじめた屋台に並んで歩く神楽に、拍手がそう声をかける。
「なんでって、晩ご飯食べに行くに決まってるじゃないっすか。風紀の仕事も終わったの携帯で報告したし」
「お前、まだ食うのかよ? 木山たちといた時も食ってたし、俺のまかないまで半分食ったくせに」
 彼の問いかけに首をかしげ「何いってんの?」とでも言いたげな表情で答える神楽。拍手はその答えに呆れ顔で突っ込みを入れる。
「仕事で一日歩き回ったんすから、あれっぽっちじゃ全然たりないっすよ。それに私は食ったら腹じゃなく胸が増えるんすよ」
「マジでか!? 最高だなそれ!!」
「……」
 軽い冗談を真に受ける彼に、心底軽蔑しきった眼差しを向ける神楽。拍手はその目のあまりの冷たさに、思わず顔をそむけた。
「あんま人をエロい目で見ると懲罰台送りっすよ」
「それは勘弁してくれ……。店に杏仁豆腐が残ってたら氷杏仁作ってやるから」
「マジっすか!? やったー!先輩かっこいー!」
 神楽にそう釘を刺され、気落ちしたまま袖の下を申し出る拍手。それが図に当たり、彼女はあっさりと手のひらを返す。
「よーし!それじゃあ、さっさと大車輪に向かうっすよー!」
 神楽はそう宣言すると、拍手を押しのけて手木の間にもぐりこみ、力いっぱい屋台を引き始めた。
「お、おいおい、狭いだろ」
 あわてて神楽の引くペースにあわせながら非難の言葉をこぼす拍手だったが、彼女はそんなことお構いなしに意気揚々と鼻歌を歌いながら、軽快に歩を進める。
 まったく現金というかマイペースというか……。
 神楽の行動にあきれる拍手だったが、窮屈な手木の間で汗ばんだ彼女の二の腕が彼の腕にたびたび触れるうちに、非難する気持ちはあっさりと消え去っていった。
 やっぱこいつは俺のことなんとも思ってないんだなあ……。ま、今はこれでいいか。
 足を踏み出すたびに揺れる神楽の胸を横目に見ながら、拍手はそんなことを思う。

 人気が絶えた夜の車道を、小さな屋台が商店街を目指す。
 それはまるで彼らの微妙なバランスを表す振り子のように、ユラユラと揺れていた。



                  了






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