【眠り姫と、眠り姫の見た現】


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 ◇二月四日(火)


「おーい姫音。この状況で寝られると正直困るんだが」
 図書館の机で突っ伏してしまっている|姫音《ひめね》|離夢《りむ》の旋毛《つむじ》を、彼女と二人きりで対面に座っている|中島《なかじま》|虎二《とらじ》がペンの先でつんつんと突いて無理矢理起こそうとする。
「むぅ、それ地味に痛いよ……」
 リムはその体勢のままシッシッと彼のペンを追い払うと、その両手で後頭部を覆い彼による追撃からガードした。
「あぁ悪かった。ていうかだから寝てないで起きてくれ。このままだとすぐ閉館時間になっちまう」
 彼の言葉にリムはゆっくりと首だけを動かし壁掛け時計を見上げる。二本の針が示している現在時刻は四時ちょっと過ぎ。
「んー……もうこんな時間なんだ、ごめんね。もうちょっと頑張る」
 のそりと上半身を起こすと、眠気覚ましに両頬をパンパンと叩いてみせた。
「うん、もう大丈夫」
「オーケー。じゃあ数学はまぁこんなもんで、後はせんせーさんの『初級ラルヴァ知識』だけやっとくか」
 言って、彼は鞄からノートを取り出すと最近の授業での板書を写したページを開き、リムへと開いて見せた。
「……っと、この前授業でやったのは――」


 事の発端は今から三時間半ほど前の、お弁当を食べ終わった昼休み中盤。教室の片隅で数人集まり雑談しているうちに、話の流れで今日の放課後は暇だという中島に、リムの親友である|相羽《あいば》|呼都《こと》が「もしよければ図書館で私とリムの勉強を見てもらいたい」と頼み出た。呼都の言葉に中島は、食後の睡魔と闘うかのように眠い目を擦りながらも頑張って会話に参加しようとしているリムをちらりと覗くと「別にかまわないよ」と了承した。
 ちなみに中島の親友である|錦《にしき》|龍《りゅう》は部活があるので今回はパスだと断った。学年末テストまで日があるからまだいい、と言う彼の意見にリムも本心では賛成したかったのだが、せっかく中島と一緒に居られるということもあり、ぼんやりとした思考の中、彼女も素直についていくことにした。

 そう、この時はまだ、リムはただ勉強するという二人についていって一緒にいるだけのつもりだったのに。


 ホームルームが終わると中島はすぐ「先に図書館に行って三人分の席を取っとっておくから」と教室を飛び出して行った。この時期は特に受験を控えた三年生で放課後はすぐに満席となることがよくあるから、らしい。
 リムと呼都は彼を待たせないよう帰り支度を素早く済ましていると、
「ちょっと相羽さん、いいかしら」
 茶髪ギャル風の二人組、|田中《たなか》|雛希《ひなき》と|鈴木《すずき》|彩七《あやな》が呼都へと向かって指先で「こっちへ来い」と合図した。
「……何? 田中さん鈴木さん、私たち急いでるんだけど」
 相変わらず仲が良くないのか呼都は二人に向かって露骨に嫌そうな表情で返答する。
「うん、野暮用なんだけどさ。向こうで私らの話を聞いてくれない?」
「あ、姫音さんは関係ないから先に中島君のところに行ってていいよ~」
 田中は嫌々歩み寄ってきた小柄な呼都の肩に腕を回し、隣の鈴木がリムへ向かって手をヒラヒラと振る。
「ごめん、リム。先行って中島君に私だけ少し遅れるって伝えといて。すぐ行くから」
「……うん、わかった」


 ――そして「すぐ行く」と言ったはずの呼都はその直後、リムへと「用ができたから先に帰る。中島君によろしく」とメールを寄越し、そして言葉通りに図書館へと姿を現さなかった。
 結局、リムは意図せず中島と二人きりで勉強を教えてもらうことになってしまった。





 ◇


「あー、確かに言われてみれば……」
 リムたち二人から死角となる本棚の陰。田中と鈴木に連れられた呼都は、図書館で勉強する二人を眺め小さく呟いた。
「あんた……あれだけずっと一緒にいながら本当に気づいてなかったのか」
「っていうかさっき中島君に勉強見てもらうこと頼んだのも、あの二人に関係なく本当に素の発言だったんだねぇ」
 あからさまに「こいつバカだ」と言わんばかりの表情で呼都を見下す田中と鈴木に苛つきながら、呼都はリムたちの様子をじっと見つめていた。
 距離があって会話は聞き取れないが、隙あらば居眠りしようとするリムを中島がこまめに起こし、決してスムーズとは言えないまでもそれなりに勉強は|捗《はかど》っている様子だった。
「で、だ。私らはあの二人にくっついて貰いたいからさ。出来ればあんたも協力してくれない?」
「協力?」
 頭の上にクエスチョンマークを浮かべた呼都が、目線をリムから田中へと向ける。
「そう。訳あってこっちからは直接干渉しないよう釘刺さ……っと、今は二人の行く末を見守るポジションにいるんだが……」
「そろそろバレンタインも近いじゃん? ちょっとくらい後押ししてあげても罰《ばち》は当たらないんじゃないかなぁって」
「そっか。バレンタインか……」
「あぁ、年明けて学校が始まってすぐに|眠り姫《ひめねさん》が私に聞いてきたんだ。『ヒナキさんってお菓子とか作るの得意だよね?』ってな」
 普段は人を見下すような口調の田中が急に、目上の人へと猫を被って相手するときの声へと変えてリムのモノマネをした。似てない上に気持ち悪いことこの上ない。
「……とまぁ、時期的なものもあったし、私だって洋菓子屋の娘だ、すぐにピンときた。あぁバレンタインの手作りチョコのことだな、とね」
 田中はすぐに普段の表情へと戻し、顎に手を当て首を捻り、
「だけどそれっきり。約一ヶ月待ってはいるんだが|眠り姫《ひめねさん》からは全くその話題に触れようとしなくてな」
「……リムのこと想ってくれるんなら、そんな回りくどいことしないでも善意で手伝ってあげればいいのに」
「あのな。こういうのは本来なら自分から言い出さなきゃダメだと私は思ってるんだ。それに言ったろ、『訳あって』って」
「そうそう、私ら神楽さんの賭けに……ごふっ!」
 突如、田中の肘が鈴木の鳩尾《みぞおち》にクリーンヒットし、鈴木は前屈みに床へと膝を着いた。
「…………ったぁ、ヒナキ酷いよぉ!」
「ねぇアヤナ。私らはただ単に『訳あって』あの二人を見守ってるだけなんだよね?」
 田中は、うずくまる鈴木の肩に手を添え、スイーツ&ベーカリーTANAKAで見せる営業スマイルで彼女へと小さく囁きかけた。
「……神楽さんがなんか関係してるの?」
「ううん。気のせいだよ、そんなことないよぉ!?」
「そう。そっちは相羽さんに関係のない話だから」
 田中による笑顔のプレッシャーに押された鈴木が慌てて否定する。呼都は小さく首を傾げ、再びちらりとリム達を覗き見る。こっちで一騒動あったが運よく二人には気付かれなかったらしい。中島がノートを指差しながらリムへとあれこれ説明をし続けていた。
「……で?
「あぁ。できれは|眠り姫《ひめねさん》本人が動いてくれるのが理想だがバレンタインまでもう時間がない。いつも一緒にいるあんたが、ばれない程度にけしかけてくれ」
 田中の言葉に、いったい誰に「ばれない程度に」なのかを、呼都はあえて訪ねなかった。鈴木が言い零した誰かの名前はきっと気のせいか聞き間違えだろう。

 ほどなくしてこの三人が図書委員から「室内では静かにしてください」と注意されたのは言うまでもない。





 ◇


「……っと、この前授業でやったのは『基本カテゴリー外のラルヴァについて』だったか」
 中島はノートに書き込まれた日付から該当ページを開きリムへ差し出す。そして記載部分を手のひらで覆い隠すと、
「基本カテゴリーの三種はわかるよな?」
 まずは簡単な問題をあげてみた。
「えっと、人型のデミヒューマン、人型以外のビースト、あと非実体のエレメント」
 リムは一、二、三と指を折り数え解答する。中島はうんうんと頷くとノートを隠していた手を|退《の》け、板書の写しを指でなぞりつつ解説を始めた。
「そう。けどその三種にカテゴライズ出来ないラルヴァも存在するわけだ」
「うん。うーん……?」
 そして、早速首を傾げるリムに苦笑する。
「で……だ。この前の授業でせんせーさんが例に挙げたのが――――」


 あいかわらずリムはうつらうつらと居眠りを交えながら、中島は眠る彼女を根気よく起こしながら、そんな二人だけの勉強会は図書館の閉館時間までゆっくりと続けられた。





 【眠り姫と、眠り姫の見た現《うつつ》】








 ◇二月五日(水)


 突然の地響きによって椅子から転げ落ち、
「うわっ、何、何なの?」
 リムは勢いよく飛び起き、真っ白な霧に覆われた教室内でにたじろいだ。
 長年の居眠り癖からか感覚的にHR前後まで時間が経過していると察する。案の定、時計の針はHR終了から十数分過ぎを指していた。
 しかし。
「いったい、何……なの?」
 様子がおかしい。見慣れたはずの教室がいつもと違う。
 不思議な霧に覆われていることは元より、冬の放課後という季節的時間的に強い西日が差し込んでいてもおかしくないはずなのに、窓の外は太い蔓状の植物が絡み合うようにみっしりと生えているため、その隙間から辛うじて白い零れ陽が覗く程度となってしまっている。
「何? この蔓……。なんでこんな外が見えないくらいに、ギチギチに生えてるんだろう」
 リムは鍵を開け窓に手をかける。しかし案の定蔓が引っかかっており、彼女の腕力ではその窓をどうにも開けることができなかった。
 異変はそれだけではなかった。その上さらに、先程の地響きによるものか机や椅子が酷く散乱しており、そして何よりも、リムを除く全てのクラスメートが床に倒れ込んだ形で眠っているのだ。
「みんなが眠ってて、私が起きてて……。これじゃいつもと、逆、だなぁ」
 辺りを見回したリムは「これは困った」と、首を傾げた。
 醒徒会書記の加賀杜紫穏は誰かと通話中だったのか学生証を手に握ったまま眠っていた。他にも、コトも田中も鈴木も、肩を揺すってみても頬をペチペチと叩いてみても一向に起きる気配がない。黒板の近くでは、本日最後の授業の板書を消している最中に眠ってしまったのか、可哀相にチョークの粉まみれになってしまった日直の子が静かに寝息をたてている。
 リムの思考の根底から『おかしな事態=誰かの夢の中』といういつもの公式が浮かび上がったが、しかし、
「私は、私のままだしなぁ……?」
 爪も牙も鋭く伸びていないし髪型もいつもの黒いストレートという現実の自分のまま。『獏の能力』を意識してみてもそれらが変化する様子もない。
 リムは試しに転がっていたシャープぺンをかじってみたが夢の中のように食べて消すことは出来ず、カチリと硬いプラスチックが歯に当たるだけだった。
「うーん。これ、うちのクラスだけじゃないよね。まさか、学園中がこんな事態に?」
 連絡を取ってみようと学生証を手に取ってみたがまさかの圏外表示。学園内はもとより島内において通信不可になるような事態などこれまでほとんど起こったことなどなく、リムは再び首を傾げた。
 外部と連絡を取ることもできず、更に少なくとも教室を見渡す限り高等部一年B組は自分以外全滅だ。しかし、他のクラスなら自分のように目を覚ましている者がいるかもしれない。
 そのままの姿で放置してしまうクラスメート達に申し訳なさを感じながら、リムは急いで教室と同じく深い霧の立ちこめた廊下へと駆け出した。





 ◇


 地響きによってリムが目を覚ましてから約十分程、深い霧に覆われた高等部棟内を小走りに一通り見て回ったが、誰ひとりとして目を覚ましている者と遭遇することもないまま、リムは一階下駄箱前へ足を運んだ。
 その中でひとつわかったのは、六時間目の授業が終わり帰りのHRを待つ間――大体今から約四十~四十五分程前――おそらく誰もこの異変に気付かないまま倒れ込んだのか、突如それまでの日常を断ち切るかのように皆揃って眠りについてしまったのだろう、ということ。
 廊下で横になって眠っている女子にいたっては、スカートがめくり上がり可愛い下着が丸見えになってしまっている。
「あーあー、これじゃ風邪ひいちゃうよ」
 リムは彼女の脇にしゃがみ込むとめくれたスカートを元に戻してやった。
 昇降口へ辿り着くも、大きく開いた扉の向こうはやはり窓の外と同じくそれはまるで一枚の壁で立ち塞いだかのように緑の蔓がびっしりと生え揃っている。
「あれ。この蔓、バラの茎みたいに凄いトゲトゲがいっぱいだ」
 リムは、開かれた扉へ歩み寄ると棘を避けながら力いっぱい蔓を引っ張ってみる、が、獏の能力を得た夢の中でならまだしも現実世界での非力な彼女では深く折り重なった蔓を数ミリ動かすことすらできず、
「うーん、無理だぁ。これってつまり、バラみたいな植物の茎で、校舎全体が塞がれてる?」
 思い返してみると、一年B組の教室からこの昇降口に至るまでの全ての窓がこの蔓によってきつく塞がれていた。
「やっぱりこれ、悪いラルヴァの仕業なのかなぁ」
 現実世界では何の役にも立たない|異能者《ねむりひめ》の自分だけではどうしようもない、と一人ごちる。
 リムは何とか外部と連絡が取れないかと、今一度昇降口のドアに手をかけ――

 ――その瞬間、
「うっわ、わわわっ」
 彼女へ二度目の地響きが彼女に襲いかかった。





 ◇


「わっわっ……!?」
 長く続く激しい揺れにリムはバランスを保てず尻餅をつく。ガタンガタンと大きな音を立て、まるでドミノ倒しのように下駄箱が横倒れになっていく。
 そして、蔦の隙間から零れていた日差しが陰り、暗がりとなった校舎内を非常口灯の緑の光だけが薄ぼんやりと照らした。


 どくん

 訪れた周囲の異変に同調するかのように、突如リムの心臓が強く脈打った。

 どくん、どくん、どくん

「えっ……そんな、何で……?」
 体が熱い。
 頭から顔から胸から腹から手足の先端から、現実世界では起こり得ないはずの力《・》が全身に漲《みなぎ》ってくる。
「そんな……ありえない。これは、誰かの夢なんかじゃ、ない……。さっきまで確かに現実世界、だったはず……!!」
 そして、本人の意思などお構いなしにリムの肉体へと変化が起きた。
 鋭い牙が生え爪が尖り、髪が徐々にうねりを伴って赤黒く染まっていく。骨が軋み肉が膨らみ制服を引き裂いていき、露わとなった白い肌には赤黒い体毛が生える。更にはどこからともなく現れた弁財天の羽衣がスカーフ状にその首へと巻き付いた。現実のリムの肉体に獏の性質が現れていくという、激しい鼓動と共に夢の中での変身とは比べられないほどの異様な感覚が体中を駆け巡った。
「ぐぁ……ぁ……あぁぁぁあ!!」
 地響きが収まり辺りの薄暗がりに目が慣れる頃、リムの肉体は数メートルを越える赤黒い巨躯の霊獣『獏』へとその姿を変えていた。


(――いったい、何が起こったんだろう。何が起きているんだろう)
 獏化したリムは天井ぎりぎりの頭を竦め、辺りを見回しながら考えた。そもそも獏という存在が夢の霊獣である以上、現実世界でこの姿になることなど物理的に絶対不可能なはずだ。実際、過去において夢の中以外で異能力が使えたらと考えたことはあったがそれは叶わぬ願いであり、現実の自分が獏の能力を扱えたり、また獏そのものに変身すことなどこれまで一度もできなかった。
(うーん、私じゃ何故かわからない、よぅ……)
 ぶんぶんと長い鼻を振り回しながらリムは首を横に振った。
(そうだ。これはやっぱりこの霧が原因なのかなぁ)
 校舎内に深く立ちこめている、何故か自分にだけ影響がない白い霧。今の姿でなら使えるだろう獏の能力で吸い込んで消せるのではないか。
 リムは深く深呼吸して、獏の肺活量をもって周囲の霧を一気に吸い込んでいく。しかし、一瞬だけ辺りの濃度が薄まるに留まり、数秒と経たずに他と大差ない状態に戻ってしまった。結局、何度か連続で試してみるも努力に見合った効果も現れないままだった。
(うぅむ……いけると思ったんだけどなぁ)
 リムは獏の姿のまま小さくため息をつくと、続けて割れたガラス戸とその穴を密閉するほどに絡み合う棘付きの蔓に覆われた暗がりの昇降口をまっすぐ見据え、
(あ、そうだ。今なら、この姿ならあそこを突破して外へと助けを呼びに行ける、かも?)
 彼女にとってこの姿を他人に見られてしまうのはとてもとても嫌なことなのだが、今更そのようなことを言っていられる状況でもないことは重々承知していた。
(ここまでみてきた限り、動けているのは自分だけなんだ。ここは、何としてでも私が救援を呼んでこなければ……)
「オォォォォォォォォォオオオオオ!!」
 リムは激しく雄叫びをあげ低く身を屈めると、その赤黒い獣毛で覆われた太い四肢で一気に廊下を蹴る。彼女の両前脚の爪で蔓を引き裂き、その大口で咬み千切り、作りだした隙間からすでに割られた昇降口を抜け校舎の表へと飛び出した。


(………………え!?)


 高等部棟の外へと助けを呼びに行ける、というリムの期待は一瞬にして絶望へと切り替わった。
(何、これ…………いったい、どういうこと?)
 彼女の視界の先にはいつもの見慣れた双葉島の姿は影も形もなく、高等部棟と同じく島全域が深い霧に覆われ、地も壁も建物もそのすべてが緑色に染め上げられていた。
(島民全員……眠らされてるってこと……?)
 頭の悪いリムでも瞬時に事態を理解できる状況だった。一しきり島内をを駆け回ってみるも皆地面に突っ伏して寝息をたてている。高等部棟内と同じく、リムを除いて誰ひとり目を覚ましているものは見当たらなかった。
(そうだ、島の外なら…………)
 現状をどうにかしなければ、という観念に心を奪われ、リムは「獏の姿で島外に出て、この状況を誰にどう説明して助けてもらうのか」という基本的な問題点――島外ではラルヴァや異能といった超常現象については秘匿とされている――を完全に失念していた。
 そして、リムは獏の姿のまま海岸線へと向かって深く霧がかっている双葉島を大急ぎで走り――そして更なる絶望に見舞われた。
 視界の向こう、海の途中か先が存在していなかったのだ。
 それはただ霞んで見えない、などという問題ではない。ひたすらに延々と広がる闇の中に、巻き付いた蔓によって緑色の固まりと化した双葉島がぽっかりと浮かんでいる、ただそれだけしか存在してないという不可思議な風景だった。
(どうしよう、双葉島以外の世界がなくなっちゃって、る……?)
 考え、そして瞬時にこの不思議な状況と自分自身の異変から、その結論が根本的に間違っていることに気づいた。

 リムの脳裏に、お茶とお菓子をご馳走してもらったアリスとグリムレアのいた謎の館や、正月に偶然訪れた七福神の聖域といった、夢とは異なる別の世界、別の次元へと以前に迷い込んだ記憶が浮かんだのだ。
 つまりこれは外の世界がなくなったんじゃない。この双葉島だけが現実とは異なる別の世界、別の次元へと飛ばされたのではないか……? もしそうであれば以前の例のようにこの状況で獏の力が解放されている現状も納得できる。
(でも……こんな大規模に異次元へと飛ばせるような|現《・》|象《・》なんてどうやって…………!!)


 |現《・》|象《・》。


 何気ない一つの単語が、彼女の中で『先日の図書館での会話』を思い起こさせた。





 ◇前日 図書館にて


「この前の授業でせんせーさんが例に挙げたのがこれ、『カテゴリー・グリム』ってラルヴァ」
 中島はノートに赤字で書かれた部分を指差しリムへと説明しながら授業の復習を始めた。
「ぐりむ……ってグリム童話のグリム?」
「まぁ実際確認されてるのはグリム童話だけじゃないけど、そんなところか。人の心に干渉して童話や民話をベースとした|現《・》|象《・》を引き起こすラルヴァ」
「……現象??」
 さっそく小首を傾げたリムへ、中島は授業の板書を移したノートの記述を指でなぞりながら解説を続けた。

 現象ラルヴァ、カテゴリー・グリム。
 ――物語は現実になりたがっている。それは人の心と結びつき、実体となる。欲望を叶え、自らが世界となるために。
 霧は現実と幻想の境界を曖昧にする。そしてそこから彼らは現れる。
 これには明確な意思も自我もない、しかし歪んだ悪意である。
 この現象体ラルヴァは、人の願いを歪んだ形でかなえるもので、童話や古典文学、都市伝説に噂話といった、人間の心象を投影する形でその願望を成就させる。そして広範囲にわたりその狂った法則で現実を歪ませるという――。

「――っていうことなんだけど、姫音。わかった?」
「うーん、何となくわかった、のかなぁ……?」
「そうか、困ったな。じゃあ例えば……」
 理解出来たのか出来なかったのか未だに首を傾げ続けているリムに、中島は「ちょっと待ってて」と席を立つ。そして童話コーナーからグリム全集を取ってくると、索引からとある作品を選び出しそのページを開いた。
「例えば、ここにグリム『眠り姫』ってラルヴァがいたとする。茨の城で百年の眠りにつくお姫様の話だな。この場合だと……そうだな、姫音のように『いつでも寝たい眠りたい』って感情に取り付くんじゃないかな。そしてグリム『眠り姫』に取り付かれた人の願望が周りに影響を与えて、最終的に全ての人間が、時間が止まったかのように眠り続けている、茨によって囲まれた世界に書き換えられる、と」
 一息ついて中島はリムへと向き直る。リムは明後日の方向を見上げながら、
「うーん、そうなったら私的には大変になる、のかなぁ」
 小声でぶつぶつと呟いた。
「……なにがどう大変なんだ?」
 中島に問い質《ただ》され、リムは慌てて彼へと微笑んで誤魔化した。
「え、ううん、こっちの話。でも、中島君の説明だと……それって変じゃない?」
「変って何が?」
「えっと、『眠り姫』のお話って、お姫様の誕生パーティに招かれた十二人魔法使いたちがいるでしょ?」
「あぁ、そうだな」
 中島はグリム全集のページをパラパラとめくっていく。そこには赤ん坊のお姫様の周りに王様と女王様、そして何人もの魔法使いたちが寄り添っている挿絵が描かれていた。
「そして、そのパーティに招かれなかったもう一人の魔法使いが怒って、そのお姫様に『十五歳になったら死んでしまう』って呪いをかけて……」
「そうか、それで別の魔法使いが『死ぬのではなくて永い眠りにつくだけ』って魔法で上書きするんだよな」
 中島がリムの言葉からその童話の続きを思い出して口を挟んだ。リムは彼にうんうんと頷くと、
「そう。だから……呪いとか魔法とかによって無理矢理眠らされてるんだから、なんていうか、お姫様自身は眠りたくて眠ってるんじゃないんじゃないかなぁ、って」
「まぁ、言われてみればそうだなぁ。じゃあ例えばカテゴリー・グリム『眠り姫』なら、|姫音《ひめね》はどんな願望が原因によるものだと思う?」
「えっと。うーん、私は難しいことはあまりよくわからないけど……」
 急に中島から問われ、リムは頬を赤らめ少し照れながら彼へと微笑むと、
「うん、やっぱり、ずっとずっと眠りながら、いつか自分と結ばれる王子様、えっと、自分を目覚めさせてくれる王子様が訪れるのを待ってるんじゃないかな」
「あー……なるほどねぇ」
 中島は再びグリム全集のページをめくる。茨の城へと訪れた王子様がお姫様へと口付けをする挿絵がそこにあった。
 数秒の間。中島は何かに魅入られたかのようにジッとイラストを覗いたまま微動だにせず、
「中島……君? どうしたの?」
 その時リムに声をかけられるまで虚ろな目で陶然となっていた。





 ◇現在 暗闇の双葉島


「………………――――――…………」

 前日の中島との会話、そしてグリム全集のイラストに魅入られていた彼の表情を思い出し、音にならない獣声が獏の口からこぼれる。リムはきびすを返し、直接高等部棟一年B組の窓へと駆けだした。
 そして立ち塞がる茨の蔓をその長い牙と鋭い爪で引き裂こうとしたその瞬間、
「――――!?」
 それはまるでモーゼの立つ前で割れた海の如く蔓が左右に大きく動き、人ひとり通れる程の隙間が作られた。
 何事かと一瞬戸惑ったが難しいことを考えてる場合じゃないと、リムは獏への変身を解除した。素肌の上へとに直接、|弁財天《べんざいてん》から貰った薄手の羽衣《はごろも》をまとい、獏の能力を宿した赤い巻き毛の人型姿へと戻ると、教室の窓へと手をかけた。
 偶然にもそこは、数十分前に彼女が目覚めた際に何とか開けられないかと試みた窓であり、あの時に鍵を開けたままの状態になっていた。
 動いた蔓といい開け放たれた窓といい、それらは全て運命とも呼べるほどに、まるで何もかもが全て彼女を受け入れるかのように。

 窓から教室へと潜り込む。中の様子は二度目の地響きによって先ほどよりも更なる惨状となってはいたが、見渡してみる限り酷い怪我をしている人は目に付かず、リムは安堵のため息をつく。
 そして、キョロキョロと教室内を見回すと、

「…………|ト《・》|ラ《・》君…………!!」

 |リム《おうじさま》は薄手の羽衣を|翻《ひるがえ》し、床に寝ころんだままの|中島《おひめさま》へと駆け寄った――――――。













 ◇


「おい、トラ。いい加減に起きろ」
 中島虎二は親友の|錦《にしき》|龍《りゅう》によって上履きで脇腹を突かれ、半分寝ぼけた状態で薄眼を開けると、
「……んぁー?」
 教室の床に寝転がって眠っている自分の姿に疑問を感じながら、中島は目を|擦《こす》り起き上がる。
「……なんで俺、床で寝てるんだ?」
「お前だけじゃねぇ。なんかな、聞いた話じゃどうやら双葉島全域が突然ラルヴァに襲われて中のみんなが眠らされてしまっていたらしいんだわ」
「へぇ……、ってうちのクラスってか高等部だけじゃなくてこの双葉島全部がこんな事態だったってことかよ……」
 言って、中島は辺りを見回す。机や椅子は酷く散乱し、クラスメイトの三割くらいはまだ眠り続けているようだったが、今の錦と中島のやり取りのように、先に目を覚ました者が次々と起こし上げていた。このペースでいけばあと数分としないうちに全員が目を覚ますだろう。
 中島はふと、学生服姿のクラスメイトの中ただ一人、学校指定のジャージ姿でいる人物を見遣る。
 姫音離音《ねむりひめ》だった。
 彼女は親友の|相羽《あいば》|呼都《こと》から「どうしてあんな薄い浴衣みたいなだけの半裸すがただったの、制服はどこへやったの」と攻め立てられている。姫音本人はバツが悪そうにへらへらと笑みをこぼしているだけ…………と、中島は不意に彼女と目が合った。
 すると、姫音は頬を赤らめながら、中島へとニコりと微笑んだ。
 中島は何故か自分の唇《くちびる》に、温かく柔らかい感触が残っているような不思議な気持ちを感じた。










 ◇二月十四日(金)朝


 約一週間前に双葉島全域を襲った事件はラルヴァ「|カテゴリー・グリム《ねむりひめ》」によるものであるとの報告書が――その解決手段が何によってもたらされたものかについては未だ調査中と注釈がなされたままであったが――とあるラルヴァ学者によって提出された。
 実際にそのラルヴァ研究者自身も含め島内にいたほぼ全ての人間がラルヴァの影響で眠らされてしまっていた以上、その原因と解決を究明することは困難を極めていた。また、それがラルヴァ研究者の推測通りであるならばプライバシーの観点から考えても、該当する人物からの自己申告が為されるという可能性は限りなく低いだろう。


 高等部棟昇降口前に黒いロングヘアの長身の少女が一人。数日前の火曜祝日に、スイーツ&ベーカリーTANAKAにて田中を中心に鈴木と呼都に手伝って貰って(一波乱はあったものの)彼女は綺麗にラッピングされた手作りチョコレートを鞄に潜め、寒空の下、目当てのクラスメイトが登校するのをじっと待っていた。
 あの日、ラルヴァが消え去り高等部棟が戻ると同時に、彼女自身におこった現実での肉体が獏化したという異変も消えてなくなってしまった。結局のところこれまで通りに獏化できるのは夢の中だけで、現実ではあいかわらず眠ってしまうことばかり。
 この前のことは恐らくはグリムによって異世界へ飛ばされたからこそ変身することが出来たという偶然――いや運命だったのだろう、とリムは考えていた。


 程なくして彼女の前に、中島虎二と錦龍の二人が歩み寄った。
「お……おはよう、中島君……と、錦君」
 いつもなら何も気にすることなく言うことのできるような簡単な挨拶一つに今日に限って心臓が飛び出るほどに勇気を要し、少女は既に耳まで真っ赤になっていた。
「おぅ、おはよう。姫音」
「おはよう。あー……っと、そうだ。俺さ、昨日部室に忘れ物しちまったからちょっと取りに言ってくる、悪いな」
 リムの様子に何かを察した錦が二人に手を振ると、きびすを返して運動部々室棟へと走り去っていった。
 気まずい沈黙が二人の間を通り去る。日付が日付だけに一組の男女が一緒にいるという状況は、周りの人間からの視線を集めるのに十分だった。
 そして、先ほど交わした挨拶の数十倍もの勇気を要し、リムは校舎裏を指差しながら声を絞り出した。
「――あの、えっと、中島君。ちょっといい、かな?」


 昇降口を避けて角を曲がった校舎の影。二人の沈黙は移動後もなお続いた。リムは頬を真っ赤に染めたまま、不安と妄想と緊張によって今にも泣き出しそうな表情でオロオロとしていたが、意を決して鞄の中の|そ《・》|れ《・》を取り出した。
「あの…………トラ|君。これ……」
 そして、俯いたまま言葉を続ける。
「今日、その、バレンタインだから……。えっと、田中さん達に手伝って貰ったんだけど、チョコレート作ってきたから……」
 腕の先をぷるぷると震わせながらラッピングされたチョコレートを中島へと差し出すと、きゅっときつく目を閉じ、

「あの……えっと。私、も、トラ君のことが――だから…………」

「…………うん」

 チョコの包みを持ったまま震えるリムの手を、中島の温かい両手がそっと優しく包み込んだ。





【眠り姫と眠り姫の見た現《うつつ》】終





【眠り姫の見る夢】シリーズ 結











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