【スカイラインピジョン05】


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    スカイラインピジョン05


 まだ他の部員が来ていない早い時間に、一人で弓を引いていたときのことである。
 朝日が差してきて、薄暗かった射場が琥珀色に洗われる。木の葉を揺らしていたすずめたちを、パンという的を射る音が驚かせた。
 弓の先端を床に下ろす動作まで、最後まで集中力を切らさずに行う。だから、自分をじっと見つめている小鳥に気付かなかった。
「?」
 目が合った瞬間、こちらを見ていた女の子は慌ててその場から立ち去ってしまった。
 肩辺りまであるボブカットと、まだあどけない子供のような顔。おろしたてのブレザーが印象に残る。そういえば昨日は高等部の入学式であった。
 この部活に興味のある新入生だと、中田青空はすぐに理解した。


 それから弓道部にも新入部員がやってきて、部室の空気も新鮮なものに入れ替わる。青空が汗を拭いながら、射場と併設されている部室に足を踏み入れたときだった。
「ひかりちゃんくぁあいいねぇ。萌えまくりよ」
「萌えってなんですかぁ」
「ちっちゃいのにおっぱい大きいのがいい・・・・・・」
「くすん。セクハラはイヤですぅ」
「N700系のような新しさがこの部に明るい未来をもたらすことだろう! アンビシャス・ジャパン!」
「言ってる意味がわかりません~~~」
 彼の同級生であるキモオタ三人衆が、新入部員の子を取り囲んで絡んでいた。青空は呆れ返り、「一射入魂」の文字が書かれたしゃもじで彼らをスコンパコン殴る。
「嫌がらせはやめようぜ」
 しゃもじの硬い角で叩かれた彼らは、一斉に文句をぶつけてきた。
「中田てめぇ!」
「ひかりちゃん気をつけて。こういうのに限って危ないから」
「裏切るのか中田同志! はやてとこまちの織り成す密着連結器のごとく固い義兄弟の契りを交わした我々を、裏切り捨てるというのか!」
 鉄オタがそんなことを言ったとたん、女の子が「ひぃっ」と怖がる子犬の眼差しを青空にも向けた。
「あーもう」
 相手にしたくないと思った青空は、困っている彼女の手を取った。
「あっ・・・・・・」
「おいで」
 ブーイングの鳴り止まない部室を後にする。グラウンドの隅に植えられたさくらの木陰に、その新入部員の子を連れてきた。
「変なのいるけど、気にしなくていいからね」
「はい、ありがとうございます」
「ああいうのとやるのも楽しいんだけどね。ウザかったらウザいって言っちゃっていいよ」
「はい。センパイがいるなら大丈夫だと思います」
 センパイ。
 ああ、自分のことなんだ。
 そう呼ばれて、くすぐったさにも似た嬉しい気持ちが芽生える。
「名前は、ひかりちゃんでいいんだっけ?」
「ハイ、河原ひかりと申します。ひかりって呼んでください!」
「わかった」
 自分が入部したときのことを思い出す。春先は筋トレやランニング、部室の清掃を黙々とこなした。その次はいよいよゴム弓を使い、正確で綺麗な射の型を叩き込まれる。一日でも早く戦力になりたかったから、厳しい指導にも耐え切った。
 がむしゃらな一年はあっという間に過ぎ、こうして自分にも、面倒を見てあげるような後輩ができた。それがこの小さくて、目のぱっちり開いた可愛らしい女の子。
「ひかりちゃんはどうして弓道部にしたの?」
「えっと、その」顔を赤らめる。「矢が中る音がしたので見てみたら、センパイが弓引いてるとこでして、かっこいいナって」
 視線を落としてもじもじとした仕草を見せる。青空はその姿に見覚えがあった。
「あ、あのとき俺を見てた子か!」
「はい。覚えててくれてうれしいデス」
 えへへ、と笑ってひかりは喜ぶ。
 そういう理由なら青空も嬉しい。日ごろ勉強の面では苦労しっぱなしだが、この可愛い後輩のおかげで俄然頑張っていく気になれる。
「よし、俺が教えてあげる。弓の引き方とか作法とか、学園生活とか」
「私なんかにいいんですか?」
「ただし勉強のこと以外はね」
 そう冗談交じりに言ってやると、ひかりも明るい笑い声を上げる。ひらひらと流れる桜の花びらが、美しい記憶に彩りを加えていた。


「・・・・・・何しに来たんですか?」
 はっと我に帰って、声のしたほうを向く。
 畳まれた水色の傘を手に持つ、ロングヘアーの女の子。髪型が違うだけで河原ひかりとほとんど同じ顔つきをしている。
 河原のぞみ。ひかりの双子の姉である。
「えっと」
 青空は返事に詰まり、下を向いてしまった。
 彼はまだ誰も来ていない射場で、中の様子をぼうっと眺めていたのである。そこはかつて自分の居場所であったところだ。
「二度と来ないと聞きましたが」
 のぞみは青空に対し、厳しい表情を崩さない。
 無理もない。妹であるひかりがラルヴァに襲われ、意識不明の状態が続いているのだ。もしも青空がひかりを泣かすようなことをせず、口裂け女がうろついている街中に出さなかったら、彼女は危険な目に遭わずに済んだのである。
「どっか行ってくれませんか?」
 部室の鍵をスカートのポケットから取り出し、射場の扉を開ける。これから朝練を始めるのだろう。
「先輩はもう部員じゃないんです。早くどっか行ってください」
「な、なあ」
「何です?」
 長い髪をぱらっと回して、のぞみは青空を睨みつける。青空は非常に言いにくそうにして、こんなことをきいた。
「ひかりちゃんのお見舞い、行っていいかな」
「は?」
「今日土曜日だからさ、授業終わったら行こうと思うんだ。どうしても顔を見せたくて」
「それができるんならやってますよッ!」
 ガラスの割れる音にひどく驚く。のぞみは戸の窓を怒りに任せて殴りつけ、粉々に割ってしまったのだ。想像を絶する怒りに言葉を失ってしまった。
「面会謝絶・・・・・・! 会えるものなら、私だって会いたい・・・・・・ッ!」
 血液のほとばしる握りこぶしを軋ませ、のぞみは言う。
「め、面会謝絶?」
 一瞬、青空はのぞみの言ったことが信じられなかった。ひかりが大病院に担ぎ込まれたときは、命に別状はないとだけ聞いていた。だから、傷が癒えればすぐにでもお見舞いに行って、謝ってあげたいと心から思っていた。それなのに。
「ラルヴァの攻撃に付加効果があった。下手したら死んじゃうかもしれないってお医者様が言っていた」
「あ・・・・・・あ・・・・・・」
 青空は愕然としながら、両膝を着く。
 ひかりが死んでしまうかもだって?
 俺のせいで死んでしまうかもだって・・・・・・?
「それもこれもみんな先輩のせい。どうしてひかりちゃんを止めなかったの?」
 部室から何かを持ち出してきたかと思ったら、右手に硬い「しゃもじ」が握られていた。それは恐らく遠い先輩方が置いていった、どこかのおみやげなのだろう。一射入魂と書かれている。
 青空に近づき、ガツンと角で殴る。青空は「ぐっ」と呻いて右手をついた。
「ひかりちゃんは頑張ってたんだよ。どうしてあんなこと言ったの?」
 がつん。ごつん。
 ぼろぼろ大粒の涙を落としながら、のぞみは力任せに青空を殴った。彼は抵抗をせず、重い呻き声を上げながらひたすら殴られ続ける。
「何で止めてくれなかったの? ばかぁ! 変わりに先輩が死んじゃえばよかったのよ!」
 灰色の陰鬱な曇り空のもと、彼女の悲痛極まりない怒声が響いた。


 双葉島の生活や経済を支える、中心部の繁華街。その大通りの真ん中に、規模の大きなアミューズメント施設が存在する。
 地下一階のフロアには話題の対戦ゲームが網羅されており、筐体数が島内の他店に比べて圧倒的に多い。双葉学園生が大会を企画してくれることもある、対人ゲームのメッカだ。
 しかしさらなる地下深き場所に秘密の研究所があり、とある男が潜伏していることを誰も知るはずがない。渡部星花が買い込んだ食材を抱えて入所する。潜伏主は食堂でパイプ椅子を四つ並べ、その上で寝息を立てていた。
 星花は「あらあら」と笑い、机にスーパーの袋を置く。物音が博士をびっくりさせ、彼は跳ね上がった。
「なんだ渡部か。驚かせやがって」
「ふふ。誰も襲撃してませんから、安心してください」
「今のはビビッたぞ」
 真顔で博士は言う。よほど血の気が引く思いをしたのか、呼吸が荒い。
「そんなに動揺しちゃイヤよ。ここなら嗅ぎつかれないんですから」
「だといいんだがなぁ」
 博士は起き上がり、背伸びを始める。今朝方入れたインスタントコーヒーの残りをすすると、とんでもない酸っぱさに顔をしかめた。
「朝まで作業してらっしゃったんですか?」
「まぁな」
 カップを置いてそう言う。彼はここしばらく睡眠を取っていない。中田青空と杉下岳のフライハイユニットを完成させた後、先日大事故を起こした権藤つばめのものを修理していた。
 真紅の機体はほとんどといっていいほど損傷が見られず、それは彼を驚かせるものであった。だが安全第一の観点から修理や点検を怠ってはいけない。
「フライハイユニットも三機が揃った。適正者限定ユニットもついに完成の域に至ったんだ」
「ここまで来れるなんて思わなかったわ。やっぱ、ものづくりは情熱ね」
「そうだ。『私たちの魂源力を、地球の平和と社会の皆様のために』。スカイラインピジョンも第一章完! ってわけだ」
 かつての所属先が掲げていたスローガンを、力強く唱和した。
 川崎博士の野望は異能者全員に翼を与え、空中戦闘を可能にすることだ。赤、白、黒に彩られた一次型フライハイユニットは、その大いなる夢への第一歩とも言い換えられる。
 そして悲願達成に向けたさらなる前進を目指し、川崎博士はすでに第二の展望を見据えていた。課題は単純明快であり、難しい。
「つばめさんのこと、まだ許してあげないんですか?」
 ここで不意に星花が話題を変えてきた。それに博士は下唇を噛んで黙りこくる。
「いつまでも二人だけでやるわけじゃないんでしょ? 権藤さんもかなり参ってるわ。それに、あの子も悪気があったわけじゃ――」
「ダメだ!」
 博士はぴしゃりと星花の進言をさえぎった。
「社会にゃペナルティってもんがあってな、ルールを破ったらゴメンナサイじゃ済まないんだ」
 ちらりと、デスクに飾られている写真立てに目をやる。博士にとてもそっくりな、童顔の女子生徒。歳はつばめと変わりのない、かつて彼の身近にいた子である。
「そういうことを教えてやるのも、俺たち大人の役割ってもんなんだ・・・・・・」
 博士の顔がほんの一瞬だけ歪んだのを、星花は見逃さない。


 朝のホームルームが終わり、クラスメートが慌しく教室内を動き回る。
 一時間目は図書室で授業だ。すでに出て行った者もいるので、寝ぼけ眼の青空が教科書を引っ張り出したときには、もう教室の人数はまばらであった。今日は雲に覆われており、蛍光灯の消えた教室はとても暗い。
「中田くん、ききたいことがあるの」
 机の中を覗き込んでノートを探していたところを呼ばれる。舞華風鈴だった。
「ここずっとつばめさんが来てないけど、何か知ってるかしら?」
「具合が悪いって聞いた。担任が知ってるんじゃないかな?」
「そうよね」
 中田くんなら何か知っているのかも、って思ったんだ。
 風鈴はそう言い残し、青空より一足先に廊下へと出ていく。
 誰もいなくなった教室。少し風が出てきたか、施錠のされた窓ガラスがかたかた音を立てる。
 青空は下を向いた。そして数日前の事件を振り返る。
 スカイラインピジョンのリーダーであり、青空をチームに勧誘した権藤つばめ。
 彼女はチームで交わされた禁止事項を破ってしまったがために、半永久的に活動停止となっている。予期せぬ危険性から絶対にやってはならない、「ユニットの貸し借り」をしてしまったためだ。
 この行為によって、つばめのユニットを背負った青空は暴走状態に陥り、双葉島上空に空域制限が掛かり、周囲を巻き込んだ大騒ぎに発展する。挙句の果てに青空に撃墜命令が下されるなど、異能者航空部隊の一つとして散々な件であった。
 プロジェクトの発案者でありフライハイユニットの発明者である、川崎博士の面子を潰してしまった格好だ。激怒するのも仕方ない。
『ごめんね青空くん。私は馬鹿だった・・・・・・』
 青空が病院で目を覚ましたとき、最初に見たのがつばめの泣き顔だった。
 いったいどれだけ長いこと、傍らでそうしていたのだろう。眼球は充血して真っ赤で、普段さらさらな黒髪は彼女の心をそのまま反映しているかのよう、乱れていた。
 あんな顔をしたつばめと向き合ってしまっては、例の事件について責め立てる気持ちにはなれない。青空はつばめに怒れる資格があったが、冷たくあしらうようなことはせず、ただ話を聞いては相槌を打ってあげていた。
 それから大事件を起こしたつばめはショックで「寝込んで」しまい、自宅で安静にしているそうである。と、欠席をしているのにはそんな事情があった。
「頑張らないとな」
 図書室を目指して廊下を歩きながら、そう思った。
 言うまでもなくつばめの行為は浅はかで、弁明の余地がないぐらい重大な過失だが、彼にはきちんとわかっている。彼女は自分を危ない目に遭わせたくてユニットを貸したわけではないことを。あの子に悪気は無いのだ。
 青空の全く知らないところでスカイラインピジョンに携わり、博士の研究に力を貸してきた権藤つばめ。適正のある生徒を捜し続け、双葉島を飛び回った一匹のツバメ。
 ここにきての活動禁止はさぞや無念だろう。悲しいだろう。しかしどうしようもない。
 彼女のためにできることは、せめて青空が彼女の分まで頑張ることだ。
 廊下は異様に静かで、とても肌寒い。傘を持ってきていない青空は、いつ雨が降ってくるのかとても不安になった。


 土曜日の授業が全て終了し、クラスメートが気の緩んだ笑顔で立ち歩く。中田青空は机に突っ伏していた。ぐったりと疲れた様子で眠っていた。
 最近はフライハイユニットを装着した飛行訓練と、自室での自学自習が主な習慣となっていた。特にコンバーター・テクノロジーの採用された最新鋭の機材は、魂源力を著しく消耗させるので、これまで体感したことの無い疲労感にいつもへばっている。たった数時間の土曜授業を、耐え切れるかどうかも怪しかった。
 今後スカイラインピジョンには、それぞれのメンバーに特製の「武器」が与えられるという。といっても一般人でも扱える武器そのものであったり、簡単な超科学の武器であったりする。
 それはあくまでも補助的なものであり、けん制程度の威力しかないそうだ。隊員の能力は飛行とそれを応用させた高速移動のみなので、一人ひとりの戦闘力はゼロといっていい。だからそういったアイテムの付与は実に助かるものだった。
 空を飛んで、敵と戦う。
 スカイラインピジョンもいよいよ異能者航空部隊らしくなったと言えよう。自分の潜在能力を百パーセント活用するためにも、より力を入れて訓練に取り組まなくてはならない。
 今日も十五時から訓練の予定が入っている。青空は教室に残り、一時間ほど仮眠を取ることにした。そうしてつかの間の休息を取っていた・・・・・・。
「おい」
 コンコンと、指先で机を叩く音。
 何事かと顔を上げると、そこには自分よりも背の高い、見知らぬ男子生徒がいた。尖った細い目と長い脚。180センチは超えている。
「誰だよ」
 青空はムッとした様子でそうきいた。
「仲間だよ、あんたの」
 甘いルックスに低いトーンの声。しかしその接し方は好感を持てるようなものでない。
 だが「仲間」という言葉に後から気付き、彼の背中にとある機材が密着しているのを発見した。黒に塗装されたフライハイユニットである。ということは。
「スカイラインピジョン、サブリーダーの『杉下岳』だ。よろしくな新人さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 青空もにこりともしない顔で挨拶を返す。礼儀は重んじる真面目な彼でも、岳と接して不快感が尋常でない。「スカイラインピジョンには、こんな嫌なやつもいるのか」。これが青空の岳に対する第一印象であった。
 と、ここで青空はあるものに目が行った。
 杉下岳は左手に白い機材を提げていたのである。
「それ、俺のユニット」
「そうだ、あんたのユニットだ。僕のより先に完成したとかいうあんたのユニット」
 いちいち言うことが嫌みったらしい。そろそろ青空も苛立ちを隠せない。
「何で学校に持ってきたんですか」
 先日の事件を猛省した川崎博士は、生徒の勝手な判断でユニットを持ち出すことを禁止した。博士、もしくは星花の許可がない限り、フライハイユニットを研究所外に出すことができなくなったのである。
「星花さんから許可をいただいたんだよ。これからな、あんたとやりたいことがあるんで」
「訓練か?」青空は嫌そうに言う。
「違う」岳はふっと笑う。
 訓練でない? 青空は岳の意図するところが全くもってわからない。
 付き合いたくないなと、うんざりして頬杖を着いたそのときだった。
「勝負だ」
「は」
 岳の長い脚が、青空を机ごと蹴っ飛ばす。肘を着いていた彼は、自分の手のひらで顎を突き上げられたかのような強い衝撃を食らった。
 突然響き渡った轟音に、帰宅しようとしていたクラスメートたちは一斉に振り向く。蹴り上げられた青空は後ろへ吹き飛ばされ、縦に並ぶ机の列を押し分けていた。
「おい、何しやがる!」
「殴り込みなら容赦しないよ!」
 いきなり暴れ出した生徒に対し、怒った三浦孝和と如月千鶴が喧嘩腰でやってきた。岳はそれを横目に認めると、青空に近寄り、乱暴に胸倉を掴み上げる。
 不意打ちを食らって立ち上がれない青空に、岳は言う。
「ここでは邪魔が入る。場所を移そう」
 岳は青空の首根っこと白のユニットをそれぞれ両手に持ち、教室のベランダに出た。彼が手すりに足をかけてその上に直立したときには、誰もがあっと驚いて背筋を凍りつかせた。
「何を考えてるの!」
 誰かが叫ぶ。ベランダから身を投げ出せば、二人とも命は無いのだから。
 だが、岳の装着する黒のユニットが大きな翼を展開させた。マントを思わせる薄紫色のエフェクト。そして彼は鈍重な色をした曇り空へ飛び立った。
 初めてフライハイユニットを目にした二年B組の者たちは、唖然として彼らが飛び去っていくのを眺めていた。


 どれだけ神経を集中させても、的に中らない。
 ゆっくり、しっかりとした動作で両腕を上げる。こうして弓を持ち上げ、左手を前に伸ばして弓を押し込み、胸を大きく開いて引ききるのである。しかし河原のぞみの心中は乱れに乱れていた。
 今にも死にそうな双子の妹のこと。そして頼りない先輩・中田青空のこと。
 どうして私たちがこんな目に。ひかりがラルヴァに襲われてから、そのような煮え切らない気持ちでいっぱいなのだ。
 運が無かったから仕方がないと、片付けられるものか。
 ラルヴァだから仕方がないと心の整理をつけられるものか。
 だからといって、これが自分たち姉妹の宿命だと諦めなければならないのか。
(そんなの、くそくらえよ!)
 声にならない声で叫んだとたん、のぞみは驚いた表情を顕にする。目の前の袴姿の女子が、既に射を終えていたのだ。それに続く自分もとっくに引き始めなければならなかった。醜態をさらしてしまい、恥ずかしく思う。
 のぞみは全く射に集中できない。この射場にあるべき妹の笑顔が無い。計り知れない喪失感が彼女の心に影を落としていたのである。
 彼女はあの事件の責任を青空に押し付けている。彼の力不足がひかりを殺した。青空がひかりのことを止めていたら、明日への光も望みも引き裂かれずに済んだ。
 それだけでない。のぞみはひかりの女の子としての気持ちも知っていた。ひかりが青空に恋をしていることなど、入部してすぐ看破した。
 それなのにいつも彼女を寂しがらせ、想いを踏みにじり、結果としてラルヴァに襲撃を許した中田青空。肉親として、後輩として、そして姉として彼の事を憎むのは無理もなかった。
 弓を引ききって長い時間が経っていた。そろそろ体力が尽きる。
それでもなかなか、矢を放つタイミングが掴めない。軸がズレたかと思えば左手の押し込みが足りなくなり、そうしているうちにいつの間にか右腕の引きが戻っており。ようやく型が決まったと思ったら、今度はまたひかりの笑顔を思い浮かべてしまって気持ちが乱される。
 とりあえず手を離してしまいたかった。このようなひどい状態で中るわけがない。一刻も早く、苦しい気持ちから解放されたい。
ここで右手を離してしまおうと決意した、そのときだった。
 突然射場のど真ん中に、二人の男が降ってきたのだ。
(・・・・・・え?)
 ぞっとする。もうすでに手を離しかけていたのだから。
 渾身の力で左手を横にずらし、そのまま右手を離した。矢が不届きな連中をかすめて、皮肉なことに五人目の部員が当てるべき的に中ってしまい、高らかに音が響く。
「・・・・・・こ、ここは・・・・・・!」
 そしてその聞き慣れた音に、青空はまさかと思った。
 騒然として自分たちを指差している、袴姿の女の子たち。岳は二年B組の教室から飛び立ったあと、戦場としてこの射場を選択したのだ。
「ここなら邪魔なのもない。さて、とっとと始めよう」
 岳は白いフライハイユニットを青空の足元に放り投げ、それを着けろと促す。どうやら本気で戦いを始めるつもりだ。
「あなたたち、何してるんですかぁ!」
 と、邪魔をされたのぞみが怒鳴ってきた。こうして部外者にずかずか入られ、日ごろ大切に使っている自分たちの射場を汚された気がしているはずだ。
「ああここ、弓道部だったのか」
「そんなこと言ってないで出てってください! 妨害です!」
「怒ってんじゃねーよ。ちっ、うっせぇなあ」
「ふざけないで! 早く出てって!」
「黙ってよ」
 パァンという破裂音。
 誰の耳にも、それは銃声だと理解できるものであった。
「あ・・・・・・あ・・・・・・」
 のぞみは口を開けたまま、硬直している。
 拳銃から伸びる白い煙。どこまでも無表情な杉下岳。
 そしてのぞみの背後の壁に、真新しい銃痕が着いていた。のぞみは激しくうち震えながら腰を抜かし、泣き出してしまった。下半身から液体が拡散していく。
 そんな彼女に、岳は冷然と言い放った。
「邪魔だから出てってよ」
 この一言で、弓道部員たちは悲鳴とともに逃げ出してしまった。突然の発砲に阿鼻叫喚だ。青空はこの行為の前にもはや怒りを通り越し、あっけにとられている。彼女たちはみんな、無力で抵抗のできない一般人なのだ。
 やがて青空は覚醒する。炎のごとき怒りが込みあがる。こんな暴力が許されていいはずがない。
「何て事を!」
「さぁて、僕はあんたと勝負がしたくてここに来た。話を聞け」
 何が何でも人の話を聞かない身勝手な姿勢。もう青空は確信している。こんな奴は仲間などではなく、敵そのものであるということを。
「中田青空、僕がテストしてやる。負けたらユニットを下ろせ」
「どういうことだ?」
「辞めろって言ってんの。そういう察しの悪いの、本当いらないんだよね」
「てめぇ・・・・・・っ!」
 そこまで挑発されて、青空も黙っていられるわけがない。両方の拳を強く握った。
 しかしそんな彼のことを、牙をむき出しにした仔猫を見下ろすような、舐めきった微笑で馬鹿にしている。さらに岳はポケットから一枚の紙を取り出し、広げてみせた。
「これ何だと思う?」岳は満面の笑顔を見せる。「脱退届だよ。判子? サイン? 何でもいい。あんたの署名で成立だ」
 それを聞いたとき、青空の頭の中で何かが切れた。
「俺には戦う理由があるんだ」
 小生意気な発言を拒絶するよう、力を込めて言う。
 もう腹のうちは決まっていた。杉下岳を倒す!
 青空はフライハイユニットを装備する。自動的に魂源力との同期が始まり、白い翼と一体化した。機械的な両翼が開かれ、マントのような白のビロードを背に下ろす。そのとき額に冷たい点が乗った。雨だ。午後から降り出すと言われていた雨だ。
「ここで終わるわけにはいかないんだよ!」
 弓道部員の女の子たちが戻ってきて、心配そうに青空のことを見守っていた。
 去年まで仲間同士だった彼女たち。射場を汚され、後輩をいじめられ、青空は底知れぬ怒りを感じていた。みんなを守るために戦えるのは自分だけだ。なおも射場でひざまずき、死の恐怖に怯えるのぞみに目をやる。
 自分の不手際でラルヴァに襲われ、意識不明の重態に苦しむひかり。
 悲しみのあまり狂乱して、何度も殴ってきたのぞみ。青空は男として戦士として、姉妹に報いなければならない。
「ひかりちゃんのために、岳! お前を倒してやる!」
 アツィルトコンバーターが激怒を力に変えた。青空は岳に突っ込み、拳を振り上げる。岳もまた薄紫のマントを広げ、不敵な笑みと共に悠々と白き戦士を迎え撃つ。
 その瞬間のぞみは恐怖を忘れ、勇敢にぶつかっていった一匹の鳩を目撃した。


「つばめ、お母さん買い物に行ってくるからね?」
「はーい、行ってらっしゃい」
 玄関が閉ざされ、六畳間の自室が少し振動する。傘を開く音が聞えた。外はしとしとと雨が降り注いでおり、部屋の中も薄暗い。
 一人ぼっちになり、静かになった家の中で彼女は思う。いい加減、学校に行かなければと。
 でも登校したところで、何を頑張ればいいのだろう? スカイラインピジョンの活動はもうできない。博士には星花が説得をしてくれるそうだが、変なところで厳しいあの人が、あっさり許してくれるとは思えない。
 川崎博士はつばめをとても可愛がった。あるときは気持ち悪いぐらいべたべたに褒められ、またあるときは目尻を真っ赤にされてひたすら説教されたこともある。父親のいないつばめは、「ああ、これが『お父さん』なんだな」と密かに思っていた。
 だから博士にきっぱり活動禁止を言い渡されたとき、つばめの心は暗黒に包まれる。父親の一言は重たすぎた。
「青空くん・・・・・・」
 本当なら自分が彼を新たな戦いへと導き、共に広い青空を歩んでいくはずであった。それが、何て悲しい展開だろう。彼とはまだまだ話し足りないことがあるし、彼の誤解を解いてやらなければ気が済まない。
『俺の命が大事だとか、死んだら嫌だとか、そういうのは無かったってことか』
 青空を死なせたくなかったのは当然、彼のことが好きだからに決まっている。
 だから彼が建物に激突死しようとしたとき、とうとう無線機越しに本当の気持ちをぶちまけてしまった。つばめはあの告白の答えをまだ聞いていない。
 そんなときの返事など、今更要求できやしない。もっと嫌われてしまいそう。それでもつばめは話がしたかった。
 ひたすら切ない。会いたい。せめて声だけでも聞きたい。
 またも全身に降りてきたいかがわしい火照り。恥ずかしいとは思いつつも、今日も湿った感情に背筋を震わせようとしていた。
 しかし携帯電話の鳴動が、そんな歯止めの利かない指を止める。
「風鈴ちゃん?」
 外しかけたブラウスのボタンを留め、机に置いてある携帯電話を手に取った。クラスメートの、舞華風鈴からのメールを知らせる着信メロディだ。ところがその直後、また別の着信が鳴り響いて彼女をびっくりさせた。
 表情が緊張で強張る。スカイラインピジョン関係者に割り振っている曲だ。
 確認をしてみると、送信主は杉下岳であることがわかった。件名には「【重要】明日のミーティングについて」とあり、彼女を不安がらせる。
 チームの運営をサブリーダーに一任したつばめは、週に二回程度、繁華街の喫茶店で岳と会うことになっている。そこで毎回ご機嫌な岳からチームの活動報告と、つまらない自慢話を聞かされるのが近頃の習慣だ。
「どうしたんだろ・・・・・・?」
 つばめは舞華のメールよりも先に、岳のメールを開く。
 それにはこう記されていた。
『明日はちょっと残念な知らせがある』


 研究所の扉が開き、長身の高校生が入ってきた。濡れたビニール傘を手にしている。
「こんにちは博士。いつもお疲れ様です」
「おう、よく雨が降るってわかったな」
「ふっ。今朝、天気予報を見ていたので」
 それでも岳の髪や制服には濡れた痕跡がある。それだけ雨が強いか、雨量があるのだろうと博士は想像する。彼は地上階のゲームセンターから降ろしてきた巨大な筐体を前に、あぐらをかいて作業をしていた。
 かつて自分が監修したゲームとはいえ、ほったらかしにしていたらリリースから結構な時間が経過していた。その上、最近はフライハイユニットの研究一本であったので、久しぶりにシステムをいじるとわけがわからない。
「悪いな、しばらくお前がリーダーだ」
「はい。つばめ先輩が戻ってくるまで、しっかり仕事します!」
 元気のある返事。岳なら問題無いだろうと思っていた。権藤つばめに続いて二例目となった、アツィルトコンバーター適正者。
 良くも悪くも「普通」だというのが博士の持つ印象である。つばめ曰く「最近キザったらしくてイヤ」だそうだが、彼は特にそうは思わない。こうしてきちんと指示もこなしてくれる。
 つばめも真剣にプロジェクトに参加してくれる優等生だったので、この二人がスカイラインピジョンを引っ張っていくものだと期待を寄せていた。
 しかし権藤つばめは問題を起こしてプロジェクトから退場し、一方で中田青空というとてつもない人材をチームに迎え入れることとなる。
 計画に「狂い」はつきものなのである。過去も振り返って見てもそんなことばかりだった。そもそも、アツィルトコンバーター理論は飛行能力獲得のために構築されたのではなく・・・・・・。
「ところで博士」
「ん、何だ」
 考え事をしつつ、作業に集中していたところを岳に呼ばれた。
「早速一仕事してきたのですが」
 何か重たいものをテーブルに置いた音。筐体と繋がったノートパソコンを脇に置き、博士はぐっと足腰に力を入れて立ち上がる。背骨が悲鳴を上げ、つい喉からも悲痛極まりない声が出てしまった。
「中田青空君の脱退届を受理してきました」
 ここで初めて博士は、岳を凝視したのである。
 テーブルには、泥まみれになった白のフライハイユニットが置かれていた。


 中田青空は冷たい雨に打たれていた。
 翼は無残にもむしりとられ、うつ伏せの状態で弓道場にて倒れている。全身を殴られ、顔面を蹴られ、切ったばかりの髪も泥水と血液まみれになって汚された。
 ただ、身体こそ力尽きても魂はいまだ燃え尽きない。
「ひかりちゃん・・・・・・」
 悔しさ。
 ひたすら敗北の悔しさが彼を鬼の形相たらしめ、灼熱の涙を顔面から溢れさせる。
 彼と顔見知りである弓道部員は、誰も彼の元へ近寄れない。彼の周辺は敗者の聖域となっていた。不用意に侵すことのできない空間となっていた。この場にいる誰もが、一匹の鳩が果敢に立ち向かい、壮大に散っていった様を見た。
 河原のぞみはきゅっと口を結び、力いっぱい泥を握った彼を見つめている。
 青空は何度も何度も岳に吼えた。


「飛ぶんだ・・・・・・俺は・・・・・・ひかりちゃんのために・・・・・・」


    続く

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