【ブルーバード】


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 いくつも積み上げられた吸い殻のタワーの前で、極楽島《ごくらくじま》虎彦《とらひこ》は繰り返し貧乏ゆすりをしていた。
 顔に刻まれた深い皺とは正反対に、彼の目は青年のようにギラギラとしている。背筋は伸び、高身長のせいか今年で還暦を迎えるとは思えない若々しさがあった。唯一老眼鏡だけが彼を老人足らしめている物である。
 今日の虎彦は特に老人特有の落ち着きはなく、自宅のソファに腰かけて苛々しながら何本目かわからないタバコに火をつけていた。
「やあねえあなた。いい年して行儀悪いわよ」
 そんな虎彦の態度を妻がたしなめた。まだ虎彦よりも若い彼女は、落ち着いたように化粧をしている。
「まったく。私は認めない。認めないぞ」
「まだそんなこと言ってるの。いい加減にして。今日は一葉《ひとは》たちが来るんですからね、ドシっと構えていられないのかしら」
「知らん。あんな親不孝な娘知らん」
「ほんとあなたって子供ね。いつまで意地張ってるのかしら」
 妻は呆れたように台所へと消えた。
 一葉は虎彦の一人娘だ。
 ある日突然結婚するなどと言い出した。当然ながら虎彦は反対した。
 ただの結婚ならば虎彦とて猛反対はしない。可愛い娘を嫁にやるのは父親として悲しくもあるが、嬉しくもあるのだ。
 だが結婚相手には連れ子がいたのである。現在六歳の女の子らしい。結婚相手はバツイチを経験しており、どうして別れることになったのかは知らない。
「そんな奴に娘をやれるか」というのが虎彦の言い分だった。
 虎彦は失望していたのだ。娘の子供――つまり自分にとっての初孫がようやくできるのかと思っていたのに、孫となる子供が血の繋がっていない子だということが残念でならない。自分勝手な考えだとは思うのだが、この感情は理屈ではない。
 妻は結婚に賛成だったのだが、虎彦は最後まで反対した。だがすでに成人している男女のことなので、虎彦が許さなくても結局二人は結婚してしまった。
 結婚式はまだしていない、やったとしても出席する気にもなれない。父親の許可も得ていないのに結婚してしまった娘とその夫を歓迎できなかった。
 そもそも虎彦は結婚相手と顔を一度も合わせていないのである。どんな男なのかも知らない。双葉区でどんな仕事をしていて、どこの生まれなのかも名前すら聞いていない。意固地になっていた彼はずっと結婚相手のことを避け続けてきた。
 だがとうとう今日こそ挨拶に来るという。妻に叱られたので家にいることにしたのだが、やはり苛立ちは隠し切れず、灰皿には吸い殻だけが溜まっていく。
「ふん。今更挨拶なんて……」
 一年ぶりに娘と会う喜びよりも、結婚相手とその連れ子と会うことの方が億劫であった。この息苦しい家から出ていきたい、何か口実があれば――
 そんなことを考えていると、携帯電話が鳴った。部下からだった。
「もしもし私だ」
『すいません社長、休暇中に』
「構わん。なんだ?」
『実は新商品のドーナツが出来上がったのですが、ぜひ社長に判断をお願いしたいのですが。出来次第教えろとのことでしたので……今どちらにいらっしゃいますか?』
「そうか。問題ない。今は家だ」
『そうですか。もしよければ自宅に向かいますが。ご家族の分もお持ちします』
「いや――」と虎彦は考えこみ、老眼鏡をくいっと上げる。「私がそっちに行く。迎えの車もいらんぞ。歩きたい気分だからな」
『わかりました。ではお待ちしております』
 携帯電話をポケットにしまい込んだ虎彦は、ソファから立ち上がりコートに袖を通した。その様子を見て妻が慌ててやってくる。
「ちょっとあなたどこに行くのよ。昼前には一葉たち来るわよ」
「急な仕事が入った。ちょっと店まで行ってくる」
「ちゃんと戻ってきなさいよ!」
 うるさい妻の声を背に、マフラーを首に巻いた虎彦は家を出た。外の風は冷たく、やはり迎えを寄越せばよかったかと思ったが、虎彦の経営しているドーナツ屋は十分程度歩いたところなので我慢することにした。
 虎彦は大手チェーン店『ミセス・ドーナツ』の社長だ。数年前に亡くなった彼の兄が双葉学園の関係者だったため、そのツテで双葉区にも店を出すことができた。
 ドーナツ屋は学生たちには好評のようで、それなりに繁盛している。もっとも秘匿義務があるため、双葉店はある種独自の発展を遂げている。社長である虎彦が直に経営方針に指示を出していた。だからこうして双葉店で新作のドーナツを売り出す時には、虎彦自ら味を判断するのである。
 ドーナツ屋は商店街を抜けた先にあった。大きくはないが、清潔感のある店で、店内で食べられるようにテーブル席も用意されている。休日ということもあってか、店内は学生客だけではなく双葉区に住む人々で溢れていた。
「おはようございます社長」
 店の奥へ入ると、双葉店の店長が出迎える。
「ああ。おはよう。それで、新作のドーナツとはどれだ」
「これです。どうぞ」
 店長が差しだしたのは鮮やかな青色のドーナツだった。少々見た目は変わってはいるが斬新ではあるだろう。目新しさは大事である。
 まあそれはさておき、肝心の味の方はどうだと一口齧ってみる。
「うむ。味の方は悪くないな。これは何を使っているんだ」
「ミントですよ。ですが従来のミント味のドーナツとは違って他にも色々工夫しています。具体的に言うと――」
 店長はレシピを並び立て、虎彦はそれをメモも取らず聞く。この程度のことは一度聞いただけで覚えられる。虎彦は記憶力に自信があった。
「なるほど。よく考えたな。ではまずは期間限定で発売することにしよう。その売れ行きで今後を決める――それで、商品名は決めてあるのか」
「いえ、まだです。一応候補はあるのですが」
「商品名のインパクトは重要だ。私が考えておこう。なに、まだまだ私だって若い客層に受けるものぐらい考えられるさ」
「わかりました。おまかせします」店長は頭を下げ、思いついたようにドーナツを箱に詰めだした。「どうぞ、荷物でなければ参考にいくつかこのドーナツをお持ち帰りになってください。家族の方の意見も聞かせて下さい」
「家族と言ってもな。こんなにたくさん私と家内では食べ切れないぞ」
「娘さん夫婦とお孫さんにどうですか。この間店に奥様が来た時に聞きましたよ」
「ふん。あいつ余計なことを言いおって」
 女はいくつになってもお喋りが好きなものなのだなと、虎彦は不機嫌になりながらもドーナツの箱を手にして店を出て行った。
 腕時計を見ても、時間はさほど進んではいない。まだ娘たちも家に来ていないだろう。今帰れば間に合う。
 だが、虎彦は時間を潰す方法を考えていた。
 まるで親に叱られた子供がふて腐れ、家に帰るのをしぶるように彼の足は自宅とは逆方向へと進んでいく。こういうところが子供っぽいのだと妻は言うだろうが、それでも虎彦は家に帰るのが嫌だった。
 あてもなく歩いていると、子供たちの騒がしい声が聞こえてきた。
 カラフルな装飾のなされたお店に子供たちが出入りしていたのである。お菓子屋『ワンダーランド』という看板がピカピカと光っていた。
 店から嬉しそうにお菓子を抱えて出てくる子供たちの中に、外国の子が多くいた。双葉区ではよその国の留学生や研究員、異能やラルヴァの関係者が出入りしているので、彼らの子供たちが街を歩いていても不思議ではない。
 そんな子供たちの群れの中で、一際目立つ子供がいた。
 青い瞳にブロンドの髪を太陽に輝かせている五、六歳の小さな女の子。彼女は満面の笑顔で抱えきれないほどのお菓子を必死で落とさないようにし、パタパタと走っていた。
 あんなにいっぱいお菓子を持って、転んだらどうするんだ。絶対に落とすぞ。と思いながら金髪の幼女が通り過ぎるのを見守っていると、あろうことか幼女はお菓子の重さでバランスを崩し、よろよろと虎彦の方へと近づいてきた。
「あっ、危ない」と口にしたが遅かった。
 幼女は思い切り虎彦にぶつかったのである。
「きゃあ」可愛い悲鳴を上げて幼女はぺたんと尻もちをつき、その拍子に手に持っていたたくさんのお菓子が地面にぶちまけられたのだった。「ああ! なんてことかしら。わたしのお菓子が行っちゃうわ!」
 ませた口調の幼女はコロコロと転がる飴玉を追いかけていくが、ほとんどが交通人や自転車に轢かれて砕かれてしまう。
「おい。大丈夫か。怪我してないか?」見捨てても置けず、虎彦は幼女に手を差し出した。だが幼女は顔を上げ、顔を歪ませて彼を見た。「どうしたんだ。どこか痛むのか?」
 やっかいなことになったなと思いつつ、幼女の視線が自分の顔ではなく体の方へ向けられていることに気づき、彼もまた自分のコートを見る。
 べっとりとアイスクリームがへばりついていた。それは先ほどまで幼女が大事そうに手に持っていたものである。
 なんてことだ。このコート高かったんだが……ただでさえ苛々していた虎彦は、頭に血が上り、幼女を叱ってやろうかと思ったが、彼女はボロボロと大粒の涙を流し始め、わんわんと泣いてしまった。
「ひどいわ! わたしのアイスちゃんが潰れちゃった!」
「お、おい。何も泣く事はないだろう」
 虎彦は戸惑ってしまった。小さな子のあやし方など彼にはわからなかった。娘が小さかった頃などもうずっと昔だし、そもそも娘は子供の頃は大人しく、あまり泣いたりしなかった。
「せっかくお小遣いで買ったのに! アメもアイスもダメになっちゃったの。わたしもう泣くしかないの」
 そう言って本当にただ幼女は泣き続けた。ふくれっ面になり、白い肌の顔が赤くなっていく。
 街ゆく人々は何事だとチラチラと視線をこっちに向けていて、このままでは騒ぎになってしまう。まるで自分が虐めたように見えてしまうだろう。かと言ってこのまま放って置くわけにもいかない。
「そうだお嬢ちゃん。お菓子のお詫びにこれをあげよう」
 苦し紛れに虎彦はドーナツの箱を開け、幼女に見せた。すると幼女はぴたりと泣き止み「これ、わたしにくれるのかしら」と呟いた。
「勿論だ。全部きみにあげるからどうか泣き止んでくれ」
「わたし一人じゃこんなにも食べられないわ。あなた一緒に食べてくれる?」
 涙もすっかり消えた丸い瞳を瞬かせ、幼女は言った。

+挿絵




 どうしてこうなってしまったのか。虎彦は新作のドーナツを齧りながら横に座る幼女を見た。綺麗な顔立ちをした幼女は、先ほどまでの泣き顔はどこに行ったのか、ほがらかな顔でドーナツを頬張っている。リスのようにほっぺが膨らんでいた。
 あの後二人は近くのベンチに腰を掛け、一緒にドーナツを食べることになったのである。
 さっさと立ち去ってしまえばよかったのだが、幼女は虎彦のコートの袖をずっと掴んで離さない。
 コートについたアイスを落としたいので、早く家に帰りたかった。だがおかしな話だ。さっきまで帰りたくなかったのに、と虎彦は苦笑する。
「きみ、両親はどこかにいないのかい。よければ家まで送るが」
「あたしはきみって名前じゃないわ。シルヴィアっていうのよ。パパがわたしにつけてくれた大事な名前なの」
「そうか。シルヴィア、お家はどこだ」
 虎彦が金髪の幼女――シルヴィアに尋ねると、彼女は小さな指で道の向こう側を差した。
「えっとね。確かこの先をずーっと行ったところよ」
「家から一人でお菓子屋まで歩いてきたのか」
「そうよ。パパはきちんとお留守番してなさいって言ってるけど、お家は暇なんですもの。黙って出かけるのよ」
「パパは家にいないのか? ママは?」
「ううん。今日は二人ともお休みよ。お家にいるわ。でもパパがなんだか具合悪いみたいなの。だからわたしはパパに甘いものをうんと食べて元気になってもらおうと思ったのよ」
「それで勝手に家を飛び出してきたのか」
 だとしたらさぞ両親は心配していることだろう。今頃この子を探しているかもしれない。ドーナツを食べている場合ではないだろう。早くこの子を送って行こう。
「あなたってばおじいちゃんなのにとってもおしゃれね」
 シルヴィアは真ん丸の目を虎彦に向けて唐突に言った。口の中にはまだドーナツが入っているのかモゴモゴとしている。
「そりゃどうも。このコートも高かったんだぞ」
 と言っても子供には分からないかと肩を落とす。虎彦は薄汚れた老人にはなりたくない一心で、ファッションや身なりには気を使っていた。
「わたしにもあなたみたいなカッコいいおじいちゃんが欲しいわ」
「いないのか?」
「ええ。パパのパパはいないの。パパのママもいないわ。変よね。わたしにはパパもママもちゃんといるのに」シルヴィアは不満そうに地面についていない足をブラブラと揺らした。この子の父親には両親がいない、ということなのだろう。「そうだ! ねえねえ。これ知っているかしら。これよこれ!」
 そう言って今度はドーナツ箱に手を突っ込み、欲張りにもまた一つドーナツを手に取る。それだけおいしいというのならば、この新商品は成功だなと虎彦は思った。
 だがシルヴィアはドーナツを食べることなく、おかしな行動に出る。ドーナツを口ではなく目元にまで持って行き、右目を瞑って左目でドーナツの輪の中を覗いたのである。
「いったいなにをしているんだ?」
 意味不明なシルヴィアの行動に、虎彦は面食らう。子供のすることに突っ込んでいていたらきりがないのだが、シルヴィアは楽しそうにドーナツの穴を覗いて周囲を楽しそうに見回していたため、気になってしまう。
「青い鳥を探しているのよ」
「青い鳥だって?」
 幸せの青い鳥を探しているなんて、随分とロマンチックなことを言う子供だな。確かチルチルミチルの童話に出てくる鳥のことだったか。虎彦は自分が子供の頃に読んだ童話を思い出そうとしたが、何十年も前の事で覚えてはいなかった。
「あら。あなたわたしのこと信じていないあのね。ひどいわ。ほんとうに青い鳥はいるのよ。だっておじ様が言っていたんだもの」
「お爺ちゃんはいないのにおじ様はいるのか」
「そうよ。おじ様はわたしのことが大好きだし、わたしもおじ様のことが大好きなの。おじ様は“らるヴぁ”のことをよく知っているのよ」
 ――ラルヴァか。
 亡くなった虎彦の兄と、その息子たち――つまり虎彦にとっての甥たちもみなラルヴァに携わる仕事をしている。虎彦自身はまったくラルヴァや異能などには興味はない。ごくたまに学生たちが騒いでいるのを街で見かけるだけである。
「ということはその青い鳥もラルヴァなのか?」
「ええ! でも青い鳥は見えないのよ。おじ様は『別の次元に存在している』と言っていたわね」
「それじゃあ探しようがないじゃないか」
「でもね。青い鳥は穴から覗くと見えることもある、って言っていたのよ」
 虎彦はそのことを聞いて、生前ラルヴァ学者の兄が彼に話してくれたことが頭に浮かぶ。ラルヴァの中にはズレた世界にいる種がおり、それらを認識するのは容易いことではない。だが何らかの方法でそっちの世界を見ることも可能だと言っていた。
 その種のラルヴァはこっちの世界に干渉はできず、ただいるだけの存在だ。だがそれを見られることはこの上なく幸運なことらしい。
「どうだシルヴィア。青い鳥はいるか?」
 ドーナツを顔に貼り付け、ぴょんぴょんと飛び回るシルヴィアに虎彦は尋ねた。
「見えないわ! どこにもいないの!」彼女は大はしゃぎしながらぐるぐると周囲を見渡す。「青い鳥は幸せな人のところやってくるのに。どこにもいないわ!」
「青い鳥を見つけたら幸せになれるんじゃないのか?」
 童話では確かそんな話だったはずだ。だが虎彦の言葉にシルヴィアはかぶりを振るう。
「おじ様が言うにはね、この青い鳥は幸福な人の傍に寄ってくるんですって。でも珍しいらるヴぁだから滅多に見られないらしいの」
「そうなのか」
 ラルヴァの青い鳥は幸せな人間のところへと来る。
 幸せとはいったいなんだろうか。自分は満足の行く人生を歩んできたし、妻にも苦労はさせていないつもりである。
 だからこそ、娘の一葉にも幸せになってほしいと思っていた。
 一葉の幸せだけが彼の望むことである。娘にとって不幸な要因はできるだけ取り除いてやりたいと思う。ゆえに一葉の結婚を虎彦は反対をしたのだ。
 バツイチの子連れなどと結婚しても、きっと娘は苦労するだけだ。そんな娘の姿を見たくはない。
 一葉が産声を上げたその日から、父親である虎彦は娘の幸せだけを願った――
「シルヴィア―――!」
 すると、そこで大きな声が聞こえて虎彦ははっと顔を上げた。
「パパの声だわ」とシルヴィアはドーナツから顔を離し、声のする方を見た。「これあげる!」と彼女は持っていたドーナツを虎彦に押し付け、声の方へと走っていく。
「シルヴィア! どこにいるんだ!」
 道の向こうから、一人の男が走って来ていた。高身長の虎彦よりもまた背の大きな白人男性だった。優しげな顔つきをしたブロンド髪の青年で、その丸く青い瞳がシルヴィアとの血の繋がりを感じさせる。
「パパ! ここよ!」
 シルヴィアは父親の姿を見るなり元気よく走り出した。
 彼女に気が付いた父親もまた駆け寄り、シルヴィアを力強く抱きしめる。
「駄目じゃないか。心配したんだぞ。勝手に家を出て行っちゃいけないって何度も行っただろう」
 父親は腰を落とし、諭すようにシルヴィアを叱りつけた。「ごめんなさい」と彼女も素直に謝っている。いい父親だなと虎彦は思った。
「だって、パパ辛そうだったから。お菓子あげようと思って……」
「あれは辛いんじゃなくて、緊張してたんだよ。これから大事な人と会うことになっているんだから。シルヴィア、お前も会うんだよ」
「わたしもー?」とシルヴィアは首をかしげる。
 よかった。どうやらこれであの子も父親と家に帰るのだろうと虎彦は安心する。父親からすれば、娘というのは宝だ。さぞあの父親も心配していたことだろう。
 そろそろ自分も帰ろうかと立ち上がると、その父親の後ろからも人影が走って来るのが見えた。
 その人影には見覚えがある。
 忘れるわけがない。
 妻に似た大きな目。自分に似た口元。
 虎彦の娘の一葉が、息を切らせながら走っていたのである。
 一葉はシルヴィアを見つけるなり、父親と同じように抱きしめた。どれほど心配していたのか、一葉の目には涙が浮かんでいる。
 そんな彼女の頭をシルヴィアの父親は撫で、大きな体で二人を包みこむ。
 誰が見ても幸福な家族の絵だった。
 幸せそうな三人の姿を見て、虎彦は青い鳥を探していたチルチルミチルの童話の結末をふと思い出していた。
 ――青い鳥は自分たちのすぐそばにいる。
 手に持っていたドーナツを顔の辺りまで上げて、虎彦はドーナツの輪っかの中を覗いてみた。
 輪っかの中の光景はあまりに美しく、虎彦は見惚れてしまう。
 青色の鳥が三羽、それぞれ三人の周囲に集まってきたのである。青色の翼を広げて三人へと舞い降りてくる。
 まるで三人の幸せを祝福するように、青色の鳥たちは羽ばたいた。


     ☆ ☆ ☆


「奥様から聞きましたよ社長。娘さんの相手は外国の人だったんですね。国際結婚とは驚きです」
 翌日、ミセス・ドーナツ双葉店に顔を出すなり、店長がそう言った。「またあいつ余計なことを言ったな」と苦笑するが、虎彦の顔は笑っていた。しかしどこか具合が悪いのか、しきりに体を揉んでいる。
「大丈夫ですか社長。調子が悪いんですか」
「いや平気だ。ただの筋肉痛だよ。年甲斐もなく昨日孫と鬼ごっこやバトミントンをしてね、あちこち痛いんだよ。それに娘たちとも一緒に酒を飲んでな。二日酔いで頭が重いんだよ」
「それは大変でしたね」
「いや。これも年寄の楽しみだ。私だけの特権だ」
 ふっと虎彦は笑みを浮かべ「そうだ」と作らせた新作のドーナツを指差した。
「新しいドーナツの名前を決めたぞ」
「ぜひお聞きしたいですね。なんて名づけたんですか?」
 虎彦はプレートにマジックで文字を書き、青色のドーナツの横にそれを置く。
 そこには大きく『幸せを運ぶ味、ブルーバード・ドーナツ』と書かれていたのだった。



 おわり


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