魔女研がないときや、ヒロくんが忙しい日、私には行くところがある。
美術準備室。
画材や資料が放置され、美術部のものらしき作りかけの胸像が、あちこちを向いている。不気味で薄汚れた雰囲気の、暗い部屋。
その壁に、誰が置いたのかもわからない、とある名画のレプリカがかけられていた。
『白いドレスのマルガリータ王女』。
絵の前に立つ。
すると、私の意識は、彼女の瞳へと吸い込まれていった。
「よく来たわね、マリ」
「すっかり学園に居ついちゃって」
ぼそっとそう言ってやる。
テーブルについてお茶を楽しんでいる、金髪の少女。
彼女は「マルガリータ」。
可愛らしい外見に反して年齢三百歳を超えている、デミヒューマンタイプのラルヴァ。趣味は、困っている人間に「大きなお世話を焼くこと」らしい。
「だって、楽しいもの。この島」
「同感。退屈しない」
席に着くと、マルガリータは指先で円を描き、それをパッと私の前に投げつけた。
すると私の目の前には、白乳色のティーカップと、おいしそうなクッキーが置かれていた。ティーカップには、緑色に濁った液体が入っている。
「バルボラさんはいないの?」
ティーカップに口を付ける。半信半疑だったが、本当に緑茶の味がしたからびっくり。
「双葉島の調査に出てるわ」
「ふぅん。あなたたちでも、この島はわからないことだらけ?」
「ええ、すごく」
私――九重真璃は、双葉学園に通う、特別可愛くない残念な女子だ。
私がマルガリータと出会ったのは中等部の頃。
自分を見失ってしまい、精神的に腐っていたときに彼女は現れた。
彼女は私の本当の生き方を掴む、ヒントのようなものをくれた。今でも彼女は、私の大切なお友達である。
そういう事情があって、私はこの学校で「魔女」として生きている。人呼んで「スノーラビット・マリ」。
自分でそう名乗ったのだが、正直反省している。
「ところでマリ。大事なお友達であるあなたに、私からお願いがあるの」
「面倒だったら断るからね」
「この学校のグラウンドに、困っている少年の魂があるわ」
「話聞いてないね」
王女は緑茶を一度すすると、じっと私を上目遣いで見つめてきた。
これはマルガリータが真面目な話をするときのサインである。
「彼はもうこの世の者ではない。強い未練があるのか、理由があって留まっているのか、私にもわかりません。彼を救ってきてほしいのです」
どうやら大事なお願いのようである。ちょうど今日は暇だったので、たまには、こんなマルガリータのクエストにお付き合いしてみるのもいいだろう。
でも。
「私にできることなんてあるのかな? 特技は飛ぶことと自虐だよ」
「ある」
お人形さんのような少女はにっこりと微笑み、言った。
「ただお話をすればいいだけよ」
野球部、サッカー部。
こうして様々な運動系の部活が声を張り、砂埃を上げる、活気ある光景。
特別な異能教育機関といっても、きっとこういうところはよその高校と大差ない。
私は一人、グラウンドの脇を歩いていた。
普通にしているときは、当然のことながら、白いマントも箒も持っていない。
無表情で可愛げのない女子が、時間を潰しているようにしか見えないだろう。
「どんな子なんだろう」
マルガリータは「少年」と言っていた。どんな男の子であるかは、実際に会わないとわからない。そんな場違いな人物が、本当にいるのだろうか。
結局、一周しただけでは見つけられなかった。でもこの学園にグラウンドはいくつもある。他の場所にいるのかもしれない。
それに気付いたとき、やっぱり飛んで捜せばよかったと後悔をした。私はほんと、ヒロくんと違って頭が悪くて、不器用だ。
グラウンドを離れ、校舎の立ち並ぶ一帯に戻ってきた。色々な種類の広葉樹がたくさん植えられており、静かで落ち着いた印象を受ける。
その、ひときわ大きな白樫の木のもとで、私はとうとう見つけた。
「……」
背の低くて、どこか女の子っぽい顔つきの少年。木の根っこのあたりで座っていた。
彼は困った表情を浮かべながら、何かを手に持っていた。
「こんにちは」
「君は?」
「マリって言うの。マルガリータに言われてきたよ」
「あ! この前の綺麗な子?」
笑顔になる。王女の名前を出すと、簡単に話が通った。
事前に会っているのなら、あの子が何とかしてあげればよかったのでは……。
「困ってる、って聞いたよ」
「うん……」
本題に触れると、彼は再び顔を曇らせ、手に持っているものを見つめ出した。ぬいぐるみらしかった。
「それなに?」ときこうと思い、よくよくぬいぐるみを見たら、
(!)
びっくりした。頭が無い。
それだけじゃない。両手と右脚が欠損しており、男の子が手にしていたのは、左足だけのひっついた、何か茶色い動物のぬいぐるみだった。
「他のパーツが見つかんないんだ」
そう、悲しそうな声で言う。
話が見えてきた。この子はぬいぐるみを完全にしたいようだ。
「つまりそれが完成しないと、天国に行けない」
私が話の確信に触れたとき、彼は一旦びっくりしたような顔になってから、
「そっか、そんなことも知ってたんだね」
と苦笑した。
男の子は数年前に死亡しており、魂だけが双葉島に束縛されている。
生前はどんな人間だったのか、どんな生活をしていたのか。
またどういう殺され方をしたのか。全然覚えていないらしい。
「なんとなくわかるんだ」
彼は語り続ける。私も白樫の木に腰掛けており、隣で話を聞いている。
「このぬいぐるみは僕だ。僕はこれを元に戻す必要がある」
「どうやって探そうか」
私も精一杯考える。あちこちあてずっぽうに聞いて回ったほうが早いか、それとも、一旦マルガリータのところに戻って力を借りるか。
何せ、探し物はぬいぐるみの「パーツ」だ。難易度は非常に高い。
「僕ならすぐわかる」
「どうして?」
「パーツが光って見えるんだ。だからさっき、左足は自分で見つけられた」
「ふぅん。けど、あと四つを探すには……」
「この島は広すぎるよ……」
マルガリータが私をよこした理由が、わかったような気がする。
「ちょっと待ってね」
私は男の子をその場に残し、ある場所へと向かった。
「おまちどうさま」
彼はしばらくの間、ぽかんとして私を見つめていた。
当たり前だろう。
私は白いもふもふのマントを羽織り、頭には大げさな白いとんがり帽子を載せている。ついでに箒まで手に持っていると来たら。
「お姉ちゃん、『魔女』だったんだ!」
「うん」箒を横にし、宙に浮かせる。「私は九重真璃。この学園の空飛ぶ魔女」
足元に刻まれた魔方陣に、男の子は目を奪われていた。
横になった箒に腰掛けて、脚を揃える。急ぎの用なのでスパッツを履いていないが、まあ何とかなるだろう。他人に覗かれたら呪ってやる。
「後ろに乗って」
「うん!」
彼は目を輝かせて、私の後ろにまたがった。
子供はあれこれ疑問に思ったり、怯えて怖気づいたりしないから楽ちんだ。
「マリ姉ちゃん、あそこのおもちゃ屋さんにあるよ!」
「そう。じゃあ降りようか」
左下にすっと、滑るように旋回する。
高度を落とし、人気の無い裏通りに着地した。急に空から現れて、通行人を驚かせるのも申し訳ないと思ったから。
後継が見つからず、お店もこの代限りという、小さなおもちゃ屋さん。
CMで見かけるような有名どころのおもちゃはほとんど置いていなくて、どちらかといえば、山積みにされた古いプラモデルのほうが目立っている。
「ありゃ、こんなのいつ仕入れたんだ?」
年配の店主は首をかしげる。埃まみれのぬいぐるみコーナーに、ぬいぐるみの右手が置かれていた。
あたかも男の子が訪れるのを、ずっと待ちづけていたかのように。
店主は、彼の不完全なぬいぐるみを一目見ると、すぐに理解を示してくれて、快くそのパーツを譲ってくれた。
右手が本体と接近する。すると強く輝き、そして合体した。
「あと頭だね」
「日が沈むまでに終わるかな」
とんがり帽子を脱ぎ、汗を拭う。
空を飛ぶための、ハードな日常訓練をしていても、離陸して着陸しての繰り返しは、体力と異能力を消耗させた。
「まあ、とりあえず飛びましょう」
帽子を被り直し、再度二人で空を目指した。
東の空は群青色に変わり、西のほうでは、目立ちたがりの金星が自己主張を始めている。
そんな肌寒い空間を進んでいたとき、突然、背後の男の子がうめき声を上げた。
「どうしたの?」
「体中が痛い」
「降りようか?」
「大丈夫」
全身が切り裂かれるかのような辛い痛みが、体の節々に走るらしい。「人形が完成しつつある影響かな」と男の子は言っている。
そうして飛び続けること数時間。だが、最後の「頭」が見つからない。
街から離れても、住宅地を見下ろしても、誰も近づかないような島の最北端ゲート付近にまで飛び、厳しい海風にさらされつつ港を眺めても、それらしき物体の気配は無い。
「マリ姉ちゃん、今日はもういいよ。あとは自分で探す」
「そう。お役に立てたかな?」
「うん、すっごく!」
心から嬉しそうに言った。
それを聞き、私は安心する。
「んじゃ、王女様にバイト代請求しに帰ろう」
そんな冗談を言いながら、二人でくすくす笑っていたところだ。
「あ」
男の子が真っ直ぐ指を差したのだ。
進行方向には、双葉学園の時計台がある。
まさか、と思った。私たちは真っ直ぐ街を目指してしまったから、時計台の屋上部分には全く目が届かなかった。
「あそこにあったよ、お姉ちゃん!」
「ふぅん、あそこがゴールだったんだね」
ニヤリと笑みを浮かべる。ありったけの魂源力を箒に注ぎ込み、自慢の白い彗星を撒きながら、私たちは時計台を目指していった。
頭部は時計台の屋上の片隅で、私たちを待ち構えていたかのように置かれていた。
そのときふと、「嫌な予感」が胸によぎる。
それは恐らく避けては通れないことで、かつ、とても辛いことであると思う。
だけど、私はしっかり見届けないといけない。
男の子は、さっそく頭の部分を合体させた。それが何のぬいぐるみであるかは、もうわかる。つぶらな瞳をした、可愛らしい「クマ」だ。
そして次の瞬間、ぬいぐるみが強く光り輝き、時計台から強い光が放たれる。思わず、私も腕で顔を覆ってしまった。
腕をどけると、そこには先ほどまでの少年の姿はない。
代わりに、小さな獣人がたたずんでいた。
「全部思い出したよ、マリ姉ちゃん」
「あなたは?」
「僕は小熊のラルヴァ『マイク』」
「ラルヴァだったんだね」
「うん」
私は笑顔を浮かべ、親しみを込めて彼に近づこうとしたのだが。
「人間に駆除されたラルヴァだよ」
それに絶句して、足を止めた。
二年前。学園に、強いラルヴァが入り込む事件があった。
どういう事件だったか、そのとき中等部だった私もよく知らない。マイクはそれに巻き込まれてしまったらしい。
「人間の底知れない憎しみを、この身に叩き込まれた。僕を切り刻んだ女の子が、あまりにも可哀想で……。今でも忘れられない」
「何で?」
「あの子、あんな風になりたかったのかなって」
「そう」
私はマイクを後ろから抱きしめて、しばらく二人で語り合っていた。
マイクは全てを打ち明けてくれた。彼が殺されなければならなかった理由。そして――。
「マリ姉ちゃん、君にお願いがある」
「何十個でも何百個でも、どうぞ」
「みんなが幸せな世界を作ってほしい」
「また随分とでっかい使命ね」
でもそれを聞いて、私は少し悩んでしまう。
私は何度も繰り返して言うように、ただ空が飛べるだけの、赤い瞳の女の子。
人を幸せにさせるような力なんて無いし、魅力も無い。
みんなから特別好かれるような性格をしているわけでもない。何か、私にしかできないことはあるのかな?
何のために空を飛び。
何のためにこの学校に通い。
何のために異能者として生きていくのかな?
そう、志を体ごと切り裂かれた少年を前に、私は思っていた。
「世話好きなマリ姉ちゃんなら、大丈夫」
マイクは私から離れて、立ち上がった。
別に世話好きというわけでもないけど、彼のために頑張るのは、悪い気分ではない。
「一人ひとりを大切にすれば、みんな仲良くなれるときが来るよ」
そう残すと、彼の体は淡く光って、一つの白い球となる。そして打ち上げ花火のように、ぽんと夜空へ吸い込まれていった。
静かになった時計台の屋上。
満天の星空のもと、私は何かが残されているのを見つける。
それはマイクと二人で完成させた、可愛らしい意匠のぬいぐるみであった。
『マイクのぬいぐるみ』を手に入れた。
「というわけでバイト代ちょうだい」
「はい、どうぞ」
小さな王女はにっこりと、人差し指でくるりと円を描き、私に投げてよこす。
テーブルの上には、いつもより多めのクッキーと、ティーカップに注がれた緑茶が並べられていた。
不満げにぼりぼりクッキーをかじっていると、マルガリータは言った。
「あの子は結局、この島に縛られてしまった。いつしか自分が何であったのかも忘れ、空っぽの状態になっていたようね」
そう、クマのぬいぐるみをナデナデしながら語る。嬉しそうだ。
「ねえマルガリータ」
「何かしら?」
「人を幸せにするって、大事だよね。難しいけど」
普段無気力でひねくれている、私らしくもない台詞だ。
だけどマイクとのやりとりを通じて、私は今、真剣に考えている。
この世界には、重たい過去や事情を抱えこんでしまっている人がいて、打ちのめされたり、運命に飲み込まれてしまったりしてしまっている。マイクがそうだ。
そんな人たちを、「救ってあげたい」……なんて、傲慢なことは言わないけど、こう思っている。『力になりたい』『笑顔にしてあげたい』。
すると、マルガリータはクスクス笑い出した。
「マリ、やっぱりあなたに任せてよかったわ」
「どういうこと?」
数々の名画で見られた、あの蒼い瞳が私を捉えていた。じっと、上目使いで。
「あなたにはこれから、いくつかの『お願い』をきいてもらうわ。それらを全てクリアしたときに、あなたの希望は叶うかもしれません」
数百年を生きたラルヴァは改まった態度で、魔女歴二年ちょっとの私にそう言った。
最終更新:2012年05月05日 23:13