【壊物機 第九話】


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 壊物機 第九話 『人間の証明』



 その赤子は生まれたときに死に掛けていた。
 先進国の病院で生まれた小さな命。
 しかしその灯火はあまりにも小さかった。
 医師は渋面を浮かべ、父親も悲しみを帯びながらどこか諦めた顔をしている。
 未熟児。それも先天的な臓器の欠損という致命的な疾患を抱えていた。
 判明したことが遅かったため、中絶ではなく自然分娩で生まれたが、長く続く命ではない。
 しかし母親の、せめて一晩だけでも命を永らえさせてほしい、という懇願により、赤子は機械につながれ自力では保てない命を繋がれた。
 幸か不幸か、その病院には延命ができるだけの設備があり、今も何人かの新生児が機械に繋がれている。
 その新生児達の命も長くはない。今生まれた赤子のように翌朝には消える命ではなくとも、自分で世界を生きることは叶わない。
 ある意味では、エゴによって延命させられている命。

 その命が最初の一人と、最初の一人に纏わる子供たちの生の始まりである。

 ・・・・・・

 我が地上の日々の追憶は
 永劫へと滅ぶ事無し
 その福音をこの身に受け
 今此処に来たれ 至高なる瞬間よ

 時よ、止まれ――お前は美しい

 糜爛の詠唱に応え、メフィストフェレスはその真体を曝す。
 人を模した姿は解れ、バネと発条の筋、クロームの装甲と黄金の骨格で組み上げられた機体が顕現する。
 メフィストフェレスは永劫機に変じた直後に右腕のブレードを展開し、爆発的に増大した自重で床面を砕きながら吶喊し、眼前の巨人――フェイスの顔面に刺突を叩き込んだ。
 ブレードは頭部を保護していたフルフェイスヘルムのガードを易々と貫通、直後にブレード接合部に仕込まれた回転機構を作動させ、フェイスの顔面・脳髄・胸殻を断ち割った。
「脆い」
 糜爛はそう言い放ちつつ残る左腕のブレードも起動させ、フェイスの右腕を肩口から切り飛ばした。
 頭部と右肩から夥しい量の鮮血を噴き出すフェイス。
 それでも糜爛は攻撃の手を緩めない。
 ブレードの回転を止め、直剣として無数の刺突フェイスの全身に浴びせかける。
 致命傷を負わせ、原型が崩れるほどに損傷を与えても未だ容赦もなければ躊躇も無い。ともすれば破壊の欲求に酔っているようにも見える。実際、今の糜爛は感情が高揚しているのだから。
『糜爛、もう戦いは……』
 メフィもそう思ったのか糜爛のコマンドに躯体を任せたままに声をかけるが
「集中しな悪魔ちゃん、そいつまだ、これっぽっちも『死んで』ねえよッ!」
『!?』
「俺の前で狸寝入りするなよ、デカブツッ!!」
 その声に応えるように、フェイスの左足が跳ね上がる。
 蹴撃を警戒して飛び退いたメフィストフェレス、だが、フェイスが放ったのは蹴撃ではなかった。
 左足のレガースが外れ、隠されていた皮膚が顕わになり――皮膚には巨大な肉の穴が開いていた。
 肉穴から膿が飛び出すように汚泥のような液体を噴射される。
 胸部目掛けて発射された液体をメフィストフェレスは左腕のブレードを回転させて弾くが、代償にブレードは長く風雨に晒された後の如く腐食して崩れ落ちた。
 あの汚泥は物質を腐らせる。見れば汚泥が触れた床面も変色し、劣化している。
『これで、四つ目の異能……ですが』
 牢獄の中でラファエロが考察し、メフィもまた独力で考えていた相手の異能の正体。それは巨人異能力者か超科学機兵に他の異能力者が貼りついたハリボテというものだった。
 異能は一人一つなのだから、そうでなくては帳尻が合わない。
 だと言うのに、今、眼前の巨人は間違いなく、自身の肉体から異能を発動させた。
 そして、生々しい血肉の匂いと飛び散る体液はそれが機械ではない本物だと如実に証明している。
 ならば、この巨人は、敵《ネメシス》団長フェイスは……
『まさか、真に複数異能所有者なのですか?』
「なわけねえだろ」
 メフィの疑問を糜爛は一言で切り捨てた。
「俺はまだ異能の世界に足踏み込んで数ヶ月だけどよ、その大前提はこの世界が出来てからずっとあるもんだろ。こんな露骨な例外がいるか馬鹿」
『ですが……』
「安心しな悪魔ちゃん。お前やエロちゃんの考えは正しいんだよ。ありゃあ複数人が一人の異能力者に見せかけているだけだ。いや、見せかけているつもりもねえのかもな」
『どういうことですか?』
 糜爛は、総身が損壊したフェイスに視線を向け言葉を放つ。
「おいデカブツ。俺にはもうお前“ら”の異能の正体が何かは読めているぜ。バラされる前に自分で解説したらどうだ?」

[……自分の異能を][てきに][バラス][なんて][利敵行為を][するわけが][ないでしょう]

『な……!』
 その声は、フェイスの総身から聞こえた。
 戦闘が始まる前に何度か糜爛やメフィと話したときよりも遥かにハッキリとした発音で――身体のそこかしこから聞こえてきた。
 フェイスの顔面は未だに両断されたままだと言うのに、頭部に代わり、全身が喋っているのだ。
[もっとも][ほんとうに][ワカッテ][いる][よう][ですけど][ね]
「ああ、お前ら、『ミトコンドリア』だろ」
 事も無げに糜爛はフェイスの、フェイス達の正体を言い放った。
『ミト、コン?』
「あれ? 悪魔ちゃん知らない? パラサイトイヴって映画見たことない?」
『……知識としては知っています。真核生物の細胞小器官の一つで酸素を利用して生体に必要なATPを産生するものでしょう?』
「ハハッ、さっすが超科学の産物。詳しいねえ」
 糜爛はメフィの答えに満足したように笑い、
「ちなみにミトコンドリアって元々は全く別の生物なんだけどな?」
 と述べた。
『……、ッ』
 その瞬間、糜爛の言わんとすることがメフィにも理解できた。
[ああ][かんぜんに][リカイ][されて][ます][ね]
 ミトコンドリアの原型である細胞生物は、地球上で初めて酸素に適応するという能力を会得した。それゆえ、後に進化の過程で他の細胞生物の体内に吸収され、共生状態となったまま現代の全真核生物へと続いている。
 そんな例えが意味することはたった一つだ。

「お前らは、吸収・共生の異能を持った異能者が複数の異能力者を吸収して出来上がった産物だ」

 猛攻に晒されて穴だらけになったフェイスの鎧が千切れ、自重によって剥がれ落ちる。
 脆く、薄いフェイスの鎧。それは防具として身に着けていたわけではない。それはフェイスの正体を隠すためのただのカバーだったのだ。
 その下にあった肉体は、無数の肉体が狂人の絵画のように溶け合い、混ざり合って構成されていた。

 ・・・・・・

 『最初の一人』が生まれた翌日。『最初の一人』が産声を上げた病院に、狂ったような悲鳴が上がった。
 それは一人の看護師の悲鳴であった。
 彼女は、病院の新生児室の中にそれを見た。
 新生児のベッドに鎮座していたものは肉塊。
 何人もの人間を粘土の代わりに捏ね上げて設えたような均整を喪失したおぞましい肉塊だった。
 何人もの人間。そう、それを作るには材料となった人間がいるはずで、そして材料は明白だった。
 なぜなら、新生児室の中にはその肉塊以外に何もいなかったのだから。
 その部屋にいるべき命は全て其処にあった。
 それを証明するように、肉塊からはピョコンと小さなお手手や足が生えていた。

 誰が“そう”だったのかはわからない。
 誰が……『最初の一人』だったのか
 しかし彼らの中にいたのだ。
 他者と自分を混ぜ合わせて捏ね上げてしまう力を生まれながら持っていた――何かが。

 看護師の悲鳴に他の医師と看護師が集まるより早く、肉塊は新生児室を抜け出した。
 看護師は狂気の光景に耐えられず正気を手放していたので、肉塊が止められることはなかった。
 そうして、新生児の肉塊は病院を後にして何処へと去っていった。
 今から十年前、一九九九年の出来事である。

 ・・・・・・

「ハハッ、見ろよ悪魔ちゃん。この気味の悪さ。相手のほうがよっぽど悪魔染みてるねえ」
『…………』
 見れば、フェイスの体を構成する人体は成人のものではなく子供の、それも十に満たない子供の人体でだけ構成されていた。
 ならば、あの巨体を形成するために何人の子供が溶けているのか。
「脳髄なんかも人数分だけあるんだろうなぁ。思考形態は上下のツリー式? それとも並列のネット式?」
[……][ふぇいす][イガイノ][何者も][いない]
「あー、ネット式ね。ってことは溶け合った時点でフェイスって群体になるってことか? でも異能は脳や心臓とか、どこにあるかわからねえけどそれぞれの命に由来してるんだろ?」
[そう][おもったから][センコクハ][全身を][攻撃した][の][でしょう?]
「そうそう、お前がどういうカラクリで出来ているかは骨格と気配で大体予想できていたからなぁ。異能の数減らそうと思ってとりあえずぶっ殺しまくったのよ。つっても総体が死んでねえから俺にはカウントされねえらしいな。お陰でまだ息苦しい」
 エネミー症の影響か少し呼吸が詰まってこそいるが、糜爛はフェイスの異形を前にしても動じた様子もなく話しかけている。
 オゾマシイ、とメフィは思った。
 フェイスの異形が。
 フェイスの異形を前にして、あんなにも平然としていられる糜爛自身が。
 こんな光景を見るならば、糜爛の過去など見るのではなかったとメフィは思う。
 このオゾマシイ光景に至った確たる原因の一つが自分自身なのだと知りたくはなかった、と。
 メフィの心は、自然と一つの言葉を呟いていた。
『バケモノ……』
 それは誰に対して向けられた言葉だったのか。
 フェイスか、糜爛か、メフィ自身か……それは言った本人にも判然としない。
 しかしこの一言は、引き金だった。

[バケモノ?]

 気づけば、両断されていた頭部が再び溶け合い、断面が癒着し、歪ながら修復されていた。
[バケモノ?]
[バケモノ?]
[バケモノ?]
 全身の口ではなく、再生した頭部と全身からフェイスは同じ言葉を連呼する。
「ふぅん、そんな簡単に再生するってことは『頭』の中には脳みそ入ってなかったんだな」
 糜爛はまだ考察するように喋っているが、フェイスから伝わる空気は完全に変質している。

[バケモノ?][ばけもの?][バケモノ?][化け物?][バケモノ?][バケモノ?][バケモノ?][バケモノ?][バケモノ?][バケモノ?][バケモノ?][バケモノ?][バケモノ?][バケモノ?][バケモノ?][バケモノ?][バケモノ][バケモノ、……ァァイ]

 ゾッと、機械であるはずのメフィの体に寒気が走った。
 この有り様、メフィには容易に理解できる。
 自分の呟いた一言がフェイスにとっては絶対の禁句であったと。
[ナァアァァイ]

[バケモノジャ、ナァァァァァイイイィィイイッッ!!]

 次瞬、フェイスの体が膨張した。
 それは錯覚ではなく、実際にフェイスの全身から指が、腕が、顔が、噴出し、総体が膨れあがっていた。
 そしてそれらの指に、腕に、顔に、全てに魂源力が込められる。
――異能が来る!
 同時に糜爛もメフィストフェレスを動かしていた。
 そして無数の異能が発動する。
 念動力が、雷撃が、汚泥が、炎熱が、地下空間に荒れ狂った。
 見境なく、破壊が全てを飲み込んでいく。

 ・・・・・・

 外界へと生まれ落ちた肉塊は、本能的に隠れるように生きていた。
 ある時は路地裏に、ある時はゴミの影に、汚物の中に隠れて生きた。
 本能的に肉塊は知っていた。自分がどうしようもなく弱いものであると。
 無数の赤子を溶かし混ぜて作ったこの生命は臓器の欠損を補えても、やはり赤子と大差ない小さな命だと。
 だから恐れた、外敵を、自分を見る者を。
 そうして隠れ潜む中で、体を維持するために他の命を取り込んで生きながらえた。
 人間しか取り込めず、自分より弱いものしか取り込めない。それしか生き方を知らなかったので、自分より小さな赤子だけを探して取り込んできた。取り込まれた赤子も肉塊の一部になった。
 それは見方によっては、否、知る者が見れば確実に怪物《ラルヴァ》と断じる生態だった。
 事実、当時の肉塊は知る由もなかったが異能力者達はラルヴァ【赤子喰らい】と呼称して肉塊を追っていた。
 肉塊が見つからなかったのは肉塊が生命として脆弱すぎるために探査に掛からなかったからか、あるいはラルヴァでなかったからか。
 ラルヴァでない。そう、肉塊は……そしてその基点となった赤子は母親の胎内から人間として生まれた。だから肉塊はラルヴァではない。
 本当にそうだろうか?
 この有様を、この存在を、この醜悪さをして「これは怪物ではなく人間である」と言えるのだろうか?
 その疑問に肉塊自身が到達したのは誕生してから五年近い歳月が経ってからだった。
 その間、肉塊がしたことは取り込むことと眠ること、捨てることだけ。
 五年間、肉塊は幼児を取り込み膨張しつつ、あるいは劣化し傷ついた部分を切り捨てて縮小しながら、弱いままに肉塊は隠れて生き続けてきた。
 しかし、弱いままでも変わることはある。
 肉塊が年を経るにつれて、取り込める幼児の年齢も上がる。
 そして、年齢が上がれば自然と幼児の知能も上がっている。取り込んだときに幼児が持っていた色々な知識を肉塊もまた理解する。
 それはまだ幼い子供のものであったが、それでも何人も取り込めば自然に気づく。

 わたしはなに?

 人間から生まれて、人間を取り込んで、人間だけで出来ているのだから人間。
 そう言い切るには自身の姿は人間と違いすぎた。
 そして取り込まれた幼児も、取り込まれる瞬間までは自分を怖がっていた。
 その理由が肉塊にはわからない。取り込んですぐにその恐怖は肉塊の意識の集合に、砂糖を一粒だけ水に溶かすように消えていったから。
 自分は何なのか、肉塊は一生懸命考えたが、幼児だけを集めた知能では理解できなかった。
 だが、肉塊の疑問に対する答えはある日唐突に与えられた。

――バケモノ

 いつものように隠れ潜みながら幼児を取り込もうとして、そのとき初めて他の人間に見つかった。
 バケモノと呼ばれた。
 その言葉の意味を肉塊は知っていた。幼児の知能にもその言葉はあった。
 それが、とても恐ろしく、おぞましい意味の言葉であると、知っていた。

 ああ、わたしはニンゲンじゃなかった

 怖くなって肉塊は逃げ出した。
 人間からか、それとも与えられた答えからか。
 自分を知って、自分の中に溶けて蓄積していた……今は自分の自分自身への恐怖も蘇っていた。なぜ怖かったのか分かったから。自分が怖くおぞましいものだとわかったから。
 肉塊は逃げて逃げて、隠れて、そのまま動かなくなった。
 バケモノと呼ばれることが恐ろしくなって、自分自身が恐ろしくなって、もう人間を取り込むこともできなくなってしまった。
 だから、隠れたまま、眠り続けようと思った。


 そのまま肉塊は眠り続けた。
 取り込むことをやめた体は代謝で磨り減るだけだったが、それでも新たに取り込むことは出来ず、ただ死を待つだけの眠りを続けた。
 あるいは、まだ死を理解できていなかったのかもしれない。
 恐れることを避けて、死を恐れることもなく、肉塊は眠り続けた。

 そんな肉塊が再び目を覚ましたのは、誰かの声が聞こえてきたからだった。
 それは集会であった。偶然にも、肉塊が隠れ潜み眠るすぐ傍で、何者かが集会を行っていたのだ。
 肉塊は隠れながら、いくつかの耳を傍立てる。
 聞こえてくる言葉の意味はいくらかしか理解できなかったが、その声達はこう言っていた。

 異能は強靭な肉体を与える
 異能は超常現象を起こす
 異能は強力な兵器を生み出す
 異能は魔道の英知に至る
 平和のため、守るため、怒りのため、復讐のため、形は違えども異能は闘争に通じる。
 ならば異能は神の手により何者かと戦うためにこの世界の人類に与えられたに違いない。
 では何者と戦うためか。
 何者でも構わない。
 人外のバケモノ――ラルヴァでもいい。
 人内のバケモノ――異能者でもいい。
 人内のヒト――ただの人間でもいい。
 何でもいい。何だって構わない。
 戦うことが目的で使命なのだから相手など何だろうと構わないのだ。
 故に我らは“敵《ネメシス》”を名乗る。
 我らが敵であるならば向かう先には闘争がある。
 それが――我ら“敵《ネメシス》”の教義である。

 彼らの言葉のうち、フェイスが理解できたのは僅かなことだけだ。
 『人内のバケモノ――異能者』
 異能者ならば、異能者ならば……バケモノでも人間だと。
 バケモノである以前に人間なのだと。
 その言葉を理解した肉塊は集会の場へと這いずり出した。
 集会の参加者はその威容に驚愕し、攻撃を仕掛けようとしたがそれはローブを着た小さな人物が抑えた。
 ローブの人物は問う。「お前は何者か」
 肉塊は答える。[バケモノ]

[ダカラ、『異能者《ニンゲン》』ニシテクダサイ]

 これが“敵”の指導者『導師』と肉塊――フェイスの出会いであった。
 その後、フェイスは『導師』の力となり、“敵”の教義に沿うために自分の力を使い始めた。
 生きるためではなく、戦うために、幼い異能力者を繰り返し己に取り込み続けた。
 それは同時に、自らをラルヴァ《完全なバケモノ》から異能者《ニンゲン》へと変じさせる為の禊でもあった。
 そうしてフェイスは力をつけ、“敵”の戦闘の長である団長となり

 今このとき、糜爛との闘争に至っていた。

 ・・・・・・

 動く者が何一つない破壊の跡にフェイスは佇んでいた。
 自らの感情のままに持ちうる全ての異能を放出した。
 その行いを、フェイスは反省していた。
 ここは戦場であったが、同時に敬愛する導師の部屋なのだ。
 それをこうも無残な有り様にしてしまった事実は反省するしかない。
[申シ訳アリマセン導師……。デスガ、『断片』ヲ賭ケタ闘争ノ第一戦、勝利致シマシタ]
 フェイスは導師にそう告げる。
 この後に続く言葉が御叱りでも賞賛でもどちらでもいいとフェイスは思っていた。
 なぜなら、この勝利でまた己はニンゲンに近づくのだから。
[導師?]
 しかし、いくら待てども導師からの言葉が返ってこない。
 一体どうしたのかと周囲に導師の姿を探して――フェイスは己の愚かさに気づいた。
 自分自身が先刻、何をしたか。
 感情に任せ、この部屋全体に破壊を撒き散らしたのではなかったか。
 導師もいた、この部屋に。
[ア、ア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?]
 フェイスは半狂乱になりながら導師の姿を探し、すぐにソレを見つけた。
 ソレは、最早ただのガラクタにしか見えなかった。半身が腐食の汚泥によって錆びつき、もう半身は炎熱によって溶けかけている。ゴミ処理場の双眼鏡と見分けがつくか怪しいほどだ。
 あの日、己を導いてくれた導師を、自らの手で殺してしまった。
[イイイEEE、ア]ア[アa]ァaイイKイジyaja]バイ[イオアaaaaaaaa!!?!?!]
 言語も、発声する口も不確かになるほどの絶叫をフェイスは発した。
 己が取り返しのつかないことをしてしまったという恐怖だけがそこにあった。
「あーらら、やっちゃったねえ」
 動くもののいなかった空間に、フェイス以外の声が伝わった。
[ア、ァ?]
 滂沱の涙を流すフェイスの全身の目が、それを捉えた。
 床面の一部が盛り上がり、その下からメフィストフェレスの巨体と、それに守られた糜爛が現れた。
 共に傷ついてはいるが、導師のように致命傷を負った気配はない。
[ナ、ゼ?]
「複数の異能力者を内包し、複数の異能を持つ集合生命。たしかにおっかないが……前提としてお前には弱点がある」
 糜爛は嗤い、口角を釣り上げながらフェイスの体を指差した。
「お前の体は子供で出来ている。だから、放つ異能も子供の威力ってことだ」
 異能には前提が存在する。
 一つは一人一つしか異能をもてないこと。
 もう一つは――年齢に応じて強まること。
 原則として、幼い異能力者の異能は成長した異能力者の異能よりも劣るのだ。
 特殊性ならばともかく、単純な破壊力を競うのであれば子供の異能は威力に欠ける。
 それはフェイスが取り込んだ異能力者でも例外ではなく、複数人が揃った総体としての火力ならばともかく『一人』の火力はさほどの驚異ではない。
 初手の汚泥を放ったのが成人異能力者であればブレードだけでなく腕ごと溶解させていただろうし、昨日の雷撃も気絶程度では済まなかったはずだ。
 故に、遮蔽物の陰に隠れて直撃を避ければ致命傷は負うまいと糜爛は読んだ。お誂え向きに床の一部が汚泥で脆くなっていたのですぐに引っくり返せた。
「見た目こそグロいが、ガキ共が組体操しながら異能撃ってくるようなもんだ。解っちまえば別に怖くもねえチープな代物よ」
『危ない賭けだったとは思いますけどね』
「ま、上手くいったんだから無問題って奴だ。……さぁて」

「そろそろ幕にするかい、レギオン坊や」

 糜爛の挑発とそれに号したメフィストフェレスの突撃に対しフェイスは再度吼えた。
 全身の異能を励起させ、手指の全てをメフィストフェレスに向ける。
 フェイスの中の冷静な部分は思考する。今度は先刻のように全面放射する愚は犯さない、集中砲火で確実に殲滅する。一撃では滅せずとも全てを受ければあの機械も砕ける。仮にこの初弾が外れようと、メフィストフェレスにこちらを瞬時に殺し切る手段はない。ならば至近の次弾で確実に勝てる。
 フェイスは確信と共に異能を発動させる。
 直前でメフィストフェレスが真横に飛び退くも自身も瞬時に方向を転換し、目標を狙い撃つ――ことは出来なかった。
 フェイスの体は微動だにせず、異能の矛先は変えることもままならないまま放たれ、在らぬ方向へと飛んでいく。
 ――まさか
 そのとき、フェイスを構成する思考の一部が周囲の異常に気づく。
 室内の異常、あれだけ自分が破壊を繰り広げた後だというのに、この室内で今動いているのが自身とメフィストフェレス、糜爛の三者だけであとはチリ一つ動いていないのだ、と。
 それがメフィストフェレスの固有能力『時間堰止結界』の効果であることをフェイスの一部は理解した。
 思えばなぜ己は導師の存在を失念していたのか。それは戦いが始まってから導師の存在感が喪失していたからではなかったか?
 導師は特殊な力こそ持てどもラルヴァとしては至弱の域。ゆえにこの結界に絡め取られて静止してもおかしくはない。糜爛は最初から『時間堰止結界』を張っていたのだ。

 ならば、糜爛はこの結界を何の為に張ったのか。

 異能力者であるフェイスに結界は効かない。
 ならばどうして今フェイスは動きを封じられているのか。
 この現象は紛れもなく『時間堰止結界』によるものだ。
 しかし『時間堰止結界』自体の効果ではない。
 『時間堰止結界』――周囲一帯の時間を堰き止め、物理現象を停止させ、下級ラルヴァや異能力者ではない一般人もまた静止させるこの能力を、メフィストフェレスを作成した技術者達は“支援機能”として開発した。
 全永劫機中で最も高い水準の機体性能を持たせ、対軍団ラルヴァ戦に於いて敵の戦力を大幅に削ぎ、一点特化の能力を持った他の永劫機と同時に運用することで高い戦果を上げる。言わば前線指揮官機である。
 だが、この機能には製作者も想定していなかった陥穽があった。
 それは時を強制的に押し留めるこの力には、反動があるということ。
 時は流れる。
 それは異能ではなく世界の大前提。
 ゆえに時を堰き止めるこの結界は、常に時の圧力を受け続けている。
 例えるならばそれは水門を完全に閉じたダムに似る。莫大な圧力を蓄積しながらも流れ出さないその堰はやがて限界点へと到達する。
 その限界、結界の軋む感触をメフィストフェレスと糜爛は感じていた。
 そうしてこの堰の歪な利用法に気づいた。
 今まさにフェイスの全身を捉え、絡め、圧しているものこそが『時間堰止結界』が押し留めていた時の圧力に他ならない。
 僅かに結界から溢れた時そのものの圧力が対象を拘束している。

――しかし、それは余波に過ぎず、真の一撃はこの後にある

 メフィストフェレスの右拳に時計盤の如き光が浮かび上がる。
 指し示されたときは零時。時の終焉と始動を告げる刻印。
 メフィストフェレスは自身の能力を、フェイスへと打ち込んだ拳を起点にして――解き放つ。

「“全テノ《Zero》”――」

 後に一人の少年が時空爆縮回帰呪法《クロノス・レグレシオン》と名づける一撃を、

「“始マリニシテ《Zero》”――」

 糜爛は別の名で詠んだ。

「――“終ワリナルモノ《Zero》”ォォォッ!!」

 必殺の咆哮と共に崩壊した結界は物理的な破壊を伴って時を氾濫させた。それは言うなれば満杯のダムを瞬時にして消失させるに等しい。
 後に起きる事象は――絶対の大破壊。
 複数の生命を内包したフェイスの巨体は瞬く間に光の奔流の中に消失した。

 ・・・・・・

 時の暴流による大破壊は、ピンポイントにフェイスの総体を消滅させた。
 破壊はフェイスだけを飲み込み、室内の他の物は影響を受けていない。
 だから室内の光景に生じた変化はフェイスの一箇所のみ。
 フェイスの巨体が喪われ……代わりに小さな人型の肉塊が転がっているだけ。
 それは、最初の一人だった。
 フェイスという異能共存体の元となった、融合の異能の持ち主。
 融解したその肉体は性別が判然としない。
 けれど、糜爛はそれが最初の一人であると察していた。
 そう判断した理由は勘と、あの状況でわざわざ逃がすとなれば最も重要な部位だろうと思ったからだ。
 逃がす。そう、最初の一人は自分から仲間を犠牲にして脱出したわけではない。ただ、他の肉体が最初の一人を最優先に切り離して生き延びさせたのだ。
 それはフェイスという群体の心臓を守るためか、あるいは一個人ではなく複数の個人であったフェイスの中に仲間意識・同族意識があったためか――あるいは、最初を生き永らえることができた恩返しだったのか。
 糜爛には解らなかった。
 どちらにしろ、意味はない。
 この最初の一人もすぐに死ぬ。
 フェイスという存在が複数人で成り立っていたのならば、一人となった今は臓器の大半が欠損しているのと同じことだ。
 人間は心臓や脳だけで生きるようには出来ていない。
「何か言い残すことはあるかいガキ大将」
 死に瀕した最初の一人に糜爛は問いかける。
 最初の一人は耳すら残っていないため、その言葉が聞こえていたかは解らなかった。それでも、最初の一人は

[人間ニ、ナリタカッタ……]

 そう言い遺し
 直後に糜爛はその頭蓋を踏み砕いた。
 溶けかけの子供の頭蓋は脆く、脳細胞もゼリーと大差なかった。それを糜爛は靴底で念入りに踏みにじる。
 それから、スゥッと深呼吸をして
「おめでとう」
 と死体を祝福した。

 糜爛の呼吸を遮っていた息苦しさは、今はもう微かにも感じられなかった。

 第九話
 了
ツールボックス

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