【フレンド】


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 私には幼いころ親友がいた。
 名前はリコちゃん。
 あの日に別れてから、二十年間会っていない。

     ○

「ママ! ちょっとお出かけしてくるわ! おともだちと遊ぶの!」
 キッチンでクッキーを焼いていると、シルヴィアがマフラーを巻きながら言った。まだ六歳のシルヴィアが外で遊ぶのは心配だったけれど、家に閉じ込めておくわけにもいかない。
 私は「車に気を付けるのよ」とシルヴィアの白い額にキスをする。ふんわりとしたブロンドの髪を撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。
「うん。わたし気を付けるわ。じゃあいってきまーす!」
「三時のおやつまでには帰るのよー!」
「はーい!」
 お気に入りの靴を履いてシルヴィアが元気よく玄関を飛び出していくのを見送り、私は再びキッチンへと挑む。
 少し前まで双葉大学の研究生だった私は、今こうして自分が主婦として――母親としてお菓子作りに励んでいることが少しおかしかった。ラルヴァの研究に明け暮れていた頃はこんな日が来るとは夢にも思っていなかったのだ。もし夫のニコラスと出会っていなければ、私の人生はもっと味気のないものだったに違いない。
 シルヴィアは私の実の娘ではない。ニコラスの連れ子だ。だけど私はシルヴィアを実の娘のように、あるいはそれ以上に愛しているし、シルヴィアもまた私のことを母として慕っていてくれているようだった。
 夫のニコラスと結婚したのはつい一年前のことだ。
 アメリカの研究機関から派遣されてきた彼と、双葉学園のラルヴァ研究室で出会ったのがなれ初めだった。バツイチで子持ちのニコラスとの結婚に父は猛反対したが、それも雪解けというのか、少し前に話をし、父もニコラスとシルヴィアを気に入りもうすっかりわだかまりはない。
 私は幸せだ。家族に恵まれた私はきっと幸せ者だ。
 だけれど悩みがないわけではない。
「ママ! 大変! カナちゃんが怪我をしちゃったの!」
 クッキーをオーブンに入れようとした時、シルヴィアが大声を上げて飛び込んできた。もう帰ってきたのかしら、と思ったのだがシルヴィアの青い瞳には大粒の涙がたまっており、ずいぶんと慌てているようだった。
「どうしたのシルヴィア。怪我をしたの? 見せてごらん」
「違うのママ。わたしじゃないわ。カナちゃんが怪我したの。転んじゃって足から血を流しているの。とっても痛そうだわ」
「そう。そのカナちゃんはどこにいるの?」
「ここよ。ここにいるわ」
 そう言ってシルヴィアは自分のすぐ隣を指した。
 だがそこには誰もいない。女の子どころか、誰一人隣には立っていない。
 ああ、まただ。またこの子の変な遊びが始まった。私は頭を抱えながらも救急箱から絆創膏取り出してシルヴィアに手渡した。
「はい。カナちゃんに貼ってあげなさい」
「うん。ありがとうママ! カナちゃん、わたしの部屋に行こうよ。そうだママ。クッキー焼いてるならカナちゃんの分もお願いね。絶対よ」
 そう言ってシルヴィアは誰もいない空間に手をだし、誰かの手を引っ張る真似をしながら階段を駆け上っていく。
 カナちゃんというのはシルヴィアの架空の友達だ。
 現実には存在しない、空想上の女の子。
 いわゆる“イマジナリー・コンパニオン”と呼ばれる心理現象である。幼少期の子どもに見られる行動で、ごっこ遊びの延長のようなものだ。いもしない人物をでっちあげ、一緒に遊ぶというものである。珍しいことではなく、多くの人が幼いころに経験したことがあると思う。
 だけれどシルヴィアの場合は少し堂に入っていた。演技や嘘とは思えないほどに、本当にそこに友達がいるかのように振る舞っている。私自身、本当は見えない誰かがそこにいるのではないかという錯覚に陥ることがある。
 実際に私はそれを『透明人間』ではないかと疑った。体を透明化する異能者は確かに存在する。だが触れることはできないし、実害もないようでやはりただの空想上の友達なのだろう。
「大丈夫さ一葉。いずれそんなこともしなくなるさ。子供の成長っていうのは早いからね」
 先日ニコラスに相談したところ笑いながらそう言った。確かにその通りだ。イマジナリー・コンパニオンはせいぜい数か月ぐらいしか続かない。
 別に心配する必要はないのだ。
 クッキーを焼いた私は、シルヴィアの部屋をノックした。
「はーい。入ってママ」
 ドアを開けると、シルヴィアがお人形を持って遊んでいた。どうやら向かいにはカナちゃんがいるらしく、座布団が用意されている。
「クッキー持ってきたわよ。これだけしかないから二人で分けて食べるのよ」
 私は一人分のクッキーを床に置く。仮にカナちゃんの分のクッキーを用意したとしても、結局食べるのはシルヴィアだ。そんなに食べては晩ごはんが食べられなくなる。
 ジュースを一杯置いて戻ろうとすると、シルヴィアは頬を膨らませながら「カナちゃんのジュースは?」と怒り出した。
「ああ、ごめんね。うっかりしてたわ」
 そうかジュースもカナちゃんの分も持ってこなくてはいけなかったか。子供のごっこ遊びを無碍にもできず、私はその遊びに付き合った。
 空想上の友達との遊びは微笑ましいが、私はふとシルヴィアは友達を欲しがっているのではいかと、寂しいのではないかと思った。
 私は週に数回ほど双葉学園のラルヴァ研究の講師として仕事にでかけることがある。そういう場合はいつも従弟のところに預けているのだが、それでもやはり寂しさを覚えているのかもしれない。
 同年代の遊び相手を欲しがっているのだろう。だからこそ空想の友達を作り寂しさを紛らわしていたのかもしれない。そう思うと胸が締め付けられる思いだった。世話になった双葉学園には悪いけれど、もう少し講師の仕事を減らそう。もっとシルヴィアと一緒にいる時間を増やそうと私は思った。少なくとも来年シルヴィアが双葉学園の初等部に入学するまでの間は。
 そこでふと、私の両親も一時期共働きだったことがあると思い出した。
 私がまだシルヴィアと同じ年の頃、父が経営しているドーナツ屋の業績は悪く、母がパートに出ていたのだ。
 だから私は家に一人でいることが多かった。
 そして私もまた、寂しさから空想の友達を作っていたことを思い出す。
 記憶の彼方に消えてしまっていた、友達のことを。

     ○

 確か私は彼女のことをリコちゃんと呼んでいた気がする。
 私と同じ年の女の子。可愛らしい顔をしたショートヘアで、いつもウサギ柄のワンピースを着ている。
 しかし私はそのリコちゃんの姿を思い描くことができない。当たり前だ。私は実際に彼女の姿を見たわけではないからだ。頭の中にしか存在しない。身もふたもない言い方をしてしまえば設定しか存在しない人物だ。
 だけど確かにあの時の私にとって、リコちゃんは実在した。
 確かにそこにいたのだ。
 誰もいない部屋。日が沈まなければ誰も帰ってこない家。幼い私は孤独に押しつぶされそうだった。そんな私を救ってくれたのがリコちゃんだ。
 日が暮れるまで一緒にお人形遊びをした。
 飽きるまでままごともした。
 眠たくなるまで一緒に絵本を読み、おやつも二人で分け合って食べた。
「もし私たちが大人になって、結婚しても友達でいようね。それでね、私の子どもとリコちゃんの子どももお友達になるの。きっとそれはとても幸せなことだわ」
 他愛もない、そんな会話をしたことが微かに記憶にある。とはいえ一方的に私が言っただけだ。リコちゃんは喋らないのだから当たり前だ。
 あまりに幼い時の話のせいで、どういう気持ちで接していたかはもう思い出せない。当時の私は自分が作り出した友達に対して一切の疑問を覚えずに遊んでいた。
 きっとシルヴィアにとっても本当にカナちゃんはいるのだろう。
 それを否定することはできないし、やってはいけない。いずれ本当の友達ができれば架空の友達のことなど忘れてしまうのだから。せめて、今だけは……
 そこで私は研究者としての性なのか、イマジナリー・コンパニオンが本当はラルヴァではないかという考えに囚われた。
 透明人間ではない。だが視えもせず触れられない、精神だけの空気のようなラルヴァがその正体だとしても何の不思議はない。
 いわゆる幽霊とされる存在の可能性だってあるし、また別の精神生命体だという可能性だってなくはない。
 だがそれを確認する術はないだろう。もしその手の新種のラルヴァを観測するとしたならば大がかりな機材や準備が必要になる。研究者としての血は騒ぐが、シルヴィアを実験などに付き合わせたくはないのだ。
 だけれどもし、イマジナリー・コンパニオンがラルヴァとして“実在”するのならば、私はリコちゃんに謝りたいと思っていた。

     ○

 リコちゃんの存在を父も母も認めなかった。
 私がリコちゃんの分のお菓子や夕食を用意して、と言ってもまったく取り合ってくれなかったし、いい加減にしなさいと叱られた覚えがある。あれは父なりに心配して言ってくれたことなのだろうが、幼い私にはショックだった。
 だからリコちゃんと遊ぶのは恥ずかしいことだ。そう信じ込んだ。
 私はリコちゃんとバイバイしなくちゃいけないと思ったのだ。幼い頭でどう別れるべきか考えたが、それは結局最低の別れ方となった。
「もうリコちゃんと遊ばない」
 見えない相手に対して私は言った。
「もう二度と会わないわ。会っちゃダメなの。さようなら」
 泣きながら言葉を紡ぎ、架空の友達を否定した。それ以来リコちゃんと遊んだ記憶はない。自分自身の中にいるリコちゃんを拒絶し、私は今このときまで彼女のことを思い出すことすらなかった。
 だけれど架空の友達との別れは大人になるためには必要なことだ。
 しかし、もしそれが本当は実在しているのだとしたら――私はなんて酷いことをリコちゃんに言ってしまったのだろう。
 人生で初めての友達にあんなことを言ってしまったことを今更ながらに後悔する。
 そのような過去のことを思い出しながらも、私は一通りの家事を終えていた。ひと段落ついたし、シルヴィアと遊ぼう。たまには一緒に昼寝をするのもいいかもしれない。そうしてシルヴィアの部屋に行くために階段を上ろうとすると、ドタドタとシルヴィアがちょうど降りてきた。
「どうしたの?」私は尋ねた。
「カナちゃんがもうママが迎えに来る時間だからって言うから、お見送りするのよ」
 シルヴィアの言葉を聞き、カナちゃんにもママがいるのかと感心する。そこまでシルヴィアは空想しているのだろうか。
「ふうん。カナちゃんのママってどういう人なの?」
「うんとね。こうママみたいに髪が短くってね、可愛いウサギ柄の服を着ているのよ」
 にかっと笑い私を見上げながらシルヴィアはそう言った。
 その言葉を反芻し、私は身を固まらせる。それはどこかで聞いたような気がする。
「シルヴィア」
「なあにママ」
「カナちゃんのママはなんていうお名前なの?」
 私が尋ねると、シルヴィアは隣にいるらしいカナちゃんに聞くような素振りを見せた。そうして「うん」と頷いてみせる。
「カナちゃんのママはね、リコちゃんって名前なんだって」
 その名を聞き、私は目を見開いた。

――もし私たちが大人になって、結婚しても友達でいようね。それでね、私の子どもとリコちゃんの子どももお友達になるの。きっとそれはとても幸せなことだわ。

 あの時リコちゃんとした約束が頭に響く。
 その約束は胸の中にしっとりと染み込み、心があったかくなっていく気がする。そうか。私が彼女のことを忘れても、彼女は私のことを忘れていなかったのだ。
 私はキッチンへと足早に向かう。
「あれ、ママどうしたの?」
「お茶会の準備よ。今から私の大切な友達が来るんだもの。おもてなししなくちゃね」
 私はリコちゃんへの仲直りの言葉を考えながら、ティータイムの用意をした。
 お茶もお菓子も。
 きっちり四人分で。


(了)








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