【氷鐘】


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 ラノで読む
  氷鐘 -ヒョウショウ-

 7月某日。19時17分。K県某市にて、魂源力《アツィルト》の発現を確認。
 20分後、確認された繁華街の雑居ビルに探索チーム到着。3分後、4階空き部屋にて同県の高校の男子生徒とみられる8名が倒れているのを発見。いずれも重度の凍傷状態に陥っていたため、指定病院に搬送指示。
 彼らの倒れていた周囲は異常な低温で、天井や床には霜や氷柱ができており、またそれらが溶け出した様子はなかった。
 その後もラルヴァとみられる異生物の痕跡は見当たらず。
 周囲の聞き込みの結果、事件当時、2人の学生の姿が目撃されていることが判明。
 異能者、またはカテゴリーデミヒューマンの可能性あり。要調査を求む。



 唐橋悠斗《からはしゆうと》は目を覚ました。カーテンの隙間からのぞく空は青白く、窓の向こうからは朝鳥の鳴き声一つなく、静閑な街はいま少しの眠りについている。いつもよりずっと早い起床は、寸前まで見ていた夢のせいで、寝間着のシャツは汗でべっとりとしていた。
(最悪な寝覚めだな)
 一言で言えば、悠斗は悪夢をみた。夢のなかの悠斗は大きな獣で、爪を突き立て放り投げ、頭を半分だけ齧っては食い捨てた。そうして逃げ惑う人々を蹂躙していた。
 両手を握ったり開いたりしてみる。血のめぐりが遅く、いつまでも鈍いままの指の感覚が、さっきまで見ていた夢と現実をあやふやにさせる。いつもは何も感じないハズなのに、普段からマンガやゴミで散らかしっぱなしの部屋が、なぜか今は酷く窮屈に感じた。
(なにか不満でもあるのか)
 夢は心の深い底の無意識を映すと聞いたことがある。
(人を……襲いたい? 俺が?)
 ばかばかしい。悠斗は力無く笑った。頭をふって、眠気と一緒に余計な考えを追い払う。
(そりゃ確かに、学校で好き放題する不良どもはガツンと殴ってやりたいけどさ)
 しかし悠斗はべつだん腕っ節が強いわけでもなく、とりわけ権力的な後ろ盾もない。平々凡々としたただの高校生だ。そこらに跋扈する悪は、然るべき立場の人間がやればいい。人にはそれぞれ役目が決まってる。
 悠斗は布団から這い出し、ベッドの脇に足を下ろすと頭を抱えた。
(そのつもりだったんだけどなあ……)


 昨日の悠斗は運が悪かった。いや、長い目で見れば悠斗は幸運だったのかもしれない。
 放課後の帰り道、自転車を軽快に走らせていたとき、明日提出する科学のレポートがあったのに気がついた。鞄を漁るも資料プリントがみつからず、悠斗は肩を落としながら学校へ引き返していた。その道すがら、何を踏んづけたのか自転車がパンクし、悠斗は盛大に転んだ。幸いすり傷ですんだが、長い道のりをガタガタの自転車を引きながら進むことになってしまった。
 夏特有の鋭い陽射しが、2階の教室にいた悠斗の目線と同じくらい低くなっていた。
 教室には先客がいた。それも、結構な数の。彼らは一同に学ランのボタンをすべて外し、インナーには赤や黄色や緑といった色とりどりのシャツをおくびも無く晒していた。悠斗が扉を開けたとき、一斉に顔を向けてきたが、すぐに何事もなかったように話を再開した。
 本来、悠斗の高校では学ランの下は白のカッターシャツと決まっている。そもそも学ランは一昨日からの衣替えで着て来なくてもよいことになっている。ああいった集団の持つ独特の愛校心だろうか。模範生徒を名乗るつもりはないが、現に悠斗は今、学校指定の半袖開襟シャツに薄地の黒いサマーズボンをはいている。
「オイ、なに見てんだよ」
 机の上に足を投げ出していた赤シャツが、アゴをしゃくらせて言った。よく見ると眉を全部剃り上げている。
 ちらりとしか見たつもりはなかったが、案外長い時間見ていたようだった。
「いや、なんでも」
 声は特に震えていなかったと思う。あぶないあぶない、やぶ蛇だ。悠斗は友人の話で、彼らがヤのつく自営業らしき方々とお知り合いになってるのを聞いたことがある。
「ちんたらしてないでさっさと帰れよグズが」
 赤シャツの後ろに立っていた、無精ひげの灰色シャツが吐き捨てるように言った。やけに野太い声だ。
 悠斗は心のなかで舌打ちした。関わり合いになりたくないが、理由のない罵倒には耐えられるものではない。
 内心のイライラも相まって、机の中へ無造作に手を突っ込む。目当てのプリントを引っつかみ、鞄にしまった。
 早く帰ろう。机と机の間をすり抜けながら扉を目指す。本当に焦っていたのだろう。机の一つにしたたかにぶつかると、それが耳をつく大きな音を立てて倒れた。
「なんだテメェ」
 悠斗はぎょっとした。
「俺らに文句でもあんのか? あァん?」
 振り向くと不良たちが机を押しのけながら、ぞろぞろとこちらに歩いてくる。彼らは悠斗が机を蹴り飛ばしたと勘違いしたようだった。
 誤解をとけば……と悠斗は淡い期待を抱いた。だが、数人がニタニタと嫌な笑い顔で拳を鳴らしたりしているのを見て、すでに交渉の余地がないことを悟った。
 同時に悠斗は走り出した。一瞬あっけにとられた不良たちだが、すぐに怒りを露わにし、逃げる悠斗を追った。背中に迫る怒声とあわただしく廊下を叩く音が、悠斗の恐怖をさらに煽った。


(半泣きで校門を抜けて、それから……それから、あれ?)
 その後のことがまったく思い出せなかった。頭の中でだるま落としでもしたかのように、その部分の記憶だけがすっぽりと抜け落ちてなくなっている。
(寮に戻ってきてからは覚えてる。眠ったのは何時だったっけか)
 昨日の天気は、話した人間は、見た風景は、聞いた音は。記憶の四方に手を伸ばし、その糸をたぐりよせようとするが、どれも最後まで繋がることはなかった。残ったのは不意に飛び込む頭痛と、胸を打つ、苛立ちと不安を混ぜっかえした早鐘だった。
「……クソ、なんなんだよ」
 たまりかねた悠斗は、自分の膝を殴った。
 朝日を吸い込んだカーテンは、少しずつ輝き始めていた。遠くでカラスが鳴く声が聞こえる。


 学校の開門と同時に教室に走り、机の上に置かれた鞄を見るまで、悠斗は自分が手ぶらで来ていたことをすっかり忘れていた。
 そういえば、校門を開けにやってきた守衛は、悠斗を見ると何か腑に落ちないような渋い表情を浮かべていた。思えばこれが原因だったのだろう。
何事もなく整然と並んだ机を見て、ひょっとして、昨日のことは全部夢だったんじゃないか。一瞬そう思いこもうとした悠斗だったが、鞄からしわくちゃになったプリントが出てくると、現実と認めるしかなかった。
 始業時間のチャイムが鳴るまでの間、悠斗はずっと判決を待つ被告のように椅子から動くことができなかった。
 しかし授業が始まっても、悠斗は突然殴られることもなく、また誰からも呼びつけられることもなかった。3時限目の授業の終わりに、悠斗は隣の席に座っていた女生徒に声をかけた。
「あの、端田<<はしだ>>さん」
 端田と呼ばれた女生徒は、黒板書きをノートに写している手を止めた。
 このあいだ衣替えしたばかりの、赤いスカーフを巻いた白いセーラー服。端田真理《はしだまり》は、片方にだけ小さく三つ編みにした髪を肩に下ろし、ゆっくり顔をむけると、
「なに? 唐橋くん」と言った。落ち着いた声だった。
「柴倉たち今日は来てない?」
 柴倉というのは、唯一悠斗が名前を知っている昨日の赤シャツの生徒だ。
「朝に隣のクラスへ行ったときは静かだったわね」
 女子生徒はよく他クラスに出入りしているから、自分の教室以外の内情にも詳しいことが多い。悠斗の狙いは当たっていた。
「へぇ……。何かあったのかな」
 それとなく探ってみる。
「どうなんだろう」端田は自分の細い顎に、シャーペンの頭をとんとんとつつきながら笑った。「悪いものでも拾って食べたんじゃない?」
 周囲の男からは地味な子だと言われているが、その仕草は茶目っ気があり可愛らしい。
「なんだなんだ、お前ら知らないのか」
 二人の間を割って入るように、男子生徒がやってきた。
 悠斗と同じ男としては、少々声が甲高い。パーマのかかったぼさぼさの頭に、眼鏡を野暮ったくかけている。名前は西門浩二《にしかどこうじ》という。悠斗や端田と同じクラスメイトだ。
「知らないのかって、西門くん何か知ってるの?」
 悠斗がたずねる前に、端田が不思議そうに訊いた。西門は話したくてたまらないという風に、くっくっくと笑いを噛み殺しながら、小刻みに肩を震わせている。
「アイツら、昨日誰かにブチのめされて全員病院送りにされたらしいぜ」
 驚いた端田は目を見開いた。
「西門くん、それホントなの」
 西門は真顔で頷く。
「こんな面白いニュース、嘘つく必要がないじゃん」
「それ、いつの話なんだ?」
 悠斗は椅子から立ち上がって、身を乗り出した。それに同調するように、西門が一歩下がる。
「オ、オレも朝刊で呼んだとこまでしか知らないぞ。駅前のそばに百貨店ビルがあるだろ、あそこの裏通りの空きビルの一つに、昨日の晩、救急車が来たって記事には書いてあった」
「えー、わたしあの辺りよく通るんだけどなあ。もしそれがホントなら、ちょっと怖いかも」
「だから嘘じゃねえっての!」
 言い争いをはじめた二人をよそに悠斗はふらふらと教室を出た。


 柴倉たち不良一派が来ていないことに一度はほっとしたが、彼らの身に起こったことを考えると、胸の内に疑念がふつふつと沸いてくる。
「どうも話が出来すぎている」
 というのが結論だった。
「誰と誰がデキてるって?」
「うひゃぃ!」
 耳元へ吹きかけるような囁きに悠斗の声が跳ねた。
 とっさに飛びのいて振りかえると、見知らぬ女生徒がいた。
 ゆったりと撫でおりた髪は腰まで達しており、悠斗と同じか少し低いくらいの背。そして平均基準の端田とくらべて、体の曲線が真新しいセーラー服にくっきりとできている。黙っていても、思わず目が釣られてしまうような人だった。
「オーバーね。でもまあ、いつもと違って新鮮な気分だから悪くないわね」
 女は組んだ手の片方を頬に添えて、にっこりしながら悠斗を見ている。
 やることがいちいち艶かしい。こんな子なら、他クラスであっても知らないはずがないのだが。
「あんた――」誰だよ、と悠斗が最後まで言う前に、女の頭上から声がした。
「おい、あんまり余計なことをするな」
 腹の底から出るような低い声に、見上げると女の後ろに大男が立っている。角ばった顔に似合った角刈り頭が硬派な印象を与え、その屈強な体を支える肩幅は悠斗の倍くらいあるように見える。
「なに、もしかして妬いてるの?」
 首をかしげ、女は楽しげな口調で笑いかける。しかしそれに反応をみせることなく、男は悠斗を一瞥すると、悠斗に背を向けるかたちで離れていく。
「わかったわよー」
 女は残念そうに男の後ろについていく。まだ呆気にとられたままの悠斗に一度向き直り、(またね)と唇だけ動かして小さく手をふった。


 長い廊下を通り過ぎ、階段を上る。予鈴の鳴る少し前に、悠斗は開かれた屋上に来ていた。端のほうまで歩いてみると、グラウンドでは体育実習の準備に追われている生徒の姿が見えた。今は椅子にじっとしていられる気分ではない。もとより教室をでたときから、次の授業はサボるつもりの悠斗だった。
「こんなとこに居たか。探したぞ」
 しばらくして、西門がやってきた。
 今日はやけに絡んでくるな、と悠斗は思った。クラスが同じだが、そんなに仲が良かった記憶はない。
「端田がしつこいのなんのって。真面目ぶってるけど、怖がったりするのは意外に女の子らしいや」
 肩をすくめ、少し嬉しそうに語る。
「授業はどうした?」
「オマエにちょっと聞きそびれたことがあってな」
 ずんずんと悠斗の間近まで歩いて来ると、
「唐橋、オマエなにもんだ?」
「なんのことだよ」
「とぼけんなよ。もしかしてアレか? オレがさっきまで話してたことも忘れたのか?」
 教室で話していた、柴倉たちがケガをした話のこと言っているのだとわかった。
「お前、まだ何か知ってるのか?」
 舌打ちと、悠斗が地面に膝をついたのは同時だった。殴られたと気づいたときには、腹部に激痛が走っていた。
「質問を質問で返すんじゃねえよ。これだから……」
 西門は頭を掻きながらぶつぶつと呟いている。
「聞いてんのか? なあ、オイ」
 痛みにむせている悠斗の前に屈みこみ、気だるそうに話しかける。見た目こそ普通の生徒だが、そこらの不良よりよっぽど堂に入っている。
「覚えて……ねえんだよ……クソ野郎が」
 状況を掴めない悠斗だったが、悪態だけはすぐに口をついて出た。
「じゃあその欠陥だらけの頭をスイカみてーにぶち割ってから、もう一度聞こうか」
 西門の気配が遠ざかる。やがて、からからと金属音を引きずりながら戻ってくる。
「端田」
 からからと鳴る音が、止んだ。
 無言で両手を広げ、目の前に端田が悠斗を庇うように立っている。どうにか立ち上がり、金網のフェンスに体をもたれながら、悠斗は彼女の後姿をみた。
「端田さん、告白ならあとで聞くから、ちょーっとそこどいてもらえるかな」
 教室で見せていたフランクな調子そのままに、西門は手を合わせて頼んでいる。その手に鉄製のパイプを持ったまま。
「できません」
 いつもと喋り方が違う。悠斗には、端田の表情はうかがうことができない。
「あっ、そう」
 抑揚を欠いた口調だった。そこに障害はないかというように、西門は再びこちらに向かって歩を進める。
「あなたはまだ、西門浩二なのですか」
「はは、どこからどうみてもオレは西門浩二そのものだろ。バケモノにでも見えるか?」
 嘲るような乾いた笑いを引っ込めると、西門はおどけてみせる。今度は端田がくすっと笑い、
「質問に質問で返すな。そう言ったのはあなたですよ」
 言われて、西門は急に立ち止まった。空いていた手で顔を覆い、隠し切れていない口元が弧を描くように歪んだ。
「ひひひ、こりゃ一本取られたな! いいねえ、そういう言葉遊びも嫌いじゃない。そうか、アンタは知ってるんだな」
 そして顔から手を離すと、あとを続けた。
「アンタが言うように、オレは西門浩二じゃない。いまごろ本物は家でぐっすり寝てるだろうさ」
「危害は加えてない、と」
「理由がない」西門は頭を横に振って、あっさり言った。「あいにくオレはそのへんの味噌っかすな同類たちと違って、考える頭がある。物の本に書いてあったぞ、『郷に入っては郷に従う』ってな。迎合するつもりもないが、別に人間が食いたいわけでもない。腹が減ってればそのへんのジャンクフードで済ませたほうが、よっぽどうまいもんが食える」
「それなら、どうして唐橋さんを」
「それがオレにもよくわからないんだよな」鉄パイプで自分の肩を叩きながら、西門はぼやく。
「気まぐれに助けてやったは良かったが、ソイツを見てるとどうもイライラしてくる。本能的な勘ってヤツかな。昨日はあの不良《バカ》どもに八つ当たりしたから収まったんだけどなあ。まぁ、だからブン殴る。よくわからないものはまず潰す、脅威の排除ってやつ。オマエらがやってることと同じ、な!」
 語尾を強めると鉄パイプを背後の扉にむけて放り投げた。
「知恵が回るというのは、どうやら本当らしいな」
 そこにはさっき悠斗が見た大男が、無表情に鉄パイプを受け止めていた。
「これが噂のラルヴァのデミヒューマン? 予想以上に普通でがっかり」
 大男の背後から、女がひょこんと顔を出している。大男と一緒にいた女だ。
「おそらく今は人間に擬態している状態なのだろう」
 大男のほうはゆっくりと西門に近づいていく。
「オイオイいいのか? こんなトコで暴れたら困るのはオマエらのほうだろ」
 西門は特に焦った様子はなく、自然な問いを口にする。
「残念でした。今日はこの学校は休校になってるのよ。あなたと、そしてそこにいる彼を誘い出すためにね」
 それまで黙っていた悠斗は声を張り上げた。
「だからなんで俺まで! ……それに休校っつったって、学校に生徒は来てるじゃないか!」
 今も下からの風に乗って、グラウンドを走る生徒の声や、歌声が聞こえている。
「つまり、こういうこと」
 女は笑みを浮かべながら指をパチンと鳴らす。すると、悠斗は自分の周囲に防音壁が建てられたかのように、今まで活気のあった声や、周囲にあった生活音というもののすべて消えた。「リアルな幻でしょ。あたしの力はこういうことが得意なの」
 西門が感嘆を漏らす。
「すげーな。まったく気がつかなかった」
 同時に悠斗の目の前にいた端田の姿が一瞬ぼやけ、見知らぬ女生徒が立っていた。ゆえに悠斗は西門以上に驚かざるをえなかった。女生徒は西門に告げる。
「そもそも、今朝の時点であなたが喋っていた情報は、まだ報道機関には伏せられていたんですよ。事件現場で目撃された唐橋さんと西門さん、どちらがイレギュラーな存在か見定めるまでは、公に出すつもりはありませんでした――大道寺さん!」
 端田だった女生徒が、はっとして鋭く言った。
 大道寺、と呼ばれた大男は、その巨体に見合わない速さで、音もなく西門に向けて突進していた。
 次々に飛んでくる拳を、西門はのらりくらりと後退してかわしていく。
「舞は下がってろ」
 昇降口の扉に立っていた女に、顔もむけずに言う。
「天ちゃん、手助けは?」
 西門はそこで自分がフェンス際に押しやられているのに気がついた。
「必要ない」
 暴風のような大道寺の右の拳が、西門の頭を打ち抜いたかと思われたとき、西門は左手で受け止めた。そのまま大きく踏み込むと、それを払い流した勢いで右肘を大道寺の顔面に命中させた。
 大道寺は体が浮き上がりそうになるのを堪え、表情は不動のまま西門に再び掴みかかる。
 西門は大きく跳躍した。およそ人間離れした軌道をもって、昇降口の上――舞のいる3メートル頭上の貯水槽に着地した。
 悠斗たちをゆっくり見下ろし、余裕のある笑みを浮かべた。しかしそれも束の間、なんの前触れもなく貯水槽が爆発した。寸前で飛びずさった西門の喉に、重力を受けて落ちるはずの水の飛沫が集合し、うねる水の大蛇のように襲いかかった。


「ひー、おっかないねえ」
 芝居がかった調子で言ってはいるが、悠斗の目にもその声が震えているのがわかった。
 水の槍は西門の喉へ狙いを捉えたままぴたりと静止し、西門もまた、そこに見えない足場があるかのように、宙に浮いたままの膠着状態だった。
「トドメを刺さないのか」
 西門の視線は、悠斗の前にいる女生徒にむけられている。大道寺も舞も、同様の意思を持った色が、瞳にありありと浮かんでいる。
「ずっと防戦一方で、どうして力を使わなかったのですか?」
「殺そうとすれば、オマエらも殺しにかかるだろ」
「手を抜いていたの?」
 舞が驚いたように声をあげた。
「きひひ、お互い様だ」
 西門の答えに、苦い顔で大道寺は黙りこむ。
「わたしたちの学園ではあなたたちラルヴァを分類するとき、大きく3つに区分しています。一つは知能、二つ目に危険度、三つ目に強さ。ここで重要なのは知能、次に危険度です」
 女生徒は西門を見上げて言う。「あなたは人に近いレベルの知能を持ち合わせ、かつ直接的な害意はない」
「近いレベル、じゃない。オレのほうが一等級上だ」
「名前は?」
 西門の断言を聞き流しながら、女生徒はたずねる。
「サイテ。アンタは?」
「水分理緒《みくまりりお》」
「リオか。端田は地味な女だったが、アンタは結構な上玉だな。それに肝っ玉も太いときた。縁があれば、次会ったときはお茶でもどうだ」
「その言葉遣いを直してきたら、考えてあげますよ」
 考える間もなく、理緒は言い切った。
「そりゃ無理な相談だ」
 ひひ、と笑うと。サイテに突きつけられていた水の槍がみるみるうちに凍りついた。氷の大結晶となったそれは、みしみしとひずむ音を発したのち、砕け散った。
 そこにサイテの姿はなく、声だけが青空にこだまする。
「唐橋ィ! さっきは悪いと思ってるが、やっぱオマエも悪いわ!」
 夏の激しい陽光を取りこみ、いくつもの氷の欠片は冬の日差しと違った輝きを見せる。冷気の混じった微風は心地よく、直下から、校舎のチャイムが鳴り始めた。理緒は手を後ろに組むと、しばしの銀幕の雨に目を細めた。舞は大道寺の腕にしがみつきながら、何やら楽しげにはしゃいでいる。
「意味わかんねえよ! 一発殴らせろこのバケモンが!」
 音にかき消えないよう、悠斗はありったけの恨みをこめて叫んだ。
「そんだけ威勢があれば大丈夫だ。じゃあな、匂いつき!《スティンカー》」
 鐘の音は続く。何度も聞いた響きが、今日は腹に痛い。


 三人は学園に指定された転送地点で、時が来るのを待っている。
「ねえねえ天ちゃん、『匂いつき《スティンカー》』って何?」
 弥坂舞は自分より頭二つも背の高い大男、大道寺天竜に訊ねる。この近寄りがたく口数少ない大道寺を天ちゃん、というのは幼い頃から付き合いのある舞だけが使う呼び名だ。大道寺は目を閉じ、頭の資料をそらんじるように答える。
「ラルヴァのバイオリズムを狂わせる波動を生み出す力のことを言うそうだ」
「つまりどういうことよー」
 大道寺の言葉のあとを理緒が引き取った。
「つまり、『匂いつき』という意味をそのままに、その場にいるだけでラルヴァを不快にするんですよ」
「犬にタバコ、猫にハーブというわけだ」
「へぇー。だったら唐橋くん、ラルヴァ除けにぴったりじゃない。それがなんで襲われてるの?」
「大抵のラルヴァは『匂いつき』の近くに寄ったりはしないのですが、一定の耐性――ここではサイテのような上級を指しますが、力のあるラルヴァは逆にその存在を排除しようとする行動が多いようです。理由はまだわかりませんが、昨日なんらかの因果で、わたしたちのような力に目覚めたんでしょう」
「本人は記憶がないと言っていたが、異能をその身に宿したとき、一時的に記憶を失ったりする話は稀にあると聞く」
 三人の周囲を青い光が包みはじめた。学園で転送能力を持った生徒が力を行使しているのだろう。
「水分、唐橋の処遇はどうするつもりだ?」
「時期が時期ですから、夏休みにでも学園で話を聞いてもらって、転入の話はそのときにでも」
「それにしても、デミヒューマンかあ……ラルヴァも色々といるのね」
「あ、わたしが報告するまで他の人に言いふらさないでくださいね。一応機密の高い事例ですし。それに」
「面白い土産話は自分でしたい、というところか」
 図星をさされた理緒は、いたずらを見つかった子供のように照れ笑いを浮かべた。


 -了-



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