【桜の花が開くまで 第二章 02】


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ラノで見る(01の最初からになります)

 桜子が家に戻ると、玄関には鍵がかかっていた。まだ聡実も帰っていないらしい。買い物か何かで時間がかかっているのだろう。
 鍵を開けて家に入り、二階にある自分の部屋に行く。のろのろとボタンがすっかり無くなったブレザーを床の上に脱ぎ捨てると、桜子はばったりとベッドの上に倒れ込んだ。身体が重くだるい。
 そのまま桜子は暫くじっとしていた。
 どうしてこんな事になったのだろう、と改めて思う。
 突拍子もない話をいきなり聞かされて、気がつけば、ずっとその為に勉強して、なんとか合格した志望校に進学するのではなく、東京の名前も知らない学校へ行く事になってしまった。そしてその理由が、わたしに何かの『資質』とやらがあって、『鬼』を呼び寄せるからだ、という。県庁の人や警察の人がいきなりやってきた。そして、そこに師範もいた。そういえばパパの会社の社長さんがどうとかも言っていた、気がする。なにしろ自分でも何がどうなっているのかよくわからない事だ。瑞穂にわかれというのが無理だったのかもしれない。
 ただ、それにしても、瑞穂が投げつけてきた言葉は桜子には衝撃的だった。
 あの子は何を考えていたんだろう。ずっと親友だと思っていたし、なんでも話した、――今回の事は別だが、殆どどんな事でも普通に話をしていた。瑞穂もそうだと思っていた。
 しかし、今日桜子が見た瑞穂の姿は、いつも桜子が見ていた、大人しくて気が弱くて流されやすく、自分の方が悪くなくても、とりあえず「ごめんなさい」と言ってしまいがちな瑞穂の姿とは違っていた。あんなに怒りを爆発させた姿を見たのは桜子ははじめてだったし、何より――、
 (――面白くないんでしょう、あたしなんて! 今までだってそうだった!)
 (――ずっと前から知ってたよ!)
 瑞穂の言葉が頭から離れない。
 わたしは瑞穂と一緒にいたのが面白くなかったのだろうか?
 瑞穂は何を知ってたんだろう?
 桜子にはさっぱりわからなくなった。そもそも本当に友達だったのだろうか。自分がそうだと思っていただけ。あるいは自分がそうだと思いこもうとしていただけ。そういうことだったのか。
 気がつくと目から涙が溢れ出ていた。
「あ――」眼鏡が涙で濡れている。レンズに涙の水たまりが出来ていた。桜子はティッシュボックスを探して、眼鏡を拭いた。そうしている間も涙が止まらなかった。悲しいという気分もどこか虚ろだったが、涙はそれでも流れ出てきて、桜子の頬をぬらした。
「止まらないな――、駄目だこれ――」
 桜子は階段を下りて、洗面台に走っていった。そして思いっきり水を出して、顔を洗う。勢いが強すぎて、白いブラウスにも水飛沫がかかった。二度三度ゴシゴシと洗ってから顔を上げて、自分の顔を鏡で見てみる。
 酷い顔だった。自分で思っていたよりもずっと悲しんでいる様に見える。まずい、と思った。聡実が家に帰るまでこんな顔をしている訳にはいかない。
 もう一度顔を洗い直して、前髪が落ちてこない様につけている白いカチューシャをつけなおす。髪にブラシも掛けた。これならなんとか誤魔化せるかも、という感じに見えた所で、桜子は洗面所から離れた。
「はあ」
 自分の部屋に戻った桜子は、ベッドの上にへたり込んだ。疲れた。何をする気もしない。だが猛烈にさびしかった。誰かに会いたいと思ったが、思いつかない。親にも会いたくない。師範にも会いたくない。瑞穂にも――、今は会いたくなかった。由希は――、由希はどうなんだろう?
 桜子は脱ぎ捨てた制服のポケットから携帯を引っ張り出して、由希に電話を掛けてみた。
 何度かコール音が鳴った後に由希が出た。
「遅いよ」開口一番これだった。
「え?」
「え、じゃないよ。今何時だと思ってる?」
 桜子は慌てて時計を見てみた。現在、午後の三時半。正午になる前には卒業式は終わったはずだった。
「もう打ち上げは終わる所ですよ、部長」カラオケでもやっているのか、わいわい騒いでいる声が聞こえてきた。音楽と誰かが歌っている声が聞こえている。恐らくは後輩の誰か。
「あ、ああ、そっか。そうだよね――、わかった。じゃあ、みんなにもよろしく言っておいて」桜子はそう言ってから、携帯を切ろうとした。
「ストーーップ!!」携帯から由希の声が響いた。
「なっ、なに? 何か用?」驚いて聞き返す。
「諸葉、今切ろうとしたでしょ?」
「そうだけど――」
「ちょっと待っててね。切っちゃダメだよ。そのまま待ってて」由希はそれだけまくし立てて、話を切った。
 桜子は携帯に耳を近づけた。音がしない。多分、マイクのあたりを手でおさえているのだろう。
 そのまま待っていたが、あまり待つ必要もなかった。
「おまたせー。諸葉さ、今どこにいるの?」由希の声が聞こえてきた。喧噪は聞こえてこない。カラオケだとしたら部屋を出たのだろう。廊下かトイレか、そこはわからないが。
「家だよ。それが?」
「じゃあさ、ちょっと出ておいでよ。他の子は知らないけど、あたしはここで抜けるから」
「楽しんでたんでしょ。悪いよ――」
「あたしの話聞いていましたか、部長。打ち上げは終わる所なんですよ」
「あ、ああ――」そうだった。ここ数日は調子が崩れっぱなしになっている。
「実はちょっと聞いて欲しい話があるんだよね、部長に」由希は桜子の事を『諸葉』と呼んだり、『部長』と呼んだりしてる。何かを押しつけたい時はほぼ例外なく『部長』と呼ぶのが由希の常だった。
「話? 今日じゃないとダメなの?」
「うん、ダメ。それじゃ、待ってるね。場所は――」桜子の家からちょっと離れた所にあるファーストフード店だった。自転車で行けば十分もかからない所である。由希の家にも遠くなく、桜子も由希も二人だけで遊ぶ時や下校途中によく利用している場所だ。最近はそういう事も少なくなってきていたが。
「あのね、由希。あたしはまだ行くって――」
 桜子が言いかけた所で携帯は唐突に切られた。
「全く――」桜子は少しムッとした。リダイヤルして掛け直す。コール音が一度鳴った所で由希が出た。
「由希、わたしは――」
「来なさいよ。来ないと絶交」絶交という言葉に桜子はドキリとした。そして電話はそこで切られた。
 桜子は携帯を手に持ったまま、しばし憮然としていた。それから、はあ、と小さく息をついて立ち上がる。
 絶交か。瑞穂とはあんな事になって、由希は冗談だろうが、絶交とか言い出す。いつもならば気にもとめない言葉だが、今日の桜子には文字通り重くのしかかった。絶交は流石に困る。とても困る。
 電話をしたのは失敗だったかも知れないと思いながら着替えをする。あまり人には会いたくない気分だった。さびしいとは感じたが、出かけるのは億劫だった。剣道部で練習したり、尚正の所で稽古をした後よりも身体がずっしりと重い。
 黒のフードパーカーと茶色が基調のチェックのスカート。それにやはり黒いハイソックス。とりあえずこんなものでいいだろう。
 玄関に腰を下ろして茶色のショートブーツを履いていると、玄関のドアが開いた。
「ただいま」聡実だった。「あら――、今から出るの?」
「うん、わたし今からちょっと出てくる」
「もう空気も冷たくなってきてるわよ。風邪引かないようにしないと」
「大丈夫。ちょっと友達と待ち合わせしてるだけだから。多分すぐに帰ると思う」コート掛けからハーフコートを取って着込む。
「そう――、あまり遅くならない内に帰ってきなさいよ」
「うん、わかってる」
 外に出ると確かに空気は冷たくなっていた。日の光も弱くなっている。
「ホントだ。寒い――」桜子はブルッと身体を震わせて、自転車を出しに行った。

「遅い」
「急いできたんだよ、これでも」
「みたいね」由希はすまして言った。
 ファーストフードの入り口からちょっと離れた所に由希は立っていた。黒いダウンのハーフコートにジーンズ、黒のスニーカーを履いた由希は、パッと見た感じ少し華奢な男の子に見える。
「話ってここでするの?」桜子は周りを見回した。
「もちろん中だよ。財布持ってきたんでしょ? 行こ」由希が身振りで促す。
「でも――」
「でもじゃない。さっさと入るの。行くよ」
 ふう、と桜子は溜息をついた。店の中に入ってしまった由希の後を追いかける。
「さて、何にするんですか、部長は」カウンターの前で由希が聞いてくる。
「わたしは別に。そんな食欲無いし」
「あたしはお腹空いちゃった。だから食べる。って事で、部長おごって」
「なんで?」
「副部長に後輩を任せて放置した。そのペナルティですよ、部長。ついでに言えば、あたし今苦しいし。カラオケ行ってきたから」
「ふう」痛い所をつかれてしまった。「わかった――、でもあまり高いものにしないでね。わたしもそんなに余裕無いし」
 結局、由希が頼んだのはエビバーガーセット、ポテトはLで。飲み物はコーラ。桜子も同じものを頼んだ。ポテトはMだが。食欲など無いと思っていたが、実際に注文する段になって、お腹が空いている事に気がついたのだった。朝食を食べたきりで、今まで何も口にしてなかった。
 店の奥の窓際の席が空いていた。そちらに移動して、向かい合って座る。
「とりあえず食べてからにしようよ」
 由希はそういうとバーガーにかぶりついた。桜子も食べた。いつもと何か味が違う。あまりおいしくないというか、油が少し気になる。ただ、お腹は空いていたのは一口食べた所でわかった。ぼーっと噛みしめながら食べた。ふと目を上げると、目の前に座っている由希がじっとこっちを見ている。もう食べ終わったらしく、指の先にフライドポテトを挟んでいた。
「どうしたの?」
「どうもしないよ。お話は食べ終わってから。ま、ゆっくりどうぞ」
 由希はそう言ったが、なんだか待たせるのも、ここに長くいるのも抵抗があり、桜子はコーラで流し込むように無理矢理バーガーを喉の奥に流し込んだ。
「で、話って何?」
「急がなくてもいいのに」
「急いでないわよ、わたしは。話があるって言うから来たのに」
「じゃあ言うけど――。今日の諸葉、ちょっとおかしくない?」
 そんなことない、と言おうとして、桜子は黙った。
「卒業式が終わった後もなんか暗かったしね。みんなも『今日の部長ちょっとヘンだったね』って言ってたんだよ。で、気になって呼び出してみたら――」ふー、と由希はわざとらしい溜息を漏らした。懐に手を入れて何かを取り出した。黒い二つ折りのプラスチックケースにおさまったコンパクトミラー。「はい、これ。自分の顔見てみなよ、諸葉」
 桜子は手渡された小さな鏡の中を覗き込んでみた。目が少し充血してる。まぶたのあたりもやや腫れぼったい。
「諸葉のショボい目と違ってあたしは目はいいですから。何かあったの? あの子と」
 どうするべきか桜子は迷った。瑞穂みたいな事になるかも知れない。でも、そうじゃないかもしれない。整理して考える事が今の桜子にはとても難しかった。
「ま、言いたくないら黙っててもいいけどね。余計な事まで聞く気もないし。でもさ、やっぱりか、って思ったよ」由希は窓の外に視線を向け、フライドポテトをつまんで口に放り込みながら言った。「ただね――、後輩達、残念がってたよ。顔だけでも出して欲しかったんじゃないかな。諸葉になついてたからね、みんな」
「どうだろう? うるさい部長だと思ってたんじゃないかな――」
「そこも間違いないね。ガミガミやってたし。ただ、諸葉に憧れて剣道部入っちゃいました、って子がどれだけいるか知ってる?」由希は桜子の方に視線を向けると、ニヤッと笑って見せた。
「そんなのいるの?」はじめて聞く話だった。
「いるの、じゃないよ。例えば、今野。あの子がまず代表。他にもいるよ?」
「留実ちゃんが?」桜子は今野留実の日に焼けた小さな顔を思い浮かべた。「ホントに?」
「ホントに、じゃないよ」由希は桜子の口調を真似て言い返すと、フーとわざとらしい溜息をついた。
「そうそう、そういえばさ、あの子、瑞穂ちゃんって言ったっけ?」由希はいきなり話題を変えた。
「え、ええ。そうだけど」
「聞きたくないって言ったけどさ。あれ、ウソ。実は聞きたいんだ。あの後何があったの? あたし達とわかれてから」由希はちょっと身を乗り出すようにしてそういうと、そのまま桜子の耳元まで顔を近づけて小声でささやいた。
「実はあの子とおつきあいしてたとかそういうオチは無しだよ?」
 おつきあい? おつきあいって? 確かに瑞穂とは友達だけど、おつきあい? もしや――、
「由希ちゃん!」桜子はつい声を張り上げた。周囲の客の何割かが桜子達の方を振り向く。
「声大きいよ、諸葉」由希はふてぶてしい態度で桜子をたしなめた。「恥ずかしいって」
「そんな事はありません! 絶対に無い!」桜子は声を気持ち小さくしつつも、強い口調で言った。いくら何でも酷い。そういう目で見られていたのだろうか。
「まあね、諸葉がそういうのは信じるけどね。相手はどうだかわかんないよ?」
 相手がどうだかわからない。
 今の桜子の胸にその言葉はズシリと響いた。身体から力が抜け、自然に頭が垂れた。何故だか目からまた涙がこぼれそうな感じがしてきた。
「あ、あ、冗談だから、諸葉。そこで落ち込んだりしちゃ困る。今のは冗談です。ねっ? ここで泣いちゃダメだよ? それはダメ」うつむいて肩をふるわせはじめた桜子を見て、由希が慌てた。
「――泣いて、ないよ」そう言いながらも桜子の目から涙がこぼれはじめている。
 由希は焦って、ダウンコートのポケットをあちこち探りハンカチを取り出す。
「はい、これ。ちゃんと拭いて」桜子は顔のすぐ前に差し出された由希のハンカチを手にとって、涙がとまらない自分の目に押し当てた。流石に恥ずかしいという気持ちはあった。しかし、なかなか止まらない。
「はー、やっぱり、今日の諸葉はヘンだよ」やれやれという感じで椅子に腰を座り直した由希は、飲みさしのコーラの紙コップを手にとって口に含んだ。「とりあえず話聞かせてもらうわ。一体何があったの?」
「話って――」
「そもそもあんたがそんなに辛気くさい様子になった理由だよ。何かあったんでしょ?」
「――うん」桜子はどうしようかとやはり迷ったが、何かに抵抗するのも疲れた。それにいつもと変わらない由希の態度に気持ちがさっきよりは落ち着いてきているのも感じていた。由希は剣道部の仲間に自分の進路変更がある事も話しておかなければ、と考えていた事も遅ればせながら思い出した。
「聞いてくれる?」
「聞くって言ってるでしょ? そもそもその為に呼び出したんだよ、あたし」
「じゃあ、えーと――」桜子はぽつりぽつりと言葉を選びながら話し始めた。
 『鬼』の事などは話せない、刃がついてない模造刀で巻き藁を切ったとか、そういう事は言えない。結局、桜子が由希に話した内容については、瑞穂に言った事とあまり変わらなかった。突然、東京の学校に行く事が決まった事、東筑摩高等学校に行けなくなった事、そして入学辞退ももうすまして締った事、春からは竹上市を離れて一人で寮生活になるだろうという事。
 桜子が話す間、由希は多くは黙って聞いていた。時々、「それで?」と促したり、相づちを打ったりする程度でこれといって大騒ぎする様子は無かった。落ち着いて話を聞いてくれる由希の態度に桜子の気持ちも徐々におさまってきて、ずっとどこか靄がかかったような感じだった思考も少しずつはっきりしてきていた。
「――、という事」桜子は話し終えた。
「それで終わり?」由希は念を押した。
「うん。終わり。というか、一応終わり。ちょっと色々と言い辛い事が多くて」
「聞きたい、って言ったら困る?」
「困るよ」桜子は苦笑した。
「それなら、今は聞かない。」今は、を強調して由希はそういうと、いきなりおかしそうにクククと笑った。
「なによ?」
「いや、瑞穂ちゃんが怒って泣いて走って去った、って言ったでしょ。ああ、そりゃあ無理もないな、って思って。確かにあの子じゃ泣いちゃうかも」
「なんでよ?」桜子にはさっぱりわからないのだが。
「あたしはあの子苦手だよ、ぶっちゃけた話ね。嫌いってほどじゃないけど、仲良くしたいとか、話をしたいとかそういう風には思わない。あ、これ貰うね」由希はそういうと桜子のフライドポテトに手を伸ばした。「ただね、なんでそういう事になったのかは、もう凄くよくわかる。もういかにもって話じゃない」
「わたしにはわからないよ」桜子は憮然として言った。物事が何か自分と関係ない所で動いている気がした。自分だけが蚊帳の外にいるような変な感じである。
「ま、そうでしょ。高校にしたってさ、東筑摩に行くって言いだしたのはそもそもどっちなの? まず間違いなく諸葉だろうけど」
 桜子は記憶を探った。どうだったろう。そういえば中学二年の秋頃にそういう話を瑞穂にしたような記憶がある。その後、瑞穂の希望進路も同じだって話になって――。
「まさか」
「まさかじゃないよ。頑張ってたんでしょ、大好きな友達と同じ高校に行く為に。笑っちゃいけないんだろうけどさ――」由希はクツクツ笑いながら、とうとう最後の桜子のフライドポテトも食べてしまった。「一生懸命頑張って、なんとか目的を果たしたのに、諸葉が『いけなくなったの。ごめんなさい』じゃ怒るよ。これは確かに泣ける」
「でも、そんな事で進路を決めるなんて」
「親が反対する訳無いじゃん。あの子ならどうせ進学校に行くんだろうし。あたしはウチの花屋継ぐ事になるだろうし、勉強嫌いだからそうはしないけど。でもね――」由希は少し改まった様子になって続けた。「ウチの事情が無くてさ、好きに行く学校決めてもいいし、って事で、ちょっと頑張ればなんとかなるかな、って成績だったらあたしもあの子と同じ事したかもよ?」
「由希が?」
「かも、だよ。かも。でも、そんな所だったんじゃないの? 瑞穂ちゃんとしては」
「そんな。それに由希の想像でしょ?」
「確かにただの想像かも知れないよ。でも、そうじゃないかなー、ってあたしは思った訳。今日だってね、諸葉の角度からは見えなかっただろうけど、あたし達とあんたが話してる時、凄いさびしそうだったし」
「そうだったの――、の?」桜子の気分は少し軽くなったが、反面何か落ち着かなくなってきていた。
「そうだったのでした。『あたしの桜子ちゃんを取らないで光線』を浴びせかけられれば、そりゃすぐに解放するしかないでしょ。ねえ、桜子ちゃん?」
「わかった! もういい。大体わかったから――」桜子としては居心地が悪い話だった。
「わかったならいいのよ、部長。後は瑞穂ちゃん関係は自分でやって。――でも、東京か。いいなぁ。しかも一人暮らし」
「一人暮らしって言っても、寮だよ。一人部屋かどうかはわからないんだけど」
「そっか。さびしくなるなぁ」由希はそういうと、ふーと溜息をついた。「ああ、でもあたしは後回しだったんだな、諸葉的には。瑞穂ちゃんが優先だったんだな」
「ちっ、違うよ、それは違う」桜子は慌てて言った。「そういう事じゃなくて」
「わーってるよぅ。言ってみただけ。とりあえず難問解決しましょう、みたいな感じ?」
 桜子は肯定も否定も出来なかった。が、ある意味では当たっていた。瑞穂がああなってしまった事については、確かに漠然とした予感があった事は間違いない。
「うん。まー、そうだよね。それはそうとさ、他の部の連中にはどうするの? 言わなくてもいいかな、って気はするけど、一応ね」
「それは――」桜子は迷った。何をどこまで言っていいものかわかりづらいというのが、こんなに面倒なものだとは思わなかった。
「じゃ、あたしが決めてあげる。みんなには折を見てあたしから話す、って事でいいかな?」
「うん。そうして」桜子はホッとした。確かに由希はいつでも頼りになった。こういう時ですら。
 ここに来て桜子は一気に気が抜けた。なんだか肩の荷が下りた気がする。完全に下りた訳ではないにしても。
 くたっとなって背もたれに寄りかかる。
「嬉しそうだね、諸葉」
「嬉しいっていうか、ちょっと気が楽になったよ」来てよかったと桜子は思った。
「あんたのクラスの連中でこの事知ってる人いるの?」
「先生は知ってる。後は瑞穂くらい。他の人には言ってないよ。あれこれ聞かれたりするのイヤだったし」
「なるほどねー。つまり、諸葉が東筑摩に行かないって事を知ってるのは、先生と瑞穂ちゃんとあたしだけって事?」
「校長先生とか他の先生方は知ってる人もいるだろうけど。他には多分いないと思う」
「そっか」由希は苦笑した。「じゃ、こっそり消えるんだ」
「そ。ドロンってこの竹上市からいなくなる訳」軽口を叩く余裕もいつの間にか出てきている。
「それで消えるのはいつ?」
「まだわかんないよ。でも、四月前にはそうなると思う」
「じゃあ、諸葉が東京へ行っちゃうまではあたしも知らなかったって事にしておこう」由希はニヤッと笑って言った。「で、消えた後でメールか電話貰った事にして、酷いねー、ってあんたを薄情者にする事にするよ」
「薄情者なのか――」桜子の首ががっくりと項垂れる。
「その方が話が簡単でしょ。後でフォローも入れておくから。何か事情があったんだよ、とか。それとも出発する前にふれ回って欲しい?」由希はにやにや笑いながら言った。
「それは――、困る」正直な所、一々言い訳をする羽目になったりするのはすっかりイヤになっていた。
「じゃあそうするね、諸葉」
 その後、桜子も由希も暫く黙っていた。桜子はすっかり消耗していたし、由希も何か考えているのか、あえて話をしようとはしなかった。周囲の喧噪が、逆にちょうどいい感じで間を持たせてくれていた。
 気持ちは少し楽になった桜子だったが、瑞穂の事については、少し何かわかってきたよう感じになった事で、ちょっと前のような感情の濁流こそ無くなったものの、別の意味で少し心配になってきていた。
 もしも由希が言ったような事が少しでも瑞穂の気持ちの中にあったのなら、それは確かにショックだったのかもしれないと思う。桜子自身は、瑞穂が別の高校に進学すると言っても残念と思う気持ちがあったとしても、それで自分の進路を変えたりするという事はおよそ考えられない。剣道をやり始めた事も、尚正に誘われて道場に通うようになった事も、高校をどこにするかについても、桜子は誰かがいたからとか、あるいはいなかったから、とかそういう事で決めた事は覚えている限り一度もない。
 だが、冗談交じりではあったが、目の前にいる由希も瑞穂の気持ちがわかると言った。桜子にはさっぱりわからなかったのだが。それに他にも気になる事を言っていたような気がする。はっきり思い出せないのだが。
 瑞穂とはずっと友達だと思っていた。だが、あんな風な瑞穂の反応は漠然と予感していたかもしれないが、やはり予想も出来なかったし、なによりもあんな一面を見たのははじめてだった。そして、由希が思っていたよりもずっと頼りになる事も今日はじめてわかった気がする。卒業式の日になって――。
 桜子がぐるぐるとそんな事を考えていた最中、
「ねえ、諸葉」由希が唐突に口を開いた。
「なに?」
「外さ、もう暗いよ。どうする?」
 桜子は外を見てみた。窓の外はすっかり暗くなっていて、車のヘッドライトや赤いテールライトが目立っている。たまに通りかかる自転車も多くがライトをつけていた。桜子は携帯を取りだして時間を見てみた。午後六時ちょっと前。もうちょっとしたら完全に夜になるだろう。
「帰らなきゃ――」桜子は腰を浮かせた。すぐに戻ると聡実に言ったのを思い出したのだった。
「うん、思ってたよりも長居しちゃったね。あたしも帰る」そう言って、由希も立ち上がった。
 二人は使ったトレイを片付けてから店を出た。
「由希は自転車?」
「ううん。今日は歩きだよ。どっちにしてもたいした距離じゃないしね」
 由希の家の自宅兼店舗の松岡生花店は、駅前通り商店街からちょっと脇道に入った所に店を構えている。確かにここからなら目と鼻の先と言っても良かった。
「そう。それじゃ気をつけて帰ってね」
「あたしに言われてもねえ。諸葉こそ気をつけて帰ってよね」
「ん、うん――」ごもっともであった。

 桜子が家に帰ると、既に六時二十分を回っていた。
「ただいまー」
「おかえり。遅かったわね」キッチンの方から聡実の声が聞こえた。
「パパはまだなの?」ショートブーツを脱ぎながら返事をした。温かいが脱ぎにくいブーツなのだった。
「そうみたいよ。それと、手が空いてたら御飯の準備手伝って欲しいんだけど」
「わかった。ちょっと待ってて、ママ。着替えてくる」
 桜子はブーツからどうにか足を引っこ抜くと、洗面所に回って、手洗いと鵜飼をした。
 キッチンからは香ばしい臭いとパチパチとはぜる音がテレビの音に紛れて聞こえてきた。天ぷらか揚げ物かフライか、なのだろう。
 二階に上がって桜子は部屋着にしているジャージに着替える。乱雑に脱ぎ捨ててある制服を見て、由希に呼び出されて部屋を出る前はかなり参っていたのを実感した。脱ぎ捨てられた制服を拾い集めてて畳みながら、あらためて由希に感謝する。あのままこの部屋にいたなら、きっと今でも落ち込んでいたままだろう。担任の中川梓から貰った名刺も取り出しておいた。これは持っていこうと思う。
 その時、机の上に置いた携帯から着信音が鳴った。手に取ってみてみると、瑞穂からだった。
 メールを開封してみると、ただ一言、
「ごめんなさい」
 とだけ、書かれてあった。
 桜子は「気にしてないよ」とだけ書き込んで返信した。後でちゃんとしたメールを出そうと思う。
 瑞穂からメールがあった事は素直に嬉しかった。だが、その反面、わかってくれたのかなあ、とも思う。由希はああだったが、瑞穂はまた違うだろうし。
 そう、ウーンと考えていると、下から聡実の声がした。
「さくらこー、まだなのー?」
「今行くよ、ママ」
 桜子が部屋を出た直後、携帯から着信音がまた鳴った。
 しかし、急いで階段を下りていた桜子はそれに気がつかなかった。



第三章につづく

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
色々な意味で卒業編です。
自章からやっと双葉学園編(となるはず)です。
作中で本格的に活躍する登場人物も桜子ちゃん以外はこれから続々出る予定。
初期構想の段階での主人公は次から登場する事は確実です。
やっとここまで来た感じ。
PCとしての能力についてはまだ出してません。
三章と同時に出す予定です。予定は予定ですが。

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