【ある中華料理店店員の悲劇 前編】


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【ある中華料理店店員の悲劇 前編】







1.中華料理店 大車輪

「はいよ、レバニラ定食あがったよー!」

 週末の土曜日、時刻は正午を少し回った頃だろうか安くて美味くはないが量はあるをモットーとした大衆向け、いやどちらかと言えば貧乏学生御用達の中華料理店「大車輪」は今日も大盛況だ。
学食の量では餓えた腹を満たすことが出来ない新陳代謝多目の運動部系学生達が午後への活力を得ようと必死にレンゲを口へと運ぶ様は、本当にここが飽食の国日本だとは思えないほどのもの。
清水の舞台下にいると言われた餓鬼すら引きそうな程にがっついている学生達に食料を提供している俺もまた、そんな一生徒だったりするんだが。

「ああ、畜生どもめ! 俺も腹減ってるってのに何でおまえらに先に飯食わさなきゃいけないんだよ」

空きっ腹を抱えつつ、中華料理特有の火力重視のガスコンロを前にして左手で鉄鍋を振るう。
時折熱されて弾け飛んだ油が左手を容赦なく焼くが、それに関して文句言ってちゃ中華は作れない。
中身が飛び出さないように注意しながら右手のお玉で熱が均等に伝わるようにかき混ぜると、香辛料と素材の焦げる良い匂いが鼻から脳を直撃した。
その途端に恨めしそうに胃袋が抗議の声を上げる。

「ううう、我慢だ。 我慢しろ俺!」

客室にはヒンヤリとしたクーラーの冷気が伝わり、その中で汗を流しながら美味そうに飯を頬張る客達がいる。
それとはまるで対照的に、キッチンの中熱気に包まれて流す汗も乾ききり空きっ腹を抱えながら更に鍋を振るっていく。
ああ、俺は今頑張ってるよなぁ……なんて自分で自分を慰めつつ。
そうしないとやってらんねぇしな。

「はいよー! お次チャーハンあがったよー!」

右手のお玉で鍋をなぞる様に一回転。
チャーハンがお玉一杯に詰まり、そこに皿を被せるように載せてひっくり返す。
そしてそのまま形を崩さぬように気をつけながらお玉を上に抜くと、綺麗に半球状のチャーハンの完成。
うむ、自分の仕事ながら見事な出来だ。
胃袋がまた一度切なそうな声を上げているのがその証拠だろう。
普段ならすぐにホールの奴が引き取りに来るんだが、この盛況ぶりの中こちらまで手が回らないと見える。
入っている注文のうち、自分に割り振られている所での料理が無いのを確認すると。

「……しょうがねぇなぁ」

第一に空きっ腹の目の前に美味そうなチャーハンを置いておくのは俺にとって非常に目の毒であるため。
第二に同じく空きっ腹を抱えつつ俺よりも先に腹一杯になるために待っている客畜生のため。
本音はずっと鉄鍋を振るっていた左手が悲鳴を上げていたから。
俺はチャーハンの皿を持ってホールへと足を向けた。



暖簾のようにキッチンとホールを隔てるようにして掛かっているビニール製の仕切りを右手で払いホールへ出る。
ここは……天国だろうか?
火照った頬を冷やすクーラーの風に感動しつつ、周りを見渡す。

「てめぇ! 俺のから揚げ食いやがったな!」
「あぁ!? 一個くらい良いじゃねぇかよ、おまえも俺の餃子食ったくせに!」
「ばっかおめぇ! 俺はキチンと米とおかずの配分計算して食ってんだよ!
 あと、から揚げ一個と餃子一個だと単価どんだけ違うと思ってやがる!!」

前言撤回、筋肉至上主義みたいなゴツイ馬鹿どもが似たような話題で盛り上がり(?)つつ飯を貪る姿はまるで地獄のようだった。
つうか、原価数円の違いで喧嘩すんな馬鹿ゴリラどもめ。
口から米粒を飛ばすゴリラを横目に出来たチャーハンを指定のテーブルへを運んでいく。
ああ、さらば俺のチャーハンよ!

「お待たせしました! ご注文のチャーハン満貫盛りでー」

満貫盛りというのはうちの店でのチャーハンのサイズだ。
通常の倍程の量がある、さらにハネで3倍盛り、倍満で4倍盛り、そっからは想像してくれ。
ちなみに倍満なのに4倍盛りだということを知らずに二人前だと思って注文するヤツが週に2,3人は出る。
なんでこんな分かりづらい表記でやってるんだかなぁ。

「早く置いてくださいよ、お腹すいてるんっすから」

ああ、しまった現実逃避してた。で、

「またお前か」
「客に向かってお前とは客商売失格っすね、店長呼ぶっすか?」
「性根の腐った外道巫女めが、悪魔みたいなやつだよお前は!」
「仮にも神道系目指してる人が”悪魔”は無いと思うんすけどねー、チャーハン早く置いてくださいよ?」

こんなヤツに俺の丹精こめたチャーハンは食われるのか……
奥歯が軋むほどに深く歯を噛み、無駄な労力を使うのは今ではないとすぐに緩め。
僅かばかりの反抗心を皿を机に置く時に多少音がなるように込め、ニヤニヤと性根の曲がりきった顔でこちらを見る一つ下の後輩へとチャーハンを差し出した。



 俺の名前は拍手 敬(かしわで たかし)、苦学生である。
実家が傾きまくった地方の神社で、跡継ぎになる為にここ「双葉学園」へと勉学に励むため上京してきた。
京都の方にも良い学校はあるのに何故東京にまで出てきたかと言うと、非常に面倒なことに俺が魂源力と呼ばれる物を僅かながらでも使うことが出来るかららしい。
あまりに田舎なせいか、高校に入るまで一度も検査を受けなかったのが発覚が遅れた理由らしい。
そりゃ、故郷の村には病院どころか小さな個人の診療所が一軒あるだけだったしな。
魂源力とやらがある学生は優先的に「双葉学園」へと集められ、能力を伸ばし、鍛錬し、あるいは普通の学生と変わらぬ学生生活を送る。
が、当たり前だがそんな生活にも当然金が必要となってくるわけだ。
衣は学生服が支給されるので問題ない、食もまぁ学食のチケットがほどほどには支給される。
問題は住とその他の雑費と学食で足りない食費だ。
生徒数の多いこの学園では裕福な生徒は月にそこそこの金を支払って寮に入る。
個室で割りと良い感じの寮だ。
対して金の無い学生が入るのが通称スシヅメと呼ばれる狭っ苦しい数人で一部屋の共同寮である。
こっちに来てすぐの時にバイトもせずに勉学に励んでいたら、あっさりと金が尽きて共同寮に落とされた事がある。
なんていうか、その、地獄だった。

何で連中裸で歩き回るんだよ! ちょ、パンツからキノコが生えるってどういうことよ!?
今でも鮮明に思い出せる、あの腐海のような住処。
ええ、それはもうトラウマが残るくらいに。

それ以降は故郷の知り合いからのツテで今いる中華料理店でバイトさせてもらって何とか元の学生寮に戻ることが出来ている。
学食で足りない分の食事もまかないとして食わせてもらっているし店長様様だ。



 そして、目の前で俺の魂のチャーハンを美味そうに食ってる外道。
神楽 二礼(かぐら にれい)、高校一年で一つ下の後輩だ。胸がでかい。
一度も染めたことが無いだろう黒のストレートヘアーを腰の後ろの辺りで赤いリボンを使って留めている。
よくある巫女さん御用達の髪型だ。それもその筈、俺と違って都内のそこそこ有名な神社の跡取り娘で本職の巫女らしい。顔も綺麗と言うよりは可愛い部類に入るだろう、黙っていればかなり人気が出そうな外見をしている。胸もでかいし。
しかし、そんな外見とは全く逆で内面は恐ろしいほどの性格の悪さ!
バカだろうけど、こっちが悔しいが同じくらいバカなので程度が合うのか俺の堪忍袋の尾を何時も程よく刺激してくれやがる。
入学早々に風紀委員長に憧れたとかで、現在見習いとして日々木刀を振るっては被害者を出している。
仮にも巫女としてそれはいかがなものか、と一度注意したのだが。

「大丈夫、刃物じゃないからセーフセーフ」

と笑顔でのたまいやがった。
きっとこいつは人を殴るのが大好きなドSか何かなのだろう。
あまりに見かねてその後、

「神道は別に刃については禁止されて無いぞ、あと人はそんなもんで殴ったら死ぬだろ。
 というか巫女として、いや人としてどうよ?」

と言ってしまったのが運の尽き。
我ながら変なやつに関わってしまったと思う。胸はでかいが。
それ以降、俺が僅かでも神道から外れたような行動を取るたびに、

「神道に関わるものとしてそれはどうなんっすかねー?」

と意地悪そうに笑いながらこちらを注意してくる悪魔になりやがった。畜生め。



 不意に、腹がまた軽く鳴いた。
そりゃ目の前であれだけ美味そうに飯食われちゃこっちの腹も減るわなぁ。
次の注文も入っているようだし、馬鹿は勝手に飯食ってろとキッチンに向かって踵を返そうとしたが

「あ、ちょっと」
「チャーハン運んだだろ、何か追加注文でも?」
「スープ、付いてる筈なのに持ってきてもらってないんすけど?」

ぐあ、と思わず口から声が漏れた。
うちのメニューは米系にはスープが無料で付くのを忘れていたのだ。
振り返った先では、頬にチャーハンのものとみられる米粒をつけながら外道巫女がニヤニヤとこちらを見上げていた。





 壁に備え付けられた古ぼけて、中華料理店特有の油で少し黄ばんだテレビが午後二時を告げてきた。
客足もようやくまばらとなり週末特有の忙しさもどうやら過ぎ去ったようだ。
ホールの方を見渡せば僅かに客はいるものの、空席が大半を占めている。
さっきまでここで飯を食っていた連中は今はお日様の下で思う存分汗を流していることだろう。気持ち悪ぃ。
従業員用のロッカールームで油の飛んだコックスーツを脱いで制服に着替える。
余った材料で勝手に作った自分用の賄いをもってホールへ足を進めた。
今日のメニューは俺特製具の少ないチャーハンと火力の調整を誤って少し焦げた野菜炒め、残ってたスープにサラダ。
貧乏学生が食うに相応しいメニューだ、泣けてくる。
しかし、チャーハンは俺が丹精こめて作った一品だし余り物ゆえ無料で食える。
無料、うん、素晴らしいことだ。
店は余り物の処分に困ることは無いし、俺の腹も膨らむ、飯代もかからない。一石三鳥だ、全く持って素晴らしい。
まだホールとキッチンの境部分にあるカウンターで鍋を振るっている店長に一言挨拶を入れて適当な席へと座る。
午前の授業の4限目を自主休校として鉄鍋を振るっていたせいで、ずっと腹が鳴り続けている。
正直今なら白米をおかずに白米を食うことも出来そうだ。
とりあえず、喉の渇きを潤すために水を一口。割り箸を手にとって、さぁいただきまー

「あれ、今からご飯っすか?」

顔を横に向けると、外道巫女が美味そうに冷えた杏仁豆腐を口に入れながらこっちを見ていた。
固まるこっちをよそにレンゲで白い杏仁豆腐を切り分け、掬い、口に運ぶ。

「んー、やっぱここの杏仁豆腐は美味しいっすねー」

本当に美味しそうに食うなこいつは。
それに、うちのはアーモンドエッセンスじゃなくて本当に杏仁使ってるちゃんとした杏仁豆腐だからな。
そこらのスーパーで売ってる紛い物と一緒にされちゃ困る……って、

「なんでお前まだこの店にいんのよ?
 チャーハン出してからもう1時間半以上たってるじゃねぇか」
「風紀委員の仕事としてこの地域を軽く一周してたらデザートの杏仁豆腐食べ忘れてたから食べにきただけっすよ。
 何? もしかして、仕事終わりを待っててくれたとか思ってるんすか?
 もてない男は想像力が逞しいっすねー」

食べ終わった器を軽い音を立ててテーブルに置くと、腕組んで恐ろしく自分勝手なことをのたまいやがった。
無駄にでかい胸がさらにでかく強調される。ちくしょう、俺の中では今の順位は性欲よりも食欲なんだ、誘惑すんな。

「そんな事更々思ってないわ、この性悪巫女が!
 ……いただきます」

故郷の母さん、俺、少しだけ嘘つきました。



神道主義だからって、肉食えないのはつらいよなぁ……なんて思いつつ肉の入ってないチャーハンの最後の一口を咀嚼する。
肉は入ってないが、その代わりに豚のラードを使っているから香りだけなら普通のチャーハンと変わらないんだけどな。
皿に米粒一つ残っていないことを確認すると、すでに置いてあった箸の横にレンゲを並べ水を一口。

「ごちそうさまでした」

両手を合わせ体の一部となってくれる食物に感謝の言葉を述べ、油物を口にした時特有の喉の渇きから改めて水を一口啜る。

「で、おまえさん何してんのよ?」

キッチンに持っていく為に食器を重ねながら何故かテーブルの向かいで頬杖突きながらこちらを見ている後輩に問いかける。
面倒くさいとは思うがどうせついでだと、向かいにある杏仁豆腐の皿をとってこちらの食器の上に重ねた。

「何って、隠れて肉食ってるか確かめてやろうと思ってただけっすけど?」
「最悪だなお前! そういう自分は細切れチャーシューたっぷり入ったチャーハン食ってた癖に!」
「うちの神社は肉食禁止じゃないから問題ないっす」
「くそっ半端に古い実家がうらめしい」

150年くらい前に肉食が解禁されてそれ以降に出来た神社は肉食OKだったりする。
この肉食巫女の実家は分社した時に解禁したそうで、肉食ったからそんなに胸でかくなったのだろうか。宗教豆知識だね。
キッチンに食器を運ぼうと腰を上げたら、店長が話しかけてきた。

「おーい、敬よーう」
「あ、はいおやっさん何ですか?」
「客もひけたしちょっとタバコ買ってくらぁ、店番頼んだぜぇ」
「あい、分かりましたー」

独特のダミ声を響かせながら店長が店の外へと出て行く。
他の店員達も昼の休憩に入ったり上がったのだろう。
ふと見れば何時の間にやら店内に残っているのは俺と二礼だけのようだった。ああ、二礼=外道巫女な。

「おまえさん、パトロールとやらはどうしたんよ?」
「暑いからこんな時間に外出たく無いっす」

俺がキッチンに向かった為か、土曜の午後のつまらないバラエティーを垂れ流すテレビに視線を向けてぼーっとしている二礼が応える。
確かに外の気温は上がりっぱなしで何もしないで日陰にいても汗をかくだろう。
でも、それとこれとは別だ。

「おい、それで良いのか風紀委員」
「まだ見習いっすからねー、特権特権」

いや、普通は見習いこそ昇格目指して頑張るものじゃないんだろうか……?
釈然としない気持ちを抑えつつ、流しの中、水の張ったタライへと食器を放り込んだ。







2.双葉研究所所属運搬トラック

 目が覚めたとき、ソレは暗い箱の中にいた。
下からは軽い振動と人工物が奏でる音が聞こえてくる。
ソレは単純な思考しか持たないため、今の自分の状況を把握するなんて出来なかった。
ただ、自分の身が何か良く分からない物で動けないようにされ、光も通さない箱の中に入れられているというのは分かる。
軽く身を捩るが、戒めはびくともしない。
二度、三度と体をゆする。動かない。
四度、五度と体をねじる。動かない。
六度、七度と体をゆらす。動かない。
この時点で単純な思考しか持たないソレは、我慢の限界に達していた。
自分を束縛する現状に不満しか持たなかった。
しかし、なんという偶然だろうかソレが怒りに任せて体を捻ったのと同時
箱の外ずっと続いていた軽い振動が不意に大きな振動となり重なった。

ピシッ

暗い空間に響く僅かな音と共にソレを束縛していた戒めの一部に亀裂が走る。
それを見たソレは大きな目を歪ませて笑った。



 学園都市双葉区へと繋がる唯一の橋をトラックが進む、サイズは何処にでもありそうな2t程のトラックだ。
背部、銀色に鈍く光るコンテナには鮮やかな緑で描かれた双葉の若芽の上に「双葉研究所」の文字が黒で書かれている。
表向きはただの科学研究所のようなものだが、その実人類にとっての脅威となりえる存在「ラルヴァ」を解析、解明して少しでも有利に被害を減らすことを目指す研究機関である。
そこへと向かうトラックの荷台に積まれた物、それはとある遠方で捕獲され研究のために輸送されるラルヴァそのものだった。
特殊な薬液で眠らせ固定し、慎重に慎重を重ねて運ばれるべきものだったのだが。
運搬を続ける方はあくまで一般人なのだ、これは異能者に低年齢の者が多く車を運転できる年齢に達していないものがほとんどだという事が理由として挙げられる。
そして、一般の「人」である以上どうしても完全ということはありえなかった。
遠方の地方都市から都内にある双葉区への運送、しかも荷物は凶悪なラルヴァとあれば普段よりも集中せねばならない。
結果、精神を擦り切らせながら二交代制で運転を代わりながらベテラン運転手と中堅まであと少しというほどには技術を磨いた若手が何とかここまで運んできたのだ。
ようやく着いた人工島、思わずハンドルを操るドライバー達にも気の緩みが出ていたのだろう。
そこに偶然に道路の未整備部分、深さ10cm程の舗装の切れ目をトラックが走ってしまったのだ。
車体が激しく上下した。若手ドライバーの運転ミスである。

「馬鹿やろう! 気を抜くんじゃねぇ!」

ベテラン運転手が後部のコンテナの中を確認すべく座席裏の格子窓から様子を探る。
……大丈夫、異常は無い。
コンテナに積まれている厳重注意の一辺が50cm程の気味の悪い箱はピクリとも動かずに鎮座している。
思わず背を伝った冷たい汗に、知らずの内に止めていた息を吐き出す。
あの程度の揺れで壊れるわけは無い、そう納得する。
今までも似たような段差を踏んでの衝撃はあったんだ、今回も大丈夫だろう。
助手席から外を見渡すと週末の午後だからだろうか、普通の車よりも高めの窓からは街を闊歩する学生達が見える。
後少し走れば目的地の研究所だ、今回も無事荷物を運ぶことが出来た。
ラルヴァの存在自体は機密になっているが研究所の職員である自分達も運んでいるものの危険度は理解している。
自分の年齢を考えるともうそんなに何度もこの仕事を行うことは出来ないだろうと考えながら、ふと、運転席の方に目をやってベテランは目を疑った。
運転席の計器の中、定期的に操作して打ち込まなくてはならない薬物が運搬物に打ち込まれていないと警告が出ていたのだ。

一体何時からだ!? 

再度ベテランの背中に冷や汗が走る。
前回は自分が捜査し打ち込んだはずだ。
時間を逆算する。
既に打ち込まなくてはいけない時間を15分は回っていた。
マズイ、何がマズイのかは分からない。
ベテランとはいえ荷物はヤバいものとしか説明は受けていない。
だから、この薬物を打ち込まなかった場合どうなるかも当然聞いてはいない。
自分達はただ「指定されたものを指定された時間までに指定された場所まで運ぶだけ」なのだから。
その際に薬物投与を行うという事と手順の説明だけを受けて、運搬しているのだ。
そして長年の経験と背を伝う冷たい汗から自分がどれだけマズイ状況下にあるのかを咄嗟に判断し。
若手を叱る時間すら惜しんで、震える手で薬物投与の手順を打ち込み叩きつける様に最後のボタンを押し込んだ。

…………大丈夫、背後のコンテナからは異音は一切発せられていない。

急に慌てて操作盤をいじりだしたこちらに驚いた顔を向ける若手を睨み付けながら大きく息を吐き出した。
こいつは研究所に到着したら何発かお灸を据えてやらなければなるまい。
念の為、目視での確認と精神的な安堵を得るためにもう一度コンテナとを繋ぐ窓に手をかけ開く。

目が合った。

格子窓越しに、こちらの顔との距離は僅かに50cmも無いだろう。
黒い何かがその格子窓のほとんどを占める大きな目でこちらを見ていた。

「キシィィィィッ」

口のようなものが見当たらないのに何処から音を発しているのかは分からない。
とにかく、ベテランがそれを目にして出来たことは……叫ぶことだけだった。
自分の理解の範疇を超えた何かにこちらを見据えられ、全身の毛という毛が浮き立つ。
若手が何事かとこちらを向いて、同じように何かに見据えられて叫び声を上げる。
結果、ハンドル操作を誤ったトラックは道を外れ。


中華料理店へと正面から突っ込んでいった。







3,崩壊した中華料理店

 ふと目を覚ます。
……目を、覚ます?
いやいやいや、俺さっきまでキッチンで洗い物を終えて、それが終わったから二礼が杏仁豆腐もう一個くれっていうから「太るぞ」とか「営業時間外なんだけどなー」とか思いつつ結局もう一度キッチンに向かうことになって。
作ってるところを見たいっすーとか言いながら恐らく、いや絶対その本心は杏仁豆腐の分量かさ増しを狙ってキッチンに入ってきたであろう外道巫女との無言のバトルが繰り広げられていたはずでーって、

「う、うええええ!? うご、ゲッホゲホ」

何時の間に寝たのかも分からない、とりあえず埃だらけになった体を払って身を起こす。
狭い筈の店内は見える範囲は粉塵と瓦礫の山、そりゃ変な声も出るわ。
あと、空気悪すぎだ。ちょっと口あけただけで喉が砂っぽい。
とりあえずの応急処置としてハンカチを口に当てる。
配電線が切れてるのか、外はまだ明るい3時前だっていうのに舞い散る埃のせいか視界は薄暗い。
電球が割れているのだろう、時折電気が弾ける音に混じって狭い視界の向こうから小さく光が見える。
程近い場所では水道管が破裂したのだろうか、水が跳ねる音も聞こえる。

何があったのか、いや「何かがあった」んだろうけど見当もつかん。

視界が悪すぎて完全に手探りで進まないとどうしようも無い。
とりあえず、変な破片で手を切らないように慎重に辺りを探る。
数回空を切った手が、何か柔らかいものに触れた。
指を押し込んでみる……ふにふにとして柔らかい。

OK、落ち着け俺。

目が覚める前、俺の近くには誰がいた?
応えは簡単、あの胸と態度だけはでかい外道巫女だけだ。
つまり! この手が! 触れているのはーっ!!

「う、うぅぅ……」

瓦礫の中で響く低い唸り声。
誰、このおっさん。
年の程は50くらい割とガッチリとした体形のおっさんの、しかし年の衰えは隠せない二の腕を俺は揉んでいた。揉んでいた。

「泣きそうだ」

俺の期待していたのは、もっと! もっと! 違う神秘的な物だったはずなのに! 酷いよ神様!
まぁ、嘆くのは後にしてこのうつ伏せに倒れこんでいるおっさんをどうにかしないと。
とりあえず謎のおっさんをうつ伏せから仰向けになるよう引っ繰り返し、両脇に手を入れて上体を起こさせ抱きかかえる。
おっさんがこっちの首に両手を回すような形になった。
ちくしょう、何が悲しくておっさんなんぞを抱きかかえなきゃいけないんだ。
もし視界がハッキリとしていて、今の状態を見ることが出来るならおっさんと俺の熱い抱擁シーンが見て取れるだろう。

……本気で泣くぞ俺。

目の端が潤むのはきっと粉塵だけのせいじゃない。
おっさんの位置が安定するように数回揺すり、頭の中で店の間取りを思い出すと店の入り口よりも近い裏口へと向かう。
キッチンからだと数メートル普段だと数歩の距離が、重いおっさんと視界を埋め尽くす粉塵のせいでかなり遠く感じられる。
一歩、一歩、確かめるように後退する。
自分の体重よりも間違いなく重くて背も高いだろうおっさんを胸に抱きながら前進は無理だ。
背負った方が良いのかもしれないが、何の補助も無く気絶中のおっさんから手を離すとどう考えても地面に頭をぶつけるだろう。
初めに抱き上げた時に抱き起こすんじゃなくて背負うべきだったよなぁ、これ。
今更言っても遅いんだけど……ああ、息が上がる。
ただでさえ、体力は何とか人並み程度なんだ。人一人抱えて歩くとか無理すぎる。
頭がぼーっとしてきたところで、背中が固いものに触れた。
なんとか振り返ると見覚えのある鉄製のドア。裏口だ。
おっさんごしにドアノブに手を伸ばし捻る。

「くっ! あれ……? ぐっ!!」

おかしい、押して開けるはずのドアが開かない。押しても引いてもうんともすんとも言わない。
引いても開かないのは当たり前だっつうの。
結論から言うと、この惨状の衝撃を受けたのか歪んだ裏口のドアは壁に嵌りこみ開かなくなっていた。
おいおい神様、俺あんたの為に肉も食わずに頑張ってるってのにこの仕打ちかよグレるぞチクショウ。
今から表に回るか?
冗談、近い方の裏口にくるだけで肩で息してる状態だってのに今更表に回るなんて無理無理。
じゃぁ、どうするか?

「まぁ、出来ることをするしかないわなぁ」

おっさんが頭を打たないようにゆっくりと下に降ろしていく。
幸いなことに足元に瓦礫は少なく、中華料理店ゆえ油ぎってねとねとする床がおっさんの頬に触れる。
気絶していても気持ち悪いのか唸るおっさん。やかましい。
粉塵が舞っているので、大きく息を吸うのは無理。
正直余りやりたくないけどしょうがないよな。
制服、ブレザーの首元を緩めて肌と服の間にある僅かな空気を吸う。

「うぇ、自分が原因とはいえ汗臭ぇなやっぱり」

だけど外の空気よりかは幾分マシだ。
吸って、ゆっくりと息を吐くを数回繰り返すと息の乱れも収まった。
首元に添えていた両手を離して、手のひらが下になるようにして腰の前へと持っていく。
息は吸ったままだ。
そしてゆっっっくりと腹の下、丹田と呼ばれる部分にあたる場所へと意識を集中しながら吐き出す。
吐く息とともに丹田から何かが湧き上がってくるイメージを持て、故郷の師範の言葉が頭に思い出された。
湧き上がった何かが全身に浸透していくのを感じつつ、下に向けられていた手のひらをそっと開かない鉄扉に添える。
次いでイメージするは螺旋の動き、足の指、足の裏、足首、膝というように全ての間接の動きを連動させる。
動きは腰を通り、背骨を抜け、肩を経由し、肘、手首、そして手のひらへー!

「ハァッ!!」

渾身の勁が鉄扉に叩き込まれる。
同時、鈍い音を立てながら開かなかった扉は止められていた蝶番を引き剥がすようにして店の外側へと弾け飛んだ。
鉄扉が発頸の衝撃で歪んだまま動き回り、あたりに鉄が硬いものに当たった時にあげる特有の甲高い音を撒き散らす。
発勁を打った後の残心をときつつ、裏路地に顔をだす。
新鮮とは言いがたいが、汗臭くも粉塵が舞っている訳でもない空気は美味かった。

「あー、今更だけど誰もいねぇよな?」

聞きつつ路地裏を見渡すが、特に人影は無い。
普段からそんなに人通りのあるような道では無いし、こちらも緊急時だったとはいえ鉄扉が当たった人がいたら傷害事件に成りかねない。

「誰も……いないな」

よし、とひとりごちてから粉塵が外へと逃げ出す裏口を再度くぐった。
体の中から何かが抜けるような、虚脱感を感じつつ倒れたままのおっさんを引き起こす。
発頸使った後はいつもこれだ。だからこそあんまり使いたく無いんだが。
とりあえず、いくらか離れた位置に壁にもたれ掛からせる様におっさんを座らせると裏口に戻る。
中にはいけ好かないが巨乳の外道巫女が倒れている可能性があるからだ。

「よし、もし気絶してたら揉みしだこう」

それで良いのか神道。いや、おっぱいは崇高なものだ。
きっと神様も納得してくれるだろう。
自分でも勝手だとは思うが相変わらず細かい粉塵が飛びまわる空間に戻るんだし、それくらいの役得はあっても良い筈だ。
しかし、とドライアイスを水につけたときに出る煙のように路地裏に出てくる粉塵を見てふと思う。
大分古い建物だけど、昔問題になった石綿(アスベストとかいったか?)じゃねぇだろうな?
いや、この島出来たのそんなに古くはないからこの建物の見た目が古臭いだけか。
……深く考えるのは止めておこう。
入ってゴールまでいけばおっぱいが待っているんだから。

「待ってろおっぱい!」

己に活をいれるようにして叫ぶ。
うん、これは良い。
人間目的意識が無いとダメだなやっぱり。おっぱい!

「何を卑猥な発言してるんっすか、風紀委員として逮捕しますよ?」
「……うぇ?」

粉塵の中から出てくるのは見慣れた外道巫女。
埃に塗れて何時も手入れしてそうな綺麗な黒髪は汚れ、頬には埃が汗に溶けたのか黒い汚れとなってこびり付いている。
その肩にはさっきのおっさんと同じ作業服を着た30くらいの男性が寄りかかっていた。
こちらもおっさんと同じで気絶しているようだが、担ぐのに楽になるようにするためだろうか。
男性の左手が二礼の肩を通り、力が抜けたその腕がおっぱいの上に乗っかっている。

「てめぇ! それは俺のもんだぞ!!」
「訳分からないこと言ってないで、男なんだから手伝ってくださいよ!」

ああ、何時もの「~っす」が無いってことは大分疲れてそうだな。
さすがに俺も反省、ていうか発勁の為の錬気呼吸と粉塵の中おっさん担いで頑張ったせいでちょっと脳がおかしくなってるのかも知れん。
二礼と二人がかりで男性をおっさんと隣り合うように座らせた。
二人とも気絶しているだけのようだ、擦過傷での傷や打撲はあるようだが骨折や致命的な傷は負ってない。

「さて、とりあえずはこれで良しかな?」
「そうっすね、とりあえず現状把握しないといけないっすから行くっすよ」

マシな空気を吸って体力が多少回復したのだろうか、何時もの口調に戻った二礼が言う。
あれ、今何か聞き捨てなら無い言葉を耳にしたような……

「は? 行くって何処へ?」
「寝ぼけてるんすか? この中っすよ」

さも当然とでも言うかのように、二礼が吹き飛んで常時開店状態になった裏口を指差す。
いやいや、さすがにそんな体力も気力もねぇよ。
って、ああこら勝手に中に入るんじゃありません!

「ちくしょう、外道巫女が……!」

せめてもの対抗策として、制服(もう泥と埃だらけで洗って着れるのかなぁクリーニングどうするよ?)のポケット中からバンダナを取り出して口に巻く。
これで息するのが大分マシになるだろう。
それでもかなり憂鬱でやる気の出ないのはしょうがない。
中からは、

「何ちんたらしてるんすかー?」

という先輩を敬う気持ちが一切篭っていない後輩の声が聞こえる。
とはいえこのままここに突っ立ってるわけにもいかず。
危険な香りが漂う裏口から何時ものバイト先とは到底思えなくなった中華料理店へと、今日何度目か分からないが足を踏み入れた。










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