【ラルヴァの王様】


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  • 【ラルヴァの王様】




 私を乗せた黒塗りの車は、戸越で高速を降り、地元の人間からは、第二京浜《ニコク》と呼ばれる、国道一号線に入った。

 ほどほどに混みあった二国を五分ほど走り、信号で左に曲がった車は、真新しいゲートを潜って商店街を進んでいく。
 戸越銀座、広い商店街を抜け、細い道の左右は、アパートや下宿屋が立ち並ぶ、独身者や学生の居住エリアとなった。
 ベルリンのTake My Breath Awayは、昔ここに住んでいたヴォーカルのトム・ホイットロックが、戸越銀座への郷愁をこめて作った歌だという。
 一方通行が多く、道を一本間違えると、どんどん目的地から離れていくという、狭い道が果てしなく広がった一帯。
 戸越に隣接する馬込で、若い頃に運送バイトをしていたという運転手は、細い路地を何度も、器用に曲がりながら、ナビの表示する目的地に向かう。

 車は騒がしい学生街を離れ、昔からの小規模地主や商店主が住む、木造の一戸建てが不規則に並ぶ辺りへと差しかかった。
 私が目指す目的地の1km弱手前と、ナビで表示された位置で、車は車両通行禁止の標識とポールに阻まれた。
 車で行けるのはここまで、と両手を上げた運転手に、この辺で待つように指示し、私はアルミのアタッシェケースを掴んだ。
 黒塗り車の後部ドアを開けて、外に出た私は、携帯電話のナビに従いながら、花壇や自転車で散らかった路地を歩いて行った。
 冷房の効いた車から出てすぐの身には少々堪える初夏の陽気に、私はハンカチを取り出して、額と鼻を軽く拭く。

 私は並ぶ家々の中の一軒、手入れが行き届いているが、築三十年は経っていそうな二階建て家屋の前で、足を止めた。
 門柱の表札には「神」とある、ホームセンターで売っている、既製品の杉板表札が、神サマを主張している。
 ポケットから出したハンカチでもう一度汗を拭き、ひとつ息をついて周囲を見回した後、チャイムを探した。
 表札とは逆の門柱にあった、プラスティックが変色し枯化した呼び鈴を押すと、頼りない音が鳴り、しばらく待たされる。

 アルミの門から、5坪もないような狭い庭を挟んだ母屋の引き戸が開き、ランニングにゴルフズボン姿の老人が出てきた、軽く腰を屈め、こちらに頭を下げる。
 私は一礼して、家を囲う竹垣に色をあわせた、淡い茶色のアルミ門扉を開け、庭の敷石を踏んで、玄関に向かった。
 視界の隅に黒い影が走った、私は咄嗟に身を竦める、異能者に対して、それなりの権限を持つ私も、ラルヴァには無力。
 駆け寄ってきたのは、庭に放し飼いになっている黒い犬、私のズボンにまとわりついて、お客さんが来たことに大喜びしている。
 老人が「シッ!シッ!」と、追い払うと、犬はつまらなそうに背を向け、庭の隅にある犬小屋に入り、腹ばいで蹲りながら、舌を出す。
 犬は蹲りながら「あそんでくれないの?」と上目遣いでこちらを見たが、私が視線を逸らしたのを見て、蹲ったままアクビをし、眠り始めた。

 私の紺背広のズボンについた犬の毛を、かがみこんで払う老人を手で制すると、その老人は背を伸ばし、少々バツが悪そうな笑みを浮かべながら口を開いた。
 「ようこそいらっしゃいました、外は暑かったでしょう、どうぞ中へ」
 外見の年齢は70歳前後だろうか、痩せて頭もほぼ禿げ上がった老人は、言い忘れてたことを付け加えるように、私に告げた。
 「わたしが、ラルヴァのボスです」

 私は、現在世界中を脅かす未確認生物群、ラルヴァと言われる生命体を統括する、最高責任者と言われる、一体のデミ・ヒューマンラルヴァとの面会を行うこととなった。

 私は老人をもう一度観察した、バリカンで短く刈った髪はほぼ白くなり、頭頂部は無毛。肌はやや浅黒く、瞳は日本人標準の茶色、痩せているが貧弱な体ではない。
 ブロードウェイ歌手で俳優のサミー・デイヴィス・ジュニアが晩年、日本人になったなら、こんな姿だろうか、と思った。
 往来に面した門前で、自身の素性を明かした老人、その時、後ろの道路を自転車が通り、乗っていた老人が門の前、神の表札の前で止まる。
 自転車の老人は、「ジンちゃ~ん、戸越祭りの寄付金目録、持ってきたよ~」と、ラルヴァの老人に向かって声を上げた。
 たった今、ラルヴァのボス、と自称した目の前の老人は、私の頭越しに「悪いな、ポストに置いといて~」と声を張った後、
やはり言い忘れたように「オレ、祭りの日は五反田で透析だから、昼まで顔だせないよ~」と付け加えた。
 私の背後に居た自転車老人は「う~す、お客さん来てるトコで悪かったな~」と言い、そのまま自転車で走り去った。

 神という姓を名乗り、ボスと自称するラルヴァの老人は、突っ立ったままの私を見て、慌てて玄関の引き戸を開け、中へと招いた。
 私は招きに応じ、アルミのアタッシェケースを持ったまま、引き戸の玄関から中に入る、木枠の戸は少々ガタついていて、閉めるのに少し苦労させられた。
 家屋に似合わぬ、猫の模様のタオルスリッパを薦められたので、それをつっかけて、自分が履いてきた革靴を、タタキに揃えて置く。
 ラルヴァのボスが住む木造家屋の中、よく磨かれているが、さして高級そうでない木を張った廊下を、老人に従って歩いた。
 庭や廊下はよく掃かれ、拭きあげられているが、障子の桟には埃が少しつき、化粧タイルのタタキは濡れていた。
 濡れ雑巾でざっと拭いただけで、乾拭きをしていないらしき窓は、遠目には綺麗だが、雑巾の埃が日に透けている。
 独居老人が来客に合わせて、急いで掃除した痕を残す室内、家具はそれほど多くなく、特に目につくものも無い。

 家全体が醸す物なのか、微かに緑茶の香りが漂う短い廊下の奥に、日焼けし、いささかくたびれた畳の敷かれた、10畳ほどの和室があった。
 台所も兼ねた居間兼応接間、食器棚で仕切られた台所には、大きな冷蔵庫があり、独身の私の台所より、よく片付けられている。
 老人に招かれた和室の隅にある座り机、その上には少々型遅れなDELLのデスクトップPCが、待機の黒画面のまま止まっていた。
 私が事前に上司から受けた説明によれば、あの端末が、目の前で、和室の真ん中に置かれた淡い赤のデコラ張りローテーブルを拭き、
年齢の割りに壮健だが、年と共に曲がる腰には逆らえず、屈み気味の姿勢で、既に用意してあった座布団の位置を直している老人が、
 この地球上に存在するすべてのラルヴァを支配、指導する、ラルヴァの頂点、ボスである証だという。
 私はラルヴァを統べる者の薦めに応じ、座布団の上に正座した、老人は仏教の座禅位を安楽に崩した半跏趺坐で、私の向かいに座る。
 全世界のラルヴァからの情報を集約させていると聞いたデスクトップのディスプレイには、何枚かの付箋が貼りつき、
いくつかの走り書きされたメアドに混じり、「amzon11日振込み」や「おためしパック20日まで」というメモがあった。
 タワーの上に懐かし映画やワールドプロレスリングのDVDが置いてあるPCは、置物ではなく稼働していることだけはわかった。
 それにしても、介護者やソーシャルワーカーとの連絡に必須のPCは、今時、独居老人の家ならどこにでも置いてある。

 私が横目で観察していたPCが唐突に、メール着信を知らせるアラーム音を発し、PCの液晶画面が待機状態から、
さっき門前で見た犬の写真の壁紙へと変わった、安物PCでは未だ現役のwindows7、アイコンは一列に収まっている。
 老人は「失礼」とだけ呟くと、座り机の前まで正座のまま膝歩きし、PCの前で古臭い赤外線無線マウスを掴んだ。

 不躾ながら、これも諜報活動、私は視力を総動員して、ディスプレイに表示されたメールの文面を覗いた、老人は背中で隠す様子すらない。
 文面は、先日おすそ分けして貰ったという、すり身鱈のコロッケへの礼が述べられ、今度是非飲みましょうと、社交辞令で締めくくられていた。
 発信者は、私でも知っているラルヴァ組織の中でも最も過激なものの一つ、その実戦部隊を指揮する上級ラルヴァの名だった。
 老人はメールに目を通すと、PCを待機状態に戻して向き直ると、私が当然、盗み見をしている事を前提で、話を進めた。
 「仕事で唐津に行った知り合いから、たくさん送ってきまして、まだ残ってますので、いくつかお持ち帰りになりますか?」
 私は首を振った、ここで話が逸れては困ると思い、正座した私の横に置いたアルミのアタッシェケースから、2つの荷物を取り出した。
 ロックされたアタッシェケースを開き、中で緩衝材に包まれた、ガムほどの大きさのプラスティックと、革の本を取り出す作業をしながら、
私の頭は唐津、北九州近辺で最近起きたラルヴァ関連の事件を検索していた、たしか隣の伊万里市で異能者が数人死んだ、小規模な戦闘があったと思う。
 瑣末な考え事を切り上げ、私はデコラ貼りの折り畳みローテーブルに、一個のスマートメディアと、一冊のファイルを並べた。

 老人は私が無言で押しやったメディアとファイルを手に取り、体を伸ばして文机の上にあった老眼鏡をかけて、
漫画週刊誌ほどの紙が綴じられたファイルをめくった、老人の黒目がちな瞳が忙しく動く、その場での内容確認も、マナーの内。
 私が老人に渡したのは、東京湾に浮かぶ異能者養成学校、双葉学園の今年度学生名簿と、この1年の対ラルヴァ活動を記した報告書。

 日本政府のラルヴァ部署では、その存在すら確認されていない、ラルヴァの間でボスと言われるデミヒューマンとの面会を取り付けるため、
あるデミヒューマンラルヴァの大規模組織と交渉した時、日本政府の側から申し出た交換条件、それに係わってない私は詳細を知らない。
 老人はスマートメディアには目もくれず、お役所ではあまり見かけなくなった紙の書類に目を走らせていたが、やがてファイルを閉じ、顔を上げた。
 「貴重な情報に心より感謝いたします、わたし達ラルヴァと人間、双方の安寧に反する使用は決してしないと、お約束いたします」
 私は、そろそろ頃合だと思い、目の前の老人、ラルヴァのボスと自称するデミ・ヒューマンに、話を切り出す。
 暑い中で着続けていた背広の上着、胸ポケットでは、会話を録音し、針ほどのカメラから映像を撮影するレコーダーが作動していた。
 「まず」
 前置きを述べた私は背広の皺を伸ばし、ハンカチでもう一度汗を拭いてから、本題となる言葉を接ごうとした。
 ラルヴァのボスが、慌ててエアコンのスイッチに手を伸ばしたので、手で制すると、替わりと言わんばかりに麦茶を押しやった。
 薦めを断わるのはマナーに反する、グラスに水滴がビッシリついた、冷たい麦茶を一口飲む、もしも経口毒や自白薬、誘導剤が入っていたら、と思ったが、
 現状ではまだ、それは双方にとって得策ではないと思い、麦茶を飲み下した、末端の使い走りである私をどうこうしてもしょうがないだろう。
 少なくとも、冷房の効いたオフィスを出て、初夏の陽の下を歩いてきた私にとって、冷えた麦茶は喉の滑りをよくしてくれた。

 「私がどこの誰で、これから伺う事柄とどういった関連があるのか、その話は一切無しで、という事を確認させて頂きます」
 「承知しております、この暑い中をご足労頂きありがとうございました、車、停める所無くて、大変だったでしょう?」
 私を乗せてきた黒塗りの車は、戸越銀座の端にある、潰れた商店の更地に作られたコインパークに停め、待たせてある。
 ナビより道に詳しい運転手のお陰で、歩く時間は短縮できたが、デスクワーク者にとって、夏の徒歩十分はいささか汗が出た。

 冷たく芳ばしい麦茶をもう一口飲んだ後、私は今日、ここに来た目的である重要案件の確認へと移った。

 「お話を伺うに当たって、まず質問をさせて頂きます、あなたはこの日本と、世界各国の、全てのラルヴァを統べる王、ということでよろしいでしょうか?」
 ランニング姿の老人は、畳の上に半跏趺坐で座り、リラックスした様子で、一言だけの返答をした。
 「違います」
 私がここに来た理由、この老人への届け物、その交換条件となる情報の前提が、否定された。
 「はい」は「いいえ」「ある」は「ない」の官僚畑で生きてきた私には、その返答から表面的な言葉だけでない、複数の意味を感じ取った。
 何も言わず老人の目を見つめ、話の続きを促す。
 「わたしはラルヴァの王様などではありません、ラルヴァとしての、人間との関係構築から一線を退いた、雇われのデミヒューマンに過ぎません」
 この老人が言う関係構築とは、人間の殺害、捕食、居住地域の占拠、そして各国政府や非政府組織への侵食を指していた。
 「今回、我々のために貴重なお時間を割いて頂いたのは、その件についてです、ラルヴァを統べるボス、その存在の有無についてお話をお聞かせ下さい」

 老人は麦茶を一口飲み、教育TVの先生が伝承話を語るように、速くもなく遅くもなく、大きくも小さくもない明瞭な声で話し始めた。
 「この地球に太古の昔から出現し、99年以後、未曾有の急増現象を見せる、ラルヴァという生物が、時に複数個体で行動することをご存知ですね?」
 私は頷いた、ラルヴァの多くは群れを形成している、ビーストの群れから、組織の体を成したデミヒューマンまで、集団での目撃、接触例は、個体でのそれより圧倒的に多い。
 一種一体のワンオフ・ラルヴァや、異能者の養成、隔離施設や政府機関の結界に稀に迷い込む単体のラルヴァは、あくまでも少数例に過ぎなかった。
 基本的にラルヴァのほとんどは、複数で行動する習性を持っているという認識が、日本政府でラルヴァに専従する私の知っている範囲での情報。
 「細胞が集積して生物となるように、個という生物は、群れという大きな生き物になろうとする者と、単細胞生物の如く個を保つ者に別れます。
 そして、群れという、ひとつの生物に似た形態で行動をするようになったラルヴァが、この地球に多数の群れとして存在しています。
 その群れもまた、さらに大きな群れになることを望み、ひとつの大きな生物になろうとする性質を、側面のひとつとして抱えていることを、お解かり頂けますか?」
 私は再び、黙って頷いた、それは人間や他の生物と全く同じ、ゆえに人間は国家を作り、国家は分離や統合を繰り返している。
 「しかし、ラルヴァの群れの多くは、基本的には互いに干渉せず、交流せず、各々の思想や習性のまま、行動しております、基本的には」
 「基本的には?」 
 この老人はこれだけの長広舌を淀みなく、かつこちらが聞き漏らさぬ速さで、私が話の内容を飲み込む間を充分に取りながら、話し続ける
 最初は学者気質にも見えたデミヒューマン・ラルヴァ、それとは別、私達官僚が日頃、相手をしている、口のうまい連中に似ている。
 「この地球に出現した経緯の関係上、統率を取ることが非常に困難だった我々ラルヴァ集団の多くは、独自の行動を取り始めました。
 人間との戦闘によって群れが壊滅しても、別の群れへの被害を最小に抑えられます、武力行使という方法が破綻しても、交渉者その他の群は残る
 そして何より1999年以後の急増で、不安定な我々にとって最も危険な、頭を押さえられるという状況を回避できました。」
 人間に対して圧倒的に少数なラルヴァが、ここまで存続しているのは、生物学的には奇跡に近いという論文を読んだことがある。
 ラルヴァが人間を殺し、人間がラルヴァを殺し、それが急増した99年以後、ラルヴァの数は減少どころか増加しているという説もある。

 そして、急増したラルヴァが事実上、地球の中で、ある程度の場所を占めるようになって、20年の歳月が流れた。
 「組織が大きく、多くなれば、それらの組織が相互の連絡を求めるのは、知能の有無に関係なく、生物の自然な成り行きなのでしょう」
 老人はそこまで言うと、麦茶を一口飲み、私に向けていた視線を、窓の外、密集する住宅を眺めながら話を再開した。
 「我々が人間界に対して行っているのは、種の存続のためという弁護など意味を成さぬ、侵略行為です。
 武力によって侵攻する者、交渉をする者、相互不干渉を守る者、また己の衝動のまま破壊を為す者。
 わたしたちラルヴァにも、わたしを始めとしたデミヒューマンという、ほぼ人間に準じた知能を持つ者は数多く居ます。
 デミヒューマンは戦争を知っています、ここではお話できない経緯、そして、人間世界における戦争記録の調査で」

 双葉学園の学生最高執行部である、醒徒会委員会には、軍隊から来た異能者も居て、ラルヴァのボスについては独自の所見を持っていた。
 「あるんじゃないかな?戦記や歴史書を読める程度のアタマがあれば、必ず複数の組織間にそういう者を置く、第一あたしがラルヴァなら、絶対そうする」と、
 言い張っていたが、学園も軍も政府も、ボスと呼べるラルヴァの黒幕は、絶対に存在しないという主張を変えていなかった。
 それらの仮定には欠かせない「なぜ?」については、国家機密の蓋が被せてあって、追求は止められている。
 ほんの10年前には、知能のあるラルヴァが目の前で異能者と戦う様を見ながら、その存在を頑なに否定していた、国家や研究機関。
 少なくとも、その軍人上がりの異能者は、ラルヴァにはボスが居るという自分自身の判断を信じていた。

 ラルヴァの出自については、地球外の文明体からやってきたという説、地球の中から発生したという説、一種の空間異常現象によるもの、
地球内外のUMAを指す総称、それこそ、説は無限にあり、デミヒューマン・ラルヴァとの非公式交渉が開始された今もなお、不明のまま。
 「戦争において、最大の障害となるのは敵ではなく、味方の相互不理解から生じる係争や齟齬であることは、ご存知かと思います」
 アメリカが繰り返した「勝ってはいけない戦争」、この国が経験した、早期講和の計画によって開戦し、戦線拡大と総力戦で破綻した戦争。
 近代に入ってからの戦争で、宣戦を布告した敵国が国家の存続や安定を揺るがす主犯になった例は、それほど多くない。
 反戦運動、植民地、戦費流出、政商や軍産複合体の高利な掛け売り、内部の敵によって崩壊自滅させる戦術は、世界大戦で既に完成している。
 少なくとも、20世紀以後、多くの国は、大国と戦争をして負けることで、膨大な援助を始めとした要因により、戦後の経済収支で勝ち越している。
 「ラルヴァの群れの多くは、他の群れとの共闘を望みませんでした、その反面、他勢力の歩調を知る連絡チャンネルを強く欲しました」
 ラルヴァの個体同士での意思疎通については、不明な点が多く、テレパスに似た遠隔の思考同調が行われている可能性が、公式書類には記されていたが、
私が独自に、現場で実際にラルヴァと戦う異能者に聞いた話では、ありふれた電話やネット、手紙で連絡している例を最もよく見るらしい。
 「そこで私が、選ばれました、適任を信任する手続きはありましたが、最も重大な要素は、全ての群れ全ての地域から、等しく持ち回りであること、
 来年には、北アフリカで活動するラルヴァの中から新しい者が選ばれ、去年選ばれた者は、今はプーケットで隠居生活をしています」
 全ラルヴァを統括する王というのは、加盟国が交代で受け持つ、国連の議長国が選出する議長や、事務総長のようなものなのだろうか。
 君臨すれども統治せず。
 私の頭に、別の単語が思い浮かんだ、英国、ベルギー、タイ、王の居る国と、王の役目、そして、日本の皇室。
 「プロレスだって試合の前には打ち合わせ《スピーキング》をする、ノー・スピーキングだと、猪木vsアリのような体たらくになります」
 老人は自分の喩えがおかしかったのか、顔を逸らしてくすくす笑う、私は愛想笑いをする気にはなれなかった
 話は本題に深く入り込んでいる、政府におけるラルヴァ対策の一役人に過ぎない私が知れば、消されるかもしれぬ情報が、私の首を撫でる感触が伝わってきた。
 このデミヒューマンラルヴァは、たった今、ラルヴァ同士だけでなく、ラルヴァと闘う側、人間との意思疎通について示唆した。
 「現在、わたしとの相互連絡が確立され、その動向を確認しているラルヴァ組織、あるいは生物群は、9354組です、
 それらのラルヴァの総計は、地球上に存在するラルヴァの93%です、これは概算ではなく、誤差の無い数字だと思ってください」
 この世界に居るラルヴァを全て把握する、人類の間ではその初歩にさえ達していない事を、目の前の老人は事も無く語る。

 「私は、その多勢集団の仲立ちをし、お世話をしているに過ぎません、残りの7%は厳然と存在し、その93%の側へ私が許されているのも、
多数組織の代表が、議事とすら言えない、簡略な話し合いで決めた事柄の、あくまでも強制力の無い勧告や指導です。
 それらの伝達によるラルヴァ組織の統制、93%の制御が、現状に置いて機能しているのは、いくつかの偶然によるものです」
 老人は、自身がこの地球に存在するラルヴァの、大多数とも言える個体の趨勢を決定する者であることを、人間である私に名言した。
 東京湾の際にある戸越の街、ラルヴァの王が住む場の目と鼻の先には、ラルヴァを殺害することを正課とする、双葉学園がある
 もしも、この、吹けば飛ぶような老人を除去、消去しようと決定したなら、10分と要さずに、数千人の異能者を集結させられる。
 少々の武道を経験しているだけで、異能の無い私でも絞め殺せそうなデミヒューマン・ラルヴァは、 その無意味さを私に教えた。
 「ゆえに私は、決して王ではないのです」

 ラルヴァの王であることを否定した、紛れも無い支配者は、窓から海の方を見つめ、笑みと共に、失笑物の話をした。
「この日本でも多く起きているラルヴァによる事件、本日あなたから提供を受けた、双葉学園管轄のラルヴァ記録、
 その中に出てくるラルヴァの多くが、わたしの係わらぬ、7%の未統制ラルヴァによるものなのかもしれませんね」
 老人は人のよさそうな瞳を細めてふふふ、と笑ったが、私にはそんなおめでたい話は到底信じられない。
 「しかしあなたは、あなたの言葉を信じるなら、この地球のラルヴァの九割以上を、自らの直轄的な指揮下に置いている
 それは私の知る、人類のどんな王より強権なものです、あなたは事実上、ラルヴァの王と呼べる存在なのではないでしょうか?」
 老人は頬に片手を当て、私の話を興味深そうに聞いていたが、中空を見つめながら話し始めた、老人の自省が感じられる、寂しげな声。
 「そうですね、最初にわたしは、王であることを否定しましたが、それは認識不足だったかもしれません、王《キング》、そう呼ばれる存在が、
 わたしの現在、拝領している役目を最も直裁に表すものなのかもしれません、きっとわたしは、王というものになることを恐れていたんでしょう」

 おそらくこの老人が、最初に王であることを否定したのは、政府から遣わされた私の、頭の出来を試すためだんだろう。
 私が、王《キング》と聞いて、魔王や大王を思い浮かべるファンタジー脳の阿呆か、実在の欧州やアジアの王室と比較する人間かを吟味していたんだろう。
 事実、そういうファンタジー脳のまま、使い捨ての飼い犬としてラルヴァを殺して嬉々としている手合いは、すぐ近くの人口島に腐るほど居る。
 前者の人間が相手の時は、王者の何たるかをサルに説くような無駄なことはせず、王ならざる使用人と仮定して話を進め、
後者の人間には、君臨すれど統治せず、の立憲君主を、自身をわかりやすく説明するための比喩や実例として用いる。

 現代の世界にも、独裁者という名の大王は居て、魔王に統べられるトンデモ国家を数えるなら、両手の指が必要になる。
 しかし、彼らは決して、王とは名乗らない、あくまでも選出、信任された代表者であると自称しながら、権力を行使している。
 「わたしの蒙昧を拓いてくれて、ありがとうございます、貴方からは、このファイルに勝る贈り物を頂戴いたしました」
 私はこの老人、ラルヴァの王様が、これで私との話は終わった、と言外に匂わせているのを感じた。
 これ以上の話は、国家と政治の範疇になる、一介の官僚である私が、個人の軽慮でこの先の領域に踏み込めば、
私はおそらく、ではなく確実に消される、それを決定、実行する側として働いたこともある私には、よくわかっていた。
 一時的とはいえ、人間の代表である私が、何らかの了承や相互確認、約束とも言える言質を取られれば、国は代表者を消すことで、御破算にするだろう。

 私はその時、日本政府の代理者である私が、つい先刻、このラルヴァが王であることを認める発言をしたことを思い出した。
 「本日はお忙しい中、貴重なお話を伺わせて頂き、誠にありがとうございました、一人の人間として、深く感謝します」
 剣道の段を持つ身にも少々辛い、正座の連続でこわばりかけた足を伸ばし、片膝をついて畳の上に立ち上がった。
 目の前の老人に、深く頭を下げる、ラルヴァの老人は、半跏趺坐の姿勢から滑らかに立ち上がり、腰を屈めるお辞儀で返す。 
 私は自身に迫り来る苦境を思いながら、最初に浮かんだ疑問を、ラルヴァの王にぶつけた、これで更に首が絞まったとしても、私の知りたかった事。
 「最後にひとつお聞きします、ラルヴァの支配者ではないとするあなたが、なぜ最初に、私に対して、ラルヴァのボスと自称したのですか?」
 老人は黒目がちの小さな瞳を細め、人の善さそうな、というには似つかわしくない、本当の善意が伝わってくる顔で答えた。
 笑顔が人間の最大の武器だということは、歴史や倫理では必修の範囲、高卒の知能があれば、確認する必要すらない常識。

 「ご存知でしょ?外資企業でのボスってのは、自分らと同じ雇われの、直属の上司を意味するんです。
 わたしは便宜的にひとつ上の立場で共に汗を流すボスであり、決してエグゼクティヴやプライミニスターでは、ないのです」

 玄関までついてきて、客人を送り出してくれているラルヴァの王に、私は靴を履きながら、官僚として先ほど述べた挨拶に、個人的な言葉を付け加えた。
 「麦茶、ご馳走様でした」
 玄関前、廊下の縁でまた、腰を屈めるお辞儀をしたラルヴァの王は、それからも落ち着きなく、何度も頭を下げながら喋る。
 「この次、お近くにお立ち寄りの時には、ぜひ遊びに来て下さい、夏の半ば過ぎには、いつもスイカを冷やしてますから」
 私はラルヴァのボス、王様の社交辞令に深く頭を下げる、案外、世辞ではないのかもしれない。
 庭の隅に居た犬、私の資料によれば、一体で七人の上級異能者を相手に出来るシェーファーフン・ラルヴァは、
遊んでくれないお客さんへの興味が失せたらしく、顔を上げてこっちを見た後、また顔を伏せて昼寝に戻った。

 西日の差す時間、冷房の効いた王様の家から出た私は、早速滲み出てきた汗を、ハンカチで拭いた。
 不意に私は、さっきまでお邪魔していた老人の住む木造一戸建ての家を、振り返ってつぶさに観察した。
 平地だと思ってた住宅街の一軒家は、微妙な起伏の頂点にあり、家々の隙間の遥か遠く、埋立地と人工島の広がる東京湾の海が見える。
 ラルヴァの王が住む城、土地付きでも億にすら届かぬ木造二階建てのベランダからだと、もっとよく見えるだろう。

 粗末なベランダから眺める人工島、世界のラルヴァを統べる老人は、日本の双葉学園をいつでも見下ろせる。
 人間とラルヴァ、その衝突の最前線もまた、この枯れた老人の、掌《たなごころ》を指すが如きものなのかもしれない。
 あるいは、老人の話した7%の可能性が真実で、視界の中にある島は、まだその手の内に収めるには尚早なんだろうか。
 どちらにしても、私が渡した資料が手元にあれば、退屈な独居生活の刺激になる、もっと面白い観戦が出来るだろう。
 「なるほど、これは王様だ」

 私はもう一度汗を拭くと、商店街の端で待たせている、官庁差し回しの車とは反対の方向へと歩を進めた。
 海に向かって、歩き出した。




                             ラルヴァの王様 (おわり)
ツールボックス

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