【皇女様と猫 前編】


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 少女が、椅子に座って書類を眺めている。正確には少女ではなく立派な大人の女性なのだが、背丈、髪型、服装、それに身体の起伏からは、どう見ても中等部の学生ぐらいにしか見えない。
 それでも双葉学園の高等部教員である。名前は、春奈《はるな》・C《クラウディア》・クラウディウス。
 回転椅子を揺らしながら書類を読み終えた彼女は、書類を机の上に置き、その上で頬杖をつく。
「……情報、足りなさすぎだよ」
 資料の表紙には、タイトルが振られている。
”『血塗れ仔猫』に関する報告書”



  皇女様と猫 前編



 『血塗れ仔猫』
 黒いドレスを身に纏い、黒い猫耳と猫しっぽのアクセサリーを身につけ、赤い瞳で獲物を追いかけ、手に持った鞭で人を嬲《なぶ》り、屠《ほふ》る。
 かつては気が違ってしまった能力者の戯言《たわごと》によって伝えられ、一部で囁かれていた都市伝説に過ぎなかったそれは、ここ一月足らずで双葉区の住人に対し、確固たる脅威として立ちはだかっている。
 既に七人もの生徒が命を奪われ、しかもそのうち五人が未能力者という凄惨な事態に対して、学内では醒徒会及び風紀委員、学外では双葉区を所轄とする警察が捜査に乗り出しているが、目だった成果はあがっていない。
 一方の学園職員は、まだ明確に動きをとれていない。このような事態に率先して動いていた高等部学部長が病気養生の名目で休んでおり、誰を中心として動くかまとまらなかったのだ。遅ればせながら、生徒の夏休み直前に行われた職員会議で、他の組織と連携して動く対策委員として彼女が選出されたのだが……
「どうやって情報仕入れよう?」
 手元にある資料には、かつての噂レベルの情報しか記述されておらず、正直役に立たない。
「……もう、調べてる人、かな」
 一人ごちて立ち上がる。向かう先は醒徒会室。こういう場合は最前線で情報を集めるのに限る。



「せんせーさん、だな? 紫穏からいろいろときいているぞ」
「……変な噂、流れてないよね?」
 醒徒会室のさらに奥にある一室で、春奈は一人の少女と話している。白い制服を身に纏い、膝の上に猫のような生き物を乗せた、春奈よりさらに小さい少女、藤神門御鈴《ふじみかど みすず》。中等部の生徒にして、双葉学園醒徒会長である。笑顔を向けられれば、幼女趣味でない男子学生でも半分は彼女の虜《とりこ》となるだろう絶世の美少女だが、今、彼女の表情は浮かない。
「もっと目の前に出てくれば、どーん! って終わらせられるのに……難しいぞ」
 犯人が通り魔的に生徒を襲い、自分達に向かってこない。犯人の尻尾を掴めないことが、御鈴を不安がらせているのだろう。
「資料は副会長がまとめてくれているから、彼女から受け取ってくれ。私にはあまり見せてくれないのだ……」
 おそらく、教育的配慮だろうと春奈は察する。犯行は凄惨なものであると聞く、記録写真などもあるだろう資料を、まだ幼い彼女に見せるには……という所まで考えたところで、自分の考えの矛盾に気づいた。
(彼女でなくても、醒徒会役員はみんな学生……たしか今期は、広報の彼を除いては高等部以下、彼女を初めとして中等部が三人は居た)
「……こんな事を生徒に任せてるなんて、酷い大人たちだよね、私たちって」
 もちろん、そうしなければいけない理由はある。異能者やラルヴァによる事件は、大抵の場合、同じ異能者である学園の生徒に頼るしかないのだ、純粋に戦力的な意味で。
「私たちにやる気があって、しかもやれる力もある。だから先生は気にしないでほしい。先生は、先生にしかできないことがあるのだろう?」
 当然のことのように御鈴が返す。そこには気負いも傲慢も感じない。自分でそれを強く信じているのだろう。
 がおー、と、膝の上の生き物が鳴き声をあげる。恐らくは主人に同調しているのだ。
「……ありがと。それじゃまず、シフト決めからだね」
「しふと?」
 春奈の口から出た、あまり聞き覚えの無い言葉に御鈴は首をかしげる。
「時間割りみたいなものかな、この日は誰が出てきて誰が休む、みたいなのを決めるんだよ」
「それでは……!!」
「夏休みなんだからちゃんと遊んで欲しいし、宿題もやってもらわなきゃ困る。醒徒会の人とはいえ、生徒には違いないよ」
 御鈴の反論を受け付けず、言葉を進める。
「それに放っておいたら、ずっと出続けるつもりだったでしょ?」
「……一本とられたぞ、白虎」
 白虎と呼ばれた膝の上の生き物が、また鳴き声をあげる。今度は春奈のほうに同調しているようだ。


 会長室を辞して資料を受け取った際、副会長である水分理緒《みくまり りお》に声をかけられた。
「ありがとうございます……私たちからじゃ御鈴ちゃん、言っても聞いてくれたかどうか……」
「あれは、みんなに言ったつもりだったんだけどなー……水分さんも、ちゃんとシフト守ってくれないとダメだよ?」
「そう、ですね……はい、分かっています」
「本当だったら、みんな普通の学生らしい青春を送ってほしいところだけど、この学園じゃ難しいかな……十年前と一緒で、事件だらけだし」
 この学園は十年前、彼女が学生として在籍していた当時から突飛な出来事ばかりが起き、やはり醒徒会は目の回る忙しさだったと思う。そんな中で働く彼女達には、頭が下がる思いだ。


 職員室の自席に戻り、さっそく資料を目に通そうとする……と、横からコーヒーカップが差し出される。
「えっと、ブラックで、よろしかったですか?」
「ありがとー……ヘクタール先生、今日は何かあったんですか?」
 先ほどの会長が身に着けていた白い制服と同じぐらいの白い肌を持つ、その会長と同じぐらいの背丈をした少女、ヘクタール・サーターアンダギー。こちらも双葉学園の教師であり、高等部の選択科目担当、だったと思う。春奈と同じ年齢である筈だが、彼女以上に教師には見えない。いや、こちらなら飛び級で大学を卒業した超天才、と言い訳が出来るかもしれない。
「ええ、少し調べ物が……クラウディウス先生は、例の?」
「ですねー……なんだか、厄介ごとを押し付けられたって気がします」
「……この事件、本当にラルヴァの仕業、なんでしょうか?」
 空笑いを見せる春奈に、資料を覗き込んだヘクタールが疑問符を浮かべる。
 血塗れ仔猫は、現在は一応ラルヴァとして登録されている。区分は上級、Sの5。正体も分かっていないのに、いい加減な区分の付け方だと思わないでもない。
「……ラルヴァじゃなかったとしたら異能者。犯行の異常さを考えると、それ以外の人、もしくは動物とかは考えにくいよ」
「どちらにしても、動機があるはず……」
 何か、犯行には明確な理由があると、ヘクタールは考えているようだ。
「……その前に、犯行を止めるのが先決だと思う。何が理由だったとしても」
 この春奈の言葉に、ヘクタールは頷かざるを得ない。これまで狙われて、殺されたのは彼女達の教え子なのだ。
「まったく、昼間っから大人のオンナが話すような話題じゃないわね」
 さらに横から、同僚の教師である木津曜子《きづ ようこ》が顔を出す。この三人が集まっているのを見て、三人ともが『大人のオンナ』だと思う人はそうは居ないだろう。彼女が生徒で、あとの二人は教え子といったところか。
「どうもー」
「木津先生も、何かお仕事ですか?」
 その後、三人でしばらく他愛も無い話をしていたが、三者三様で、別のことを考えていた。
(動機、か……分かれば、少しは行動パターンが絞れるんだけど)
(なんとかして……あの子を説得する方法は、無いんでしょうか……?)
(アレはオメガサークルも、恐らく聖痕《スティグマ》も未関与……関与があったとしても、連絡が無い以上係わり合いにならない方が正解。まあ、せいぜい頑張って)


 二人が帰っていった後で、ゆっくり資料を検討する。警察から資料提供を受けたのか、かなり克明な記録となっている。
(藤神門さんには、見せないで正解かな……)
 犯行現場の大きな血溜りを見て、そんな考えが浮かぶ……それは置いておいて、資料をもとに考えをめぐらせる。
「明確になっている事件は四つ、か」
 それぞれの状況を整理する。

 第一の事件では、高等部の女子生徒が襲われた。生徒が初めて犠牲になった事件であり、彼女は未能力者だった。
 第二の事件は、そのすぐ後。一人目の犠牲者と同じクラスの男子生徒が標的となった。彼は異能持ちであり、付近の破損状況から見て戦闘があったと考えられる。
 第三の事件は、少し時間が開いた夏休み前。中等部の未能力者である男子生徒三名が狙われた。廃病院の中で、孤立した生徒を一人ずつ惨殺していったらしい。廃病院は徹底して捜索されたが、何者かが住み着いている痕跡は無かった。
 第四の事件は、その事件の直後。上記三名の男子生徒と同クラスの女子生徒とその妹が犠牲となった。この女生徒はかなり戦闘向きの異能を持っており、本格的な戦闘跡が見受けられた。発見が早かったため死亡推定時刻が比較的正確に割り出されており、それによると先に姉の方が亡くなり、その直後に妹が命を落としたようだ。恐らくは妹を守るために戦って力尽き、その後妹もその魔手にかかった……と、考えられる。

「……もしかして、仇討ち?」
 この四つの資料を読み終えた時、そんな単語が頭に浮かんだ。
 第一と第二、第三と第四の事件は被害者同士に関係があり、どちらも後者の被害者は異能持ち。しかも戦闘の跡が見受けられる。
 もっとも、先に手を出したのは血塗れ仔猫の方なのだから、と考えていた時、ある被害者の名前に目が行く。

 大島美玖《おおしま みく》。初等部六年生、第四の事件の被害者のうち妹のほう。
「みく……立浪さんの、妹さん。元気にしてるといいけど」
 被害者の名前と、七夕の夜に一度だけ会った少女の顔が重なる。その二人が別人だというのは既に確認済みであり、居場所は既に把握しているので問題は無い。


 そう、立浪みくの居場所は、既に把握されているのだ。
 七夕の夜、与田技研の研究室で遠藤雅《えんどう まさ》と別れた後、律儀にも私用のメールアドレスと電話番号を変更し、学生証の電源を落として姿を消した。ここまでが周知の事実である。
 だが幸か不幸か、姿を消した先にまで学生証を持っていったのが追跡のカギとなった。学生証のGPSサービスは、電源を落としていても追跡可能となっている。それを利用して割り出した居場所は、ある田舎町の廃屋だった……そこは住んでいた老夫婦が数年前に亡くなっている一軒家で、調べてみると、立浪姉妹を養子として引き取り、育てた人の家らしい。
 何か変な気を起こすのではないかと心配し、一度様子を見に行ったが……遠目で見て、それは無いと確信し、話しかけずに帰って来た。一度に色んなことを経験した時は、それを整理する時間があった方がいい。必要そうな時に、導いてあげる必要はあるけど。
 担任の先生などの必要な人たちに周知はしているが、そこのあたりは配慮してもらうようお願い済みだ。
「……先走らなければ、いいけど」
 それは、誰に向けた言葉だったか。


 思考の寄り道を軌道修正しながら、血塗れ仔猫事件に考えを戻す。
 殺害の方法は様々だが、大きく分けると二つに分類される。
 一つは、心臓を一突きにされた事による有無を言わさぬ絶命、もう一つが全身を引きちぎられ、もしくは太いロープのような物で締め上げられた末、強烈な力でバラバラに砕かれた事による死亡。
 この二つから、犯人(ラルヴァとは断定しない)は刺突武器と、触手のように相手を絡め取る武器の二つを持つことになる。

 それに、巷の噂と、先ほど脱線してしまった思考の中身を加える。

 血塗れ仔猫は、鞭を使うという。人外の怪力と技量を持つラルヴァなら、相手を自在に巻きつかせ、引きちぎる事も可能だろう。
 そして、もう一つの材料……立浪みくの姉、立浪みき。信じて、騙されて、行方を消してしまった、彼女の教え子。
 彼女が戦うときの武器は、鞭だった。それも先端は人を軽々と刺し貫ける

「……そんなわけ、ない」
 口からは否定の言葉が出るが、考えは止まらない。
 黒い耳、黒い尻尾。それらを彼女に繋げるのは容易だ。彼女の力は『猫』なのだから。
 唯一否定できる材料は、瞳の色……立浪みきは、青と金の二色の瞳だったが、そこに赤は無かった。
 それに、彼女の大人しい、臆病な性格では、こんな事件を起こせるとは考えられない。

 そう、彼女の訳がない。彼女が、こんな凶行を行えるはずがない。そう考えながらも、意思とは無関係に確認作業を行おうとする。
 教員証を取り出し、学部長の自宅に繋がる番号を押す。三年前の真実を知っていて、自分が直接問い詰められる人物。
 ……結果から言うと、その行動はムダだった。単純に、電話が繋がらなかったのだ。原因は不明。
「電話が不通になるなんて、何年ぶりの話だろ……」
 どうでもいい事を愚痴りながら気を紛らわせる、そうでないと持たない。
「疲れてるのかな……帰って、休もう」
 ふらふらと、椅子から立ち上がる。足元がおぼつかないのは、長時間椅子に座っていたから、だけではないだろう。

 彼女が、血塗れ仔猫である筈がない。
 そのか細い期待は、すぐに、最悪の形で裏切られることとなる。


 構内にあるいくつかの校庭を横切って、帰路につく。既に夜の帳が下り、このあたりには照明装置も無いため真っ暗だ。
 春奈は、自身の異能を全開にしている。能力範囲内に、いつ血塗れ仔猫が現れてもいいように、また、それと交戦する腕に覚えがある異能者をサポートするため。今回は、必要な申請は届出済みだ。期間は、血塗れ仔猫の捕縛、もしくは排除まで。
 範囲内の異能者についても、大事が無い限りは位置の確認に留め、知覚をチェックしたりはしていない。あくまでラルヴァ……血塗れ仔猫が現れたときの対処だからであるが、いちいちチェックなんて彼女の方がやってられない、という事情もある。
 夏休みということもあり、学内に残っている生徒は少ない。
「……そう、だ……」
 帰る前に、足が勝手に寄り道したその場所は、とても懐かしく、悲しい思い出がある場所だった。

 高等部棟の近くにある、白樫の木。立浪みきのお気に入りだったスポットだ。
「……あの時、もっと強く止めてれば、変わったのかな……?」
 三年前のあの時以来、ここに来るたびにそんなことを思った。答えの出ない問いを考えるのに疲れ、ここには出来るだけ来ないようにしていた。
(……やっぱり、考えちゃうよね)
 どうしようも無い自分の頭に呆れてかぶりを振ったとき、近くでガサガサという音が聞こえ、慌ててそちらへ振り向く。

『んなー』
 ……そこに居たのは単なる仔猫。おびえた目をして見つめてくる春奈をからかうようにもうひと鳴きし、悠々と立ち去っていった。
(なんだ、ただの猫か……)

 そう考えて振り返ろうとした瞬間、春奈の背筋に悪寒が走り、ぞわぞわと鳥肌が立つのが分かる。
 彼女の異能が、すぐ後ろに猛烈な存在が居ることを告げる。異能者か、ラルヴァかは分からない。なぜ分からないのかも分からない。彼女の脳髄が疲れきって判断できないからなのか、それとも、異能者とラルヴァ、中間の存在だからなのか。
 今の今まで察知できなかったのは、意図的に隠していたからなのだろう、そして、もう隠す必要が無くなったということだ。
 振り返るな、と本能が告げている。
 振り返るな、と異能が告げている。
 しかし、振り返らないほうが怖いとでも言うように警告を無視し、彼女はゆっくりと振り返り、そちらに向き直る。そして、白樫の木の下に、当然のように立っていた影を見つける。


 月の見えない夜の闇より暗い、黒のドレス。
 闇の中で自己主張する黒い耳、黒い尻尾。
 蠢いてるように見える右手の鞭。
 黒ずくめの中で唯一光る、赤い瞳。


 『血塗れ仔猫』。そう呼ばれる者が、そこに立っていた。
 普通なら、なぜ結界のある学園内に入れたのか、なぜ人を殺すのか。そういった事をたずねていただろう。だが春奈は、まったく違うことを問いかけた。それも言葉ではなく、自身の異能で。

『立浪、みき……さん?』


 血塗れ仔猫からの返事はなかった。いや、返事はしたが、それは人の言葉ではなかった。音声にしても、まったく意味の分からない音。だが、それだけで春奈は理解してしまった。発する言葉はかわっても、『声色』は変わっていないのだ。

 その声は、かつての立浪みきと、同じ響きを持っていた。

『あたしは、あたし、は……』

 何かを伝えようとするが、言葉が浮かばない。何を言っていいのか、思い出せない。
 血塗れ仔猫が、その右手をゆっくりと持ち上げる。何かに濡れた鞭が、彼女の頭上へと構えられる。
 どのみち、春奈の身体能力と異能では、逃げることも、避けることも無理だろう。迎撃するなどもっての外だ。
 だが、そんな事など微塵も考えず、伝えたい言葉を、思いを探る。『彼女』と逢ったとき、何を言えばよかったのか。確かに、あったはずの思い。
 血塗れ仔猫は、その腕を一番上まで伸ばす。これが振り下ろされるだけで、いとも簡単に彼女の命は消し飛ぶだろう。
 だが、それに意識は向かない。何を伝えたいのか、そればかりが脳裏に浮かぶ。

『あたしは……!!』

 血塗れ仔猫が、音速の鞭を振り下ろす。

 地面が爆ぜ、芝生が舞い上がり、路肩のコンクリートが砕ける。

「……?」

 血塗れ仔猫の顔にはは、疑問符が浮かんでいた。
 肉が爆ぜ、血飛沫が舞い上がり、全身の骨が砕ける、そんな感覚を感じない。
 血塗れ仔猫は、頬に風を感じていた。
 突然吹き抜けた突風《ワールウインド》が、全てを持ち去った事に、ようやく気づく。


 鞭が春奈に触れる数瞬前、風が彼女を連れ去って行った。
 彼女を抱き上げた風は、地面をかかとで抉《えぐ》ってそのスピードを殺し、ようやく立ち止まる。
「良かった、なんとか間に合ったよ」
 二人の間を吹きぬけた突風、皆槻直《みなつき なお》が口を利き、お姫様抱っこをされていた春奈を芝生の上に降ろす。
「え、ええっと……?」
「あれだけ大きな声を出してれば、誰だって気づくよ?」
 直の言うことを即座に理解した春奈は、慌てて能力範囲内の全異能者サーチを行う……幸いなのかそうでないのか、聞こえたのは、恐らく近くに居た直と、こちらに駆けてくるもう一人の異能者の二人だけだったようだ。
「まさか、『血塗れ仔猫』と勝負できるなんて、思ってなかった」
 直は獲物を狙う獅子のような瞳を相手に向け、ナックルガードを身につける。
 血塗れ仔猫もそれに呼応するかのように、再び鞭を振り上げる。

(……とはいっても、まずいかな)
 直は、相手の異常さを前にしても、平然と状況を把握していた。
 全開で突っ込めば、あの鞭よりも早く懐に飛び込める。そのまま押さえ込んでしまえば勝負アリだ。
 だが、今日はすでに『一仕事』終えた後。保持している『空気』の量が多くない。さっきの着地時に空気でブレーキをかけず、わざわざ地面を削って止まったのも『空気』の節約のためだ。
 一撃で仕留められなければ、返り討ちにあうのは自分のほう。
(度胸試し、大いに結構……!!)

(多分、今のままなら、押し切れる)
 春奈は、動揺する心とは別の部分で、戦況を冷静に分析している。
(あの鞭は、出来るだけ距離をとって、相手の間合いに入らないように戦わないといけない……戦闘訓練の時の、立浪さんみたいに)
 あの戦い方を見る限り、血塗れ仔猫にはそれが出来ていない。自身の膂力《りょりょく》と、鞭の技量のみをアテにして、振り回しているだけだ。自分を侮っていただけという可能性は捨てられないが。
(あの子が、万全なら……)

 血塗れ仔猫は、何も言わない。
 何を考えているのかは、分からない。

 直と血塗れ仔猫が睨みあう。
 先手を取ったほうが有利と分かっていても、迂闊には動けない。
 次第に緊張の糸は張り詰めていき……限界まで引っ張った糸は、いずれ切れるしかない。

 両者が動いたのは、ほぼ同時。
 血塗れ仔猫が鞭を振るった軌跡と、直が飛び出した瞬間。両方とも、春奈には見切れなかった。
 だが、結果はすぐに分かる。

 直の左肩の皮膚が裂け、流血している。血塗れ仔猫の鞭が掠《かす》めたのだろう。そう、かすめただけだ。
 血塗れ仔猫の右手首に、直が装着していた右のナックルが突き刺さる。痛みに耐えかねたのか力が入らないのか、鞭がぽろり、と手を離れた。
 直の攻撃は止まらない、踏み込んでいた左足を軸に、またもや目に留まらない速さの中段蹴り。血塗れ仔猫の身体がくの字に曲がり、何かが折れる鈍い音が響く。
 強烈な連撃を喰らいながら、血塗れ仔猫はまだ勝負を諦めない瞳で、何かを狙っていた。砕かれた筈の右手に、長い爪が伸びている。
『右に跳んで!!』
 タイムラグ無しで伝えられた春奈の言葉に反応し、直がありえない体勢で背中の方へ、春奈から見れば右側へ跳ぶ。
 一瞬後、直の心臓があった空間を猫の爪が貫いた。血塗れ仔猫の無我夢中で放った一撃は、直の左脇の衣服と皮膚を削り取る。が、その程度では致命傷にはなりえない。
 明らかに不利を察したのだろう、鞭を左手で回収した血塗れ仔猫が退く……血塗れ仔猫を退けたのだ。春奈は知らないが、辛うじて。

「ふう、危なかった……君、大丈夫?」
 ケガなどなんともないように振舞いながら、直が心配そうに覗き込む。彼女も先ほどの回避で、『空気』残量がほとんどゼロとなっており、傍から見ればそうでもないが、かなりキツい状態である。
「え? あ、うん、大丈夫大丈夫、ケガは無いから」
 その言葉にわれに返った春奈が、スカートについた芝を払いながら立ち上がる……頭の片隅では、やはり考え事をしながら。
「はぁ、はぁ、ナオ、早い、って……あれ、クラウディウス先生? あの声、先生だったんですか?」
「……結城さん? パートナーの人に助けられたよー」
「……『先生』?」
「もしかしてナオ……知らなかったの?」


 血塗れ仔猫の出現は、学園のラルヴァ探知網に引っかからなかったらしい。それを利用し、醒徒会、風紀委員の了解の下『学外で現れたところを、高等部二年の皆槻直が遭遇、追い詰めるものの取り逃がす』といった筋書きに変更された。学内での遭遇戦、と報じるのは流石にショックが多すぎるという配慮からだ。
 一方、血塗れ仔猫相手には接近戦が有効、という情報は一気に広まった。これによって奴に挑戦する異能者が増えるのだが、それは別の話。
 一方の春奈は、まだ考え事をしていた。血塗れ仔猫の正体については、教えてもあまり意味が無い事でもあり、誰にも喋っていない。皆槻直、結城宮子《ゆうき みやこ》の両名にも、聞こえていなかったはずだ。

「あたしは、彼女になんて言って謝ればいいんだろう?」

 謝ることは沢山ある。肝心なときに傍にいれなかったこと、結果ありきだろう研究を止められなかったこと……『あたしは、あなたの味方だ』と、言ってあげられなかったこと。
 彼女に謝って、そして、優しかった彼女にこんな事を続けさせないよう、止めなければいけない。そして、今度こそ言わなければいけない。

「あたしは、あなたの味方だから。安心して、いいんだよ」

 もちろん、犯した罪は償わなければいけない。極刑という事もあり得るだろう。それでも、出来るだけ彼女の力に、なってあげる。
 この事件に教師としての義務感のほかに、個人的な理由で関わることになってしまった。だが、あまり彼女は後悔してはいない。
(出没位置から、彼女がどこを本拠地にしてるか割り出せればいいんだけど……)
 春奈は、密かに燃えていた。血塗れ仔猫に立ち向かう、他の者達とは違った方向で。
















追記:
 この事件の翌日、双葉学園高等部学部長宅が『陥没』しているのが発見された。病気養生中だった学部長、及びその使用人は邸宅の『陥没』に巻き込まれ死亡、落下の衝撃か、身体のあちこちが奇妙にねじれた状態で発見された。学部長には離婚暦があり、彼の妻子は現在、双葉区の別地区で暮らしている。学園及び警察当局では、地面を採掘するラルヴァ、トロルドの活動によって出来た穴に落とし込まれた可能性が高いと判断し、捜査及び周辺の調査を行っている。





 後編、もしくは番外編に続く



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