【白き魔女と傷だらけの道化師 第一話:前編】


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「私はこうして、すべてを清算しなければ、モトの虚無に帰ることが出来ないのです」
                      夢野久作〈少女地獄―火星の女―〉
         ※※※

         0



「怪人ジョーカーの噂って知ってる?」
 夕日が差し込む放課後の教室で、数人の少女たちが他愛もない噂話をしていた。
「勿論知ってるわよ、なんでもピエロの格好した凄い美少年だとか」
「でも出会って怪人の質問に答えられないと殺されちゃうんでしょ、怖いわ」
「大丈夫よ、怪人は美少女のところにしか来ないって話だしあんたは大丈夫よ」
「ちょっと、それどういう意味」
「じゃあ私は危ないわね。気をつけなきゃ」
「でもそんな怪人が現れたって公式記録はないんでしょ、そんなのがいたら学園側が放っておかないんじゃない。やっぱりただの噂なんじゃ」
「でも実際行方不明になってる女子生徒は多いのよ。学園側は隠そうとしてるみたいだけど。私の友達の友達が突然行方不明だって」
「何それ、怖いじゃん。ほんとなの?」
「さあ、でもやっぱり噂だけだしね」
「でも噂って言ったらあの子のことも大分あれだよね」
「あの子?」
「うん、隣のクラスにいた桜川さん」
「ああ、あの死んじゃった……」
「ちょっと、不謹慎でしょ」
「それで、桜川さんがどうしたの? まさかあの子の幽霊がでるとか?」
「うん、それがね。実は――」
 彼女たちがそう噂話をしていると、がらりと教室の扉が開かれ、白衣を着た女教師がそこに立っていた。
「あなたたち早く寮に戻りなさい。もう締めちゃうわよ」
「はーい。じゃあね羽里先生―」
 生徒たちは怒られたくは無いな、とすぐにそこから立ち去ってしまった。
 教室の戸締りをしにきた若いその女教師は、夕日が差し込む窓から空を見上げ、黄昏るように少し前のことを思い出していた。
「怪人ジョーカー、か……彼は一体いつまで戦い続けるのかしら」


)

   第一話

      1


 春は出会いの季節なんて言うが、閉鎖的なこの双葉学園において新たな出会いなんてあまりない。
 それでも春休みが終わり、新学期が始まればクラスも替わり、多少は周りの景色が真新しい物に変るのだろうと藤森飛鳥《ふじもりあすか》は思っていた。
 確かにクラスメイトは変る。だけど、だからといって自分の灰色の日常が満たされるわけではなかった。
 異能者を育てる双葉学園に置いて、非能力者である彼には肩身が狭かった。
 勿論この学園には多くの非能力者の生徒たちがいる。
 ラルヴァを肉親に殺され引き取られたもの、ラルヴァ討伐の補助を学ぶもの、様々な事情と目標をもった人たちがこの学園に席を置いている。
 だが飛鳥には何もなかった。
 ただ流されるように、いつの間にか双葉学園にいた。
 もう高等部の三年生だというのに、進路も何も考えていない。
 このままでいいのだろうか、そう自問してもいつも答えはでない。
「藤森君――」
 自分に何が出来るのか、彼にはそれすらもわからない。中途半端な無能者。飛鳥は陰鬱な気持ちから抜け出せないまま日々を過ごしていた。
「藤森飛鳥君!!」
「――え?」
 飛鳥が物思いに浸っていると、突然名前を呼ばれ、吃驚して椅子から転げ落ちそうになってしまった。
「もう、何をぼーっとしてるの藤森君。もうすぐ始業式が始まるんだからしゃきっとしてよね」
 彼らは新しい教室で始業式が始まるまで待機していた。
 クラスメイトが新たなクラスで交流を深めている中、飛鳥は一人窓の外を眺めているだけ。そんなところに彼女は突然話しかけてきたのである。
「い、委員長……」
「まだ委員長じゃないわよ。ちゃんと名前で呼んでね」
「ああ、ごめん雨宮」
 そうは言ってもまた今年も彼女がクラス委員をするのだろう。委員長なんて面倒な仕事を進んでやるのは彼女くらいしかいないと飛鳥はわかっていた。
 委員長こと雨宮真美《あまみやまみ》はいかにも委員長といった風貌である。長い三つ編みの髪の毛に、頭のよさそうな丸眼鏡。それでいてどこか強気な感じを思わせる目つきがまた印象的だ。
 飛鳥と雨宮は腐れ縁で、双葉学園に入学してからずっと同じクラスで、飛鳥は彼女がそれまでずっと委員長をしていたのをよく知っている。
「ねえ藤森君、ちょっと頼みたいことあるんだけど……」
「え、なに。そんなあらたまって」
(いつも何でも自分ひとりでこなす雨宮が僕なんかに何かを頼むなんて珍しいな)
 そう飛鳥は思っていた。いや、今まで飛鳥が助けられたことはあっても彼が雨宮に何かをしたことはなかった。
「あのね、今ここにいない生徒を呼んできてもらいたいの。私はほら、ちょっと先生に頼まれた用事があるから」
「またなんで僕が」
「だってこのクラスで知ってる顔は藤森君だけなんだもん。ねえ、いいでしょ」
「ふぅん。雨宮でも人見知りするんだ。いいよ、僕は雨宮に借りがいっぱいあるし。行って来るよ」
「よかった、それでね、呼んできて欲しいのは特殊異能研究室にいる桜川さんのことなんだけど――」
「桜川……? そんな奴三年にいたっけ」
「知らないのも無理ないわね。もうずっと特研室にいるから。でも、私と同じクラスになったからにはきっと桜川さんをクラスに馴染ませるわ」
 雨宮はそう息巻いていた。その眼は輝きに満ちている。
(雨宮はいい奴だけど、こういう善意の押し付けがあるのが少し玉に瑕だな。その桜川って奴が教室にこないのにはきっと理由があるんだろうけど、雨宮にはわかんないだろうな)
 強者に弱者の気持ちはわからない。
 弱者に強者の気持ちがわからないのと同じように。
 それでも飛鳥は恩のある雨宮の頼みということで、渋々その桜川という人物のところに向かうことにした。とりあえず声ぐらいはかけておけばいいだろう、と。
「それで、その桜川って、下の名前は?」
「桜川夏子《さくらがわなつこ》さん。私は会ったことないんだけど、評判じゃとても可愛い女の子らしいよ」


 特殊異能研究室。通称特研室は、一般的な異能力とはまた別の、変った能力者を研究する特別教室の一つである。“カテゴリーF”という概念が消えて以来、この教室が使われることは稀になっていた。
 使われなくなったのをいいことに研究室に入り浸っている生徒、それが桜川夏子だという。それを飛鳥は先ほど雨宮から聞いていた。
 数年前、カテゴリーFの烙印を押された彼女は、この研究室で様々な実験を受け、その研究が終わっても桜川は教室で授業を受けることもなく、この部屋で特別に個人授業を受けているという。
 飛鳥は桜川のことなんて今日まで聞いたこともなかった。
 カテゴリーFは“制御が困難で味方まで巻き込みかねない危険な能力”が基準の概念である。
 差別を生みかねないため、そのような評価は数年前に廃止されたのだが、それでも一度そう評価された本人たちや周りの人間たちには忘れえぬことなのかもしれない。
 しかし、そんな危険な能力を得るくらいならば、非異能者のままでよかったと、飛鳥はそう考えてた。
 異能力なんてものを手にしても、自分にはどう扱っていいのかわからない。ラルヴァと戦う勇気もない。きっと逃げ出してしまうだろうと、飛鳥は冷静に自己判断をしていた。
 飛鳥の二つ下の妹も同じように一般人枠でこの学園にいる。彼は妹も異能者でなくてよかったと安堵する。もし異能力に目覚めて、ラルヴァと戦うなどと言い出したら、飛鳥は心配で眠ることもできないだろう。
 力を得ることは嬉しいことだが、過ぎた力は周りも自分も焼いてしまう。
 しかし、望まぬそんな強大な力を得てしまったカテゴリーFの生徒、桜川夏子は一体どういう気持ちでこの研究室に篭もっているのだろうか。
 飛鳥は高等部の教室から少し離れた場所にある研究棟に向かう。そこにその特研室があるはずだ。
 薄暗い廊下を渡り、様々な研究室のその奥にそこはあった。
 重圧な電子扉の向こう側から異様な空気が流れ出ている気がする。勿論気のせいなのだろうが。
 飛鳥は扉を軽く数回ノックする。そして、数秒の間返事を待っていると「誰?」と、か細い今にも消え入りそうな声が聞こえてきた。
「あ、あの、僕は今日から一応同じクラスになった藤森飛鳥だけど、桜川さんだよね?」
「そうだけど、何の用?」
「いや、始業式始まるから呼びに来たんだけど……」
「ふぅん。今まで始業式なんて出たことないんだけど」
「あのさ、ここ開けてくれないかな。こんな扉越しじゃちょっと話にくいし」
 ドギマギしながら扉の向こうにいるであろう少女の返答を待つ。すると、小さな電子音がしてロックされていた扉が音を立てて開けられた。
「し、失礼しまぁす」
 飛鳥は緊張しながら中に入っていく。中は真っ白な部屋。もっと計器などの機械が雑多に置いてあると思ったが部屋は随分殺風景であった。多少の計測類と、白いベッドがそこにはあるだけであった。
 そのベッドの上に、少女が一人腰掛けていた。
 そこにいたのは絶句するほどの美しい少女。飛鳥が今までテレビの中ですら見たこともないような綺麗な少女がそこにいた。
 子供のように小柄ではあるが、その憂いを帯びた眼差しは、大人びた雰囲気があり、彼を圧倒している。
 飛鳥はその美しさに恥ずかしくも、見惚れて動けなくなってしまった。自分が今、この世にいることすらも忘れてしまいそうな、非現実的な美貌の少女。
 しかし、一番に眼を引くのはその美しさではなく、その少女の長い髪の毛にあった。それは真っ白な、まるで天使の羽のように穢れが一切無いかのように純白である。
 白い空間に溶け込むようにその白い髪は艶やかで、彼女の儚さと美しさを際立たせていた。
 学園指定のブレザーではなく、何故か真っ黒なセーラー服に身を包んでいるため、その黒衣と妖艶な雰囲気が相まって何故か“魔女”という単語が飛鳥の頭によぎった。
「何年ぶりかしら、生徒が私のところに尋ねてくるなんて」
 その美しい少女、桜川夏子は透き通るような声で彼にそう言った。
「何年ぶりって、そんなに誰とも会ってないのかよ……」
「そうよ、みんな私を恐れるか、気味悪がるかのどっちかよ。私はそれでも構わないけど。どうせ下らない人たちと解り合えるとは思えないもの」
 桜川は吐き捨てるようにそう言った。
 何もかもを諦めている、何もかもを見下している、そんな瞳でそう言った。
「それで、あなたはどっちなのかしらね」
 桜川は飛鳥を試すような目つきで見つめる。
「別に、ただ、可哀想だなって……」
 彼は素直に、率直にそう言った。すると、桜川はきょとんとした顔をして呆れているようであった。
「可哀想、ね。そんな風に私をバカにした反応を示したのはあなたが始めてよ」
「別にバカにしたわけじゃないよ。色々と面倒だろ、カテゴリーF種の能力なんて。僕は非異能者だから能力者の苦悩とかわからないけどさ」
「へえ、あなた能力者じゃないんだ。道理でね……。わからないんでしょう、異能者の恐ろしさっていうのを」
「ああ、知らないよ。僕は能力者の戦いすらまともに見たこともないからね」
「そう、ふぅん」
 桜川はその細い身体をベッドから立ち上がらせ、飛鳥のもとに近づいてきた。少女独特のいい匂いが僕の鼻先を刺激する。
 目の前に美しい女の子がいるなんて状況に、彼は胸を高鳴らせる。気づかれていないだろうか、と心配になる。
「あなたって私の弟と同じ目をしてるわね」
「弟?」
「そう、二つ下の可愛い私の弟。弟のように、どこか深い闇を持ってる瞳だわ」
「深い闇って、そんなもの僕にはないよ」
「どうかしらね、あなたっていつも“世界なんて滅びてしまえ”とか考えてないかしら」
「そ、そんなわけないだろ!」
 あまりに心外だ、僕はそんな危険思想を持ってはいない――そう心の中で叫んでも、本当にそうなのか自分にもわからなかった。
「本当かしらね」
 桜川は吐息がかかりそうな程に彼の顔まで近づいてきた。
 白く美しい顔が目の前に存在する。飛鳥は直視することが出来ずつい顔を逸らしてしまう。
「そ、そんなことよりさ、始業式始まるって……」
「出ないわよ。教室にも戻ることはないわ」
 そう言って僕を突き放すようしてベッドにまた座り込んでしまった。
「そうか。僕は教室に戻るよ」
「じゃあね、飛鳥君」
 彼女に背を向け、飛鳥は部屋から出ようとした。その瞬間、彼の背中に彼女はこう声をかけてきた。
「私あなたのこと気に入ったわ。たまには遊びにきてね」
 飛鳥はまた明日にでも足を運ぼうかと考えた。

          ※

 雨宮真美は彼を桜川夏子にところに向かわせたことを少しだけ後悔していた。
 雨宮も桜川のことを遠くから見たことがあった。そして彼女もまた、桜川の美しさをよく知っていた。それ故に色々と心配であったのだ。
(はぁ、飛鳥君が桜川さんのこと好きになっちゃったらどうしよう……)
 雨宮は初めて飛鳥と出会ったときから彼のことが気になっていた。
 学園に入学してきた中学のときからずっと彼を見ていた。
 いつもどこか斜に構えているのに、子供っぽく、それでいて弱さゆえの繊細さと優しさをもつ心。表情を隠すような長い前髪の奥にある綺麗な顔立ち。その全てが雨宮にとっては魅かれるものであった。
 教師に頼まれたとはいえ、そんな彼を美貌の少女である桜川のところへ向かわせたために、雨宮は落ち着きがなかった。
 それでももう飛鳥は行ってしまったので、今さらどうしようもない。
(それに、やっぱり私が桜川さんのところに行くのは無理だしね――)
 雨宮は自分が桜川に嫌われていることを理解していた。
 いや、面と向かって言われたわけではないのだが、恐らく桜川は彼女のような優等生タイプ、善意を押し付けるタイプを毛嫌いしているであろうことはわかっていた。
 それでも雨宮は、桜川をクラスに溶け込ませたいと思っていた。偽善なのかもしれない。そうだとしても雨宮は自分のそういう考えを否定するつもりはなかった。
「おい雨宮。何を考え込んでいるんだい。君らしくもない」
「あ、四谷先生。それで、私に用事ってなんですか?」
 四谷と呼ばれた教師は廊下で待っていた雨宮に話しかけた。どうやらこの若い教師が飛鳥や雨宮の担任らしい。
 四谷正治《よつやせいじ》は生徒から人気があり、特に若くて二枚目なためか、女生徒からの支持が高いようだ。しかし、雨宮はどこかこの教師に苦手意識を感じているようである。
(なんでかしら、どうにも信用が出来ないのよね。若い先生は多くいるのになんでかしら……)
 雨宮自身もこの嫌悪感が何に由来するものなのかわからなかった。それでも露骨に避けるわけにもいかず、彼女は四谷の頼みを聞くことにした。
「悪いな雨宮、頼みを聞いてくれるほどいい生徒なんてお前以外にいないからな」
「そうですか。四谷先生の頼みならいくらでも聞いてくれる生徒なら沢山いるんじゃないでしょうか。特に女子は」
「いやはや手厳しいね。キミは僕をそんな風に見てるのかい」
「いえ、別に。すいません」
 二人は廊下を歩いていく。もうすぐ始業式が始まるというのにこの教師は何をしたいのだろうか、と雨宮はいぶかしんでいる。
「先生、何をするんですか?」
「うん、まあちょっと資料の整理をね。大丈夫だよ始業式までには終わる。よしんば間に合わなくても僕の手伝いだって言えば怒られないだろう」
「そうかもしれないですけど、そんないい加減でいいんですか?」
「ははは、あまり生真面目過ぎても人生つまらないぞ雨宮。少しは気を抜かないとな」
 四谷とそんな風に雑談をしながら二人は資料棟の地下に向かっていく。電気が通ってないのかそこは薄暗く、雨宮はこんなところに来たことがなかったために、少し不気味に感じていた。
「先生、何の資料を整理するんですか。ここってあまり使われてないですよね」
「ああ、資料室というよりは倉庫と言ったほうがいいだろう。いらなくなった資料がここに溢れているのさ」
 そう言って四谷は歩を進め、どんどん奥へと一人で行ってしまう。
「ま、まってください」
 雨宮は置いていかれないように駆け足で四谷についていく。
 やがて資料棟地下の最深部に行き着く。
 その最後の部屋の扉は重厚な電子ロックがされた機械の扉であった。
「ここは、こんな厳重に何の資料が保管されているんですか……?」
「双葉学園の暗黒史、さ」
「え?」
「ここには外部に漏れたらまずいものが大量にあるのさ。学園にとって致命傷になりかねないものがね」
「そ、そんなものをどうするんですか先生……。ましてや私になんか」
 雨宮は不穏な空気を感じ取り、この場から逃げ出そうと思ったが、まだ四谷が何をしようとしているのか確信がもてない。
「キミにも見てもらいたいのさ。キミだって許せないはずだ。もしこの学園が裏で何かをしてきたというのならね」
「そうですけど、だけど先生、そんな重要な資料があるならその扉を開けることなんてできないんじゃないんですか」
「そうだね、何重ものロックがかけられているし、踏み込めば警報がなり僕らは消されるかもしれない」
「じゃ、じゃあ諦めたほうがいいんじゃないんですか」
「普通、ならばな。だけど僕にはそんなものは意味がないのだよ」
 四谷は電子扉にぴたりと、掌を置いた。
「残念だが僕は普通じゃないんだ」
 そう言った瞬間、電子扉のロックは解除されたようで、次々と扉が開かれていく。警報も作動してないようである。
「ど、どうして……まさか異能……」
「そうだ、これが僕の異能だ。異能力は何もキミたち子供だけの特権ではないんだよね」
 そう言って四谷は邪悪な笑みを浮かべ雨宮を見つめた。
 どうやら四谷は電子を操る力を持っているらしい。だが、彼が異能者だということは誰も知らない。つまりそれは、彼が異能を隠して学園に潜入していたということ。
(な、なんなの。何が目的なの――)
 雨宮は恐怖を感じ、後ろを振り向いて逃げ出そうとしたが、四谷はその腕を掴んだ。
「は、離して!」
「そうはいかない。キミにも知ってもらわなければならない」
 そう言って四谷は雨宮を資料室の中に引きずりこんでしまう。
 そして、重厚な扉が閉まり、鍵がかけられ、もう逃れることはできなくなってしまった。


               2


 桜川夏子という、なんだがあまりに非現実な存在を見たせいで、始業式なんて出る気にならないな。
 藤森飛鳥はそう考えながらブラブラと校舎を歩いていた。
 もう既に始業式が始まっている時間のせいか、どの教室にも人はいない様子だ。教室には鍵がかけられているため、教室に戻れないのでどうしたものかと飛鳥は考えていた。
(しょうがない、あそこにいくか――)
 飛鳥はまた別の場所に足を向け、がらんとした校舎を歩いていく。
 彼が歩を止めた場所は保健室の扉の前。
 ラルヴァ討伐や、実戦訓練などで怪我する生徒もいるので、学園内には数多く医務室が存在する。その中でもここはあくまで内科系のみの保健室だ。あまりここを利用する生徒はいない。精々彼のようにさぼりにくる生徒がいるくらいだ。
(保健室のベッドで寝かせてもらうかな)
 飛鳥は特にノックもせずに扉を開ける。
「失礼しまーす。気分悪いんで休ませてくださーい」
 常時開放状態になっているため、なんなく入ることは出来た。
(あれ、誰もいないのか)
 返事が無く、どうやら保険の教師は席を外しているようだ。
 鼻を刺激する薬品の臭い、清潔感が溢れる白を基調にした部屋。保健室の無機質さは、さっきの桜川がいた場所と似ているな、飛鳥はそう感じていた。
 飛鳥は保健教師がいないのも気にも留めずにベッドに向かう。ベッドを閉ざしているカーテンをシャっと開けると、飛鳥の視界に有り得ないものが映った。
「お前――!」
「やあ“僕”。気分が悪いだなんて嘘はいけないね」
 そこには飛鳥とまったく同じ顔をした少年がベッドに腰掛けていた。
 しかし、その少年は飛鳥と違い、学生服の上にピエロのような服を着ていた。先が二つに割れているピエロ帽子に、ひらひらしたマントと首にはギザギザした付け襟、手もすっぽりと手袋で覆っていて肌の部分は顔しか見えていない。しかしピエロの格好というにはあまりに全てが真っ黒であった。派手な色は一切ない、何もかもが暗黒の装飾。
 そしてそれらが際立たせる不気味なまでに白い顔。左右の眼の下にそれぞれ涙と星のペイントが施されている。
 そんな珍妙な格好をした自分と同じ顔をもつ少年を見て、飛鳥は彼を睨みつけるだけであった。
「なんでそんな怖い顔をするんだい」
「なんで出てきた。最近はずっと出てこなかったじゃないか」
「出てくる必要があったからさ。戦いの時が迫っている」
「戦いだって、ふざけるな。お前なんかただの幻覚だ、僕が見てるただの夢だ」
「僕が幻覚ならキミは異常者ってことになるね」
「違う、僕は異常者でも、ましてや異能者でもない。戦いなんて、しない!」
「キミは戦う必要は無い。ただ僕に身体を委ねてくれればいい。僕はどこにもいないし、どこにもいる。誰でもないし、誰でもある。だから僕がこの世界に干渉する方法はキミを介するしかないのさ」
「いやだね、消えろ道化師《ジョーカー》!」
 飛鳥は自分の顔をした人物、道化師姿の少年にそう激しい言葉を発した。
 道化師は特に怒った風でもなく、少しだけ溜息をついて飛鳥を見つめる。
「な、なんだよ……」
「望む望まないに関わらず、キミは必ず戦渦に巻き込まれる。それだけは覚悟しておいた方がいい」
「うるさい、消えろ消えろ消えろ!」
 飛鳥は取り乱したように眼を瞑り、そう叫んでいた。
「藤森君、どうしたの?」
 突然背後からそう声をかけられなければ飛鳥はいつまでもそうしていたかもしれない。自分の名前を呼ばれ、はっと我に帰った時にはもう道化師の姿は目の前にはなかった。
(くそ、俺はまともだ。狂ってなんかいない――)
 飛鳥が憎たらしげにさっきまで道化師が座っていた皺すらならいベッドのシーツを見ていると、誰かの腕が飛鳥の首に巻きついてきた。
「もう、どうしたの藤森君」
「羽里先生……」
 それは先ほどの声の主であり、保険教師でもある羽里由宇《はねざとゆう》であった。
 羽里は二十代半ばの若い女教師で、大人の色気を持ちながらもどこか可愛らしい感じのする女性であった。すらりとしたスタイルのいい体躯に、無邪気さを持つ柔らかい表情が特徴的だ。
 保険教師でありながらも、なぜか飛鳥に対する接し方は教師と生徒のそれではなかった。飛鳥も彼女が身体をくっつけてくることに抵抗はないようである。
 それはまるで長い付き合いの恋人同士のようである。
「藤森君、大丈夫? 随分顔が青いけど」
「仮病でここに来たはずなのに、ここに来たら本当に気分悪くなっちゃったよ先生」
 飛鳥はどっと疲れが出たようで、どかっと勢いよくベッドに座り込んだ。
 羽里もその隣にくっつくように腰を下ろす。
「藤森君、また“あれ”なの?」
「うん。またあいつが僕の前に……」
 飛鳥はこれまで何度もあの自分の顔をした道化師に出会っていた。
 それこそ彼が双葉学園にやってくる前からである。何度も彼の前に現れては意味不明のことを口走り、また消えてを繰り返している。
 飛鳥本人以外には道化師は見えず、大人たちに言っても幼かった彼の妄想か、頭がおかしくなったかとしか考えていなかった。
 頭を抱えた飛鳥の両親は、飛鳥を精神病院に連れて行った。しかしそこは双葉学園関係の息がかかっていたため、彼は異能の素質があるのではと、学園に連れてこられ、研究の対象になっていた。
 しかし、結果は白。
 飛鳥に異能の源である魂源力は確認できなかった。まったくのゼロ、素質も可能性も一切なかった。精神判断でも彼は正常と出たため、誰も彼もが首を捻った。そして大人たちが出した結果は構ってもらいたいだけの妄言だということ。
 しかしそれで、万に一つの可能性のために双葉学園にそのまま入学させられたのである。強制ではなかったが、両親が自分のことを不気味がっているのを理解していた飛鳥は、進んで双葉学園の寮に入ることにしたのだ。
 しかし、それでも中学以降道化師に会う比率は少なくなり、ここ一年はまったく遭遇してはいなかった。
 カウンセラーも担っている保健教師、羽里と親しくなったのもそれが由来である。道化師と会うたびに羽里の下に泣きついていた彼は、なし崩し的にそういう関係になっていたのである。母性本能をくすぐる彼の性格と容姿は、羽里にとってとても放っておける少年ではなかった。
「大丈夫よ藤森君。私がついてるから」
「うん、ありがとう先生」
「少しここで休んでいきなさい。始業式が終わったらちゃんと教室に戻るのよ」
「うん……」
 飛鳥はそのままベッドに寝転がり、羽里は彼の頬を愛おしそうに撫でていた。
 飛鳥はその心地よさに眠気を感じ、ゆっくりと意識を沈めていく。
 その意識の底で道化師が笑っていた。


            ※


「なんなのここは……」
 雨宮真美は資料棟最深部の部屋に無理矢理連れてこられ、怯えきっていた。
 辺りには雑多に紙の資料や、ディスクに焼かれたもの、物的資料など様々なものが置いてある。拾い空間であるはずなのに、物が多すぎてとても狭く感じてしまう。
 彼女をここに連れこんだ張本人である雨宮たちの担任教師、四谷は不適な笑みで扉に背をもたれかからせていた。ここからは出させない、ということであろう。
「だから言っただろう雨宮。ここは双葉学園の暗黒史が置かれている。それをキミにも見てもらいたいのだよ」
 四谷は普段のような軽薄さはなく、今の彼にはどこか不気味で威圧感のある印象を受ける。とても生徒に人気のある二枚目教師には見えない。
「だから、なんで私なのよ……意味が解らないわ……」
「それはね、キミが“死の巫女”の一人だからだよ雨宮真美」
「“死の巫女”……?」
「そうだ、キミは我々の希望の光の一つ。魔女に選ばれた存在。新たな世界の可能性」
 四谷は理解不能な言葉を口走りながら近づいてきて雨宮の手をとる。
「や、やめて下さい!」
「やめないよ。これを見るんだ」
 そう言って四谷は雨宮を拘束し胸に抱き、部屋にあった資料のディスクを取り出して、その場にあったパソコンに挿入した。
「さあ一緒に見ようか、この地獄のような現実を」
「何を言ってるんですか先生、私に何を見せようと――」
 挿入されたものは映像ディスクのようで、立ち上がったパソコンにその内容が再生されていく。自分の力では大人の男性に抗えないと悟った雨宮は、諦めてその映像に目を向ける。その映像は劣化が酷く、擦り切れているようではあるが、ノイズ混じりになんとか見ることはできるようだ。
 そこに映し出されたのは学園のグラウンド。グラウンドといってもいくつもあるため、ここが第何グラウンドかはこの映像ではわからない。
 しかし、そこには百人近い生徒たちが映し出されていた。
(何をしているところなのかしら)
 雨宮は映像を凝視する。とてもつもなく不穏な空気がその映像から伝わってきたのである。そこに映し出される生徒たちの目からはっきりと、殺意のようなものを感じ取ることができた。
「これは――な、何をしてるの四谷先生……」
「見ていればわかる」
 そう言われ、雨宮も黙ってその映像を見つめ続ける。
 やがて音声が聞こえてきた。
 それはあまりに悲痛な子供の声。
 怯え、震え、それでいて死を覚悟しているような、そんな声。

『人間のみなさま・・・・・・ごめんなさい。異能者のみなさま・・・・・・ごめんなさい。・・・・・・島に住むみなさま・・・・・・ごめんなさい。うちの父親が、みなさまに大きな迷惑をかけてしまって・・・・・・。悪いのは僕らですから、どうかみき姉ちゃんたちを・・・・・・』

 そしてその直後、雨宮は叫び声を上げたくなるほどの地獄を見ることになった。


            ※


 羽里由宇は天使のような寝顔で目の前で眠っている少年、藤森飛鳥を見て癒される気持ちになっていた。
 毎日様々な病んだ生徒たちの相手をして、彼女自身疲れていた。
 そんな生徒の一人が飛鳥であったのだが、彼はどの生徒よりも羽里の中で愛らしい存在になっていった。
 飛鳥には精神の異常は見られなかった。それでも道化師が自分に語りかけてくるという妄想に取り付かれていることは、彼はきっと寂しいのだろうと、羽里は診断していた。
 彼に優しく接していく内、逆に羽里は飛鳥の優しさに触れ、魅かれていった。やがて教師と生徒、医師と患者という関係を越えるには時間はかからなかった。
(まったく、なんでこんなボウヤなんか好きになっちゃんたんだろう)
 そう思いながら寝ている彼の頬をぷくっと突っつく。
 なぜ魅かれるのか、それは彼女にもよくわからなかった。
 いや、人を好きになることに理由なんてないのかもしれない。
 それでも飛鳥は自分のことをどう思っているのか、それだけが気がかりであった。何歳も年上の自分を彼は本当に愛してくれるのか。思春期の過ちとして彼の中で終わっていくのではないのか、でも、それでもいいのかもしれない。
 一時でも幸せなら別にいい。羽里はそう考えていた。
「羽里先生、いますか?」
 突然生徒の声が保健室に響いた。
 それを聞いて羽里は慌てることになる。男子生徒と同じベッドにいるのを見られたらどう誤解されるかわかったものではない。いや、誤解ではないのだろうが。
「ちょ、ちょっとそこでまってて。今行くから!」
 羽里はベッドのカーテンを閉めて、声がした扉のほうへ向かっていく。
 そこには一人の女生徒が立っていた。
 セミロングの茶髪に、強気な瞳をした、いわゆる今時の女子高生といった感じの少女である。少し顔が青白く感じるが、別段調子が悪そうには見えない。
「どうしたの、まだ始業式中でしょ? さぼりなら受け付けないわよ」
「違うわ先生。向こうで始業式に向かう途中で友達が倒れちゃったんです。何が原因かわからないし、呼びに来たんですが」
「ああ、そうなの。じゃあ行きましょう」
 羽里はその女生徒と一緒に保健室から出て行く。寝ている飛鳥のことは気にはなったが、一先ずこのままでいいだろうと、羽里は扉を閉めて出て行った。
「あなた学年は?」
「今日から三年生ですよ。Y組の新田薫《にったかおる》です」
(Y組か、藤森君と同じクラスね)
 それなら余計に飛鳥との密会を見られずによかったと安堵する。
 さすがにばれてしまったら問題になるだろう。一介の医師である自分の代わりはいくらでもいる。問題があればすぐに学園から追放されてしまう。それだけは避けなければならない。
「それで、その友達ってどこに倒れてるのかしら。場所によっては保健室に運ばなきゃいけないし、誰か他の教師を呼んだほうがいいかもよ」
「いえ、多分大丈夫ですよ先生」
「え?」
「人手ならいっぱいありますから」
 その瞬間廊下の影から何人もの女生徒たちがわらわらと出てきた。様々なタイプの生徒たち、優等生そうな少女に不良少女、普通ならばつるんでいるのを見たこともない取り合わせで羽里の前に現れた。
「ず、随分とお友達が多いわね……それで、誰が倒れてたお友達かしら」
 羽里は顔を引きつらせながらもそう軽口を叩く。しかし、少女たちが手に持つものを見て、もはや何も言うことができなくなってしまった。
「安心して先生。倒れるのは貴女だけよ」
 そこにいる全ての少女の手には、ナイフが握られていた。







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