【ジョーカーズ・リテイク 愚者たちの宴:part.3】

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【ジョーカーズ・リテイク 愚者たちの宴:part.3】





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 あゆみはもう自分がどうなっているのかわからなかった。
 確かに自分は夏子にナイフで刺されたはずなのに、あの時の痛みはもうない。しかし、どこか頭がクラクラして、思考が定まらない。
 気が付けば保健室から出て、目標も無く、校舎をふらついていた。
 そして、飛鳥を発見した瞬間、彼女の心は真っ黒な感情に侵食されていく。
「自分が一番愛しいと思う人間を殺せ」
 そんな言葉があゆみの身体を支配した。
 それは恐るべき魔女の囁き。しかし、あゆみはそれを理解することなく、その言葉のままに、衝動のままに身体を動かしていた。
 気が付けばあゆみは自分でも信じられない力で彼らを襲い、そして直によって撃退されていた。
(あれはバトルジャンキーの皆槻直……なんで私はあの怪物の攻撃を食らって平気なの――?)
 直の攻撃を彼女のような非能力者がまともに食らえば、普通ならば動くことなどままならないだろう。しかし、やはりあゆみには痛みもなく、平気で身体を動かすことができた。それは有り得ないことが自分におきているのだと、あゆみに理解させるには十分であった。
「おい、お前自我があるのか?」
 隣に座る学生服の少年、バラッドはそうあゆみに問いかけてきた。
(あれ、こいつ確か同じクラスの古川正行――)
 二人は今、双葉学園都市の片隅にある廃工場区域に身を潜めていた。バラッドはここまであゆみと弥生を抱えてやってきたのだ。
「ふん、まさかクラスメイトが化け物だとは思わなかったぜ」
 バラッドは廃工場の一室に座りながら、同じく膝を抱えて座っているあゆみにそう話しかける。
「ば、化け物じゃないわよ!」
「化け物じゃなかったらなんなんだよ。お前能力者じゃないんだろう」
「そ、そうだけど……」
 あゆみは自分の身体を見つめる。夏子にも、直にもやられたその傷は全て塞がっていた。能力者ではないのに、ただの普通の女の子であったはずなのに、自分の身体はどうなってしまったのか、自分は何になったのか。それは彼女にはわからない。
「まあ、ラルヴァって雰囲気でもないしな。これは機関に渡せば俺も任務から解放されるかもしれないな」
 バラッドはぼそりとそう呟いた。
「ねえ、あんた。私を連れてきてどうするつもりなのよ。それに藤森の妹まで……」
 あゆみは床に寝転んでいる弥生に目を向ける。
 手足を縛られ、口も眼も塞がれている。どうやらまだ眠っているようだ。
「藤森飛鳥をおびき出すためだ。学園で殺しは醒徒会やらがやっかいだしな」
「な、なんでよ。なんで藤森を殺す必要があるの!?」
「ああ? 何言ってるんだ。藤森を殺したがってるのはお前だろう。明らかにあの時のお前はあいつをやる気だったじゃねえか」
「う――」
 あゆみは言い返せなくなる。自分では理解できない衝動に駆られ、飛鳥を殺さずにはいられなくなった。それが自分の身体の異変と関係があるのかもわからない。
 やはり自分も人間ではなくなってしまったのだろうか、あゆみは膝を抱き、俯くしかなかった。
「ねえ、古川。あんたこそ何者なのよ。普通の生徒じゃないんでしょ」
「まーな。お前たちが見ている世界だけが世界の全てじゃないってことだよ。世の中には俺のような存在もいる。まともな人生を歩めなかった人間がな」
 バラッドは投げやりにそう答えた。あゆみはそれ以上追及しない。どうせ聞いても真っ当な返事など返ってこないだろう。それに、バラッドの眼は普通ではない。世界を憎む者の眼をしていた、そう、自分と同じ。

              ※


 バラッドは何故自分がこんな行動をとったのか、もはや理解を放棄していた。
 それはただの破壊衝動。今のつまらない状況を脱却できるのならば、理由などなんでもよかったのかもしれない。
 校舎であゆみの足音を追い、あゆみが飛鳥たちを襲っているのを見て、バラッドは興奮で高ぶる気持ちを抑えられなかった。
 不死のような存在になっているあゆみを、オメガサークルに渡せばきっともう学園での調査任務から開放されるに違いない。
 そう思いあゆみを連れてきた。
 どうやらあゆみは飛鳥を狙っているらしく、バラッドとしても、何故あゆみが飛鳥の命を狙っているのかは気になった。その真相を確認するために弥生を人質にし、あゆみが飛鳥を殺すのを見届けようと考えていた。
 いや、バラッドは単純に飛鳥がぐちゃぐちゃに潰されるのを見たかっただけかもしれない。あの綺麗な顔と、細い身体が細切れになるのを想像するだけでにやけが止まらない。
 バラッドは同胞のアダージョのことを思い出す。
 アダージョと飛鳥は似ていた。飛鳥が女顔というのもあるのだろう、勿論全体的な顔の作りは似てはいないが、あの流れるような潤んだ瞳、柔らかそうな唇。艶やかな髪の毛。パーツがアダージョによく似ており、バラッドが飛鳥に固執する理由もそこにはあった。
 バラッドは美しいものを破壊したいのだ。
 弱いものを蹂躙したいのだ。
 殺したいのだ。
 犯したいのだ。
 バラッドは舐めるように弥生の身体を見つめる。
(藤森飛鳥を殺した後でこの妹も殺してやろう。ああ、楽しみだ。今日は宴だ。俺の任務が完遂される、そのための宴だ!!)
 バラッドは声を殺して笑った。
 この世の全ての美しいものが死ぬのを見たい。
 美しい世界が悲鳴を上げ、血に塗れるのを見たい。
 世界が滅びていくのを見たい、バラッドはその時心からそう思っていた。



           ※


「飛鳥先輩。キミはどうする」
 バラッドとあゆみが去った後、直は飛鳥にそう尋ねた。
「ぼ、僕は――」
「敵はまともじゃない。藤森君のこともある、他に助力は得られない。飛鳥先輩はどうしますか?」
 直は飛鳥のほうを振り向き、飛鳥の眼を見てそう言う。
 飛鳥は未だ震えが止まらず、もうどうしたらいいのかわからなかった。クラスメイト二人に襲撃され、妹を連れ去られる。その彼の許容を超える事件に遭遇し、彼は茫然自失に陥っていた。
 自分の無力に、敵の強靭さに、世界の理不尽さに、その全てに絶望していた。
(弥生……。僕は、僕はどうしたらいいんだ。教えてくれ明日人……)
「飛鳥先輩……。立ってください。妹さんを取り戻したくないんですか」
「む、無理だよ……。僕には……」
「じゃあどうするんですか。見捨てるんですか」
「仕方ないじゃないか! 僕は、僕は無力なんだ! 異能も無い! 体力も無い! 勇気だって、無いんだ――」
 飛鳥は叫んだ。それは心からの叫び。
 地面に手をつき、まるで土下座のように顔を伏せる。
 何も出来ない。自分には、誰も助けることなんて出来ない。ましてや世界を滅ぼす敵と戦うことなんて出来るわけがない。
「そうか、わかりました。藤森君は私が助け出します。私が油断したから藤森君を連れて行かれたんですからね。私があいつらと戦う」
 直は飛鳥から目を逸らし、地面に視線を落とす。
 そこには砂で『深夜零時に第五工場跡に来い』で書かれていた。どうやらバラッドの能力で振動を利用し砂を動かし書き込んだのだろう。直はそれを他人に見られないように足で消してしまう。
 直はそのままその場を去り、飛鳥はぽつんとそこに残された。
 飛鳥はどうしたらいいのかもわからず、ふらふらと歩きだした。
(そうだ、一度寮に帰ろう。疲れた。きっとこれは悪い夢なんだ。一度寝ればきっと覚める悪い夢)
 飛鳥はもはや現実を受け入れられなかった。
 死んだはずの明日人に出会い、そこから日常が崩れてしまったかのようであった。
(明日人、お前が言っていた“敵”ってこのことなのか)
 男子寮につき、飛鳥は自分の部屋にたどり着いた。いくつかある男子寮の中で、ここは一番酷く、寮というよりはオンボロアパートといったところである。四畳半の畳み式の部屋。飛鳥にはむしろ狭い方が落ち着くのである。
 部屋の片隅に座り、飛鳥は一息つく。
 弥生のことは心配だ。だけど、自分ではどうしようもない。
 あのバトルジャンキーと呼ばれている皆槻直ならば、きっと弥生を救い出してくれる。自分がいても足手まといになるだけだ。そう自分に言い訳をして、彼はその場にうずくまるしかなかった。
 こうして眼を瞑り、耳を塞ぎ、口を閉ざして夜明けを待てば、きっと弥生は無事に帰ってくる。平穏な日常が戻ってくる。そう信じていた。
(明日人、すまない。俺はジョーカーにはなれない)
 しかし、飛鳥はふと、何を思ったのか押入れに向かい、戸を開ける。そこには実家から持ってきた様々なものが入っていた。
その中から飛鳥は、黒い布キレを取り出す。
「ジョーカー、か。そうだった。ジョーカーは僕たちにとって“強さ”の象徴だったよな」
 それは子供の頃、明日人が両親に頼んで買ってもらった道化師の衣装であった。大人サイズしかなかったため、親は買ってもしょうがないだろうと駄々をこねる明日人をなだめていたが、結局買ってもらったのだ。

「僕ね、大きくなったらこれを着るんだよ。それでヒーローになるんだ」
「ヒーローって。なんでピエロがヒーローなのさ」
「ピエロじゃないさ。黒い道化服はジョーカーだよ。この世界を護る最強の存在に僕はなるんだ」

 よく二人でそんな他愛も無い話をしていた。
 鏡の中の明日人があんな格好をしていたのも、きっとこのことを覚えていたからであろう。
「明日人……。お前は強いさ。だけど僕はジョーカーになんかなれない。世界を護るなんて出来ない。たった一人の妹でさえ、護れないのに」
 ぎゅうっと道化師の衣装を抱きしめる。
 古い布の匂い。明日人の匂い。
 懐かしさで涙がこみ上げてくる。
「飛鳥、キミだって本当は強い。それを忘れているだけだ」
「え――?」
 突然声が聞こえ、飛鳥はどこから声が聞こえてくるのかと、辺りを見回す。
 部屋についてある小さな鏡。そこに、明日人、いや、ジョーカーが映りこんでいた。
「飛鳥、今こそ戦いのときだ。弥生を護るんだ」
「無理だ。僕には、僕には出来ない……」
「やるんだ飛鳥。やるしかない」
 飛鳥はジョーカーから目を逸らし、うずくまる。
 戦い。
 殺し合い。
 そんなものを自分がするなんて、考えたくない。
「飛鳥。さあ立て、立つんだ!」
「うるさい! 明日人は死んだ!! お前は僕の妄想だ!」
 ぱきん、という音が狭い部屋を包んだ。
 飛鳥が鞄を鏡に叩きつけ割ってしまったようだ。もう鏡の中にはジョーカーはいない。飛鳥は泣き崩れ、やがて日が暮れていく。
 それでも飛鳥は考えた。
 たった一人で考えた。
 自分がどうするべきかを。


        6

 午前零時。
 暗黒があたりを包み、人間の気配はそこにはなかった。切れかけた電灯が、申し訳なさそうに少しだけ辺りを照らす。
 場所は双葉学園都市の片隅にある廃工場。鉄骨やコードが無造作に放置され、色んな建物が朽ちて腐っている。
 そんな中、皆槻直はゆっくりとした足並みで歩いていた。
 約束通りたった一人で、誰の手も借りようとせずにやってきた。正体不明の敵を相手にするために。友人を取り戻すために。
(こんな無茶したって知ったら。またミヤの奴に怒鳴られるな)
 直は宮子の怒る顔を想像し、一人苦笑していた。
(だけどあの時はミヤも巣鴨君もいたから敵を撃退できたが、私一人でどこまでやれるか――)
 直は意識せずに拳を握る。あの少女、あゆみには攻撃が効かず、もう一人の男は強力な異能を持っている。自分ひとりで適う相手なのか、直はらしくもない不安にかられていた。当然である。なぜならこの戦いには弥生の命がかかっているからだ。自分が負けるだけならばともかく、誰かに被害が行くというのなら、自然身体に緊張が走るのも無理は無い。
(しかし、詳しい場所は書かれていなかったが、一体やつらはどこにいるんだ)
 直はきょろきょろと辺りを見回す。
 どこから攻撃が来るかはわからない。意識を集中して周囲に気を配る。
「おいおい、俺は藤森飛鳥に来いって言ったんだぜ」
 どこからかそんな声が聞こえてくる。
「どこだ!」
「ここだ、ここ」
 直が上を向くと、そこには鉄塔に立っている学生服の少年がいた。


「よおバトルジャンキー、噂は聞いているぜ。俺はバラッド、ただの改造人間だ」
「改造人間……?」
 直はバラッドと名乗る少年の謎の言葉に眉を顰める。
「別にお前が知る必要は無い。どうせお前はここで、俺に殺されるんだからな」
「ふざけているのか。お前たちの目的は何だ。藤森君を返してもらおうか」
「目的か。目的なんかねーよ。俺はただあいつが死ぬのを見たかっただけだ。だが、何の間違いかお前がきちまったしな」
 バラッドは首をコキコキと鳴らし、戦いの準備に入っていた。
「だから藤森飛鳥の変わりにお前をぶち殺して、犯して、砕いて、食らってやるよ!」
 凄まじい轟音と共にバラッドが立っていた鉄塔の柱が震えたかと思うと一瞬にして粉砕され、その衝撃を利用しバラッドは跳躍したまま直に飛びかかってきた。
「さあ! 俺とデートしてもらうぞデカ女!」
「そいつはごめんだね!」
 直はワールウィンドを解き放ち、空気の噴射による加速で空中より飛来するバラッドを殴り飛ばそうと拳を振り上げた。
 バラッドも掌を広げ、その手で直の拳を止めようとする。
(無駄だ、私の拳を素手でガードしようなんて――)
 しかし、直のその確信は、文字通り砕かれることになる。
「そんな!?」
 バラッドの掌に包まれた直の拳は破壊音と共に粉々に砕け散った。いや、正確には直が拳につけていたブラスナックルが破壊されたのだが、それが無ければ骨までも粉砕されていただろう。
「無駄だ、お前じゃ俺に勝てない」
 バラッドは醜く口を歪ませ笑う。
「くそ!」
 直は咄嗟に危険を感じ、咄嗟にバックステップで数歩下がる。その直後バラッドの第二撃が振り下ろされた。そのバラッドの手は直の鼻先を掠め、地面に激突する。
 バラッドの手が地面に触れた瞬間地面がまたも大きく揺れ、バラッドが直接触れた部分は粉々になり、砂のようになっている。
「おっと、避けたのはいい判断だったな。ちょっとでも肉体に俺が触れればお前はすぐに粉末状になっちまうぜ」
「超振動……か」
 直は砕かれたブラスナックルや地面を見てそう呟いた。
「そうだ、俺の能力は振動を操る。肩たたきレベルから地震、高周波振動までなんでも操作出来る」
「は、反則だそんなもの」
「ふん、俺は機関の始末屋だったからな。まったく学園に送り込まれなければもっと戦いを満喫できたんだが。いや、今は感謝すべきか。あの有名なバトルジャンキー皆槻直と戦えるんだからな」
 バラッドはニヤニヤと不気味に笑いながら近づいてくる。
「やるしか、ないのか」
 直は強敵を前にしても、逃げ出すという選択を選ぶことは無かった。


          ※

 バラッドが突然どこかへ行ってしまい、あゆみは途方にくれていた。
 弥生と違い自分は縛られているわけではないので、いつでも逃げだそうと思えば逃げられるのだが、今さらどこへも行けるわけがなかった。
 恐らく自分は人間ではなくなってしまったのだろう。
 もし双葉学園の生徒に見つかれば、ラルヴァ認定され、下手をすれば殺される。
 あゆみは三年前に起きた事件を思い出していた。噂程度でしか効いたことは無く、その真偽はわからない。だが一部の生徒の間で流れる学園の黒い噂。
 三年前に殉職、失踪した立浪姉妹が実は生徒たちによる虐殺行為により消されたのだと。
 ラルヴァの因子が確認され、彼女達は殺されたのだと。
 あゆみはその噂を思い出し、身を震わせる。
(やだ、やだ! 死にたくない、死にたくない)
 今まで自分たちの周りで普通に接してきた相手が突然自分を殺しに襲いに来るということは、想像出来ないほど恐怖だ。
(立浪姉妹もこんな風に震えてたのかな。私も彼女達みたいに殺されるんだわ。そんなのいや、絶対いや)
 しかし、あゆみは飛鳥のことを考える。
 飛鳥も自分というクラスメイトに襲われ、どう思っているのだろうか。
 きっと怖がっている。きっともう私のことを見てくれることは無い。そう考えるだけで彼女の胸は張り裂けんばかりであった。
 ああ、ならどうすればいい。
 この想いはどうしたらいい。
 叶わぬ恋。
 相手の顔を見れば殺さずにはいられない。会うこともできない。
 ならばいっそ、いっそもう殺して――
「うー! うー!」
 その声であゆみははっと我に帰る。
 どうやら弥生が目を覚まし暴れているようだ。あゆみは弥生に近寄り猿轡と目隠しをとってやる。暴れられてもいやなので、縄は解かなかったのだが。
「ぷはぁ! はぁはぁ……ここは、どこ?」
「こんばんは――えっと、弥生ちゃん。私あなたのお兄さんのクラスメイトの谷川だけど」
「え、こんばんは……。ってなんで私を誘拐するんですか! 私はお兄ちゃんなんかと関係ありません!」
 なにげに酷いことを言い、弥生は怯えながら怒っている。
「う、うん。ごめんね。私も何で古川の奴があんたを誘拐したのか目的はよくわからないけど。でも、それも含めて全部私のせいだよね。ごめん」
 あゆみは謝った。兄を殺そうとし、弥生を誘拐したのに、そんな風に軽く謝った。
 もう、総てがどうでもいい、そんな風に思えてきた。
「谷川……さん。なんでお兄ちゃんを殺そうとするの?」
 あゆみに昼のときのような化け物じみた雰囲気を今は感じず、弥生はごく普通にそう聞いた。物騒な話だが、今のあゆみはただの女の子になっているのだと弥生もわかっていた。
「わかんない。自分でも抑えれない衝動に支配されて、意識はあるんだけど身体は言うこときかなくて。気が付いたら藤森の奴を襲ってたの」
「そんな、一体どうしてそんなことに……」
「わからないわ。でも、きっとまた藤森を見たらまた彼を襲ってしまう」
「じゃあ――」
「うん。私もうここにはいられない。藤森には二度と会わないほうがいいね」
 あゆみは自分に刺さっていたナイフを取り出した。
「ひっ!」
 それを見て弥生は小さな悲鳴を上げるが、あゆみは苦笑しながらそのナイフで弥生を縛っている縄を切ってやる。
「あ」
「もういいから逃げな。私はもう駄目。人間には戻れないのよ。弥生ちゃん、あんたはお兄ちゃんをもっと大事にしてあげな」
 あゆみは何かを決意した顔でその場から立ち去ろうとする。
 しかし、その瞬間大きな揺れが廃工場を襲った。
「きゃあ! またあの地震!?」
「古川か――」
 今、この時既に、パーソナル・バイブレーとワールウィンドの激しい戦いが始まっていた。


          ※


 いつも泣いて帰ってきたのは明日人のほうであった。
 ガキ大将と喧嘩をし、怪我をして帰ってきていた。理不尽なガキ大将の横暴を訴え、明日人は彼に立ち向かっていた。だが身体の小さな明日人は必ず負けて帰ってくる。
 そして、明日人がそうやって帰ってきて一番怒っていたのが飛鳥であった。
 飛鳥は明日人がやられる度に敵討ちに出かけていた。
 少年の頃の彼は強かった。
 勇気があった。
 理不尽と、敵に立ち向かうだけの心があった。 
 しかし、それは明日人がいたからであった。明日人が死んでから飛鳥はまるで死んだように生きてきた。戦う力を失った。
 二人なら戦える。二人ならば負けない。しかし、それは一人なら何も出来ないということと、飛鳥はこの数年で学んできた。
(僕は、僕は――)
 あの時は弥生も飛鳥を頼り、三人とも幸せだった。
 しかし、それはいとも簡単に壊れてしまった。
 神の気まぐれで、世界の不条理によって。
(僕だって、本当は、みんなを護りたいんだ――)
 気が付けば飛鳥は寮を飛び出していた。
 自分の鞄の中に入っている道化師の衣装をちらりと見て苦笑する。
(変な服だよなこれ。よくこんなの明日人は欲しがったよ。でも、これを見てるとなんだか勇気がわいてくる)
 震える足を引きずりながら、尚も歩を進めた。
 走った。
 肺に侵入してくる空気が痛くて、血の味がする。
 眼が回る。
 胸が破裂しそうに高鳴っている。
 それでも向かうは第五工場跡。
 それでも助けたいのはたった一人の妹。
 それでも倒すべきは世界を滅ぼすものたち。
 敵。
 敵だ。
「明日人!! 僕は! 僕は――!」
 飛鳥は叫んだ。それは悲痛なものであった。
 どうしようもなく無力な自分。
 それでも、やらなければならない時がある。それが今だということを、わからないほど飛鳥はクズではなかった。
 しかし、飛鳥の叫びは途中で途切れることになる。
「う、うわああ! 地震!?」
 凄まじい揺れが辺り一帯を襲った。その衝撃で廃工場の一部が崩れ始めた。
 飛鳥はそれを見て焦る。
「や、弥生!」
 飛鳥は全力で走る。あそこに弥生がいるのなら、危険だ。いつあそこが全壊するかわからない。もつれる足で彼は走る。途中何度も転び、あちこち怪我をしながらも、それでも走らずにはいられない。
(もう、兄妹を失いたくはないんだ――!)
 恐怖で頭がいっぱいだった。
 恐ろしい怪物の谷川あゆみ。この地震を起している強力な異能者の古川正行。
 だが、彼ら以上に、弥生を失うほうが怖かった。
 この理不尽な世界に屈服するほうが、よっぽど怖い。
「明日人! お前が僕の妄想だって構わない。僕は、戦うぞ!!」
 傷だらけのヒーローは、今、ここにいる。


 Part.4につづく(予定)





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最終更新:2009年08月30日 23:53
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