【キャンパス・ライフ2 その5】


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 醒徒会長は雅を呼び出したあの日、こんなことも言っていた。


 雅が恐る恐る、こうきいたときだった。
「まあ、会長の配信した動画を見れば、それは言うまでもないことなのでしょうが・・・・・・『血塗れ仔猫』は当然、粛清するんですよね?」
「当然だろうが」と、藤神門御鈴は急に険しい顔つきになった。
 白虎がいつの間にか昼寝から起きていて、雅のことを見つめている。つぶらな黒の瞳はとても深い色合いをしていて、彼と目を合わせていると飲み込まれてしまいそうであった。
「大量に流れ出た血と涙に報いるためにも、血塗れ仔猫の存在は許されないのだ。立浪みきは、もはや立浪みきではない。今や七名の少年少女をその手にかけた『ラルヴァ』だ。私たちは醒徒会だ。どうして私たち醒徒会が、島の住人を恐怖に陥れた彼女を抑止せずにいられよう?」
 やっぱり、醒徒会は立浪みきを倒すつもりなのだ。彼女にとってそれは本意ではなかったとはいえ、七人もの罪の無い命をむしり取ってしまったのだから、異能者もラルヴァも関係なく醒徒会が止めなければならないのだ。
「ときに、遠藤雅」と、今度は御鈴がきいてくる。「立浪みかと立浪みきには、もう一人『妹』がいることを知っているだろうか?」
 雅の心臓が跳ねる。つまり、御鈴はみくのことをきいているのだ。
「は、はい・・・・・・。よく知っています。入学してからとても親切にしてもらっている友人です」
「立浪みくもラルヴァの血が流れているとしたら・・・・・・。それはもしかすると、立浪みきと同じように暴走する可能性もあるのかもしれないな」
「何を言いたいのです」
「私は心配をしているのだ」と、会長は言う。「立浪みきという前例ができた以上、立浪みくにも監視の目を向けなければならない。お前は知らないだろうが、行方不明になった彼女を今、学園側が必死に探しているのだ。高等部の国語教諭が熱心に取り組んでいるそうだぞ」
「みくが、血塗れ仔猫みたいになるのかもしれないとでも言うのですか」
 むっとしてそう言った雅をまったく気にすることなく、御鈴は彼にこうきいた。
「遠藤雅、よくよく思い出して欲しい。これまで立浪みくと一緒に行動していて、彼女が凶暴な力に飲み込まれそうな『前兆』というものはなかっただろうか?」
 御鈴の瞳と、白虎の瞳が雅をじっと捉えて離さない。ここでようやく、彼は尋問されていることに気がついた。
 思い当たる節々は、実は無いわけでもなかった。ラルヴァや与田のロボットと戦うみくは、どこか凶暴で好戦的で、怖い目をしていたと思う。公園での戦闘を思い出す。
 みくはひとたび容赦を捨てると、徹底的にロボットをいたぶった。
『ほらほらあ、ちょっとは反撃してみなさいよ! いったいあんたがどういう悪巧みしてん のか知らないけど、それももうここまでなんだから! おとなしく私たちに撃破されなさい! バラバラになってくたばっちゃいなさいな、あはははっ』
 ロボットをげしげしと踏みつける冷酷な表情は、雅に強い恐怖を与えた。小学六年生の少女がする表情ではなかった。きつい釣り目に極端な四白眼。金色の瞳は五円玉の穴ぐらいにすぼまっていた。子どもの顔を逸脱したひどい形相であった。
 雅はみくが怖かった。だから、あの時はみっともなく敵に背中を向けて、戦いから逃げ出してしまった。今ここで本音を言えば、怖かったのは異能者としての生活でも与田のロボットでもなく、悪魔の顔をしていたみくであったのだ。
「これからどんなささいなことでも彼女に異変が起こったら、躊躇しないで私たち醒徒会に伝えて欲しい。お前は貴重なヒーラーだからな。お前とあの妹を一緒に行動させることは、我々学園にとってハイリスクなのだ」
「みくを、悪く言わないで・・・・・・」
「仕方のないことなのだ。私たちは醒徒会だ。私たち醒徒会は、学園のみんなや島のみんなを守らなければならない。お前のことも守らなければならないのだ。だから、遠藤雅。私たちに協力してくれるよな? お前は私たち醒徒会に、何でも協力してくれるよな?」
 数時間前の質問をここで繰り返された雅は、ここで言葉を失った。


 ・・・・・・朝がやってきた。
 夏の間、ずっと一人で迎えてきた朝とは違い、不思議と爽快な気分で満たされていた。
 雅は、キッチンから聞こえてくる音に耳を澄ます。何かを焼いているのだろう、ベーコンの焼ける匂いが居間にも届いてきた。リリーとメフィーとメイジーが、布団の上でみーみー鳴いている。
 こんなにすっきりとした気持ちで起床できたのも、大切なパートナーが復帰し、そして、まあ、その・・・・・・。色々と腹を決めたこともあって、胸のつかえのようなものがいっぺんに解き放たれたからなのかもしれない。
 立浪みくは湯気の立ち上る皿を両手に持ち、機嫌よさそうに居間にやってきた。雅が起きたのを見ると目をぱっちり輝かせて、皿を置いてから、ベッドにあぐらをかいている雅のところへ寄った。
「オハヨ! とても爽やかな朝ね、うきうきしちゃう」
「ハイ・・・・・・おはようございます」
 みくにかかっている首輪を見ると、どうしても昨晩のことを思い出してしまって、落ち着かなくなってしまう。まるで幼女を一人飼育しているかのようだ。その筋の人間なら泣いて喜びそうなシチュエーションだが、雅にはその良さがちっともわからない。
「朝ごはんできたから食べて食べて! ふふっ」
 そう、みくは真正面から雅にべたべた密着しながら言った。
 彼の名誉のために記述しておくと、いちおう遠藤雅はロリコンでもないし、昨晩、過剰なスキンシップもしていない。お縄を頂戴するような真似はしていないのである。


「私がベーコンエッグを好んで作るのもね、みきお姉ちゃんがよく作ってくれたものだからなんだ」
「そうなのかあ。けっこう美味しいよ。そういえば初めて食べたみくの朝ごはんも、これだったね」
「あれからだいぶ経ったのね。いろんなことがありすぎて、遠い昔のよう」
「だなあ。僕は一般人からのジョブチェンジだから、もうこういう急な展開には慣れたよ」
 そう、雅は紅茶をすすりながら言った。双葉島に放り込まれたときは異能のことも学園のことも、ほとんどわからなかった。だからこの夏までに基礎能力を底上げし、能力に頼らない応急処置を覚えたり、基本的な実践訓練も積んできたりしてきた。頑張って身につけた護身術も、その一つである。
「そういやあんた、ナイフなんか持ってたけど、近接格闘でも始めたの?」
「ああ・・・・・・。みくがいない間とか、僕は無力だからねえ。護身術を練習してたんだ」
 せっかく手に入れたダガーナイフは折れちゃったけどね、と雅は苦笑しながら言った。
「ご主人様のことを守るのは飼い猫の役割よ? 無理しないでいいのに」と、みくはにこにこしながら言う。それから席を立ち、自分のカバンのジッパーを開けて、何かをごそごそ音を立てて探していた。
「ま、体を鍛えて、自分で自分を守っていく術を身につけようというのはいい心がけね。そういう真面目なとこ好きよ。愛してる」などとませたこと言いながら、みくは大きな物体を取り出してきた。
 それは、短剣というには大きすぎる、緑色の武器だった。
「あんた、これ持ってなさい。安物の刃物じゃ、ラルヴァとの戦いにとても使えないわよ。ちょっとでっかいけど、戦術とか使い方とかわかるならある程度扱えるでしょ」
「うわあ・・・・・・なんかすごい・・・・・・」
 雅はみくから武器を受け取ると、実際に握ってみる。大きさとは裏腹にとても軽くて、くすんだ緑色は電灯に反射して鈍い輝きを見せていた。
「あの折れちゃったものとは大違いだなあ! 強そうだし、こんな僕でもカラスの一体や二体、楽にやっつけることができそうだ! ありがとう、みく!」
「それ、死んだお姉ちゃんのものなのよ」
 子供みたいにはしゃいでいる雅を、みくの言葉が黙らせた。朝から泣き喚くセミの声が、部屋の中に入ってくる。
「私たち姉妹は猫の力を使って戦う種族であり、それぞれに個性として別々の武器が付与されている。私は黄の鉤爪。みきお姉ちゃんは青い鞭。そしてみかお姉ちゃんが使っていたのが、その緑のグラディウスよ。夏休みの帰省先で発見したの。魂源力によって具現させるものが、どうしてはっきりとした形で残ってるのか、いまいち私にもよくわかっていないけど。まあ、これからいつ、みきお姉ちゃんと遭遇して一戦交えるかもわからないし、お守り気分で持っておくといいわね」
 と、みくは言った。少しだけ表情に陰ができたのを、雅は見逃さなかった。


 晴れ渡った青い東京湾を、貨物船がひっきりなしに往来している。強い潮風の吹きつける中、雅とみくは双葉山の展望台に上った。
「お姉ちゃん、ここにいたんだね・・・・・・」
 と、みくは崖下を覗きながら言った。そこは三年前、彼女の姉が醒徒会と与田光一によって存在を抹消された場所であった。
 みくは滲んだ涙を人差し指で拭った後、こう言った。
「いったい、誰がお姉ちゃんたちを攻撃したんだろう・・・・・・」
 雅はみくに気づかれないよう、心の中で「あれ?」と首をかしげる。
 みくは真犯人を知らないのだろうか。与田光一がここで立浪みかの頭を撃ちぬき、当時の醒徒会が立浪みきに一斉射撃を浴びせたことを。この一人残された末妹は、事の真実を何一つ知らないのだろうか。
「お姉ちゃんの日記にはね、『私は姉さんが殺されてしまったのがショックなあまり錯乱してしまったので、誰に撃たれたのかわからないまま、次の攻撃を受けてしまいました』と記されてあったの」
 そうか、と雅は言った。みくは彼の顔を見上げると、乾いた笑い声を上げながら、こんなことを言った。
「誰が殺しやがったんだろうねえ、マサ?」
 小学生の子供とは思えない凶暴な発言と、低く震えた声に、雅の背筋が凍りつく。
「私は真犯人を見つけたら、きっとそいつを許しておけない。暴走を起こしたみきお姉ちゃんならまだしも、みかお姉ちゃんが殺されたことがどうしても解せないし、許せないの。学園のために頑張ってきたみかお姉ちゃんはどうして殺されなければならなかったの? みかお姉ちゃんを殺したのは誰なの? 何のために殺したの? 見つけてやる。みかお姉ちゃんを殺した誰かを見つけ出して、八つ裂きにしてやる。ふふ、うふふふふ」
 頭痛がする。潮のとどろきと共鳴して、ぎりぎりと頭が痛む。強い横風に乗ってやってきたかのように、不意にどこからか藤神門御鈴の台詞が聞こえてきた。
『立浪みくもラルヴァの血が流れているとしたら・・・・・・。それはもしかすると、立浪みきと同じように暴走する可能性もあるのかもしれないな』
 みくが七夕の日に姿を消したわけが、わかった気がする。
 下手したらこの子は力に飲み込まれ、学園の敵となってしまうのだ。醒徒会によって粛清されてしまうのだ。つまり自分のもとや、この学園にいられなくなってしまう――。
「みく・・・・・・!」
 と、雅はみくを抱きしめる。突然のことにみくは丸い目をぱちぱちさせた。
「そんなことは、僕がさせない」と、雅は言った。「お前が暴走を始めて真犯人・・・・・・いや、島の人間に危害を加えるようなことがったら、僕が絶対に止めてやる。たとえ僕が死ぬようなことがあっても、僕のできる限りみくを負の力から救い出したい」
「何言ってるの・・・・・・ばかぁ」と、みくも雅の胸に顔をうずめてこう言う。「私が嫌なのはマサが死んじゃうことだよ。私があんたを殺しちゃうことだったんだよ。だから七夕の日にマサから逃げ出した。だから、死ぬなんて言わないで。お姉ちゃんのように、もう大切な人を失いたくないの。そんなのイヤ。泣いちゃう」
「じゃあ、みくがみんなの敵に回るようなことになっても、ずっと側にいてあげる。昨晩のことですっかり吹っ切れたよ。僕とお前はこれからもずっと、一心同体であるべきなんだから」
「私は力に飲み込まれたりしないよ。だって、私はラルヴァなんかじゃないもの。言ったでしょ? 私はマサの『飼い猫』なんだって。ご主人様について離れない『飼い猫』なんだって」
『異能者』と『ラルヴァ』。二つの言葉の間を、色々な線を描いて結ぶことができる。それは「宿敵」であるかもしないし、「仇」であるのかもしれない。血塗れ仔猫との戦いを控えた醒徒会にとっては、今はそれにあたるのだろう。
 数年前の立浪みかと立浪みきの場合はどうか。『ラルヴァ』であることが判明した姉妹たちは『害悪』『脅威』という線を引かれ、双葉学園の逸脱者というレイベリングをされてしまった。彼女らはもはや同じ学友・異能者ではなく、学園生徒によって『ラルヴァ』という逸脱者のレッテルを貼られてしまった。つまり、猫の戦士は「双葉学園」という世界観において、否定・拒絶されたのだ。実際に血塗れ仔猫となって数々の残虐な逸脱行動に出てしまった立浪みきは、当然のことながら藤神門御鈴率いる醒徒会からも「双葉学園」の逸脱者と見なされ、まもなく粛清されようとしている。
 それから三年の時が経ち、立浪みくはこの宿命に真正面から挑もうとしている。果たして彼女はこれからも異能者として、「双葉学園」という舞台に残り続けることは許されるのか。遠藤雅という異能者とタッグを組み、戦っていくことは許されるのか。それとも『ラルヴァの妹』として排除されてしまうのか・・・・・・。
 風が止み、セミの音も治まる。夏の昼間とは思えない、凍りついたような静寂が双葉山の頂上に降りていた。
 そして、急に戦いは始まるのである。
「マサ! 危ない!」
 ぼんやり考え事をしていた雅は、ずっと抱き合っていたみくによって押し倒されてしまった。
 自分に乗りかかってきたみくのわき腹を、黒いものがぐちゃっとかすめた。「ひぎっ・・・・・・」と、彼女の悲鳴が上がる。
「みく・・・・・・!」
 どさっと二人は倒れこんだ。雅はとっさに起き上がると、みくのわき腹がえぐれてしまい、おびただしい出血を起こしているのを見た。
「みく、みく!」
 雅は真っ青になって右の手のひらを患部にかざし、魂源力を胸のうちから引き出そうとした。自分の異能である、治癒魔法だ。
「だめ、マサ」と、みくがその行為を止めた。「あんたの能力は一回の戦闘のうち、一度きり。この程度の怪我で使っちゃいけないの」
「立ち上がっちゃダメだ、みく!」という雅の言葉を無視して、ゆらりとみくは立ち上がる。こちらをずっと見据えている恐ろしい強敵の姿を認めたとき、みくも不敵に微笑んだ。
「久しぶりねえ・・・・・・。会いたかったわあ・・・・・・」
 透き通るきれいな青空や、燃え上がるような山の緑を拒絶するかのように、その異形は真っ黒なドレスを着込んでいた。色彩鮮やかな背景とはまるで調和しない、ゴシック・ファッション。それは双葉学園にはない病的なセンスを感じさせる。
 七人の少年少女をその手にかけた恐怖のラルヴァ・血濡れ仔猫が、昼間にも関わらず出現したのだ。実妹であるみくを前にした彼女は、どこか寂しげに、切なげに目を細くしてぼんやりと見つめていた。
「みきお姉ちゃん・・・・・・元気でなにより・・・・・・・!」
 みくは両目を金に瞬かせた。大きく開けた口からは牙が飛び出し、雅との主従の象徴・茶色の首輪がかたかた揺れる。白い尻尾がミニスカートからしゅるっと飛び出て、小さな頭の上から猫耳がぽんぽんと具現した。
 血濡れ仔猫も妹猫に呼応するかのように、黒い猫耳の毛先をガサガサ逆立てて、尻尾をゆらりと左右に振る。右手に手繰り寄せたのは、みくの血で濡れた黒い鞭。
「私がお姉ちゃんを止めてみせる! 島の化物をここで止めてみせる! あの時とは違って、一人で料理ができるようになった私を・・・・・・猫耳を生やして戦うこともできるようになった私を・・・・・・どうか見ていてね、お姉ちゃん・・・・・・!」
 みくは血塗れ仔猫に飛びかかった。飛びかかったとき、一粒の涙が後ろに流れていったのを雅は見ていた。血濡れ仔猫はロープをしっかり握り締め、妹の繰り出してきた先制攻撃に備える。
 長かった立浪姉妹の物語が、ついに終末を迎えようとしていた。


 みくは前へ飛び出すと、そのまま真正面から黒の異形に殴りかかった。
 そのとてつもない勢いに、一瞬血濡れ仔猫の反応が遅れる。長いロープを折りたたんで、みくの重たい一発を受け止めた。
 みくの力は非常に強い。それもそのはず、みくは姉妹の中でいちばん力が強いのだ。そのまま押し出されるようにして、血塗れ仔猫は何メートルも後ろへ下がっていった。両足が地面にめり込み、轍のような二本の線がえぐられる。
 血濡れ仔猫は近接戦闘を嫌がって、大きく後ろへ下がった。伸縮自在な鞭を使って、遠距離から一方的に攻撃を仕掛けるいつものペースに持ち込もうとした。
 だが、ドレスをふわりと浮かせて着地する頃には、みくはすでに懐にいて、瞳を輝かせている。みくは真っ直ぐ追尾してきたその勢いのまま、再び殴りかかった。血塗れ仔猫は今度はそれを飛び越えて、みくの攻撃を受けないよう回避に徹する。
 みかの天敵がみきであったように、みきの天敵はみくであった。鞭の特性を活かすために行う「後ろへ下がる戦い方」が、みくの強引な近接戦闘によって阻まれるのである。みくは前へ飛び出す速さが姉妹最速なので、常に血塗れ仔猫を至近距離で捕捉し続けて離さない。破壊力のある一発を叩き込むまで、みくは血塗れ仔猫の懐に張り付いて絶対に離れない。距離を取られては前にダッシュして距離を詰め、腕を振り回す。
 ところが、だんだんとみくの動きが鈍くなっていった。わき腹からどんどん、血が溢れ出ている。やがて畳み掛けるような猛攻が落ち着いたとき、血塗れ仔猫の反撃が始まった。鞭でみくの小さな体をつかみ上げると、そのまま遠くへ放り投げてしまった。
「大丈夫か、みく!」
 雅は自分のところへ投げつけられたみくのもとへ寄ったが、「寄らないでえ!」と怒鳴られてしまう。傷が激しく痛んで、歯を食いしばりながらよろっと立ち上がったみくのところに、今度は頭部を粉々にせんとばかりに鞭の先端が飛んできた。完全に隙を突かれた――!
「ぐ、がああああああ!」
 みくの瞳が、爆発したような輝きを見せる。両手に魂源力を集めると、半ば力任せに「鉤爪」を呼び出した。長さが一メートル以上はある、金に輝く四本の爪。両手に握るそれを交差させ、鈍器のような鞭の先端を防御した。
「まだまだこんなとこで死ぬわけにはいかないのよお!」
 と、みくは叫んだ。大地を蹴って走り出し、血塗れ仔猫のもとへ戻っていく鞭の先端部分を追い越し、一足先に彼女の懐に入ってしまった。鞭の使えない血塗れ仔猫ははっとして、みくが左手の爪を横に向けたのを見る。
 漆黒のドレスが裂け、鮮血が飛び散った。わき腹を斬られてしまった血濡れ仔猫は、苦悶の表情を浮かべてその場に崩れ落ちた。
 しかし、その反撃が精一杯だった。爪を一閃させたみくは攻撃を終えると、武器を消去して前方へとごろごろ転倒してしまう。砂まみれになりながら何とか立ち上がり、わき腹を押さえている血濡れ仔猫にこう怒鳴りつけた。
「私たちは人の役に立つために力を使わなければならないってのはどうしたのよ! 間違ってでも他人を傷つけるために使っちゃいけないんでしょ? あんたたち、散々私にそう言ってきたじゃない! 何やってんのよ、みきお姉ちゃん! いい加減目を覚ましなさいよお!」
 妹による姉の受け売りを耳にしたとき、血塗れ仔猫の両目が赤に輝いた。鞭をみくの方に射出して、みくの体を捕まえて雁字搦めにしてしまう。
「あぎっ・・・・・・!」
 空中でぎりぎり締め上げられるみくは、とても苦しそうにもがいている。血塗れ仔猫は脂汗をかいてきつい痛みに耐えつつも、激しい憎悪でもって実妹をいたぶった。
 お前ごときに何がわかる! そんなことを目で叫びながら、みくをそのまま粉砕しようとしていた。
 すでに負傷して弱っているみくは、思ったようにいつもの爆発力を展開させることができない。胴体を締め付けている戒めも、完全な状態なら打ち破れるはずなのに。
(やっぱり、怪我を治してもらってからのほうがよかったのかしら・・・・・・?)
 実の姉が島で悪魔になっている。子供を殺している。その事実を知ったとき、みくは妹として姉を止めなければならないと決意していた。そして、こうして三年ぶりに姉と再会したとき、気持ちが高ぶって冷静さを失ってしまった。
 みかにもよく言われていた。お前は短気すぎる子だ、と。まず先に手が出るような猫だ、と。成長して一人前に戦えるようになっても、そういうところは何も成長していなかった。みくは自嘲気味に薄く笑った。
「お姉ちゃん・・・・・・。私の声、もう聴こえないの・・・・・・?」
 血濡れ仔猫の白い無表情は、一切の変化が見られない。口を真一文字に閉じて、淡々と妹を苦しめている。
 ただ、どろどろとかき混ぜられたように渦を巻いている、赤の瞳。その奥底に、何か悲しみのようなものをみくは見出した。彼女はみくに、何かを伝えたがっているのかもしれない。
 しかし、そんな無粋な奇跡は二度と起こらない。血塗れ仔猫はにたりと微笑むと、ますます締め上げる力を強くした。
「ひいっ・・・・・・! 痛い、痛いよお・・・・・・! 助けて、お姉ちゃあん・・・・・・!」
 ぐるぐる巻きにされた腹を締め上げられ、わんわん泣き出したみく。小さな口元から溢れ出てきた血液。それを見た血塗れ仔猫はますます機嫌をよくして、実の妹をいじめ続けるのであった。


 だが。
「君が・・・・・・みくのお姉さんなんだね」
 血濡れ仔猫は瞠目して震えた。突然、後ろから抱きしめられたのだ。遠藤雅が、暴れ続ける彼女の背後にぴったりついている。
「君がそうして暴れているのは、何か理由があるんだよね・・・・・・? 君の瞳は、血の色なんかじゃない。何かもっと深くて、大きな感情の色が混ぜ込まれているのが僕には見えるんだ」
「マサ・・・・・・あんた・・・・・・」と、みくが呆然として言う。
「できれば、君とゆっくり会話したい。何か張り裂けそうな気持ちや、耐え難い宿命を背負っているのなら、僕はすべてを聞いてあげて君と共有したいと思っている・・・・・・!」
 雅のしっかりした声は、みくの耳にも届いていた。みくは非常に驚いている。雅があんなにも真剣な顔をして、恐怖の異形に臆することなく、こうして言葉を投げかけている。
 血濡れ仔猫は本来ならば、とっととみくを離して直ちに後ろを振り向き、意味不明な行動に出たこの青年を粉々にしてしまうことだろう。しかし、どうしたことだろう。鞭を握っている右手が、まるで動かないのだ。体が言うことを聞かなくなっていた。
 心の中でどんどん膨れ上がっていく、内なる何者かの「想い」。「叫び」。この展望台で人間の姉妹を殺害したときのように、もはや血塗れ仔猫の制御が利かないぐらい、それは大きくなっていた。
 雅も、血塗れ仔猫の鼓動が大きくなっていくのを感じ取っていた。それに周期を合わせるように、自分の鼓動も高鳴っていく。ラジオのチューニングをして、周波数を合わせるかのように、慎重に、注意深く。自分に向けられた心の叫びを、よく耳を澄まして探り当てるように。
 これが、雅の考える血濡れ仔猫へのアプローチだったのだ。抑止することで暴走を止めるのではなく、「対話」でこの狂える化物を救い出そうとしているのだ。
「・・・・・・うん、聴こえる。僕にはキミの声が聴こえてきている。その調子だよ、頑張れ。僕に心を開いて。僕に話を聞かせて――」
 一体となっている雅と血塗れ仔猫は、そのときまばゆい発光を見せる。
 束縛から解放されたみくは、地上に落とされてしまう。しばらく四つんばいになってけほけほ咳き込んでいた。そして彼女は、二人がこの場から消え失せていることに気がついた。
「マサ・・・・・・? お姉ちゃん・・・・・・?」
 残されたみくはその場で座り込んだまま、唖然としていた。


「うん・・・・・・?」
 そこは典型的な日本の田舎景色であった。磯の匂いも潮風も感じられない。気がついたときには、雅はまったく別の場所にいた。
 遠くの山々の形がくっきりと見える。麦藁帽子をかぶったおばあちゃんが、「こんにちは」と言って通りがかってきたので「こんにちは」と雅も会釈した。
 ここはどこなんだ? 雅がそう思った瞬間、周りの景色が急に灰色になってしまい、彼は非常にびっくりする。
 辺りを見渡すと、彼の進み行くべき道を暗示するかのように、山へ上っていく細い階段のみ色が付いていた。雑木林に飲み込まれていく先のほうを見つめながら、雅は古い石造りの階段を上がっていった。
 山から流れ落ちる水の音。風が吹いて、ささやきあう林。セミの巨大な死骸を、アリの群れが巣まで運んでいた。
 今にも崩落しそうなトタン作りの家が数件、緑豊かな山肌にへばりついている。この集落には人がいないのか、物音が一切聞こえてこない。聞こえてくるのは、野鳥や犬の鳴き声ぐらいであった。
 風景はどれも色彩を失っていた。が、一件の民家だけがその青いペンキ塗りの屋根を雅に示しており、周りから浮かび上がっていた。
 雅は直感する。あの家に「彼女」はいる。苔の蒸した道を進むと、鍵のかかっていない引き戸をからからと開けた。
「ごめんください・・・・・・」
 律儀に靴を脱いで居間に上がる。そこはとても生活感の残っている、ごく普通の家であった。テーブルにはテレビ欄を上にした新聞と、リモコンが置かれていた。電話はダイヤルを回す黒いタイプで、台所からはせっけんの匂いがしてくる。
 奥の部屋は寝室だろうか。ゆっくりふすま戸を開ける――
「・・・・・・ひっく、ひっく」
 部屋の隅で、双葉学園の制服を着た少女が座って泣いていた。雅は彼女を怖がらせないようにゆっくり近づき、腰を下ろしてこうきいた。
「君が・・・・・・立浪みきさん・・・・・・」
「あなたは、誰ですかあ・・・・・・?」
 真っ赤に泣きはらした顔面を、みきは雅に向けたのであった。


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