【禁域の姉弟、瑠璃色の針 第一話前編】


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 Scene 0
  十年前、某所


 既に日が落ちて久しい高速道路の闇の中、一台の黒い乗用車が走り抜けている。本来ならスピード違反と言っていい速度だが、周りには長距離トラックが少し見える程度で、それを咎める者は居ない。このあたりにオービスその他の速度検知器が無いことは確認済みであり、あったとしても、ナンバーから運転手の特定は不可能だ。
 その車を運転しているのは、二十代の後半とおぼしき女性。長い髪を編んで一本に垂らしているのが見える。柔和そうな顔つきだが、その表情は暗い。膝には、小さなケースが一つ。他に乗員は居ない。
「ごめんなさい、結局、貴女しか救えなくて」
 誰も居ない闇に向かって、女性が呟く。そして、誰も居ないはずのそこから、別の、若い少女のような声が帰って来た。
『い、いえ!! あなたさまが居てくれたお陰で、わたくしも生まれてこれたんですし、その、他の子たちも、きっと……』
「望んでもいない生を与え、望んでもいない任務を与え、その上役立たずとなったら、好き勝手な奴らにさらわれて唐突に野に放たれて。きっと、怨まれて当然よね」
『あの、あまりご自分を責めないほうが……』
「そうね、ごめん……あと心配なのは、あの人の再就職先、ね。あんなところに居たのだから、今更陽の当たる場所、というのは望みすぎかしら」
『……あの、娘さんは……』
 少女が、話題を逸らすように質問をする
「……ええ。あの子には、ちゃんとした道を歩いてもらいたいものだけど。これからは、一緒に居られるから」

 ほとんどの事象には、それが始まったきっかけがある。それは、自然現象であったり、何者かの本能であったり、あるいは、善意や、悪意だったりする。そして、一度回り始めた針は、回しはじめた本人すら想像出来ないような事態を招くことがある。
 彼女が行ったことは、単なる良心の呵責によるものだったのだろう。その行為が、様々な人間を巻き込む針を動かしてしまうことになるとも知らずに。









 禁域の姉弟、瑠璃色の針








 Scene Ⅰ
 朝、双葉区住宅街





 彼は、夢を見たことがない。
 大半の人は、そういう場合でも『夢を見たことを覚えていない』だけであり、実際は一晩で五つも六つも夢を見ているものだ。
 だが、彼の場合は違う。ある研究者が、睡眠中の彼の脳波を調べたところ、睡眠直後に『夢を見ない、深い睡眠』であるノンレム睡眠に移行し、目覚めるまでそのままだったという。
 それが、彼の特異体質と関わっているかどうかについては、まだ分かっていない。


 ゆさり、ゆさりと身体を揺する振動で、意識が戻ってきた。
 まるで風船に空気が入れられるように、体中の感覚が戻ってくる。それと同時に、自分の身体に何かが乗っている感覚が分かる。毎朝繰り返される、慣れた感覚だ。同時に、耳に聞きなれた声が響く。猫が懐いてくるような、甘い声。
「……ら、朝……よ……」
 意識がはっきりする前に、少年がうっすらと目を開けた。

「ほら、久《きゅー》くん、起きてー、朝だよー」
 彼の目線で一番初めに目に入るのは、白い膝上まであるソックスと、乗りかかっているせいで少し動いたら中が見えてしまいそうなミニスカートとの間でむち、と存在をアピールしている太腿《ふともも》。そこから目線を上げていき、小さな身体を包んでいるブレザーの制服の上で、いつも通りの笑い顔を見せている少女が見えた。
 栗色の髪をピンク色のリボンで左右に束ね、それは彼を揺するたびにぴょこぴょこ動いている。灰色の大きな瞳は、楽しそうに少年を見下ろしている。五年経てばものすごい美人になる、と思えるような美少女だが、彼女が今『言った側が想定する五年後』の年齢だと知ると、ビックリするだろう。
「……今日の、ご飯は?」
「朝も昼もわたしだよ、だから早く起きるー」
 マウントポジションを解除して、少女がベッドから飛び降りる。着地には物音一つなく、身のこなしも含めて、まるで体重が無い羽毛のようだ。
「……姉さん、その起こし方、目に悪い」
 ベッドから身体を起こし、まだ眠気が抜けていない少年が文句を言うが、少女の方はどこ吹く風。
「だって久《きゅー》くん、あれぐらいしないと起きないし。それとも、もっとカゲキな方が良かった?」
「どっちの意味か分からないけどやめて。あと着替えるから出てって」
「はいはーい、ちゃんと一人でデキる?」
「何が」
「何でもなーい」
 何事も無かったかのように少女が部屋を出て行った後、少年はため息をつく
「……はぁ、いつもこれだよ」
 寝癖でぼさぼさになった銀髪を撫でつけている彼、安達久《あだち ひさ》と、出て行った少女、安達凛《あだち りん》の一日は、毎日こんな感じで始まる。


「おはよう、久。今日も起きるの遅かったわね」
「おかあさん、おはよー……」
「久《きゅー》くんも、朝弱いからねー」
 制服に着替えて部屋を出る。部屋の外で待っていた凛と一緒に下りてきた久は、お茶を入れていた女性と鉢合わせた。安達遊衣《あだち ゆい》、二人の母親である。娘の凛と同じ栗色の髪を、こちらは三つ編みにして長く垂らしている。常に笑顔を絶やさない、大人の女性といった風貌だ。
「せっかく凛が作った朝ごはん、冷めちゃうじゃないの」
「だいじょーぶ、そこら辺分かってて作ったから」
 寝ぼけ眼で椅子に座って箸を取りながら、久は母親の方を見る。何か違和感がある。その理由はすぐに分かった。
「おかあさん、時計どうしたの?」
 彼女は、いつも首に時計をかけている。いつ見ても碧い光を反射する、確か瑠璃で出来ていた懐中時計。それを、今の彼女は身につけていない。
「……あら? 寝室かしら」
 表に出さないが、元来、彼女も寝起きは得意ではない。けっこうな頻度で、娘の凛に朝食と二人の昼食である弁当を任せる程だ。今も表面上は普通だが、眠気の上にいつもの表情を被せているに過ぎない。
「ほら久《きゅー》くん、早く食べないと遅刻だよー。ママも、寝ぼけたまんま、お茶で火傷しないようにねー」
 相変わらず寝ぼけ眼のままである久を、横から凛がせっつく。真面目に時間が無いのかもしれない
「あーい……」
 半分眠ってる状態で白米を口に運ぶ二人を横目に、凛も食べ始める。この場面だけを見ると、ダメ息子とダメ母をうまくコントロールする娘に見えるかもしれない。朝に限って言えば、それは間違っていない

「んじゃ、行ってきまーす。洗い物はよろしくー」
「行ってきまーす」
「はい、行ってらっしゃい」
 朝食を食べて少しは意識がはっきりした久と、食べても食べなくても元気な様子の凛を見送る遊衣が、一人で室内に戻ってくる
「おはようございます。えっと、勝手に洗い物しちゃいましたけど、大丈夫ですか?」
「あら、どこに……」
「寝室に置いてけぼりは寂しいです。お二人はもう出かけましたよね?」
「ごめんなさい。ええ、今出たところよ……どうしたの、何か気になることでも?」
「はい。前にも話したと思いますが、他の『みんな』が……」
「近場に、少なくとも『三人』居るところまでは分かってる。けど、そこで止まっているわ。悪い人たちに『使われて』ないといいんだけれど。もう少し、探してみましょう」
「はい、お願いします」
「けど、あの子をあそこに転入させるんじゃなかったわ……」
 今更後悔しても遅い、というような事を遊衣が呟く


「おはよー、もこちゃん」
「おはようございます、お二人とも」
「おはよう」
 ローテンションの久と、それを引きずってきたハイテンションの凛が、目の前を歩いていた女性に声をかける。二人よりも頭一つは大きい長身だ。
 豊川《とよかわ》もこ、最近近所に引っ越してきた『お隣さん』である。何かと母親が世話を焼いているのと、彼女が久と同じクラスということで、いつの間にか仲良くなっている。
 そう、この長身の女性は、中学二年の久と同学年なのだ。大学生と言われても通じるというのに。
「まだ安達様は、目が覚めていないんですか?」
「いつもの事だからねー、学校に着くころにはハッキリしてるんじゃない?」
 久を二人で引きずる形となり、連れ立って歩いていく三人。三人が通う学校は、途中でバスに乗り、十数分ほど行ったところにある。
 双葉学園中等部、及び高等部。彼らが通っている学園の名前であり、普通の学校とはかなり違う側面を持つ。


 双葉学園、東京湾に人工島を造り、そこに作られた巨大な学園。島自体も東京都の特区『双葉区』として独立している学園都市だ。そこに集められた小学生から大学生、さらに大学院生は、通常の教育とは別に、ある事を教えられている。
 人類の敵を排除する為の技術。
 そもそも、ここに集められている子ども達は、基本的には何らかの、人とは違った『ちから』……それらは異能と呼ばれている……を持つ、異能者と呼ばれる存在である。
 ここ二十年の間に(これまでの水準から見れば)大量に生まれた彼らは、同じく二十年前から出現の頻度を増している怪物、ラルヴァと呼ばれる存在から人々を守るために、密かに集められ、教育を受けている。世界各国でそういった活動は行われており、ここ日本では、双葉学園がそれを行っている。
 その双葉学園の中で、安達久、凛の姉弟は、明らかに浮いていた。











 Scene Ⅱ
  午前中、双葉学園



 その日午前、中等部二年F組最後の授業は、異能力講義の授業だった。未だ異能力に目覚めていない、もしくはうまく扱えない学生向けの授業である。そしてその授業に、安達久はまったく身が入っていなかった。その時も、何か話している教師の声に耳を貸さずにぼーっと窓の外を眺めていた。眼下には運動場が広がっているが、そちらではなく、呑気に雲を浮かべている空のほうを。
「安達様、どうかなさったのですか?」
 後ろの席から、豊川もこのせっつくような声が聞こえる。
「うん。僕にはあんまり、関係ない話だなぁって」
「……まったく、そういう事言ったらダメですよ?」
 彼の返答に、もこは困ったような顔をして授業に戻る。彼女も、事情のほうは知っているのだろう。もこの他にも、何人かの友人はそのことを知っている。

 まず一つめ、安達久はまだ自らの異能に目覚めていない。それ自体はそれほど珍しくはなく、けっこうな数の学生が、異能の素質がありながら使い方に目覚めなかったりする。
 二つめ、異能を使うのには、魂源力《アツィルト》という体内に宿る何らかのエネルギーが必要なことが、一般的に(双葉学園などの異能者組織などでは)知られている。異能を持っている者は、多かれ少なかれそれを持っており、異能を使うことで消耗する……と、言われている。
 三つめ、久にはある特異体質がある。魂源力が、体内にまったく存在しないのだ。異能を持たない者には魂源力があるのかどうか、そのあたりの調査はまだしっかりと進んではいないため、健康に問題があるかどうかといったことは分からない。
 だが、これだけは言える。二つめと三つめの併せ技で、彼は異能をまったく使えない。いわば、異能に目覚める望みがまったくのゼロなのだ。それが、この授業に今ひとつ身が入らない理由である。姉が異能者でなければ、ここに入学することも無かっただろう……が、ここでもう一つ、謎がある。

 家族でここに引っ越してきたのは、姉に大量の魂源力があると判明した十年前だという。だから、自分は小学校から双葉学園に通っているはずなのだが……久には、その記憶が無い。
 それどころか、父親が亡くなったという三年前より前のことを、まったく思い出せないのだ。思い出せる一番古い記憶は、自分がベッドに寝ていて、その近くで姉と、黒い服を着た母ではない女性が、突っ伏して寝ているところだった。その時は何が何だか訳が分からず、襲ってくる眠気に押されるまま眠りなおしてしまい……次に起きたときには、姉と母が心配そうに覗き込んでいた。その二人が姉と母だというのも当人から聞いた話だが、流石にそれは疑っていない。昔の記憶にしても、たまに『あの黒い服の女性は誰だろう』とか『おとうさんの顔って、どんなのだろう』と疑問に思うぐらいである。
 なぜか、学校で習っていた勉強などは忘れていなかったようで、学力で落ち込むといったことは無かった。しかし、記憶喪失は記憶喪失だ。思い出が無い、というのは少し寂しい。

 そんなことを考えているうちに、授業が終わる。昼休み、中等部は希望者に給食が出たりするが、弁当を持ってきたり、学食を使う学生も多い。姉や母が弁当を作ってくれる久や、自分で作っているという、後ろの席のもこもそういったメンバーの一員だ。
「もこー、今日はセンパイに昼食持っていく日だっけ?」
「まったくラブラブよねー」
「ち、違います!! 私が勝手に押しかけてるだけで……」
「この前覗いてみたけど、まんざらじゃなかったんじゃない? あの人も」
 後ろで騒いでる女子たちを尻目に、自分の鞄を探る、が
「……あれ?」
 普段入れているはずの弁当箱が無い。というか、入れた記憶が無い。これは記憶喪失とは別問題だ。
「なに、弁当忘れたって?」
「お前の弁当楽しみにしてる奴居るの忘れんなよー」
「……姉さん、持ってるかなぁ」
 後ろから野次が飛んでくるのを無視して立ち上がる。姉が担当の時は、勝手に弁当の中身を食う(そして久も反撃で相手の弁当から拝借する)友人からの評判が良いのだ。母のときは普通。
(姉さんのクラスまで、結構歩くんだよなぁ)
 この時の忘れ物が、その生まれにも関わらず平穏に過ごせたかもしれない、彼の運命を大きく変える事となる。


 高等部三年G組の女子達が更衣室を出てくる。午前の最終授業である体育が終わり、体操着から着替えてきたのだ。その中には、安達凛の姿もある。
「というか、バレーでそれだけしか背丈無いのに、なんであんな活躍できるの? ありえないって普通」
「流石はわれらが委員長さん、ってとこだよね」
「へへーん、もっとわたしを褒めなさーい」
「偉ぶるのは、もっとその背を伸ばしてからにしな」
「あーでも、凛みたいになれるなら、その背丈でもいいかなぁ……」
「それはビミョー」
「自分で言うのも何だけど、この背は欲しくないよねー」
 女子の一団が教室へと向かい、その中央で凛が楽しそうに歩いている。

 凛は、このクラスのクラス委員であり、言ってみればクラスの女主人公《ヒロイン》である。学業は学年トップクラスであり、その体型に似合わずスポーツも万能。更に、リーダーシップに関しても今年度初めに起こった『悪夢の四月』事件で証明されている。
 三年Y組の担任及び生徒数人が突然自殺、その後何の前触れも無く学生達が昏睡状態に陥るという、何もかもが謎尽くめの事件の中、彼女はクラスの皆にこう言っていた。
『わたしが委員長なんだから、大丈夫だいじょうぶ……え、根拠が無い? 大丈夫だ、って思ってれば大丈夫だよ。根拠なんて無くても問題なし!!』
 そんな彼女の影響か、悪夢のような一週間の中でも三年G組は明るさを失わず、事件(?)そのものと無関係でいられたのだ。

 その容姿と底抜けに明るい性格とで、『明るすぎて鬱陶しい』という声はあっても、嫌いという声はめったに聞かれない。女子からは頼れるリーダー兼愛玩動物として可愛がられ、男子からは『もうちょっと背丈があればお付き合いして欲しいんだけどなぁ』と残念がられる具合である。
 そんな彼女にも負い目はある。否、その負い目があるからこそ、今の彼女があると言った方がいいだろうか。それは、彼女の異能である。ある意味では『異能に目覚めることが無い』弟よりも残酷な異能の持ち主であり、そのせいで異能に目覚めた当初は、かつて存在した異能分類『カテゴリーE』……あってもなくても意味が無い、ダメ異能者の烙印を押されたこともある。周りに迷惑をかけないので『|カテゴリーF《やっかい者》』扱いは避けられたものの、怪物と戦う戦士としては失格だ。
 だが彼女は、そこでへこたれなかった。異能者だらけのこの学園で『普通の生徒として輝く』道を模索したのだ。
 勉強に、スポーツに、一生懸命打ち込んだ。身体こそ小学生と中学生の間ぐらいから成長しなかったものの、その分は努力と、不思議な運でカバーした。異能のことで、もしくはその背丈のせいでいじめられる事もあったが、それも学生としての優等生っぷりと、持ち前の明るさで『敵よりもずっと多い味方を作る』もしくは『敵を味方にする』ことで見返してきた。
 高等部卒業後は、大学部の法学部へ編入することが決まっており、その後の目標としては、外郭団体であるALICEで、『ほぼ未能力者』として、異能者の皆を影に日向にサポートする仕事ができれば……と、考えている。

 といった事は普段あまり考えず、凛は青春を謳歌していた。
「今日って、凛がお昼作ったんだっけ?」
「そーだよー」
「「おおー!!」」
 こちらの教室でも、彼女が作った弁当は好評である……そしてやはり、母親作は普通。
「私たちゃ、凛のおべんとが楽しみで昼休みやってるようなもんだから」
「流石にそれは大げさだよねー……ん?」
 まんざらでもなさそうな表情の凛が、不意に顔をしかめる。
「どしたの?」
「今、なんかあっちの方で音しなかった?」
「ううん、聞こえなかったけど……」
 凛が向かいにある校舎の影を指差すが、他の女子は首を振る
「……なーんか気になるなぁ。みんな、先戻ってて、わたし見てくるから」
「それはいいけど、昼休み中には帰ってくるんだよー」
「うん、分かってるー」
 女子の一団から別れて、凛が一人だけそちらに駆け出す。
 この時の決断が、彼女の青春に、これまで無かったページを付け加える事となる。


 学園の片隅で、二人の女性が密談をしている。
「やっぱり、このあたりで『昇華』したことがあるのね?」
「はい。『軸』は、数ヶ月前だと思います。もっと新しいものだと、建物の中で気配がしますが、それでもやはり数ヶ月前の出来事なのには変わりはありません」
「……コーラルちゃん」
 二人のどちらでもない名前を呟き、二人の女性が立ち止まる……それを狙い済ましたかのように、気配が動いた。
「お母様、上!!」
「え……!?」
 直後、戦闘が始まった。否、それは戦闘と呼べるものではなく、一瞬で終わってしまった。






 Scene Ⅲ-Ⅰ
  昼、双葉学園




「このへんかなぁ……」
 安達久は、わざわざ校舎の外で姉の凛を探していた。長い距離を歩いて高等部の姉が居るはずの教室まで行くことには行ったのだが、その姉のクラスメイトが
『弟くんだー、凛なら寄り道してるよ。多分校舎裏の方だと思うけど』
 という事態に。流石に姉の鞄の中をひっくり返すのも気が引けたので、素直に先輩達が姉と別れたという場所の周辺を探している。
 時間は昼休み、校舎一つ隔てた向こうではいろんな人の騒がしい声が聞こえる。だが、このあたりにその声は無い。校舎どうしの間隔が近く、影になっているこのあたりは、びっくりするほど静まり返っている。
(なにか、変だな)
 彼が何かしらの違和感を覚えたその時……それと同じタイミングで、目の前から無言でこちらへ走ってくる影が見えた。そして『見えた』と思った次の瞬間には、あっという間に懐に飛び込まれ、抱きつかれる

「きゅ、久《きゅー》く~ん!!」
「……姉さん、何してるの」
「しーっ!! 久《きゅー》くん、声おっきい」
 久の胸に飛び込んで、まるで小動物のように怯えている凛。朝の不敵さや、同級生に見せていた明るさは見えない
「ちょっと、こっち来て、そーっと、そーっとね」
 そう言って久から離れ、凛がその手を掴んでゆっくり来た道を戻る。ちょうど奥が見える、角になっている所まで連れて行き、そこで立ち止まった。
「ほら、あそこ……」
 角のところを覗くよう促され、久はそこから少しだけ顔を出す
「なに、一体……!?」

 そこに見えたのは、ありていに言えば『化け物』だった。
 見えた影は二つ、どちらもヒトの背丈よりも大きい巨大な獣のように見えるが、その姿がどちらも明らかにおかしかった。少なくとも、自然の動物ではあり得ない
 一体は、獰猛な肉食獣を連想させる頭に、上半身『だけ』の怪物。四足歩行動物の、腹のあたりで綺麗に切断されたようになっており、その切れ目から貧弱な後ろ足が出ている。もう一体は、猛獣の下半身『だけ』の怪物。逞しい後ろ足に比べ、上半身だけの怪物と同じように切断面から出ている足は貧弱だ。ちょうど二体くっつければ、丁度いい姿をした、とても巨大な獣になるだろう。まるでコールタールのような真っ黒い体毛に覆われている。何かを探していながら、それが見つからずに困っている……二体とも、そんな動きをしていた。

「らら、ラルヴァだよね、あれ……」
「……たぶん」
 目の前で震えている凛を見て、久は思い出した。
 普段は自信満々で、世界を敵に回したって大丈夫と言わんばかりの雰囲気を出している彼女にも苦手なものはある、その一つが『ビースト型ラルヴァ』だという事を。他タイプのラルヴァや、実際の動物は大丈夫らしい。『微妙にヘンなのがダメ』とは本人の台詞だが。昔、何かがあったらしい……記憶を失っている久には、それが何か分からないが。

「早く風紀委員に連絡しないと……」
 久はポケットから学生証を取り出そうとする。風紀委員への通報は、ラルヴァを発見した学生の義務だ。が
「……あ、あれ?」
 無い。常に携帯するべき学生証が無い。どのポケットを探しても見つからない
(そうだ、鞄の中だ)
 肝心のそれは、鞄の中に入れっぱなしなのを思い出す。すぐ戻るものだと思って、持って来るのを忘れてきてしまったのだ。
「……姉さん、学生証ある?」
「う、ううん。さっき体育でそのままこっち来たから」
 混乱している姉を横目に、久はどうするべきか考える。とは言っても、異能を持たない自分と戦える異能を持たない姉だったら、選べる道は一つしかない
「今すぐ逃げるよ、誰かに通報して、助けを呼ばないと」
「ダメっ!!」
「なんで!?」
 理解不能な凛の一言に、久は戸惑いながら返事を返す
「……わたし、見たの。あいつらが、女性と戦ってて、その人があっちの方に吹き飛ばされたの……その人は、ママそっくりだった。ヤツラは見失ってるみたいだけど」
「……!?」
 母がなぜここに。そんな事を考える余裕は無かった。
「飛んでいった方向なら、ここから回りこめる」
「……あ、そっか。そして、こっちから一緒に逃げれば」
「そういう事。急ごう、誰かが巻き込まれているなら、おかあさんでもそうでなくても、放っておけない」


 そこに至るまでの道のりは、あっけないほど簡単だった。校舎の影に隠れて進み、気を失って倒れているその女性……やはりそれは、二人の母親である安達遊衣だった……と、その横に連れ立って座っている、黒衣の女性に遭遇した。
 その女性は、妙な出で立ちをしていた。
 黒いブラウス、黒いスカート、黒い長手袋という黒一色の、まるで葬式に参列するかのようなブラックフォーマルの服装。光が宿っていないように見える真っ黒の瞳は、心配そうに伏せられている。軽くウェーブがかかった黒い髪に、純白の大きなリボンが飾られているのが目を惹く。
 その女性が、こちらを向いて驚いた声をあげる。
「り、凛ちゃんに、久さん!?」
 そしてその鈴が鳴ったような声も、姿も、二人にとって覚えがあるものだった。
「家政婦さん!? なんで……」
「……もしかして、あのときの?」
 久の記憶に残る一番古い映像、自分が寝ていたベッドの近くで寝ていた女性と、目の前の女性は明らかに同じ姿をしていた。この様子だと、凛も見覚えがあるようだ。
「なんでこんな所に居るのか、という説明は後回しでお願いします。お二人とも、早く逃げて。見つかってしまいます!!」
「駄目、おかあさんを放って行けっていうの!?」
「……私たちは、ここから動けません。あそこに居るモノが、見えますよね?」
 久の言葉に首を振った女性が指差した先には、先ほどからここを探している二体の怪物の姿が見える。二人はゆっくりと頷いた
「お母様が仰っていたのですが……あれは、目標の生体データを記録して、目標が動くのに併せてそれを自動追尾するらしいです。逆に目標が動いていないときは、どこに居るか分からない、と言っていました。私とお母様は見張られていますけど、動かなければしばらくは安全です。今のうちに、お二人だけでも逃げてください」
「駄目、ママを置いていくのなんて、そんなの……」
「僕も同じだよ。でも、どうしよう。僕も姉さんも、戦う力なんて……」
 立ち去ることは出来ない、しかし、戦う術は無い。途方に暮れる二人に、黒衣の女性が口を開く
「……力だけ、ならあります。けれど、それは使えない」





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