【禁域の姉弟、瑠璃色の針 第一話後編】


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 Scene Ⅲ-Ⅱ
  昼、双葉学園





「どういう事!?」
 力はあるのに使えない、という発言に対して詰め寄る二人。それに応えるように、女性はゆっくりと後ろを向き、自分の背中が見えるよう髪を持ち上げる。
 そこには、何かを差し込む穴……ちょうど、ねじ巻き式時計の、ねじを巻くための穴のようなモノがあった。
「私は、人間ではありません。ヒトが作った、時を操る巨兵、永劫機の一柱。名前をロスヴァイセと言います……今は、開発者の一人だったお母様と契約をしています。依代《よりしろ》は、この懐中時計です」
 ロスヴァイセと名乗った彼女が、遊衣の首にかかっている瑠璃で出来た懐中時計を手に取る。目の前の、どう見ても人間の女性としか見えない者が実は人間ではない。しかもそれを作ったのは自分の母親……ちょっとどころではない驚きだが、今はそれで驚いている余裕は無い
「時を操る……永劫機?」
「永劫機、えいごうき、どこかで聞いたような……」
 純粋に疑問符を浮かべる久と、何かを思い出そうとしている凛。久の疑問に答えるように、ロスヴァイセが口を開いた。
「はい。機体ごとに異なりますが、共通して『時間を操る』力を持つ、巨大ロボット、と、言えば良いでしょうか。契約を交わした方の命令を聞き、戦う存在です……あれに奇襲を受けて、戦う間も無くお母様が気絶させられてしまいました」
「それじゃあ、かわりに僕が契約をして戦えば……姉さんは、あいつと対峙したら多分、まともに頭が回らな――」
 何かを決めたような久の言葉だが、ロスヴァイセの次の言葉が、それを否定する
「それは、出来ません。しかも、複数の理由が重なってます」
「複数の?」
「はい。まず一つ、多重契約は認められません。それに一度交わした契約の終了は、原則として『契約者の死、もしくは時間の枯渇』となっています……私は、お母様を殺したく、ないです」
 最後の言葉に、久は黙ってしまう。ロスヴァイセは更に続ける。
「二つ、永劫機の起動には詠唱……キーコードのようなものが必要です。これは基本、契約をした際に契約者の心に直接通知されるのですが……恥ずかしながら、それを忘れてしまいました。多分、先ほどの攻撃で破損を受け、永劫機としてのシステムに障害が発生して起動不可能になってしまったのだと思います」
 二人とも、納得のいかない表情となる。もはや永劫機としての力を失ってしまったのなら、どう戦えばいいのか
「そして三つ目……久さん、何らかの方法であなたと契約をして、システムが復旧して、それでも、私は貴方とは戦えません」
「なんで!? まさか、母さんに何か……」
「違います」
 『自分とは戦えない』といわれた久が一瞬ヒステリックになろうとするが、それは制止される。そして、その理由は、これまでで一番意味が分からないものだった。
「永劫機を動かすには、生き物の『時間』、その人に残された、運命の残りと言えばいいでしょうか、それを必要とします。普通は、契約者からそれを貰って動かします。それについて、今『見えた』のですが、久さん……あなたには、それが『無い』んです」
「……はい?」
 意味が分からない。久は、自分に『無い』ものは、記憶と魂源力ぐらいだと思っていた。それに加えて『時間』も無いだなんて。
「ええと、それじゃあ僕は、もう死んでるって、こと?」
「……分かりません、本当はそうだと思うのですが、もしかしたら、別の何か、運命をせき止めている要因があるのかもしれません。どちらにしても、貴方と契約しても、永劫機を動かすことはできません」
 八方ふさがり、少なくともロスヴァイセと戦う道は無い……どうすればいいのか、久には分からなかった


「問題は、『それだけ』?」
 横から、不意に声が聞こえる。さっきまで何か考え事をしていた凛だ。両頬が何故か赤い。
「そ、それだけって……はい。今の三つです」
「?」
 事態を飲み込めない久とロスヴァイセをよそに、凛は遊衣の元まで歩いていき、まだ首にかかっていた懐中時計をそっと外した。それを手に取り、軽く握る。

「システムコード入力、『時は金なり』。ロスヴァイセ契約データ初期化《イニシャライズ》」
 凛が発した、彼女の名前の通り凛とした響きの声に呼応するように、ロスヴァイセの目が見開かれる
「え……開発者しか知らない、システム試験用のシステムコード……なんで凛さんが知ってるんですか!? 私も知らなかったのに!?」
「ママが持ってた沢山の本やファイルを見てたらね、永劫機っていうのが載ってたの、思い出した……これでママとの契約は強制終了。後でママに謝らないと」
 いたずらっ娘のように舌をぺろり、と出した凛、その様子に久は事態が飲み込めない。凛の声色が、再びマジメになる。
「続けて行くよ、システムコード入力、『止まっている時計は、一日二度、同じ時間を示す』。|優先モード《Primary.Mode》スリープ、|代替モード《Another.Mode》起動チェック」
「!?……|代替モード《Another.Mode》、チェック、オールグリーン。詠唱呪文の設定をしてください」
「呪文設定開始。これで大丈夫かな?」
「えーと……はい。|代替モード《Another.Mode》、セッティング完了です。えっと、これは何でしょうか?」
 自分でも何をされたか分かっていないらしいロスヴァイセが、凛に問いかける。
「緊急時用の、機能限定版サブシステム……って、ファイルには書いてあった。これで、残ってる問題は一つだよね」
 何が起こったのか、少しだけ久にも理解できた。母が持っていたなにがしかの資料を凛が盗み見ていて、それに書いてあったことを実行しているのだ。そして、再び永劫機を『戦える状態』にしているのだろう

「あ、うん。でも僕じゃ、契約しても戦えないって……」
「ロッセ、契約者以外から『時間』を供給することって、できる?」
「わ、私のことですか? はい、可能、ですが……」
「……もしかして」
 久の胸に、嫌な予感が去来する。そして、それはすぐに肯定された。
「わたしの時間を使って。できるよね?」
「姉さん!!」
 思わず制止する声をあげる。が、それ以外に手段が思い浮かぶかというと……
「他には、無いよね。本当はわたしが戦いたいんだけど、あいつを見たら、まともに頭が働かないと思うから……あはは」
 空笑いする凛の足は、少しだけ震えている。まだ外を歩いている怪物を想像してか、それとも『時間を奪われる』という、未知の感覚に恐怖してか。
「それに、わたしの異能が、何かの役に立つかもしれない、からね」
 そう、気休めにならないだろう事まで口走る。

 彼女の異能は『若返り』。睡眠をとると、それに応じた時間だけ身体が若返ってしまうというものである。その若返り速度は、普通に睡眠をとってしまうと、本来成長するはずの分がチャラとなってしまうほどである。
 父親の仕事の都合と、彼女自身にかなりの魂源力があるという理由で双葉学園に転入したのが十年前、彼女が8歳の時である。それからしばらく、能力に覚醒していないと思われていたが……その能力が判明したのが、彼女が12歳の時になる。身体測定で、背が伸びていない。それどころか、縮んでいるという事実を調査していくうちに発覚した。
 成人になってからならともかく、成長途上にあった凛がそんな異能に目覚めて、どんな気持ちだったのかは、なかなか想像することが難しい。だが、それをバネにして彼女が成長したことは、上で述べた。


「わたしができるのは、ここまで。だから後は、わたしの自慢の弟に任せるの」
 姉の珍しくしおらしい台詞に、胸が締め付けられる。久は少しだけ目を閉じて、覚悟を決めた。
「……ロスヴァイセ。僕と、契約を」
「その言葉だけで、契約はなされました。私は、あなたに忠実な……えっと、何として振舞いましょう?」
「『わたしと久《きゅー》くん、二人のお姉さん』。ロッセも、ママの娘だもんね」
「姉さん、勝手に決めちゃって……」
「あれ、久《きゅー》くん不満? 可愛い姉に加えて、新しく美人の姉までできるんだよー?」
「あはは……」
 一瞬、あたりに和やかな空気が流れるが、それも一瞬のことだ
「わたしは、ここでママと待ってる。久《きゅー》くん、勝って、帰ってきてね。帰ってきたらごほうびあげるから」
「いや、いらないから……行こう、ロスヴァイセ」
 凛から投げ渡された瑠璃懐中時計を受け取った久が、校舎の陰から立ち上がる。もう少しすれば、ここを感づかれてもおかしくないだろう。その前に、こちらから打って出る必要がある
「はい、参りましょう」


 上半身だけの獣と、下半身だけの獣が、久とロスヴァイセを発見する。文字通り『獲物を見つけた』二体が、じりじりと距離を詰めてくる
「ロスヴァイセ、準備はいい?」
「はい!!」
 久が懐中時計を握り、登録されたばかりの呪文を唱える
(というかこれ、二十年くらい前のアニメの主題歌なんだけど。姉さん、何考えてるの……)


 刻が未来に進むと、誰が決めたんだ

 烙印を消す命が、歴史を書き直す

 刻は巡り戻ると 誰も信じてた

 黒くくすんだ暦を 新たに書き直す


 ロスヴァイセの姿が、瑠璃色の霧となって宙に溶けていく。
 彼女が消えていった空間から青い光が広がり、中心から時計が姿を表した。クラシックなねじ巻きの時計。それを中心として、フレームが伸びる。人型の、それも女性を模《かたど》った姿を作っていく。
 身体の各所で歯車が回り、それを瑠璃の装甲が覆う。時計仕掛けの天女、永劫機ロスヴァイセが、その本来の姿を現した。

「えっと、|代替モード《Another.Mode》らしいけど、いけそう?」
『機能はだいぶ落ちています。本来武装として用意されている刺突剣《レイピア》も使えませんし、『時間重複』の能力にも、かなり制限がかかります……能力について、説明しますか?』
「大丈夫、契約したときに、説明は全部頭に流れ込んだ」
 ロスヴァイセは、久が思ったとおりの動きを見せる。いくつか制限があるとしても、機械の巨兵としては十分動ける、という事だろう。
 直後、二体の獣がロスヴァイセに飛び掛る。上半身だけの怪物はその牙を、下半身だけの怪物は強靭な後ろ足を、それぞれ武器として襲い掛かった。
 だが、その攻撃はどちらもロスヴァイセを捉えることはない。真っ直ぐすぎる軌道の攻撃を、久が操るロスヴァイセはわずかに右へ身をよじるだけで回避する。その際、フリーだった左腕で獣達を打ち払う。
”!?”
 不恰好な獣達は、自らの勢いに上乗せされた攻撃で吹き飛ばされ、校舎の隅まで飛ばされた。その間に久とロスヴァイセは、先ほどまで怪物が陣取っていた場所まで駆け出し、立ち居地をちょうど逆転させる
「えっと、こういう使い方でいいのかな……」
 懲りずに突っ込んでくる獣達に対して、今度は回避運動をとらない
「時間重複《タイム・リピート》、リバース!!」
 久が叫んだ瞬間、ロスヴァイセの目の前の空間が、歪んだ。

 突っ込んできた筈の獣が、何も無いところで吹き飛ばされる。
 否、目を凝らせば見えただろう。彼らは、『自らとそっくり同じな影』に接触し、吹き飛ばされたのだ。
 永劫機ロスヴァイセの能力『時間重複』、ロスヴァイセがその姿をとった際に発生した瑠璃色をした霧の空間で『今ではない時間軸』と現在の時間を任意で接続し、接続した時間軸に発生した現象を『今の時間軸』で再現する。
 言葉で説明すると面倒だが、今回の場合『獣達が一回目に飛び掛った時間軸』と現在を接続させ、一回目に飛び込んできた獣達と、まったく同じ軌跡で飛び込んできた現在の獣達を正面衝突させた。そういった『現象』を起こすことができるのだ。なお、現在に反映されるのは『現象』だけであり、過去への干渉は原則不可能である。

『やはり、|代替モード《Another.Mode》では『未来の時間軸との接続』が不可能なようです。『インターバル』『同時接続数』に関してはスペック通り出せます。次回接続まで、残り三十秒』
「……やっぱ、今のだけじゃ終わらないよね」

 吹き飛ばされた獣達が起き上がり、尋常ではないオーラを放つ。その直後、妙な事が起こった。
 二体の獣が互いに身体を寄せ合い、自らの身体を溶かし……同化する。貧弱だった切断面の脚を互いに絡めたと思ったら、あっという間にそこがくっついてしまった。
 『二体がくっつけば丁度いい』その姿が、本当に一つになった。小回りこそ利かなくなっただろうが、その身体には、先ほどまで足りていなかったオーラに満ち満ちている。
「本気、って事だよね、多分……!?」
 その獣が、咆哮すらあげずにロスヴァイセへ襲い掛かる。黒い身体から伸びる爪が、回避運動を取ったロスヴァイセを捉える
『きゃっ!!』
「っ……!! 想像してたのより、ずっと痛い、これ!!」
 ロスヴァイセの腹部が、中の骨組みが直に見えるほど抉られる。そのダメージは、直接契約者である久にも伝わる。痛みを必死に堪え、そのまま組み付こうとする怪物に蹴りを入れて追い払う
『パワーは、あの獣の方がある、みたいですね』
「……ロスヴァイセ、ちょっとだけ耐えてて。僕も耐えるから」
『え、久さん!?』

 再び組み付いてきた獣に対して、今度は回避運動すらとらず、正面から殴りあう。
 近距離で、拳と、脚と、爪と、牙を互いに交差させる。黒い獣とロスヴァイセの双方が傷つくが、ダメージは明らかにロスヴァイセの方が大きい。ロスヴァイセの一撃は獣のしなやかな身動きで回避され、その反撃は確実に、ロスヴァイセの装甲を削り取る。
 苦し紛れに放ったロスヴァイセの蹴りをかわすように、獣が距離をとった。一息ついた後、次の一撃で終わらせるつもりだ。

『久さん、大丈夫ですか!? このままじゃ――』
 装甲の瑠璃があちこち傷つき、欠けているロスヴァイセの叫びに、それに呼応したダメージを負った久が、それでも諦めていない、といった気迫を込めて言い放つ
「大丈夫、もう仕込みは済んだ、来てみろ怪物!!」
 怪物、という叫びに獣が反応する。じり、じりりと距離を詰めてくる
『久さん、これ以上ダメージを受けたら機体が持たないかも……』
「大丈夫、もう喰らうことはない、はず」
 ロスヴァイセを、一歩だけ下がらせる。それに刺激された獣が、一気に飛び出してくる……このままの軌跡では、確実にその牙が、喉笛を噛み切るだろう

 だが、その牙がロスヴァイセに届くことは無かった。
 ロスヴァイセの目の前まで飛んできた獣が、一瞬にして引き裂かれ、噛み千切られ、殴り倒され、蹴り飛ばされる。

「……|過去からの復讐《リベンジ・フロム・パスト》」


 『こちらが攻撃を放った時間軸』『獣が攻撃を放った時間軸』を、全て一度に接続させ、それまで両者が放った攻撃を同時に浴びせかける。相手が攻撃を控えたり、もしくは一撃で仕留めようとしたりすれば無論出来ない手段だ。今回は、相手が獣で助かった。
「これで……終わりっ!!」
 ズタボロになった機械人形が、同じくズタボロになって吹き飛ばされてきた獣へ、大きく蹴りを放つ。
 直撃を食らった獣は、校舎の方まで吹き飛ばされ……衝突する前に、霧散した。
 それを確認した久は、大きく地面に膝をつく。辛うじて地面に倒れるのは避けられたが、それでも辛そうだ

「大丈夫ですか!?」
 脅威が去り、人の姿へと戻ったロスヴァイセが、そちらへ駆け寄る
「な、なんとか……痛いだけ、で、怪我してる訳じゃ、ないし……」
 大きく息をついて、少しだけ楽になった久が、ロスヴァイセの手を借りて立ち上がった
「……こういう時、『姉』はどういう風に振舞えばいいんでしょう?」
「いや、分からないから。とにかく、姉さんとおかあさんのところに戻ろう」


  ***


 双葉学園から少し離れた、島の資材置き場に一組の男女がたむろっている。どちらも大柄で、何か格闘技をやっているような感じだ。男のほうは手元で何かを叩いている。
「……アタイの子どもが、やられたみたいよ。もう『人払いの拍子』は解いていいわよ大皮《おおかわ》」
「マジかよ、だから遠隔自動なんてやるなっつったんだよ、直接乗り込めばいいじゃねえか」
 手元を止めた、大皮と呼ばれた男が、女に何か抗議めいたことを言い放った。
「アタイ達がまっすぐ突っ込んで行ってハイ捕まりました、じゃお話になんないでしょ。何事も慎重に進めるべし、ってボスも言ってたわよ? 栄えある『五人囃子《ごにんばやし》』に選ばれたんだから、身体は大事にしなきゃ」
「ボス……ねぇ。つっても、幹部の一人だろ? 他の幹部達はどう丸め込むのよ」
「アンタ、ボスを愚弄する気? 生きがいの『開発局』を潰されたくせに反抗一つしない腰抜けたちなんて、ボスが一息で吹き飛ばしちゃうわよ」
「はいはい。仕事終わりなら、俺ぁ先にあがってるよ」
 男は立ち上がってそそくさと立ち去るが、女はそこに残ったまま、物思いにふけっている。
「そうよ、オメガサークルは、あんなヤツラが率いてちゃいけないのよ……学園のヤツらを潰して、ボスが正しいってのを証明してやるわ……!!」

  ***

 Scene Ⅳ
 夜、双葉区住宅街


 その日は、久と凛、二人ともそのまま早退する事となった。久は全身の痛みで授業どころではなかったし、もう一方の凛も、原因不明の身体の痛みと発熱を訴えたからだ。
「確かに、戦いの代償でかなりの『時間』を使ってしまいました……でも、それと身体の調子がおかしくなるのとは、別問題の筈です」
 ロスヴァイセはそう言い、永劫機の開発者(末席ではあったらしいが)である母、遊衣もそれに同意した。
「永劫機に時間を奪われて、こういう状態になった人は見たことが無いわね……急速に老いたり、若返ったりという人は居たけれど」
 システムコードで永劫機との契約を解除してみれば、という久の発言に、遊衣は首を振った。
「凛が使ったのは、|一回限りの《ワンタイム》パスワード、一度使ったら別のものを再発行する必要があるの。そして、既に破棄された永劫機計画に、パスワードを再発行する設備は無いわ……自己修復能力で、いずれ|優先モード《Primary.Mode》へは自動で切り替わると思うけど、契約の破棄はたぶん無理。凛の病状が良くならないのなら、昔の知り合いを当たってみるしかないわ」
 頬に手を当て、難しそうな顔をする。珍しく遊衣に笑顔は無い……なお、自分達を襲った怪物には、覚えは無いらしい。単なる自然発生のラルヴァだったのだろうと考えている


 就寝前、何を言ったらいいか分からないまま、久は凛の部屋の前に立っている。寝てたらまずいかな……といった思いを抱えながら、ドアを軽くノックした。
『その音は久《きゅー》くんかな、入っていいよー』
 姉の、少しだけ元気のなさそうな声を聞いた久が部屋に入る。カーテンやカーペットはピンクが基調だったり、あちこちでぬいぐるみが見ていたりと、いかにも女の子らしい部屋だ。
「姉さん、まだ痛む?」
「そこそこ、かな。久《きゅー》くんこそ、もう痛くない? 相当無理したって、ロッセが言ってたよ」
「僕なら大丈夫だよ。原因は分かってるし、ただ痛いだけなんだから」
 ベッドから身体を起こして、凛が手を振る。少し呆れた表情の久は、ベッドの横へと座った
「……うん、ちゃんと勝って、帰ってきてくれたね。やっぱり久《きゅー》くんは、わたしの自慢の弟だ」
 心底から嬉しそうな凛の笑顔を見ると、力が湧いてくる。この三年間もそうだし、もしかしたらその前から、ずっとこの笑顔に力を貰っていたのかもしれない。久は、珍しく昔のことを、そんな風に思った。
「……そうだ、ちょっとこっち来て」
 凛が、久を枕元に手招く。
「なに? また耳に息吹きかけるとかは無しだからね」
 久が、ぶつくさ言いながら顔を寄せ……
「んー……♪」
「……!?」
 その頬に、柔らかい感触を当てられる
「ごほうび、汗っぽいのは、ごめんね。ちょっと寝るから、お休みー」
 凛は、苦しそうなのと照れくさいのを混ぜたような表情で笑ってから、布団を頭から被ってしまった。久は
「……いや、だから、いらないって……」
 と、動転して言葉が出ないまま、部屋を追い出されてしまい、眠る事となる。


 その日の夜も、久は夢を見なかった。
 だから、その出来事のすぐ後に、久は朝を迎えることとなった。いつもどおりの朝を。








 Epilogue
 朝、双葉区住宅街


 ゆさり、ゆさりと身体を揺する振動で、意識が戻ってきた。風船が空気を入れられるように……そう、いつもと同じように
「……ら、朝……よ……」
 意識がはっきりする前に、少年がうっすらと目を開けた。これも、いつもどおり

「ほら、久《きゅー》くん、起きてー、朝だよー!!」
 昨日の朝と同じように、凛が制服を着て、久の上にまたがって身体を揺すっている。昨日と違うのは、声に何か驚いたような響きがあるのと、凛の座っている位置……マウントポジションよりも下に位置し、久の下腹部に身体を乗せている。そして、身体を揺する動作が危険すぎる。朝の生理現象が起こっていないのが幸いだ(幸いなのだろうか?)
「姉さん……狙ってるでしょ」
「何かは分からないけど、起きた起きたー」
 凛が飛び降りるのに呼応して、久も身体を起こす。そこで、彼はようやく違和感に気づいた
「……待った、姉さん大丈夫なの!?」
 昨晩まであれだけ苦しがっていた姉が、ピンピンしている。まさか今までの全部夢だったんじゃ……と、一瞬思ってしまう程に。夢というのは、ああいう感じなのだろうか。そう思って一気に頭が覚醒したところで、凛が畳み掛ける
「そうそう、聞いてよ聞いてよ久《きゅー》くん!! 朝起きてね、シャワー浴びてから背測ってみたんだ、そしたらね、背が2センチも大きくなってたんだよ!!」
「……はい?」




「成長痛!?」
「ええ、恐らくね」
 下に降りてきた久は、ロスヴァイセの用意した朝食を食べながら、三人から事情を聞いた
「今朝、凛ちゃんを見てビックリしました。昨日の戦いで、人の時間に換算すると十年ぐらいは『時間』を費やした筈なのに、今日見てみたら、数ヶ月程度しか消費していないのですから……多分あの痛みは、急激に身体の『時間』を進めてしまったせいで、身体が成長に追いつこうとして無理をした結果だと思います」
 それに加えて、ロスヴァイセは補足を加えた。彼女と遊衣の推測ではあるが。
 凛の異能は、単なる『若返り』などではなく、人が生きていくために消費し、決して戻らない筈の『時間』を、自動で補充するものなのではないか。そのために、永劫機に喰われたはずの『時間』がある程度補充され、差分が彼女の『成長』に現れたのではないか、と。
「つまり、どんどん永劫機を呼び出せば、その分大きくなれるのよね!?」
 普段はあまり気にしないが、流石にコンプレックスはあるのだろう。そんな質問をしてきた凛に、遊衣は頭を抱えて返事をする
「危険すぎるから駄目よ、誤って時間を喰いつくされたら、取り返しがつかないんですから」
「えー」
 ふてくされている凛をスルーして、ロスヴァイセが久に話しかける
「……そうだ、久さん。久さんは確か、異能が無いという話でしたよね?」
「ん? うん、魂源力が無いからって話で……」
「……いえ、久さんには異能の力があったのだと思います。そうでなければ、永劫機との契約自体が不可能な筈です」
「そうなの? 魂源力無いのに、そういう事もあるんだ」
 その二人の話を横で聞いて、遊衣が驚いた表情を見せた……が、それも一瞬のことで、すぐにそれは笑顔で塗りつぶしてしまう
(久に、異能がある? そう、考えてみれば、でなければ契約できない……でも、有り得ない。異能があるのなら『彼』の立場に居てもおかしくないのに……捨てられることも、なく)







「別に呼び出してもいいのに、加減を間違えなければいいだけじゃない」
「無茶言わないでよ姉さん」
 朝の出来事のせいで愚痴ばかりの凛を引きずりながら、久がいつも通りの通学路を歩く。二人の鞄の中には、ロスヴァイセの作った弁当が揺られている。
「あら、お二人とも……おはようございます、お身体は、大丈夫ですか?」
「おっはよーもこちゃん、大丈夫、ごらんのとーりだよ」
「見ての通り、僕も姉さんもピンピンしてる」
 いつも通り、ご近所さんの豊川もこと一緒に学校へ向かう
「そうだ、昨日のお昼休みなのですが……高等部棟の近くで、楽器……そう、鼓《つづみ》の音がしませんでしたか? お昼の間、ずっと聞こえていたのですが」
「さあ? すぐ近くに居たけど、聞こえなかったよ」


 こうして、安達姉弟の生活は続いていく、一部はいつも通りで、一部は急激に変わりながら。
 十年間止まっていた時計の針が、また一つ動き始める。
 それとは別に、三年前に止まった針が動き始めるのも、もうすぐそこまで来ていた。






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