【蛇足~あるいは、蛇蝎兇次郎の憂鬱な昼ふたたび】


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 雨が降り出した。
 蛇蝎兇次郎にとっては、ひどく間の悪い雨であった。弁当を広げた直後だったからである。
 あわただしくタッパーを包みなおし、席を蹴って立ち上がる。テラスのあちこちから椅子を引く音が響き、それに悪態が混ざる。食堂への入り口はひどく込み合い、それは中の方でも同様のようである。
 ――あの様子では、座って食うのも難しかろう。
 蛇蝎は走り、適当な屋根の下に飛び込んだ。雨脚は徐々に強さを増し、なかなか止む様子もない。
 雨の中喰うことも蛇蝎にとってはよくある話であったが、今日ばかりは例外であった。
 ――そういえば、傘を忘れたな。
 痛恨のミスに、蛇蝎は思わず舌打ちした。濡れて帰ることは苦痛ではない。ただ、天気を読み誤ったという事実が、蛇蝎の内心に影を落としていた。蛇蝎の予測能力を持ってすれば、天気予報などは朝飯前であるが、今日は、その朝飯前を失敗してしまっている。そのことが、蛇蝎の心をくじくのである。
 蛇蝎はふと、灰色の空を振り仰いだ。
 大機を失した翌日とあって、惨めな気持ちもひとしおであった。


 蛇蝎兇次郎はかつて醒徒会選挙に出馬し、一敗地に塗れて涙を呑んだ。
 だが志までが折れたわけではない。蛇蝎はあくまで学園支配を志向し、捲土重来を期して裏醒徒会なる組織を立ち上げた。
 そうした裏醒徒会の元には現在の体制に不満を持つ者たちが集い、蛇蝎は彼らの協力を得て、学園支配への策をめぐらすようになった。
 機をうかがっていた蛇蝎の元にチャンスが飛び込んできたのは、つい昨日のことである。
 蛇蝎は渾身の策を練り、それを実行に移した。裏醒徒会の重鎮二人に加え、自らもまた手を下す。戦力の十全な投下によって間違いない成功が約束され、それによって、裏醒徒会の力は大きく進展するはずであった。
 だがしかしふたを開けてみれば、結果は大失敗に終わった。
 ほんの些細な偶然によって、つめにつめた計画が崩される。蛇蝎の未来予測能力をしても、読みきれなかった結末であった。
 事態は進展どころか、大きな後退を余儀なくされたのである。
 日を改めても、蛇蝎の心には重いものがのしかかったままであった。


 ――教室で食うことにするか。
 理想的な選択肢とは言いがたかったが、ほかに手がないのもまた、事実である。
 蛇蝎は地面を観察した。すでにあちこちがぬかるみ始めているが、かといってゆっくりと道を探していては制服が濡れるばかりである。じっくりと機を測り、雨脚が弱まったところを見計らって、蛇蝎は足を踏み出した。
 さっと差し出された傘が、蛇蝎を降りしきる雨から守った。
「蛇蝎さん。こんにちわ」
「――工か」
「よかったら、入っていかれませんか」
 傘の主、工克巳は人懐こそうな笑みを浮かべた。
「すまんな」
「いやいや、これぐらい当然ですよ」
 克巳はしきりと、蛇蝎のほうに傘を差し出してくる。自分が濡れることには構わない様子である。傘をさりげなく押し返しながら、蛇蝎はゆっくりと校舎のほうに脚を進めた。なかなかに、面映いものであった。
 工克巳は、裏醒徒会の一員である。蛇蝎が風紀委員の横暴から助けたことがきっかけとなり、自ら参加を申し出てきたのである。克巳が正面きって「部下にしてください」と頭を下げてきたとき、蛇蝎は面食らうとともに、ひどく頼もしいものを覚えたものであった。今では、工克巳は蛇蝎を慕う忠実な部下となっている。
「ところで蛇蝎さん、もう飯は食べられました?」
「まだだ」と空を見やり「下の都合を考えん雨だ」
「全くですね。おれもです」
 重々しくうなずいた克巳が、不意に間の抜けた声を上げた。
「蛇蝎さん、部室行きましょう、部室。部室で食いましょうよ」
「部室?」
「はい。我らが裏醒徒会の拠点ですよ。こっちです」
 あっけに取られる蛇蝎をよそに、克巳は向きを変えた。蛇蝎は抗議の声を上げようとしたが、濡れまいと傘を追ううちに、それはあいまいになってしまった。
 向かう先はどうやら、課外活動棟のようである。蛇蝎はおとなしく、克巳に従うこととした。


「あ、看板は気にしないでください。一応、書類上は野鳥研究会ですんで」
 乱雑に物が置かれた廊下を歩み、いくつものドアの前をよぎりながら、克巳はひたすら饒舌であった。場所が奥まっててごめんなさいと謝り、ゴミの撤去が大変でしたとため息をつき、どうやって部室を入手したのかという手管については鼻を高くして述べ立てる。どうやら、休眠状態の部活動に目をつけ、関係者を説得してひきついだものらしい。いやおうなく聞かされた細かい手段を吟味して、蛇蝎はその細やかさに感心を覚えた。こういうことが出来る人間だとは思っていなかった。評価を見直す必要があるらしい。
「――それで横のエスペラント研からテーブルをパクってきたんですけどこれがまたおおごとで」
「工」
「はい!」
 その一言で、克巳は蛇蝎に向き直った。背筋を伸ばし、顔に浮かべるのは満面の笑みだ。褒めてもらえる事を疑ってもいないらしい。まるで犬のようだと、蛇蝎は内心ため息をついた。忠実で、頭もそれなりによいが、どこか間抜けな顔つきの犬。
「その部室とやらを手に入れたのはいつだ」
「一週間ぐらいまえです」
「何故報告しなかった」
 蛇蝎の言葉は静かなものであったが、克巳は打たれたようにその身を震わせた。
「あ、あの、準備を整えてからびっくりさせようかと思い、まして」
「そんな配慮はいらん」
 しどろもどろの弁明を、蛇蝎は一言で切って落とした。
「お前がお前の責任で何をしようと勝手だが、それが我々、裏醒徒会にかかわるものであるなら、何があろうと報告を怠るべきではない。ただでさえお前たちは独断専行しがちだが、さらに情報伝達に齟齬が生じるようでは組織立った行動など到底望むべくもない。これでは学園支配などおぼつかんのだ。よく覚えておけ」
「――はい」
「二度は言わん」
 蛇蝎が言葉を並べるほどに、克巳は見る見るしぼんでいく。そんな克巳をよそに、蛇蝎は廊下の奥にむかってどんどんと歩みを進めた。うろたえた様子の克巳があわてて付いてくるのを横目に見ながら、蛇蝎はそのドアの前に立った。
 野鳥研究会と書かれた表札は古ぼけて埃が積もり、眉をしかめる蛇蝎の前で、限界といわんばかりにドアから外れて落ちた。
 なるほどな、と蛇蝎は顎をさすった。
「それはそれとして、工」
 びくん、と克巳が姿勢を正した。
「よくやってくれたな。このような部屋を手に入れるとは中々の快挙だ。褒めてやろう」
 なんといっても、たまり場がなくて困っていたのも事実である。実のところ、蛇蝎は大いに満足していた。ことさらに冷たい事を言ったのは、釘を刺すためである。
 克巳がぱっと顔を輝かせ、ポケットを探ると鍵を取り出した。鷹揚に頷きを返すと、蛇蝎は鍵を差し込んで回し、ゆっくりとドアノブに手を掛けた。
 開かない。
 蛇蝎は眉をしかめたが、それもほんのわずかな間であった。
 ドアの向こうから漏れ出した女の嬌声に、蛇蝎は思わず目をむいた。
「工」
「はい!」
 克巳が、制服のボタンを外して襟を広げた。取り出された金属のギミックが、魂源力をはらんでうなりを上げた。


 ――あきれて物も言えん。
 うろたえさわぐ半裸の女を、一瞥して追い払う。克巳の〈鋼鉄の毒蛇〉がくりぬいたドアノブを蹴飛ばして脇にやりながら、蛇蝎はことさらに大きなため息をついた。
 女と行為に及びかかっていた相手は、悪びれる様子もなく半ズボンを引っ張り上げている。ひじに巻かれた包帯には血がにじんでひどく痛々しいが、それでも全体の印象を拭い去るには至らない。なにしろ内側から鍵をかけ、逢引にいそしんでいたのであるから、弁護の余地は皆無である。
 蛇蝎は苦虫を噛み潰すような想いであった。
「相島、どうやってここにはいった」
「合鍵もらった」
「誰にだ」
「放送委員のおねえさん」
「何故あいつがそんな鍵を……。まあいい。昨日から様子はどうだ」
「ひじすごく痛いよ。お泊りにいってることにして本当によかった。おかあさんにみせたらきっと心配されるよ。病院行きたかったのに。なんでだめなのさ」
「目を付けられては困るからだ。我輩なら、お前を探すために病院に網を張るからな。むくれるな。昨日我輩が包帯巻いてやっただろうが」
「だって、せっかく看護師さんや女医さんとなかよくなれるところだったのにさ」
「そっちかよ」
 蛇蝎の内心を、克巳が代弁した。相島はぷいと顔を背けると、椅子によじ登って脚をぶらぶらさせた。むくれた顔には、反省の念は見出せない。しかられた子供そのままである。
 餓鬼は餓鬼か。蛇蝎は暗澹たる思いを押し殺した。
「なんでもいい、今後はこの部屋を逢引に使うな。よそでやれ」
「はあい」
「きちんと返事しろ」
「――はい」
 気のない返事を正しても、手ごたえはほとんどない。全く、相島陸は蛇蝎にとって扱いづらい人間であった。


 相島陸はわずか11歳でありながら、ドンファンをして顔色なからしめるほどの色情狂である。その愛らしいしぐさと外見で多くの女性と浮名を流し、しかもトラブルを起こしたことがない。無邪気な顔の裏に潜むのは計算高い本性であり、手を付けても大丈夫な獲物だけを選び出しているのだ。こと相島にとって、万事は女遊びのために存在している。かつて醒徒会に立候補したことすら、女の気を引くためであったと聞かされたときには、蛇蝎はめまいを覚えたものだ。
 子供であり、単純であり、それゆえに、ひどく手綱を取りにくい。
 しかし、相島を手放すわけにも行かなかった。相島の具える異能は『カットアンドペースト』。空間を切り取り、視界内のどこにでも貼り付ける。単なる転移ではなく、ある程度の時間なら切り取ったまま保持することも可能。あるいは欲しいものを手元に引き寄せ、あるいは邪魔者を遠ざける。襲い掛かる敵を空中に放り出し、窮地に陥った味方を安全圏へと送り込む。いかに堅固な物体も、それが属する空間ごと切り取られればなす術もなくえぐられる。小さい空間を切り取って保持すれば、それは誰にも見つかることがない完璧な隠し場所となる。
 悪用すればきりがない、強力極まりない異能である。
 昨日蛇蝎が実行した作戦も、中心にあったのは相島の能力であった。
 作戦とはすなわち、自作自演でラルヴァを退治するというものである。


 部室の中心に鎮座するテーブルの最奥に陣取ると、蛇蝎は手早く弁当を広げた。
 時刻は既に12時30分を回っている。ゆっくりと食事を取っている余裕はもはやない。
 もそもそと卵焼きを口に運び、梅干のすっぱさに口を尖らせる。飯をかっ込み水筒を傾け、弁当箱が空になると、蛇蝎は新たに手に入った部屋を眺め回した。
 相島はゲーム機を取り出し、克巳はパンをほおばりながら、ドアの立て付けを直そうとして四苦八苦している。テーブルの上はむやみに広く、ロッカーはうつろな中身を晒し、床には誰が置いたのか埃っぽい毛布が転がっている。工は少しばかり掃除をしたようだが、それにしても、居心地がいいとは言いかねる現状である。
 それにしても、床に毛布とは!
 蛇蝎はあきれ返り、拾い上げようと手を伸ばした。なんとなく膨らんだ部分をつかんだ蛇蝎の手が、毛布の下に感触をとらえた。むやみに柔らかいものであった。
「ふにゃ!?」
 毛布が跳ね除けられ、その下にいたものが天井までも飛び上がった。
 壁を蹴って中空をすべり、部屋の反対側に着地して息を荒げる。室内にはにわかに緊張が走った。
 だがそれも、彼女が蛇蝎を認めるまでのほんの短い間であった。
「あれ、なんだ、兇ちゃんか。びっくりしたー」
 緊張から完全弛緩への鮮やかな変貌。緩みきった笑みを浮かべ、ふらふらと椅子に座ってテーブルに突っ伏す。顎をテーブルに預けたまま、なにやら幸せそうな笑みを浮かべて蛇蝎を上目遣いに見上げたかと思えば、すぐさま首を倒して安らかな息を立て始める。脳内これお花畑を体現したような有様に、蛇蝎はこめかみを強く強く揉み解した。


 相島陸と違った意味で、蛇蝎は竹中綾里の扱いに手を焼いている。
 指示に従わないというわけではなく、むしろその逆である。竹中綾里は極度の面倒くさがりであり、その心はもっぱら眠ることと、体を動かすことにのみ向けられている。日常における場面のほとんどで脊髄反射的に行動しており、自発的に何かをすることはめったにない。異能によって驚異的な身体能力を持っていながら、それはもっぱら、「面倒くさい事を考えないように体を動かす」ためだけに使われている。
 こうした理由から周囲にもてあまされていた彼女に、蛇蝎は自ら指導を施した。その結果として、綾里は蛇蝎のの意のままに動かすことの出来る戦闘人形へと仕立て上げられた。血のにじむようなその過程で何か思うところがあったのか、綾里もまたいつのまにやら、蛇蝎になついてしまっていた。蛇蝎にしてみれば、便利な力を手に入れた反面、この問題少女の面倒を見る必要に迫られることとなった。居眠りで赤点を取り、追試をさらなる居眠りですっぽかす綾里のフォローをするために、蛇蝎はこのところ結構な時間を費やす羽目になっている。
 負担であるが、捨てるわけにもいかない。蛇蝎にとって、竹中綾里はなんとも面倒なことこの上ない存在である。


 幸せそうな笑みを浮かべたまま眠りに入ろうとしていた綾里を、蛇蝎は無理やり揺さぶって起こした。
「今寝るな! 午後の授業があるだろうが! それにお前、昼飯は食ったのか?」
「食べた……気がする」
「気がするとは何だ。ちゃんと食え。そうでなくても身体強化系の能力者は栄養をしっかり取らないと体を壊すんだからな。お前の体は半分我輩のものみたいなものなんだから、責任持ってしっかり管理しろ……相島、何がおかしい」
 にらみつけられて、相島が手元のゲーム機に目を落とした。克巳はといえば、なにやら複雑な表情である。聞いているのかいないのか、問いただそうとした蛇蝎を見上げ、綾里はあろうことかさっと頬を染めた。
「兇ちゃんにおっぱいもまれちゃった……」
「その呼び方をやめろ。もう何度も言っている。それと話をそらすな。我輩は『飯をちゃんと食え』といったんだ。わかったらちゃんと返事をしろ」
「うんー」
「返事は『ハイ!』だ! 元気よく『ハイ!』! あとな、我輩は確かにお前の胸を触ったかもしれんが、それはあくまで不可抗力だ。それをことさらにおっぱいおっぱい言い立てるな。見苦しい。おい相島、何か言いたいことがあるのか!」
 にらまれて、相島がさっと顔を背けた。克巳もまた、思い出したようにドアとの格闘を再会している。蛇蝎は頭をかいた。
「ところで綾里、お前いつからここで寝ている? そもそもどうやってここに入った?」
「清廉さんが鍵くれたー」
「ぼくが来たときには転がってたよ。午前9時ぐらいだったと思うけど」
 綾里が無邪気に鍵を打ち振り、気のない様子で相島が蛇蝎の疑問に答える。事情を見定めるべく蛇蝎は思考をめぐらそうとしたが、幾らもしないうちに肩から力が抜けていく。代わって浮かび上がってきたのは、清廉に対する苛立ちである。
「全く、清廉の奴はうちの鍵をなんだと思っているんだ! そもそもなんであいつが鍵を……」
 言いかけた言葉が、途中で空に消えていく。蛇蝎の脳裏に、ある可能性がよぎった。
「おい、工。まさかと思うが」
「すみません」
 工がうなだれた。
「思ってらっしゃる通りです。清廉先輩にこの部屋のこと紹介してもらいました」
「あいつに気を許すなとあれほど言っただろうが! まさか直接会ったりしたんじゃなかろうな!?」
「すみません。なんかその、押し切られちゃって」
 しおしおと縮んでいく克巳になおも言葉を投げつけようとした蛇蝎であったが、携帯の着信音にさえぎられて果たせない。メールの発信者を確認すると、それはあろうことか清廉であった。
『そんなに怒らないで。鍵はたくさんあったほうが便利だし、部屋は役に立ったでしょう? 工くんが掃除を終えるまでは秘密にしたがっていたようだから、掃除が終わったのを見計らって、皆に教えてあげました。作戦が失敗したからってあまりいらいらしちゃだめよ』
 最後に添付されているのは、幸せそうに眠りこける子猫の写真であった。なんとも愛らしい画像であったが、蛇蝎はそれを即座に消去した。文面を読むにつけ、湧き上がる苛立ちを押さえきれなくなったのである。
 これはどう見ても、今しがたの罵声を聞いているとしか思えない内容である。盗聴か、はたまた何かの異能持ちをたらしこんだのか。いずれにせよ、この部屋で起きている事を直接把握しているらしい。蛇蝎は怒りにと歯を鳴らしたが、深呼吸してその苛立ちを押さえ込んだ。上に立つものは人前でうろたえるべきではなかったし、清廉の態度はこちらを舐め腐ったものであったが、直接電話を掛けてこないだけましであった。腹を立てたところで、容易に扱える相手でもなかったのである。


 清廉唯笑と蛇蝎のかかわりは、傍目にも奇妙なものである。その始まりは共に醒徒会選挙戦を戦い、敗れ去ったというものであった。
 だが得票数の差か、蛇蝎が野に捨て置かれる一方で、清廉唯笑は放送委員のポストを獲得している。その異能は弱い催眠能力であり、声を聞かせる事で人をいともやすやすとたらしこんでしまう。常に笑みを浮かべて表情を読ませず、誰に対しても保護者然として振舞いながら、粛々と放送委員の職務を果たす。蛇蝎にとっては、何を考えているのかよくわからない女以上のものではなかった。
 だがしかし、清廉の側からしてみればそうではないらしい。何かと蛇蝎に便宜を図り、ときには醒徒会の内部情報をもらそうと持ちかけてくることすらある。露見すれば問題になるだろうが、清廉がそれを気にかける様子はない。
 とんでもない食わせものであるはずだが、さりとて利用できないわけではない。向こうも、なにやら考えがあるらしい。二人の関係は、お互いに気の抜けないものである。



 意図が読めないという理由で、蛇蝎は清廉のもたらす情報のほとんどを固辞していた。
 だが、昨日の昼に清廉がもたらした情報は例外であった。蛇蝎にとっては、充分に利用価値のあるものであったからである。
「今朝、醒徒会がラルヴァを一体倒したが、完全に退治できたわけではない。親が最期に生んだ幼生がまだ生きていて、しかも醒徒会はそれに気がついていない」
 詳しいところを問いただせば、その場所はほかでもない、破壊された蛇蝎お気に入りの休憩所であった。半信半疑のまま蛇蝎は夕日の落ちる工事現場を訪れ、そこに力なくうごめくラルヴァの幼生を見出した。まったく、清廉の情報どおりであった。
 清廉に意図を問うても、返る答えは言を左右にしてあいまいであった。はじめのうちこそ、退治して食費の足しにでもするかと考えた蛇蝎であったが、幾らもしないうちに事態が意味するところを理解した。これこそまさに奇貨であった。
 このラルヴァこそは、醒徒会の怠慢を示す証左にほかならない。ラルヴァを捕捉し、しかも退治したと宣言しながら、実際には完全に葬り去ったわけでもなく、しかもその確認を怠っている。このラルヴァの存在を喧伝すれば、醒徒会の信用に傷をつけることが出来るだろう。加えてこのラルヴァを始末し、醒徒会の不手際を誰が処理したかということが知れ渡れば、支持を広げることも出来るに違いない。少なくとも、醒徒会に対しては一つの貸しとなるはずである。磐石たる醒徒会にとっても、この貸しは無視できないほころびとなるはずだ。
 蛇蝎の思考はうなりを上げ、瞬時に計画を練り上げた。
 相島を呼び寄せ、ラルヴァを空間ごと切り取らせる。『カットアンドペースト』によって作り出される完璧な隠し場所にラルヴァを仕舞いこみ、出来るだけ人目につきやすい場所まで移送、開放。周囲にとって充分な脅威であるとアピールしたところで、ころあいを見計らって完膚なきまでに粉砕する。笑乃坂が適任だろう。足りないようなら、綾里をサポートにつけてもよい。以前から計画していた、笑乃坂を風紀委員として採用させる計画の助けにもなる。戦闘能力とラルヴァ退治の実績を同時にデモンストレーションすれば、否やの声は上がるまい。
 ほくそ笑む蛇蝎の足元で、ラルヴァの幼生がか細い鳴き声を上げた。ふるふると震えるラルヴァが、力なくその触腕を地に這わせた。その様子はいかにも頼りなく、死に掛けの小動物を思わせるものであった。
 ここで死なれては計画が台無しである。かといって、この場で世話をするわけにもいかない。相島を呼ぶ時間も惜しいと、蛇蝎は止むなく、ラルヴァを自ら安全な場所に移す手に出た。蛙ほどの大きさを持つラルヴァにこわごわと手を伸ばし、何とか抱え上げたところで、蛇蝎のズボンが落下した。
 ラルヴァの仕業であった。きつく締め上げたベルトのバックルを、ラルヴァがもぎ取ったのである。思わぬ事態に蛇蝎は小さく悲鳴を上げ、ついで瞠目した。ラルヴァはバックルの表面を削り取り、自らの内部に取り込んでいた。バックルが磨り減るほどに、ラルヴァは生気を取り戻していく。そのことで、蛇蝎はこのラルヴァが何を喰うのかを理解した。右手でズボンを引き上げ、左腕でラルヴァを抱え込みながら、蛇蝎はその場を後にした。
 暴れるラルヴァをなだめるうちに、蛇蝎は計画の細部を修正することにした。
 このラルヴァを使うのは、ある程度まで育ててからにしよう。適当な金属を与え、充分な大きさにまで育てれば、それだけ得られる効果も大きくなるはずだ。相島の能力との兼ね合いもあるが、当分は問題なく隔離し、飼育することができるはずである。
 ラルヴァすら、己が策の道具とする。蛇蝎は自らの冴えに大きく気をよくし、必死にズボンを引き上げながら高らかに笑った。いまや学園支配への道すら、いともたやすいものに思われた。


 しかし、結果は惨憺たるものであった。
 夜間、蛇蝎がちょっと目を放した隙に、ラルヴァに餌をやろうとした相島はたまたま通りかかった風紀委員のひとりに撃たれ、身柄を拘束された。蛇蝎は風紀委員の巡回スケジュールを調べており、本来ならば安全なはずであった。このほころびが、全てに波及していった。異変を察知した蛇蝎が駆けつけようとしたときには、既にラルヴァは制御不能に陥り、手をこまねく蛇蝎の前で、よりにもよって風紀委員によって破壊されてしまった。蛇蝎に出来たことは、気絶した相島を醒徒会から奪還することだけであった。目を覚ましてびーびーと泣く相島をなだめ、病院には行かないよう言い聞かせて治療を施しつつ、蛇蝎は無念のあまり涙を流した。
 悔しさのあまり噛み切った唇にオロナインを塗り、蛇蝎はその夜を、せんべえ布団の中でごろごろと転がってすごしたのであった。 玉座への道はいかにも遠い。機を生かせぬようではなおさらである。


「思ったより貧相な部屋ですのね」
 清廉に抗議のメールを返し、不意にぶり返した無念を押さえ込んでいると、皮肉な声を上げるものがあった。
 入り口で不満そうな顔を浮かべているのは、笑乃坂導花。裏醒徒会の一員であり、蛇蝎にとっては相島と並ぶ腹心の一人でもある。克巳がおずおずと頭を下げたが、笑乃坂はそれを完全に無視した。蛇蝎の見るところ、克巳は綾里とともに、笑乃坂からはいないも同然の扱いを受けていた。克巳は大いに不満そうだが、それを気に病む笑乃坂ではない。その程度では、蛇蝎の腹心は勤まらない。
「笑乃坂、鍵だがな」
「もう無意味みたいですわね」
 笑乃坂の右掌に、手品のように鍵が現れた。
 その脚が床に転がるドアノブを蹴り上げ、目の高さ程に上がったところで右手が一閃。悲鳴のような音を伴ってドアノブが二つに断ち割られ、床に転がって耳障りな音を立てた。
「笑乃坂、ゴミを作るな」
「ごめんなさいね。少々いらいらしていたものですから」
 蛇蝎の抗議も、笑乃坂にはどこ吹く風である。
「清廉か」
「わざわざ鍵を届けるように言われましたわ。この私がパシリだなんて業腹ですけど。でもこんなことなら届ける必要はなかったようですわね。本当、腹が立つこと。せっかくの昼休みが台無しですわ」
 その掌から鍵が飛び、テーブルに深々と突き立った。すぐそばには綾里が眠っていたが、目を覚ます様子もない。目をむいたのは克巳ただ一人である。いかなる金属をも刃に変える笑乃坂の能力を持ってすればなんでもないことだが、克巳には見慣れぬものであるらしい。
「まあ落ち着け。あいつが何を考えているのか知らんが、使えることは間違いない。おさめろ」
「最初からあの人は気に入りませんでしたわ。大体、キャラかぶってるんですもの」
「あー確かに。笑顔の裏で何考えてるかわからないあたりがそっくりですよね」
 納得したように声を漏らした工に、笑乃坂が笑顔を振り向けた。
「もう一度言ってくださるかしら? よく聞こえませんでしたわ」
「い、いのちだけはたすけてください」
「あら、命以外はいいのかしら。ゴミみたいなものだと思ってましたけど、思ったよりは人の役に立てるようね。ぜひストレス解消に付き合っていただきたいわ」
「ひ、ひいっ」
「笑乃坂、止せ」
 蛇蝎は声を荒げた。つまらなそうに息をついて、笑乃坂が克巳を解放する。振り向けられた殺気が蛇蝎の頬を撫でたが、蛇蝎は努めてそれを無視した。たまらずしりもちをついた克巳に、相島が哀れむような目を向けた。いかなる夢を見ているのか、綾里の体が急に波打ち、また元のように戻った。
 図らずも、裏生徒会の面々が一堂に会した格好である。
 蛇蝎はため息をついた。
 全くなんという顔ぶれだろう。
 一体誰が、この筋金入りの問題児たちを従えようと思うだろう。
 思うがままに振舞い、主人に牙を向けることすら辞さないこの気まぐれな狂犬たちを、いったい誰が制御できるというのだろう。
 それは我輩をおいてほかにない。
 痛いほどの自負心が、蛇蝎の思いを駆り立てる。
 彼らは皆、いずれ劣らぬ強力な力をその身に秘めている。そして同時に、その力を振るう目標をも求めている。蛇蝎に必要なのは、ただそれを与えてやることだけ。いたずらに撒き散らされる力を押さえつける必要はない。たんに、向きを揃えて束ねればよいのだ。心からの忠誠を求める必要はない。ただ、己の野望を果たすための道具としてのみ、有用でありさえすればよい。蛇蝎の才を持ってすれば、そうしたことは、充分に可能なはずである。
 学園の支配は、既に夢物語ではない。蛇蝎兇次郎の力は、いまや醒徒会の喉元にすら手を掛けうるものなのだ。
 高笑いが、蛇蝎の喉からすべりでた。怪訝そうに見返してくる暗黒醒徒会の面々に鷹揚な笑みを向けながら、蛇蝎はなおも笑い続けた。策をしくじり、萎え果てていた自信が、徐々に勢いを取り戻しつつあった。
 遠く予鈴が鳴り響き、午後の授業開始まであと五分であることを知らせた。課外活動棟から蛇蝎の教室までは、走ってもぎりぎり間に合うかというところである。蛇蝎は弁当箱を仕舞いこむと、もの言いたげな面々にむかって顎をしゃくった。
「お前らもさっさと授業にでろ。遅れるぞ」
「今日は休むつもりできたからいやだ」
「私もかったるいからさぼりますわ」
「あ、俺はちゃんと行きますよ」
「ねるー」
 皆、思い思いの返事であった。
 このままでは先が思いやられると、蛇蝎はため息をついた。だが、その顔に浮かぶのは笑みであった。
 放課後にまたこの部屋に戻り、少し掃除をしよう。必要なものを運び入れ、新たな鍵を取り付けよう。防諜に関しては、工にゆだねればいいだろう。その性格こそ若干頼りないが、工の技は確かである。
 そうして腰をすえた後には、次の一手を打つとしよう。
 部下たちを後に残して蛇蝎はドアをくぐり、廊下を悠々と歩んだ。痩躯に力と自信を宿し、それはまさしく王者の歩みであった。



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