【ぼくたちの戦争:後編その1】


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 【ぼくたちの戦争:後編その1】


      ※※※

「ぼくはクラスメイトと遊んでいくからお前は先に帰ってろ」
「え……?」
「何だよその目は。ぼくに友達なんかいるわけないって思ってるだろ。ふざけるな、お前みたいな気持ち悪い奴ならともかく、ぼくにだって友達の一人や二人いるさ」
「ごめんなさい……」
「解ったら早く消えろ。お前なんかと一緒にいるのを見られたくない」
「わかりました一之瀬先輩……」
「また休みの日にでも抱いてやるから、それまでぼくに近寄るな」
「はい……」




 それがぼくと葵が最後に交わした会話だった。
 葵は死んだ。
 昨日の放課後、火野とマンイーターを探しに出かけるため葵を一人で帰らしたのだ。
 その帰りにマンイーターに襲われたらしく、朝、死体として発見されたという。そう、たまたま葵を一人で帰らせたために。
 普段は一応、人気のない帰路を使って葵と下校していた。
 何故ぼくはいつも葵と一緒に帰っていたのだろう。いつもあれだけ葵を虐げていても下校はいつもかかさず二人一緒だった。自分でもわからない。きっと、あの心を不安定にさせる夕日を独りで浴びたくはなかったのかもしれない。独りで帰るのが寂しかったのかもしれない。あるいは、学校では“弱者の自分”として生きているが、帰りだけは“本当の自分”になれていたのかもしれない。なら、その“本当の自分”は葵のことをどう思っていたんだろうか。わからない。可愛くも無く、気持ち悪いだけの女。誰にも愛されない彼女を、ぼくはどう思っていたのだろうか。
 わからない。
 葵が死んでしまった以上、その答えは出ないだろう。
 だが、はっきり言えることは、葵が死んだと伝えられても、ぼくは何一つ悲しいとは思わなかった。「玩具がなくなってしまった」程度の感覚ぐらいしかぼくにはなかった。
 涙も出ない。
 それには自分でさえ戸惑っている。自分はここまで薄情な人間だったのかと。仮にも恋人が死んだというのに、悲しみも、怒りも無かった。ただ純粋な無力感があった。でもそれに罪悪感はない。不思議な感覚。
「これでマンイーターの被害者は三人目だ。みんなも気をつけろよ」
 担任の御木本は事務的にそう言って、すぐに出席を始めた。まるで葵の死なんてどうでもよさげに。周りのクラスメイトたちも「こわーい」だとか「私も狙われちゃう」なんて馬鹿なことを言って騒いでいる。誰も死んだ少女のことを悼んではいない。ぼくと同じように彼女の死を悲しんでいるものはいない。それは当然だ、誰も彼女と面識は無いだろうし悪夢の四月を過ごしたこのクラスは人の死にあまりに慣れすぎているのかもしれない。
 隣の席の火野は、手をアゴに置いて何か考え込んでいるようであった。
 ぼくも特に何も言わず、葵の死と関係なく行われる下らない授業を淡々と受けるしかなかった。
 なんとも言えない非現実感。これはクラスメイトが何人も自殺した四月の事件の時と同じ気分だ。知り合いの死はふわふわとした空虚感をぼくに与える。別段憂鬱になるわけでも、高揚するでもなく、ただいつも以上に落ち着かない。
 そう、これは焦りなのだろう。
 葵や他のマンイーターの被害者のように、あるいは四月に死んでいったクラスメイトたちと同じように、自分の死もこの世界に何の影響も与えることは出来ないのだということを痛感するからかもしれない。
 人が一人死んだところで、何十人死んだところで、悲しいくらいに世界はいつも通りに,廻り続けるのだから。
 ぼんやりとした調子で授業を受けていると、あっという間に昼休みになってしまった。
「あー腹減った。おい一之瀬。今日はちゃんと弁当忘れずに持ってきたぜ。偉いだろ」
 火野は背伸びしながらそう言った。相変わらずお気楽そうな奴だ。葵が死んだというのに。いや、昨日一目見ただけでこいつは葵のことを知らないのか。
「火野くん。悪いが今日は一人で食べてくれ。ぼくは少し用事があるんだ」
 ぼくはそう言って席を離れる。
「なんだよ。お前に用事なんかあるのかよ。いつも暇そうに見えるぜ」
 火野は唇を尖らせながらそう言った。失礼な奴だ。ぼくはそんな皮肉を無視する。
「今日のマンイーター事件の被害者についてちょっと思うところがあってね……。調べたいことがあるから行ってくる。大したことじゃないからぼく一人だけでいい」
「ふーん。昨日と違ってやけにやる気じゃねーか」
「まあね」
 わざと素っ気無くそう言って、ぼくは教室を出た。扉の向こうから「しまった! 両方ともご飯持ってきちゃった!」という叫び声が聞こえるが無視。ぼくはそのまま教室を後にする。
 階段を降りて、ぼくは二年の廊下へ向かっていく。
 葵のクラスは確かJ組だ。アルファベッド順に教室は並んでいるため、葵のクラスはもっと奥だ。だから少し歩かなければならない。しかし、去年まで自分がいた場所だというのに、今や自分がここにいるのが酷く場違いに感じる。下級生たちの視線が痛い。どうしてこうも違う学年というのは気を遣ってしまうのだろうか。
 人間というのは異質を排出することを本能レベルで行う。
 こうして二年生だけの空間に三年生がいればこうして奇異の目で見られるのは当たり前だ。恐らくぼくも自分たちのクラスに違う学年の奴が来たら意味も無く不快に思うだろう。
 だから鬼沼がラルヴァを差別して排除したいと思う気持ちも解らないではない。
 そして、“弱い”ということもまた、異質であり排除されるべき存在なのであろう。葵がイジメられていたのも仕方の無いことだ。ぼくのように空気になれなかった弱者は、そうでないものたちから迫害を受ける。人間というものはそういう生き物だ。
 ぼくもその世界の仕組みには憤りを感じる。自分を虐げる全ての強者たちは死んで欲しいとさえ思う。だが、強者と弱者の立場が入れ替わるなんて在り得ないことであり、ぼくにはどうしようもないことなのだ。いや、この世界の仕組みが変ることなんてきっとない。今まで何万年もの間、生物が誕生して以来からこのシステムが変ったことなど一度もないのだから
 だからこそ、弱さを自覚して生きていかなければならない。弱者だと悟られてはいけない。強者たちの機嫌を損ねてはいけない。集団からはぐれてはいけない。暗くなってはいけない。人と違うことをしてはいけない。目立ってはいけない。黙っていなければならない。逆らってはいけない。
 でなければ排除される。
 でなければ消される。
 でなければ殺される。
 葵のように、たった一人で死んでいってしまう。
 そんな風に考えながらぼくはようやく葵のクラスであるJ組についた。ぼくはそっとその扉から教室を覗く。
 ぼくはその教室の光景を見てなんとも言えない気持ちになった。
 笑っていた。
 J組の生徒たちはみんな笑っていたのだ。楽しそうに、無垢な笑顔で友達同士でじゃれあったりお喋りをしていた。中には真剣に予習をしているものや、ゲームをしているものもいる。それは日常の光景。いつもどおりの世界。
 ただ一つ違うのは、落書きだらけの机の上に、綺麗な水仙の花が飾られた花瓶が申し訳なさそうに乗せられていた。机の落書きは「死ね」だとか「キモイ」などの言葉が書かれている。あれが葵の机なのだろう。主を失ったその机はとても寂しそうに教室で浮いていた。
 及川葵という人間がこの世からいなくなったのというのに、彼らの世界は何も変ることはない。もしかしたら彼らには葵をいじめていたという認識も罪悪感もないのかもしれない。異質を弾くということは人間にとって当たり前のこと、それに対して一々罪悪感など覚えるものではないのかもしれない。
 まったく、本当に嫌になる。
「おいキミ。三年生だな。そこで何をしている」
 ぼくはその声に一瞬びくっとしながら振り返る。そこには葵の担任の秋吉東吾がぼくを睨みつけて立っていた。
「あ、いや、その……」
「用も無いのに二年の場所をうろちょろするな」
 左腕が欠損している秋吉は、余った袖をなびかせて堂々とした足取りで歩いてくる。ぼくはその異様な気迫に気圧されて廊下の隅によけてしまう。強面の彼は異能を持っているわけではないが、不良生徒たちからも恐れられている教師だ。秋吉は教員に付く前は外国で傭兵をしていただの、マフィアの殺し屋だっただのと物騒な噂が絶えないようで、やはりそんな噂をされるに相応しい雰囲気を持っている。
 彼は葵がイジメられていたことを知らなかったのだろうか。いや、机にあんな落書きまであるんだ、知らないはずが無い。ならば彼はなぜ葵へのイジメを黙殺していたのだろうか。いや、クラスのイジメなんて教師にとっては面倒な対象でしかないのかもしれない。だから秋吉もまた多くの教師たちと同じように見て見ぬふりをしたのだろう。
 ぼくはこのクラスの連中やこの教師を責めるつもりはない。責める権利なんて無い。葵がイジメられていると知って近づいたのだ。そして、ぼくも葵を虐げてきた。欲望のままに、自分だけのために。
 びくついているぼくを尻目に秋吉はそのまま教室に入っていってしまった。ぼくももうここに用は無い。もう戻ろう。
 そう思い、ぼくが扉から離れ、自分の教室に戻ろうとした時であった。
「あなた、葵ちゃんの恋人ですよね」
 突然そう呼び止められて、ぼくは足を止める。
 振り向くとそこには美少女が扉から顔を覗かせていた。そう、その女の子は人形のように綺麗な顔をしていて、少し茶のかかったセミロングが可愛らしく頬にかかっている。ブレザーの上からでもわかるくらいに胸は大きく、全体に華があって葵とは正反対だ。そんな可愛い女の子に話しかけられたことの無いぼくは思わず混乱してしまった。顔を見ることが気恥ずかしく、つい目線を胸と、ミニスカートから覗くニーソックスが穿かれた綺麗な足に目線がいってしまう。とても綺麗だ。壊したくなるほどに。
「あまりじろじろと見ないでくれないでしょうか。気持ち悪いのです。虫唾が走ります」
「な、呼び止めておいてそんな言い方は無いだろ……」
 むっとしたぼくは彼女の顔を睨む。その彼女は整った顔をしているが若干タレ目で、どこかでみたことあるような顔であった。そう、それはつい最近だったような……。
 いや、そんなことよりこの子はなんて言った? 「葵ちゃんの彼氏」だと、なぜこの子がそのことを知っているのだろうか。葵にそんなことを話す友達がいるなんて聞いたことが無い。
「よく平気な顔でここに顔が出せましたね。とんだ恥知らず。こんな下種は初めて見ました」
 初対面の、しかも下級生の女の子にそんな罵声を浴びせられ、ぼくは言葉が出なくなってしまう。なんなんだこの女は。なんでぼくにそんなことを言う。
「な、なんだキミは。なんでぼくのことを知っている?」
「葵ちゃん本人から聞ききました。あなたが葵ちゃんに何をしていたかも全部」
 嘘だ。葵がぼくのことを他人に喋るわけがない。あれだけ念入りに口止めをしておいたんだ。そんなはずは……。
「し、失礼だな。あ、葵がキミになんて言ったか知らないけど、キミだってどうせ葵をイジメてたんだろ。彼女が傷つくのを笑いながら見ていたんだろ、あいつらのように!」
「……そう」
「ほ、ほら見ろ! ぼ、ぼくだけ責めようなんてそうはいかないぞ、みんな同罪なんだ……」
 そうだ。ぼくのことを蔑んだ目で見ているこいつだって結局は同じだ。弱者を虐げる世界のシステムの一部だ。ぼくだって自分より弱い葵を虐げただけだ。何が悪い。悪いものか。間違ってない。ぼくは間違っていない。
「死んでください」
 腹部に凄まじい衝撃。
 ぼくは突然襲った腹部の激痛に身体を丸め、胃液が逆流するのをなんとか我慢する。だが、お腹が苦しく呼吸もままならず、ぼくはその場に膝をついてしまう。なんとか顔を上げると、脚を上げているあの子がぼくを見下していた。どうやら彼女はぼくのお腹に全力で蹴りを入れたらしい。なんて奴だ。
「お前……」
「口を開かないで下さい。息をしないでください。空気が汚れます」
 その言葉の後に、今度は頭に凄まじい衝撃が走った。激しい金属音が廊下とぼくの頭に響き、ぼくは一瞬目の前が真っ暗になった。脳が揺さぶられ、平衡感覚が失われてぼくは完全にその場に倒れこんでしまう。
 必死に目をその少女に向けると、手には真っ赤な金属バットが握られていた。
 信じられない。どうやらこの子はぼくの頭をあの金属バットで思い切り殴りつけたようだ。殺す気なのか。どうかしてる。ぼくは意識を朦朧とさせながらその目の前の少女を見ているしかなかった。
「おい鬼沼! また例の発作か!!」
「いい加減にしろよ、また停学になるぞ!」
「止めろ止めろ!」
 目の前の少女がもう一度金属バットを振りかぶろうとすると、騒ぎを聞きつけた生徒たちがみんなで彼女の行動を抑えていた。
「おい、あんた何したか知らないけど早く逃げたほうがいいぞ。こいつ頭おかしいんだよ!」
 ああ、本当に頭がおかしいようだ。ぼくはまだ痛む頭を抑え、その場から離れていく。どうも足元がふらついてしょうがないが泣き言は言ってられない。あんなところにいたら殺される。あんな頭のおかしい奴がいるクラスで葵はイジメられていたのか。想像を絶するな。狂っている。
 ぼくは殴られた部分を手で押さえる。血は出ていないが大丈夫だろうか。
 一応保健室に行っておいたほうがいいだろう。ぼくはそのまま保健棟へと向かうが、やはり頭が痛く、その道のりは酷く遠い物に感じた。誰か一人くらいぼくを心配して付き添ってくれればいいのに、と思ったが下級生の女の子に殴られて保健室に行くなんてあまりに情けなく、羞恥心にかられるのは目に見えていた。
 まったく、昨日から何かがおかしい。
 昨日からまるでぼくの世界が歪んでいっているようだ。なぜこんな風にぼくの日常は壊れていくのか。糞、世界というやつは不条理で出来ている。誰もそれには抗えない。この不条理という波には、弱者は、人はただ流されるしかない。
 ぼくはぼんやりとそう考えながら保健室の扉を開ける。
 つんと鼻を刺激する薬品の臭い、妙に心を不安定にさせられる異様に清潔な空気。
 ぼくは初めて入る保健室に戸惑いながらも歩を進めていく。
「あら、ここに生徒が来るなんていつ以来かしら。いらっしゃい」
 そうぼくを出迎えたのは、セミロングの髪をソバージュにした女の先生だった。
 白衣の下に胸の谷間を強調するようなシャツを着て、かなり短いタイトスカートがちらちらとしてぼくの目を泳がせる。
「あ、あの……ちょっと怪我して……」
 ぼくがそう言うと、その保健医はタバコに火をつけながらぼくを睨んだ。
「あんた表札見えなかったの? ここは保健室は保健室でもカウンセリング専門よ。怪我したんなら隣の医務室に行きなさい」
 咥えたタバコの煙を吐き出して、保健室がヤニの臭いで充満していく。こんな人がカウンセラーで大丈夫なのだろうか。白衣についているネームプレートには『臨床心理士:羽里由宇』と書かれている。非能力者のぼくは保健棟に来ることなどあまり無いので、保健の先生や学園付属の医師連中などあまり顔や名前を覚えてはいない。普通の教師ですら無数にいて把握しきれないのだから無理もないのだが。
「はあ……すいません……」
 ぼくが肩を落としながらここから出て行こうとすると、
「待ちなさい」
 そう羽里先生はぼくを呼び止めた。
「なんですか?」
「医務室は混んでるから、大した怪我じゃないなら行かないほうがいいわよ。あんたみたいのが行っても迷惑だから」
「そんな、ぼく頭殴られてるんですよ?」
「ふーん。ちょっと見せてみなさいよ」
 羽里先生はぐいっとぼくの頭を引き寄せて、怪我の具合を見ようとしている。羽里先生はぼくより身長が高いため、ぼくの顔はちょうど先生の胸のあたりに沈められているようになっている。ああ、葵と違ってとても大きく柔らかい。今ぼくは幸せかもしれない。
「ほれほれ」
「いたたたた!」
 羽里先生はぐりぐりとぼくの頭を拳でつつき、ぼくは激痛に襲われる。
「何するんですか!」
「平気平気。ちょっとタンコブできてるだけだから。検査しなくても大丈夫でしょ、放っておけば痛みもじきにとれるわよ」
 ぱんっとぼくの肩を叩いて、そんなことを言った。本当に大丈夫なのだろうか。とても適当なことを言っているような気がしてならないのだが。
 ぼくが不満げな顔で羽里先生を見ていると、何を思ったのか、彼女はぼくの肩をそのまま掴み、保健室のベッドの上に押し倒した。
「な、何ですか先生!」
「いいから、そのベッドの上に座ってな」
 そう言う羽里先生の唇には薄紫のルージュが引かれており、とても艶やかで色っぽい。かがみこんでぼくを座らせているので、胸の谷間が丸見えになっている。もしかして羽里先生はぼくを誘っているのだろうか。
「あ、あの先生……」
「さあ、診察を始めるわよ」
 と言って、ぼくから距離を置いて自分の机のイスへどかっと座ってしまった。一体何なんだこの人は。このわけのわからない強引さはぼくの苦手なタイプだ。
「し、診察って……。頭は大丈夫だって言ったばかりじゃないですか」
「頭の怪我はね。でも、心はどうかしらね。あんたは何か心に闇を持っている」
 心の闇。
 ぼくはそんなものを持っていない。
 ぼくは普通だ。まともだ。
 カウンセリングを受けるだなんて、そんなものは普通ではないレッテルを貼られるだけだ。異常者だとみんなに思われるのなんてごめんだ。
「ぼ、ぼくは何も悩んじゃいません」
「あたしには“わかる”のよ。隠そうとしても無駄よ。あんたは一体何に怯えているのかしら?」
 羽里先生はタバコを吸ったり吐いたりしながらぼくの目を見ている。その瞳は吸い込まれそうなほどに黒くて、逸らせないほどに魅力的だった。ぼくは羽里先生に全てを見透かされているのではないのだろうかと思い、羞恥心が競りあがってくる。心臓が鐘のように身体に響き、頭痛が激しくなってくる。
「あんたの心には怪物が巣食っている。とんでもない異形が」
 羽里先生にそう言われ、ぼくは顔が熱くなるのを感じた。
「ぼ、ぼくは怪物なんかじゃありません。ただの、弱い人間です。強くなりたいとは思いますが、もう諦めています。ぼくのような弱い人間は頭を下げて生きていくのが一番いいんです。普通でいたいんです」
 思わずぼくはそう本心を漏らしてしまった。何故だろうか、この人には全てを吐き出したくなってしまう。まるで心に手を直接突っ込まれているかのような感覚を覚え、嘘を言うことすらできないような気がする。これがカウンセラーというやつなのだろうか。
「そう。あんたは自分に自信が無いのね。だから他者を妬んで他者を否定する。しかもそれを外に出すことも出来ずに内に全部溜め込んでしまってるのね」
 そんなことを言われ、ぼくは言葉を失ってしまう。だって仕方ないじゃないか。不満を外に出せば叩かれる。ぼくのような半端な人間が仮になにか行動に移しても強い人間たちに押さえられてそのまま追いやられてしまう。
「あんた何か特技とか無いの?」
「あ、ありません。全部並以下ですよ。何も出来ないんですぼくは」
「異能は?」
「異能なんてあったらぼくだってこんなに卑屈になんかなりませんよ。いえ、ぼくは魂源力があるみたいなんです。それでこの学園に連れてこられたんですから。だけど、入学して何年も経つのに異能は開花しませんでした」
 微量の魂源力を持ちながらも、異能を覚醒させないまま卒業していく生徒は意外に多いらしい。ぼくもその一人で、もう異能の開花は諦めている。だからこそ、異能者たちがぼくは妬ましい。ぼくだってあんな力があれば強くなれたんだ。自分に自信を持てた。完全な非能力者でも能力者でもないぼくのような中途半端な存在は、やはりこの学園では肩身を狭く感じてしまう。一体ぼくのような存在はこの学園で必要とされているのだろうか。
 そんなぼくの心を読んでいるかのように不適に笑みを浮かべる羽里先生は「ふふん」と鼻をならしてぼくを見た。
「なら、自信をつけてあげましょう」
 羽里先生は机の引き出しを開け、そこから何かを取り出した。
 それは子供っぽい水玉模様にピンクのビニールに包まれていた。そう、それは駄菓子屋などで見かける一つのラムネ菓子に見えた。
「先生、それは……?」
「強くなれるおまじないをしてあげるわ」
 羽里先生はそのラムネ菓子の包みを開け、自分の口へ放り込んだ。
 お菓子を食べてるだけじゃないか、とぼくが思った瞬間、羽里先生は席を立ち、ぼくの目の前にやってきた。そして、何を思ったのかぼくの口に自分のくちを近づけてきたのだった。そして、ぼくと先生の唇は重なった。
「んぐ……!」
 ぼくはいきなりのそれに反応できずに、されるがまま先生のキスから逃れることは出来なかった。口を閉じていると、舌で強引に開けられ、そのままぼくの口内に羽里先生の舌が侵入してくる。そういえば葵とはこうしてキスなんてしたことなかったな、とぼくはぼんやりと考えていた。いつも性処理は葵を通じてしていたが、キスは一度もしなかった。葵のあのねばついた髪に、そばかすのある顔。そんな葵に自分の顔を近づけるなんて行為をしたくはなかったから。
 だが、実際に羽里先生にこうしてキスをされて、とても気持ちよく、ぼくはされるがままであった。先ほど先生が口に含んだラムネ菓子がぼくの口内へと侵入してくる。どうやら口移しでぼくにラムネを食べさせるのが目的なのだろう。口いっぱいに先生の口紅とそのラムネ菓子の異常に甘い味が広がり、一粒だけで胸焼けが起こりそうなほどだった。すぐにそのラムネ菓子は唾液で溶けきってしまい、羽里先生はようやくぼくから離れた。
「ぷはっ!」
「どうだったかしら私のキスの味は」
 羽里先生はけらけらと笑っている。生徒にいきなりキスするなんてどういう人なんだ。普通じゃない。ぼくは涎が垂れた口元を袖で拭い、なんとか平静を保とうとする。
「めちゃくちゃ甘くて口が気持ち悪いです。なんですかあのラムネは」
「甘い……? へえ、あんたあれの味が解ったの?」
「そりゃわかりますよ。うう、なんか吐き気が増してきた……」
「……なるほどね。適合者にはやはり味があるのか――」
 羽里先生はぼくに聞こえないくらいの小声で何かを呟いた。
「でも、自信はついたでしょ。こんないい女にキスされたんだから。ラムネはサービスよ」
 羽里先生は指を自分の唇にあて、ウィンクをした。その仕草はどこか子供っぽく、色っぽい見た目に比例してとても可愛らしく見えた。
「さあ、これで診察は終わりよ。あとは気の持ちようよ。昼休みも終わるし教室へ戻りなさい」
 ぼくは羽里先生に背中を押され、追い出されるように保健室の外に出された。
 まったく、あの先生はどれだけ自分勝手なんだろうか。確かにキスは気持ちよかったが、まだ口の中に妙な甘さのラムネ菓子の味が広がっていてなんだか吐き気がする。だが、そのキスの衝撃でもう頭の痛みも蹴られた腹も平気だった。
 本当に、昨日といい今日といい本当に色んなことばかりが起きる。
 ちょうどチャイムが鳴り、ぼくは昼食をとってないことを思いだした。
「まあいいや」
 ぼくは教室へと向いていた足を反転させ、校舎から出て行く。なんだか授業に出る気にはなれなかった。火野にこれ以上マンイーターのことで引っ張られるのも面倒だし、今のぼくの気分はきっとあのクラスの空気に耐え切れない。今日くらいは葵のこともあるし、もう休みたい。それくらい許されるだろう。
 やがて始業のチャイムが鳴り、みんなはもうそれぞれの教室へと戻っていき、廊下や外に学生の姿は消えていた。今まで授業をサボったことなんてなかったから、授業中の校舎の空気がこんなにも澄んでいるものとは思わなかった。人のいないこの空気はとてもぼくに合っていた。さすがに校舎にいると教師に注意を受けるだろうから、ぼくは中庭へと向かっていく。
 校舎で影になり植物がたくさんあるここの中庭は、身を隠して授業をサボるのには絶好のポジションであった。空を見上げればちょうど真上、校舎と校舎の間に太陽が輝いており、まるでぼくを見つめる巨大な目玉に見えた。
 今さら教室に弁当を取りに行くわけにもいかず、ぼくは自販機でジュースを買い、それで今日はしのごうと思った。今の時間、都市部に出ても補導されるだけだから食べ物を買うこともできない。仕方なく適当に選んだイチゴオレを飲みながらぼんやりとベンチに腰を下ろしていると、
「あれ、一之瀬くんじゃないか」
 と、突然ぼくの名前を呼んだ奴がいた。その声はこの澄んだ空気の中でよく響き、今のぼくには逆に耳障りにも感じた。
 もううんざりだ。
 今日はなんでこうも色んな人間に出会うんだ。
 一人でいたいからこうして授業を抜けているのに、一体誰がぼくの心の平穏を乱そうというんだ。ぼくは苛立ちを感じながら半ば睨みつけるように目をやる。
 すると、そこにいたのは意外な人物だった。
「キミがこんなところで授業をサボるなんて珍しいね。体調でも悪いのかな?」
 そうぼくに尋ねる声の主はクラスメイトの藤森飛鳥だった。同じくクラスメイトの牧村優子と心中事件を起して大怪我負って都市部の病院に入院したと聞いていた。
 その通りに藤森は片腕を包帯で首からたらし、松葉杖をついてえっちらおっちらと辛そうに歩いていた。服は病院のパジャマで、なんで彼がここにいるのか理解できなかった。
「ふ、藤森か。キミこそこんなところで何してるんだ。病院にいなくていいのか?」
 藤森は照れたような笑みを浮かべた。女のようななよなよした顔で、ぼくはこいつのこんな媚びたような笑顔が大嫌いだった。
 だがこれは同属嫌悪だ。
 ぼくは藤森が自分と同じ種類の人間だとわかっている。ぼくと同じように人から嫌われないように、周りからはぐれないように、叩かれないように生きている。誰にでも笑顔と愛想をふりまき、敵を作らないようにしているのがぼくにはわかった。だからこそ自分を見ているようで仲間意識ではなく苛立ちを感じるのだ。
 だが、例の四月、それに心中騒ぎを終えて、藤森は前より自然な表情になっているとぼくは感じた。それがさらにぼく苛立ちを加速させている。なんでこいつはそんな風にまともに笑えるんだ。ぼくと同じ人間のくせに。ぼくと同じ弱者のくせに。
「いやあ。あの病院では異能での治療もしててこの手の単純な怪我はすぐ治るみたいでさ、今週中には復学できそうだよ。だからちょっとリハビリ――というか外の空気を吸いにね。あまり無理はするなって言われたのにこんなところ来たのバレたら牧村さんにまた怒鳴られるよ」
 そう笑いながらなぜか座っているぼくの隣へと腰掛けた。
 くそ、とっととどこかへ行ってしまえ。鬱陶しい。
「なんだかまた最近ぶっそうな事件が起きてるらしいね」
 藤森は脚をぶらぶらさせながらぼくにそう尋ねた。ぶっそうな事件とはやはりマンイーター事件のことだろう。ベッドの上にいてもあの事件の話は届いているようだ。四月ほどではないとはいえ、生徒が三人も死んでいるのだから当然か。葵が死んでいつも以上に討伐部隊の動きも慌しいようだ。
「お前はいいな。安全なベッドの上で寝てるだけで。ぼくたちはマンイーターの影に怯えなきゃならない」
「うーん。そう言われるとまいっちゃうな。でも僕なんて今マンイーターに襲われたら逃げることもできないよ」
 藤森は自分のギプスのつけられた脚と腕を見つめてそう言った。だが、屋上から落ちてそれだけですんだのなら幸運なほうだろう。女と心中なんてはかろうとするから悪いんだ。しかもあの不安定な性格の牧村となんてぞっとする。
「でも、討伐部隊が頑張ってるんじゃないかな。僕の知り合いの後輩が討伐部隊に参加してるから少しだけ話しを聞いたよ」
 討伐部隊か。そういえば鬼沼のやつは討伐部隊から外されたと言っていたな。哀れな奴だが、ぼくには進んであんな化け物たちと戦うことが理解できない。自分が殺されるかもしれないのによくあんなことをする。中には復讐心などで戦っている奴もいるだろう。もしかしたら“殺してもいい対象”を求めてストレスの捌け口にしているかもしれない。だが奴らの大半は戦う理由をこう言うだろう“人々を護るため”だと。まったく吐き気がする。何が人のためだ。あいつらは人をみちゃいない。実際にぼくのような人間が虐げられていても誰も助けてはくれない。ただ戦いたいだけなんだ。自分たちの力を誇示したいだけじゃないか。くそ、ぼくにも“力”があれば――

『力ならお前にもあるじゃないか』

 え――?
 なんだ、今のは。どこから聞こえてきた声だ。
 まるでぼくの頭の中に直接響いたかのようだ。ぼくは顔を上げて藤森のほうを見るが、にっこりと笑っているだけで、こいつが喋ったわけではないようであった。
 じゃあ誰が? もしかして幻聴かもしれない。
 違う、ぼくはおかしくなんかない。普通だ。まともだ。
「ねえ一之瀬くん。その討伐部隊の知り合いから聞いたんだけど、キミはマンイーターを捕まえようとしてるんだって?」
 やはりその奇妙な声は藤森には聞こえていないようで、彼はそう言葉を続けた。
「な、なんでそれを――。いや、あれはぼくの意思じゃない……!」
 ぼくは藤森に突然そう言われ戸惑ってしまう。
 なぜだ、なぜぼくたちの行動がばれている。いや、そうか、鬼沼か。あいつが問題児で討伐部隊に目をつけられているからなのか。くそ、それでぼくまで巻き込まれるなんてごめんだ。
「悪いことは言わない。マンイーター事件に関わらない方がいいよ。特にキミは非能力者なんだからね」
 ぼくはその藤森の言葉にカチンと来た。確かにぼくはあの事件に関わろうとは思っていないし、出来るだけ避けたいと思ってる。葵が殺された今もマンイーター事件はぼくにとってはただ別の世界で起きていることにしか思えない。
 だが、藤森に“お前は無力だ”と言われたようで、それにぼくは少し腹が立った。
 こいつも同じ弱者のくせに。無力のくせに。なぜこんな奴にそんな忠告のようなものを受けなければならないんだ。
「ぼ、ぼくはマンイーターを捕まえる。お、お前とは違うんだ。ぼくは弱くなんかない。弱くなんか無い!」
 藤森の言葉に苛立ったぼくは心にもないそんなことを言ってしまった。くそ、ぼくはそんなつもりなんかないのに何故こんなことを言わなければならないんだ。全部この藤森が悪いんだ。
「キミには無理だ一之瀬くん。悪いことは言わない。手を退くんだ」
 頭の中の何かが切れる音がした。
 ぼくは隣に座っていた藤森の身体を思い切り突き飛ばした。藤森はバランスを崩しそのまま無様に転げ落ちた。松葉杖が音を立てて転がり、藤森は折れた足を引きずっていて上手く立てないようであった。
「お、お前にぼくの何がわかる! バカにするな、お前なんかがぼくをバカにするな! お前だって弱いくせに、どうしようもない人間のくせに!」
 倒れたまま俯いている藤森を見下してぼくはそう怒鳴った。
 ふざけるな。こいつは何様なんだ。なんでぼくに意見をするんだ。強者でもないくせに。
『そうだよなあ。あいつはお前より弱い存在だ。そんなこと言われたらムカツクよなあ』
 またあの声がぼくの頭に響いた。
 誰だ、誰なんだ。
『ぼくはお前だ』
 頭の中のそいつはそう言った。
『なあぼくよ。そいつはお前より弱い。弱い人間を虐げるのは当たり前のことだ。むかついたなら奴を好きなだけ蹂躙してやればいい。やれ。やれ!』
「うああああああああああああ!!」
 頭の中のそいつに促されるまま、ぼくは転んでいた藤森の腹部めがけて思い切り蹴りを入れた。何度も何度も何度もだ。
 ぼくがつま先を藤森にぶつけるたびに彼の身体はびくんと跳ね上がり、まるで子猫をいたぶっているようでとても気持ちがよかった。
「はあ……はあ……」
 蹴り疲れ、ぼくは息を切らせて動かない藤森を見つめる。
 自分でも理解できない衝動のまま藤森に暴力を振るってしまった。だが後悔はない。それはとても気分がいいものだった。ぼくは初めて行使した暴力に酔っていた。高揚していた。ああ、なんて弱いものイジメとは楽しいのだろうか。
 強者たちはいつもこんな楽しいことをしていたのか。ずるいなあ。葵にも今まで直接的な暴力など振るったことはなかった。だからこんなにも気持ちいいものだとは思いもしなかった。これは病みつきになるかもしれない。
「“弱さ”はときに、世界に脅威をもたらす牙にもなる」
 ぼくははっとして倒れている藤森に目を向ける。
 今の声は確かに藤森のものだったが、なぜか酷く平坦で、機械のような印象を受けた。普段の藤森とは別人のようにぼくは感じた。
「何を言って……」
「世界に敵意を向けるとき、そこに“歪み”が生じる。|ボク《・・》はそれを正さなければならない。もしもこれ以上キミが“あちら側”に偏るのならば、ボクはキミと対峙するしかない」
 そう言いながら顔を上げてぼくを睨みつける藤森の目は、まるで悪魔のような冷たさを持っていた。純粋な殺意とでも言うのか。もはや人間のそれではないように感じた。
 恐怖。
 ぼくは藤森のその瞳に恐怖を感じていた。
 なぜだ、こいつはぼくよりも弱い存在のはずなのに。
「うう……ああああ!!」
 自分の意思と関係なくぼくの足は駆け出していた。そう、逃げていた。藤森から。自分より弱い存在から。ひたすら走って逃げていた。
『どうしたぼくよ。何故逃げる』
 頭の中の声がそう問いかけた。
 あいつは駄目だ、あいつには関わっちゃいけない。あいつは違う。なぜだかわからないけどあれには近づいちゃ駄目だ。
『そうだな。あれは確かにぼくたちにとっての脅威になるかもしれない。出来るだけ距離を置いた方がいいだろう。だがいつかは倒さなければならない存在だ。ぼくたちの野望の妨げになる』
 倒す? 
 ぼくたちの野望?
 なんのことだ。何を言ってるんだ。
 お前は一体誰なんだ!
『何度も言っているだろう。ぼくはお前だ。お前の中の“抑圧された可能性”だ。ぼくはお前の願望を叶えるために生まれたんだ』
 願望だって?
『そうだ。お前は強くなりたいんだろ。誰よりも強く。どんな人間にも負けない、誰にもバカにされない、誰にも見下されない人間に』
 そうだ、ぼくは強くなりたい。
 もうこんな弱い自分は嫌だ。でもそんなの望むだけ無駄だ。どんなに努力しても強くなんかなれないんだ。ぼくは弱いままなんだ。この強者が優遇される世界ではぼくのような存在に価値なんかないんだ。
『なら世界そのものをひっくり返してやればいい』
――え?
『世界そのものの価値観を変えてしまえばいい。ぼくたちならそれが出来る』
 そ、そんなことできるものか。
 お前はなんだ、なんなんだ。ぼくにそんなこと出来るわけないだろ。
『いいや、出来るね。そのためにぼくがいる』
 お前は――
『そうだな“|裏返す者《リバーサー》”とでも呼んでくれ。名前のセンスはお前自身のものなんだから文句をつけるなよ』
 リバーサーと名乗るそいつは確かにぼくと同じ声だった。
『さあ戦争をしようぜ相棒。お前を見くびったこの世界に噛み付いてやるんだ』
 こうしてぼくたちの戦争は始まりを告げた。


 つづく









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