【七の難業 三】


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 文化祭最終日、午後一時。兇次郎たち七人は遅刻するものもなくN組の前に揃っていた。
 裏醒徒会の面々は実力こそあるがいずれもどこか型破りな人間ばかりだ。時として兇次郎の指示をもためらいなく踏みつけにする指揮官としてみれば困った人間たちである。だが今回は今のところ気味が悪いほど柔順に(あくまで常に比べれば、だが)命令に従っていた。
(そうでなければ困るのだがな)
 彼らには報酬として賞金から各々一万円を約束している。万年金欠の裏醒徒会には過ぎた大盤振る舞いだが、それで多少なりとも大人しくなってくれるのなら十分見合う対価だと言わざるをえないだろう。
「いよいよですね、蛇蝎さん」
 徹夜してギリギリまで作業にあたっていたとのことで珍しく最後に現れた克巳が、その成果が入っているであろう大きなリュックを背負いながら緊張の面持ちで兇次郎を見上げていた。
「こんなところでそんなぶるっているようでは先が思いやられますわね」
 兇次郎も導花とほぼ同意見だったが、だからといってここで凹んでもらわれても困る。
「工、裏醒徒会の一員たるもの常に堂々とだ。堂々と、悪を貫け」
「は、はい!」
 ぴんと胸を張った克巳がリュックの重みで後ろに転びかける。そんな彼の姿を見て「ばーか」と陸はケタケタ笑い、「本当に素直でいい子ね」と唯笑は微笑んだ。
「それにしても…竹中先輩っていつもこうなんスか?」
 背中の上で浅い眠りにしがみついている綾里を見やりながら和美は尋ねた。
 誰に命ぜられたわけでもない。今日に限って特に寝起きの悪い綾里を誰が連れて行くのか途方に暮れていた――第一候補の克巳の背はリュックでふさがっており、兇次郎と陸は体力的に戦力外、残り二人は女性――様を見てこれも人助けの一環と自ら申し出たのだが、今では無防備に背中に当たるたわわな感触に(健全な青少年的な意味の)何かが露になる危機を感じて若干後悔しつつあった。
「ああ、そうだ。悪かったな、市原。…いい加減起きないか、綾里」
 慣れぬ男の匂いに違和感が募っていたのだろう、綾里は兇次郎の言葉に「ふぁぁぁい…」と目を開き、のろのろと和美の背から降りる。
「良く来た、裏醒徒会の諸君。この俺の七の難業、たっぷりと骨身に染みるまで楽しんでくれ」
 教室に足を踏み入れた兇次郎たちを崇志は大仰で挑発的な態度で迎えいれた。
「お前らには必要ないだろうが、一応ルールを説明しておこう。これからルーレットで各々が挑む難業を決定するので、後はこちらが順番と開始時間を示すので従ってくれ。どちらかが四勝した時点で終了、もしもそっちが四勝したら賞金十万円はくれてやる。特にそれぞれの難業で指示がない限り制限時間は五分。逃げ得を防ぐために得点制以外の難業は時間切れ時はこちらの勝ちとさせてもらう。各々の特別ルールが何かあれば番人がその場で説明する。何か質問は?」
「ない、さっさと始めるぞ」
 事実、この説明は事前に入手した情報と一字一句変わりのないものだった。崇志は「気負いすぎだねぇ」と揶揄しながら電子式のルーレットを起動させる。
「さぁ、ここが運命の分かれ道だぜ…!?」
 崇志の余裕の笑みが凍りつく。兇次郎はルーレットを前にするや躊躇いも見せずテンポ良く止めていき、その結果を目の当たりにした仲間たちにも一切動揺が見られない。
「こりゃルーレットの出目見切られてたんでねえの?」
 一佐男が楽しそうに嗤う。
「構いはしないさ、この位でないとこちらも張り合いがない」
(この程度で勝ったと思ったら大間違いだ)
 平静を取り戻した崇志が余裕たっぷりにそう嘯く。
「最初の難業は『颶風の難業』と『競愚の難業』。挑戦者はこっちに来い、今から会場に案内する」


 綾里が体育館の扉を開けると、そこでは直が柔軟体操をしていた。
「やあ、始めましてかな。私はこの『颶風の難業』の番人、皆槻直。短い間だけどよろしくね」
(おい、綾里!聞こえているのか!)
 直の挨拶は兇次郎の苛立った声にかき消された。
 綾里は身体強化系の異能者だが、本人の怠惰さによりその力は宝の持ち腐れ状態になっていた。
 そんな彼女を拾い上げた兇次郎がコードを与えると反射的にそれに対応する動きをとるように特訓を施し、これによって彼女は裏醒徒会随一のアタッカーへと変貌を遂げたのだ。
 だがその力はあくまで兇次郎とセットにして運用することが前提である。二人が一緒ではない状況というのも当然考えられる以上、なんらかの対策は必要だと兇次郎は考えていた。
 その対策の一案として考えられた超小型カメラとイアホンを搭載したヘッドセット。綾里は現在これを装着しており、要するに先程の声はその起動テストだったのだ。
 兇次郎側で映像を映し出すバイザーが上下にガクガクと揺れる。
(おいそれは『ハイ!』の代わりのつもりか。そちら側の音声の受信テストも込みなのだからしっかり喋れ!)
「はーい」
(よし。次はカメラのチェックを行うから動くなよ)
「はーい」
(だから首は振らなくていい!)
「…。ルールは以上だよ。ええと、これで良かったのかな?」
 と判定員役の生徒に確認をとる直。綾里が頷くのをちゃんと聞いていると解釈し直はそのまま話を続けていたのだが、実のところ彼女は全く話を聞いていなかった。正確には聞いてはいたもののその内容はすぐに反対側の耳から滑り落ちてしまったのだ。
 だが綾里は全く意にも介していない。考えることは趣味でもなければ仕事でもない。
(それはみーんな兇ちゃんがやってくれる)
 だから私は何も心配することはない。
 そして、綾里は後のことを兇次郎に任せ、戦いを前に意識を傍観者の立ち位置まで退けた。
 開始の合図が響く。綾里はまず直に手を差しのべた。
「ああ、これはどうも」
 直も手を伸ばし、二人は固く握手をする。
 と同時に綾里は強くその腕を引き、前のめりになった直のこめかみに左のフックを叩き込んだ。
「!!」
 『颶風の難業』の雑務を担当する生徒たちが驚愕の声を上げる。
「なかなか手厳しいね」
 左手から高圧空気を当てることでフックの軌道をそらし辛うじて被弾を防いだ直は、そう言うや否や逆に右腕を引き綾里を引き込もうとする。引き込まれる前に腕を振りほどいた綾里だったが、それを予期していた直は横っ飛びに左にジャンプし旗のほうに向かおうとする。だがその着地点には既に綾里が先回りしていた。地を這うような低い蹴りが着地したばかりの直の足を狩る。あえて勢いに逆らわず床に倒れ、空気噴射の勢いも利用して一回転で起き上がるが、その時には綾里は旗への方向をふさぐ場所に移動していた。
「楽には勝たせてもらえない、か。いいね、それでこその『制限なし』だ」
 強敵の出現に沸き立つ魂。自然と、直の顔に獰猛な笑みが浮かんでいた。


(なんでこうなっちゃったんだろうなあ…)
 和美はぼんやりと考えていた。
 そもそものきっかけはレスキュー部の夏の出張に同道した先輩、蛇蝎兇次郎が再び彼らの前に現れた二日前、文化祭初日のことだった。
「人手を借りたい」
 七の難業とかいうアトラクションに挑戦するために七人の人間が必要だが、相応しい力を持つ員数が足りない。だから手伝え。
 彼の言葉は実に簡潔だった。
 祭りに沸き立ち浮かれ気分になった生徒たちが事件を起こしたり巻き込まれたりという事が急増する、レスキュー部が忙しなくなる時期である。和美は部長である菅誠司(すが せいじ)がにべもなく断るだろうとばっかり思っていた。
「そちらの事情は承知している。拘束時間は顔合わせ含むミーティングが十分程度、最終日の本番が最大二十分程度、それだけでいい。勝利時には報酬として一万円を約束しよう」
 ゲームの員数合わせにしては破格の報酬である。驚いた二人であったが、これでも十分の一に過ぎないと聞いて納得した。しばし思案していた誠司だったが、やがて「わかった」と頷いた。
 貧乏所帯のレスキュー部としてこの報酬は大きな助けになるし、それに裏醒徒会に一つ貸しを作れるというのは大きい。裏醒徒会という存在に一定の評価を与え、学園の大多数から胡散臭い存在と見られていたそことの繋がりに価値を見出していた誠司らしい思考による選択だった。
 少しばかりびっくりした和美だったが、レスキュー部が貧乏所帯なのは彼の異能の副作用によるエンゲル係数の高さも一因である。
「わかりました、センパイ。センパイの留守は俺がしっかり守るッス」
「いや」
 せめて彼女がこちらに気を取られることのないよう頑張ろうと決意した和美に意外な一言が放たれる。
「我輩が必要とするのは市原和美、お前の方だ」
「…え?」
 そして「俺なんかでいいんですか」と質問しては「くどい」とはねのけられつつこの日に至ってしまった。
「レスキュー部の活躍は私も注目してるわ。今度特集を組もうかなとも思ってるのよ」
「あ、はい。光栄ッス」
 日頃の日陰者扱いとはまるで正反対の唯笑の言葉に和美はまさに舞い上がる思いだった。
「――頑張ってね」
 と笑顔で送り出された頃には和美のテンションは上がりまくり意気軒昂の状態である。
 和美が案内された場所は、実に殺風景な教室だった。カーテンも時計も撤去されており、あるのは中央に二つの机とその上に置いてある透明な水槽だけ。
「では、改めて。ようこそ『競愚の難業』へ。この難業のルールは実に簡単、そこの水槽に頭を突っ込んで先に顔を出した方が負け。あと、いかなる形でも直接的攻撃は禁止。これだけだ」
 戦闘能力も頭の回転も誠司に負け、彼女にはない異能もそんなに使い勝手がいい訳ではない。何で自分がと思い続けていた疑問がようやく氷解した気分だった。
 和美の異能は時間限定(現状では約三十秒間)で不死身になれる能力である。元々体格が良く肺活量には自信のある和美だったが、更に異能で三十秒間のアドバンテージが与えられるに等しい。
 問題は相手の異能だが、例えばもし水中で呼吸ができる異能とか言い出されたらどうやっても勝ち目なぞないのでそこらへんは考えても仕方ないだろう。
 そう割り切った和美は大きく息を吸い込み、一佐男と同時に水の中に頭を入れた。
 心中のカウントが三十を越え、やがて六十をも越える。だが横の一佐男は全く平然としていた。
(やっぱそういう異能なんスね)
 しかし勝てないにしろレスキュー部の代表として全力は尽くさないと。そう思い異能を発動しようとする和美だったが、
(あれ、異能が使えない…)
「――あなたの異能も素晴らしいけど、努力して誠司ちゃんのように異能を使わず体一つで事態に立ち向かうことができるくらいの人間になれたら、もっとレスキュー部は大きくなれるわ。決して投げ出しちゃ駄目よ――」
 何故か、頭の中に優しい笑顔で励ましてくれた清廉先輩の声が浮かぶ。
(ごめんなさいセンパイ、悪いけど異能も使えないんじゃ限界ッス)
 諦め、顔を上げようとする。だが、体が石になったように動かない。
(一体何が起こってるんだ!?)
「――あなたの異能も素晴らしいけど、努力して誠司ちゃんのように『異能を使わず体一つで事態に立ち向かう』ことができるくらいの人間になれたら、もっとレスキュー部は大きくなれるわ。『決して投げ出しちゃ駄目』よ――」
 再び聞こえた声は、先程となんら変わらないはずなのにどこか禍々しく聞こえた。
(なんでこうなっちゃったんだろうなあ…)
 薄れ行く意識の中、和美はぼんやりと考えていた。
(俺、こんなとこで死ぬのか…)


「全くもってやりにくい…」
 直は困惑していた。
 戦い慣れした人間や武道に習熟した人間は(意識的か無意識的かの違いはあるが)自然と相手の動きの兆を読み取って攻撃や防御に生かすようになる。
 先読みと言い換えてもさほど問題はないだろう。一定レベル以上の戦いだとこの読みの深さが勝敗を大きく左右するのだが、直が現在対峙しているこの相手の兆はかなり読み辛いものだった。
 攻撃の直前の筋肉の動きのような肉体的な兆は見えるが、その前段階の意識の注視の動きが全くと言っていいほど見られない。
(なんというか…そう、操り人形)
 幾度かの攻防を経て、直は直感的に正解に辿りついていた。
 自分だけは安全圏にいて戦う気のない人間を無理やり戦場に送り込む行為は直の忌み嫌うものである。だが、目の前の彼女からはそういう感じは見て取れない。洗脳されたり精神が壊されているというのも違う気がする。
 自ら望んで、しかもその眠そうにとろけた表情を見るに自分の犠牲も厭わずというような悲壮感もなく、ただ難しいゲームを得意な友人に任せる程度の感覚で誰かに体を預けているとしか思えなかった。
(世の中には変わった人間もいるものだ)
 声に出して言えば「お前が言うな」と総突っ込みは必至な呆れを見せながら、直は次の手を考えていた。
 すり抜けて旗の方に向かおうとしても読みの深さの差で先手を取られて妨害される。そうなると…。
 もとよりシンプルな人間である。直の思考は瞬きよりも早く終了した。
「ふむ」
 余人には理解不能なコードの羅列で攻勢に転じた直を受け流しながら、兇次郎は改めて椅子に深く腰掛けなおす。
 ここまでの展開は想定通りだった。スピード勝負に持ち込まれてしまえば、たとえ妨害ありでも今の手駒の中で皆槻直に勝てるものはいないだろうというのが兇次郎のシミュレートの結果だった。
 そうなると彼女の意識を旗からこちらに移す必要がある。皆槻直の本質は強い相手との闘争を望む闘士であるからして、それはさほど難しいことではない。
 問題はこの後だ。本気で向かってくる直を相手にするには相当難しい舵取りが要求される。
 こちらを狙うハイキックの軌道が高圧空気の噴射で突如としてくの字に折れ曲がって脇腹を狙う。それを腕を円の動きに回転させるようにしていなし、その動きを利用して手刀を放つ。直はあえて肩を突き出してそれを受け、同時に踏み込むことで攻撃の勢いを殺しつつ圧迫を加える。
 こうなると綾里は後ろに下がるしかない。当然直も体勢を立て直す暇を与える気もなく、そのまま綾里はずるずると壁際まで押し込まれた。
「これで…!」
 と止めの一撃を加えようとした直に向け綾里は壁を蹴って飛び出す。前進の勢いが残っている直はこの意外な攻撃に対抗しきれず、二人は真正面から衝突した。
(どういうつもり…?)
 スピードの面でもウェイトの面でもこちらが上、明らかに向こうの方がダメージは大きいはずだ。お互いに衝撃を受け一瞬行動不能になったことでこちらの攻撃がキャンセルされたことぐらいしかメリットが見えない。
 直はここでミスを犯していた。
 一瞬動けない直と綾里。だが、この戦場にはもう一人プレイヤーがいるのだ。
(JAUFWU7R4、KHY70YS4LI、DD3POFRER)
 兇次郎の言葉が綾里を突き動かす。たとえ意識がハングアップしていようと意識下の部分がその言葉に反応し対応する攻撃パターンを繰り出す、竹中綾里とはそういう風にできているのだ。
 直の腕を取り、一本背負いの要領で壁に投げ飛ばす綾里。
「…くっ」
 ここで直は衝撃の影響から解き放たれ、身体の制御を取り戻した。だがここで壁にそのままぶち当てられては元の木阿弥だ。
 直は〈ワールウィンド〉による空気噴射で勢いを殺しつつ身体を回転させ、壁に立つような感じで壁に足をつく。
(このまま反撃に…)
 思考を続ける暇もなかった。
 その瞬間、直が足をついた一帯の壁が一瞬で崩壊したからだ。


(早く無様な間抜け面晒してくれねえかなあ)
 一佐男には別に和美への恨みがあるわけではない。ただただ何か退屈がしのげることが起こってくれ、その程度の理屈による思考だった。
 世界は平和だが退屈な領域と危険だが刺激的な領域に二分されている、というのが一佐男の世界に対する認識である。
 そして、彼はまた自分の異能が「平和」と「刺激的」といういいとこ取りを成す為にあるはずだと信じきっていた。
 そんな一佐男の都合のよい信念は偶然にも崇志の目に留まることにより具体的な力を与えられてしまう。
 〈イディオット・ゲーマー〉。その名を持つ一佐男の異能は相手の時間感覚を操る能力である。
 例えば楽しい時間は短く感じるように、時間感覚と感情とには相関関係がある。崇志に与えられたゲームの場でこの異能を使うことで思う様に他者の感情をかき乱すことができたその瞬間、一佐男の世界は一変した。
(そう、今のこいつのようにな)
 〈イディオット・ゲーマー〉で時間感覚を狂わされている和美の戸惑いが手に取るように分かるようだった。
 「平和」な安全圏から「刺激的」な他者の無様さを堪能する。
 何物にも代えがたいこの快楽に夢中になり、一佐男は崇志に従い勝負師として生きることにしたのだ。
(あー、できればこいつ死なねえかな)
 そうすりゃしばらくは退屈を追っ払えそうだ。一佐男にとっては他者の命すらも自らの退屈しのぎの材料に還元できるものでしかなかった。
(……るか)
 不死身の異能任せの無茶な行動から命知らずと評されている和美だったが、命知らずではあっても決して命を粗末にする人間ではない。
 命は取り返しのつかない代えのきかないものであり、だからこそ矛盾しているようではあるが命と引き換えにできるものがある所でしか命を捨てるに値する場所は存在しない。
 ここは決してそんな場所ではあろうはずがない。ましてや自分の命を上から視線で値踏みするような気配の思い通りになるなんて、一男子としてまことに耐え難いことだ。
(こんな所で…死ねるか!)
 怒りの咆哮と共に、心の中の何かが弾け飛んだ。
 同時に和美の生存本能が半ば無意識に異能を発動させる。酸素が不足しているのは変わりなかったが、異能が発動している限り死にはしないという安心感が朦朧としているなりに思考を巡らせる余裕を与えていた。
(こうなったらやれるところまでやってやるッスよ…!)
 実時間で一分が経過し、一佐男に段々と焦りが生じ始めていた。
(まさか俺の〈イディオット・ゲーマー〉が効かないなんてことなど…!)
 余裕をかなぐり捨て、時間感覚を最大限まで加速させる。
 だが、和美には変わった様子は見られない。
(何故だ!)
 和美の脳内では、体感時間で既に二十分が経過していた。しかし、この異常事態にも和美は平静そのものだった。
(そう、オレの異能の持続時間は三十秒)
 それは彼自身の経験に裏付けられた事実。だがそれだけなら狂った体感時間に惑わされていたかもしれない。
(この力は先輩も認めた力なんスよ)
 和美が尊敬する誠司がこの異能を、三十秒の不死身を軸に作戦を組み立ててくれている。
 だから、この三十秒は和美にとって絶対だった。
 たとえ世界中の時計全てが狂った体感時計を支持したとしても、彼は自分の異能が三十秒以上続いているという一点で迷いなくそれを否定してのけるだろう。
 故に、和美は決して揺るがない。
 揺るぎ始めたのは一佐男の方だった。
 勝負師と名乗ってはいるものの、実のところ七の難業の原型ともいえる「絶対優勢な場での戦い」の経験しか持ち合わせていない。
 そのアドバンテージを剥がしてしまえば、その本質は実に浅薄なものである。
 ギリギリの勝負になった時にレスキュー部で泥にまみれながら活動してきた和美に対峙できる魂を持っているか…それは火を見るより明らかであった。
「この俺が、『勝負師』陣台一佐男がこんな奴に負けただと…!」
 あまりの屈辱にわなわなと震える一佐男には目もくれず、和美は兇次郎たちの待つN組の教室に戻る。
「勝った、か。よくやった、清廉」
「あらあら、私はエールを送っただけよ。勝ったのはあくまであの子の力あってのことだわ」
(よく言う)
 唯笑は自分の異能のことを「弱い催眠」と言う。その意味の一つは人間の最大の本能、生存欲を捻じ曲げることはできないということである。
 和美を死の淵にまで追い込んだ催眠は、異能による詐術に引っかかって和美の異能が無駄打ちさせられることを懸念した兇次郎が唯笑と組んで本当に死にかけるまで異能が使えないようにするためのストッパーだったのだ。
 おそらくそれを察知しているであろう和美は真っ直ぐ歩きながら唯笑に近づき…無言で通り過ぎた。
(さて、どう出るのかな?)
 自分の目の前で止まった和美を前に兇次郎は彼が取りうる手を考察する。
「蛇蝎センパイ、これでオレの仕事は終わりッスよね」
「ああ、ご苦労だったな」
「なら、もう行きます。レスキュー部の仕事は待ったなしなんで」
 それだけ言うと、和美は兇次郎に小さく頭を下げ去っていった。
「なるほど、レスキュー部第一、か」
 兇次郎がシミュレートした結果の中で、ある意味最も面白くない反応だった。
「どこまでも愚直だな。裏醒徒会には向かん人間だが…」
(その忠義心はある意味羨ましいではあるな)
 口には出さなかった。異能を使うまでもなく言っても無駄だと良く理解していたからだ。


(してやられた)
 それが事態を認識した直の最初の思考だった。
 まさか偶然であるはずもない。裏醒徒会側の何らかの仕掛けなのだろう。
 腹立たしいという気持ちはなかった。奇襲や罠などのような戦い方は直は使うのを好まないというだけで、必ずしも嫌いというわけではなかった。
 無論、彼女の基準にそぐわない、認められないものもある。だが、戦場では大抵の手段が許容され、悪いのはそれに引っかかった方だというのが直の考えであった。
 その意味で言うなら、「してやられた」と策にはまったことを認めた時点で敗北を認めてもいいような気もする。
(いや)
 と直はその考えを否定する。この七の難業は自分一人のことで済む戦いではない。それに、「失敗しても文句は言わせない」とまで言った委員長の気持ちに報いるためには、
「まだまだ足掻いてみないとね」
 だが、直は同時に自分がまだ裏醒徒会の策に囚われていることも理解していた。
「随分と諦めが悪いが所詮はここまでだ、皆槻」
 直の体格、異能のデータ、そして足音から測定する現在位置。全てを勘案しても全力で旗に走る綾里に追い付くには、
(あと一センチだけ足りない)
 それは兇次郎の超演算が導き出す定められた未来だった。
 間合いに旗を捉えた綾里が旗に手を伸ばす。猛スピードで追いかける直も続けて手を伸ばす。
 定められた未来の絵図通りに動く二本の腕。
「!?」
 だが、その未来に反逆するというかのように直の腕は兇次郎が予測した限界点から更に一段伸びる。
 綾里の手が旗の基部を掴むのと同時に直の二指が旗の中ほどを挟み込み、そのまま走り去る勢いでちぎり取った。
(どういうことだ?)
 勝敗より何より、それが兇次郎の一番の関心事だった。
「兇ちゃん、腕伸びてるよー」
 そんな馬鹿なと反射的に返し、しかし見やった直の右腕は確かに僅かながら伸びていた。
 腕の関節を無理やり外し、そのままではまともに動かせないので〈ワールウィンド〉で強制的に外部から操縦したのだ、と兇次郎は一瞬で理解に至る。
「機械で測定しても完全に同時だったんだと。『颶風の難業』は引き分けってことでいいかい?」
「ああ、構わん」
(阿呆が)
 と崇志は顔には出さずに嘲笑った。この七の難業に勝つには挑戦者が四勝する必要がある。つまりルール上挑戦者側にとって引き分けは実質負けに等しい。少々過大評価していたか?と崇志は考えを改め始めていた。
(…とほくそ笑んでいるのだろうな)
 兇次郎は崇志の考えを読みきっていた。理解したうえであえて同意したのは、相手が他ならぬ皆槻直だからである。
 つい先程格好の実例が示されたように、直は自分の負傷など全く顧みずに戦いにのめりこむ人間である。変にその気にさせて相討ち覚悟の特攻などされてはこちらもただではすまない。こちらの第一の目的が軍資金の獲得にある以上、抗議して再戦させたとしても目先の一勝と引き換えに治療費を払う羽目になっては本末転倒だ。
(まあ、やむを得まい)
 この程度は十分に想定内だ。むしろ今喫緊の問題なのは、
「疲れたよー兇ちゃん、もう寝るー」
(駄目だ、そんなところで寝るな。せめてこっちに戻ってこい!)
「兇ちゃんが膝枕してくれるなら戻るー」
(できるわけがないだろう!お前と違って我輩はこれから出番なのだぞ!)
 もどかしさで胃がどうにかなりそうだった。遠隔戦闘プランは廃棄した方がいいのかもしれない。




七の難業 対裏醒徒会 途中経過

              『颶風の難業』
        皆槻 直   △ ― △   竹中 綾里

              『競愚の難業』
      陣台 一佐男   × ― ○   市原 和美

              『天秤の難業』
        金立 修     ―     工 克巳

              『紙牌の難業』
      三墨 ちさと     ―     相島 陸

              『幻砦の難業』
       黒田 一郎     ―     笑乃坂 導花

              『円舞の難業』
ミステリアス・パートナー     ―     清廉 唯笑

              『縦横の難業』
      百目鬼 崇志     ―     蛇蝎 兇次郎




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