【某所大掃除のひと幕】

 *こちらのバージョンで読むことを前提としています


 時の流れというものは、万物に対し残酷なまでに公平であり、ここ、双葉島も、歳の瀬を迎
えていた。
 師走の風物詩はいくつもあるが、大掃除は代表格のひとつであろう。旧年のほこりを払い、
新年へ向けてけじめとするための儀式。
 ――というほど大仰なことを考えているもののいようはずもなく。
 双葉島はそれ自体が巨大学園都市であり、その名も双葉学園は規格外の超級マンモス校であ
った。学び舎は多く、課外活動に供される施設も無数にある。そんな、いくつもあるサークル
棟の中でも、とくにうらさびれた雰囲気の建物の一角に「野鳥研究会」のプレートを掲げた小
部屋があった。
 島内で見ることのできる野鳥と、そのビュースポットが示された地図こそ壁にかけられてい
るが、室内に観察ノートやスチール写真の類いは見あたらない。先月開催された文化祭に際し
ても、ここの「野鳥研究会」の出展は申し訳ばかりであり、来場者ノートに記されていたのは
三日間でわずかに七人の氏名のみであった。
 しかしながら幽霊サークルの部室ばかりが並ぶこの棟にあって「野鳥研究会」室は人の出入
りが絶えない。校内の各所で大掃除が行われている今日も、清掃に汗を流す人影のあるのはこ
の部屋だけであった。
「……相島《あいじま》、やる気がないならよそへ行っていろ。邪魔だ」
 積みあがった雑誌の上に座ってゲームをやっていた少年へ、はたきを手に苦言を呈したのは、
長身痩躯の男だった。高等部の制服の上にエプロンをし、三角巾と頬被りでほこりよけをして
いる姿が、むやみに似合っている。
 相島と呼ばれた、初等部の児童とおぼしき少年は、
「はーい」
 とだけ返事をすると、むしろ意を得たりとばかりに軽い足取りで部室から出ていってしまっ
た。換気のために窓とドアは開け放たれたままだ。
「まったく。笑乃坂《えみのさか》にいたっては端から顔すら見せんとは」
 長身を伸ばしてロッカーの上に積もったほこりをはたきながら、男はひとりごちた。彼――
蛇蝎《だかつ》兇次郎《きようじろう》は、名目上はこの「野鳥研究会」の代表者である。だ
がしかし、蛇蝎の真の姿は、同好会を隠れみのにした、悪の反体制組織のリーダーなのであっ
た。「裏醒徒会」といえば、知っている人は知っている。
 構えてから半年ばかりのあいだで、ずいぶんとガラクタの増えてしまった拠点の惨状に、蛇
蝎がため息をついていると、うしろから声が聞こえてきた。
「竹中《たけなか》さん、寝るなら、そっちの仮眠ベッドの上に行ってもらえないですか。掃
除機がかけられないんですけど」
 毛布にくるまって部屋の中央で丸くなっている何者かに、相島と蛇蝎の中間程度の歳の頃に
見える少年が話しかけている。中等部生で、工克巳《たくみかつみ》という名だ。やる気のま
るでない構成員たちのなかで、ただひとり細かい骨惜しみをしない人材のため、蛇蝎にとって
いまや欠くことのできない実務兼雑用担当者であった。
「綾里《あやり》、T6824S2・33R61・129963N」
 蛇蝎が呪文めいた言葉を唱えるや、毛布をはねのけ、寝転んでいた少女がバネのように立ち
上がった。さらに、床においてあったバケツの中から雑巾を取り、窓辺へ向かってガラスを拭
きはじめる。
 ただしその動きは機械じみていた。実際、彼女――竹中綾里は、蛇蝎が苦心して組み上げた
このコードを告げられない限り、可能な限り寝てすごしている。極度の面倒くさがり屋なのだ。
「これでやっと試せます」
 といって、工がロッカーから引き出してきたのは六本脚の昆虫のようなロボットだった。幅
と長さは四十五センチ、高さは五十センチといったところか。さすがの蛇蝎も不審顔になる。
「――それが掃除機、だと?」
 裏醒徒会長直属の技師のつもりでいる工のほうは、よくぞ訊いてくださったとばかりに解説
をはじめた。工はこれでも、超科学と呼ばれる特異能力の遣い手なのだ。
「ベースは市販品ですよ。リサイクルショップにジャンク品としておいてあったんで、五百円
で買ってきました。最近の自動掃除機は便利になったものです。むかしは、なんにも物をおい
てないだだっ広いフロアでしか使えませんでしたけど、いまじゃすっかり賢くなって」
 スイッチを入れられた掃除ロボが動きはじめた。床のほこりを吸い上げながらテーブルの脚
を迂回し、だれかがおきっぱなしにしていた空き缶を捕獲すると、アームで潰して機内へ格納
する。
「ガラクタもこのとおり。みんなの魂源力《アツイルト》波形を登録してありますから、閾値
以上を検知した場合、私物とみなして捨てません」
「そいつはほかの使い道もありそうだな」
「ええ。美化委員に紹介するPVを製作してもらえるよう、清廉《せいれん》さんに話してあ
ります。校内清掃に使われるようになるかもしれません。情報収集機器を搭載するスペースは
確保済みです」
 にやりとした工へ、蛇蝎も満足げな表情を返す。
「手まわしが早いな。だが、急くなよ」
「わかっています。苦労してしかけた盗聴器、ごっそり風紀十六課に潰されちゃいましたから
ね。……でも、なんで風紀委員室の一個だけ残ってるんだろう? 見落としたとは思えないん
ですけど」
「奴らも疑っているのだ」
「いったい、なにをです?」
 首をかしげた工へ、
「このところ、都合のいい襲撃事件が多いだろう」
 と蛇蝎は示唆してみせた。たしかに、厳重なはずの警戒網の隙間を縫って、怪物《ラルヴア》
やテロ組織が双葉島へ襲撃をしかけてくる事件は増えていた。
「それと風紀が盗聴器を一個見逃したことに、どういう関係があるんでしょうか」
「鈍い奴だな。内通者がいるとしたら、当然ながら正規の監視システムの仕様や配置はわかっ
ているだろう。だが、我々のしかけたモノの存在はわかるまい。意外なボロを出すかもしれん。
——連中は、我々の盗聴器の電波を、ちゃっかり傍受しているというわけだ」
「蛇蝎さんは、風紀に内通者がいるとお考えですか?」
「そこまではわからん。だが、|聖 痕《ステイグマ》やオメガサークルは確実に学園内へ根
を伸ばしている。特定の怪物と通じているものもいるだろうな。ALだったか? それに対し
て、学園の現体制は防諜に関してまったく無策だ。いや、取り組んでいる部署はあるのだが、
ないがしろにされている」
 蛇蝎の長広舌を聞くうちに、工の表情に理解の色が広がっていく。
「不甲斐ない執行部、醒徒会、風紀にできないことを、おれたちがやるってことですね」
「気負うな工。我々は裏の存在、影たるもの、悪なのだ。奴らの失態を繕ってやる義理はない」
「わかりました。とりあえず、悪のアジトからきれいにしましょうか」
 うなずいて、工はもうひとつの装置《デバイス》を展開させた。先だっての文化祭で高等部
二年N組が出展した〈七の難業〉へ挑む際に使用した、ジャイロスパイダーだ。本来の目的は
遂げることのできなかった失敗作だが、伸びるので脚立の代わりになる。床は六脚清掃ロボに
任せ、工は照明の掃除に取りかかった。蛇蝎はたまっている雑誌の束をビニール紐でまとめは
じめる。
 ――三分たったところで、工が気づいた。
「蛇蝎さん、竹中さんが、ずっと同じ窓を拭いてるんですけど」
「ああ、反復命令だからな。目標座標を動かさないと、同じ動作を繰り返すだけだ。我輩は資
源回収所にこれを出してくる。座標コードをずらして次の窓に取りかからせろ」
 といいのこし、左右の手に雑誌の束をさげて、蛇蝎は部室から出て行った。難題を課せられ
て工は頭を抱える。
「すごい無茶振りですよ蛇蝎さん……」
 いちおう、工は蛇蝎謹製「竹中綾里操作コード」の概要は理解している。取るべき動作と、
彼女の異能力である身体強化能力を発揮させるか否か、能力を使うなら出力はどの程度にする
のか、そして目標の座標――基本的にはそれだけだ。
 ところが実際にコードを使ってみようとするとひと筋縄ではいかない。蛇蝎が「K4T32
4Y」とコードを発し、綾里がパンチを繰り出すのを見たとしても、「K4T324Y」とも
う一度復唱してみるだけでは彼女の鉄拳はうなりをあげない。まったく無反応か、場合によっ
ては明後日の方向へ走って行ってしまうかもしれない。
 それぞれの動作、異能出力、目標座標を、コードへ変調するさいの乱数表が、恐ろしく複雑
なのだ。
 ジャイロスパイダーから降りて、工はロッカーから関数電卓を取り出した。間違えて異能を
オンにしたら窓ガラスを割ってしまう。攻撃コードを誤入力して殴られるのも勘弁してほしか
った。
 変数を計算するのに五分かかったが、蛇蝎は戻ってこない。
「えー……41C29・F02243」
 自信なげにつぶやいた工だったが、綾里はリズミカルな動きで右となりの窓の前へ移動し、
ガラスを拭く作業を再開した。
「おー。まさに人間精密機器」
 蛇蝎と綾里のコンビなら、スポーツのみならずダンスやバレエの世界であっても制覇できそ
うだな、と思いながら、工はジャイロスパイダーに乗って照明の掃除に戻った。
 だが、さらに五分たっても蛇蝎は帰ってこない。
「おかしいな。リサイクルボックスはそんなに遠くないはずなのに……」
 高所で掃除するところがなくなり、ジャイロスパイダーをたたんで工は頭をかいた。掃除ロ
ボも、やることがなくなったか、照明の傘から落ちてきたほこりを吸い取り終わったところで
停止した。
 すっかりきれいになった部屋の中で、綾里だけが窓ガラスを拭き続けている。
「竹中さん、もういいですよ……って、反復指示だから解除しないといけないのか。03J2
I0」
「……すー」
「あの、そこで寝ると風邪ひきます」
 即睡上等の綾里へ、工は声をかけてみたが、もちろん反応はない。毎度のことではあるのだ
が。毛布をかけても窓際では寒いだろうし、かといって抱えて仮眠用のベッドまで運ぶのも気
まずい。工は中学生にしては背の高いほうなので、普段綾里を背負って運ぶのは彼の仕事なの
だが、あくまでも蛇蝎の指示があるからやっていることにすぎない。小学生である相島や女性
である笑乃坂ではさすがに無理だし、リーダーである蛇蝎に背負わせるわけにはいかないので、
消去法だ。
 べつに工は女性が嫌いというわけではない。蛇蝎のことを尊敬してはいるが、断じてホモセ
クシャルの気はなかった。しかし背中いっぱいに綾里のやわらかな身体を感じながら作戦行動
をしていると、悟りをひらく修行をするために裏醒徒会に加入したのだったかと勘違いしそう
になることもしばしばだった。
 常に無防備な綾里が転がっているわりに、相島は見向きもしようとしないが、
「向こうからの求めに応じるものであって、マグロ相手にするつもりはないよ」
 と、いつだったか蛇蝎へ公言していた。色情狂のマセガキのわりに仁義はあるのかと、工は
変に感心した憶えがある。
 いずれにしても、とりあえず風邪はひかない場所まで誘導しなければ。
 しばらく考えて、工は比較的簡単な方法を思いついた。関数電卓を叩いて変調コードを確認
する。
「竹中さん、B4223T」
 綾里がすっくと立ち上がる。追跡《トレイル》コードだ。標的を自分にして、工は仮眠用ベ
ッドの上まで、うまいこと綾里を誘導することに成功した。ここで解除コードを伝えれば彼女
は固い床よりはマシな、綿の抜けかかったマットレスの上で眠ることができる。
「O224V」
 綾里が横になった。
「ふぅ、やれやれ」
 息をついて工はベッドから降りようとして――うしろから伸びてきた綾里の両脚にカニバサ
ミを食らって、ねじり倒された。
「ぐがっ……!?」
 追跡コードの解除に失敗していた、ということへ工が思いあたるには、三秒ほど必要だった。
対人拘束モードへの変調コードを間違って発してしまったらしい。
 工は背丈がややあるだけのモヤシ小僧にすぎない。身体強化の異能を持つ綾里を力で振りほ
どくのは到底無理だ。
 とりあえず、締める力だけは緩めてもらわないと死んでしまう。
「……WK1983Q……」
 といいかけて、工はつまった。これは増幅コードのほうだったかもしれない。だいたい、追
跡モードの解除を選んだつもりで拘束モードに移行させてしまったのだから、変調乱数ではな
く、そもそもの基本法則を誤って憶えている部分があるのだろう。間違えていたら――内臓が
全部出てしまう。彼の主装備である〈鋼鉄の毒蛇〉が胴に巻かれていなかったら、最初の一撃
で血を吐いていたところだ。
「……4B」
 結局最小単位を選んで、工はコードの末尾を告げた。締め上げる力が一割増えるだけならな
んとかなるだろうと踏んでのことだったが、わずかに拘束がゆるむ。どうやらコードの前半は
正解だったらしい。
「しまった。全解除にしておけば抜けられたか」
 とりあえず絞め殺される危険は免れたが、脱出不可能な状況は変わらない。これ以上無駄に
足掻くより、蛇蝎が帰ってくるのを待ったほうが得策だ、と工は判断した。
「それにしても……修行すぎる」
 背中側からだったのでまだなんとかなっているが、対面で締め上げられていたら大変なこと
になっていただろう。
 すっかり眠っている綾里の寝息が耳元を通過する。名前は克巳なのだが、超人的克己を要求
される状況下で、工は何分たったかもわからぬ中を耐え続けた。
 はたして、十分だったか、三十分だったか。
「ふっふっふ……まさかの一〇〇グラム四十九円だったぞ。だがクズ肉にはあらず、この我輩
の目に狂いはない。今夜は豚しゃぶだな」
 どうやらついでに買物へ行っていたらしく、特売品を射止めた蛇蝎が上機嫌で帰ってきた。
救いの神の降臨に、工は声をあげる。
「だ、蛇蝎さん、助けてください」
「ん? ああ、しくじったのか」
 綾里に絡みつかれている工を見ても、蛇蝎はいささかも動じることなくそういった。何事が
生じたのか、ありありと予想がつくのだろう。
「掃除はご覧のとおり、完璧です。一度反復コードを解除するところまではうまくいったんで
すけど……」
「なんとかは風邪をひかぬというではないか。窓際でも外でも、勝手に眠らせておけばよかっ
たものを」
「さすがにそういうわけには」
「まあいい、今夜は豚しゃぶだ、聞いていたな?」
「肉とか、久しぶりです。なんか涙出てきました」
 ナイスバディの女子高生にからみつかれるより、肉質を摂取できることのほうが感涙に値す
るあたり、工はどこまでもおめでたい少年である。
 だが蛇蝎の次のひと言は、工の想定外だった。
「そういうわけで、いい機会だ、自力で抜け出してこい」
「……え?」
「きさまもそのコードを使えるようになれば、作戦の幅が広がる。綾里、X42298・E+
6053・FIM」
 コードを告げられた綾里だが、なぜかぴくりとも動かない。しかし、工は蛇蝎の言動には無
駄がないということを知っている。
「蛇蝎さん、いまのコードは?」
「二時間後に綾里は全自動で我輩の寮へ向かう。笑乃坂は引き続き所用があるそうだが、相島
はくるといっていた。それまでに抜け出すことができなければどうなるか……わかるな?」
 蛇蝎が鍋物を作るとなれば、近所の悪ガキたちもお相伴にあずかるために、寮へ上がり込ん
でくるだろう。開始五分で、肉などなくなってしまうこと疑いない。
「だ、蛇蝎さん……」
「工よ、道は自らの力で切り拓くものだ」
 といいのこし、涙目になる工にかまうことなく、両手にエコバッグを下げて、蛇蝎兇次郎は
家路についた。
 あとに残されたのは、二時間後の目醒めを約束された眠れる乙女と、己がおいしい状況にお
かれていることにまったく気づいていない少年であった。

 凡人であれば、二ヶ月ぶりの肉をあきらめる代わりに、二時間のあいだ後頭部を綾里の豊か
なおっぱいに埋もれさせてすごすところだろうが、三十分後に蛇蝎の寮へ、きちんと綾里を背
負った状態で現れて、ちゃんと料理の手伝いもするのが、工克巳のある意味では非凡なところ
であった。
 双葉学園、師走——今日のところは、平和な空気に包まれている。


+ タグ編集
  • タグ:
  • SS
  • 蛇蝎兇次郎
  • 竹中綾里
  • 工克巳

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年12月16日 20:54
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。