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ありがちな不毛な議論


「○○はニセ科学である」ということには異論がない人による,ニセ科学批判への批判

ほっておけばいいじゃん

「そんなものに関わるより科学者としての本業に専念しろ」
代表的な反論を3つ紹介する。
  1. 本業というが、社会に貢献する事も科学者としての責務であると考える。社会の科学リテラシーを高めるのも、広い意味では科学者の「業」に含まれるのではないか。
  2. 自分は科学者である前に一人の社会人である。勿論科学に関する知識はあるので「科学に詳しい個人」としてウソをウソだと指摘しているだけである。
  3. ニセ科学が跳梁跋扈する社会は、科学者にとって非常に住み難い社会だし、多くの人も知らないうちに科学の恩恵を受けられなくなるだろう。自分は、普通の人々の生活と科学者としての自分の生活、その両方を守りたいから行動している。
「○○なんて俺はすぐニセだと解ったよ.そんなの信じるヤツいないよ」
貴方はそうなのだろうし,貴方の周りもそういう人達なのかもしれない.類は友を呼ぶものだ.でも試しに○○でブログ検索をかけてみたほうがいい.何の疑いもなく受け入れている人達がビックリするほど沢山いる,ということもある.そして実は貴方も,別のニセ科学を信じこんではいないかどうか,考えてみたほうがいいかもしれない.
「たいしたことない」「そんなに目くじら立てなくても」
「ニセ科学が広まるのは良いこととは思わないが、熱心に批判するほどのことでもない」と判断する人はいるだろう。それは個人の自由。ただあまり興味がないのなら、わざわざ批判活動を邪魔するようなことはしないでおいて欲しい。別に「お前も批判活動しろ」と無理強いしているわけではないのだから。
「誰が何を信じようといいじゃないか,自己責任だ」
他人に対して一切何の影響力も持たない人がいたとしたら,その人が何を信じようがその人の勝手で放っておけばいいだろう.しかし「他人に対して一切何の影響力も持たない人」なんているだろうか?

「放っておけばいい」「批判なんてしなくていい」という意見の人は,多くの場合「アホな人達の間でニセ科学が広まったって,利口な俺様はそんな代物とは無縁でいられる」と考えているように見受けられる.どんなニセ科学だって自分の力で見抜けるという人がいるのかどうか(科学者であっても)かなり疑問だが,それについては置いておくとして,たとえ自分がいかなるニセ科学にもひっかからなかったとしても,ニセ科学の蔓延による不利益を被らずにすむわけではない.例えば家族が何かのニセ科学を信じこんで高価な"健康グッズ"を買い込んでくるかもしれないし,会社の上司がはまって困った業務が回ってくるかもしれない.マンションの管理費が貯水槽に高価で無意味な"浄水器"を設置するのに使われるかもしれないし,会ったこともない人達が"現代医療"よりニセ科学を選んだだめに感染症が流行って自分も感染してしまうかもしれないし,etc... そういうもの全てから無縁でいられるのは,山奥に籠った世捨て人くらいなんじゃないかな.

そんなやり方じゃダメだよ…"批判の仕方"批判

もっと他に大事なことがある
  • 「Aを取り上げるならBを取り上げないのはおかしい,Bも批判しろ」…優先順位問題
    「Bを批判するべき」と思うならその人が批判するべきである←言い出しっぺの法則.個々人がやれることには限りがある.それぞれの優先順位でやれることをやる以外にない.
  • 「ニセ科学の蔓延よりも○○(例:雇用,年金,安全保障,etc...)のほうが重大な問題だ」
    優先順位問題の一種だが,重要性を比較する対象として他の社会問題を持ち出す例.「個人が直接関われる問題の中で何をするか」と「社会として最も優先的に取り組むべき問題は何か」という階層が異なる2つの話を混同しており,有益な議論につながらない.
    大抵の場合,○○に入るのは多くの人が「社会として取り組むべき問題である」と考えているようなものである.それをわざわざ表明するということは,「ニセ科学批判に力を入れている人はその他の社会問題を重視していない」という主張しているに等しいが,そういう自覚はないことが多いようである.
「俺の脳内信者はそんな説明じゃ説得されない」
有効な批判・説得の方法を議論するのは意味がある.しかし,実際に「信者」との対話をしたことも対話を見たこともない人による,「そんなやり方じゃダメだと思うよ!」という意見から有益な議論に発展する例は少ない.そもそもニセ科学批判の多くは「信者」を説得することを目標としていない。半信半疑or軽く信じてるくらいの人が判断するための材料を提供しているのだ。
「批判はすべきだが、連中のやりかたはおかしい。自分ならもっとうまくやれると思うが、やる気はない」
…さようでございますか。
「『信奉者を説得するつもりはない』なんて冷たいんじゃないの?」
信奉者の説得を試みることを否定しているわけではない.説得できるならば,もちろんそのほうが良いだろう.しかし残念なことに,どんなに言葉を尽しても説得が通じない相手は少なからず存在する.「信奉者を説得するつもりはない」という言葉は,説得を試みた経験から出ているのだ.
説得されることを拒む相手を説得するには大変な根気が必要で,しかも成功する可能性は低い.そういう相手と1人ずつ向き合うには,あまりにもリソースが足りない.というわけで,現在ニセ科学を批判している人にさらに「信奉者の説得」を負わせようとしないで,是非とも心優しいあなたが説得してみてください.


○○がニセ科学かどうかにあまり興味がない?人による、批判への批判

仲裁の形をとるもの

「ケンカをやめて or 弱い者いじめはよくない」
"批判の仕方"批判に似て見えるが、内容ではなくやりとりの見た目にのみ着目して、(主に)批判側を批判する例。"ニセ科学批判"と称して罵倒・人格否定するのはもちろん避けるべきであるが、議論とケンカ、批判と誹謗中傷の区別をつけずに "揉め事感" にのみ反応しているように見える例が多い。

何か一言、言わずにはいられない人達

「科学もニセ科学も似たようなもの」「○○がニセ科学かどうかなんてどうでもいい」
こういう物言いをする人は時々いるが、科学とニセ科学の違いについてろくに理解していない場合が殆どである。にも関わらずこういう事を言う人がいなくならないのは、この台詞に「麻薬的魅力」があるからである。
試しに「○○問題なんてどうでもいい」あるいは「○○も××も似た様なもんさ」と、なるべく感情を込めて(つまり、吐き捨てる様に)口に出してみると良い。その際、○○や××には現時点で最も世間を騒がせている話題を入れるのが良いだろう。口にした途端、自分が凄く偉くなった様な感じがする筈だ。
勿論これは錯覚である。しかしこういうメタ的な物言いは、メタ論そのものではないにも関わらず、一段上から見下ろした気にさせてくれるので、気分が良いのである。それが「麻薬的魅力」であり、一度その味を覚えた人は簡単には止められなくなってしまう。
ちなみに、そういう人の事を一部では「メタぶりっこ」と呼んでいる。

ニセ科学だと指摘されているものを、ニセではないと信じている人による反論

科学の方法論に関する無理解

「現代科学では解明されていないことも沢山ある」
当たり前.「科学で解明されていないこと」は科学者の飯の種である.あらゆることが現時点の科学で解明済であるなら,科学者は失業しているはずだ.
「現代科学で解明されていないことが沢山ある」ことと,ある特定の "説" が将来的に科学として受け入れられる可能性があるかどうかは全く別問題である.「17世紀当時異端とされたガリレオの地動説は実は正しかった」からといって,異端説を唱える人すべてがガリレオになれるわけではない.(cf. ニセ科学の定義)

相対主義の悪用・誤用

「科学は唯一絶対の真理などではない」「何故科学だけが偉そうに他の立場を批判できるのか」
まず「科学(特に自然科学)」とは我々の生きている世の中の仕組みを解明し記述する学問だといえる。そうした科学の営みが人類の発展に多大な貢献をしてきたというのは紛れも無い事実なので、科学は尊重されているのである。
しかし一方で、科学がいくら自然の仕組みを解明しても「何故そうなっているのか」の疑問に対しては、科学は何も答えない。例えば「この宇宙は神が作ったのか、偶然そうなったのか」という類の疑問など、それを考えるのは科学の守備範囲外である。つまり「そもそも科学では扱えない問題がある」というのは当然であり、全ての科学者はその事をきちんと理解している筈である。もし理解していない人がいれば、それは「科学絶対主義者」であり、批判されるべきである。
つまり、まともな科学者であれば、科学以外の価値観を一概に否定したりしない。そもそも、全ての科学者は科学者である前に一人の人間である。人間を捨てて科学者になったのではない。
そのうえで、科学の枠内で扱える問題について、間違っているものに対して「間違っている」と指摘する事には何の躊躇いも要らない。それを「傲慢」とか「上から目線」とか言われると少し困ってしまう。科学の土俵に上がってきた相手に対しては全力で対応するのが誠意であり礼儀であると思うからである。このあたりは武道とかスポーツとかの感覚に似ているかもしれない。つまり、真剣勝負の場に上がってきている相手に対して「手加減してくれないなんて優しくない」「思い切りやっつけるなんてひどい」と言うのと同じ様な感じである。
増してや、科学のルールを無視して土俵に上がり込む様な輩や、ルールに従っている振りをして陰でインチキを行う様な輩は、勝負をする以前の段階でコテンパンにのされるのが当たり前だと思うのだが、如何だろうか。

「科学的な間違いを指摘するだけで済むと思っているのだろう」「科学者は科学だけが正しさの根拠だと思っている」
前項と似ているが少し違う。
「科学的な間違いを指摘するだけで済むと思っているのだろう」という意見の背景に「科学者は科学だけが正しさの根拠だと思っている」という誤解がある様に思う。確かに「非科学的」という言葉が「全否定の悪口」として使われる場合がある事は否定しない。しかし、これで全否定できると思っている人は、はっきり言って科学を理解していない。
「間違いの指摘」はニセ科学を批判するうえで重要な欠くべからざる要素ではあるが、決して全てではない。ニセ科学を批判する目的の項、及び下記リンク先の考察も参照されたい。


「ニセ科学批判」批判についての考察



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