【Mission XXX Mission-03 後編】


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(この私がここまで押し込まれるとはね…)
 突き出された刀をスウェーしてよける。よけた先には既にもう一本の刀が振り下ろされている。バックステップでかわすがそれに合わせるように踏み込んできて一本目の刀が腕を狙って振り上げられる。
 〈確定予測〉の異能こそが逢洲等華の強さの源だと語られている。直自身もつい先程までそうだと思っていた。
(とんだ誤算だ)
 というのが今の偽らざる心境である。未来を知覚したとしても、体がそれに追随できなければ意味がない。そこに付け入るつもりだったのだが、現実はというといったん主導権を与えたが最後、主導権を奪い返すどころか防戦一方の有様だ。
 彼女の強さはロジカルな強さなのだ、というのが直なりの解釈だった。家伝の流派の免許皆伝というだけあって、彼女の動きは実にスマートである。しかもこのロジックは机上論の脆さとは対極の存在、実戦という検証の場で磨かれてきた不磨の定理だ。
 それに〈確定予測〉という便利な道具が加わる。正に鬼に金棒という奴だ。
(さて、どうしたものか)
 と考えてみても妙案が思いつくわけでもない。当然といえば当然か、と直は思う。そんなに容易く対抗策が思いつくのであれば「その名を聞くだけで悪党どもも震えだす」とまでうたわれはしない。
 そう思考する間にも将棋で一手一手王将の逃げ場が削られていくかのように逃げる余地が減っていく。
 髪の毛が数本、掠めた刀に刈り取られる。その微細な感触から刈り取られた髪の本数を読み取れるほどの緊張。
 肩甲骨の間を冷たい汗が一筋流れ落ちる。久しぶりの感覚だ。
「困ったものだね」
 カーブミラーに写る自分の顔に愚痴るように呟く。
 こんなにも厳しい戦いなのに、随分とまあ楽しそうな顔をしているじゃないか。


(何が『困ったものだね』だ)
 等華は少々焦りを感じていた。現在の戦いのことではない。確かに皆槻直は強力な異能の使い手ではあるが、それでも彼女の視る未来を越えるほどの存在ではない。勝敗という点で言えば負けるとは微塵も思っていなかった。
(動物…猫たちまではとても手が回らないか…)
 本来ならば許しがたい悪行を犯した女に速攻で制裁を与えた後動物たちを止めに行くつもりだった。
 ところが現実はというと戦闘開始から約10分、とてもではないが制裁を与えると言うにはには程遠い程度の手傷しか与えていない。
 直が回避に徹しているからなのだが、そもそも等華相手に攻め手に回れるほどの使い手など学園中探してもそうはいない。
(これが実戦流の戦い方なのか)
 等華から見れば乱雑な動きではあるがその分妙に勘が鋭い。学園に来る前から異能によるラルヴァとの実戦経験があったんだったな、と等華は思い返す。戦闘経験の量で言えば同年代で並び立つ人間はほとんどいないだろう。
「またか!」
 後一手で詰みという刹那、圧縮された空気が外気に拡散する爆音と共に直の体が一瞬で遠ざかる。
 限定飛翔。
 この高速ジャンプを逃避に使われると早瀬のような高速移動力も副会長のような遠距離攻撃力もないこちらには如何ともしがたい。
 ゴール直前に何マスも「スタートに戻る」のマスがある双六をやっているようなうっとおしい感触。
 勝敗という点で言えば負けるとは微塵も思っていなかった。だが、この調子では決着がつくのがいつになることか。
 動物たちは少しづつ遠ざかっていく。
(あっちはもう任せるしかないか)
 他の風紀委員が事態収拾のために向かっているという報告を聞き、等華は歯噛みするような思いでそう決断した。
 名実共に風紀委員のエースである彼女がいったん始めた戦いを勝敗も定まらぬまま引き下がるということになれば、それは風紀委員の名に瑕がつくことだ。
 治安を守る最大の武器は風紀委員の戦力ではない。戦力の評価によって生じる抑止力なのだ。
(猫を諦める代償…しっかりと取り立てさせてもらうぞ…!)


 もちろん、直としてもだらだらと長期戦を続ける気はなかった。
 限定飛翔は蓄積空気の消費が激しいので本来何度も使うようなものではない。それを連発する羽目になっているという点でどれだけ追い込まれているのか知れるというものだが、だからこそ余力のあるうちに仕掛ける必要がある。
(死域に入る、か…)
 まともにやってどうにかしようのないなら、そうするしかない。
 それを嫌だ、と思う気持ちもある。
 いや、違うな。と直は切り捨てる。それは表層的な、言うならばごまかしに近いものだ。
 そうでなければ、今こんなに楽しいはずはない。
(行くか)
 と即決する。迷うのは好きではない。
 一歩踏み込む。二歩。三歩。小走りに駆け出して愛しい敵の下へ。
(来たか)
 等華は動じない。自分の力に絶対の自信があるからだ。横薙ぎの一撃で迎撃する。直は肩を軽く裂かれながら更に一歩踏み込む。
「その刀、折らせてもらうよ」
 突き出されようとする左の刀に両拳を挟み折るような軌道で叩きつける。
「させるか!」
 キィン!と尖った音と共に拳が刀にはじかれる。等華が打撃に弱い鎬を返し刃先を打ち込みの角度に合わせて防いだのだ。
(ヤケになったか)
 むしろありがたい、と等華は思う。さっさと方をつけてやる。
 刃先を返し、右の刀を振り上げるように打ち込む。
(なっ!)
 直は更に半歩踏み込み肘を刀に叩きつけるようにして受け止めた。刀に限らず全ての武器はその最大の威力を発揮するのは一定の領域に限られる。つまりそこを外した場所で攻撃を当てても思っていたほどのダメージを与えることができない、と言える。
 当然、そんなにうまい話は存在しない。現に等華の刀は直の二の腕を裂き骨にまで達している。
 その傷などどうでもいいとばかりに直はにい、と攻撃的な笑いを浮かべる。
 お互いの間合いを大きく割り込んでいるこの距離。等華は確定予測を発動させる。一秒、二秒…
(まずい!)
 確定予測を打ち切る。この至近距離ではそれでも間に合うか。頭突きが降ってくる。
 等華は頭を振りかぶり勢いをつけて直の頭に叩きつけた。


(頭がおかしいんじゃないのか?)
 視界が痛みを形取ったかのような電撃に覆いつくされる中、等華の脳裏をそんな思考がよぎった。
 確定予測の最後のビジョンに合わせて浅めの一撃を放つ。手ごたえはなし。どの道期待はしていない。衝撃の影響が消えるまで時間を稼げればそれでいい、所詮はその程度のダメージだ。
 その一方で浅くではあるが確実に腕の肉を削ぎ取った感触を感じていた。向こうから見れば明らかに割に合わないはずだ。
 等華にとっては理解しがたい行為だった。
 視界が元に戻る。直が腕を紅く染めながらこちらを睥睨していた。
「最強の風紀委員、逢洲等華…」
 どこか、陶然とした表情だった。
「だけど、夜空の星ほどに手の届かぬ距離でもなさそうだ」
 直は腕を上げて流れる血をちろりと舐めると口紅を馴染ませるように唇を軽く合わせる。
 ぬらぬらとした紅の唇をほころばせて微笑む直の姿を見て等華は直感的に理解した。
 これはもうただの戦闘じゃない、命の取り合いなのだ。少なくとも向こうはそう考えている。
 こうなるしかなかったのか?そう思わなくもない。しかし等華としてもここで引く選択肢はないし引くつもりもない。
(来るのならば全力で潰す、それだけだ)


 等華の意識が徐々に一点に――自分の方に収斂していく。
 それがただただ嬉しかった。
(全てを叩きつけるのみ、だね)
 叩きつけてその後どうなるか、そこには興味は抱けなかった。
 眼前の恐るべき敵に集中するべく、直は意識から余計なものを削ぎ落としていく。
 まず自分の地位や立場が消える。背景の建物や木々が消える。双葉学園、学園都市島も消えていく。全ての原因だった動物たちも消える。
 剥き出しの自分と相手だけで構成されるシンプルな世界。一つの究極点が近づいてくる。
(そう、もうすぐ…)
 カウントダウンを待ち焦がれる子供のようにその時を待つ。
 …4、…3、…2、…


「ひあっ?」
 突如、尻ポケットの携帯が震えだす。直は反射的に限定飛翔で空に跳躍した。
 大好きな親友からの通話だろうそれですら煩わしい、と感じてしまう思いもどこかにある。
 だけど、先程までのような気持ちには戻いたいのか?と問われても即答できそうにはなかった。
(流れに無理に抗うな、か)
 潮が引くように体から熱が去っていく。直は携帯を取り出した。…ミヤだ。
「ミヤ?」
『ナオ。元気そうで安心したわ。うん…本当に…よかっ…た』
 涙ぐむ彼女の声に胸の痛みを感じる。かなわないな、という思いがよぎった。
「心配かけてごめんね。ちょっとまあ、色々と立て込んでいて…」
『…うん、いいの。ナオが無事だったらそれで…』
 辺りを見回して彼女の姿を探す。だがそれらしい姿はどこにも見当たらない。
「でもミヤ、今どこにいるんだい?」
『双葉山、ほらこないだ天文台ができたところ。今双眼鏡でそっちを見てるの。場所言ってくれないから大変だったんだからね』
「ごめん。それより早速で悪いんだけど力を貸して欲しいんだよ」
『うん、分かってる。大体の事情は把握してるから』
 自分の欠けているところを補ってくれる最高のパートナー。彼女とこうやって話をしているだけで柔らかな気持ちが滲み出てくる。
『大変だけど私たちならきっとできるわ。あの風紀のイヌの鼻っ柱を叩き折ってやりましょ!』
 ……
「…うん、悪いけどちょっと違うから」
『へ?』
 素っ頓狂な声が耳に飛び込んでくる。
 大体私が視認できるということは相手があのデンジャー&アイスの片割れだとも分かっているはずだけど、と直はいぶかしむ。
 ここまで過激な娘だったっけ?
「電話をしながら私の相手とは、この私も甘く見られたものだな!」
 苦手な犬呼ばわりされたとは知る由もない等華が大きくジャンプして空中の直に飛び掛っていく。
「なに、君の力でこの場に飛び込んできた時点でお相子だよ」
 雰囲気が戻った?そう思う間もあらばこそ、等華に猛烈な向かい風が吹き付ける。
「ちっ」
 地に足がついていれば踏みとどまる術もあっただろう。しかしそんなものがない空中では体が流されるのを止めることはできない。
 不利を悟った等華が地に降り立つ間に直は再び飛び立っていた。
「私たちの前に動物の群れがあるけど見えるよね?」
『うん、というかニュースで大騒ぎになってるわよ』
 声が聞こえないかと等華との距離を測り、直は言葉をつないだ。
「あれの原因の一端は私…なんだと思う。正直非常に納得がいかないんだけど。だからまずはあれを止めたいんだよ」
『OK、そういうことね。わかったわ』
 周囲の状況を観察しているのか少しの間言葉が止まる。
『それじゃあナオの周りを跳ね回ってるあの小さい…ラルヴァかな?をどうにかすればいいのね?』
「…へ?」
 今度は直が素っ頓狂な声を上げる番だった。


 ここで二人の注意不足をあげつらうのは少しばかり不公正に過ぎるというものだろう。
 直の方は等華の相手で手一杯だったし、等華の方から見ても猫たちに気持ちを振り向けつつ更に全周を意識的に探索した上であしらえるほど直は容易い相手ではなかった。ともあれ。
「…あれはグレムリンだ」
 と等華は振り下ろした刀を跳ね上げて直を狙いながらあっさりそれの正体を言ってのけた。
「どんなラルヴァなのかな?」
 直はその刀をナックルの腹で受け止め、等華の足指を踏み抜こうと蹴りだしながら尋ねる。
「騒動の場に現れてそれを更に加速させる習性を持つ種だ。攻撃力は低いがやたらとすばしっこい。あと、精密機械を狂わせたり人の不和を煽り立てる波動を発する特殊能力がある」
 等華は地面際を凪ぐ一撃でそれを迎撃し逆方向から変則的な軌道で斬りかかりながら解説した。
 そのまま言葉なく攻防を続ける二人。脳裏に浮かぶ思考は、奇しくも全く同じだった。
――ひょっとしてこんな事態になったのはこのラルヴァのせいじゃないのか?――
 等華は考える。どうにも理解しがたいところのある人間だが、強者との戦いを尊ぶ方向性は見えてきた気がする。そんな人間がわざわざ弱者をいたぶるような真似をするものだろうか?
 直は考える。向こうが理不尽に仕掛けてきた戦いとはいえいくらなんでもやりすぎだった。彼女が大怪我をするか万一死ぬようなことになったら学園にとって大きな損失だ。それは私の望むところではない。
「一つ確認させてくれ」
 攻撃の手を止め先に口を開いたのは等華の方だった。
「何かな?」
「さっき猫を殴りつけてなかったか?」
「私の力はそんなことに使うためのものではないよ」
「猫を殴るための力なぞあってたまるものか」
「…それもそうだね」
 何が可笑しいのか俯きながらくつくつと笑う直。ほんの数分前には命を取り合う寸前までいったとは思えない隙だらけに見える姿だった。
(本当に良くわからん奴だ)
 等華は呆れ気味に思う。
 傷をも厭わず攻めかかってくるまるで狂気に駆られたかのような姿と今の無邪気に笑う姿。
 人格が変わったかのような変貌ぶりなのに、実際に目の当たりにしてみるとその二つが違和感なく一つの姿の一側面として溶け込んでいるように感じられるのが不思議でならない。
 いずれにせよ、もう等華の心は定まっていた。
「奴を放置すれば今度は猫…いや動物たちの方へ向かうだろう。故に奴はここで倒す。皆槻、お前にも手を貸してもらうぞ」
(やむを得ないね)
 直の視点で見れば等華に引っ掻き回されるだけだったという感情もある。だがある意味原因の一端となったという負い目もないではない。それに、
(これも流れ、か)
 直はす、と腕を伸ばす。意図に気づいた等華も刀を差しのべる。
 両者がふれあい、チィン、と軽やかな音が鳴った。
 その音だけを残し、二人はグレムリンを挟みこむように跳躍した。


(やはりか…)
 二人がかりで攻撃しても軽々とかわされてしまう。逆にこっちの攻撃のギリギリをかすめて挑発する余裕まであるようだ。
 所詮は中級A-2クラスで致命的な特殊能力もない程度の種である。本来ならば一人で十分倒せる相手だ。
 だが、これまで長々と戦闘してきたことで疲労が二人の体力と集中力を奪っていた。
「皆槻!こちらが指示するから何が何でも奴を足止めしろ!」
「わかったよ」
 向こうもそれは同様だろう。この素早い相手には確定予測に体が追いつかないらしい。
「…そこで垂直に大きくジャンプする、…そこだ!」
 等華の指示に従いグレムリンを両手で掴む直。だが、
「な、なんだ?」
 ぬるぬるした水袋を掴んだかのように力を入れれば入れるほど変形しながら指の間をすり抜けていく。
 等華が飛び掛って一撃を加えるが一瞬遅くグレムリンは直の手をすり抜けニタリ、と嘲笑を浮かべて攻撃をかわす。
「あんな体質とは聞いてないよ!」
「私だって知らなかった!」
 睨み合う二人。だがずっとそうしていても仕方がない。直が口を開いた。
「…それと、一つ悪いニュースがあるよ」
「何だ?」
「今のように全力で攻撃できるのは後一回が限界だね」
「そういうことは先に言え!」
「君の作戦だからうまくいくと思っていたんだよ!」
 再び睨み合う二人。だがずっとそうしていても仕方がない。
(文殊の知恵といきますか)
「というわけなんだけど、ミヤ、何かいいアイデアはないかな?」
『というかナオとイヌ…じゃなかった逢洲先輩の二人がかりでなんでこんなにてこずるのよ』
「おい、私ばかり働かせるな!」
 一人で必死にグレムリンの足止めをしている等華が怒鳴る。
 直はもうちょっとだけだからと謝って話を続けた。
「二人ともお疲れでございます」
『なんかどれもこれもナオの自業自得な気がしてきたわ…まあそういうことなら基本に立ち戻りましょ』
「基本?」
『不利な人間が有利な人間との差をひっくり返す王道といえば意表をつく、これよ』
「意表をつく、か。言うのは簡単だけどね……」
 首をひねる直。等華が再び怒鳴る。
「皆槻、いい加減にしろよ…!」
 グレムリンが二人のつかず離れずな距離でケタケタと笑った。
 直は一つ舌打ちをする。ああまったく。
「あまり面白くはないね」
 そう言いながら直は等華に殴りかかる。
「…とち狂ったか!」
 当然、等華の確定予測は全てを視ていた。
 等華は直に向けて全力の突きを繰り出す。
 等華の刀が直の右腕を深々と貫通した。同時に直は体中のばねと最後の蓄積大気を使って振り向きながら右手を振り回す。
 向き直った正面には嘲笑の表情のまま顔がこわばったグレムリン。
 等華の渾身の突きと直の〈ワールウィンド〉による加速。お互い本来の力が出せないとはいえ二つが合わさればその合計速度は各々の本来の速度を僅かに上回る。
 それはグレムリンには最早反応の及ばぬ速度だった。
「終わりだよ」
 切っ先に集中した運動エネルギーが容易くグレムリンの皮膚を貫く。直はそのまま眼前の壁に腕ごとグレムリンを叩きつけた。
 壁に串刺しにされ逃げることもできずに激しくもがき続けるグレムリン。せめてもの抵抗とばかりに体を大きく伸ばしていたが、その首が静かに胴から滑り落ちる。壁を蹴ってジャンプした等華の鮮やかな一撃だった。
「ああ、終わったな」
 その言葉と共にグレムリンの残骸は瞬時に塵と化し、拡散して消えていった…。


 直の体に一気に疲労感が襲い掛かる。
 座り込もうとした直だったが腕が串刺しになりっぱなしなのに気づいてそれは諦め、そのまま壁に体を預けることにした。
「しかし無茶をする」
 呆れ顔で言う等華。
「うまく行く図が視えたから合わせてくれた…そうじゃない?」
「そういう問題じゃなくてだな…というか腕貫かれたままくつろぐな」
「まだ働かせる気?少しは休ませて欲しいものだね」
 何だこの噛み合わない会話は。等華は困惑の色を隠せない。
「しかしなんだな、お前が無痛覚症だという噂を聞いたんだが納得できる話だな」
「笑えない冗談だね。今も痛くてたまらないのだよ」
「とてもそうは見えないぞ」
「やせ我慢がスタイルなものでね」
 等華はため息をついて直の腕を貫く刀に手をかけた。
「それじゃ悪いがもう少し我慢してくれ。血糊は刀に良くないからな」
「ちょ、ちょっと、せめて包帯の準備できるまで待ってくれないかな」
 ようやく地面に座ることができた直は傷口を縛り、その間等華は風紀委員たちと連絡を取り合っていた。
「…スタンピードは収まったそうだ。幸い大事になったものはいない、猫たちも含めてな」
「それは良かった」
 直はほっと胸をなでおろした。心配の種が消えるとその分傷の自己主張の声が増してくる。
「…ところで治療費は出るかな?」
「それこそ笑えない冗談だ」
 一言で切って捨てると等華は直に背を向けて風紀委員たちとの連絡を再開した。
(ああ、基本的に無理…だったね)
 さすがにもうこれ以上何かする気力も湧かず、直はぼんやりと辺りを眺める。
「!」
 子犬がいた。柴犬の仔。間違いない、あの時の子犬だ。
 しかもこちらにトコトコと近づいている。
(ああ…)
 全ての苦労が報われた気がする。
(そう、願えばきっと夢はかなう…!かなうんだ…!)
 直は膝立ちとなって子犬に両手を差しのべる。
 子犬が近づいてくる。
 ヒャン!
 子犬は直に向け走り出し――直の脇を通り抜け、反射的に振り向いた等華の胸に飛び込んでいった。

「なにこれ」
 直の元に到着した宮子は思わずそう呟いていた。
 目の前には膝立ちで何かに手を差し伸べている直、そして子犬を抱きかかえている等華。
 いずれも人形のように硬直している。
 いいリアクションが思い浮かばなかったので、宮子はとりあえず写メを撮っておくことにした。


 午後10時。直は帰路へついていた。
 あれから報告書作成という理由でしばらく拘束され、その後病院を受診して検査を受けたり。
 ようやく開放されたのはすっかり日も暮れたこんな時間だった。
(考えてみれば、徒労ばかりの一日だった)
 直はため息をつきながらそう考える。それぞれの局面での選択に後悔がある、というわけではない。しかし、結果として逢洲等華との戦闘もラルヴァとの戦闘も完全燃焼できたとは言いがたいものであった。これだけの疲労と負傷と苦労の結果がこれでは、
(やっていられない)
 そう愚痴りたくなるのも仕方ないだろう。
 今日はあと二時間。部屋に帰ったらそのまま寝てしまおう。直はそう決心した。神様も二時間ぐらいは見逃してくれるだろう。
「?」
 郵便受けに大量の封筒が入っている。
「…嫌な予感がするなあ」
 そう思いつつもこの運の悪い今日の出来事を明日まで引きずるかもしれない、そう考えると今開けざるをえない。
 一通目。闘鶏同好会からの請求書。
「……」
 二通目。トラックによる建物損壊の請求書。
「………」
 三通目。やっぱり請求書。
「…………」
請求書。
請求書。
請求書。
請求書。
請求書。
…………



 翌日の午前8時25分。宮子は直の部屋の前に立っていた。
 昨夜から全く連絡が取れないので心配して直接訪ねることにしたのだ。
 呼び鈴を押すが返事はない。仕方なく宮子は合鍵を出して部屋に入ることにした。
(相変わらずねえ)
 清潔という基準で言えばまあどうにか合格、と言えるくらいには清掃をしている部屋である。
 だが整理整頓という基準で言えば点を付けることすらはばかられる状態だった。
(ナオは自分なりの基準があるんだって言ってるけど)
 とてもじゃないが信用できない、と宮子は思う。
 テーブルの上を見ると、1枚のルーズリーフが置いてあった。

 『少し思うところがあるので旅に出ます。数日したら戻ってくるので心配しないで。 直』

「心配するなって言われてもねえ」
 宮子は苦笑を浮かべながらそうこぼす。
 文字の列は山の稜線の模写をしているかのように右下に下っていき、字の形もそれにつれて乱れていっている。最後の『直』の字など、
「…まるでダイイングメッセージじゃない」
 まあそれでも数日したら何もなかったかのような顔をしてひょっこり帰ってくるのだろう。それが皆槻直という少女なのだ。
「まだ時間は…うん、もうちょっと大丈夫ね」
 宮子はルーズリーフを写真に撮り、定規とボールペンを出して測定を始める。
(まあこんなものでもデータに取っておけば何かナオの行動予測に役立つかもしれないしね)
 そう思いつつ線を引き始める。まずは最初の字から最後の字までどれだけ縦にずれているかの測定だ。
「えっと…1.7cmかあ…」
 そう嬉々として呟きつつ宮子は次の測定を始めるのだった。










次回予告


「ナオは何も分かってない!」

「少なくとも地球環境の敵であることは間違いないみたいだね」

「数多蛭子を送り出すことを許したまえ」

「なるほど、これが私の『死』か…!」

「もうとっくに先輩は…」

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