【Mission XXX Mission-04 後編】


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「何も…気配はしないけど」
「でも、何かがあるはずです。…これは絶対に起こるんです」
「ごめん、疑ってるつもりではなかったんだ」
 直はかなりの手傷を負っており、伊万里も走りづめで相当疲労している。遠からぬうちに直に死をもたらすであろう何かに対処するにはとても万全とはいえない状態であった。
 自然、どちらともなくお互いの死角をカバーするようにお互い背中を預ける形になっていた。
 突如、木立が無遠慮に揺れる。
「誰!?」
 直の誰何に答えたのは、
「私だって。そっち向かってるって言ったじゃない」
 事情を知らないが故の温度差に困惑する宮子だった。
「ってナオ!…あー、ま、それなりに大丈夫みたいね」
 どうやら満足に立って歩けるようなら『それなりに大丈夫』という扱いらしい。短い間とはいえこの二人と付き合ってきた身としてみればそれなりに納得のいく話である。そう普通に考えている自分に伊万里は軽い驚きを感じていた。
「…そういうことなの」
 伊万里から手短に事情を聞いた宮子は何度か頷きそう言った。
「でも、まあ私がまずやることは変わらないわ」
 ナオの怪我をどうにかするのが最優先よと告げ、宮子は直のもとに歩み寄る。
 伊万里が周辺を警戒しながら見守る中、宮子はじろじろと直の体を眺めながらどこから治すべきか首をひねっていた。足だ、と結論を出したようでしゃがみこんでふくらはぎを触る。
「うわー、凄い傷。これじゃ走るのも大変だった…で…しょ」
 螺子巻き人形の螺子が切れる時のようにゆっくりとその動きを止める宮子。
「…ねえ、ナオ?さっき丘のてっぺんから電話した時何をしてた?」
 宮子は感情のこもらない平板な口調でそう尋ねた。
「あの時?巣鴨君を探そうと頂上の近くで何度か跳んでいたけど…それがどうしたのかな?」
 その答えに宮子の体が弾かれるように揺れる。わなわなとその身を震わせ、宮子は縋るような目で直を見上げた。
「それじゃ…それじゃあの時私が見たナオは…ううん、絶対見間違いじゃない…一体、一体何なのよ?」
 「何なのよ?」と聞かれてもそもそも言っていることがよく分からない、と眉根を寄せる直。
 と、突如その直の体がぐらり、と揺らいだ。
「ナオ!」
「先輩!」
 倒れかけるところを何とか踏みとどまった直は木立の一点を睨め付けながら二人に告げた。
「体から力が抜けていくんだ…二人は大丈夫?」
 二人とも特に異常は感じなかった。その旨を直に伝えると、それを待っていたかのように直の視線の先の木立が揺れる。
 気配がゆっくりと近づいてきた。その気配から何らかの攻撃を受けている直には何か感じるものがあるのか、その表情には疑念と困惑の度が増している。
 やがてその気配が木立を抜け、三人の前に姿を現した。
 伊万里や宮子よりも頭一つ近く大きな体。全身各所を傷で埋め尽くしており、あらわな四肢と乱雑にはねる短髪が強い印象を叩きつける。
「やっぱり…」
 という言葉を漏らしたのは直か宮子か。
 唇を吊り上げて作る悪意に満ちた笑みを除いて、それは直そのものだった。


「なるほど、これが私の『死』か…!」
 それは半ば無意識に口にした言葉だった。だが、そう口にすることでどこか腑に落ちた感もある。
 「それ」が果たして何なのかもよく分からぬまま、直はそう確信していた。
「あれには勝てないわ!逃げるわよ!」
 宮子の叫びを受け、弾かれる様に三人は駆け出した。
「結城さん、あれ…先輩そっくりなあれが何か知ってるの?」
「『ミラー』。対象をつけまわして姿を模倣し対象から魂源力を吸い取るっていうラルヴァよ」
 ストーカーの話をもっと真面目に聞いてれば!と宮子は悔しそうに歯噛みする。
「ミラー…鏡のようにってことね?」
「姿どころじゃないわ。その能力も、異能も何もかも真似る。実質あれはもう一人のナオよ」
「なるほど」
 心なしか苦しそうな表情で直は頷き、その場で足を止めた。
「先輩、何してるんですか!」
 慌てて呼び止める伊万里を一瞬見やり、直は苦笑いと共にミラーの方を指差して見せた。
 その指の先でミラーは大きく大地を蹴って飛び上がると、急加速し弾丸のように突っ込んでくる。
「勝手知ったるなんとやら、あれがミヤの言う通りならどの道逃げられはしないさ」
 その様子を遅れて確認した宮子は一瞬唇を噛み、更に一拍の時を置いて口を開いた。
「ナオならできる、迎撃して!」
「そんな、先輩あんなに大怪我してるのに!」
 半ば悲鳴に近い伊万里の声。だが直はそれには構わず近づいてきたミラーを加速した右ストレートで迎えうつ。と、突然映像のコマが何コマか飛ばされたかのようにミラーの姿が拳を伸ばす直を鏡写しにした姿に転じる。一瞬の後、お互いの拳が噛み合い、その反動で双方同じだけ後ろに退いた。
「ミラーには獲物として真似た人間の自分に対する攻撃行動を最優先でトレースする習性があるの。たとえナオが疲れてても向こうが勝手に合わせてくれる。ナオが頑張ってくれる限り食い止められるわ」
 稲生先生の脱線さまさまね、と唇だけで笑う宮子。
「でもそうしてる間に魂源力を持ってかれるわよ。時間稼ぎにしか…」
「そんなの言われなくても分かってるわよ!」
 下を向いたまま怒鳴り散らす宮子。いつも直をリードし続けていた宮子の姿しか知らない伊万里にとって、彼女のこんなに余裕の無い姿を目の当たりにするのは初めてだった。
 この二人の苦難を苦難とも思わないような姿に少し感覚が麻痺しかけていたが、今こそがこの二人にとって最大のピンチなのだと伊万里は改めて体感した。
(だったら、私の出番だ)
 先程の戦いが彼女の自信を確固たるものとしていた。
 苛立たしげに考え込んでいる宮子を残し、伊万里は試合用薙刀を構えて飛び出す。
「駄目、巣鴨さん!」
 思考に没頭していたため気付くのが一瞬遅れた宮子が大声で制止する。
(倒せるとは言わない、でも、隙を作るぐらいなら…!)
「そいつはエレメントなの!」
(…え?)
 だが、既に遅かった。力強く振り下ろされた薙刀は暖簾に腕押しという言葉そのままになんの引っかかりも無くミラーの体をすり抜けていく。
 ミラー。カテゴリーエレメント、ランク上級B-4。上級ゆえに物理的干渉は一切受け付けない。ただ、獲物から魂源力を簒奪するための器として獲物の魂源力を使い擬似的な肉体を構成する必要があるので、同一の魂源力を有する獲物本人なら普通に触れることができるのだ。
 そのことを知らずに思い切り薙刀を打ちこんだ伊万里の体は大きく前に流れ、その頭めがけてミラーの拳が振り下ろされる。
 直は半ば反射的に伊万里とミラーの間に踏み込みミラーに向けフックを放っていた。ミラーは瞬時にその攻撃をトレースする。お互いの距離が詰まっているため攻撃がぶつかって相殺することも無い。自分の拳とまったく同一の軌道でミラーの拳が直の頭を狙う。
(…そういえば、自分の拳を受けたことなど無かったな)
 自分の拳がどれだけ自分を壊しうるのか、そんな疑問が不意に浮かび上がってきた。その答えがじきに分かる、そう思った瞬間直の体は大きく横に流された。
 その方向を見やる。今まで直がいた場所に必死な表情の宮子がいて、ミラーの拳は変わらず迫ってきて。
 そして、ミラーに殴り飛ばされた宮子は直の視界から消えた。
 思わず視線で追いかける直の前で宮子は地面に打ち付けられ、そのまま動かなくなった。


 自分の体がごっそりと削られ、そこから削られた分の埋め合わせとばかりにさまざまなものが流れ出るような感覚だった。
 その感情の激流のままに、直はミラーに飛びかかった。
「ここから…いなくなれ!!」
 掌底同士がぶつかり合う。同時にその激突面からあふれ出た多量の風がお互いを吹き飛ばす。宙に浮いた状態の直は大きく林の木立の中に、そしてミラーはその反対側の海の方へ。飛ばされる直と同じ動きをするミラーだが、擬似的なものとはいえ体を得た以上、エレメントとはいえある程度は物理法則にも従わざるを得ない。
 そのためフェンスをすり抜けたミラーは宙に留まることができずそのまま海へと落下していった。
 だが、それも今の直にはどうでもいいことだった。直は気もそぞろに宮子のもとに駆け寄る。
「ねえ、ミヤ…起きてよ、ねえ!」
 顔をくしゃくしゃに歪め、直は動かぬ宮子を強く揺さぶり続けた。
「落ち着いてください、先輩!」
 一足先に宮子に処置を行っていた伊万里が直を突き飛ばした。
 直と違い『護る』ための一環として救命措置も学んでいた伊万里はこの事態にもまだ冷静でいられたのだ。
 いや、正確には間接的にとはいえ宮子を傷つけてしまったことに対する責任感でいっぱいで他の感情が抑制されていた、というのが真相だった。
「鼓動も呼吸も特に問題ないです。頭も打ってるわけじゃないみたいですし、気絶してるだけです」
「え?そう、そう、なんだ…」
 緊張を解く直。伊万里もむしろ直以上にほっとしている。
(それにしても…)
 ようやく他の事に思考を向ける余裕が戻った伊万里は考える。
 伊万里にとって、ここまで取り乱す直の姿を見るのも初めてだった。伊万里は宮子の左腕が脱臼していること、そしてさっきの判断はあくまで素人判断に毛が生えた程度もので確実と断言できるものではないことは伏せることにした。
「結城さんは私が担ぎます。今のうちに逃げましょう」
 そう言いながら伊万里は宮子を担いだ。
「いや、巣鴨君はミヤと一緒に降りて。私はここに残るよ」
「何言ってるんですか!?一人じゃ絶対あれには勝てないですよ!」
 怒りと共に翻意を迫る伊万里。
「…誰かがあれを食い止めないと三人とも共倒れだよ」
 ため息と共にそう答える直。この直後の事態――ミラーが限定飛翔で舞い戻ってきた――を察したゆえの言葉だった。
「だからって先輩ほどの人がそんなに簡単に諦めないでください!皆で生きて帰るんです!」
 業を煮やした伊万里は直の手をとり、半ば引きずるように走り出した。


「…ありがとう」
 とっくに直は自分で歩を進めている。迫るミラーを先程と同じ要領で海に追い返しながら逃げ続けるその最中、突然直が口を開いた。
「え?」
 状況は一向に好転しなかった。悪い予感を否定してほしい、そう思いながら伊万里は聞き返した。
「ミヤにしろ君にしろ、私のことをそんなに気にかけてくれて嬉しかった。だからこそ君たちには生き残ってほしい」
「何でそんな簡単にそういうこと言えるんですか…?」
 どうしてそんなことが言えるのか、伊万里には全く理解できなかった。
「どちらが必要なのか、そういう問題だよ」
 悲壮感でも自分を貶める故でもない、ただただ淡々とした口調だった。
 ああ、そうか。
 道理で、何かあるたびに死の旗が立つわけだ。
――この人は自分の命に対する執着が薄いんだ。
 …でも、それは。
「だから、行くね」
 そういい残してそばから離れようとする直の腕を、伊万里は再び掴み取るや否や思い切り自分の方に引き寄せた。
 不意を突かれた直の体は小さくつんのめるようになり、その頭は伊万里とほぼ同じ高さまで下がる。
 「失礼します」伊万里はそう呟き、引き寄せた勢いのままに大きく振りかぶった手で力強く直の頬を張った。
「なんで…わからないんですか?」
 頬を張られたそのままの状態で固まっている直に告げる伊万里。
「先輩の命はもう…先輩一人のものじゃないんですよ」
「……」
 何かを言おうとした直だったが、まるで自分がぶたれたかのように声が震えている伊万里の姿に口を挟むことができない。
「あの時先輩が火事から助けたあの子も、バイクに轢かれるかもしれなかった人たちも、そして私だってみんな先輩には感謝してるんです。それなのに先輩が簡単に自分の命を投げ捨てたら私たちのこの気持ちはどうしたらいいんですか!助けるだけ助けておいて先輩は無責任です!」
 伊万里の言葉を咀嚼するように何度も頷く直。しばしの静寂。そして。
「…私がいてくれないと…困るということ?」
「当たり前です!」
 きっぱりと断言する伊万里。
「そうか。そう、か…」
 そう絞り出すように言う直。
「…それならまだまだ足掻いてみなければいけないか。知らぬ間に随分と重いものを背負い込んでしまったものだね…」
 嘆くような言葉ではあったがその声音は確かにどこか嬉しそうな色が支配していた。
「…重たい女で…悪かったわね」
 伊万里の背中から切れ切れの声が響く。
「結城さん!」
「ミヤ!大丈夫なの!?」
「まだ頭ぐらぐらするから大声はやめて…」
 宮子はするりと伊万里の背中から降りるとよろめきながらもしっかと立ち上がった。
「良かった…」
 涙を滲ませ目頭を押さえる直。
「安心するのはちゃんと戻ってからよ。…『皆で生きて帰る』んでしょ?」
「結城さん、本当に大丈夫?」
 先程身を挺して直を庇った時といい、ある意味ではとても似たもの同士だと伊万里は思っていた。
 ついつい問う口調もきついものになる。
「無理してないって言ったら嘘になるけど、今はそれどころじゃないわ。…ナオ!」
 まだ話すのも辛そうな宮子だったが力を振り絞り強い声でパートナーを呼ぶ。二人の視線が自分に集まるのを確認し宮子は口を開いた。
「心配かけちゃってごめん。でもおかげで一つ、とても大事なことが分かった。とても難しいけど、私たちが勝てる手が一つだけあるわ」


 直はフェンスを破壊し外枠から手早く即席の剣もどきを作り出した。
 大きくジャンプして襲い掛かってくるミラーに向かってそれを突きつけると、ミラーは瞬時にその姿をトレースして直と正対する形になる。
 攻撃動作を全てトレースするのだからいつでも攻撃できるという態勢と気迫さえ保っていればその状態でミラーを金縛りできる、ここまでは宮子の言ったとおりであった。
 伊万里はその直の後ろで薙刀を普段とは逆に石突の部分を前に向ける形で構えをとっている。
 宮子の作戦では彼女が最大のキーマンだった。
(そう、先輩が生きるか死ぬかは私次第なんだ…)
 と、構える薙刀の先端がゆっくりと下に下りていく。慌てて元の位置に戻そうとするが、
(なんで!?)
 毎日のように振るっていたそれが、あり得ないほどに重い。重い、と認識することで更に刻一刻とその重みは増していく。
 今までは何かしら「~かもしれない」と解釈する余地がある余地があった。例えば先の謎の異能者との戦い。もし自分が動くことができなくても先輩は自力であの男に勝てたかもしれない。
 だが、今回はその余地はない。躊躇えば死ぬ。タイミングが少しでもずれたら死ぬ。場所が少しでも違ったら死ぬ。
 偶然がめぐり合わせたこの先輩、どこか人とずれてて、一見他人のことなどどうでもいいように見えて意外と人には優しかったりするこの少女の生も死も、全ては自分の責任なのだ。
(動いてよ、今、今動かないと…!)
 その焦りが、今度は彼女の腕から力を奪っていく。
 縋るように直の背中を見やる。負傷が激しく、しかもこうしている間にも魂源力を奪われ続けている彼女は気迫を保ち続けてミラーの動きを留め続けるので精一杯だ。
 無意識に視線をあちこちに彷徨わせる。だが宮子はもういない。「もう何の役にも立たないだろうし、怪我した私がいたらナオの集中の妨げになるだけだから」と苦渋の決断で既にこの場を離れていたのだ。
(自分で何とかしないといけないのよ)
 何度もそう言い聞かせる。だが、思えば思うほどに重みは増していく。
 ついには、泥沼のようになった地面に飲み込まれていくような感覚まで伊万里を苛み始めた。
「…困ったな」
 十重二十重に伊万里を押し包む精神的重圧が生み出した偽りの感覚を矢のように貫き、直の言葉が伊万里の体を射抜く。
 「え?」と顔を上げる伊万里。背を向けたまま直は語る。
「先輩らしく何か心を解きほぐせるようなアドバイスをしようかと思ったのだけれど、いい言葉が思い浮かばないんだ」
「正直に言います。先輩に言葉でどうこうなんてのはあまり期待してませんから」
 半ば習い性になっていたやりとりが、思わずそう口にさせていた。
「相変わらず手厳しいね」
「あんなことしておいてすぐにこういうこと言うのもどうかと思うんですが、らしくないですよ。先輩はもっとこう…目の前の障害とかそういった余計なものなんてどこ吹く風って感じで吹き抜けるように走り続けていればいいんです」
 あっという間にこちらがアドバイスする側になっていた。仕方がない、と伊万里は思う。
 この人はどうにも放っておけないところがあるのだ。この場に宮子がいれば全力で頷いてくれることだろう。
「で、こっちが先に行く先輩の背中を見る。そういう先輩らしさもありだと思いますよ」
「背中で語るって、それまるっきり男性のやり方だよね…」
 がっくりと肩を落とす直。気迫の網が緩み、ミラーがゆっくりと動き出す。
「先輩!」
 伊万里の警告に慌てて直は姿勢を正しミラーを封じた。
「…まあ巣鴨君がそれでいいなら私も構わないのだけれど。…では、行こうか」
 言葉と同時に、直はゆっくりと歩き始めた。ミラーも全く同じ動作で近づいてくる。
 伊万里も直に続いて歩き出す。伊万里をあれだけ苦しめてきた重圧は既に吹き払われていた。
(『自分ひとりの命じゃない』)
 放った言葉がブーメランのように回帰してきた。
 少なくとも、目の前の大きな背中は私を見守っていてくれる。


 一人と一体はお互いの間合いを無造作に踏み越えた。直のすぐ後ろをついていく伊万里も続けて間合いに踏み込む。直と全く同じ姿のミラーは直と睨み合いこちらなど目にも止めていない。それでも、その大きな体は直の持つ威圧感すらトレースしているかのようであった。
 それでも伊万里は躊躇わない。迷いはもう消えた。それに、
(私と先輩とで二対一だ)
 何するものぞ、という気概が伊万里の体に漲っていた。
――私がナオを突き飛ばしたあの時、ナオの位置が変わったのにミラーはそれには反応しなかった。
 す、と直は鉄の棒の先端をミラーの胸に押し当てる。同時にミラーの手の中にも棒の姿が浮かび上がり、直の胸に押し当てられる。直が鉄の棒に魂源力を纏わせたのだ。
 それを確かめるかのように一瞬動きを止めた後、直はゆっくりと棒を前に突き出した。
――つまり、トレースする対象が第三者の介入で動かされてもその動きはミラーのトレースの対象にはならない、そのはずよ。
 ナメクジが這うような速度でじりじりと力を込めていく。まず、服が容易く突き破られる。更に前へ。皮膚が強引な進入に引き伸ばされながら悲鳴を上げる。
――そして、ミラーは今ナオの体を正確にトレースした擬似体の形をとっている。
 と、限界に達した皮膚がブツン、と破れ切っ先が肉の中へと食い込んだ。
「ん、ぅうん…」
 滴る血が服をゆっくりと紅く染めていく。更に前へ。鈍色の侵入者は肉を引き裂きこじ開け奥へと進んでいった。
――つまり以上のことから結論を言えば、ナオの魂源力を使ってナオが死ぬような攻撃を与えればミラーは倒せるわ。
「ん…あっ」
 鉄の先端が肉一枚越しに心臓を突き上げる。思わず、肺の中の空気を吐き出していた。
――ここで出てくる戦術は一つ。ナオの魂源力を宿した何かを第三者、つまりは巣鴨さんの手でミラーの急所に叩き込む。勝つにはこれしかないわ。
 伊万里は宮子の話を順繰りにスクロールする。そう、ここからが最も大事な局面だ。
――ナオの残りの体力から考えて一発勝負、次はない。だからこうするわ。まず棒なり杭なりを用意して、ナオはそれをミラーの心臓の近くまで突き立ててやって。
 鉄の棒をミラーに突き入れる直の手からふ、と力が緩む。
――ナオが手を離したら、巣鴨さんがそれを押し込んでミラーの心臓を貫く。…分かってると思うけど、棒なり杭なりにナオの魂源力が残留できるのはほんの一瞬だけ。少しでも遅れると全く効果は無いわ。
 勿論分かっているわ。最初に話を聞いたときと同じ答えを呟く。相手の動きの機を察するやり方は部活で叩き込まれてきた。それに、短い間とはいえ何度も手合わせをしたり共に戦ったりもした。さっきのやり取りで彼女の人となりも大分分かってきた。
 今この時、この場所、この状況。この一時だけならば。
 いつも隣で支えている少女を差し置いて、私こそが皆槻直のパートナーだ、と躊躇いなくそう言える。
(私の手で先輩を護る…絶対に!)
 直の手が棒から離れる。それを伊万里が認識した瞬間、半ば自動的に薙刀が突き出されていた。石突が鉄の棒をミラーの体内へ深く押し込む。
 妙に機械じみた動きで向き直るミラーの顔――能面じみた無表情の直の顔が伊万里を見下ろす。
(…やった)
 確かな手ごたえを感じた伊万里は確信を込めて思う。
 同時にミラーは顔を歪め狂ったようにのたうち回り始めた。
「先輩!」
 伊万里は緊張の糸が解けたように膝をつく直に目をやった。
 片手で胸を押さえて俯く直のもう片方の手がゆっくりと上がり、大丈夫だよと告げるかのように軽く振られた。
「…やった!やりましたよ、先輩!」


 どうにか顔を上げた直の視線の先では熱せられた飴細工のようにミラーがゆっくりと溶け崩れていた。
 最早ついさっきまで直の体を模倣していたといわれても信じるものはいないだろう。その体は蒸発しているかのように縮み続け、重力に耐えかねたかのように頭が肩の上に崩れ落ちそのまま同化していく。
「逃げて!」
 何かを察した直が警告を発する。だが安堵に浸っていた伊万里の反応は一瞬遅れた。「え?」と無防備に振り返る伊万里の前でミラーの肩が急激に膨らむ。膨らんだその中央が盛り上がって鼻となり、その上に二つの小さな窪みが、下に一つの大きな窪みが生まれてそれぞれ目と口になる。
 それは更に細かい造形を加え伊万里の――「前衛芸術的な」か「冒涜的な」といった形容詞が必要だが――顔となった。
「な、に…これ…」
 伊万里の体から力が抜けていく。それはまるで掃除機か何かで内臓をゆっくりと吸いだされるような感覚だった。力を込めて動こうとするが、その力もすぐに吸われていく。薙刀を杖にして立ち続けるのもやっとの有様だった。
(嫌だ、ここまで来たのに…)
 半ば溶けた自分の顔がせせら笑う姿に敵愾心が湧き上がるが、その気持ちすらすぐに削られ吸い込まれていく。二つの顔がその伊万里の姿を見て楽しげに歪む。
 だが、その片方、直の顔の面影が残るその顔が更に歪み崩れる。一足飛びにミラーの元に飛び込んできた直が握りつぶさんばかりの勢いでその顔を強く掴んだのだ。
(先輩、その怪我で動いちゃ駄目です)
 そう言おうとした伊万里だったが、体全体が軽く痺れたように動かない。弱弱しく唇を動かすのが精一杯だった。
「大丈夫、『皆で生きて帰る』のだからね」
 伊万里に小さく頷きそう優しく告げた直は、ミラーの方に向き直ると一転して厳しい顔となり腕に力を込めた。
「私も女だからね、人の顔をそう醜くされると流石に腹も立つというものだよ」
 直は掴んだ顔を強引にミラーの胸の辺りまで移動させる。溶けかけた腕がいやいやをするように襲い掛かる中、直の腕に急速に力が満ちていく。
「大好きな魂源力なのだろう?人のものだと思って散々使い倒してくれたせいで大して残ってもいないけど、しっかり受け取ってもらうよ!」
 瞬間、ミラーの背中が数倍に膨れ上がった。直に掴まれていない顔も水死体のように膨れ上がりガクガクと揺れている。
 そして、空気を入れすぎた風船のようにミラーは弾け、跡形も残さずに消え去った。


 しばらくの間、二人の呼吸音と規則正しい波の音だけが緩やかに流れていた。
「…巣鴨君」
 直は伊万里に背を向けたまま口を開く。返事はなかったが、視線はしっかりと感じられた。
「一つだけ、どうしても言っておかなければいけないことがあるんだ」
 一呼吸置き、直は続ける。
「君の言うとおり、私はずっと一人で生きてきたと思っていた。正月の凧、そんな感じなのが私の本質だと思う。風に揺られて気ままに流れ、いつか強風に飛ばされ消えていく、それでいいと信じていた。…私のせいで君にはとても迷惑をかけた、本当にすまない」
 少しの間、その場を波の音が支配する。やがて伊万里が口を開いた。
「先輩じゃないけど、結果よければ全て良しってことでそれはもういいです。それより、今はどう思ってるんですか?」
「人の本質なんてそうそう変わりはしないさ」
 後ろで息をのむ気配が伝わってくる。直は言葉を続けた。
「…それでも、ミヤや君のような人がいてくれるから、今更だけどその意味が分かったから…多少は未練も出てきた。それだけははっきり言えるよ」
「なんだ、びっくりしましたよ」
 春の太陽のように明るく暖かい口調だった。思わず振り向いた直を伊万里の柔らかな笑みが出迎える。
「そういう風に思えるなら、もうとっくに先輩は…先輩の本質とやらはもう変わってます。ちゃんと変わったって分かるまでまだ少し時間はかかるかもしれないけど…。もう先輩は大丈夫です。これで私も…安心…」
「!」
 くずおれる伊万里を慌てて支える直。
(…いや、気絶しただけか)
 ほっと胸をなでおろす直。
 連戦の肉体的疲労と精神的緊張に加えミラーに魂源力を吸われたために既に体力が限界に達していたようだ。
 気力だけで意識を保っていたところに彼女の懸案――死の旗との縁を切らせる――の解決のめどがついたことで気力も途切れてしまったのだろう。
「こんなになるまで…不甲斐ない先輩で、ごめん」
 抱き寄せた伊万里の体は予想以上に軽かった。
「…でも、君だって大分無茶しているよね」
 もし自分の異能が〈アウト・フラッグス〉なら私はここまで強くあろうとできただろうか?
 そう考えると、伊万里はある意味では既に「最強」にそれなりに近い位置にあるのかもしれない。
 だが、それでも彼女は一人の少女なのだ。
(誰か彼女と共にあり支えてくれる人がいればいいのだけれど)
 直はそう考える。だが今のところ、伊万里には浮いた話はないらしい。
「世の中というのは不条理だよねえ、本当に」
 まあ彼女ならいずれ必ずそういう人に出会えるだろう、とこれは理屈抜きでそう確信できた。
「こちらの腕も限界、か」
 そうこうしているうちに、今度は伊万里を支える腕が悲鳴を上げ始めた。直は苦笑しながら伊万里を地面に横たえる。そのまま立ち上がろうとしたが、今度は足が意思に反して動かない。
「なるほど」
 と直は呟いた。限界なのは腕ではなくて私そのものか。
 意識を失った二人が発見・保護されたのはその五分後だった。


「正直うるさいって思う時もあったけど、いなくなると寂しいね」
「うん、そうだね」
 しばらくの時が過ぎたある日、いつものように直と宮子は二人で帰り道を歩いていた。ただ、ここしばらく馴染みだった二人の同行者は今では滅多に現れることがなくなっていた。
 あれから何日かは伊万里たちは一緒に行動していた。だが、彼女以外には知りようもなかったが、直の死の旗は現れることはなくなったようだ。ある日の別れ際、伊万里は困惑混じりに宣言した。
「どうしてだかはよく分からないですけど、先輩は無事死の旗から縁切りされたようです」
 …ミラーに魂源力を吸われた影響からか、伊万里はあの日の記憶が曖昧となっていた。自分に大事なことを教えてくれた伊万里が居なくなったようで直は無性に寂しかったが、
「だから、もう先輩は大丈夫です」
 と言った後に原因が分からないはずなのにどうして断言できるのか、と言いたげな表情で首をひねる伊万里。その姿を見て直は違う、と思い直した。
(たとえ記憶が無くなっても、あの日のことが無くなったわけではない…そうだよね)
「巣鴨君、本当にありがとう」
 「私、大したことしてないですし」と慌てる伊万里に、直は感謝の気持ちを込めて深々と頭を下げた。
「…仕方ないさ、彼女の『最強への道』は大変な道だからね。安全宣言が出た私たちにそうそう構ってもいられないよ」
「そんなこと言って、顔に寂しいって書いてるよ」
「はは、だろうと思った。…だったら今度はこちらから会いに行こうか?」
 珍しい発言に宮子は驚き、まじまじと直の顔を見上げる。
「…そうね、なんなら今からでも。びっくりさせてやりましょ!」
 だが勿論、宮子に断る理由などなかった。




 死を視る少女と死に惹かれる少女との邂逅の物語は、ここで幕を閉じる。
 だが、水面に落とした小石が作る波紋が水面に写る像を揺らがせるように、この小さな事件はさまざまなものの因となる。
 最も近くで影響を受けるのは、やはり当事者たる四人の少女であろう。
 この事件により四人共に大なり小なり変化を得た。それが各々の人生にいかなる影響を及ぼすのか…それは神以外には知る由はない。
 だが、神ならずとも理解できる因果の連なりもある。
 少女たちよりやや遠く、聖痕(スティグマ)では放った刺客の敗北を受け、次なる刺客の選出が行われていた。
 当然、その刺客は更なる強い力を持つはずである。一人の少女を消すために町一つ巻き添えにするのも辞さない、確実に死の巫女を抹殺するためそのような異能の持ち主が選ばれることであろう。
 そして、更に遠くまで届いた波紋は、ある組織を動かすに至った。
 違法科学研究機関「オメガサークル」。
 科学を絶対視し倫理を踏み越えることを辞さない者たちの集団である。
 その彼らがなぜ死の巫女に目をつけたのか、あるいは何か他の意図があるのか?それはここで語るべきことではないだろう。
 ともあれ、彼らは死の巫女たる巣鴨伊万里に護衛を派遣することを決定した。

 殺風景な部屋に軽いノックの音が響く。
「入っていいわよ」
 部屋の主、眼鏡の女性が告げると一人の少年がドアを開けて入ってきた。
 首に下げた真っ赤なヘッドフォンはトレードマークなのだろうか。どこか幼い顔だちには存外良い組み合わせなのかもしれない。
「悪いけど今日も新しい仕事よ」
「はっ、ここに仕事の話以外で呼ばれたことなんてないけどな」
 仏頂面で毒づきながらも少年は女性が執務机のこちら側に押しやったものに目をやる。
「なんだこりゃ、…制服、か?」
「おめでとう」
 女性は大仰な身振りで少年にそう告げた。
「あなたはこれから学生として学校に通うのよ、オフビート」

 オフビートと呼ばれた少年と「死の巫女」巣鴨伊万里。
 かくして運命は二人を引き寄せることになる。
 この二人が出会い始まる物語、その物語は大きなうねりとなって世界を揺るがすだろう。
 その時は、もう近い――




――――――To Be Continued 反逆のオフビート












次回予告


「君はもう少しクラスに溶け込む努力をしたほうがいいと思うよ」

「なんとまあ、浅ましいものだね」

「呪いの文章縫いこんでるの、タミル語で」

「どういうことなのかな、それ?」

「こんなの、もう二度と、真っ平ごめん!」

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