雪が降らなくなる前に 後編


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 true tears  SS第二十四弾 雪が降らなくなる前に 後編

 比呂美と眞一郎は一緒に下校している。
 ようやく比呂美の目的地に到着した。
 さらなる奇跡を比呂美は願い、さらにちゃんと眞一郎はしようとする。

 眞一郎父は博、眞一郎母は理恵子、比呂美父は貫太郎、比呂美母は千草。

 前作の続きです。
 true tears  SS第二十二弾 雪が降らなくなる前に 前編
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/287.html
 true tears  SS第二十三弾 雪が降らなくなる前に 中編
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/306.html

 true tears  SS第十一弾 ふたりの竹林の先には
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/96.html
 true tears  SS第二十弾 コーヒーに想いを込めて
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/245.html
 true tears  SS第二十一弾 ブリダ・イコンとシ・チュー
 http://www39.atwiki.jp/true_tears/pages/275.html



 校門を出てから、俺と比呂美は手を繋いで歩いている。
 比呂美が今日にこだわったり奇跡を望んでいたりするのを理解できていない。
 それでも比呂美は怒ろうとせずに受け入れてくれている。
 たまに出されるヒントを元に推理を楽しむ。
 俺の通学路を辿っていて長い坂を下っている。
 視界には今朝よりも曇っている空が映る。
 中年男の能登さんに冷やかされると、俺は比呂美と付き合っているのを明かした。
 以前にお袋と話したときに驚かれたという情報を残してから、能登さんは自転車で去った。
 意味がわからない俺たちは立ち止まってしまう。
「行きましょう」
 比呂美は左に曲がり海岸に向う。
 ここは仲上家や竹林や病院に行ける場所であるから、まだ目的地がわからない。
「前から思っていたんだけど、俺に掛けてくれたマフラーはどうしてる?」
 海岸の砂に足跡を付けながら並んで歩いている。
 ここは比呂美と初めて下校した記念の場所だ。
 比呂美を踊り場に誘おうとしたけれど、会話が噛み合わなかった。
 断られたり雰囲気が悪くなったりするのを恐れていたのだ。
「保管しているわ。眞一郎くんが巻いてくれた記念に。
 仲上家にいたときにもっとも嬉しかったことなの」
 比呂美は柔らかく微笑もうとはしてくれてはいた。
 結ばれている右手からは揺らぎが伝わってくる。
「そんなことがかよ……。マフラーはありがたいけど、他には……」
 比呂美にはときどきしか良いことをしてあげられなかったことに気づいてしまった。
「眞一郎くんは挨拶をしてくれていたし、たまに話せたからいいの。
 今はとても幸せだよ。さっきだって能登さんに堂々と言ってくれたから。
 みんなに認められるようになりたいな」
 髪を垂らして俺を覗き込む姿には、生気が満ちて晴れ晴れとしていた。
 俺の心配よりも自分のことを先に考えて欲しい。
 口にする資格のない俺は黙ってしまう。
「ここに来たかったの」
 比呂美は俺から右手を離して、両手を後ろに回している。
「雪の海」
 俺は比呂美の立ち位置から判断した。
 すぐそばには竹林があって比呂美のアパートへの道が続いている。
 比呂美が空を仰いでいると、俺の頬に冷たいものが当たった。
「雪が降ってきた」
 撫でてみると液体へと変わってしまっている。
 雪は少しずつ増えており淡いながらも存在感がある。
「奇跡が起きたわ」
 比呂美は両腕を広げてくるりと一回転をして、天空へ感謝を示す。
 俺にはできない偶然であっても、比呂美のささやかな願いが叶えられた。
 あどけなく無邪気に落ちてくる雪に手で触れようとする。
 すぐには消えてしまおうとも身体に刻むかのようにだ。
 俺はその姿を眺めていることしかできなかった。
「眞一郎くん、携帯で写真を撮ってくれないかな?」
 不意に比呂美から声を掛けられて正気に戻される。
「かわいらしい」
 ふと洩れた俺の言葉に比呂美は見開いてから呟く。
「お父さん……」
「どうかしたのか?」
 顔を背けてしまってから、比呂美は落ち着いて語り出す。
「幼い頃、お父さんに言われたの。
 お母さんもいて一緒に外で遊んでいたわ。
 私だけはしゃいでいてお父さんはお母さんのそばにいた。
 だから手をひっぱって雪合戦をしようとしたの。
 そのときにお父さんが私にかわいいと言ってくれたわ。
 でも私はごまかされているようで頬を膨らませてしまった。
 今、思うと私のことをふたりで見守ろうとしていたのね。
 別の日にお母さんは病弱で雪合戦をできないけど、五十センチくらいの雪だるまを作った。
 お父さんが帰って来ると一メートルくらいのを作ってくれたわ。
 さらに三十センチくらいのも追加して三人家族にしてくれたの」
 天を仰いで語る比呂美の目には涙がない。
 もう両親との死別を受け入れており泣かなくなったからだろう。
 千草さんは家庭的で淑やかな女性で、遊びに行くとお菓子やケーキを用意してくれていた。
 体調がすぐれないときも多くなり、比呂美が八歳のときに亡くなった。
 貫太郎さんは男子バスケの顧問をする高校の体育教師だった。
 穏やかで人当たりが良くて会話が巧みであった。
 バスケに関しては厳しいようで鬼監督だったらしい。
 成績優秀な千草さんと運動神経抜群な貫太郎さんの血を、比呂美は受け継いでいるのだ。
「それが雪を好きだった理由か?」
「雪があると、両親のことを思い出すの。
 天空からの贈り物で何もかもを包み込んでくれるようで」
 比呂美とともに見上げる空からは、雪がゆっくりと降ってくる。
 もう春が近いので積もらずに消えてしまうほどに儚い。
 天空という言葉は乃絵もよく使っていた。
 天空の食事やお婆ちゃん。
 結局、俺は乃絵の涙を取り戻せずにいる。
 今は考えるのをやめておこう。この前の二の舞になる。
「それと一度は起きた奇跡とは昨日の竹林でのこと?」
「眞一郎くんに告白されてから抱き締め合っていたときに降ってきたから。
 今日のことも含めてこれからますます雪が好きになりそう」
 ようやく比呂美はこちらを振り向いてくれていた。
 両親との思い出と同価値にしてもらえているのを確認できた。
 神による超自然現象である奇跡を、降雪という雪国では日常的なものへと次元を落とす。
 奇跡という最大限の期待さえも、比呂美は望むときに過小しているのだろう。
 もし起きなかったときに傷つくのを抑えるためだろうか?
 いつでも起きそうなのにすることで、叶えられるようにしているのだろうか?
「俺も比呂美の願いを叶えてあげたい」
 そっと伝えると、比呂美は右手の指を丸めて顎の下に置く。
 携帯を取り出して画面を俺に見せる。
「眞一郎くんのこの笑顔をつらいときに見て支えにしていたの。
 だから眞一郎くんも私の写真を撮って欲しい」
 歯磨き粉と洗顔フォームを間違えたときのものだった。
 できれば撮り直して欲しいけれど、比呂美が喜んでいるなら反対しない。
 これから撮り合ってゆけば更新してくれるかもしれないからだ。
「わかった」
 俺が同意すると比呂美は背を向けて両手を耳のあたりまで動かしている。
 髪がかすかに揺らされていて、準備ができたようで振り返った。
「メガネを用意していたのか」
「雪の海に行くときに眞一郎くんが掛けて欲しいと言っていたし」
 比呂美は恥ずかしげに上目遣いで主張した。
「俺は比呂美の部屋に行ってからどう誘おうか考えていた。
 買い物とかうちに行くときとかに竹林を通って雪の海に」
 だから俺は下校中には無理だと思っていた。
 俺は携帯を取り出して比呂美にカメラを合わせようとする。
「構図とか希望はある?」
「眞一郎くんの好きなのがいいな」
 比呂美は正面を見据えて微笑んでくれている。
「さっきみたいに天空を見上げているようにして欲しい」
 俺の指示に比呂美が素直に従ってくれる。
 俺は携帯を構えながら移動して、比呂美の左横からシャッターを押す。
「きれいに撮れた?」
 比呂美が近寄って来たので見せてあげる。
 天国の両親に向けたものであるから、墓場の前にいるような慈しく慎ましいものであった。
「良く撮れていると思うので、そっちにも送る」
 画像が比呂美の携帯に届いたようで、確認してくれている。
「比呂美の住所録に登録しておく」
「私ってこんな顔をしているのね」
 感慨深く眺めて画像から視線を外すと俺を捕らえている。
 俺は瞳を合わせたまま、右手を比呂美に伸ばして四指で首筋を親指で顎を優しく支える。
 メガネがあるので、しづらいかもしれないからだ。
 顔を左に傾けながら寄せてゆくと、比呂美は瞼を閉じてくれる。
 重ねた唇の感触を確かめ合いながら微動をしない。
 お互いの口内に舌を絡めようとせずにしばらく停滞する。
 キスを仕掛けた俺から先に比呂美の柔らかで温かな唇から離す。
「時間がかかり過ぎたけど、ちゃんとしてからにしたかったんだ」
「私のほうこそ眞一郎くんの気持ちを考えていなかった。
 でも何らかの思い出が欲しくて」
 ちゃんとするからと言っておいて、何もできなかったことを責めようとはしない。
 奉納踊りの後に嘘をついてしまったことも、比呂美は話題にしていない。
 乃絵が木から飛び降りして入院したことに、比呂美も自分のせいにしているのだろう。
「俺は初めてだったけど、思い出にはなっていた」
 愛ちゃんとしたことがあっても嘘を貫き通す。
 愛ちゃんは三代吉と寄りを戻しているので、隠してくれるだろう。
「私もよ。よくわからないから、強引になってしまったね」
 頬を赤らめるのは照れなのか恥じらいなのか判別できない。
 あのときは舌を絡めつつ、歯が当たりそうにもなっていた。
 俺自身は瞼を閉じる余裕もなかったけれど、余韻だけには浸れた。
「雪の海で上書きできて良かった」
「何だか今回が初めてのようね」
 比呂美はぎこちなく口元を歪めると、俺も釣られてしまう。
「手を繋いだときの初めてはあの夏祭りだったな。
 貫太郎さんが提案してくれてふたりだけで過ごした」
 わざわざ仲上家に訪れて家族三人の前で頼んだのだ。
 深刻な表情をせずに茶飲みの雑談をしていた。
 特に親父は親友であるから、即決で同意しようとしていた。
 むしろ親父のほうが思い詰めていたように見えて、お袋は思考を顔に出さなかった。
 俺は嬉しい提案であったけれど、素直には応じられずにいた。
「おばさんが浴衣や下駄を買って来てくれて髪を結ってくれたわ。
 会話がほとんどなくて少し寂しかったかも。
 でもこの前の祭りの着付けのときにはいろいろと話して下さった」
 お袋は比呂美に対してどことなく冷たい印象が以前からあった。
 千草さんの病気が悪化するにつれて、親父が見舞いに行く機会が増えたからかもしれない。
 そう考えるようになったのは、兄妹疑惑の存在を知ってからだ。
 俺は八歳だったので、過去が不確かであるから、勝手に妄想で補っている部分もあるだろう。
「あのときはいつもと違う比呂美だったので、どうすべきか悩んだ。
 いつものように驚かしてしまった」
 長い髪で隠れているうなじが見えていたので、ますます意識するようになった。
 千草さんが亡くなってすぐだったので、俺なりに比呂美を少しでも支えたかったのだ。
「眞一郎くんはやんちゃだったからね。
 蛇や虫を嫌がる私に見せつけていたし。
 でもあのときのように眞一郎くんに救ってもらおうとしていたわ。
 仲上家に来てから、眞一郎くんにどうして欲しいかわかっていなかった」
 自嘲気味に薄く笑っていた。
 比呂美が引っ越すときに聞かされていたが、比呂美が俺に何を求めていたか不可解だった。
 具合的に何をと言えないほどに比呂美の中でも曖昧だったのだろう。
「比呂美がうちに来るときは喜んでいた。
 貫太郎さんも亡くなって不謹慎だけど、一緒にいられる機会が増えそうで。
 食事したり宿題をしたりと」
 比呂美は学校で平常心を保っていたので、仲上家でも同様にしてくれると思っていた。
 でも神妙に深々と頭を垂れていて、お袋は即座に去ってしまう。
「食事はいつでもできるし、勉強はおふたりに頼まれているわ。
 昨日、眞一郎くんを見送って居間にいるときに」
 比呂美は穏やかに微笑みながら棘があり、俺に覚悟をさせようとした。
 ふたりは俺たちの真剣な遣り取りを察して、比呂美の居場所を確保してあげたのだろう。
「勉強もしっかりしておかねばならないよな」
「絵本と私のせいで成績が落ちたと思われたくないからね」
 比呂美は俺の左腕に右腕を通してきて、やる気を引き出そうとしているのだろう。
 成績の話をされると分が悪くて話題を変える。
「千草さんは俺たちのことをどう思っていたんだろうな」
 眼差しを下げて比呂美の様子を窺う。
「お母さんは私の眞一郎くんへの想いに気づいていたと思う。
 眞一郎くんが家に遊びに来るときには私の髪をとかしてくれて、
リボンやカチューシャを付けてくれたわ。
 クッキーだって一緒に作っていたし」
 比呂美は左手で髪をすいて後ろに流した。
 千草さん譲りの長髪を愛でるようにいとおしむ。
「たまに歪なのが混じっていたような。指の跡みたいにへっこんでいるのが」
「あれは見分けやすくするために、わざとよ」
 ぷいと顔を背けて流し目をしてくる。
「俺が皿に手を伸ばそうとしたら、ずっと見ていたな」
 幼い頃の比呂美の動作はとても素直でわかりやすかった。
「眞一郎くんは私のを選んでくれていた」
「味は変わらないし。
 千草さんはいつも目を細めて眺めていたな。
 お袋と違って何かと干渉してこないから理想的な母親だ」
 俺の発言の後に比呂美は腕を放して正面に回り込む。
「眞一郎くんを見ていると言いたくなるときもあるから、おばさんの気持ちがよくわかる。
 それとお母さんだって私にこけないように注意していたわ。
 生きていたらどうなっていたか、不明」
 比呂美は軽く睨みつけつつも、千草さんの現在の姿を描いていた。
 思い出の中にしか存在しないのではなくて、将来像まで把握しようとしているのだろう。
「俺の前では注意していなかったな。俺の中の千草さんは笑顔しかない」
 他にはアルバムの中でお袋に切り取られなかったものだけだ。
 画像が小さい集合写真の中ではいつも男性に囲まれていた。
 そばに女性がいなくても、同性に嫌われているわけではないだろう。
 外面が良いだけではないのは、貫太郎さんとの会話からも推測できる。
「お母さんに怒られた記憶はあまりないわ。
 できればもう少しだけ長くいて欲しかったな。
 ようやく料理や手伝いをできるほどに成長していたから。
 お母さんが亡くなるときにノートを残してくれたの。
 幼い私と高学年以上になった私のために料理や家事の仕方を書き分けてくれていた。
 順番に取得できるように内容や表現に工夫がしてあったわ。
 でもお母さんには珍しく最後のほうは字が汚くなっていた。
 ノートを作らないで直接に教えたかったと思う。
 お母さんがずっと付けていた日記もくれたの。
 まったく隠すことなくお母さんのすべてが描かれていたわ」
 比呂美は手元にノートと日記があるかのごとく抱き締めていた。
 千草さんがいなくなって比呂美は貫太郎さんとの父子家庭になった。
 家事は比呂美が担うようになるのは自然な流れだろう。
「だからあれだけ家事をこなせるのだろうな。
 貫太郎さんがいつも褒めていたよ」
「お父さんがすると二度手間になるからね。
 片付けができない人に家事を任せられない」
「貫太郎さんはいつも様子を教えてくれていた。
 親父と違って話しやすくてお兄さんみたいだった」
 町中で会ったときも気軽に近寄って来てくれた。
 比呂美のことを肴にして情報を交換し合っていたのだ。
「さっきから両親を褒めてくれているのは嬉しい。
 でもねおばさんは勝気だから味方になると心強いし、おじさんは寡黙で安らげるわ。
 お母さんは欠点がないのが欠点だったみたいね。
 お父さんはマイペースで他の人にしてみれば、変に思われるときがある。
 お父さんがバスケを始めた理由を知っている?」
 比呂美は同意してからお袋と親父の長所を述べていた。
 両親については短所を挙げて会話を弾ませようとしてくれる。
「知らないから教えて欲しい」
「バスケは攻守の切り替えが早くてどのポジションにいても、すぐに注目される。
 動きが激しいし、ゴールにシュートをすると決まるまでの緊張感がある。
 それと体育の授業で誰もがしたことがあるのがいいみたい」
 比呂美は茶目っ気のある瞳で語っていて、端的に伝えようとしなかった。
 クイズのようなので俺はしばらく考えてから回答する。
「観客に向けての視点だから千草さんのためか。
 競争率が高そうだから、良いところを見せようとしていたのかも」
 俺の推理に比呂美は眉根を寄せてから反論する。
「競争率のような考え方は嫌い。ふたりは最初から両想いだったからね。
 お父さんもかなりもてたらしい。うちの高校が改編される前の麦端で一年から六番。
 二年の秋からは四番になってキャプテンだったわ」
 自分の境遇に両親の高校時代とを重ねていた。
 俺が競争率を意識するのは、まだ比呂美が手の届かない場所にいる気がするからだろう。
 無言である俺に対して比呂美は瞼を閉じてから続ける。
「中学生になれば部活でバスケをしようと相談したときに反対された。
 理由を問い詰めると、さっきのことを白状してくれたの。
 一つだけ条件だけを提示されて、お父さんの学校には行かないこと。
 職場に家庭を持ち込みたくないって。
 本当は私が実力でレギュラーになっても、贔屓されていると思われるからかも。
 バスケが両親を結び付けてくれたから、私も始めようと決めたの」
 比呂美は両親との絆を確かめるように浸っている。
 バスケについては初耳の部分が多くて、貫太郎さんも話題にするのを控えていた。
 俺から比呂美について質問をあまりせず、貫太郎さんの配分に合わせていたのだ。
「千草さんはマネージャーでもしていたのか?
 話が見えてこない」
「したかったみたいよ。
 でもお父さんの専属というわけにはいかないから、交流試合で応援くらいかな。
 これ以上、話すべきではないわ」
 比呂美は目を伏せて口を閉ざしてしまう。
 親父やお袋と関係があるから、両親の馴れ初めであっても話しづらいのだろう。
 同じ学校で同じクラスで四人とも幼馴染であったらしい。
 俺にはそれくらいの知識しかなく、四人の学生時代ついて詳しくない。
「貫太郎さんと話をしていても、核心に触れてはいないようだ。
 多弁であるからすべてを話してくれているとは限らない。
 仲上家に比呂美が来ると決まったときも、いつもどおり比呂美の話をしていただけだった」
 父子家庭でひとり残される比呂美については、親戚を集めて事前に会合を開いていたらしい。
 貫太郎さんの余命が少なくなりつつあり、回復の見込みがなかったからだ。
 なかなか決まらないので親父が手を上げた。
 お袋と俺にはあまり相談することがなく、家長として親友を助けたかったのだろう。
 比呂美には無理に仲上家に来なくてもアパートを用意すると伝えていたらしく、
比呂美が俺にアパートに引っ越すときに教えてくれた。
 誰もが俺に対して比呂美とどう接して欲しいかを言ってくれなかった。
「私も似たようなものよ。
 お父さんは私にこうしなさいと言わないの。ただ自分が知っていることを語るだけ。
 結局、仲上家に行くのが決まったときも、四人の過去を淡々と教えてくれたわ。
 残される私に対してお母さんと天国から見守り続けるのを誓って」
 父の言葉を確認するかのように見上げる比呂美に、雪はゆっくりと降り注いでいる。
 砂浜に落ちればなくなってしまおうとも、ただその瞬間まで存在しようとする。
「遺言を残そうとはしないんだろうな、貫太郎さんは。
 今までどおりに笑顔であり続けていたよ、俺の前でも」
 死期が近づくにつれて見舞いに行くように心掛けてはいた。
 断片的であっても比呂美のことを教えてくれるかもしれない。
 できればそれ以上を俺に求めて欲しかったが、俺から求めようとはしなかった。
 そのときの俺たちは単なる幼馴染だったからだ。
「遺言ではないけど、お父さんはお母さんがいなくなったときに泣いている私に言っていたわ。
 お母さんのように優しくて強くなるようにって。
 私がそうなれたから、もう言う必要がなくなったの」
 もう両親のことで比呂美は泣かないくらいに強くなった。
 でも目が全体的に揺れているようでまばたきが増えている。
「千草さんが亡くなったときに貫太郎さんは気持ちを伝えていたのか」
「そうかもしれない……」
 確定したくても本人に訊けなければできない。
 たとえできたとしても俺たちの将来を束縛しようとしないだろう。
 俺が面と向って本心を明かした後でないとだ。
「家族になろう。
 入籍はできないが、気持ちだけでも」
 真摯な眼差しで想いを込めて発した。
 高校生同士であるがために法律の壁を超えられない。
 比呂美は何も言わずとも涙が頬を伝い始める。
 昨晩のように両手を伸ばして拭ってあげると、温かな感触があった。
 まだ寒空の下で人肌に当たれることが喜ばしい。
 比呂美の両親が見ているかもしれないので、ハンカチで拭いてあげようとする。
「ごめんね、今は自分で拭かないと」
 先に取り出していたハンカチで比呂美が拭いてしまった。
 手持ち無沙汰な俺はすぐにハンカチを仕舞う。
「泣きたいときには泣いたほうがいいよ。
 今はもうふたりのことで立ち止まらずにいられているから」
 比呂美ほどではないが、ふたりの死には俺自身も戸惑っていた。
 憧れの人たちであったのに涙を流せなかった。
 想いが強ければ泣けるのではなくて、泣かずに弔えたのだ。
「そうするね、実はさっきから堪えていたから。
 両親の前では泣いている姿を見せたら、心配させてしまうと思っていた」
 丁寧に拭き取っていても瞳は赤いままだ。
 俺は比呂美の返事を待っているのだが、小首を右に傾げられてしまう。
「どうかした?」
「さっき家族になろうと言ったんだけど……」
「いつかなれると思っているわ」
 まだ比呂美はきょとんとしたままだった。
「ごめんねがプロポーズの拒否でなければいいか」
 何だか不自然な展開になってしまった。
「ごめんねは私がハンカチで拭き取りたいから。
 だって眞一郎くんに拭いてもらったら、子ども扱いされているようで」
 比呂美なりの判断で行動してくれていたのが理解できた。
「プロポーズのことは?」
「眞一郎くんは竹林でプロポーズをしてくれたよ。
 ずっとそばにいるから絵本を見てもらえるって」
 比呂美は拡大解釈をしていたようだ。
「あれは付き合おうと言っても嫌と拒否されたから言ったのに」
「さんざん待たせておいて素直に応じたくなかったからよ。
 それと鰤大根のときは神に祝福された結婚式と解釈してくれた」
「それも俺が鰤大根の風習を知らなかったから独自に導いただけ」
 俺たちは即時に対応して会話を噛み合わせていた。
「私はもうプロポーズをされたと思って両親のことを教えていたの」
 頬を膨らませつつも目尻が下がっていて笑っている。
「俺はプロポーズする前に貫太郎さんと千草さんのことを、もっと知っておきたかった」
 俺も釣られて自分たちの言動の食い違いに笑いそうになる。
「プロポーズみたいな大切なことでも、おかしくなってしまったね」
「気持ちが同じとわかったからいいよ。
 でも正式なのは入籍できるようになったらする。
 絵本も家族も使ってしまったから、他に考えないと」
 他のカップルにはない特殊な状況であるのを含めていたかった。
 いつかのために良いフレーズが浮かべば保存しておこう。
「絵本作家としての表現力が試されているようね。
 でも普通がいいかもしれない」
 指を組んで胸元に置いているのはありきたりな花嫁の姿だ。
 俺はヴェールを捲くる仕草をしてから、誓いのキスをする。
 数瞬だけ唇を重ねる。
「絵本のラストは結婚式にしようかな?
 近い将来のほうが情景にしやすそう」
「私もそれがいいと思っていたの。
 どういう場面か語ってみたい」
 比呂美は満足げに笑顔を浮かばせてくれている。
「絵本は共同作業だから、聞かせて欲しい」
 俺の返答にこくんと頷いてから言葉を紡いでゆく。
「神さまや天使たちが描かれたステンドグラスがたくさんある教会。
 バージンロードの上に参列者が花びらを撒いてくれるの。
 その上を眞一郎くんと私が寄り添って歩く。
 雪だといつか消えてしまうけど、花びらなら押し花にしたり瓶に詰めたりできる。
 お父さんとお母さんは、半透明な姿であっても出席させて欲しい」
 比呂美の声が俺の頭の中に染み込んできて明確に映像化させてくれる。
 すべてがちゃんとできていてまったく憂いがない俺たち。
 でも一部だけは曖昧なままで霞が掛かっている。
「ちょっと頼みたいことがある」
「何?」
 比呂美はかすかに警戒しているように震えた。
「ウエディング関連の雑誌を買って来て欲しい。
 比呂美のドレス姿を描くための資料にしたいんだ。
 オーダーメイドにするための原案にする下絵にだってできる。
 寸法や材質はプロに任せるとして、デザインぐらいはしてみたい」
 絵が描けるという利点を活かして比呂美にしてあげられる贈り物だ。
 そのときを想像しているかのように比呂美は瞼を閉じてくれている。
「でも資料なら眞一郎くんが直接に選んだほうがいいと思う」
「じゃあ、考えてみて。
 ああいう雑誌は婦人誌のコーナーにあって選んでいる俺の姿を」
「不審者」
 比呂美は右手を口に当てて吹き出している。
「だから比呂美にお願いしたい。
 好きなのを選んでいいし、できれば数多く掲載されているのがいいな。
 他の雑誌と一緒に買おうとして下に隠しておけばいい。
 バーコードを読ませるだけだから、店員はいちいち何の雑誌か確認しないし」
 具体的に購入方法を教えると、比呂美が訝しげに見つめてくる。
「やけにはっきりと述べられるのが怪しい。
 いったいどんな本を買っているのかな、眞一郎くん」
 にっこりと顔を寄せてくる比呂美にたじろいでしまった。
「健全な男の子みたいだから詮索しないわ。
 雑誌は買っておくね。
 私はもう十六歳だから結婚してもおかしくないし」
 比呂美は体勢を整えてから後ろ手にしている。
「俺は十八歳にならないと無理なんだよな」
「仕方ないと思う。それに籍はまだ先がいいし」
 比呂美は明るく慰めてくれている。
 そんな顔をしてくれているのに俺は曇らせることを訊かねばならない。
「雪が嫌いになった理由を教えてくれないか?」
 俺の決意に比呂美は瞳を背けてしまったが、徐に口を開いてくれる。
「一年前に雪が降り積もっていて、中庭で眺めていたわ。
 おばさんが縁側に来ていたので、眞一郎くんが私のお兄さんと告げられた」
 比呂美が急に挨拶さえもしてくれない時期と重なっている。
 食欲がなさそうだが、残そうとせずに無理にでも食べようとしていた。
「仲上家に慣れ始めていたのに暗い顔をしていたな。
 あのときに何があったか聞いておけば良かった」
 何度かそうしようとしていたが、避けられているようでできなかった。
「もういいいの。相談されても答えにくかったから」
 比呂美は少しだけ苦渋を滲ませて俯いてしまう。
 俺はそっと比呂美の左手に触れる。
 もっと他のやり方で比呂美を落ち着かせたかったが、拒否されたくなかったからだ。
 比呂美は握り返してくれてから顔を上げてくれた。
「今ならああいうことを言われても対処できる。
 湯浅比呂美なので仲上に籍を入れていないから」
「そうだね。戸籍上は兄妹でないなら結婚できるわ」
 お互いに翳りがある表情をしていても、顔を逸らさずに見つめ合えている。
「俺たちのことをお袋に伝えよう。
 先に言っておけばあんなことがなかったかもしれないから」
 俺たちの関係が自他ともに曖昧なままだから、付け入られる隙ができたようだ。
 比呂美を堂々と庇えれば、親父も参加してもらって家族会議を開けたかもしれない。
「私は仲上家に来るときに覚悟していたの。
 おばさんが湯浅家のことを良く思っていないのをわかっていたから。
 お父さんに四人の過去を聞かされたときに話し合った。
 お父さんはおばさんを利用していて、お母さんはおばさんの自尊心を傷つけてしまった。
 私もお母さんのように、おばさんにしてしまうと予測できていた。
 眞一郎くんとおじさんが私に優しくすればするほど、おばさんを苛立てさせてしまう。
 でも今はそんなことはないけどね」
 比呂美は初めからすべてをわかっていたようだ。
 それなのに俺を頼りにしつつ、ずっと耐えようとしていた。
 終わりの見えない暗闇の中を、小さな光が現れては消えてゆく道をひとりで歩き続けていた。
「やはりもうそういうことがないようにしよう。
 四人のわだかまりをできるだけ取り除いておきたい。
 俺は何も知らずにいるべきではないと思う」
 今まで存在するのをわかっていながら白日に晒そうとはしなかった。
 お袋がただ比呂美だけを嫌っていたようにしか考えていなかったのだ。
 いつか仲が良くなるという希望だけにすがっていて、何もしていないのに等しい。
「一つだけ守って欲しいの。
 おばさんとは親しくなれそうだから、湯浅家のことは私から話させて。
 それまで眞一郎くんは黙っていて欲しい。
 私なりに四人のことがわかれば教えるようにする。
 今のところ、お父さんとお母さんのは把握できているわ。
 でももう触れないようにするべきかもしれないし」
 比呂美は頭を揺らしながら迷っているようだ。
 下手にいじればすべてを崩壊させかねない。
「俺はこれからもちゃんとしようと思っている。
 だからこのまま玄関まで手を繋いでいこう」
 比呂美を勇気づけるだけでなく俺自身も安心したい。
 こうやって身体の一部だけでも触れ合えれば、恐れるものは何もない。
「穏やかに話さないと」
「わかっている」
 俺の誓いに比呂美は瞳に力を入れていて疑念が混じっていそうだ。
「俺だってお袋と仲良くしないと反省しているから」
 比呂美につらく当たっているのを見かけるようになると、お袋を無視していた。
「そのほうがいいと思う。
 昔、おばさんとお母さんは一緒にお弁当をふたりだけで食べるくらいの仲だったの。
 お母さんの代わりに私がなれたらなと考えているわ」
「幼い頃にふたりが親しく談笑していたのを眺めていた」
 まだ千草さんの体調が良くて主婦という共通の話題で盛り上がっていたのだろう。
「行こう」
「はい」
 ゆっくりと仲上家に向かって手を繋ぎながら歩き始める。
 まだ雪はやまないで緩やかに降っている。
 貫太郎さんと千草さんが今でも温かく見守り続けているのを示すかのようにだ。

               (続く)



 あとがき
 第十一話にあった雪の海でのキスは今でも見返すのが本編でもっともつらい。
 あのままふたりが別れてしまうような悲哀に満ちています。
 あのキスを上書きしたくてここまで書き進めてきました。
 それと本当にプロポーズさせてみたくなりました。
 ふたりはこのまま手を繋いで仲上家に向います。
 貫太郎についてです。
 シャナに出て来る主人公の悠二の父であり千草の夫です。
 職業は不明で出張が多いらしいので、コードギアスの千草の恋人である扇が教師だから、
 このSSの貫太郎は教師にしました。
 また千草であるヴィレッタが体育教師なので、貫太郎もそうしました。
 男子バスケではなく水泳部顧問にしようかと迷いましたが、千草ではないのでやめました。
 これで父子家庭になっても、比呂美はひとりだけで家にいなくてもよくなりました。
 灼眼のシャナⅡ第二十二話「クリスマス・イヴ」では千草と貫太郎の家庭がよくわかります。
 温かくてお互いを思い遣っていて子どもにも愛情を注いでいます。
 湯浅家もそういう環境であったように設定してあります。

 次回は、『過去と、現在と、将来と』。
 手を繋いだままのふたりは仲上家の敷居をまたぐ。
 目の前には理恵子がいて居間に来るように指示される。
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