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雪の町に集う者達 最終章

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rocnove

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三つ首の竜が暴れ回り、巨人がそれを押さえ込む。
まるでその光景は、怪獣映画か何かの類のものの様に見えた。
ジャックは、ただ呆然とそれを眺めている。
彼が我に返ったのは、傍らのミラが呻き声を発した時だった。
「ミラ?大丈夫!?」
ジャックの声で、やっとミラはうっすらと眼を開けた。
「ジャック…?ここは……?」
ジャックに上半身を抱き起こされ、ミラはゆっくりと辺りを見回した。
ジャックの顔の次に視界に入ったのは、制御盤に向かう神父の姿だった。
「父さん!!」
急に立ち上がろうとしたミラを、どうにかジャックは押し留めた。
ミラが父と別れたのが朝で、現在は深夜である。
およそ一日ぶりの親子の再会であったが、何故だかミラにはそれがとても長い時間に
感じられた。
「ミラ、起きたか。大丈夫かい?」
優しい言葉をかけながらも、神父は眼をモニターに向け、指は熱心に制御盤に何事か
打ち込んでいる。
「すまない、今ちょっと手が離せなくてね。ジャック君とそこにいてくれ」
「…何をしてるの?」
ミラの問いに、数秒間神父は無言だったが、突然口を開き、答えた。
「アレを動かしてる」
神父は、一瞬だけ顔を後ろの光景に向けた。
それにつられて、ミラはその光景へ視線を向けた。

自分達より何倍も大きい、異形の怪物と巨人。
ミラは、再び卒倒しそうになるのを堪えねばならなかった。
状況を飲み込むのに必死になっているミラを見守りながら、ジャックは口を開いた。
「何故…神父様があの巨人を動かせるんですか?」
今度は、神父は完全に黙ってしまった。
その眼には、迷いの色が浮かんでいる。
だがその時、状況は変化した。
三つ首の竜が、巨人を打ち倒したのだ。
「ああっ!?」
「くっ…」
奥歯を噛み締めつつ、瞬時に神父は二体目の起動に入った。
だがその時、一際大きな声が室内に木霊した。
『ハウエル!!貴様ぁ!!』
それは紛れも無く、三つ首の竜、すなわちケフェウスが発していた。
だがその声にも動じず、神父は制御盤を操作し続ける。

続けて、一体目が格納されていた場所の向かい側の戦闘端末が起動する。
今度も人型の機体だが、肩や胴体が太くなっていた。
その端末も格納場所から抜け出ると、ケフェウスに向かい合う。
「ケフェウス…あなたの敗因は、私にこんな事をさせる猶予を与えた事です。
 初めからこうすれば良かったのだ…こんな兵器など、今の私には必要無い。
 そして、あなたにはもう打つ手が無い。
 あなたが敗れようと、六体全てを打ち倒そうと、あなたの野望はもう終わりです…!」
次の瞬間、二体目の戦闘端末の胸と肩から、砲身が出現した。
ケフェウスが反応する間も無く、一斉射撃が開始される。
室内に轟音が響き、ミラとジャックは堪らず両耳を手で押さえた。
その時、神父は見た。
ケフェウスの三つの首の瞳が、鈍く光るのを。
神父はまだ相手が諦めていない事を悟った。
「(何を考えている…!)」
次の瞬間、ケフェウスは四本の足を動かし、走り始めた。
その疾走による室内の振動は凄まじく、神父やジャック・ミラにも伝わってくる。
「くっ…!」
戦闘端末を押しのけ、ケフェウスは神父に向かって疾走した。
おそらく、操作している神父本人を狙うつもりなのだろう。
だが、神父も当然それを黙って見過ごすつもりなど無かった。
すぐに戦闘端末の体勢を立て直し、ケフェウスの長い尻尾を掴ませた。
そして引っ張り戻し、その頭の一つに拳打を浴びせる。
その時、ケフェウスの不気味な声が響いた。
『もう、形振り構ってなどいられぬな』

「!!」
バクリと、ケフェウスの真ん中の首が、戦闘端末の頭に噛み付いた。
そしてそのまま、地面に叩きつけ、巨大な足がその身体を踏み砕いた。
「くっ…」
そして頭を上げたケフェウスの三本の首は、真っ直ぐ神父の方へ視線を向けた。
神父はすぐさま三体目の起動を急ぎながら、傍らのジャックとミラに言った。
「二人とも、今のうちに逃げなさい」
最初に抗議の声を上げたのは、ミラだった。
「父さん!何を言って…」
「奴の狙いは私だ!このままだとお前も巻き添えになってしまう!!」
突然大声を発した神父の声に、ミラは口をつぐんだ。
だが、ミラが何か言う前に、無情にも状況は変化した。
『ハウエルぅぅぅ!!!』
ケフェウスが地面を踏み鳴らし、神父に向かって走り始めたのだ。

横から割り込んできた三体目の戦闘端末が、ケフェウスの首の一つを掴んだ。
既にケフェウスの巨体は神父の目前にまで迫っており、予断を許さない状況である。
神父は、再び傍らのミラとジャックに呼びかけた。
「ここにいては危険だ。早く逃げなさい!」
「そんな事…できない!!」
悲鳴のような叫び声をミラが上げる。
ジャックは、神父の方へ行こうとするミラを抑えるのに精一杯の様だ。
その時だった。
「早くしないと…」
神父の声が、突然途切れた。
同時に、戦闘端末の動きも止まる。

見ると、神父の背中に、鋭利なケフェウスの尻尾が突き刺さっていた。

「父さんっ!!!」
今度こそ、本物の悲鳴が上がった。
ケフェウスの尻尾は神父の身体を貫通し、その向こうの制御盤にまで突き刺さっていた。
「が…はっ…!」
一気に神父の口から多量の血が流れる。
がっくりと、神父の腕から力が失われ、下に垂れた。


ケフェウスは三本の首で戦闘端末の相手をしながら、チャンスを待っていた。
まず、戦闘端末よりも神父に近い位置取り。
戦闘端末の方を向いたケフェウスは、必然的に神父の位置に背を向ける格好となる。
神父が一瞬気をそらしたのは、それのせいでもあったのだろう。
神父が子供達に話しかけた一瞬。
その一瞬のうちに、ケフェウスは尾を操り、神父を串刺しにしたのだった。
操縦者を失った戦闘端末が、ゆっくり地面に伏す。
『お前が悪いのだ、ハウエルよ。
 司政官の分際で、悪あがきなどするから』
ケフェウスの声には、落胆の色が含まれていた。
が、次の言葉に含まれていたのは、狂気だった。
『だが、安心しろ。お前の最愛の娘も、すぐに傍へ送ってやる。
 お前に加勢した者達も一緒だ。
 これで…気兼ねなく、本物の天国(ヘブン)へ行ける事だろう!』
ケフェウスの三つの眼は、ミラとジャックに向けられた。
ミラは、倒れた神父に覆い被さるようにして泣いている。
ジャックは、ただ呆然とした眼でそれを見たままで、ケフェウスの事など頭に無い様だった。

ケフェウスの、三つの頭部が同時にゆっくりと口を開いた。
その口の奥で、紅い炎が集束していく。
その照準は、正確にミラとジャックに向けられていた。
だが。
「むっ!!」
次の瞬間、ケフェウスは全身に凄まじい寒気を感じた。
驚いて、その感覚の原因を判断する。
それが、背中からの殺気だという事に気づくのに、さして時間はかからなかった。

クロウ・エリュシオンは、そこに立っていた。
ケフェウスの背中、首の付け根の部分に。
いつの間にかは分からないが、完全に気づかれる事無く、そこに到達していた。
そして、そこで初めて、明確な殺意を相手に向けたのだった。

「貴様!!いつの間に!!」
「死ね」
ケフェウスの三本の頭が反応する間も無く、クロウはケフェウスの真ん中の首の
付け根に、刀を突き立てた。
「ぐああああぁぁぁぁ!!!」
凄まじい血が噴出し、クロウのアーマーを濡らす。
だが、それで終わりではなかった。
「や、やめろおおおぉぉぉ!!!」
突き立てた刀を握り締め、抉る様に動かす。
ケフェウスの悲鳴が、部屋の中に轟いた。
「死…ねぇ!!!」
一際強く血飛沫が舞ったかと思うと、クロウの刀は血に濡れながら、高々と頭上に
掲げられていた。
轟音と共に、首が地面に落ちる。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
振り抜いた勢いのまま頭上に掲げられた刀を下ろし、クロウは膝をついた。
既に思考するほどの体力も無く、その眼は虚ろに神父の遺体を見つめている。

その時、ケフェウスの残り二本の首が、咆哮した。
その悲鳴の様な咆哮は、全身から気力を奪ってしまう様な、不快な響きだった。
そして次の瞬間、今度は意思のある声が、部屋中に響いた。
『粛清官如きが…なめた真似を…してくれる!!』
二本の首のうち一本が、その口を広げ、クロウに襲い掛かる。
だが既にクロウの身体には、それを避ける気力は残っていなかった。
ケフェウスの首はクロウの身体をくわえると、そのまま勢い良く投げ飛ばし、
壁に叩きつけた。

壁がめり込むほどに叩きつけられたクロウは、そのまま地面に落ちた。
既に意識など無い。
ケフェウスの首を斬り飛ばした時点でもう無かったのかもしれない。
うつ伏せに倒れ、指一本も動きはしなかった。
だがケフェウスは、戦慄した。
『この私をここまで追い詰めるとは…恐ろしい男だ。』
一方の首は先程の強襲の様な事が無いよう、油断無くクロウを見据えた。
もう一方の首は、ミラとジャックの方へ視線を向ける。
『む…!!』
少しばかり、状況に変化があった。
ミラは父親の亡骸にすがりつき、すすり泣いたままだ。
だが、ジャックの様子は明らかに、先程とは違っていた。
その眼は先程の様な呆然としたものではなく、明確な意思が宿っている。
それは憎しみ、そして悔しさだった。
その感情の宿った目を、ジャックはケフェウスに向けていた。
歯を食いしばり、拳を握り締め、ジャックはケフェウスを睨みつけていた。

『抗おうと言うのか。デコイ如きが…!』
「くっ…そぉーーー!!!」
ジャックは声を張り上げて叫ぶと、走り出した。
その先には、クロウの刀が転がっている。
先程ケフェウスに投げ飛ばされた時に落ちたものだった。
ジャックは迷わずその刀を手にすると、ケフェウスに向かっていった。
「うあああぁぁぁぁ!!!」
次の瞬間、再び刀は宙を舞っていた。
ケフェウスが頭部を無造作に振り、ジャックを吹き飛ばしたのだった。
吹き飛ばされたジャックは数メートル後方の地面に伏していた。
「が…ごほっ……」
口からは血を流し、両腕は腹を押さえている。
ケフェウスは、そのジャックも含め、この場にいる者達を確認した。
ジャックもクロウも倒れたまま。クロウは意識を無くしているだろう。
ミラはようやく顔を上げ、倒れたジャックを見た後、絶望に満ちた目でケフェウスを見た。
ケフェウスは、ゆっくりと呟いた。
『腹立たしい…神父よ、貴様のせいで私の計画は殆ど失敗したと言っていい。
 だがな…私もこれでは終わるつもりは無い。
 お前が愛した娘も、上の町のデコイ達も、皆消してやる!!』

ミラは感じた。
もう何も希望は無いのだと。
あの怪物に、自分も町の皆も、父の様に殺されてしまうのだと。

扉が開いたのは、丁度その時だった。
『!?』
扉の開閉音に、ビクリとケフェウスは全身を震わせる。
そして、ケフェウスに付いた全ての瞳が扉の方へと注がれた。
扉の前には、一人の男が立っていた。
20代後半くらいに見える整った顔立ちの、長身の男。
金色の短髪で、サングラスをし、全身に白いロングコートを纏っている。
ケフェウスは知る由も無いが、クロウがこの町に来た当初に、市庁舎で出会った男だった。
だがその時とは違い、今は左肩に、大きな鷲がとまっていた。
「…少し、遅かった様だな」
ケフェウスの眼が、鋭く男を睨む。
その視線などさして気にもしないで、男はクロウに眼を向けた。
クロウは倒れたままで、意識も無い。
だが呼吸はしており、かすかに背中が上下していた。
それを見て取ると、男は呟く様に言う。
「言った筈だ。この町から去らなければ、死ぬ…とな」
『何者だ!!』
威嚇する様に、唸りながらケフェウスは言う。
だが男はそれを無視し、次は神父に視線を向けた。

心臓を貫かれた神父は、もう動かなかった。
その傍に寄り添うミラは、呆然と今の光景を眺めている。
眼を細め、男は言った。
「死んだか、ロックマン・ハウエル。残念だ」
まだ意識の残っていたジャックは、男の声に気づいて、顔を上げた。
だが、ジャックが最初に注目したのは、その肩に乗る鷲の方だった。
「(あれは…確か…)」
ジャックは、記憶の中を必死で探った。
そして、思い出した。
「(確か…クロウさんと仮面の男が闘っていた後に見た…)」
仮面の男―シリウスとの闘いで負傷したクロウを支えていた時に見た、あの鷲だった。
数日前の出来事だが、何故かその鷲の姿が印象に残っていたお陰で、思い出す事ができた。
そんなジャックを我に帰したのは、ケフェウスの怒鳴り声だった。
『何者だと聞いている!!』
地面を震わせる様なその声は、しかしその男を動じさせはしなかった。
「どうやら思惑通りにはいっていない様だな。古き神々の一人・ケフェウス。」
『何だと…!?』
男は一歩足を踏み出すと、言った。
「私は一等粛清官ロックマン・テスタメント。
 古き神々の一人・ディエス様の命により、ケフェウス、お前を始末しに来た。」

男―ロックマン・テスタメントの言葉を聞いた時、ケフェウスの二つの首は嘲笑う様に
口の両端を吊り上げた。
『ディエス?聞かぬ名だ。私を始末するだと?冗談もいい所だ。
 まさか私に歯向かう粛清官がこの町にもう一人いたとはな。
 先程の粛清官と同様に、貴様も再起不能になりたいか?』
テスタメントは至極冷静な口調で、再び口を開く。
「お前はもう満身創痍だ。三本の首のうち一本を斬り落とされている。
 更に戦闘端末との戦いで体力も底を尽きかけている筈だ」
『それがどうした!!』
大声と共に、ケフェウスの二本の首は、テスタメントに吠え立てる。
だが、テスタメントは全く動じはしない。
「無駄口はそろそろ終わりにしたらどうだ」
『言われずともそうする…すぐにな!!』
次の瞬間、ケフェウスの両の首が、口を大きく開いた。
その奥から、凄まじい量の炎が収束されていく。
そして、それは超高熱の火炎となって、テスタメントに襲い掛かった。
炎はテスタメントの周囲を覆いつくし、瞬く間にその身体を包んでいく。
ケフェウスはその光景を見て、勝利を確信した。

ジャックは、身体中に走る痛みも忘れて、その光景に見入っていた。
男が何者なのかは知らなかったが、只者でない事はすぐに見当がついた。
そして目の前の凄まじい炎を見ても、その中心にいるであろう男は、涼しい顔で
佇んでいる様な気さえしたのだ。
実際、ジャックのその予感は、当たっていた。
過剰とまで言える凄まじい炎を吐いたケフェウスは、男か消し炭となって出てくる
のを待っていた。
だが次第に、ケフェウスはある異変に気づく。
炎が渦を巻き、そして次第に一点に集中していくのだ。
その一点とは、ロックマン・テスタメントの掲げた、右の掌だった。
『馬鹿な…!!』
炎は収束し、球状となってテスタメントの掌に収まる。
そしてゆっくりと、彼はその掌をケフェウスに向けた。
最後に、先程よりも幾分か声を張って、彼は言った。
「消え去れ」
次の瞬間、凄まじい炎がケフェウスの2本の首を包んだ。
『な…やめろ、やめろおおおぉぉぉぉぉ!!!』
ケフェウスはもがき苦しみ、そして遂にその頭を完全に炎が包み込んだ。
息を呑んで、ジャックはその光景を見つめた。

ジャックはずっと、燃え盛る炎を見つめていた。
その場にいる誰もが、動く様子は無い。
ケフェウスの四肢でさえも、しばらくすると動かなくなった。
どのくらい時間が経ったろう。やっと炎は勢いを次第に失って、消えた。
ケフェウスの二本の首は、黒く変色していた。
銀色に光っていた首や頭、紅く輝いていたその眼さえも。
そして次の瞬間、軽い音と共に、二本の首が音も無く身体から外れ、地面に落ちた。
三本の首を失ったケフェウスの身体は、その場に立ったまま、動く事は無かった。
掲げた右腕を下ろすと、テスタメントは言った。
「さて…後始末だ」
そう言うと、彼はゆっくりと歩き出す。
ケフェウスの身体の、足の間をくぐり、先程神父の操作していた制御盤に近づいた。

ジャックはそれを見て、痛む身体を堪えながら、立ち上がった。
目の前の男がこれから何をするのか、予測がつかない。
とりあえず、近くにいるミラを守る事に専念する事にした。
「ミラ…大丈夫?」
ミラも、ジャックと同じ様に男に注目していた。
だが当の男―テスタメントは、二人などまるで眼中に無いかの様に無視して歩を進める。
そして制御盤まで辿り着くと、そのボタンのうち一つを押そうとして――動きを止めた。
急に肩にいる鷲が振り向き、甲高く鳴いたからだ。
「!!」
テスタメントの背後に、クロウが立っていた。
満身創痍で息も荒いまま、テスタメントを睨みつけ、彼は言う。
「何を…するつもりだ…!!」
先程から今までと同じく、全く動じる気配の無いまま、テスタメントは言った。
「この遺跡を破壊する」
一瞬の間。クロウは刀の柄を握ると、言った。
「そうか…この上にある町の事など考えてはいないか…!!」
次の瞬間、クロウは刀を抜き放った。
だがその刃は、易々とテスタメントの片手に捉えられた。
「今のお前に何ができる。立っているのもやっとだろう。
 それに、ここにある兵器をこのまま放っておくつもりか?」
「他に幾らでも…やり方はある筈だ…!!」
クロウは刀に力を入れた。だが、その刃が前進する気配は無い。
「無い。再び封印を施しても、いずれは破られる。
 これ以外に方法は…無い」
次の瞬間、クロウの腹にテスタメントの蹴りが炸裂していた。
「が…はっ…!!」
無表情なテスタメントの顔を最後に、クロウの意識は、再び闇の中に叩き落された。

どさりと地面に倒れたクロウを見もせず、再びテスタメントは制御盤に向かう。
しばらく幾つかのボタンを操作しながら、急に彼は口を開いた。
「おい、小僧」
しばらく、ジャックは自分が呼ばれた事に気づかなかった。
再度同じ声量で呼ばれた時に、初めてジャックは気づいたのだった。
「は、はい…!?」
「程なくこの遺跡は崩壊する。逃げた方が身の為だ」
ジャックは、しばらく男の言った事が理解できなかった。
だが男はそれ以降一切喋らずに、ただ制御盤のボタンを打ち続けていた。
ジャックが我に返ったのは、急に警報が鳴り始めた時だった。
「!!」
異常な音量で、サイレンの様な警報が鳴り始める。
ジャックは、本能的に逃げた方が良いと確信した。
「ミラ…!!」
ミラは、視線を父親の遺体に注いだまま、動こうとはしなかった。
「ミラ、このままじゃ…ここが…」
「ジャック…もういいの。私、父さんとここに…一緒にいる」
「そんな!できるわけ無いじゃないかそんな事!!」
「いいの、放っておいて…」
ミラの眼は、既に何もかも諦めている様子だった。
ジャックはミラの両肩を掴み、こちらに向かせると、その眼を見て言った。
「ミラ、ありきたりな言葉で申し訳ないけど、それじゃあ…神父様は喜ばないよ。
 神父様はいつだって、ミラの事を心配してたじゃないか…!!
 だから、こんな所で死ぬなんて言わないで、一緒に生きよう!!」
「ジャック…」
堪え切れなくなったのか、ミラの眼から涙が溢れた。
ミラはすぐにそれを袖で拭き取ると、神父の遺体の方に視線を向ける。
「父さん…ごめんなさい。私…一緒には逝けないみたい」

ジャックはすぐにミラの手を取ると、倒れているクロウの方へ走った。
「クロウさん!大丈夫ですか!?」
だがクロウが起きる気配は無い。
ジャックは力一杯、クロウの肩を担ぎ起こした。
ミラもジャックを手伝い、反対側の肩を担ぐ。
そして二人は、クロウの身体を引きずり、歩き始めた。
その間にも、警報は鳴り続け、次第に地面が振動を始めた。
「(くそ…このままじゃあ…僕らも生き埋めに…!!)」
ジャックは、クロウを担いで歩きながら、後ろを振り返った。
テスタメントはその場に立ったまま、ずっと制御盤を打ち続けている。
だが、その肩に止まる鷲は、ずっとジャック達を見つめていた。

今日も、町には雪が降っている。
クロウは、雪で覆われた地面の上に立っていた。
その視線は、苦々しげに目の前の町を見つめている。
「………」
風の強い日だった。
真っ白な雪の中で、クロウの首に巻かれた黒いスカーフが音も無くたなびいた。
「俺は…あんたに何ができた?」
答える者はいない。
答えるべき人間は、地面の下にいる。
益々強くなる雪と風も、今のクロウには何も感じられはしなかった。


あの日。
ジャックとミラが諦めかけた時に、やっとクロウは眼を覚ました。
すぐに状況を把握すると、即座にクロウはジャックとミラを連れ、遺跡を脱出した。
その彼らの目の前で、遺跡は崩壊し、町の一部の地面が陥没した。
彼らが脱出したばかりだった遺跡の入口も、その陥没と共に地中に落ちていった。
その後、三人はジャックの家に向かった。
クロウもジャックもそこで待っていたケインに手当てされたが、ケイン自身もクロイツに
負わされた傷が酷く、結局は医者を呼ぶ事になった。
ジャックとケインの傷は命に別状は無く、それを確認して安心した途端、クロウの意識は
数日間途切れる事になる。

次に目を覚ました場所は、病院のベッドの上だった。
身体中の傷は殆ど手当てされており、普通に生活する上での問題は無くなっていた。
すぐにクロウはアースガルド家に電話をかける。
ジャックの声がすぐに聞こえ、彼から数日間の町の様子をクロウは聞かされた。

大規模な地面の陥没は原因不明の災害として処理されたらしい。
陥没は、特に町を横断する東と西の大通りを中心としており、その通りに沿った多くの
民家に被害が出たと言う。
重軽傷者が50人以上は出たらしい。幸いにも、死者は出なかった。
ただし、行方不明者が一人。名はジョエル・クラウス。
東の大通りの突き当たり、遺跡の前に教会は位置していた為、地面の陥没により建物は
ほぼ全壊。未だ建物の瓦礫の撤去作業が続いているが、死体は出てこない。
ミラの事について尋ねると、ジャックは会って話す、と伝えた。
しかし、ジャックも今回の件で色々忙しくなり、会うのは数日後となった。
場所は、町の南端に位置する丘の上。初めて、クロウがこの町を見た場所だった。

約束の時間より幾分早く、クロウはここに来た。
この数日の間に退院したクロウは、既に宿も引き払い、この日のうちにこの町を
去る事にしていた。
電話では、あと数日でジャックも学校が始まると言う。
潮時だと、クロウは判断した。


大きく手を振り、ジャックが走ってくる。
今日もこの町の寒さは酷く、その為か厚いジャンパーにマフラーをしていた。
「こんにちは、クロウさん」
「ああ…一人か」
「…ええ。」
クロウの言葉がミラの事であると、すぐにジャックは気づき、返答を返す。
「ミラはこれから、孤児院で世話になりながら暮らすそうです」
「…どんな様子なんだ?」
クロウの問いに、ジャックは暗い表情で答えた。
「…塞ぎ込んでます。やっぱり…神父様の事は相当辛かったみたいで…」
「そうか…」
しばらく、その場には暗い沈黙が続いた。

「できるなら直接会って、謝りたかったが…そろそろ行かなきゃならない」
教会のあった辺りを眺めながら、ポツリとクロウは言った。
その場所は雪に覆われ、瓦礫と化した教会の残骸は見えなくなっている。
ジャックは、驚いた様子でクロウに顔を向けた。
「…え?行くって…」
「すまない。もっと前に言っておくべきだったな」
ジャックは何か言いたかったが、それを押し留める様に、眼を伏せた。
「そう…ですか」
しばらくの沈黙の後、クロウは視線を変えず、再び口を開いた。
「ミラ・クラウスは…これから大丈夫だと思うか?」
ジャックは、沈んだ表情のまま、答えた。
「…幸い、孤児院の方が学費を出してくれたお陰で、学校には行けるそうです」
「そうか。すまなかったと、伝えてくれ」
そう言うと、クロウは振り返り、歩き出した。
「世話になった。ケインによろしく伝えてくれ。
 縁があったら…また会おう」
「これで…いいんですか?」
ジャックの言葉に、クロウは思わず足を止めた。
「これで本当にいいんですか…クロウさん」
ジャックは真っ直ぐ、クロウを見た。あの夜の教会の時の様に。

「もっと…言いたい事があるんじゃないんですか…?」
ジャックは、真剣な面持ちでクロウを見つめる
この町から逃げる様に、皆の記憶から消える様に去っていく。
そんな風に、ジャックには思えた。
だからこそ、ジャックは、クロウに問いかける。
「もう行かなきゃならないのなら、僕が伝えます、必ず。
 だから…言いたい事も言わないで、出て行かないで下さい…!!」
クロウは、ジャックの言葉に、静かに口を開いた。
「…お前の言う通りだ。ジャック・アースガルド」

この町に来てから、ジャックは常に、真摯にクロウと向き合っていた。
それをクロウは、思い返した。
そしてクロウは、静かに自分の本心を口にした。
「正直…悔しかった。ジョエル・クラウスを助けられなかった事が。
 だからこそ…ミラには謝りたい。
 それに…お前達親子を巻き込んでしまった事もな」
クロウはジャックに向かって、深々と頭を下げた。
「すまなかった」
流石にこれには、ジャックも戸惑った。
「そ…そんな事…」
だが、ジャックが何か言おうとする前に、クロウの言葉が続いた。
「だからこそ…ジャック、頼みがある」
「…何ですか?」
一呼吸置いて、クロウは言った。
「ミラを…支えてやってくれ。おそらく…彼女を支えられるのはお前しかいない」
一瞬の沈黙の後、ジャックは少しばかり大きな声で、言った。
「もちろんです!クロウさんの分まで、僕がミラを支えます」
クロウは、ジャックの言葉に頷くと、再び振り返り、歩き出した。
「頼んだぞ…またな」
「ええ。いつでも、この町で待っています」
歩き去るクロウの姿が見えなくなるまで、ジャックは手を振った。


雪がやんだ。
それを感じて、初めてクロウは、自分があの町を去ったんだと実感した。
何かを感じ、空を見上げる。
丁度その時、大きな鷲が空を横切り、クロウの向かう方角へ飛んで行った。
周囲を見回すが、誰もいない。
クロウ・エリュシオンは、何となく苦笑してから、再び雪道を歩き出した。



雪の中に集う者たち・完
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